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2006年10月11日 (水)

アメリカ、家族のいる風景

2005年、ドイツ・アメリカ 2006年2月公開
原題:DON'T COME KNOCKING
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:サム・シェパード
原案:ヴィム・ヴェンダース、サム・シェパード
製作総指揮:ジェレミー・トーマス
製作:カーステン・ブリューニグ、イン・アー・リー、ペーター・シュヴァルツコフ
音楽:T・ボーン・バーネット
撮影:フランツ・ラスティグ
美術:ネイサン・アモンドソン
衣装:キャロライン・イースリン
出演:サム・シェパード、ジェシカ・ラング、サラ・ポーリー、ガブリエル・マン
    ティム・ロス、フェアルーザ・バーク、エヴァ・マリー・セイント
    トム・F・ファレル、ジェームズ・ギャモン、ロドーニ・A・グラント
    ジョージ・ケネディ、ティム・マティソン、ジュリア・スウィーニー

  アメリカは芯から病んでいる。そして今曲がり角に来ている。この間の一連のアメリカ映画を観てそう感じた。01年の9.11以後何かが変わった。

032561   ハリウッドは相変わらず大作を作り続けているが、新しいシナリオに事欠き、外国映画や過去のヒット作の焼き直し、あるいはシリーズもので急場しのぎをしている。今のアメリカにかつてのような勢いや明るさがないと見るや、「シービスケット」「シンデレラマン」「アビエイター」のような成功物語が成立しうる時代に題材を求めたり、「五線譜のラブレター」「RAY」「ビヨンドtheシー」などの伝記映画に活路を見出そうとしている。

  9.11直後は勇ましい映画も作られていたが、「宇宙戦争」では強大な敵の前になすすべもなく逃げ惑うアメリカ人の姿が描かれている。「ミュンヘン」や「ジャーヘッド」では戦う意義すら喪失している。もはや強いアメリカという標語は色あせ「サイドウェイ」や「アメリカ、家族のいる風景」などでは男は情けない哀れな姿をさらけ出している。アニメの世界ですらスーパー・ヒーローには生きにくい時代になってきた。「Mr.インクレディブル」ではかつてのヒーローたちが身を縮めるようにして暮らしている。未見だが「スパイダーマン」の2作目はピーターがおとなしく大学に通い、学費のためにバイトをしたり、悪党扱いされて悩んだりしている(どちらも最後には大活躍するが)。「ミリオンダラー・ベイビー」のヒロインは快進撃の途中で事故に会いチャンピオンになれなかった。

  アメリカは自信を失い進むべき方向を見出せずにいるようだ。犯罪、人種差別などの様々な差別問題、政治への不信、問題は山積しているが出口が見出せない。不信感が広がり、人間関係がきしみだす。家族が崩壊し帰るべき家とて見出せない。「ランド・オブ・プレンティ」「クラッシュ」「ラスト・マップ/真実を探して」「スティーヴィー」などを観ればアメリカの傷の深さが見て取れるだろう。この時代に「ノー・ディレクション・ホーム」というタイトルのボブ・ディランのドキュメンタリーが公開されたのは恐ろしいほどぴったりのタイミングだった。40年以上も前の歌が今のアメリカのわき腹にぐさりと突き刺さる。しかし、互いに不信感や敵意をぶつけ合いながらも、同時に何かを求めあってもいる。「クラッシュ」のようにぶつかり合いつつ人間的な触れ合いを求めている。自分の居場所を見出せずもがき続ける人々。

  かつてはアメリカはあこがれの国であった。今や「スパングリッシュ」「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」では移民の目から冷静に見つめられている。メキシコに養子を探しに行った「カーサ・エスペランサ」のアメリカ人女性たちは皆それぞれに自分たちの問題を抱えていた。

  一方、「華氏911」「ロード・オブ・ウォー」を観ればアメリカ政府がこれらの問題をよそに、相変わらず力の政策を無理やり続けていることが見えてくる。「ボウリング・フォー・コロンバイン」で描かれたように銃社会も当分変わりそうにない。銃を持つことは人に安心感を与えるどころか、逆に不信感をつのらせることは「クラッシュ」の「透明マント」のエピソードで描かれている。

  今年の後半に入って9.11を直接描いた映画がついに登場した。「ユナイテッド93」と「ワールド・トレード・センター」。どちらも未見だが、限定された状況をどのように描いたか気になる。現場の混乱や緊張感に焦点を絞ればサスペンスや臨場感は盛り上がるが、その分広い社会的視野がスクリーンの外に追いやられる。単なるサスペンス映画、アクション映画に終わっていなければいいが。

