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2006年10月

2006年10月28日 (土)

風の前奏曲

2004年 タイ 2005年12月公開
評価:★★★★☆
監督:イッティスーントーン・ウィチャイラック
製作:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ピサマイ・ラオダーラー
脚本:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ドンガモン・サターティップ     
    ピーラサック・サックシリ
撮影:ナタウット・キッティクン 
出演:アヌチット・サパンポン 、 アドゥン・ドゥンヤラット 、ナロンリット・トーサガー
    アラティー・タンマハープラーン 、ポンパット・ワチラバンジョン
    プワリット・プンプアン、スメット・オンアード

   昨年公開作品で観たいと思いながら見逃していたものがまだ何本もある。中でもどうしTokei_w ても観たいと思っていたのが「亀も空を飛ぶ」と「エレニの旅」そして「風の前奏曲」の3本だった。その中の1本「風の前奏曲」をようやく手に入れた。わくわくしながら観たが、期待を上回る傑作だった。演奏場面ばかりではなくドラマとしても十分見応えがあった。

  「ムアンとリット」(94)、「アタック・ナンバー・ハーフ」(00)、「わすれな歌」(01)、「マッハ!」(03)、「トム・ヤン・クン」(05)など2000年ごろからタイ映画が日本にどっと入ってきた。しかしどうも軽いエンタメ系が多い感じで手が出なかった。今回の「風の前奏曲」が初めて観るタイ映画だ。

  日本では最近まで知られていなかったが、タイ映画の歴史は意外に古い。「タイ映画!」というサイトには次のような記述がある。

  タイで初めて映画が上映されたのはリュミエール兄弟によるシネマトグラフの発明から2年後の1897年とされている。1905年には日本人によって常設映画館が作られ、映画はナン・ジープン(日本の影絵芝居)と呼ばれて定着した。

  かつては年間200本以上も製作されていた時期もあったそうである。今ではエンターテインメントから社会派まで様々なジャンルがあるようだ。今の勢いが今後も続けば「マッハ!」や「風の前奏曲」のように評判になる作品も増えてくるだろう。中国、台湾、韓国、日本、インドと並ぶアジアの映画大国としての地位を築けるかもしれない。それにしても、かつて70年代までは日本以外のアジア映画といえばインド映画、それも巨匠サタジット・レイの個人名くらいしか思いつかなかったものだ。日本とインド以外のアジアの国で映画を作っているなんて思いもしなかった。今から振り返ると隔世の感がある。80年代の中国映画と台湾映画ブーム、90年代後半からのマサラ・ムービーと韓国映画ブーム、そして2000年以降の日本映画の復興とこのところのアジア映画の勢いはかなりのものだ。今後もブータンの「ザ・カップ/夢のアンテナ」やネパールの「キャラバン」のように、意外な国から意外な秀作が現れて驚かせてくれるだろう。

  「風の前奏曲」は音楽映画である。主人公ソーンのモデルはラナート奏者ソーン・シラパバンレーン師という実在の人物。ラナートとはタイの伝統的な楽器で、舟の形をした共鳴箱の上に21~22枚の音板を並べた木琴のような楽器である(音板は吊るしてあるので共鳴版に直接触れてはいない)。ラナートという言葉は“心を癒す”という意味らしいが、その名のとおり実に素朴で美しい調べが全編を通して奏でられる。しかし必ずしも癒し系の和やかな映画ではない。映画のハイライトはラナート奏者同士の競演で、壮絶なバトルが展開される。両手に持ったバチを目にも留まらぬ速さで音盤にたたきつけ、あるいはやさしくなでるように打つ。緩急自在な展開がすごい。まるでスポーツのような激しさで、演奏者の全身に汗が噴出す。しかし流れ出る音楽は決して騒々しくはない。一心にハンマーを打ち下ろす刀匠のような演奏者の真剣な姿と美しく軽快なメロディー。この絵と音のギャップがなんとも不思議な効果を生み出している。ジャズの巨匠ミルト・ジャクソンが奏でるビブラフォン(鉄琴)の演奏をCDで聴けば実に優しい音が聞こえてくるが、それを映像で観れば顔中に汗を滴らせ両手を飛ぶように激しく動かしている姿が見えるはずだ。そんな感じである。

  映画は一匹の蝶を追う少年の映像から始まる。幼い日のソーンである。少年は蝶を追って(この蝶はラストでもう一度現れる)家の中に入る。蝶はラナートの上にとまる。少年の父と兄が部屋に入ってきた時、少年は一心に習ったことのないラナートをたたいていた。蝶が舞うタイの美しい風景を映し出すと同時に、早くも開花し始めていたソーンの音楽的才能を示す優れた導入部である。ソーンの父は優秀な音楽の師匠であり、地元でも名の知られた楽団を率いていた。兄も優秀なラナート奏者だった。幼いソーンも音楽の才能を発揮しめきめき腕を上げていった。

  ここから日本人にはおなじみのスポ根ドラマ的な展開になって行く。まず困難な状態にもめげず音楽への情熱を燃やし続け練習に励む場面。それは子供時代で描かれる。ある時兄が何者かに殺されるという事件が起こる。演奏バトルで負けた側が腹いせに襲撃したものと思われる。ショックを受けた父親はソーンがラナートを演奏することを禁ずる。しかしソーンは友達のティウと二人で夜中にラナートをこっそり持ち出し森の中や洞窟や廃墟となった寺で練習に励む。洞窟の中のシーンがなんとも神秘的で印象的だ。しかしついに父に見つかってしまう。父は言う。二度とラナートを持ち出してはいかん。ただし弟子になるのなら別だが。こうして父の弟子となる。弟子にするに当たって父は息子に言い聞かせる。「常に正しい生き方をすると約束しなさい。音楽を悪用したり、名声のために人を踏みにじらぬ事。真に音楽を敬い理解すれば、その時視野は開け、未踏の境地に達し至高の喜びを得るだろう。」まるっきりスポ根漫画そのものの展開だ。

  ソーン(青年時代を演じるのはアヌチット・サパンポン)は持ち前の才能をぐんぐん伸ばし、いつしか地元で1、2を争うラナート奏者に成長する。その後の展開もまさにパターンどNatubi おり。本人の思い上がり(ソーンはすっかり天狗になっていて練習もさぼりがち)、強力なライバルの登場、手痛い敗北と挫折、新たな奏法の発見と再起。このように話の展開はありきたりなのだが、それが大して気にならないのは演奏の場面が圧倒的にすごいからである。大きなバトルは3回出てくる。最初は地元の才能のある若者との対決。ここで初めて本格的なラナートの演奏を観客は聞くことになる。目にも留まらぬバチのすばやい動きに目が釘付けになる。ピアニストの手の動きもすばやいが、ラナートはバチを使うので柄が長い分画面に残像が残ってものすごい速さに感じる。

  この段階で観客はすでに圧倒されているが、ソーンがバンコクで出会った伝説のラナート奏者クンイン(ナロンリット・トーサガー)の登場場面はさらにすごい。得意げなソーンの演奏を聴いてクンインは「音におごりが出ている、耳障りだ」と言い放つ。彼は横からソーンの演奏に割り込む。次第にソーンは相手の速さに付いてゆけなくなる。負けまいとソーンは必死に食い下がるが、ついに手を止めてしまう。すさまじいクンインの演奏に呼応するようにやがて嵐が起こり雨が降ってくる。ソーンは完全に打ちのめされてしまう。「俺には一生かかってもあのような演奏は出来ない。」

  クンインを演じているナロンリット・トーサガーは役者ではなく本物のラナートの達人である。その超絶技巧のすごさはいうまでもないが、その風貌がまたすごい。ギロリと相手をねめつける鋭い眼力、猛禽類を思わせるその凄みのある顔は威圧感充分。こんな鋭い目をした男は他にルイ・ジューヴェくらいしか知らない。青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンは美形俳優で、8ヶ月かけてラナートの特訓をしたそうだが、相手役に俳優を使わずあえて演技経験のないナロンリット・トーサガーを起用した監督の判断にはうなずけるものがある。

  しかし、さらにその上を行く超絶バトルが最後に待っている。ソーンは完膚なきまでに打ちのめされて一旦は音楽をやめようとまで思った。しかし仰向けに寝っころがって空を見上げていた時、彼は葉にそよぐ風を意識する。ソーンは風のようにラナートを鳴らす新しい奏法を見出す。その斬新な奏法は親王殿下の目に留まりソーンは宮廷楽団の一員に取り立てられる。見違えるように腕を上げたソーンは再び演奏バトルでクンインと対決する。

  ソーンが生まれたのは19世紀の末。タイがまだシャム王国と呼ばれていた時代である。当時は職業楽団などはまだなく、街のおじさんたちが集まっては演奏を楽しむというものだった。ソーンの父親が指導していたのはそういう素人楽団の1つである。その中から優秀な演奏家を集めて王族がパトロンになりそれぞれにお抱え楽団を持っていた。そのお抱え楽団同士の競演会が当時盛んに開催されていたのである。ソーンがクンインと運命の再対決をすることになったのもそういう競演会の1つだった。

  いまやタイ全土の頂点を争うレベルに達したソーンとクンインの競演はすさまじいものになった。ジャズのテナー・バトル、ロックのギター・バトルを連想するが、キャメラはこのバトルを格闘技でもあるかのように撮っている。ソーンもクンインも機関銃のように音を飛び散らせる。体は躍動し腕は千切れんばかりに宙を舞い、交差し、バチの動きはあまりにも早く残影が幾重にも重なるほどだ。団体戦が引き分けに終わり最後は1対1のガチンコ勝負。二人が全力を傾けた演奏は共にもはや神業。カーレース以上のスピード感、たたき出される音は音の塊となって耳に飛び込み、あたりの空気はぴんと張り詰め、ぴりぴりと異様なエネルギーが空気中に充満している。演奏者の顔中に汗が滴り、ほほは痙攣し、目は飛び出さんばかり。体こそ触れ合っていないがほとんど肉弾戦状態。観客は固唾を呑んで聞き入ってしまう。

  これだけの演奏をしても耳に入ってくるのはけたたましい轟音ではない。なんとも涼しげな音色なのだ。まるでさわやかな風が吹き抜けていったようだ。ギターやテナーサックスとはそこが根本的に違う。ギターのようにひずんだ音が空気を引き裂くこともなければ、サックスのように咆哮することもない。実に澄んだ音なのだ。勝ち負けなどもうどうでもいい。この演奏が聴けただけで充分この映画を見た価値がある。

  バトルのたびに盛り上がってゆくという演出もなかなかだが、この映画が面白いのはソーンの少年・青年時代と晩年(1930年代)を交互に描いていることである。冒頭の少年が蝶を追っている場面のすぐ後に、ベッドに横たわる年老いたソーン(アドゥン・ドゥンヤラット)の姿が映される。全体として見れば、死を目前にしたソーンが自分の人生を振り返るという趣になっているのである。晩年のソーンはもはや激しい演奏はしない。2度ほど印象的な演奏シーンが出てくるが、どちらも和やかな演奏である。

  しかし彼の晩年の最期の日々は決して穏やかではなかった。音楽を通しての戦いは終わったが、今は別の相手と戦っている。その敵は伝統音楽を禁止する条例である。そのあたりの事情を監督は次のように語っている。

  第2次世界大戦中にタイは常に欧米列強国からの侵略の危機にさらされていました。そこで当時の指導者は、タイ国もこれらの国と同等の文明があるということを誇示すべきだと考えたのです。そうすればタイは未開の野蛮人の国ではなく、侵略してもいい国ではないと暗に示すことが出来ます。だから欧米文化の真似をするように努力したのです。

  晩年のほうのエピソードは演奏バトルがない上に、話の展開が散漫で青年期の部分に比べると見劣りする。しかしテーマは明快であり、その最大の山場になる最後の場面はよく出来ている。国の政策を固く信じ、タイを近代化するためには時代遅れのものを統制する必要があると考えるウィラ大佐(ポンパット・ワチラバンジョン)とソーン老師が直接対決する場面だ。ウィラ大佐はクラシック音楽を聴きながらブランデーを飲んでいるような西洋かぶれの男として最初登場する。「指導者を信ずれば、国家の危機を乗り越えられる」というウィラ大佐にソーン師は「木はしっかりと根を張っていれば嵐にも耐えられる。根を大切にしなければどう生き残るのですか?」と反論する。

  結局議論は物別れに終わるが、ソーン師の家を去ってゆく時の大佐は訪ねてきた時の大佐と同じではなかった。ソーン師の言葉に納得はしなかったが前ほど国の政策に確信が持てなくなっていた。その後の場面がとりわけ印象的だ。まだ大佐たちが家の前にいる間にソーン師は禁じられているラナートをあえて演奏し始める。ウィラ大佐の部下たちは逮捕しないのかと大佐に詰め寄る。そうこうしている間に付近の住民たちがラナートの調べに呼び寄せられるようにして家から出てくる。しばらくその音色を聞いていた大佐は部下に帰隊を命じる。音楽の力が政治的規制を押し返した印象深いシーンだ。

  晩年のエピソードで音楽が絡むもう1つの秀逸な場面がある。ソーン師の息子と思われる青年が弾くピアノに合わせて師がラナートを弾く場面だ。監督自身は「東洋の文化と西Haneranbu 洋の文化が共存していることを象徴している」と語っているが、同時にそれは伝統の文化が新しく輸入された文化と出会い溶け合う場面であるとも言える。しかしそれ以上に感慨深いのは演奏そのものだ。青年のころの演奏は壮絶ではあったが、そこには音楽を楽しみ、音楽と語らう喜びはなかった。ただ激しい競争心だけがあった。しかしウィラ大佐たちに聞こえるのを気にせずに弾いた時とピアノと共演(競演ではない)した時は、ソーン師の顔にラナートを奏でる喜びがあふれていた。競い合いなどは超越した、純粋に音楽を楽しむ姿勢がそこにあった。超絶技巧などなくても音楽は人を楽しませ、人の心の琴線にふれることが出来るのである。

  映画は青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンと彼が憧れ後に彼の妻となるチョート役のアラティー・タンマハープラーンという二人の美男美女をフィーチャーしているが、この映画を支えている脇役たちを忘れてはいけない。クンインを演じたナロンリット・トーサガーは先に触れたが、ウィラ大佐に扮したポンパット・ワチラバンジョンやソーンの父親を演じた俳優も味わい深い演技をしていた。だが何といっても抜群の存在感を示したのは晩年のソーン師を演じたアドゥン・ドゥンヤラットである。タイでは知らぬ人はいないといわれる名優だそうだ。イギリスの名脇役ピート・ポスルスウェイトにサッカーのジダンを足したような顔だが、芸の頂点を極めてきた人の持つ落ち着き払った威厳と優しさが一つひとつの立ち居振る舞いや動作に表れている。映画と演劇のあるところ、どんな国でも名優がいる。何度も指摘してきたことだが、若い美男美女だけでは映画も演劇も成り立たない。こういった名優がいてこそ主役の若い俳優がしっかりと演じられるのである。

  監督のイッティスーントーン・ウィチャイラックは本作が2本目の監督作品となる。DVDの付録映像でみるとまだ若い監督だ。この先どんな作品を作り出してくれるのか楽しみである。

2006年10月26日 (木)

ゴブリンのこれがおすすめ 33

マルチェロ・マストロヤンニ(1924-1996) Wedd008

■おすすめの10本
「黒い瞳」(1987)
「特別な一日」(1977)
「ひまわり」(1970)
「異邦人」(1968)
「昨日・今日・明日」(1963)
「81/2」 (1963)
「家族日誌」(1962)
「イタリア式離婚狂想曲」(1961)
「夜」(1961)
「甘い生活」(1959)

