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2006年10月 6日 (金)

ノー・ディレクション・ホーム

2005年 アメリカ 2005年12月23日公開
評価:★★★★★
原題:BOB DYLAN NO DIRECTION HOME
監督:マーティン・スコセッシ
製作:グレイ・ウォーター・パーク・プロダクションズ、スピットファイアー・ピクチャーズ
        サーティーン-WNET、アメリカン・マスターズ
編集:デビッド・テデスキ
出演:ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、アレン・ギンズバーグ、アル・クーパー
        デイブ・ヴァン・ロンク、ウディ・ガスリー、メイヴィス・ステイプルズ
   ピート・シーガー、マリア・マルダー、スーズ・ロトロ、ピーター・ヤーロウ
   ボブ・ニューワース

  ミュージシャンを描いたドキュメンタリーのレビューをこれまで書いたことはない。音楽が好きであるにもかかわらずCDなどの感想をあまり書かないのは、ストーリーのある映画と違って感覚的な要素の強い音楽を表現する言葉を僕が持っていないからである。また、音楽に関して僕は純粋なリスナーであり、楽器も弾けないし、専門的な音楽の知識を持っていないという事情もある。

  したがって、初期ボブ・ディランのドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」は、僕にTakigawa とって扱いにくい題材である。それでもあえてレビューを書こうと思ったのは、「ノー・ディレクション・ホーム」が非常に優れたドキュメンタリーだと感じたからだ。ほとんど写真でしか観たことのなかった若き日のディランの顔(表情)の美しさ、演奏される曲の素晴らしさに強く惹かれた。3時間半にも及ぶ長編ドキュメンタリーだが、ぐいぐいと画面に引き付けられ最後まで一気に観てしまった。

  僕がディランを聞き出したのはかなり後になってからだ。恐らく80年代のはじめごろだろう。最初に買ったディランのアルバムが何かは覚えていないが、現在持っているディランのレコードとCDは20枚を越える。では、かなりのディラン・ファンなのかというと、別にそういうわけではない。評論家がディランのものは何でもほめるので、一応買っておいたらいつの間にかたまってしまったというだけのことである。

  ディランのアルバムでは比較的初期のものが好きだ。フォーク時代はどれも悪くない。ロック転向直後のものもいい。『時代は変わる』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『ハード・レイン』あたりがマイ・ベスト5である。70年代まではいくつかいいと思うのがあるが、80年代以降はほとんど魅力を感じない。最近はただもごもごと歌っているだけでちっとも面白くない。僕にとってのディランはほとんど60年代で終わっている。最も優れていると思う曲を2曲挙げればアルバム『追憶のハイウェイ61』に収められている「ライク・ア・ローリング・ストーン」と「廃墟の街」。この2曲は本当に別格で、文字通りの名曲だと思う。時々無性に聞きたくなる。

  恐らく「ノー・ディレクション・ホーム」に引き込まれたのはその一番好きな時代に焦点を当てているからだろう。この時代の楽曲にはかなり引き込まれる。歌に力を感じる。僕自身が高校生のころ(70年代初期)はフォークソングが好きでよく聴いていた。様々なジャンルを聞くようになった今でもフォークは好きなジャンルの1つである。90年代以降で言えばジュリー・マス、キャロル・ロール、ナンシー・グリフィス、ベス・オートン、メアリー・チェイピン・カーペンター、メアリー・ルー・ロードあたりがお気に入り(なんてこったい、全部女性だ!?)。フォークの伝統が絶えていないのはうれしい。今でもPPMを聞くと古里に帰ってきたような心地よさを思える。

  また60年代という社会が大きく揺れ動いていた時代が背景にあることも魅力を感じる重要な要素だ。音楽が今よりもずっと社会にコミットしていた時代だ。ディランが歌っていたのもトピカル・ソングやプロテストソングと呼ばれるものである。ただ恋愛を歌う歌もいいが、僕はそういう歌も好きだ。もちろんディランはプロテスト・ソングを歌いながらも、政治の中に巻き込まれまいとする姿勢をはっきり示している。僕としてはウディ・ガスリーやピート・シーガーのような社会とのかかわりの持ち方に共感するが、微妙な立ち位置を選んだディランの姿勢も理解できる。自分が歌いたい歌を歌っているだけで、他人に利用されたくない。そういう気持ちがあったのだろう。歌手に出来ることは結局歌うことだけなのだ。

