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2006年10月 2日 (月)

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

2006年 アメリカ・フランス  06年3月11日公開Fuukei1a
原題:THE THREE BURIALS OF MELQUIADES ESTRADA
製作:マイケル・フィッツジェラルド、トミー・リー・ジョーンズ
監督:トミー・リー・ジョーンズ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
撮影:クリス・メンゲス
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、ドワイト・ヨーカム
    ジャニュアリー・ジョーンズ、アシュトン・ホームズ、ハイディ・ヘイズ
    メリッサ・レオ、フリオ・セサール・セディージョ、ヴァネッサ・バウジェ
    レヴォン・ヘルム

  今年のアメリカ映画は違う。「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(長いので以後は「メルキアデスの埋葬」と省略する)も期待を裏切らない力作だった。変わったタイトルが目を引くが、この映画から連想される映画がいくつもある。何度も埋められては掘り返されるという点ではヒッチコックの「ハリーの災難」をすぐ連想した(もっともハリーの場合は3度なんてものではないが)。もちろんコメディである「ハリーの災難」に比べると「メルキアデスの埋葬」は遥かに重い映画だ。単に掘り返すのではなく、死者をその故郷に運ぶ旅につながるからである。その意味では、むしろ同じアパートに住んでいたユダヤ系の老婦人の遺灰を彼女の生前の望み通りイスラエルの地で撒いてやろうと奔走する青年を描いたフランス映画「C階段」(1985)や、祖父の遺灰を息子と孫がメキシコ国境近くまで運んでいって撒くまでを描いた「ラスト・マップ/真実を探して」(2004)に近い主題を持っている。さらには、トルコ映画の名作「遥かなるクルディスタン」(1999)ではトルコ人の主人公が、迫害されて死んだクルド人の友人の棺を持って彼の故郷に向かう。死んだ友人が差別される人間だったこと、遺灰ではなく死体を運んでゆくこと、故郷が近づくにつれて荒涼とした風景になって行くこと、故郷に至るラストで衝撃的な事実を知る点など、共通点は非常に多い。また、それまでほとんどまともに描かれることのなかったメキシコ人を正当に描いたという点では「スパングリッシュ」(2006)に通じるものがあり、国境の向こう側もこちら側も決して「約束の地」ではなかったことを描いたという点では名作「エル・ノルテ 約束の地」(1993)にも通じる(国境の越え方は逆方向だが)。

  「メルキアデスの埋葬」の展開は途中からガラッと変わる。最初の3分の1くらいまでは時間軸をずらし、メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)の死体発見後の展開、メルキアデスが誤って射殺されるまでの展開、彼を誤射した国境警備員のマイク・ノートン(バリー・ペッパー)と妻ルー・アン(ジャニュアリー・ジョーンズ)がシンシナティから舞台となったメキシコ国境に近いテキサス州バンホーンに引越して来るエピソードが、何度か時間を撒き戻しながら交錯するように描かれている。後半はメルキアデスのカウボーイ仲間ピート・パーキンス(トミー・リー・ジョーンズ)がマイクを無理やり連れ出して、メルキアデスの遺体を彼の故郷に埋葬する旅に出る直線的展開に変わる。ここから映画はロード・ムービーになる。

  一風変わった展開には脚本を担当したギジェルモ・アリアガの個性が強くにじみ出ている。「アモーレス・ペロス」や「21グラム」の脚本家だ。時間軸をずらす手法は彼の得意とするところである(同じ場面を別の角度から撮って真相を見せてゆくという手法をより徹底して全編にわたって駆使したのが内田けんじ監督の「運命じゃない人」)。

  「アモーレス・ペロス」や「21グラム」は皮肉な運命に翻弄される個人のドロドロした絡まりあいを描いた。個人的人間関係に限定したために、インパクトは強いが深みに欠けるきらいがあった。その点「メルキアデスの埋葬」はより広い社会的テーマを扱っている。そのテーマとはアメリカとメキシコの関係であり、その関係のシンボルとなるのが国境である。狭い人間関係に焦点を絞っていた前2作は空間的にも狭かったが、二つの国にかかわる「メルキアデスの埋葬」は空間的にも広がりがあり、そこで「旅」のテーマが導入される。この「旅」は単なる移動ではない。飛行機でひとっ飛びしたのでは得られないものを、彼らは国境を越え山を越えて、地上をゆっくりと進む旅で得たのである。後半がロードムービーになる所以である。したがって、全体としてみれば後半に重点があり、前半はむしろ状況設定の部分である(だから退屈にならないように時間を交錯させて変化をもたせる必要があったのだ)。