■こちらも要チェック
「プレタポルテ」(1994)
「みんな元気」(1990)
「スプレンドール」(1989)
「インテルビスタ」(1987)
「ジンジャーとフレッド (1985)
「マカロニ」(1985)
「あんなに愛しあったのに」(1974)
「ああ結婚」(1964)

■気になる未見作品
「世界の始まりへの旅」(1997)
「百一夜」(1994)
「こうのとり、たちずさんで」(1991)
「明日に生きる」(1965)

マーロン・ブランド(1924-2004)

■おすすめの10本
「白く渇いた季節」(1989)
「地獄の黙示録」(1979)
「ミズーリ・ブレイク」(1976)
「ゴッドファーザー」(1972)
「逃亡地帯」(1966)
「戦艦バウンティ」(1962)
「蛇皮の服を着た男」(1960)
「波止場」(1954)
「乱暴者」(1954)
「欲望という名の電車」(1951)

■こちらも要チェック
「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)
「片目のジャック」1960)
「ジュリアス・シーザー」(1953)

■気になる未見作品
「革命児サパタ」(1952)

スティーヴ・マックイーン(1930- 1980)

■おすすめの10本
「タワーリング・インフェルノ」(1974)
「パピヨン」(1973)
「ゲッタウェイ」(1972)
「栄光のル・マン」(1971)
「華麗なる賭け」(1968)
「ブリット」(1968)
「ネバダ・スミス」(1966)
「シンシナティ・キッド」(1965)
「大脱走」(1963)
「荒野の七人」(1960)

■こちらも要チェック
「ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦」(1972)
「砲艦サンパブロ」(1966)

  マルチェロ・マストロヤンニ。ソフィア・ローレンと並ぶイタリア映画の顔。あの独特の飄々とした佇まいが懐かしい。「甘い生活」や「81/2」といったフェリーニ作品をすぐ連想するが、バレリオ・ズルリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルキノ・ヴィスコンティなどのイタリア映画の巨匠と組んで多くの傑作を残した。80年代以降はエットーレ・スコラと組むことが多く、ジュゼッペ・トルナトーレやニキータ・ミハルコフの作品にも出演している。しかし代表作は60~70年代に集中している。
 マーロン・ブランドがマストロヤンニと同年生まれだというのはこのリストを作って知った。アメリカが空前の繁栄を享受していた50年代にデビューし、ふてぶてしい面構えでジェームズ・ディーンと並ぶ反抗的な青年の象徴となった。「ゴッドファーザー」で超大物スターになり、「地獄の黙示録」でもさすがの貫禄を示す。テネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』を映画化した「蛇皮の服を着た男」やアパルトヘイトを告発したユーザン・パルシー監督の力作「白く渇いた季節」はもっと知られていい作品だ。
 マックイーンはとにかくかっこよかった。何をやっても様になる。西部劇も多いが、馬ばかりではなく「大脱走」でのオートバイ、「ブリット」のカーチェイス、「栄光のル・マン」での耐久レースなど、疾走している姿が絵になる男だった。ポーカー賭博を描いた「シンシナティ・キッド」は「ハスラー」「スティング」「テキサスの五人の仲間」「黄金の腕」などと並ぶギャンブル映画の代表作。

2006年10月24日 (火)

最近観た映画50本の評価点

5点満点 ★は1点、☆は0.5点

「白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々」★★★☆
「スティーヴィー」★★★★★
「僕が9歳だったころ」★★★★
「Vフォー・ヴェンデッタ」★★★★
「かもめ食堂」★★★★★
「アメリカ、家族のいる風景」★★★★
「ノー・ディレクション・ホーム」★★★★★
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」★★★★☆
「クラッシュ」★★★★☆
「ウォレスとグルミット野菜畑で大ピンチ!」★★★★☆
「ナイトムーブス」★★★
「ホテル・ルワンダ」★★★★★
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」★★★★
「僕と未来とブエノスアイレス」★★★★
「ナイトウォッチ」★★★
「拝啓天皇陛下様」★★★★★
「TOMORROW 明日」★★★★
「浮雲」★★★★★
「スパングリッシュ」★★★★☆
「スタンド・アップ」★★★★★ Ladya
「OUT」★★★★
「シン・シティ」★★★★☆
「シリアナ」★★★
「ロード・オブ・ウォー」★★★★★
「ミリオンズ」★★★★☆
「プライドと偏見」★★★★
「天空の草原のナンサ」★★★★☆
「太陽」★★★☆
「ふたりの5つの分かれ路」★★★
「嫌われ松子の一生」★★★★★
「カーテンコール」★★★★
「古井戸」★★★★★
「みんな誰かの愛しい人」★★★★
「サンシャイン・ステイト」★★★★
「空中庭園」★★★★
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」★★★★★
「ランド・オブ・プレンティ」★★★★☆
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」★★★
「NANA」★★★★
「旅するジーンズと16歳の夏」★★★★☆
「ニワトリはハダシだ」★★★★
「死刑執行人もまた死す」★★★★★
「銀河ヒッチハイク・ガイド」★★★★
「青空のゆくえ」★★★★
「父と暮らせば」★★★★★
「クレールの刺繍」★★★★
「ヴェニスの商人」★★★★☆
「ライフ・イズ・ミラクル」★★★★★
「蝉しぐれ」★★★
「やさしくキスをして」★★★★☆

 これまで映画に評価点をつけてきませんでしたが、今後は目安になるように点を付けることにします。僕のレビューは完全ネタバレなので映画を観てからでないと読めないという人も多いと思うからです。 これまでの分は多すぎてとてもさかのぼって全部付けることは出来ませんので、最近の50本に限って点をつけてみました。

2006年10月23日 (月)

僕が9歳だったころ

2004年 韓国 2006年2月公開 Fullmoon1
評価:★★★★
監督:ユン・イノ
原作:ウイ・ギチョル「9歳の人生」(河出書房新社刊)
脚本:イ・マニ
音楽:ノ・ヨンシム
出演:キム・ソク、イ・セヨン、チョン・ソンギョン、ナ・アヒョン
    チュ・ドンムン、チ・デハン、キム・ミョンジェ、アン・ネサン
    チョン・エヨン、ソ・ジノン

  久々の韓国映画。調べてみたら3月に「復讐者に憐れみを」「マラソン」を続けて観て以来。7ヶ月ぶりだ。最近の韓国映画は数が多すぎて何を観ていいのか分からない。どれも同じように思えてしまうので始末が悪い。これは山ほどある恋愛ものとは違っているので借りてみた。ある程度期待していたがなかなかの出来。よくあるガキ大将と転校生の話でパターン通りだが、それに親子の愛情、70年代初頭というノスタルジー味を加えているだけによく出来た映画に仕上がっている。なんといっても子供たちが素晴らしい。実に自然で全く違和感がなかった。

  前に韓国映画を観ていると日本と同じだと思うことがたくさん出てくると書いたことがある。この映画でもそうだった。70年代初頭の韓国の小学校は60年代に小学校時代を過ごした僕の経験とかなり重なる。やたらと生徒を叱り飛ばす怖い担任の先生。罰の与え方も似ている。いたずらした生徒を教壇の前に並ばせて物差しでピシピシと頭をたたく。これが結構痛い。笑ったのは廊下に正座させる罰。僕もよく先生に叱られて廊下に座らされた。僕の場合は机の上蓋(上蓋がはずせた)を両手で持って頭の上に高々と掲げた姿勢で(上蓋を持って万歳しているような格好)正座させられるというものだった。韓国の方はもっとみっともない。自分の靴の片方を頭の上に載せ、もう片方を口にくわえて、両手を挙げて廊下に正座させられている。こりゃあ、完全なさらし者だ。僕の受けた罰は苦痛を感じさせるものだが、韓国の方は屈辱を感じさせるものだ。

 原作小説の邦題が『9歳の人生』となっているのが示唆的である。韓国語の原題が同じなのか分からないが、この映画には確かに「人生」を感じさせるものがある。9歳といえばまだまだ子供だから、「人生」という言葉には当然ギャップがある。子供たちは実に自然なのだが、実年齢より若干年上に設定されているようだ。あるいは大人の願望が込められているといってもいいだろう。そのあたりは監督自身がはっきり語っている。

  実は、この本が出版されてから9年ぐらいは埋もれた存在で、知っている人だけが知っている本だったんですけど、最近になってTVで紹介されて、多くの人が読むようになりました。私自身は今から3年ぐらい前に、作家本人とお会いして、本をいただきました。しかし最初は全然読まなくて本棚にずっと置いてありました(笑)。何カ月か過ぎて、ふと手にとって読んでみると、「こんないい本があるんだ」と。幼い頃に戻りたいという気持ちは、私以外の人もみんな持っているのではないかと思います。現実ではあの頃に戻ることはできませんが、映画の中でなら戻ることができる。そういう思いから映画を作ることになりました。 
eiga.comのインタビューより)

  つまり、ここに描かれているのは「あの時こうだったら」という思いが込められた理想の子供像なのである。喧嘩が強く、頭もいいが、決してそれを自慢することもなく常にクール。かつ絵が上手で、親思い。主人公のヨミンはそんな男の子として描かれている。その彼の学校に転校してきた都会育ちの高慢な美少女。ギクシャクしながらも、付かず離れずの関係が続き、最期は美少女がまた転校して行く。切ない別れと、別れの後に届いた手紙。まさに絵に描いたような展開だ。「ALWAY三丁目の夕日」が昔を懐かしむ時に思い出される典型的なものを総動員した「作られた懐かしさ」の映画だとすれば、「僕が9歳だったころ」はそれを学校生活や淡い初恋などに絞った「作られた懐かしい少年時代」の映画である。いかにもこういう子供時代をすごせたらよかったなあという作りの映画なのだ。

  人間は社会的存在だから、社会状況に応じて人間の意識も変わる。日本でも終戦直後の混乱の時期は子供も大人びていた。親がいなかったり、いても頼れなかったり、事情は様々だろうが子供も生き延びるためには大人にならざるを得ない。当時の写真を見ると、小学生くらいの子供がタバコを吸っている姿は珍しくない。石川サブロウの傑作漫画『天(そら)より高く』(原作半村良)はまさにその時代をたくましく生きた戦災孤児たちを描いたものである。そこには文字通り「人生」があった。

  「僕が9歳だったころ」が描いているのは1970年代初頭だから時代はもっと下るが、日本の50年代後半から60年代の感覚に近いだろう。しかも舞台はソウルのような都会ではなく釜山近郊の小さな村である。今よりずっと貧しい時代であり、家族の絆は今よりずっと強く、当然子供たちは今よりずっと大人びていた。子供の世界にも社会や大人の世界が否応なく反映している。その1つが貧しさだ。主人公ヨミン(キム・ソク)が母親に連れられて新しい靴を買いにゆく場面がある。最初は愛想のよかった靴屋の主人が、ヨミンの母(チョン・ソンギョン)の右目が白くにごっているのを見て急に態度を変え、「朝から縁起が悪い」と靴を売るのを断り二人を追い払ってしまう。障害者に対する差別と偏見が露骨に出ている。後で明らかになるが、ヨミンの母親は昔インク工場で働いていた時、誤って薬品が目に入ってしまった。たが貧しくて病院に行けなかったのである。

  たびたび母親が世間から冷たくされているのを見てきたのだろう、ヨミンは「俺が金を稼いで目を治してあげるんだ」という思いでひそかにバイトをして金をためている。この気持ちが泣かせるが、昔はこういう感情は珍しくなかった。みんなが貧しかったから自然に助け合う気持ちがあったのである。少ないものを奪い合うのではなく、むしろ分け合っていた。子供も子供ながらに色々な「大人の」事情を察知していた。だから昔の子供は今の子供より遥かにませていた。小学生から塾通いなどというばかげた風習もなく、学校が終われば遊ぶことしか頭になかった。自然に子供たちの「社会」が生まれ、仲間の間のルールを学び、先輩からいろんなことを教えられた。けんかをしたり仲直りをしたりして成長していったものだ。

  ヨミンは母親にサングラスを買ってやろうという思いでアルバイトをしている。何と彼がやっているのはアイスクリームの街頭売りとトイレの汲み取りのバケツの数を数える「仕事」である。前者は懐かしいという気持ちで観られるが、後者には仰天した。トイレからバケツ何杯分汲み取ったかを数える(数によって料金が変わるのだろう)仕事があったとは!タップンタップンと肥え桶を天秤棒で担いで行く業者、それを傍で見ながら数を数えている子供。これほど時代を伝える「絵」はない。そういう時代だったのだ。

  映画のスタッフたちはこの時代を再現することに多大な努力を注いだそうである。トタン屋根の粗末な家など当時の風景が見事にスクリーンによみがえっている。ただ、その中を走り回っている子供たちは、上記の監督インタビューにあるように、理想化された子供たちである。ある意味で作り物の世界だともいえる。にもかかわらず、この映画には「ALWAY三丁目の夕日」同様、それと分かっていてもその甘美な世界に身を任せたいと043205_3 思わせる魅力がある。そう思わせるのは、上にも書いたように子供たちが実に自然に振舞っているからである。この自然さがこの映画の命である。これ見よがしのあざとさがない。ヨミンのけなげさには共感せざるを得ないし、「アメリカ帰り」の触れ込みで転校してきたウリムが田舎の子供には輝かんばかりに見え、一気にクラスの人気を独り占めにしてしまうあたりも実にリアルだ。そのウリムに大好きなヨミンを奪われ、ウリムに嫉妬するおかっぱ頭のクムボク(ナ・アヒョン)の気持ちも痛いほど伝わってくる。中でも、このナ・アヒョンという子役の演技の自然さは「演技」していることすら感じさせないもので驚嘆に値する。周りが寄ってたかって弄繰り回さなければ、将来とてつもない名女優になるかもしれない(女優を志すかどうか分からないが)。役柄としても美少女ウリム以上に魅力的なキャラクターだ。

  ヨミンとクムボクにはもう一人ギジョン(キム・ミョンジェ)という仲間がいる。この仲良し三人組の中ではギジョンの印象が一番薄い。しかしこれは子役の問題ではなく役柄の問題である。原作では嘘をつきまくる屈折したキャラクターになっているようだが、映画では普通の少年にしてしまったために個性が消え、ヨミンの陰に隠れてしまっている。この三人組の間に溝を作ってしまう典型的な美少女ウリム(イ・セヨン)は見るからに鼻に付く役柄だが、すねた表情やあきれたように横目でヨミンをにらむ表情などが実に様になっていて、「下妻物語」の深田恭子をほうふつとさせる。ただ、一見傲慢でわがままだが父親に対する深い心の傷を隠し持っているという設定はありきたりだ。最後の手紙もいかにも作ったような「泣かせる」せりふである。しかし日本のお気軽ドラマ「白鳥麗子でございます」のようなわざとらしさはない。演じたイ・セヨンものびのび育てば人気女優になるだろう。

