風の前奏曲
2004年 タイ 2005年12月公開
評価:★★★★☆
監督:イッティスーントーン・ウィチャイラック
製作:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ピサマイ・ラオダーラー
脚本:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ドンガモン・サターティップ
ピーラサック・サックシリ
撮影:ナタウット・キッティクン
出演:アヌチット・サパンポン 、 アドゥン・ドゥンヤラット 、ナロンリット・トーサガー
アラティー・タンマハープラーン 、ポンパット・ワチラバンジョン
プワリット・プンプアン、スメット・オンアード
昨年公開作品で観たいと思いながら見逃していたものがまだ何本もある。中でもどうし ても観たいと思っていたのが「亀も空を飛ぶ」と「エレニの旅」そして「風の前奏曲」の3本だった。その中の1本「風の前奏曲」をようやく手に入れた。わくわくしながら観たが、期待を上回る傑作だった。演奏場面ばかりではなくドラマとしても十分見応えがあった。
「ムアンとリット」(94)、「アタック・ナンバー・ハーフ」(00)、「わすれな歌」(01)、「マッハ!」(03)、「トム・ヤン・クン」(05)など2000年ごろからタイ映画が日本にどっと入ってきた。しかしどうも軽いエンタメ系が多い感じで手が出なかった。今回の「風の前奏曲」が初めて観るタイ映画だ。
日本では最近まで知られていなかったが、タイ映画の歴史は意外に古い。「タイ映画!」というサイトには次のような記述がある。
タイで初めて映画が上映されたのはリュミエール兄弟によるシネマトグラフの発明から2年後の1897年とされている。1905年には日本人によって常設映画館が作られ、映画はナン・ジープン(日本の影絵芝居)と呼ばれて定着した。
かつては年間200本以上も製作されていた時期もあったそうである。今ではエンターテインメントから社会派まで様々なジャンルがあるようだ。今の勢いが今後も続けば「マッハ!」や「風の前奏曲」のように評判になる作品も増えてくるだろう。中国、台湾、韓国、日本、インドと並ぶアジアの映画大国としての地位を築けるかもしれない。それにしても、かつて70年代までは日本以外のアジア映画といえばインド映画、それも巨匠サタジット・レイの個人名くらいしか思いつかなかったものだ。日本とインド以外のアジアの国で映画を作っているなんて思いもしなかった。今から振り返ると隔世の感がある。80年代の中国映画と台湾映画ブーム、90年代後半からのマサラ・ムービーと韓国映画ブーム、そして2000年以降の日本映画の復興とこのところのアジア映画の勢いはかなりのものだ。今後もブータンの「ザ・カップ/夢のアンテナ」やネパールの「キャラバン」のように、意外な国から意外な秀作が現れて驚かせてくれるだろう。
「風の前奏曲」は音楽映画である。主人公ソーンのモデルはラナート奏者ソーン・シラパバンレーン師という実在の人物。ラナートとはタイの伝統的な楽器で、舟の形をした共鳴箱の上に21~22枚の音板を並べた木琴のような楽器である(音板は吊るしてあるので共鳴版に直接触れてはいない)。ラナートという言葉は“心を癒す”という意味らしいが、その名のとおり実に素朴で美しい調べが全編を通して奏でられる。しかし必ずしも癒し系の和やかな映画ではない。映画のハイライトはラナート奏者同士の競演で、壮絶なバトルが展開される。両手に持ったバチを目にも留まらぬ速さで音盤にたたきつけ、あるいはやさしくなでるように打つ。緩急自在な展開がすごい。まるでスポーツのような激しさで、演奏者の全身に汗が噴出す。しかし流れ出る音楽は決して騒々しくはない。一心にハンマーを打ち下ろす刀匠のような演奏者の真剣な姿と美しく軽快なメロディー。この絵と音のギャップがなんとも不思議な効果を生み出している。ジャズの巨匠ミルト・ジャクソンが奏でるビブラフォン(鉄琴)の演奏をCDで聴けば実に優しい音が聞こえてくるが、それを映像で観れば顔中に汗を滴らせ両手を飛ぶように激しく動かしている姿が見えるはずだ。そんな感じである。
映画は一匹の蝶を追う少年の映像から始まる。幼い日のソーンである。少年は蝶を追って(この蝶はラストでもう一度現れる)家の中に入る。蝶はラナートの上にとまる。少年の父と兄が部屋に入ってきた時、少年は一心に習ったことのないラナートをたたいていた。蝶が舞うタイの美しい風景を映し出すと同時に、早くも開花し始めていたソーンの音楽的才能を示す優れた導入部である。ソーンの父は優秀な音楽の師匠であり、地元でも名の知られた楽団を率いていた。兄も優秀なラナート奏者だった。幼いソーンも音楽の才能を発揮しめきめき腕を上げていった。