  いずれにせよ、当時の世相を映し出す映像をたっぷり盛り込んで、それらと平行してTuki_gura_250_04_2ディランの生き方を描くという構成にしたことが成功している。「ノー・ディレクション・ホーム」はデビューから66年までのボブ・ディランの音楽と人間像を本人や関係者からのインタビューと当時の貴重な映像で再現しようと試みたドキュメンタリーであると同時に、ディランを含む当時の多くのアーティストたちが音楽という角度から社会にコミットしようとしていた類まれな時代を映し出したアメリカ現代史の貴重な記録でもある。特に貴重だと思ったのはワシントン大行進のとき舞台で歌っていたディランの映像である。彼も出演していたとは知らなかった。その時のキング牧師の演説はあまりにも有名で何度も聞いたことがあるが、映像はほとんど観たことがない。ピーター・ポール&マリーのDVD「キャリー・イット・オン ~PPMの軌跡」にその時の舞台で歌った「風に吹かれて」の映像が入っているのを観て仰天した覚えがある。ワシントン大行進の記録映像は20世紀の記録の中でもトップクラスに入るほど重要なものだ。恐らく当時のニュース映像などかなりの記録映像が残っているはずである。是非DVDにまとめて出してほしいものだ。

  記録映像としての価値はディランを取り巻く多彩な人物の貴重な映像にも表れている。出てくる人たちがすごい。大木のような体躯から野太い声を発するオデッタ、まだ10代のころのものすごくかわいい映像と丸々としたオバちゃんになった映像の両方が観られるマリア・マルダー、同じようにすっかりオバちゃんになったメイヴィス・ステイプルズ、彼女たち
の動く映像は初めて観た。酒を飲んでいる姿がほんの一瞬映し出された黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの映像も貴重だ。極めつけはビート詩人のアレン・ギンズバーグ。銀髪の老人になって登場した。正直言って、この人まだ生きてたのかと仰天した(失礼)。後に名盤『スーパー・セッション』を残したアル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの貴重な映像。銀髪ですっかり落ち着いた感じになった現在のインタビュー映像と若いころの透き通った声で歌っていたころの映像の両方が楽しめたジョーン・バエズ。特に若い時の映像はたっぷり映し出されていて、その声と姿の美しさに見とれてしまった。ピーター・ポール&マリーのDVD「キャリー・イット・オン ~PPMの軌跡」に収められたマリー・トラヴァースの若いころの映像に匹敵する美しさだった。

  映像ばかりではない。メモを取るに値する発言があちこちにちりばめられていた。とても全部は書ききれないので、2つだけ書いておこう。まずはメイヴィス・ステイプルズ。

  ″人と呼ばれるのにどれだけの道を歩まねばならないのか。(「風に吹かれて」の歌詞)″なぜこれが書けるの?私の父の経験そのものよ。人間扱いされなかった父のね。ボブは白人だっていうのにどうしてこんな詩が書けるのか不思議だった。きっと霊感を得てたのね。だから人の心に直接響いてくるのよ。ゴスペルと同じ。彼は真実を歌にする。

  次はアレン・ギンズバーグ。

  チベットの僧のことわざにある、「自分を越える弟子がいない者は師ではない。」私は彼の言葉に圧倒された。特に「歌う前に自分の歌の意味を知る」、「山にこだまさせ皆に伝えたい」といった言葉。聖書の預言のようだ。詩とは力ある言葉、人の髪も逆立たせる。主観的真実の表現であるが、他の人が客観性を与えた時にそれは初めて詩と呼ばれる。