  メインのストーリーはヨミンとウリムの「恋の駆け引き」だが、その対になるサブストーリーとして「小部屋の哲学者」パルボンが美人ピアノ教師に寄せる片思いのエピソードが差し挟まれている。このエピソードは原作ではもっと描きこまれているのかもしれないが、映画ではややもてあまし気味だ。いっそなくてもよかったという指摘すらある。それでもカットしなかったのはヨミンの成長に重要なかかわりを持っているからだろう。親のしつけも子供の成長に大きな影響を与えるが、煙たい親よりも往々にして他人から大きな影響を得ることはよくあることだ。パルボンを通じてヨミンは大人の世界の一端を垣間見るのである。パルボンとヨミンの接点は手紙だ。ピアノの美人教師に片思いをしているパルボンはヨミンに恋文を運ぶ「恋のキューピッド」の役を頼む。しかし返事は連れないものだったのだろう。憤激のあまり「あの女は俗物だ」、「俗物を憎めない俺は本当の俗物だ」と叫ぶ彼をヨミンは不思議そうに見ている。いかにも70年代らしいクサイせりふに思わず失笑してしまう(いたよなあ、そんな奴)。パルボンからなぜ直接会って言うのではなく手紙を書くのか話して聞かされたヨミンは、自分もウリムに手紙を書いてみようと思いつく。しかしウリムがその匿名の手紙を教師に渡したために、ヨミンは教室の前でその手紙を読まされる羽目に。ありがちな展開だが悪くはない。

  しかしこんなことではめげないところがすごい。クールなガキ大将ヨミン、見上げた奴だ。まあこんな感じで、二人の間はうまくいきそうになるかと思えば思わぬ展開でだめになるということの繰り返しだ。好きな気持ちを素直に表せない意地っ張りなところは男なら誰しも経験済みのことで、それはそれで結構リアルだ。川でおぼれかけたウリムをヨミンが助けるというありがちな展開の後で、「礼なんかいい。″男は女を守れ″と父さんに教わったからだ。お前を好きだからじゃない」と精一杯強がるあたりは苦笑してしまう。型どおりの展開だが、考えてみれば小学生の「恋」なんてそんなものだ。惹かれる思いと強がりの綱引き状態。男の子も女の子も経験不足で、戸惑うばかり。

  この型通りの展開を救っているのが、ウリムにヨミンを取られて憤懣やるかたないクムボクの存在。何かとウリムに突っかかる。やがてウリムがアメリカに住んでいたというのは真っ赤な嘘だと知ってしまうが、ウリムを気遣うヨミンに口止めされてしまう。憎くて憎くて仕方がないのに大好きなヨミンとの約束を破ることは出来ない。彼女の内心の葛藤はいかばかりだったか。しかしついに我慢の限界を超えてしまい、ウリムとつかみ合いになる。このお茶目で気が強そうな田舎娘がどれだけこの映画を引き締めているか。繰り返すが、本当にすごい子だ。

  もう1つ、ところどころに挿入されるユーモアの味付けも忘れてはいけない。絵心のあるヨミンが絵のコンクールか何かで入賞したときのエピソードが傑作である。担任の教師(アン・ネサン)とヨミンが校長先生(チェ・ソン)にお褒めの言葉をもらっている。絵もさることながら校長は「夢をつかむ子」というタイトルにいたくご満悦の様子。担任教師も調子に乗って、常日頃から子供たちには夢を持つよう指導していますからと抜け目なく自己アピール(実際はそんなことしていない)。校長がどこからこのタイトルを思いついたのかねと聞くと、ヨミンは「のろまな子(クムルデヌン)」と書くつもりが間違って「夢をつかむ子(クムルタヌン)」と書いてしまったとあっさり答える。妹を描いた絵だったのである。恥ずかしさに縮こまる思いで座っている担任教師の神妙な顔が実に滑稽だ。『ちびまる子ちゃん』なら顔中に縦線が入っているところだろう。何とも痛快な場面である。

  もちろん韓国映画だから「泣かせ」のポイントもふんだんに盛り込まれている。例えばウリムの転校の挨拶で明かされる彼女の「秘密」、転校したウリムから届いた手紙(「名前を明かせる女」という署名がいい)。だが何といっても圧巻なのは、親に黙ってお金を稼いでいたヨミンを母親が折檻する場面だ。ズボンの裾を捲り上げさせて木の枝でふくらはぎを容赦なくたたく。身をよじって痛がるヨミンの姿が真に迫っている。やがてヨミンが金を稼いでいた理由が母親にも分かり二人は抱き合って泣く。非常に感動的な場面だが、不思議なほど感情を排して冷静に描かれているように感じる。典型的な「泣かせ」の場面だが、「さあ泣いてください」という演出ではない。母親は本気で折檻しており、ヨミンは本当に痛がっている。ヨミンはあまりの痛さに思わずお金の目的を「白状」してしまうが、お金を稼いでいる理由を知っても、母親は「私のことがそんなに恥ずかしいのか」とすぐには折檻の手を休めない。母を思う心と、子を思う心、世間からいじめられている母親を見たくないという気持ちと、安易に同情されたくない、子供を働かせるほど困っていると世間に思われたくないという気持ちが本気でぶつかり合っている。涙をしぼる場面というよりもむしろ鬼気迫る場面だった。そういう描き方になっている。単なるお涙頂戴的演出では到達できない境地、素晴らしい演出だった。

  貧しかったあのころ。しかし幸福感に満ちていた。いや、実際は苦労の連続だったに違いない。しかしだからこそささやかな幸せが本当に心に沁みるのである。思い出の中の過去とは自分が子供だった頃である。大人の苦労を知らず、親に守られていたことにも気づかずに僕らは一心に遊んでいた。思い出がセピア色に美しく定着してしまうのはノスタルジア効果である。「僕が9歳だったころ」はたぶんにそのノスタルジア効果に乗った作品ではあるが、しかしただ甘く切なく過去を描いただけではない。背伸びした子供たちが垣間見た大人の世界(引きこもり哲学者パルボンは結局自殺してしまう)、子供同士あるいは子供と親が本気でぶつかり合う姿も描いている。今は希薄になってしまった家族愛や他人を思いやる心を「泣かせ」路線に走ることなく描き出したこと、美少女を登場させながらもただ「視覚的に」楽しませる演出にはしなかったこと、田舎の純朴な子供たちに存分に活躍の場を与えたこと、これらはすべて、美男美女が美しく映し出される「韓流」映画に対するアンチテーゼなのである。

  ユン・イノ監督はこの作品の前に「バリケード」と「マヨネーズ」を撮っている。どちらも高く評価されているようだが、日本で公開されたのは3作目の「僕が9歳だったころ」が最初でTyo4300_1 ある。前の2作がどんな作品なのか気になるところだ。「僕が9歳だったころ」は子供たちが主役なのでだいぶ気を遣ったようだ。合宿をして子供たち同士、そして子供たちとスタッフが仲良くなるよう努めたという。また、韓国語が分からないので観ている間は気づかなかったが、子供たちはみな方言を話していて、ソウルから来たウリムだけが都会の言葉で話していたそうである。当時の風俗や建物、子供たちの遊びなどかなり時代考証にもこだわった。映画の冒頭、ヨミンと母親が仕事に出かける父親を家の前で見送る場面などは、日本ではもう観られなくなってしまった光景だ。自分では経験したことはないが(実家は自営業)、なぜか懐かしかった。

2006年10月21日 (土)

ゴブリンのこれがおすすめ 32

子供が主役の映画Futari3c_1

■おすすめの70本
「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005) 山崎貴監督
「オリバー・ツイスト」(2005) ロマン・ポランスキー監督
「天空の草原のナンサ」(2005) ビャンバスレン・ダバー監督
「誰も知らない」(2004) 是枝裕和監督
「Dearフランキー」(2004) ショーナ・オーバック監督
「僕が9歳だったころ」(2004) ユン・イノ監督
「ミリオンズ」(2004) ダニー・ボイル監督
「クジラの島の少女」(2003) ニキ・カーロ監督
「茶の味」(2003) 石井克人監督
「ぼくセザール10歳半1m38cm」(2003) リシャール・ベリ監督
「アフガン零年」(2003) セディク・バルマク監督
「おばあちゃんの家」(2002) イ・ジョンヒャン監督
「裸足の1500マイル」(2002) フィリップ・ノイス監督
「僕のスウィング」(2002) トニー・ガトリフ監督
「ホテル・ハイビスカス」(2002) 中江裕司監督
「キャロルの初恋」(2002) イマノル・ウリベ監督
「シティ・オブ・ゴッド」(2002) フェルナンド・メイレレス監督
「北京バイオリン」(2002) チェン・カイコー監督
「思い出の夏」(2001) リー・チーシアン監督
「少女ヘジャル」(2001) ハンダン・イペクチ監督
「少年と砂漠のカフェ」(2001) アボルファズル・ジャリリ監督
「名もなきアフリカの地で」(2001) カロリーヌ・リンク監督
「あの子を探して」(2000)  チャン・イーモウ監督
「シーズン・チケット」(2000) マーク・ハーマン監督
「炎/628」(1985) エレム・グリモフ監督
「リトル・ダンサー」(2000) スティーブン・ダルドリー監督
「ペレ」(1987) ビレ・アウグスト監督
「ヤンヤン夏の思い出」(2000) エドワード・ヤン監督
「酔っ払った馬の時間」(2000) バフマン・ゴバディ監督
「太陽は、ぼくの瞳」(1999) マジッド・マジディ監督
「蝶の舌」(1999) ホセ・ルイス・クエルダ監督
「ぼくの国、パパの国」(1999) ダミアン・オドネル監督
「運動靴と赤い金魚」(1997) マジッド・マジディ監督
「コーリャ愛のプラハ」(1996) ヤン・スビエラーク監督
「太陽の少年」(1994) チアン・ウェン監督
「ロッタちゃん はじめてのおつかい」(1993) ヨハンナ・ハルド監督
「心の香り」(1992) スン・チョウ監督
「マルセルのお城」(1991) イブ・ロベール監督
「少年時代」(1990) 篠田正浩監督
「ホーム・アローン」(1990) クリス・コロンバス監督
「マルセルの夏」(1990) イブ・ロベール監督
「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)  ジュゼッペ・トルナトーレ監督
「100人の子供たちが列車を待っている」(1988) イグナシオ・アグエロ監督
「友だちのうちはどこ?」(1987) アッバス・キアロスタミ監督
「さよなら子供たち」(1987) ルイ・マル監督
「戦場の小さな天使たち」(1987) ジョン・ブーアマン監督
「フランスの思い出」(1987) ジャン・ルー・ユベール監督
「スタンド・バイ・ミー」(1986) ロブ・ライナー監督
「パパは出張中!」(1985) エミール・クストリッツァ監督
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985) ラッセ・ハルストレム監督
「冬冬の夏休み」(1984) ホウ・シャオシェン監督
「マルチニックの少年」 (1983) ユーザン・パルシー監督
「ファニーとアレクサンドル」(1982) イングマル・ベルイマン監督
「ミツバチのささやき」(1973) ヴィクトル・エリセ監督
「がんばれかめさん」(1971) ロラン・ブイコフ監督
「若草の祈り」(1970) ライオネル・ジェフリーズ監督
「ケス」(1969) ケン・ローチ監督
「僕の村は戦場だった」(1963) アンドレイ・タルコフスキー監督
「わんぱく戦争」(1961) イブ・ロベール監督
「大人は判ってくれない」(1959) フランソワ・トリュフォー監督
「キクとイサム」(1959) 今井正監督
「汚れなき悪戯」(1955)  ラディスラオ・ヴォホダ監督 Mjyokabe3
「大地のうた」(1955) サタジット・レイ監督
「禁じられた遊び」(1952) ルネ・クレマン監督
「緑色の髪の少年」(1948) ジョセフ・ロージー監督
「オリヴァ・ツイスト」(1948) デヴィッド・リーン監督
「オズの魔法使い」(1939) ヴィクター・フレミング監督
「オーケストラの少女」(1937) ヘンリー・コスター監督
「にんじん」(1934) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「生まれてはみたけれど」(1932) 小津安二郎監督

■追加
「ウィンターズ・ボーン」(2010) デブラ・グラニック監督、アメリカ
「冬の小鳥」(2009) ウニー・ルコント監督、韓国・フランス
「パンズ・ラビリンス」(2006) ギレルモ・デル・トロ監督
「約束の旅路」(2005) ラデュ・ミヘイレアニュ監督
「未来を写した子どもたち」(2004) ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ監督
「亀も空を飛ぶ」(2004) バフマン・ゴバディ監督
「あの娘と自転車に乗って」 (1998) アクタン・アブディカリコフ監督
「駆ける少年」(1985) アミール・ナデリ監督、イラン
「赤い風船」(1956) アルベール・ラモリス監督

■こちらも要チェック
「ポビーとディンガン」(2005) ピーター・カッタネオ監督
「チャーリーとチョコレート工場」(2005) ティム・バートン監督
「ヘイフラワーとキルトシュー」(2002) カイサ・ラスティモ監督
「イン・アメリカ三つの小さな願いごと」(2002) ジム・シェリダン監督
「絵の中のぼくの村」(1996) 東陽一監督
「やかまし村の子どもたち」(1986) ラッセ・ハルストレム監督

■気になる未見作品
「飛ぶ教室」(2003) トミー・ヴィガント監督
「ふたりのロッテ」(1993) ヨゼフ・フィルスマイヤー監督

 「これがおすすめ 30」で「老人映画」を取り上げたので今度は「子供」。久々に観た韓国映画「僕が9歳だったころ」が意外な収穫だったので、他にどんな子供を主役にした映画があったかリストを作りたくなった(「スティーヴィー」と合わせて、近々レビューを書きます)。
 しかしリストを作ってみると、このカテゴリーにはこれほど傑作が多かったかと驚く。特に90年代以降の充実ぶりには目を見張るものがある。それ以前の作品は数こそ少ないが、「僕の村は戦場だった」、「大地のうた」、「禁じられた遊び」といった名作が並ぶ。日本にも「キクとイサム」と「生まれてはみたけれど」といった群を抜く名作がある。
 国別では日本・韓国・中国といった東アジア勢が健闘。子供を主役にした映画が多いと言われるイラン映画も5本がランクイン。いずれも傑作。目だって多いのがイギリスとフランス。ともに10本ずつ。全体の7分の2を占める。しかも名品ぞろいだ。こういった国々の傑作群と並べてみるとアメリカ映画は本当に色あせて見える。

2006年10月20日 (金)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年11月)

【新作映画】 Ladya2
10月14日公開
 「アタゴオルは猫の森」(西久保瑞穂監督、日本)
10月21日公開
 「サラバンド」(イングマル・ベルイマン監督、スウェーデン、他)
 「キャッチボール屋」(大崎章監督、日本)
 「天使の卵」(富樫森監督、日本)
10月28日公開
 「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョン監督、韓国)
 「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
 「クリムト」(ラウル・ルイス監督、オーストリア、他)
 「明日へのチケット」(E.オルミ、K.ローチ、A.キアロスタミ監督、伊・英)
 「虹の女神」(岩井俊二監督、日本)
 「悲しき天使」(大森一樹監督、日本)
11月3日公開
 「ニキフォル」(クシシュトフ・クラウゼ監督、ポーランド)
 「手紙」(生野慈朗監督、日本)
11月4日公開
 「待合室」(板倉真琴監督、日本)
11月18日公開
 「プラダを着た悪魔」(デビッド・フランケル監督、アメリカ)」
 「麦の穂をゆらす風」(ケン・ローチ監督、アイルランド・英、他)
11月25日公開
 「ありがとう」(万田邦敏監督、日本)