  「アメリカ、家族のいる風景」はサム・シェパードと再び組んだので「パリ、テキサス」としばしば比較されるが、むしろ以上のような文脈の中においてとらえられるべきだろう。前作「ランド・オブ・プレンティ」と対になっている作品で、ぶつかり合いながらも人間的つながりを求め続けるという意味では「クラッシュ」にもつながる作品である。

  主題やストーリーという点では確かに「パリ、テキサス」に近い。ただ、「アメリカ、家族のArtwildstrawberry01300w いる風景」では同じような孤独感が描かれていても、より今のアメリカを意識しているように感じる。主人公のハワード・スペンス(サム・シェパード)がB級西部劇の俳優という役柄に設定されているのが象徴的だ。ジョン・ウェイン的な強いアメリカのイメージにつながりつつも、今ではすっかり売れなくなっている落ち目の商売。演じるスペンス自身も放蕩の限りを尽くしてきたが、今や老境に入り自分の人生にむなしさを感じている。ついに仕事を放り出し突然失踪するという情けなさがむしろ強調されている。明らかに現在のアメリカそのものを象徴している。食堂の壁に貼ってある、昔自分が主演した映画のポスターをじっと見つめるハワードのさびしい背中が印象的だ。

  「アメリカ、家族のいる風景」には大都会が一度も出てこない。ハワードが出演している西部劇の撮影場所ユタ州モアブ、ハワードの母親が住むネバダ州エルコ、ドリーンの住むモンタナ州ビュート。どこも寂れて乾いたアメリカの小さな町や荒野だ。荒涼として活気のないアメリカ。「メルキアデス・エストラーダ」もそうだが、アメリカのどこを舞台にするかによってアメリカそのものの印象が変わってくる。ここに描かれる寂れた町のイメージは決して昔のアメリカのイメージではない。人は大都会にだけ住んでいるわけではない。大都会と大都会の間には、ヴェンダースの映画によく出てくる一面何もない平原にただ道だけがまっすぐ伸びているような場所もあり、途中ところどころ寂れた町が点在している。にぎやかな大都会の陰に隠れてあまり意識されないが、これもまたアメリカの現実である。「アメリカ、家族のいる風景」にしても、「メルキアデス・エストラーダ」にしても、あえてこういう場所を舞台に選んだのはハリウッドの大作に対するアンチテーゼでもある。大都会ばかりがアメリカではない、いや、こちらこそ本当のアメリカだとまで言いたげだ。

  映画は大きな二つの目から始まる。巨大な岩にぽっかり開いた二つの穴。その横を馬に乗った男が通ってゆく。次には巨大なアーチのような岩の下をくぐる。奇岩が点在する荒れた土地。西部劇の舞台によく使われた場所だ。主人公のハワード・スペンスは西部劇の撮影中に突然失踪する。映画の衣装のまま行方をくらましたハワードが逃げる途中で衣装を他人と取り替える場面がある。落ちぶれた西部劇俳優から私人へ。そのとたんかっこよさも脱ぎ捨ててしまう。西部劇の衣装を脱ぎ捨ててしまえば、そこにいるのは乾ききった人生にやりきれなさを感じているただの初老の男。映画俳優という虚飾に満ちた商売柄思いのままに楽しく適当に生きてきた人生。しわだらけの渋い顔とごつい体躯には人生の年輪が表れているが、性格的には大人になれない大きな子供。それまで送ってきた身勝手で荒廃した人生の見返りで心にぽっかり穴が開いている。冒頭の荒涼とした風景は彼の満たされない気持ちを映し出した心象風景なのか。

  イギリス映画のしょぼくれた主人公(例えば「人生は、時々晴れ」のティモシー・スポール)とは違い、情けないところは同じだがちゃっかりホテルで若い女を何人もベッドに連れ込んだりして「参ったな、またやってしまった」なんてぼやいているあたりはいかにもアメリカ的。イギリス映画の濡れ落ち葉親父は失業やアル中や家族の中の存在感の低さに悩むが、アメリカの黄昏親父は軽~く生きてきた人生の付けに悩む。逃げる途中ハワードは焚き火を前にして、「どうして死ななかったのか」と苦しい胸のうちを吐き出すが、その悩みの苦しさがさっぱり伝わってこない。何で、あるいは何から逃げているのか観客にはよく分からない。そう、この映画が前作の「ランド・オブ・プレンティ」と違うのはこの軽さとユーモアの味付けである。