ここから日本人にはおなじみのスポ根ドラマ的な展開になって行く。まず困難な状態にもめげず音楽への情熱を燃やし続け練習に励む場面。それは子供時代で描かれる。ある時兄が何者かに殺されるという事件が起こる。演奏バトルで負けた側が腹いせに襲撃したものと思われる。ショックを受けた父親はソーンがラナートを演奏することを禁ずる。しかしソーンは友達のティウと二人で夜中にラナートをこっそり持ち出し森の中や洞窟や廃墟となった寺で練習に励む。洞窟の中のシーンがなんとも神秘的で印象的だ。しかしついに父に見つかってしまう。父は言う。二度とラナートを持ち出してはいかん。ただし弟子になるのなら別だが。こうして父の弟子となる。弟子にするに当たって父は息子に言い聞かせる。「常に正しい生き方をすると約束しなさい。音楽を悪用したり、名声のために人を踏みにじらぬ事。真に音楽を敬い理解すれば、その時視野は開け、未踏の境地に達し至高の喜びを得るだろう。」まるっきりスポ根漫画そのものの展開だ。
ソーン(青年時代を演じるのはアヌチット・サパンポン)は持ち前の才能をぐんぐん伸ばし、いつしか地元で1、2を争うラナート奏者に成長する。その後の展開もまさにパターンど おり。本人の思い上がり(ソーンはすっかり天狗になっていて練習もさぼりがち)、強力なライバルの登場、手痛い敗北と挫折、新たな奏法の発見と再起。このように話の展開はありきたりなのだが、それが大して気にならないのは演奏の場面が圧倒的にすごいからである。大きなバトルは3回出てくる。最初は地元の才能のある若者との対決。ここで初めて本格的なラナートの演奏を観客は聞くことになる。目にも留まらぬバチのすばやい動きに目が釘付けになる。ピアニストの手の動きもすばやいが、ラナートはバチを使うので柄が長い分画面に残像が残ってものすごい速さに感じる。
この段階で観客はすでに圧倒されているが、ソーンがバンコクで出会った伝説のラナート奏者クンイン(ナロンリット・トーサガー)の登場場面はさらにすごい。得意げなソーンの演奏を聴いてクンインは「音におごりが出ている、耳障りだ」と言い放つ。彼は横からソーンの演奏に割り込む。次第にソーンは相手の速さに付いてゆけなくなる。負けまいとソーンは必死に食い下がるが、ついに手を止めてしまう。すさまじいクンインの演奏に呼応するようにやがて嵐が起こり雨が降ってくる。ソーンは完全に打ちのめされてしまう。「俺には一生かかってもあのような演奏は出来ない。」
クンインを演じているナロンリット・トーサガーは役者ではなく本物のラナートの達人である。その超絶技巧のすごさはいうまでもないが、その風貌がまたすごい。ギロリと相手をねめつける鋭い眼力、猛禽類を思わせるその凄みのある顔は威圧感充分。こんな鋭い目をした男は他にルイ・ジューヴェくらいしか知らない。青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンは美形俳優で、8ヶ月かけてラナートの特訓をしたそうだが、相手役に俳優を使わずあえて演技経験のないナロンリット・トーサガーを起用した監督の判断にはうなずけるものがある。
しかし、さらにその上を行く超絶バトルが最後に待っている。ソーンは完膚なきまでに打ちのめされて一旦は音楽をやめようとまで思った。しかし仰向けに寝っころがって空を見上げていた時、彼は葉にそよぐ風を意識する。ソーンは風のようにラナートを鳴らす新しい奏法を見出す。その斬新な奏法は親王殿下の目に留まりソーンは宮廷楽団の一員に取り立てられる。見違えるように腕を上げたソーンは再び演奏バトルでクンインと対決する。
ソーンが生まれたのは19世紀の末。タイがまだシャム王国と呼ばれていた時代である。当時は職業楽団などはまだなく、街のおじさんたちが集まっては演奏を楽しむというものだった。ソーンの父親が指導していたのはそういう素人楽団の1つである。その中から優秀な演奏家を集めて王族がパトロンになりそれぞれにお抱え楽団を持っていた。そのお抱え楽団同士の競演会が当時盛んに開催されていたのである。ソーンがクンインと運命の再対決をすることになったのもそういう競演会の1つだった。
いまやタイ全土の頂点を争うレベルに達したソーンとクンインの競演はすさまじいものになった。ジャズのテナー・バトル、ロックのギター・バトルを連想するが、キャメラはこのバトルを格闘技でもあるかのように撮っている。ソーンもクンインも機関銃のように音を飛び散らせる。体は躍動し腕は千切れんばかりに宙を舞い、交差し、バチの動きはあまりにも早く残影が幾重にも重なるほどだ。団体戦が引き分けに終わり最後は1対1のガチンコ勝負。二人が全力を傾けた演奏は共にもはや神業。カーレース以上のスピード感、たたき出される音は音の塊となって耳に飛び込み、あたりの空気はぴんと張り詰め、ぴりぴりと異様なエネルギーが空気中に充満している。演奏者の顔中に汗が滴り、ほほは痙攣し、目は飛び出さんばかり。体こそ触れ合っていないがほとんど肉弾戦状態。観客は固唾を呑んで聞き入ってしまう。