【新作DVD】
10月27日
 「リトル・ランナー」(マイケル・マッゴーワン監督、カナダ)
 「君とボクの虹色の世界」(ミランダ・ジュライ監督、英米)
 「デイジー」(アンドリュー・ラウ監督、韓国)
11月2日
 「戦場のアリア」(クリスチャン・カリオン監督、仏独、他)
 「玲玲の電影日記」(シャオ・チアン監督、中国)
11圧3日
 「ククーシュカ ラップランドの妖精」(アレクサンドル・ロゴシュキン監督、ロシア)
 「僕の大事なコレクション」(リーブ・シュライバー監督、アメリカ)
11月10日
 「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督、英独)
 「佐賀のがばいばあちゃん」(倉内均監督、日本)
 「嫌われ松子の一生」(中島哲也監督、日本)
 「雪に願うこと」(根岸吉太郎監督、日本)
11月22日
 「グッドナイト&グッドラック」(ジョージ・クルーニー監督、アメリカ)
 「レイヤー・ケーキ」(マシュー・ボーン監督、イギリス)
11月24日
 「親密すぎるうち明け話」(パトリス・ルコント監督、フランス)
 「ブロークン・フラワーズ」(ジム・ジャームッシュ監督、アメリカ)
11月30日
 「ユナイテッド93」(ポール・グリーングラス監督、米英仏)

【旧作DVD】
10月21日
 「風櫃の少年」(83、ホウ・シャオシェン監督、台湾)
 「カオス・シチリア物語」(84、ポオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督、イタリア)
 「越後つついし親不知」(64、今井正監督、日本)
10月27日
 「カビリアの夜」(57、フェデリコ・フェリーニ監督、イタリア)
 「昨日・今日・明日」(63、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、イタリア)

 新作DVDが充実。ついに「嫌われ松子の一生」が登場。話題再燃必死。他にも待望の「ククーシュカ ラップランドの妖精」「玲玲の電影日記」「ナイロビの蜂」「グッドナイト&グッドラック」が出る。11月もレンタルしまくりそうだ。
 旧作DVDではタヴィアーニ兄弟の傑作「カオス・シチリア物語」とフェリーニの名作「カビリアの夜」が一押し。「風櫃の少年」も必見。
 劇場公開新作ではイングマル・ベルイマン監督久々の新作「サラバンド」とケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」に注目。個人的趣味ではますむらひろし原作の「アタゴオルは猫の森」の出来が気になる。

2006年10月19日 (木)

ゴブリンのこれがおすすめ 31

群像劇 __2

■おすすめの40本
「青空のゆくえ」(2005) 長澤雅彦監督
「The有頂天ホテル」(2005) 三谷幸喜監督
「ALWAYS三丁目の夕日」(2005) 山崎貴監督
「リンダ リンダ リンダ」(2005) 山下敦弘監督
「クラッシュ」(2004) ポール・ハギス監督
「ヒトラー最期の12日間」(2004) オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督
「スウィングガールズ」(2004) 矢口史靖監督
「みんな誰かの愛しい人」(2004) アニエス・ジャウイ監督
「パッチギ!」(2004) 井筒和幸監督
「カーサ・エスペランサ」(2003) ジョン・セイルズ監督
「ダブリン上等!」(2003) ジョン・クローリー監督
「21グラム」(2003) アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督
「僕と未来とブエノスアイレス」(2003) ダニエル・プルマン監督
「靴に恋して」(2002) ラモン・サラザール監督
「ゴスフォード・パーク」(2001) ロバート・アルトマン監督
「子猫をお願い」(2001) チョン・ジェウン監督
「アメリカン・ビューティー」(2000) サム・メンデス監督
「スナッチ」(2000) ガイ・リッチー監督
「ヤンヤン/夏の思い出」(2000) エドワード・ヤン監督
「アモーレス・ペロス」(1999) アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督
「彼女を見ればわかること」(1999) ロドリゴ・ガルシア監督
「クレイドル・ウィル・ロック」(1999) ティム・ロビンス監督
「ビューティフル・ピープル」(1999) ジャスミン・ディズダー監督
「マグノリア」(1999) ポール・トーマス・アンダーソン監督
「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998)  ガイ・リッチー監督
「パルプ・フィクション」(1994) クエンティン・タランティーノ監督
「プレタポルテ」(1994) ロバート・アルトマン監督
「ショート・カッツ」(1993) ロバート・アルトマン監督
「ザ・プレイヤー」(1992) ロバート・アルトマン監督
「悲情城市」(1989) ホウ・シャオシェン監督
「マグノリアの花たち」(1989) ハーバート・ロス監督
「TOMORROW明日」(1988) 黒木和雄監督
「セント・エルモス・ファイアー」(1985) ジョエル・シューマカー監督
「フェーム」(1980) アラン・パーカー監督
「ナッシュビル」(1975) ロバート・アルトマン監督
「アマルコルド」(1974) フェデリコ・フェリーニ監督
「夜行列車」(1959) イエジー・カヴァレロヴィッチ監督
「七人の侍」(1954) 黒澤明監督
「青春群像」(1953) フェデリコ・フェリーニ監督
「グランド・ホテル」(1932) エドマンド・グールディング監督

■追加
「桐島、部活やめるってよ」(2012) 吉田大八監督、日本
「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(2011) ジョン・マッデン監督、英・米・他
「インセプション」(2010) クリストファー・ノーラン監督、アメリカ
「バベル」(2006) アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督、アメリカ
「ボビー」(2006) エミリオ・エステヴェス監督、アメリカ
「モンテーニュ通りのカフェ」(2006) ダニエル・トンプソン監督、仏
「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(2006) ロバート・アルトマン監督
「クレアモントホテル」(2005) ダン・アイアランド監督、英・米
「レイヤー・ケーキ」(2004) マシュー・ヴォーン監督

■こちらも要チェック
「フラガール」(2006) 李相日監督
「シリアナ」(2005) スティーブン・ギャガン監督
「メゾン・ド・ヒミコ」(2005) 犬童一心監督
「コーラスライン」(1985) リチャード・アッテンボロー監督

■気になる未見作品
「大停電の夜に」(2005) 源孝志監督
「NOELノエル」(2004) チャズ・バルミンテリ監督
「ラブ・アクチュアリー」(2003) リチャード・カーティス監督 House04mb
「きょうのできごと」(2003) 行定勲監督
「ウォーターボーイズ」(2001) 矢口史靖監督
「群盗、第7章」(1996)  オタール・イオセリアーニ監督
「蝶採り」(1992)  オタール・イオセリアーニ監督
「そして光ありき」(1989)  オタール・イオセリアーニ監督
「月の寵児たち」(1984) オタール・イオセリアーニ監督

  「群像劇」といわれるものはロバート・アルトマン監督の「ナッシュビル」が最初とされる。90年代から増え始め、2000年以降は激増している。人物の描き分け、複雑な人間関係の妙など、脚本家や演出家の腕の見せ所が多いため好まれるのだろう。
  いわゆるグランドホテル形式の作品など、古い映画にもこれに類するものはよく探せばかなりあるはずである。今回は思いついたもののみを取り上げた。

2006年10月16日 (月)

Vフォー・ヴェンデッタ

2005年 イギリス・ドイツ 2006年4月公開
評価:★★★★
原題:V FOR VENDETTA
監督:ジェームズ・マクティーグ
製作:ジョエル・シルヴァー、アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
   グラント・ヒル Sword01e
製作総指揮:ベンジャミン・ウェイスブレン
脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
撮影:エイドリアン・ビドル
プロダクションデザイン:オーウェン・パターソン
衣装:サミー・シェルドン
編集:マーティン・ウォルシュ
音楽:ダリオ・マリアネッリ  
出演:ナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウィーヴィング、スティーヴン・レイ
   スティーヴン・フライ、ジョン・ハート、ティム・ピゴット=スミス
   ルパート・グレイヴス、ロジャー・アラム、ベン・マイルズ
   ヴァレリー・ベリー、シニード・キューザック、ナターシャ・ワイトマン
   ジョン・スタンディング、エディ・マーサン

 観終わってすぐの感想は、この映画にはいろんなものが混じっているというものだ。『20世紀少年』+「ダーク・エンジェル」+「オペラ座の怪人」+「未来世紀ブラジル」。わざとウイルスをばら撒き後でワクチンを「開発」して政府の株を上げるのはまるっきり浦沢直樹の『20世紀少年』と同じ。ウイルスの人体実験に使われサイボーグ化したという設定は「ダーク・エンジェル」を思わせる(731部隊を重ねてもいいだろう)。2020年の独裁国家イギリスの雰囲気は「未来世紀ブラジル」に近い、あるいはオーウェルの『1984年』をこれに加えてもいい。「オペラ座の怪人」との関連は説明するまでもないだろう。

 細かな引用にいたっては無数にある。例えば何度も引用されるシェイクスピアの『十二夜』、ゲーテの『ファウスト』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯爵』等の文学作品。映画からの引用も結構ある。Vの字を壁のポスターに刻むあたりは「怪傑ゾロ」そっくりだし、体に鉄板をつけて銃弾をさえぎるのは「荒野の用心棒」で使われた手。他にも挙げればきりがないが、最も重要なのはガイ・フォークスとの関連と″V″の象徴的使い方だろう。

 Vの文字を壁に刻んだ時、V自身はそれを「復讐(VENDETTA)のV」だと説明した。追われる立場の「ダーク・エンジェル」と逆にVは自分の体を「怪物」に変えた関係者たちに復讐してゆく。自分を『モンテ・クリスト伯爵』のエドモン・ダンテスに重ねている。しかし″V″は人体実験が行われた強制収容所での彼の独房の番号でもある。5号室に入れられていたのである。さらにはVの周りを丸で囲むマークは、アナーキストのシンボル・マークを逆さにしたものである。勝利のVの意味も込められているだろう。アラン・ムーアとデヴィッド・ロイドによる原作コミックスではトマス・ピンチョンの小説『V.』も言及されているそうだ。

 アナーキズムはテロにつながり、テロはガイ・フォークスとつながる。詳しいことはWikipediaで調べてもらうとして、とりあえずガイ・フォークスについて簡単にまとめておこう。ガイ・フォークスとは1605年にイギリス国会議事堂を爆破して国王ジェームズ一世を暗殺しようとして逮捕された男である。英国国教会によるカソリック・清教徒への弾圧に対抗したカソリックの一派だ。彼が処刑された11月5日は「ガイ・フォークス・デイ(ナイト)」と呼ばれ、現在では、主にかがり火と打ち上げ花火を楽しむ行事となっている。しかし以前はガイ・フォークスを表す人形を子供らが曳き回し、最後にかがり火に投げ入れて燃やしていた。つまり完全な反逆者扱いであり、花火を上げるのは国王が無事だったことを祝っているのである。ガイ・フォークスの処刑は残虐なもので、「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」という極刑に処せられた。首を刎ねられ四つ裂きにされたが、その前に火中に投じられ、焼かれた。Vが全身やけどを負って仮面と手袋をつけているのは体を焼かれたガイ・フォークスに重ねているのだろう。

 ガイ・フォークスという、日本ではなじみがないがイギリスの歴史上有名な人物が重要な象徴的意味を持たされている。これは注目に値する。「Vフォー・ヴェンデッタ」は配給でワーナーが絡んでいるが実質的にイギリス映画である。舞台は近未来のイギリスであり、原作もイギリスのコミックスである。原作が発表された82年という年が重要だ。「サッチャーの時代とイギリス映画①」にも書いたが、イギリスの80年代は丸まるサッチャーの時代である。「鉄の女」と呼ばれたサッチャーは、それまでの福祉国家を強引にアメリカ型の競争社会に変えていった。社会保障を削り国民には自助努力を説いた。国営企業の民有化を進め、様々な分野に自由競争を導入した。国民に容赦なく「痛み」を押しつけた。その結果国の経済は上向きになったが貧富の差が広がっていった。青年層の失業が激増し麻薬や犯罪がはびこる。出来上がったのは勝ち組と負け組みの差がくっきりと浮かび上がったリトル・アメリカである。90年代のイギリス映画にはこの変化がはっきりと表れている。「貧困、犯罪、麻薬」が新しいイギリス映画の主題となった。

Butterfly_scho   サッチャーの強硬路線の象徴的出来事が「ブラス!」にも描かれた炭鉱ストである。サッチャー路線を進める上で一番の障害は強大な労働組合だった。当時最強といわれたイギリス炭鉱労組のストライキは80年代の最も重要な出来事だったと言っていい。1984年4月から85年3月まで何と丸1年間続いた炭鉱ストは国中を巻き込む大問題となり、文字通り国論を二分した。結局ストライキは組合側の敗北で終わる。この大闘争はまさにサッチャーの鉄の路線を象徴的する出来事だったのである。保守党支配は次のメイジャー首相で終わり、97年に労働党のトニー・ブレアが登場するが、イラク戦争に見るようにほとんどサッチャー路線を転換することは出来なかった。

 原作コミックスはこのサッチャー時代の閉塞状況を近未来(1990年代末)のイギリスを支配する独裁国家に置き換えて描いたものである。その近未来も既にすぎてしまった今日新たに映画化するに当たり、脚本を担当したウォシャウスキー兄弟は時代を2020年に設定し、2001年の9.11テロ以後の状況を付け加えた。これを単にアメリカに対する批判だと受け止めるべきではない。直接的には、アメリカに追随してきたイギリス批判なのである。「アメリカ、家族のいる風景」のレビューに書いたように、この間9.11後の鬱屈した状況を意識した一連のアメリカ映画が作られてきたが、ついにイギリスでも9.11後の政治路線を問い直す映画が現れたと捉えるべきなのだ。

 こうしてVの存在はさらに多義性を帯びるようになった。あまりに多義的で曖昧ですらある。Vは意図的にその正体を曖昧にされている。Vの仮面は最後まではずされない。仮面は彼の「個」を覆い隠すものである。Vは誰でもないと同時に″everybody″でもある。彼は特定のヒーローではなく、革命的状況を引き起こすための扇動者、触媒に過ぎない。革命は彼が起こすのではなく民衆が起こすのである。だから彼はオールドベイリー(中央刑事裁判所)と国会議事堂前を11月5日の“ガイ・フォークス・デー”に爆破するだけでそれ以上の直接的行動はとらない。国営テレビ局をのっとり、国民に圧政に対し立ち向かうよう扇動するだけである。「人民が政府を恐れるのではない 政府が人民を恐れるのだ。」

 しかしこの先は安易だといわざるを得ない。Vの呼びかけにこたえて翌年の11月5日に無数の市民がVと同じ仮面をつけて国会議事堂前に集結してくる。テロに備えて警備していた軍もそのあまりの数に手が出せない。革命は成功したかのように思える。こういう描き方ではほとんど御伽噺である。国民はそんなに簡単に立ち上がらないし、独裁体制との闘争も多大な犠牲を伴う熾烈なものであるはずだ。Vは警官隊に銃で撃たれた時「この服の下には理念しかない。理念を銃弾で殺すのは不可能だ」と言った。確かに彼の中にあったのは「理念(アイディア)」だ。だがそれはかなり抽象的なものだったのではないか。むしろアイディアリズム(理想主義)と言ったほうがいいかもしれない。

 ラストが甘いと感じるのは、1つには独裁体制が通り一遍にしか描かれていないからである。2020年のイギリスでは全ての自由は剥奪され、同性愛者、移民、重度障害者、異教徒、信仰無き者、不治の病人などあらゆる異端者は社会から排除され、そうではないものも監視カメラで管理されている。秘密警察が暗躍し、マスメディアは政府の都合のいいように事実を歪曲して報道している。しかしこれがリアルな恐怖として観客に伝わってこない。具体的に描かれるのは冒頭でイヴィーが外出禁止令に背いて外を歩いていて秘密警察につかまるエピソードだけだ。彼女の父が秘密警察に殺されたという話も出てくるが、これもイヴィーの口から伝えられるだけに過ぎない。ウィルス・テロ事件やそれに関連する人体実験も話としては出てくるが、本当の恐怖と不安は日常の中にあるはずだ。それが伝わってこない。だからラストで民衆が集結するところがどこか真実味に欠けるのである。