  監督と主演を務めたトミー・リー・ジョーンズは公式サイトに収録されたインタビューで、「私はずっとテキサスとメキシコのボーダーをテーマにした映画を撮りたいと思っていたんだ。私が生まれて育った場所の物語を描きたかった」と語っている。さらに、「国境」についても次のように述べている。

  この映画は同じ土地に生き、同じような文化を共有していながら、そこに国境が横たわっているという、我々の現実の姿を描いている。でも実際にテキサスとメキシコの間に立ってみれば、どこが国境かなんてわからないだろう。まったく同じ風景が続くだけなんだから。つまりボーダーなんてものは、ないということを描いてもいる。

  国境近くはアメリカ領もメキシコ領も同じように荒涼とした丘が続いている。メルキアデスが撃たれたのもそういうところだ。アメリカには不法滞在者も多く、また彼らの存在があるから経済が成り立っている面もある。にもかかわらず二つの国の間には人為的な「目に見えない」線が引かれている。そしてその見えない線が本来一つであるはずのものを二つに分断しているのだとトミー・リー・ジョーンズは言っているのである。目には見えないが、実際にはベルリンの壁のようなものがそこに存在し、ベルリンの壁同様にそれを超えようとして命を落とした人は後を絶たない。映画の中でも密入国しようとして国境警備隊に阻止された人たちが描かれている。警備隊員のマイクはその際に逃げようとした女性(ヴァネッサ・バウチェ)の鼻を殴ってへし折っている。現実には存在しない線が現実に人の命を奪ったり傷つけたりしている。その国境線の存在はまたメキシコ人への偏見や差別を生む。マイクはメルキアデスを誤って射殺してしまったことを報告せず(死体を埋めて隠してしまった、第1の埋葬)、そのことを伝え聞いた保安官ベルモント(なんとカントリー歌手のドワイト・ヨーカムが演じている)もあえて追及せず闇に葬ろうとする。そこにはどうせ不法入国者のメキシコ人だからという差別意識が露骨に表れている。

  「メルキアデスの埋葬」は一見男と男の友情を描いた映画のように見えるが、そこには上の様な問題意識が描き込められていることにも目を配っておかなければならない。確かに、ピートが国境を越えてメルキアデスの遺骸をメキシコまで運んでいったのはメルキアデスとの約束があったからである。「約束してほしい。もし俺が死んだら家族の元へ連れてってくれ。故郷に埋めてほしい。国境のこっち側に埋められたくない。」夢を求めてアメリカにやってきたにもかかわらず無残にも殺されてしまったメルキアデスの願いをかなえてやりたい、故郷に葬ってやりたい、ピートの心にあったのは復讐ではなくこの願いだっただろう。マイクを強引に拉致して連れて行ったのは報復のためではなく、自分の犯した罪の重さを身をもって痛感させたかったからだろう。だからひどい扱いはするが決して殺そうとはしないし、蛇に噛まれた時は薬草の知識を持っている女性(マイクが殴って鼻を折った女性だった)に救いを求める。憎しみではなく、偏見を超えた深い人間相互の理解を追及しようとする脚本家と監督の姿勢がここに表れている。

  これだけでも充分共感できるが、映画はその上に「国境」を描いている。国境のこちら側、つまりテキサスでは沈滞した町のムードが描かれている。マイクの妻は娯楽らしい娯楽もない田舎町の日常に退屈している。なじみのカフェ・レストランでやるせなくタバコをくYama2 わえているシーンが何度も出てくる。そのレストランでウェイトレスをしているレイチェル(メリッサ・レオ)は夫がいながら保安官やピートと浮気をしている。男も女も浮気をしている。それが唯一の楽しみのようなものだ。田舎町の閉塞感が画面から漂い出ている。一転してメキシコ領に入ると人々はみな親切で(ピートたちに肉を分け与えてくれたメキシコ人役として脚本のギジェルモ・アリアガが特別出演している)。途中電話をかけるために寄ったバーには人が群れ、熱気があった。国境警備隊に追われながらの苦痛に満ちた旅。これは一体何に向かっての旅だったのか。ピートにとっては約束を果たすための旅だった。マイクにとっては自分の犯した罪の深さを知るための、あるいは贖罪の旅だった。彼の横でメルキアデスの死体はどんどん腐食が進み、異臭を放っているのである。旅自体が彼にとって責め苦だった。