  何もかも投げ捨てて逃げ出したハワードは、西部劇の派手派手衣装を脱ぎ捨てて丸裸のまま(もちろん比ゆ的な意味で)母親に会いに行く。30年ぶりにひょっこり帰ってきた放蕩息子を母親は何事もなかったかのようにあっさりと受け入れる。母親役はなんとエヴァ・マリー・セイント!最後にテレビで観たのは「アメリカ上陸作戦」(1966)あたりか。もう30年くらい前だ。かつての金髪ほっそり女優もすっかりばあさんだ。それはともかく、内心の動揺はあったろうに、あわてず騒がず、落ち着き払って息子を迎える姿はまさにすべてを守り包む母親のイメージそのもの。堂々たる存在感はさすがだ。

  その母親から彼に子供がいると伝えられる。20年ほど前にモンタナの女性から彼の子供を身ごもったと電話があったというのだ。仰天したハワードはすぐモンタナに向かう。なぜ彼が子供に会いに行ったのかははっきりしない。彼の悩みがはっきりしないのだからそれも当然だ。ともかく、そこから映画は彼の人生やり直しの旅に変わる。最初は逃避行であったものが、新たな人生を模索する旅に変わってゆく。初老にいたってふと人生のむなしさに気づいた男が故郷に帰り、そこからまたロードに立つ。ここでの旅は「人生の旅」を表していると考えるべきだろう。

  彼の旅は苦渋に満ちているがどこか滑稽でもある。滑稽さという点ではハワードを追うサター(ティム・ロス)がいい味を出している。真面目そうで、そうでもなさそうで、不思議な存在感を醸し出している。「ランド・オブ・プレンティ」のような、9.11後のアメリカの不安という大きな荷物を背負わせていないだけに語りは軽い。

  モンタナ州ビュートでハワードは昔一時的に付き合っていたドリーン(ジェシカ・ラング)と再会する。ドリーンとの間にできた息子アール(ガブリエル・マン)や、さらに母親の違う自Sdrain01_1 分の娘スカイ(サラ・ポーリー)ともそこで出会う。不器用なハワードはドリーンに昔のよりを戻そうなどと持ちかけてきっぱり拒否されたり(「あなたは今度は私の人生の中に隠れたいだけよ」というせりふが強烈)、息子のアールにはいまさら父親面して出てくるなと激しく拒絶されたり(「ハワード・スペンス?歯医者みたいだ」というせりふには笑った)と散々な目にあう。すっかり落ち込み、怒り狂ったアールが自分の部屋から表の通りに放り投げた家具の山にあったソファに力なく倒れこみ泣き出す。ハワードは立ち上がることも出来ず、そのまま翌日までソファにへたりこんでいる。キャメラはゆっくりと回転しながらこの孤独感と後悔にさいなまれる男をひたすらなめるように映し出す。この映画の中で最も印象的な場面だ。

  ハワードの窮状を救ったのは娘のスカイだった(アールの腹違いの姉に当たる)。スカイは「ランド・オブ・プレンティ」のラナ(ミシェル・ウィリアムズ)に近い役割を果たしている。癒しの力を持った女性。似たようなタイプの女性を二つの映画で用いているところに何らかのヴェンダースの価値観が表れているかも知れない。そういえば、ハワードの母親、ドリーン、スカイ、アールの恋人アンバー(フェアルーザ・バーク)と、この映画の中でしっかりしているのは女性ばかりだ。

  しかしその女性たちも心の奥に寂しさを隠し持っている。この映画に登場するのはいずれも満たされない心の隙間を持った人物ばかりだ。もはや単純な力強いヒーローにはリアリティがない。ヴェンダースは代わりに迷えるカウボーイ、等身大のアメリカの家族を描く。ハワードにとって人生をやり直すにはもはや遅すぎた。しかしスカイが彼と息子の間に入り込むことによって、最後に彼と子供たちの心はようやく通じ合うことができた。

  「ランド・オブ・プレンティ」では自信を失い不安を感じながら生きているアメリカ人たちを描いた。一方「アメリカ、家族のいる風景」のテーマは家族の再生である。二つの作品を並べてみれば、アメリカ人が立ち直るには、まずばらばらになってしまった家族の絆を取り戻すことから始めなければならないというメッセージが読み取れる。ヴェンダースとシェパードは3年かけて「アメリカ、家族のいる風景」の脚本を練り上げたということだ。だとすると9.11後に脚本を練り始めたことになる。彼らにこの脚本を書かせたのは9.11後のアメリカの現状とそれを憂う彼らの気持だったに違いない。ヴェンダースはこの作品の完成後8年間住んだアメリカを離れた。彼はこう語っている。「アメリカをめぐって様々な問題がある。けれどもこの国はいまだとても美しい国なのだということを見て欲しかった。」