 さらにV自身の描き方も曖昧だ。彼の理念の中身はほとんど語られないし、そもそも彼のなかには個人的な復讐とアナーキーなテロリズムが同居している。そもそもアナーキズムは革命思想と同じではない。革命家は人民の政府の樹立を目指すが、アナーキストは国家や政府そのものを否定する。独裁国家を否定するのは革命家もアナーキストも一緒だが、その先の未来像は同じではない。しかもVの場合私怨がそれに絡んでいる。厳密な意味で彼をアナーキストと呼べるかどうかすら判然としない。テロリストが皆アナーキストというわけではないからだ。

 イヴィーの存在が重要になってくるのは恐らくそこだ。原作では少女になっているようだが、映画では大人である。彼女はVの影響を受けて彼のあとを継ぐ存在になる。子供では無理がある。Vはイヴィーをだまして拷問にかけた。拷問にかけたのは信念を曲げない強さを身に付けさせるためだった。重要なのは、Vはイヴィーに社会の束縛から自由になるよう説くが、復讐を引き継がせはしなかった。Vはイヴィーに自分を乗り越えさせたかったのだ。復讐にとりつかれた自分を乗り越えてほしかったのだ。

 こう書くと実にきれいにまとまるが、実際にはいくつも疑問がある。なぜイヴィーなのか。いくら助けられたとはいえ、何故イヴィーはあれほど簡単にVに共鳴してしまうのか。彼女の変わり方も都合のいいものであり、リアルとはいえない。

 しかしあまり多くを求めるべきではないだろう。この映画は圧制とそこからの解放をテーPmhusuy11 マにしてはいるが、シリアスな政治劇というものではない。基本はエンターテインメントである。だが、単なる活劇というわけでもない。明確な社会批判が込められているのは確かだ。あえて言えば、冒頭に触れた「未来世紀ブラジル」の系譜に属する作品である。「未来世紀ブラジル」が描いたのはコンピューターに支配された社会だが、「Vフォー・ヴェンデッタ」の原作コミックスも「フェイト」というスーパーコンピューターが国を治めているという設定になっていたようだ。

 マスクをつけた黒ずくめの男というVのビジュアルにこだわり、またところどころ「マトリックス」ばりのスローモーションを駆使したアクション・シーンを取り入れており、全体としてはエンターテインメント寄りになっている。Vの人物像は不徹底だが、映画的には魅力もある。表情が変わらない仮面をつけながらも、仮面の角度や体の動きや声で表情を表現していたヒューゴ・ウィーヴィングの演技は賞賛に値する。善と悪の境界線上にある矛盾した人物でありながらどこか人を引き付ける魅力も持っている。シェイクスピアなどを次々に引用するあたりは知的好奇心も刺激する。映画の完成度としては「未来世紀ブラジル」に及ばないが、政治批判をエンターテインメントの枠組みの中に取り込んだ意欲的な企ては評価できる。独裁国家やラストでの民衆の行動の描き方はステレオタイプ的だが、物足りなさはあっても破綻はしていない。

 イギリスを舞台にしながらアメリカ映画的な演出が一部に入っていた。それでもVをアメリカ映画のように、一人で世の中の悪を倒すスーパーマンとしては描かなかった。ラストのフィンチ警視(スティーヴン・レイ、渋くていい味を出していた)とイヴィーとの会話は印象に残る。フィンチ警視「″V″とは何者だ?」イヴィー「エドモン・ダンテス、私の父、私の弟、友人、そしてあなた、私。彼は″みんな″よ。」

 イヴィーがVから受け継いだものに「私怨」は含まれていなかった。ここで語られているのは虐げられた者同士の連帯感である。拷問を受けた彼女を支えていたのは、独房のネズミ穴に隠されていたヴァレリーという名の女優が残した手記だった。同性愛者だったために投獄され処刑されたのだ。会ったことはないが、同じ境遇の者に対して深い共感を抱いた。だから彼女は政府に協力しろと迫られても屈しなかったのである。

 テロがテロを生み泥沼化してゆくのは復讐の連鎖が作り出されてゆくからである。「Vフォー・ヴェンデッタ」はテロリズムを最終的には肯定しなかった。最後に国会議事堂が爆破されるが、それも民衆の決起を呼びかける狼煙のようなものだ。誰かを暗殺する目的ではない(前もって予告してあるので無人だったはずだ)。連帯が復讐に取って代わったのである。

 イヴィーの言葉にはスタインベックの『怒りの葡萄』の一説を連想させる響きがある。ラスト近くでトム・ジョードが母親に言った有名なせりふである。

  「つまり、おれは暗闇のどこにでもいるってことになるんだ。どこにでも――おっ母が見さえすりゃ、どこにでもいるんだ。パンを食わせろと騒ぎを起こせば、どこであろうと、その騒ぎのなかにいる。警官が、おれたちの仲間をなぐってりゃ、そこにもおれはいるよ。ケーシーが知ったら、何ていうかわからねえが、仲間が怒って大声を出しゃそこにもおれはいるだろう――お腹のすいた子供たちが、食事の用意ができたというんで、声をあげて笑ってれば、そこにもおれはいる。それに、おれたちの仲間が、自分の手で育てたものを食べ、自分の手で建てた家に住むようになれば、そのときにも――うん、そこにもおれはいるだろうよ。わかるかい?」
   『怒りの葡萄』(新潮文庫、下巻) 注:一部表現を変えてある。

 Vの仮面をつけた無数の人々が立ち上がるラストの描き方は理想主義的だが、社会変革の可能性は確かにこの連帯感の延長線上にある。

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2006年10月15日 (日)

ゴブリンのこれがおすすめ 30 老人映画

老人映画

「パリタクシー」(2022)クリスチャン・カリオン監督、フランス
「PLAN 75」(2022)早川千絵監督、日本・フランス・フィリピン・カタール
「スワンソング」(2021)トッド・スティーヴンズ監督、アメリカ
「ファーザー」(2020)フロリアン・ゼレール監督、イギリス・フランス
「金の糸」(2019)ラナ・ゴゴベリーゼ監督、ジョージア・フランス
「声優夫婦の甘くない生活」(2019)エフゲニー・ルーマン監督、イスラエル
「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」(2019)フィリッポ・メネゲッティ監督、仏・ルクセンブルク・ベルギー
「やすらぎの森」(2019)ルイーズ・アルシャンボー監督、カナダ
「運び屋」(2018)クリント・イーストウッド監督、アメリカ
「キング・オブ・シーヴズ」(2018)ジェームズ・マーシュ監督、イギリス
「家へ帰ろう」(2017)パブロ・ソラルス監督、スペイン・アルゼンチン
「ラスト・ムービースター」(2017)アダム・リフキン監督、アメリカ
「ロンドン、人生はじめます」(2017)ロバート・フェスティンガー監督、イギリス
「僕とカミンスキーの旅」(2015)ヴォルフガング・ベッカー監督、ドイツ・ベルギー
「とうもろこしの島」(2014)ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督、ジョージア・独・仏・他
「ミッチとコリン 友情のランド・ホー!」(2014)アーロン・カッツ、マーサ・スティーヴンズ監督、アイスランド・米
「グォさんの仮装大賞」(2012) チャン・ヤン監督、中国
「しわ」(2011) イグナシオ・フェレーラス監督、スペイン
「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(2011) ジョン・マッデン監督、英・米・他
「みんなで一緒に暮らしたら」(2011) ステファン・ロブラン監督、仏・独
「桃さんのしあわせ」(2011) アン・ホイ監督、中国・香港
「おじいさんと草原の小学校」(2010) ジャスティン・チャドウィック監督、英
「オーケストラ!」(2009) ラデュ・ミヘイレアニュ監督
「やさしい嘘と贈り物」(2008) ニコラス・ファクラー監督
「人生に乾杯!」(2007) ガーボル・ロホニ監督
「最高の人生の見つけ方」(2007) ロブ・ライナー監督
「グラン・トリノ」(2008) クリント・イーストウッド監督
「カールじいさんの空飛ぶ家」(2008) ピート・ドクター監督
「木洩れ日の家で」(2007) ドロタ・ケンジェジャフスカ監督、ポーランド
「ホルテンさんのはじめての冒険」(2007) ベント・ハーメル監督
「ヤング@ハート」(2007) スティーヴン・ウォーカー監督
「マルタのやさしい刺繍」(2006) ベティナ・オベルリ監督
「胡同の理髪師」(2006) ハスチョロー監督
「クレアモントホテル」(2005) ダン・アイアランド監督、英・米
「アンフィニッシュ・ライフ」(2005) ラッセ・ハルストレム監督
「ヨコハマメリー」(2005) 中村高寛監督
「世界最速のインディアン」(2005) ロジャー・ドナルドソン監督
「胡同のひまわり」(2005) チャン・ヤン監督
「メゾン・ド・ヒミコ」(2005)  犬童一心監督
「きみに読む物語」(2004)  ニック・カサヴェテス監督
「死に花」(2004)犬童一心監督、日本
「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)  クリント・イーストウッド監督
「村の写真集」(2004) 三原光尋監督
「ラヴェンダーの咲く庭で」(2004)  チャールズ・ダンス監督
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(2003)  フランソワ・デュペイロン監督
「グッバイ・レーニン!」(2003) ヴォルフガング・ベッカー監督
「ウォルター少年と、夏の休日」(2003)  ティム・マッキンリー監督
「みなさん、さようなら。」(2003) ドゥニ・アルカン監督
「アバウト・シュミット」(2002) アレクサンダー・ペイン監督
「おばあちゃんの家」(2002) イ・ジョンヒャン監督
「列車に乗った男」(2002) パトリス・ルコント監督
「アイリス」(2001) リチャード・エア監督
「家路」(2001)  マノエル・ド・オリヴェイラ監督
「歌え!フィッシャーマン」(2001) クヌート・エーリク・イエンセン監督
「少女ヘジャル」(2001) ハンダン・イペクチ監督
「ポーリーヌ」(2001) リーフェン・デブローワー監督
「小説家を見つけたら」(2000) ガス・バン・サント監督
「スペース・カウボーイ」(2000)  クリント・イーストウッド監督
「こころの湯」(1999)  チャン・ヤン監督
「ストレイト・ストーリー」(1999) デビッド・リンチ監督
「蝶の舌」(1999) ホセ・ルイス・クエルダ監督
「ナビィの恋」(1999) 中江裕司監督
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999)  ヴィム・ヴェンダース監督
「ムッソリーニとお茶を」(1999) フランコ・ゼフィレッリ監督
「ウェイクアップ!ネッド」(1998) カーク・ジョーンズ監督
「ハーフ・ア・チャンス」(1998)パトリス・ルコント監督、フランス
「午後の遺言状」(1995)  新藤兼人監督
「變臉 この櫂に手をそえて」(1995)  ウー・ティエンミン監督
「女人、四十」(1995)  アン・ホイ監督
「日の名残り」(1993) ジェームズ・アイヴォリー監督
「心の香り」(1992)  スン・チョウ監督
「北京好日」(1992)  ニン・イン監督
「推手」(1991) アン・リー監督
「大誘拐」(1991) 岡本喜八監督
「春にして君を想う」(1991) フリドリック・トール・フリドリクソン監督、アイスランド、他
「フライド・グリーン・トマト」(1991) ジョン・アブネット監督
「森の中の淑女たち」(1990) グロリア・デマーズ監督
「ドライビングMissデイジー」(1989) ブルース・ペレスフォード監督
「八月の鯨」(1987)  リンゼイ・アンダーソン監督
「ペレ」(1987)  ビレ・アウグスト監督
「風が吹くとき」(1986)ジミー・T・ムラカミ監督、イギリス
「コクーン」(1985)  ロン・ハワード監督
「バウンティフルへの旅」(1985)  ピーター・マスターソン監督
「黄昏」(1981) マーク・ライデル監督
「長雨」(1979) ユ・ヒョンモク監督
「家族の肖像」(1974)  ルキノ・ヴィスコンティ監督
「ハリーとトント」(1974)  ポール・マザースキー監督
「ルカじいさんと苗木」(1973) レゾ・チヘイーゼ監督
「ベニスに死す」(1971)  ルキノ・ヴィスコンティ監督
「楢山節考」(1958)  木下恵介監督
「マダムと泥棒」(1955) アレクサンダー・マッケンドリック監督
「東京物語」(1953)  小津安二郎監督
「ウンベルトD」(1951)  ヴィットリオ・デ・シーカ監督
「晩春」(1949)  小津安二郎監督
「毒薬と老嬢」(1944)  フランク・キャプラ監督
「旅路の果て」(1939)  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督

こちらも要チェック
「コクーン2」(1988)  ダニエル・パトリー監督
「恍惚の人」(1973)  豊田四郎監督
「老人と海」(1958)  ジョン・スタージェス監督

 

  老人の映画というとあまり魅力を感じないかも知れませんが、例えば最新のものを観ただけでも傑作ぞろいだということが分かります。ほのぼのとした映画が多いのですが、結構シリアスなものも含まれます。案外見逃されやすいカテゴリーですが、味わいの深い作品が多いのでおすすめです。名優の晩年の演技が観られるという意味でも注目に値します。

2006年10月12日 (木)

かもめ食堂

2005年 日本 2006年3月公開Cl25s_2
評価:★★★★★
原作:群ようこ(幻冬舎刊)
脚本・監督:荻上直子
撮影:トゥオモ・ヴィルタネン
音楽:近藤達郎
編集:普嶋信一
写真:高橋ヨーコ
エンディング・テーマ:井上陽水「クレイジーラブ」
出演:小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、ヤルッコ・ニエミ
    タリア・マルクス、マルック・ペルトラ

  ほんの何年か前まで何分に一回見せ場があるなどという宣伝文句がよく使われていた。これでもかとばかり次から次へと派手なアクションを繰り広げるハリウッド製ジェットコースター・ムービー。しかしそんなものばかり観ていればいつか食傷気味になるのは道理。たまに観る分にはいいが、その手の映画は2、3日もすればどんな映画だったかもう忘れてしまっている。その対極にあるのが「観覧車ムービー」。「わが家の犬は世界一」「ストレイト・ストーリー」のレビューで使った僕の造語だが、この手のゆったりしたリズムの映画は最近けっこう多い。「ゴブリンのこれがおすすめ 29」で取り上げた″ほのぼの・のんびり・ユーモアドラマ″のリストを参照いただきたい。80本選んだが、探せばまだまだあるはず。

 ゆったりとしたリズムの映画はなんでもない日常を描いた映画に多い。「犬猫」「阿弥陀堂だより」「珈琲時光」「博士の愛した数式」等々。取り立てて大きな事件も出来事も起こらない。これらにシュールな感覚を盛り込んだのが「茶の味」「リアリズムの宿」である。映画全体に独特の空気感が漂っているという点では「かもめ食堂」もこれらの作品に共通している。「阿弥陀堂だより」がこれらの中では一番「かもめ食堂」に近いかもしれない。何かに追われるように生きているせわしない日本人の疲れ切った心が、全く別の環境におかれることによって癒されてゆくという共通のテーマを持っているからだ。