  だが、観客の視点から見ればまた違った面が見えてくる。メルキアデスを故郷のヒメネスまで運んでゆく旅はメルキアデスを理解するための旅、彼が生まれ育った国を理解するための旅であった。偏見によって作られたイメージではない、本当のメキシコとはどんな国なのか。ロードムービーが描くのは出会いと発見である。彼らがメキシコで見たのは金と成功に目がくらんだ不法入国者予備軍が住む国ではなかった。マイクに鼻をへし折られた女性でさえも蛇に噛まれたマイクの足の治療を断らなかった(もっとも後で熱湯をマイクの足にぶっ掛けて仕返しをするのだが)。それはまた、翻ってアメリカを見直す旅でもあった。メキシコ国境近くに一人で住む盲目の老人(これまたびっくり、「ザ・バンド」のレヴォン・ヘルムが演じている)はピートたちにわずかな食料を分け与えたが、彼らと別れる時に「わしを撃ってくれ」と頼む。たった一人で生活し、意味も分からないスペイン語のラジオを聞いていたこの老人は既に生きる希望を失っていたのである。生気のないアメリカと親切で活気にあふれるメキシコが対比的に描かれている。

  この旅はまたピートとマイクの人間性が問われる旅でもあった。ピートは老いたカウボーイだが、長年の経験がいくつかの場面で発揮されている。メルキアデスの体にアリがたかった時、ピートは咄嗟にアルコールを死体にかけて火をつけた。さらに腐敗が進んだ時には例の盲目の老人の家で不凍液を借り(本当は塩を手に入れたかったのだが)死体の口から注入する。遺体に対する冒涜だという声もあるが、置かれた状況の中で最善の処置を施したのである。死体が腐ってどろどろに溶けてしまったのでは旅を続けられない。友誼に厚い古風な男だが、合理的な考え方の出来る男である。一方、馬が転倒してピートが下敷きになった隙にマイクが逃げ出した時は、追跡はするがすぐに捕まえようとはしない。つかず離れず、距離を置いて付きまとう。ほとんど生殺しの状態。どこか不気味なものを感じさせる。なぜこうも執拗にマイクを連れてゆくことにこだわるのか。この旅にはやはりマイクに対する報復も含まれているのか?映画は説明しない。

  マイクにすれば最初ピートの扱いは不当なものに思えただろう。彼がメルキアデスを撃ったのは一種の事故だった。無警戒でいる時に(その時彼がやっていたことはほめられたものではないが)突然銃声がしたので誰かに狙われていると思い、とっさに自衛の反撃をしたのである。しかしメルキアデスが狙ったのは彼ではなく狼だったのである。だから、むしろ問題はメルキアデスを死なせてしまったことを誰にも報告せず、闇に葬ろうとしたことである。あれは正当防衛だという思いがあるから、マイクは最初素直に謝る気にはなれない。しきりにあれは事故だったと弁明するのである。しかし自分自身何度も死ぬような思いをして最終目的地に着いたときに、彼の考えはかなり変化していた。銃で脅されはしたが、鼻水をたらし涙でボロボロになってメルキアデスに謝罪し、許しを乞うた彼の言葉に偽りはなかったであろう。だからピートも彼に「息子よ」と呼びかけたのである。いつの間にか二人の間には強い絆が作られていた。

  だが、より重要なことは、旅の終点で彼らがメルキアデスの故郷を発見できなかったことだ。美しい緑に囲まれ清らかな水が流れる「故郷」は存在しなかった。ただ荒涼とした谷に家の残骸が残っているだけである。これは何を意味しているのか。メルキアデスは「嘘」を言ったのだろうか。嘘でないなら、なぜあんなことを言ったのか。1つの答えは「故郷」に行くことではなく、「国境」を越えることに意味があったという解釈だ。メルキアデスは本当のメキシコを見て来いと暗示したのだと。あるいはこうも考えられる。この世に理想的な土地などない。努力して自分たちで作るのだと。ピートとマイクがメルキアデスの眠る家に掲げた「墓標」がそれを暗示している。その場合、この映画はアンチ・ユートピア映画になる。故郷にもアメリカンにも「約束の地」などない。故郷が夢のような場所でなかったからこそ危険を侵してアメリカに密入国したのである。そう考えれば、この映画は「エル・ノルテ 約束の地」と対になる映画だといえる。