  なにしろ400時間を越えるアーカイブ映像から選び抜いたというのだからほとんど無駄な映像はない。映画として考えれば3時間半は超大作並だが、DVDはさらに映像を増やし、演奏も最後まで入れて、1本2時間×3巻くらいあってもいいと思った。3夜連続のテレビの特集だと考えれば決して長くない。

  それはともかく3時間半でも当時の雰囲気がよく伝わってくる。特に、当時多くのアーティストや若者が集まっていたグリニッジ・ヴィレッジの雰囲気が映像で見られたのは貴重だった。様々な才能を持った人々が様々なパフォーマンスを繰り広げていた。実に独特の雰囲気だった。そこから多くの才能が発掘された。ボブ・ディランもまたそこで大先輩たちから様々なことを学んでいた。ジョニー・キャッシュやリアム・クランシーのパフォーマンスから多くを学んだ。ほぼ同じ世代のジョーン・バエズにも圧倒され、パートナーになる予感がしたと率直に語っている。

  音楽だけではない。ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドの映画からも影響を受けたと語っている。50年代はアメリカが空前の繁栄を享受していた時代だった。ウィリアム・ホールデン主演「ピクニック」(1955)を観れば当時の浮かれた雰囲気が分かるだろう。そこに登場した二人の反逆児。「理由なき反抗」で無軌道な行為に突っ走っていたジェームズ・ディーン、「乱暴者」、「波止場」でふてぶてしい面構えを見せたマーロン・ブランド。彼らは当時の反逆者の象徴だった。この二人の影響とグリニッジ・ヴィレッジでの経験から反逆児ボブ・ディランが生まれたのである。

  グリニッジ・ヴィレッジでの経験を通じてディランは別人のように成長した。本人も「悪魔と取引きして、一夜にして変わったんだ」と語っている。ブルース・ギタリストであるロバート・ジョンソンの有名な伝説の引用である(彼はある時四つ角で悪魔に出会い、魂を売るのと引き換えにギター・テクニックを手に入れた、さらに元をたどればゲーテも取り上げた「ファウスト」伝説に行き着くだろう)。

  ディランの記録映像には他にD・ A・ペネベイカー監督の「ボブ・ディランDONT LOOK BACK 1965 LONDON」もあるが、これはもっとディラン個人とそのパフォーマンスに焦点をArtkazamidori01250wd 当てているようだ。だから観たいとは思わない。ディランを、特に60年代のディランを理解しようとすれば、「ノー・ディレクション・ホーム」の様により広い社会的視野から彼を捉えなければならないと思うからだ。ディランを理解しようとするならウディ・ガスリーとの関係は切り離せない。ディランはガスリーに会いに行っている。抜け殻のようになっていたその姿にショックを受けたようだ。初期のディランのしゃがれ声とぶっきらぼうな歌い方には明らかにウディ・ガスリーの影響が見て取れる。ガスリーの自伝にはケルアック(『路上』の作者)以上に親近感を覚えたと語っている。

  ディランはガスリーからその自由な生き方と、常に自分と歌を社会と民衆の中におく姿勢を学んだのだろう。ギンズバーグが絶賛しているように、ディランの詩人としての才能はガスリー以上だった。ロックに転向した時、ファンは彼を「裏切り者」、「ユダ」とののしったが、僕から観れば「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「廃墟の街」はガスリーの延長線上にある気がする。ウディ・ガスリーの影響が明瞭な初期の「時代は変わる」も名曲だと思うが、「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「廃墟の街」にはより優れた詩人に成長したディランがいる。本人の言葉によれば、泊まった人の家に詩集があると手当たり次第に読んだそうである。彼は単なるミュージシャンであるばかりではなく詩人だったのだ。僕が大学院生だったとき、大学の学会で「廃墟の街」を詩としてとらえた研究発表を聞いたことがある。ジョーン・バエズが面白い体験を語っていた。当時売れっ子の彼女がディランを連れて高級ホテルに泊まろうとした時、ディランの格好があまりに汚いので最初断られた。何とかねじ込んで泊まれるようにしたが、その苦い体験を元にディランがホテルで一気に書き上げたのが有名な「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン」だった。