 外国映画で近い雰囲気を持っているのはやはり北欧の「キッチン・ストーリー」「過去のない男」あたりだろう。ゆったりとしたリズムだけではなく、映画の空気に共通するものを感じる。上に挙げた日本映画の空気とはまた違った空気なのだ。あるいはもっと主題に即して考えれば、中国映画「こころの湯」との共通点が思い浮かぶ。驚くほど日本の銭湯に似ている中国の銭湯が舞台である。食堂と同じように銭湯もまた人々が集まり触れ合う場であり、人々の心も体も癒す場である。世界に冠たるお風呂大国日本にこのような映画がないのはなんとも不思議だし、残念なことである。これに「月曜日に乾杯!」をくわえてみるとかなり「かもめ食堂」に近いものになる。「月曜日に乾杯!」は妻や子どもたちからろくに相手にされず、毎日同じ仕事を繰り返している生活にむなしさを感じた主人公が、ある日突然家族に黙ってふらっとヴェニスに行ってしまい、しばらくゆっくり羽を伸ばしてまた家に帰るという映画である。ヴェニスをさまよっているこの主人公は「かもめ食堂」のミドリとマサコにあたる。

 まあ、比較はこれくらいにしておこう。これ以上やってもあまり意味はない。それより時間の感覚のことに話を進めよう。日本人は総じて勤勉である。何もしないでいることは日本人にとって耐え難い苦痛なのだ。フランス人のようにのんびりバカンスを過ごすことは日本人にはほとんど拷問に近い。日本人は耐え切れなくなって途中で逃げ出してしまうとよく言われる。「かもめ食堂」の荻上直子監督も同じことを言っている。

  日本と違って、ほんとゆったりとした時間が流れているんですね。あれは日本人には真似できない。仕事はみんなきちんとやるんですが、休みはしっかりとるんです。1日10時間しか撮影できないし、土日は撮影休み。私、最初はあまりにものんびりしたペースでいらいらしてたんですが、撮影3日目にはもう諦めました(笑)。1人であせっても仕方ない、フィンランドの流儀に合わせてやっていこうと。出来上がった作品を観ると、彼らのペースに合わせて大正解でしたね。
  日本人って20時間でも平気で働いてしまう。そういう勤勉さはすごいと思いますよ。その点、フィンランド人は「仕事よりも大切なものがある」という考え方のようですね。私も地元の流儀に習って、休みの日にはプロデューサーのコテージに遊びに行って、湖に飛び込んだりサウナに入ったりしました。首都のヘルシンキでもちょっと歩けば、ムーミンが出てきそうな大自然なんですよ。
 <AOL Entertainmentの監督インタビューより>

 「かもめ食堂」に流れているのはこういう空気であり、こういう時間感覚である。「かもめ食堂」がパリやニューヨークにあったらもっと違う映画になっていただろう。北欧であることに意味があるのだ。じっとしていられない日本人にとって、このゆったりとしたリズムが逆に心地よく感じられるのである。「かもめ食堂」を観て感じるのは「月曜日に乾杯!」の主Cutcup07 人公がヴェニスで過ごした時に感じたであろう解放感と軽やかさなのである。何かから逃げるようにして日本を出てきたミドリ(片桐はいり)やマサコ(もたいまさこ)たちにとって、それまでの人生はずしりと重く肩に食い込むものだったに違いない。サチエ(小林聡美 )だって恐らくそうだったのだ。しかし日本を離れ、全く違うリズムで人々が生きているフィンランドに来て、彼女たちは軽やかに自分のペースで生きてゆく生活を知ったのである。それは彼女たちにとって未体験の「日常生活」だったのだ。外国という非日常的空間で営まれる「日常生活」。この映画の持つなんとも不思議な感覚はそこから来ている。

  そこで経験する親密な人間関係。おいしいものを食べることはそれ自体喜びなのだという発見。彼女たちは「かもめ食堂」で生きることの喜びを見出したのである。しかし、彼女たちは決して日本人であることを捨ててフィンランドに同化しようとしたわけではない。かもめ食堂のメインメニューは「日本のソウルフード」、梅干しとオカカとシャケのおにぎりなのである。さらには、トンカツ、豚肉の生姜焼き、変化球でシナモンロール。そして忘れちゃいけない淹れ立てのおいしいコーヒー。高級な食べ物など1つもない。いわゆるお袋の味。これはサチエのこだわりである。「レストランじゃなく食堂です。もっと身近な感じ。」およそグルメとは程遠い僕にとっては高級料理よりよほど食欲をそそる。コメディ調の映画だが、うわっついたところがないのはサチエがきちんとした自分の信念を持っているからである。自分のルーツをしっかり持っているからこそサチエはいつも凛としているのである。

  サチエの「凛とした」美しさは群ようこの原作にあったもので、荻上直子監督もそれを強く意識して撮ったそうである。それに応えた小林聡美がまた立派である。これほど美しい彼女を見たのは初めてだ。彼女を支えていたのは父親とおにぎりにまつわる彼女の記憶であり、父親に教えられた合気道である。自然の「気」に自分の「気」を合わせる合気道の教えが彼女の凛とした佇まいを支え、様々な人たちを受け入れるしなやかさ(和食専門のメニューの中にシナモンロールを加えることも含めて)を身に付けさせたのだろう。客が一人も来なくても動じない。おいしいものを作り続けていればいつか必ずお客さんは来る。そういう信念を持っている。彼女のきりっとしたしなやかで強靭な自然体がすがすがしくまた頼もしい。

 普通の食堂を目指した彼女の方針は食堂のシンプルだが清潔で品のいい内装や家具のセンスのよさに表れている。その方面に疎い僕でもセンスのよさが分かる。サチエのきりっとした美しい佇まいと食堂の清楚な雰囲気そしておいしい食事が、傷ついた人たちを引き付ける。彼女のおいしい料理とやさしく包み込むような人柄に惹かれて集まってきた人たちがまたいい。ミドリとマサコ、食堂の「お客さま第1号」でコーヒーは永久に無料という特典を得ている日本オタクのトンミ・ヒルトネン(ヤルッコ・ニエミ)という青年、夫に逃げられて酒におぼれていたリーサ(タリア・マルクス)、珈琲のおいしい淹れ方をサチエに教えていったマッティ(「過去のない男」のマルック・ペルトラ)。みんな胸の奥にそれぞれの重い過去やさびしい人生をかかえている。

 彼らはみんなサチエの人柄と彼女の作る食事によって見違えるように元気になってゆく。ミドリとマサコはいつのまにか「かもめ食堂」で働くようになる。店に活気が生まれ、客も増えてくる。おいしい食事を食べることは喜びであり幸せであるが、さらにそれは生きる力にもなっている。そんな描き方がいい。食堂に泥棒が入るという事件の後サチエ、マサコ、ミドリの3人がおむすびを山のように作り並んで食べるシーンにそれがよく表れている。ただおにぎりを作って食べるだけのことなのだがなぜか深く心に残る。沈んでいた彼女たちの気持ちが高揚してゆくのが観ているわれわれにも伝わってくる。もう1つ、さくさく揚げ上がったトンカツに包丁を入れたときのあのザクッザクッという音。トンカツを切る音がこんなおいしそうに聞こえるなんて!新鮮な驚きだった。食べることが生きる力を生む。「何か食べなくちゃ生きていけないよね。」そんな素朴なテーマをこれほどストレートに描いて、なおかつ感動を与える映画を他に知らない。日常繰り返すなんでもない行為に人を感動させるものを見出す。そのメッセージがじんわりと観るものの体の中に沁みこんでくる。「かもめ食堂」は遠赤外線のように心の芯まで温まる映画なのである。

  コミカルな味付けの他に、この映画にはもう1つシュールな要素がある。その典型がマサコの見つかったトランクの中に入っていたもの。そこにあるはずのないものが黄金色に輝いていた。それは森の恵みだった。この非現実的なエピソードが映画の中で浮いていないのは、フィンランドの森が持つ神秘性がうまく映画の中に導入されているからだろう。フィTree3_1 ンランドの人たちがどうしてこんなにゆったりとしていられるのかという議論になった時、日本オタクのトンミが「森があるからだ」と答える。それを聞いてマサコは早速森に行く。そこで彼女は例のあるものを取って来る。途中でそれは消えてしまうのだが、トランクを開けたら出てきたのである。このエピソードは恐らく上で引用した「首都のヘルシンキでもちょっと歩けば、ムーミンが出てきそうな大自然なんですよ」という荻上直子監督の言葉と響きあっている。上のような超自然的なことが起こってしまいそうな雰囲気、かもめ食堂があるヘルシンキの空気にはそんな不可思議なものがある。ゴブリンやエルフがその辺からひょいと出てきそうなケルトの森もこんな雰囲気だったのだろう。

 マサコはもう1つのシュールな出来事と関係している。いつもかもめ食堂をにらむようにして覗いてゆく女性がいた。ある時ついに店に入ってきてコスケンコルヴァという酒を頼む。それを飲んで彼女はすぐぶっ倒れてしまう。マサコは親身になって彼女を介抱し、その話に耳を傾ける。マサコは彼女の話を事細かにサチエとミドリに伝える。フィンランド語が分かるのと驚く二人に、マサコはもちろん分からないと平然と答える。実に面白いシーンだ。なんともシュールで滑稽なのだが、そこには悩んでいる人同士は言葉を越えて通じ合えるというメッセージが込められている。そうかも知れないとなんとなく納得してしまうのは映画の力なのだ。

 マサコがその後で言う次のせりふも面白い。「シャイだけどやさしくて、いつものーんびりリラックスして、それが私のフィンランド人のイメージでした。でもやっぱり悲しい人は悲しいんですね。」サチエはこう受ける。「どこにいたって、悲しい人は悲しいし、寂しい人は寂しいんじゃないんですか。でも、ずっと同じではいられないものですよね。人は皆変わっていくものですから。」フィンランドにだって傷ついた人はいる。しかし人にはそれを癒す力がある。

 他にも、何度も出てくる「ガッチャマンの歌を完璧に覚えている人に悪い人はいませんからね」というせりふも僕にとっては充分シュールなせりふだ。それに、もたいまさこの抑えた演技、これもそれ自体シュールだ。コーヒー豆にお湯を注ぐ前に指で真ん中に窪みを作り、「コピ・ルアック」とおまじないを唱えればおいしい珈琲ができるというのもシュールな響きがある。こういった要素が自然に映画の中に入り込めるのも、フィンランドという独特の空気があるからだろう。

 「かもめ食堂」を観終わった後はさわやかな気持ちになれる。そしておにぎりや生姜焼きが食べたくなるだろう。しかしただ軽いだけの映画ではない。この映画が問いかけているのは「人生にとって必用なものとは何か?何が人を生き生きとさせるのか?」というものだ。それでいて重くもならない。出来上がった作品は実に軽やかである。どろどろの人間関係など一切描かれない。誰も死なないし、誰も叫ばないし、劇的な事件も起こらない。にもかかわらず十分な手ごたえがある。実に稀有な作品である。この映画の成功には何といっても小林聡美、片桐はいり、もたいまさこという3人の女優が大きく貢献している。外国でロケしながら、少しも肩肘張っている風がない。3人の演技力が優れていることは言うまでもない。しかしそれ以上に、俳優にとってきわめて重要な条件、そこにいるだけであたりの空気を変えてしまうような存在感をそれぞれに持っていたからこそ、フィンランドという独特の雰囲気の中で自然に演じられたのだ。これは努力して身に付けられるものではないだろう。俳優としての資質にかかわるものだ。こんな素晴らしい女優たちが日本にいる。誇るべきことではないか。

 もちろん群ようこの原作も優れたものであったに違いない。このようなシチュエーションを考え出しただけでも並々ならぬ才能を感じさせる。監督の荻上直子についても一言触れておきたい。彼女の作品を観るのは「かもめ食堂」が初めて。1作目の「バーバー吉野」と2作目の「恋は五・七・五!」は何度か手に取ったことはあるが、借りるにはいたらなかった。観ていないので断言はできないが、「かもめ食堂」の完成度が一番高いと考えて間違いないだろう。群ようこの原作と3人の優れた女優との出会いが傑作を生んだのだ。他にない独特の持ち味を持った監督なので今後の活躍が楽しみである。

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2006年10月11日 (水)

アメリカ、家族のいる風景

2005年、ドイツ・アメリカ 2006年2月公開
原題:DON'T COME KNOCKING
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:サム・シェパード
原案:ヴィム・ヴェンダース、サム・シェパード
製作総指揮:ジェレミー・トーマス
製作:カーステン・ブリューニグ、イン・アー・リー、ペーター・シュヴァルツコフ
音楽:T・ボーン・バーネット
撮影:フランツ・ラスティグ
美術:ネイサン・アモンドソン
衣装:キャロライン・イースリン
出演:サム・シェパード、ジェシカ・ラング、サラ・ポーリー、ガブリエル・マン
    ティム・ロス、フェアルーザ・バーク、エヴァ・マリー・セイント
    トム・F・ファレル、ジェームズ・ギャモン、ロドーニ・A・グラント
    ジョージ・ケネディ、ティム・マティソン、ジュリア・スウィーニー

  アメリカは芯から病んでいる。そして今曲がり角に来ている。この間の一連のアメリカ映画を観てそう感じた。01年の9.11以後何かが変わった。

032561   ハリウッドは相変わらず大作を作り続けているが、新しいシナリオに事欠き、外国映画や過去のヒット作の焼き直し、あるいはシリーズもので急場しのぎをしている。今のアメリカにかつてのような勢いや明るさがないと見るや、「シービスケット」「シンデレラマン」「アビエイター」のような成功物語が成立しうる時代に題材を求めたり、「五線譜のラブレター」「RAY」「ビヨンドtheシー」などの伝記映画に活路を見出そうとしている。

  9.11直後は勇ましい映画も作られていたが、「宇宙戦争」では強大な敵の前になすすべもなく逃げ惑うアメリカ人の姿が描かれている。「ミュンヘン」や「ジャーヘッド」では戦う意義すら喪失している。もはや強いアメリカという標語は色あせ「サイドウェイ」や「アメリカ、家族のいる風景」などでは男は情けない哀れな姿をさらけ出している。アニメの世界ですらスーパー・ヒーローには生きにくい時代になってきた。「Mr.インクレディブル」ではかつてのヒーローたちが身を縮めるようにして暮らしている。未見だが「スパイダーマン」の2作目はピーターがおとなしく大学に通い、学費のためにバイトをしたり、悪党扱いされて悩んだりしている(どちらも最後には大活躍するが)。「ミリオンダラー・ベイビー」のヒロインは快進撃の途中で事故に会いチャンピオンになれなかった。

  アメリカは自信を失い進むべき方向を見出せずにいるようだ。犯罪、人種差別などの様々な差別問題、政治への不信、問題は山積しているが出口が見出せない。不信感が広がり、人間関係がきしみだす。家族が崩壊し帰るべき家とて見出せない。「ランド・オブ・プレンティ」「クラッシュ」「ラスト・マップ/真実を探して」「スティーヴィー」などを観ればアメリカの傷の深さが見て取れるだろう。この時代に「ノー・ディレクション・ホーム」というタイトルのボブ・ディランのドキュメンタリーが公開されたのは恐ろしいほどぴったりのタイミングだった。40年以上も前の歌が今のアメリカのわき腹にぐさりと突き刺さる。しかし、互いに不信感や敵意をぶつけ合いながらも、同時に何かを求めあってもいる。「クラッシュ」のようにぶつかり合いつつ人間的な触れ合いを求めている。自分の居場所を見出せずもがき続ける人々。

  かつてはアメリカはあこがれの国であった。今や「スパングリッシュ」「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」では移民の目から冷静に見つめられている。メキシコに養子を探しに行った「カーサ・エスペランサ」のアメリカ人女性たちは皆それぞれに自分たちの問題を抱えていた。