  「メルキアデスの埋葬」はテキサス出身のトミー・リー・ジョーンズとメキシコ出身のギジェルモ・アリアガが組んだからこそ実現した作品である。テキサスというメキシコと地続きの土地を舞台にしたことが功を奏している。緑色に覆われてはいるが、木がなく草と潅木ばかりの地形は「パリ、テキサス」の砂漠以上に荒涼として見える。クリス・メンゲスのキャメラがその不毛な世界を見事に描き出している。不毛な地で繰り広げられる生きている男と死んだ男の友情、生きている男同士の間に芽生えた友情。アンチ・ユートピアの土台に咲いた小さな花。ピートを演じたトミー・リー・ジョーンズとマイク役のバリー・ペッパーの力演がそれを支えた。

  しかし、優れた作品であることを認めつつも、どこか深みに欠けるようにも感じる。「故郷喪失」と「国境」のシンボリックな使い方は実に効果的なのだが、たぶんそれに頼りすぎたのだ。移民に対する差別や偏見、命がけでアメリカに不法入国しなければならないメキシコの実情などは充分描かれているとは言えない。堅固なリアリズムの土台があってこそ、それを増幅するシンボリズムの効果的使用が生きてくるのである。

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コメント

ETCマンツーマン英会話さん

 「ボーダータウン 報道されない殺人者」はある衝撃的な事実を描いた佳作です。レンタル店などを丹念に探すと見つかるかもしれません。

ゴブリンさん、お返事有り難うございました。日本の国境は、海上に浮かぶ島々なのでしょうね。そう思って昨今起こっている出来事に思いを巡らせて見ると、アメリカとメキシコの国境をめぐる様々な事柄もなんとなくですが理解できるような気がしてきました。「ボーダータウン 報道されない殺人者」も是非観てみます。ご紹介に感謝です。

ETCマンツーマン英会話さん コメントありがとうございます。

 古い記事にコメントを頂くのはとてもうれしいです。というか、もう長い間新しいレビュー記事を書いていないので、古い記事ばかりですが。

 「トミーリージョーンズのテキサス英語に触れてみたい」という動機がユニークですね。あまりそういう関心で映画を見たことがないので新鮮でした。

 日本は島国で外国と直接国境を接していません。したがってこの映画で描かれている様な国境の感覚はなかなか実感できません。それでもこの映画に込められた思いは伝わってきます。「ボーダータウン 報道されない殺人者」のグレゴリー・ナヴァ監督はメキシコとアメリカの国境、および国境地帯に関して、あるインタビューで次のように発言をしている。

 「国境はアメリカとメキシコが衝突する場所なんだ。第一世界と第三世界が接する世界で唯一の場所だ。変化にとんだ場所で、容易に対立が起こる。多種多様の大きな物語を抱えた地域だと思う。」

 ピートとマイクの旅も、この国境をめぐって語られた大きな物語の一つだと言えるでしょうね。

トミーリージョーンズのテキサス英語に触れてみたくて、この映画に辿り着きました。遅ればせながらDVDで鑑賞しました。素敵な作品の出会いに感謝です。「でも実際にテキサスとメキシコの間に立ってみれば、どこが国境かなんてわからないだろう。まったく同じ風景が続くだけなんだから。」おっしゃる通りですね。メキシコの歴史、テキサスの歴史、国境が生まれた歴史を今一度しっかりと学んでおきたいと思いました。

カゴメさん いつもTB&コメントありがとうございます。

クリスマス特別ヴァージョン、びっくりしたでしょう?なかなかいいデザインで気に入ったので、年内はこのままで行こうかと思っています。

最後にやや物足りないと書きましたが、全体としてみればやはり味わい深い優れた作品だと思います。アメリカ映画としては出色ですね。

あのラストは様々な解釈が可能でしょう。映画は大きな謎を観客に突きつけています。それをどう解釈するのか、観る側の深い理解が要求されます。また何年かしてもう一度観た時には違った解釈が浮かぶかもしれません。それを許す懐の深さがある。トミー・リー・ジョーンズ、すごい男です。

ああああー! ゴブリンさんのブログがクリスマス色にっ!(笑)