  フォークからロックへ移っていったのはディランにとって恐らく自然なことだったのだろう。しかしそれを理解しないファンからの野次にはかなり心を悩ましていたようだ。インタビューもひどい。実にばかげた質問を執拗に繰り返している。観ていて腹が立った。結局彼らは自分たちの理解の範囲でしかディランを「理解」していなかったのだ。バイクの絵柄のシャツにこだわっていたファンはディランではなく自分を語っていたのである。ディランを理解しなかった当時のマスコミも同じだったのである。僕は決して彼のファンではないが(というより僕は個人崇拝がきらいなので誰のファンにもならない、映画であれ音楽であれ僕にとって重要なのは個人ではなく「作品」である)野次が飛び交う中で自分が歌いたい歌を歌いきったディランの姿には感動すら覚えた。

  「ノー・ディレクション・ホーム」の最後のほうは苦悩するディランを映し出している。この苦悩を突き抜けてディランはさらに大きく成長したのだろう。このドキュメンタリーが成功したのはディランを決して美化しなかったことだ。賛美するのではなく客観的に彼を描こうとした。その点を評価したい。最後にマーティン・スコセッシ監督のインタビューから引用して終わろう。

  この映画を見る若い人たちにとって興味深いのは、あるアーティストの成長と、彼のしてきた選択の数々が見られるところだと思う。彼が選んできたのは、自分自身であること、そしてもう少し成長した後では、自分自身からより多くをひきだせるかどうか、挑戦し続けることだった。

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コメント

真紅さん コメントありがとうございます。
だいぶ前の記事にコメントをいただくのは本当にうれしいことです。この記事はまだ死んでいなかった、あるいは埋もれていなかったと感じるからです。
ディラン世代とはだいぶ離れていると思われる真紅さんがどういうきっかけでこのドキュメンタリーを観たのか、当時のディランの曲をどう感じたか興味津々です。
60年代の音楽事情をあまり知らない人までも引き付けてしまうということは、それだけこの映画には力があるということでしょう。時代の熱気とディランの生き方をよく捉えているのでしょうね。これだけ質の高い音楽ドキュメンタリーは滅多に出会えるものではありません。

ゴブリンさま、こんにちは。GWは近場の自然を堪能されたようで、何よりです。
さて。このドキュメンタリーは3時間半、DVD二枚組みというボリュームでしたが、私も一気に観てしまいました。
当時の音楽シーンに全く疎いのが残念ですが、記録映像とライヴ、インタビューのバランスが絶妙でした。
人物ドキュメンタリーにありがちな、礼賛一本やりでなかったことも好感しました。
そしてゴブリンさまの「人物でなく作品を評価したい」という言葉にドキリ・・・。
本当に、その通りですね。自戒します。
ではでは、また来ます。

ほんやら堂さん コメントありがとうございます。
ごめんなさい、TBはうまく入らなかったようです。どういうわけかココログ同士はうまく入らないことが多いですね。
僕もディラン体験はかなり遅れてからでした。この映画で取り上げられた頃の曲が好きです。それにしてもこの当時を映したドキュメンタリーはすごいですね。歴史的にも60年代というのは非常に興味深い時代です。当時の風俗を映しているだけで充分楽しめるのではないか。それに当時のアーティストたちの貴重な映像が加えられたらそれだけで価値があります。
「ノー・ディレクション・ホーム」は音楽のドキュメンタリー映画として最高レベルの作品だと思いました。

ゴブリンさんこんばんわ.
TBさせていただきましたが届くでしょうか?
ディランの唄はリアル・タイムには聞き流していました.何と言ってもビートルズの方が当時は好きでしたから.
その後周回遅れで好きになり始め,今もその途上です.
この映画,ジョニー・キャッシュとのコラボなど,ぞくぞくするシーン満載ですね.その事実そのものに感動です.

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» ボブ・ディラン語録、または映画『ボブ・ディラン 「ノー・ディレクション・ホーム」』 [海から始まる!?]
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