  一方、「華氏911」「ロード・オブ・ウォー」を観ればアメリカ政府がこれらの問題をよそに、相変わらず力の政策を無理やり続けていることが見えてくる。「ボウリング・フォー・コロンバイン」で描かれたように銃社会も当分変わりそうにない。銃を持つことは人に安心感を与えるどころか、逆に不信感をつのらせることは「クラッシュ」の「透明マント」のエピソードで描かれている。

  今年の後半に入って9.11を直接描いた映画がついに登場した。「ユナイテッド93」と「ワールド・トレード・センター」。どちらも未見だが、限定された状況をどのように描いたか気になる。現場の混乱や緊張感に焦点を絞ればサスペンスや臨場感は盛り上がるが、その分広い社会的視野がスクリーンの外に追いやられる。単なるサスペンス映画、アクション映画に終わっていなければいいが。

  「アメリカ、家族のいる風景」はサム・シェパードと再び組んだので「パリ、テキサス」としばしば比較されるが、むしろ以上のような文脈の中においてとらえられるべきだろう。前作「ランド・オブ・プレンティ」と対になっている作品で、ぶつかり合いながらも人間的つながりを求め続けるという意味では「クラッシュ」にもつながる作品である。

  主題やストーリーという点では確かに「パリ、テキサス」に近い。ただ、「アメリカ、家族のArtwildstrawberry01300w いる風景」では同じような孤独感が描かれていても、より今のアメリカを意識しているように感じる。主人公のハワード・スペンス(サム・シェパード)がB級西部劇の俳優という役柄に設定されているのが象徴的だ。ジョン・ウェイン的な強いアメリカのイメージにつながりつつも、今ではすっかり売れなくなっている落ち目の商売。演じるスペンス自身も放蕩の限りを尽くしてきたが、今や老境に入り自分の人生にむなしさを感じている。ついに仕事を放り出し突然失踪するという情けなさがむしろ強調されている。明らかに現在のアメリカそのものを象徴している。食堂の壁に貼ってある、昔自分が主演した映画のポスターをじっと見つめるハワードのさびしい背中が印象的だ。

  「アメリカ、家族のいる風景」には大都会が一度も出てこない。ハワードが出演している西部劇の撮影場所ユタ州モアブ、ハワードの母親が住むネバダ州エルコ、ドリーンの住むモンタナ州ビュート。どこも寂れて乾いたアメリカの小さな町や荒野だ。荒涼として活気のないアメリカ。「メルキアデス・エストラーダ」もそうだが、アメリカのどこを舞台にするかによってアメリカそのものの印象が変わってくる。ここに描かれる寂れた町のイメージは決して昔のアメリカのイメージではない。人は大都会にだけ住んでいるわけではない。大都会と大都会の間には、ヴェンダースの映画によく出てくる一面何もない平原にただ道だけがまっすぐ伸びているような場所もあり、途中ところどころ寂れた町が点在している。にぎやかな大都会の陰に隠れてあまり意識されないが、これもまたアメリカの現実である。「アメリカ、家族のいる風景」にしても、「メルキアデス・エストラーダ」にしても、あえてこういう場所を舞台に選んだのはハリウッドの大作に対するアンチテーゼでもある。大都会ばかりがアメリカではない、いや、こちらこそ本当のアメリカだとまで言いたげだ。

  映画は大きな二つの目から始まる。巨大な岩にぽっかり開いた二つの穴。その横を馬に乗った男が通ってゆく。次には巨大なアーチのような岩の下をくぐる。奇岩が点在する荒れた土地。西部劇の舞台によく使われた場所だ。主人公のハワード・スペンスは西部劇の撮影中に突然失踪する。映画の衣装のまま行方をくらましたハワードが逃げる途中で衣装を他人と取り替える場面がある。落ちぶれた西部劇俳優から私人へ。そのとたんかっこよさも脱ぎ捨ててしまう。西部劇の衣装を脱ぎ捨ててしまえば、そこにいるのは乾ききった人生にやりきれなさを感じているただの初老の男。映画俳優という虚飾に満ちた商売柄思いのままに楽しく適当に生きてきた人生。しわだらけの渋い顔とごつい体躯には人生の年輪が表れているが、性格的には大人になれない大きな子供。それまで送ってきた身勝手で荒廃した人生の見返りで心にぽっかり穴が開いている。冒頭の荒涼とした風景は彼の満たされない気持ちを映し出した心象風景なのか。

  イギリス映画のしょぼくれた主人公(例えば「人生は、時々晴れ」のティモシー・スポール)とは違い、情けないところは同じだがちゃっかりホテルで若い女を何人もベッドに連れ込んだりして「参ったな、またやってしまった」なんてぼやいているあたりはいかにもアメリカ的。イギリス映画の濡れ落ち葉親父は失業やアル中や家族の中の存在感の低さに悩むが、アメリカの黄昏親父は軽~く生きてきた人生の付けに悩む。逃げる途中ハワードは焚き火を前にして、「どうして死ななかったのか」と苦しい胸のうちを吐き出すが、その悩みの苦しさがさっぱり伝わってこない。何で、あるいは何から逃げているのか観客にはよく分からない。そう、この映画が前作の「ランド・オブ・プレンティ」と違うのはこの軽さとユーモアの味付けである。

  何もかも投げ捨てて逃げ出したハワードは、西部劇の派手派手衣装を脱ぎ捨てて丸裸のまま(もちろん比ゆ的な意味で)母親に会いに行く。30年ぶりにひょっこり帰ってきた放蕩息子を母親は何事もなかったかのようにあっさりと受け入れる。母親役はなんとエヴァ・マリー・セイント!最後にテレビで観たのは「アメリカ上陸作戦」(1966)あたりか。もう30年くらい前だ。かつての金髪ほっそり女優もすっかりばあさんだ。それはともかく、内心の動揺はあったろうに、あわてず騒がず、落ち着き払って息子を迎える姿はまさにすべてを守り包む母親のイメージそのもの。堂々たる存在感はさすがだ。

  その母親から彼に子供がいると伝えられる。20年ほど前にモンタナの女性から彼の子供を身ごもったと電話があったというのだ。仰天したハワードはすぐモンタナに向かう。なぜ彼が子供に会いに行ったのかははっきりしない。彼の悩みがはっきりしないのだからそれも当然だ。ともかく、そこから映画は彼の人生やり直しの旅に変わる。最初は逃避行であったものが、新たな人生を模索する旅に変わってゆく。初老にいたってふと人生のむなしさに気づいた男が故郷に帰り、そこからまたロードに立つ。ここでの旅は「人生の旅」を表していると考えるべきだろう。

  彼の旅は苦渋に満ちているがどこか滑稽でもある。滑稽さという点ではハワードを追うサター(ティム・ロス)がいい味を出している。真面目そうで、そうでもなさそうで、不思議な存在感を醸し出している。「ランド・オブ・プレンティ」のような、9.11後のアメリカの不安という大きな荷物を背負わせていないだけに語りは軽い。

  モンタナ州ビュートでハワードは昔一時的に付き合っていたドリーン(ジェシカ・ラング)と再会する。ドリーンとの間にできた息子アール(ガブリエル・マン)や、さらに母親の違う自Sdrain01_1 分の娘スカイ(サラ・ポーリー)ともそこで出会う。不器用なハワードはドリーンに昔のよりを戻そうなどと持ちかけてきっぱり拒否されたり(「あなたは今度は私の人生の中に隠れたいだけよ」というせりふが強烈)、息子のアールにはいまさら父親面して出てくるなと激しく拒絶されたり(「ハワード・スペンス?歯医者みたいだ」というせりふには笑った)と散々な目にあう。すっかり落ち込み、怒り狂ったアールが自分の部屋から表の通りに放り投げた家具の山にあったソファに力なく倒れこみ泣き出す。ハワードは立ち上がることも出来ず、そのまま翌日までソファにへたりこんでいる。キャメラはゆっくりと回転しながらこの孤独感と後悔にさいなまれる男をひたすらなめるように映し出す。この映画の中で最も印象的な場面だ。

  ハワードの窮状を救ったのは娘のスカイだった(アールの腹違いの姉に当たる)。スカイは「ランド・オブ・プレンティ」のラナ(ミシェル・ウィリアムズ)に近い役割を果たしている。癒しの力を持った女性。似たようなタイプの女性を二つの映画で用いているところに何らかのヴェンダースの価値観が表れているかも知れない。そういえば、ハワードの母親、ドリーン、スカイ、アールの恋人アンバー(フェアルーザ・バーク)と、この映画の中でしっかりしているのは女性ばかりだ。

  しかしその女性たちも心の奥に寂しさを隠し持っている。この映画に登場するのはいずれも満たされない心の隙間を持った人物ばかりだ。もはや単純な力強いヒーローにはリアリティがない。ヴェンダースは代わりに迷えるカウボーイ、等身大のアメリカの家族を描く。ハワードにとって人生をやり直すにはもはや遅すぎた。しかしスカイが彼と息子の間に入り込むことによって、最後に彼と子供たちの心はようやく通じ合うことができた。

  「ランド・オブ・プレンティ」では自信を失い不安を感じながら生きているアメリカ人たちを描いた。一方「アメリカ、家族のいる風景」のテーマは家族の再生である。二つの作品を並べてみれば、アメリカ人が立ち直るには、まずばらばらになってしまった家族の絆を取り戻すことから始めなければならないというメッセージが読み取れる。ヴェンダースとシェパードは3年かけて「アメリカ、家族のいる風景」の脚本を練り上げたということだ。だとすると9.11後に脚本を練り始めたことになる。彼らにこの脚本を書かせたのは9.11後のアメリカの現状とそれを憂う彼らの気持だったに違いない。ヴェンダースはこの作品の完成後8年間住んだアメリカを離れた。彼はこう語っている。「アメリカをめぐって様々な問題がある。けれどもこの国はいまだとても美しい国なのだということを見て欲しかった。」

   「アメリカ、家族のいる風景」が「ランド・オブ・プレンティ」と違って喜劇的な明るさを持っているのはこのためだろう。結局ハワードはサターに見つかり撮影現場に連れ戻されるが、去り際にかすかな希望が描きこまれている。しかし、「アメリカ、家族のいる風景」の感動はそれほど深くない。あまりにあっさりと「家族」の心が通じ合いすぎるという印象が拭い去れないのだ。それはこの作品に喜劇的な要素があるからではない。「ライフ・イズ・ミラクル」は「アメリカ、家族のいる風景」より遥かにコミカルな作品だが、ボスニア問題を深刻に描いた他の作品に劣らぬほど重く現実が描きこまれており、かつ深い感動があった(もちろん「ライフ・イズ・ミラクル」は稀有な例ではあるが)。そうではなく、恐らくハワードの悩みがどこか空疎なのだ。だから彼の葛藤が充分に描かれないのであり、ソファに倒れこむシーンのような象徴的な描写に頼らざるを得ないのだ。家族の絆再生の触媒としてスカイのようなやや非現実的な人物を必要とするのも同じ理由からだ。「美しい」アメリカを描く前にもっと膿を出しておくべきだった。

2006年10月 9日 (月)

蒼い時と黒い雲

Bicycle2_1  中国から帰ってきてからものすごく忙しかった。映画を観る時間がなかなか取れない。それでも何とか中国にいっている間更新ができなかった埋め合わせをしようと、何とか2本観てレビューも書いた。しかし頑張れば頑張るほどゆとりがなくなる。土曜日も夕方まで仕事だったので、この連休でやっと一息つけた。午前中庭の手入れをした。近くの田んぼに出て山を眺める。気持ちがいい。午前中こんなにゆっくり過ごしたのは久々だ。ブログを眺めながらCDを聞く。これまた久しぶり。買っても聞いていないCDがたまる一方。

 午後、「湯楽里館」に行く。上田市の隣の東御市にある日帰り温泉施設で「ゆらりかん」と読む。風呂に入る時はいつもメガネをはずすのだが、外の景色が眺めたくて今日はかけたまま入る。上田の近くにはたくさん温泉があるが、やはりここが一番いい。何といっても露天風呂からの眺めが格別だ。丘の斜面にあるので湯船の横に立つと町を見下ろせる。遠くの山もきれいだ。夜は夜景がまた美しい。メガネをかけていってよかった。しかし風が冷たくて長く外に立っていられない。ぬるいお湯にゆったりと浸かり雲を眺める。やっぱり休みはいい。のんびり出来ることはそれ自体幸せなことなのだ。休みになって改めてそう思う。風呂上がりにアイスクリームを食べてから外に出ると、もう薄暗くなっていた。隣に地ビール「ORAHO」を飲ませるレストランがあるのだが、今日は一人なので諦める。

 帰り道浅間サンラインを通ると夕暮れの空が幻想的で美しかった。夕暮れ時に小諸方面からサンラインや18号を通って上田に帰る時には時々このような空を観ることができる。もともと雲を眺めるのは好きだが、夕焼け空や飛行機の上から眺める雲海と並んで好きなのは、日が沈む前後の「蒼い空」。「蒼い時」という表現があるが、夕暮れや明け方の「蒼い時」には世界が違って見える。一日で一番好きな時間帯だ。今日見た夕暮れ時の神秘的な空はぞっとするほど美しかった。地平線の近くは夕焼けの名残で薄いオレンジ色。上空のほうは光が薄れた薄暗い「蒼い」空。大きな雲や小さな雲が空のあちこちに筆で書いた水墨画のように黒い影を作っている。こんなにゆっくり夕空を眺めたのはいつ以来だろう。一日のうちのほんの短い時間しか見られない。あくせくしているとつい見逃してしまう。車を止めてずっと眺めていたいくらいだ。いやむしろ、太陽を地平線ぎりぎりに沈んだところで2時間くらい止めて、流れる雲が大空のスクリーンの上に次々と作り出してゆく神秘的な光と影のショーをずっと眺めていたいと思う。広い原っぱに出て、イスの背を倒して斜めに空を見上げる。目に見える範囲すべてがスクリーンだ。映画のスクリーンなんて比じゃない。山の端と空全体がスクリーンになった壮大なスケールの天体ショー。しかも入場無料。片手にポップコーンの袋を持って、おっと危ない。車の運転をしながらではじっくりと眺めていられないのが残念。いや、考えようによっては、これが本当のドライブイン・シアターかもしれない。

 家に帰って食事。しばらくゆっくりしてから「かもめ食堂」を観る。いい!これはいい。今年公開の日本映画を観るのは「嫌われ松子」以来3ヶ月半ぶり。相変わらずコメディ調の映画で、最近の日本映画でいいと思うもののほとんどはコメディの要素が強い。しかし「かもめ食堂」におちゃらけたところはまったくない。癖のある女優を3人そろえているが、彼女たちを見る視線は温かくまっすぐだ。フィンランドで開店した日本食堂が舞台。しかし、外国で生活しているのにどこにも肩を張っている風がないのがいい。3人ともよく個性が描き分けられている。中でも小林聡美が実に魅力的だ。彼女の明るさがそのままかもめ食堂の魅力になっている。そんな描き方がまたいい。「かもめ食堂」の前に観た「アメリカ、家族のいる風景」、まだ観ていないがもう1本借りてきた「Vフォー・ヴェンデッタ」と共に近々レビューを書きます。

2006年10月 7日 (土)