これだけの演奏をしても耳に入ってくるのはけたたましい轟音ではない。なんとも涼しげな音色なのだ。まるでさわやかな風が吹き抜けていったようだ。ギターやテナーサックスとはそこが根本的に違う。ギターのようにひずんだ音が空気を引き裂くこともなければ、サックスのように咆哮することもない。実に澄んだ音なのだ。勝ち負けなどもうどうでもいい。この演奏が聴けただけで充分この映画を見た価値がある。
バトルのたびに盛り上がってゆくという演出もなかなかだが、この映画が面白いのはソーンの少年・青年時代と晩年(1930年代)を交互に描いていることである。冒頭の少年が蝶を追っている場面のすぐ後に、ベッドに横たわる年老いたソーン(アドゥン・ドゥンヤラット)の姿が映される。全体として見れば、死を目前にしたソーンが自分の人生を振り返るという趣になっているのである。晩年のソーンはもはや激しい演奏はしない。2度ほど印象的な演奏シーンが出てくるが、どちらも和やかな演奏である。
しかし彼の晩年の最期の日々は決して穏やかではなかった。音楽を通しての戦いは終わったが、今は別の相手と戦っている。その敵は伝統音楽を禁止する条例である。そのあたりの事情を監督は次のように語っている。
第2次世界大戦中にタイは常に欧米列強国からの侵略の危機にさらされていました。そこで当時の指導者は、タイ国もこれらの国と同等の文明があるということを誇示すべきだと考えたのです。そうすればタイは未開の野蛮人の国ではなく、侵略してもいい国ではないと暗に示すことが出来ます。だから欧米文化の真似をするように努力したのです。
晩年のほうのエピソードは演奏バトルがない上に、話の展開が散漫で青年期の部分に比べると見劣りする。しかしテーマは明快であり、その最大の山場になる最後の場面はよく出来ている。国の政策を固く信じ、タイを近代化するためには時代遅れのものを統制する必要があると考えるウィラ大佐(ポンパット・ワチラバンジョン)とソーン老師が直接対決する場面だ。ウィラ大佐はクラシック音楽を聴きながらブランデーを飲んでいるような西洋かぶれの男として最初登場する。「指導者を信ずれば、国家の危機を乗り越えられる」というウィラ大佐にソーン師は「木はしっかりと根を張っていれば嵐にも耐えられる。根を大切にしなければどう生き残るのですか?」と反論する。
結局議論は物別れに終わるが、ソーン師の家を去ってゆく時の大佐は訪ねてきた時の大佐と同じではなかった。ソーン師の言葉に納得はしなかったが前ほど国の政策に確信が持てなくなっていた。その後の場面がとりわけ印象的だ。まだ大佐たちが家の前にいる間にソーン師は禁じられているラナートをあえて演奏し始める。ウィラ大佐の部下たちは逮捕しないのかと大佐に詰め寄る。そうこうしている間に付近の住民たちがラナートの調べに呼び寄せられるようにして家から出てくる。しばらくその音色を聞いていた大佐は部下に帰隊を命じる。音楽の力が政治的規制を押し返した印象深いシーンだ。
晩年のエピソードで音楽が絡むもう1つの秀逸な場面がある。ソーン師の息子と思われる青年が弾くピアノに合わせて師がラナートを弾く場面だ。監督自身は「東洋の文化と西 洋の文化が共存していることを象徴している」と語っているが、同時にそれは伝統の文化が新しく輸入された文化と出会い溶け合う場面であるとも言える。しかしそれ以上に感慨深いのは演奏そのものだ。青年のころの演奏は壮絶ではあったが、そこには音楽を楽しみ、音楽と語らう喜びはなかった。ただ激しい競争心だけがあった。しかしウィラ大佐たちに聞こえるのを気にせずに弾いた時とピアノと共演(競演ではない)した時は、ソーン師の顔にラナートを奏でる喜びがあふれていた。競い合いなどは超越した、純粋に音楽を楽しむ姿勢がそこにあった。超絶技巧などなくても音楽は人を楽しませ、人の心の琴線にふれることが出来るのである。
映画は青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンと彼が憧れ後に彼の妻となるチョート役のアラティー・タンマハープラーンという二人の美男美女をフィーチャーしているが、この映画を支えている脇役たちを忘れてはいけない。クンインを演じたナロンリット・トーサガーは先に触れたが、ウィラ大佐に扮したポンパット・ワチラバンジョンやソーンの父親を演じた俳優も味わい深い演技をしていた。だが何といっても抜群の存在感を示したのは晩年のソーン師を演じたアドゥン・ドゥンヤラットである。タイでは知らぬ人はいないといわれる名優だそうだ。イギリスの名脇役ピート・ポスルスウェイトにサッカーのジダンを足したような顔だが、芸の頂点を極めてきた人の持つ落ち着き払った威厳と優しさが一つひとつの立ち居振る舞いや動作に表れている。映画と演劇のあるところ、どんな国でも名優がいる。何度も指摘してきたことだが、若い美男美女だけでは映画も演劇も成り立たない。こういった名優がいてこそ主役の若い俳優がしっかりと演じられるのである。
監督のイッティスーントーン・ウィチャイラックは本作が2本目の監督作品となる。DVDの付録映像でみるとまだ若い監督だ。この先どんな作品を作り出してくれるのか楽しみである。