   「アメリカ、家族のいる風景」が「ランド・オブ・プレンティ」と違って喜劇的な明るさを持っているのはこのためだろう。結局ハワードはサターに見つかり撮影現場に連れ戻されるが、去り際にかすかな希望が描きこまれている。しかし、「アメリカ、家族のいる風景」の感動はそれほど深くない。あまりにあっさりと「家族」の心が通じ合いすぎるという印象が拭い去れないのだ。それはこの作品に喜劇的な要素があるからではない。「ライフ・イズ・ミラクル」は「アメリカ、家族のいる風景」より遥かにコミカルな作品だが、ボスニア問題を深刻に描いた他の作品に劣らぬほど重く現実が描きこまれており、かつ深い感動があった(もちろん「ライフ・イズ・ミラクル」は稀有な例ではあるが)。そうではなく、恐らくハワードの悩みがどこか空疎なのだ。だから彼の葛藤が充分に描かれないのであり、ソファに倒れこむシーンのような象徴的な描写に頼らざるを得ないのだ。家族の絆再生の触媒としてスカイのようなやや非現実的な人物を必要とするのも同じ理由からだ。「美しい」アメリカを描く前にもっと膿を出しておくべきだった。

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コメント

真紅さん いつもコメントありがとうございます。

「女性陣の強さ」は本当にそのとおりですね。もっと強調してもよかったのですが、皆さん同じことを書いておられるので指摘するだけにとどめました。

もうマッチョ信仰ではやっていけなくなったのでしょう。どこの国でも代わりに女性が元気です。日本でも「スウィング・ガールズ」「下妻物語」「リンダリンダリンダ」「かもめ食堂」「フラガール」と女性パワー炸裂です。男ももっと頑張らねば。

ゴブリンさま、こんにちは。TBが飛びませんがコメント失礼します。
この作品、やはり印象に残るのは女性陣の強さですね。
ジェシカ・ラングだけで満点つけたいくらいです(笑)。
またお邪魔させて下さいね。ではでは。

とんちゃんさん コメントありがとうございます。

リンクしていただいたのですね、本当にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。

この映画は、観終わった時はいい映画だと思ったのですが、しばらくすると色々疑問もわいてきました。「描きたいことを描ききれていない」というのはその通りかもしれません。

「フラガール」もう観たんですね。うらやましい。今一番観たい日本映画です。上田の映画館にも来るんだろうか?

TB有難うございました♪
やはり レビュー、凄いですね★

私は イマイチこの作品にはのれなかったのですよ~(=^‥^A アセアセ・・・
何でだろう? 描きたい事は わかるのに描ききれてないような そんな感じがしました。 
ところで まだ、知り合って(? 変な言い方ですが あはは)浅いのですが リンクさせていただきました。
事後報告で (*_ _)人ゴメンナサイ

また来ます★
私は 正直に言って 馬鹿ですが(← 大真面目^^) どうぞ 宜しくお願いしま~~すy(^ー^)yピース!

kimion20002000さん コメントありがとうございます。

あちこちのレビューに書いていたことをまとめてみたのですが、こうやって俯瞰してみるとアメリカ映画は今大きな転換期に差し掛かっていると分かりますね。もっとアメリカの社会的、政治的、歴史的事情と重ね合わせてみたかったのですが、力不足でそこまではできませんでした。

その意味ではご紹介いただいた岩本さんの本は役に立ちそうですね。彼女の本は1冊持っているのですが、教えていただいた本は知りませんでした。早速注文しました。ありがとうございます。

TBありがとう。
ちょっと、アメリカ映画を俯瞰してみると、それぞれの制作背景も見えてきますね。誰かが、こういう視点で、やってくれないかなと思ったら、ちゃんとゴブリンさんが。嬉しいです!

僕のグループ会社のひとつに、のんびり、関係のあった人の本だけを出版する小さな会社があるんですが、岩本さんという女性に、アメリカ映画にまつわる3冊を書いていただきました。

http://www.web-japan.to/book/review_touei.htm

学校の先生なので、固いですけど、参考になるかもしれませんね。

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