この脚本は見事でしたね。
下手な脚本家がやったら途端に破綻しそうです。

>この世に理想的な土地などない。努力して自分たちで作るのだと。

カゴメもどちらかというとそういう解釈ですね。
少なくともメルキアデスが嘘を付いてたとは思えないし、思いたくないです。
真実かどうか、だけで嘘と断定してしまうのは勿体無いですね。
どうして「故郷がある。家族がいる」と思う必要があったのか。
ここに思いを馳せる事が重要な気がしました。

最後はピートの“親心”が良かったですね。
メルキアデスや俺やあの老人のようになる前に、
しっかり故郷を見出せ、と教え諭す「son」の一言。
痺れました・・・。

ほんやら堂さん TB&コメントありがとうございます。

バイブル・ベルトは「風の遺産」のレビューを書いているときに知りました。「スコープス裁判」の舞台となったテネシー州デイトンもこの中に入ります。進化論を教えることが禁じられていたというのですから、日本では考えられないところです。地域的にはディープ・サウスとほぼ重なりますから、保守的な風土と関係しているようです。

「スリング・ブレイド」、お二人から薦められたのでは観ないわけには行きませんね。あのジャケットはレンタル店でよく見かけたのですが、「レインマン」の二番煎じかと思って観なかったのです。反省。今度観てみます。

ゴブリンさん,TB&コメントありがとうございました.
なかなか忘れがたい映画です,この映画は.前の方が書いていた「バイブルベルト」という言葉は,初耳でした.
南部でのキリスト教がどの様な宗教なのか,一度調べてみたいと思います.
ところで「スリング・ブレイド」は必見です.ビリー・ボブ・ソーントン渾身の傑作です.蛇足ながら.

真紅さん TB&コメントありがとうございます。

余分なTBは削除しておきました。僕も時々やるので、どうぞお気になさらずに。

おっしゃる様に「贖罪」という観点から見るとまた違ったものが消えてくるかもしれませんね。僕もキリスト教については詳しくないのであまり踏み込めませんが、日本語の「罪滅ぼし」に近いかもしれません。

「スリング・ブレイド」は残念ながら未見です。ドワイト・ヨーカムは結構映画に出ているのですね。僕にはやはりカントリーの歌手というイメージが強いのですが。

ゴブリンさま、こんにちは。TBを二度も送ってしまいました(一度目はエラーになったのですが)。
お手数ですが片方削除願います。ごめんなさい。
さて。この作品、宗教的(キリスト教的)な視点から観ると、また違った見方ができるのかな、と思いました。
私はそういう知識がないので、ちょっと歯がゆかったですし、レビューに反映できなかったのですが。
ドワイト・ヨーカムは『スリング・ブレイド』が初見でした。
あの作品も、ディープサウスのバイブルベルトのお話でしたので、神についての信仰のあるなしで映画の理解度が変わってくるのかな。。と思った覚えがあります。
ではでは、またお邪魔させて下さいね。

とんちゃんさん、カオリさん TB&コメントありがとうございました。

とんちゃんさん
このところ出張やらその間にたまった仕事の整理やらで映画を観る時間が取れなかったので、大慌てで観て大慌てで書いたレビューでした。もっとよく練るべきだったかと心配していたのですが、温かい言葉をいただき感激しています。やはり感動して観た映画は書く時も気持ちが高揚しているのでしょうね。また時々覗いてみてください。

カオリさん
「シンボリズム」という言葉は大げさだったかもしれません。でも映画の中で「国境」が重要な意味を持っていることは確かだと思います。
僕自身もレビューを書く前にいくつかのレビューを読んで、様々なヒントをいただきました。ブログ同士の交流を通じて知識を共有してゆくことは大切ですね。皆さんいろいろな角度から作品を観ていて、とても参考になります。

こんばんは~TBどうもでした。
国境やボーダーと言うところはあんまり重きを置いてみていなかったので、なるほど!と思いました。
トミー・リー・ジョーンズの今後の作品も楽しみです。

こんばんは~♪
TB有難うございました。 中々いい映画でしたね★
色々な映画を観ていらっしゃるんですね~~。 対比が素晴らしいです。 私は 全然知らない映画ばかりです・・(;´д`)トホホ
感想も素晴らしい!!
こんなに 親切丁寧に色々な角度から書かれているレビューは
中々お目にかかれません。 
>ロードムービーが描くのは出会いと発見

今度使わせてください(笑)

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