ゴブリンのこれがおすすめ 29

ほのぼの・のんびり・ユーモアドラマ

■おすすめの80本
「モリのいる場所」(2017)沖田修一監督
「ラスト・ムービースター」(2017)アダム・リフキン監督、アメリカ
「お父さんと伊藤さん」(2016)タナダユキ監督
「しゃぼん玉」(2016)東伸児監督
「リトル・フォレスト 夏・秋」(2014)森淳一監督
「リトル・フォレスト 冬・春」(2014)森淳一監督
「横道世之介」(2012)沖田修一監督
「大鹿村騒動記」(2011)坂本順治監督
「阪急電車 片道15分の奇跡」(2011)三宅喜重監督
「ホノカアボーイ」(2008)真田敦監督、日本
「トイレット」(2010)荻上直子監督
「マザーウォーター」(2010)松本花奈監督
「インスタント沼」(2009)三木聡監督
「めがね」(2007)荻上直子監督
「赤い鯨と白い蛇」(2005)せんぼんよしこ監督
「ALWAYS三丁目の夕日」(2005)山崎貴監督
「かもめ食堂」(2005) 荻上直子監督
「天空の草原のナンサ」(2005) ビャンバスレン・ダバー監督
「ライフ・アクアティック」(2005)  ウェス・アンダーソン監督
「犬猫」(2004) 井口奈己監督
「運命じゃない人」(2004) 内田けんじ監督
「サイドウェイ」(2004) アレクサンダー・ペイン監督
「村の写真集」(2004) 三原光尋監督
「ライフ・イズ・ミラクル」(2004) エミール・クストリッツァ監督
「大いなる休暇」(2003) ジャン・フランソワ・プリオ監督
「カレンダー・ガールズ」(2003) ナイジェル・コール監督
「キッチン・ストーリー」(2003) ベント・ハーメル監督
「茶の味」(2003) 石井克人監督
「阿弥陀堂だより」(2002) 小泉堯史監督
「過去のない男」(2002) アキ・カウリスマキ監督
「月曜日に乾杯!」(2002) オタール・イオセリアーニ監督
「至福のとき」(2002) チャン・イーモウ監督
「ベルヴィル・ランデブー」(2002) シルヴァン・ショメ監督 
「僕のスウィング」(2002) トニー・ガトリフ監督
「ホテル・ハイビスカス」(2002) 中江裕司監督
「わが家の犬は世界一」(2002) ルー・シュエチャン監督
「アメリ」(2001) ジャン・ピエール・ジュネ監督
「ウォーターボーイズ」(2001) 矢口史靖監督
「思い出の夏」(2001) リー・チーシアン監督
「ポーリーヌ」(2001) リーフェン・デブローワー監督
「マーサの幸せレシピ」(2001) サンドラ・ネットルベック監督
「あの子を探して」(2000)  チャン・イーモウ監督
「初恋のきた道」(2000)  チャン・イーモウ監督
「ザ・カップ 夢のアンテナ」(1999) ケンツェ・ノルブ監督
「こころの湯」(1999) チャン・ヤン監督
「ストレイト・ストーリー」(1999) デビッド・リンチ監督
「ナビィの恋」(1999) 中江裕司監督
「山の郵便配達」(1999)  フォ・ジェンチイ監督
「ウェイクアップ!ネッド」(1998) カーク・ジョーンズ監督
「キリクと魔女」(1998) ミッシェル・オスロ監督
「黒猫・白猫」(1998) エミール・クストリッツァ監督
「ウェールズの山」(1996) クリストファー・マンガー監督
「絵の中のぼくの村」(1996) 東陽一監督
「熱帯魚」(1995) チェン・ユーシュン監督
「フォレスト・ガンプ 一期一会」(1994)  ロバート・ゼメキス監督
「パリ空港の人々」(1993) フィリップ・リオレ監督
「しこふんじゃった」(1992) 周防正行監督
「大誘拐」(1991) 岡本喜八監督
「ザ・コミットメンツ」(1991) アラン・パーカー監督
「少年時代」(1990) 篠田正浩監督
「マルセルの夏」(1990) イブ・ロベール監督
「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989) ジュゼッペ・トルナトーレ監督
「となりのトトロ」(1988)  宮崎駿監督
「子供たちの王様」(1987)  チェン・カイコー監督
「友だちのうちはどこ?」(1987) アッバス・キアロスタミ監督
「フランスの思い出」(1987) ジャン・ルー・ユベール監督
「コクーン」(1985) ロン・ハワード監督
「スイート・スイート・ビレッジ」(1985) イジー・メンツェル監督
「タンポポ」(1985) 伊丹十三監督
「バウンティフルへの旅」(1985) ピーター・マスターソン監督
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985) ラッセ・ハルストレム監督
「冬冬の夏休み」(1984) ホウ・シャオシェン監督
「標識のない河の流れ」(1983)  ウー・ティエンミン監督
「川の流れに草は青々」(1982)  ホウ・シャオシェン監督
「歌っているのはだれ?」(1980) スロボダン・シャン監督
「森浦への道」(1975)  イ・マニ監督
「チェブラーシカ」(1969-74) ロマン・カチャーノフ監督
「ルカじいさんと苗木」(1973) レゾ・チヘイーゼ監督
「ピロスマニ」(1969) ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督
「わんぱく戦争」(1961) イブ・ロベール監督
「貸間あり」(1959)  川島雄三監督
「駅前旅館」(1958) 豊田四郎監督
「僕の伯父さん」(1958) ジャック・タチ監督
「屋根」(1957) ヴィットリオ・デ・シーカ監督
「喜びも悲しみも幾年月」(1957)  木下恵介監督
「警察日記」(1955) 久松静児監督
「夫婦善哉」(1955) 豊田四郎監督
「お茶漬けの味」(1952) 小津安二郎監督 Pmhusuy43
「静かなる男」(1952)  ジョン・フォード監督
「僕の伯父さんの休暇」(1952)  ジャック・タチ監督
「本日休診」(1952) 渋谷実監督
「花嫁の父」(1950) ヴィンセント・ミネリ監督
「長屋紳士録」(1946) 小津安二郎監督
「浮草物語」(1935)  小津安二郎監督
「隣の八重ちゃん」(1934) 島津保次郎監督
「出来こころ」(1933)  小津安二郎監督
「生まれてはみたけれど」(1932)  小津安二郎監督
「マダムと女房」(1931) 五所平之助監督
「落第はしたけれど」(1930)  小津安二郎監督

■こちらも要チェック
「ウィスキー」(2004)フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール監督

■追加
「砂漠でサーモン・フィッシング」(2011) ラッセ・ハルストレム監督、英
「WIN WIN ダメ男とダメ少年の最高の日々」(2011) トム・マッカーシー監督、米
「星の旅人たち」(2010) エミリオ・エステヴェス監督、アメリカ・スペイン
「マザーウォーター」(2010)松本花奈監督、日本
「トイレット」(2010) 荻上直子監督、日本
「人生万歳!」(2009) ウディ・アレン監督、アメリカ
「オーケストラ!」(2009) ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス
「ホルテンさんのはじめての冒険」(2007)ベント・ハーメル監督、ノルウェー
「迷子の警察音楽隊」(2007) エラン・コリリン監督
「ここに幸あり」(2006) オタール・イオセリアーニ監督、仏・伊・露
「マルタのやさしい刺繍」(2006) ベティナ・オベルリ監督、スイス
「リトル・ミス・サンシャイン」(2006) ジョナサン・デイトン・他監督
「キンキー・ブーツ」(2005) ジュリアン・ジャロルド監督
「サン・ジャックへの道」(2005) コリーヌ・セロー監督
「シャンプー台のむこうに」(2001) パディ・ブレスナック監督
「謎の要人悠々逃亡!」(1960) ケン・アナキン監督、イギリス

2006年10月 6日 (金)

ノー・ディレクション・ホーム

2005年 アメリカ 2005年12月23日公開
評価:★★★★★
原題:BOB DYLAN NO DIRECTION HOME
監督:マーティン・スコセッシ
製作:グレイ・ウォーター・パーク・プロダクションズ、スピットファイアー・ピクチャーズ
        サーティーン-WNET、アメリカン・マスターズ
編集:デビッド・テデスキ
出演:ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、アレン・ギンズバーグ、アル・クーパー
        デイブ・ヴァン・ロンク、ウディ・ガスリー、メイヴィス・ステイプルズ
   ピート・シーガー、マリア・マルダー、スーズ・ロトロ、ピーター・ヤーロウ
   ボブ・ニューワース

  ミュージシャンを描いたドキュメンタリーのレビューをこれまで書いたことはない。音楽が好きであるにもかかわらずCDなどの感想をあまり書かないのは、ストーリーのある映画と違って感覚的な要素の強い音楽を表現する言葉を僕が持っていないからである。また、音楽に関して僕は純粋なリスナーであり、楽器も弾けないし、専門的な音楽の知識を持っていないという事情もある。

  したがって、初期ボブ・ディランのドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」は、僕にTakigawa とって扱いにくい題材である。それでもあえてレビューを書こうと思ったのは、「ノー・ディレクション・ホーム」が非常に優れたドキュメンタリーだと感じたからだ。ほとんど写真でしか観たことのなかった若き日のディランの顔(表情)の美しさ、演奏される曲の素晴らしさに強く惹かれた。3時間半にも及ぶ長編ドキュメンタリーだが、ぐいぐいと画面に引き付けられ最後まで一気に観てしまった。

  僕がディランを聞き出したのはかなり後になってからだ。恐らく80年代のはじめごろだろう。最初に買ったディランのアルバムが何かは覚えていないが、現在持っているディランのレコードとCDは20枚を越える。では、かなりのディラン・ファンなのかというと、別にそういうわけではない。評論家がディランのものは何でもほめるので、一応買っておいたらいつの間にかたまってしまったというだけのことである。

  ディランのアルバムでは比較的初期のものが好きだ。フォーク時代はどれも悪くない。ロック転向直後のものもいい。『時代は変わる』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『ハード・レイン』あたりがマイ・ベスト5である。70年代まではいくつかいいと思うのがあるが、80年代以降はほとんど魅力を感じない。最近はただもごもごと歌っているだけでちっとも面白くない。僕にとってのディランはほとんど60年代で終わっている。最も優れていると思う曲を2曲挙げればアルバム『追憶のハイウェイ61』に収められている「ライク・ア・ローリング・ストーン」と「廃墟の街」。この2曲は本当に別格で、文字通りの名曲だと思う。時々無性に聞きたくなる。

  恐らく「ノー・ディレクション・ホーム」に引き込まれたのはその一番好きな時代に焦点を当てているからだろう。この時代の楽曲にはかなり引き込まれる。歌に力を感じる。僕自身が高校生のころ(70年代初期)はフォークソングが好きでよく聴いていた。様々なジャンルを聞くようになった今でもフォークは好きなジャンルの1つである。90年代以降で言えばジュリー・マス、キャロル・ロール、ナンシー・グリフィス、ベス・オートン、メアリー・チェイピン・カーペンター、メアリー・ルー・ロードあたりがお気に入り(なんてこったい、全部女性だ!?)。フォークの伝統が絶えていないのはうれしい。今でもPPMを聞くと古里に帰ってきたような心地よさを思える。

  また60年代という社会が大きく揺れ動いていた時代が背景にあることも魅力を感じる重要な要素だ。音楽が今よりもずっと社会にコミットしていた時代だ。ディランが歌っていたのもトピカル・ソングやプロテストソングと呼ばれるものである。ただ恋愛を歌う歌もいいが、僕はそういう歌も好きだ。もちろんディランはプロテスト・ソングを歌いながらも、政治の中に巻き込まれまいとする姿勢をはっきり示している。僕としてはウディ・ガスリーやピート・シーガーのような社会とのかかわりの持ち方に共感するが、微妙な立ち位置を選んだディランの姿勢も理解できる。自分が歌いたい歌を歌っているだけで、他人に利用されたくない。そういう気持ちがあったのだろう。歌手に出来ることは結局歌うことだけなのだ。

  いずれにせよ、当時の世相を映し出す映像をたっぷり盛り込んで、それらと平行してTuki_gura_250_04_2ディランの生き方を描くという構成にしたことが成功している。「ノー・ディレクション・ホーム」はデビューから66年までのボブ・ディランの音楽と人間像を本人や関係者からのインタビューと当時の貴重な映像で再現しようと試みたドキュメンタリーであると同時に、ディランを含む当時の多くのアーティストたちが音楽という角度から社会にコミットしようとしていた類まれな時代を映し出したアメリカ現代史の貴重な記録でもある。特に貴重だと思ったのはワシントン大行進のとき舞台で歌っていたディランの映像である。彼も出演していたとは知らなかった。その時のキング牧師の演説はあまりにも有名で何度も聞いたことがあるが、映像はほとんど観たことがない。ピーター・ポール&マリーのDVD「キャリー・イット・オン ~PPMの軌跡」にその時の舞台で歌った「風に吹かれて」の映像が入っているのを観て仰天した覚えがある。ワシントン大行進の記録映像は20世紀の記録の中でもトップクラスに入るほど重要なものだ。恐らく当時のニュース映像などかなりの記録映像が残っているはずである。是非DVDにまとめて出してほしいものだ。

  記録映像としての価値はディランを取り巻く多彩な人物の貴重な映像にも表れている。出てくる人たちがすごい。大木のような体躯から野太い声を発するオデッタ、まだ10代のころのものすごくかわいい映像と丸々としたオバちゃんになった映像の両方が観られるマリア・マルダー、同じようにすっかりオバちゃんになったメイヴィス・ステイプルズ、彼女たち
の動く映像は初めて観た。酒を飲んでいる姿がほんの一瞬映し出された黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの映像も貴重だ。極めつけはビート詩人のアレン・ギンズバーグ。銀髪の老人になって登場した。正直言って、この人まだ生きてたのかと仰天した(失礼)。後に名盤『スーパー・セッション』を残したアル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの貴重な映像。銀髪ですっかり落ち着いた感じになった現在のインタビュー映像と若いころの透き通った声で歌っていたころの映像の両方が楽しめたジョーン・バエズ。特に若い時の映像はたっぷり映し出されていて、その声と姿の美しさに見とれてしまった。ピーター・ポール&マリーのDVD「キャリー・イット・オン ~PPMの軌跡」に収められたマリー・トラヴァースの若いころの映像に匹敵する美しさだった。

  映像ばかりではない。メモを取るに値する発言があちこちにちりばめられていた。とても全部は書ききれないので、2つだけ書いておこう。まずはメイヴィス・ステイプルズ。

  ″人と呼ばれるのにどれだけの道を歩まねばならないのか。(「風に吹かれて」の歌詞)″なぜこれが書けるの?私の父の経験そのものよ。人間扱いされなかった父のね。ボブは白人だっていうのにどうしてこんな詩が書けるのか不思議だった。きっと霊感を得てたのね。だから人の心に直接響いてくるのよ。ゴスペルと同じ。彼は真実を歌にする。

  次はアレン・ギンズバーグ。

  チベットの僧のことわざにある、「自分を越える弟子がいない者は師ではない。」私は彼の言葉に圧倒された。特に「歌う前に自分の歌の意味を知る」、「山にこだまさせ皆に伝えたい」といった言葉。聖書の預言のようだ。詩とは力ある言葉、人の髪も逆立たせる。主観的真実の表現であるが、他の人が客観性を与えた時にそれは初めて詩と呼ばれる。

  なにしろ400時間を越えるアーカイブ映像から選び抜いたというのだからほとんど無駄な映像はない。映画として考えれば3時間半は超大作並だが、DVDはさらに映像を増やし、演奏も最後まで入れて、1本2時間×3巻くらいあってもいいと思った。3夜連続のテレビの特集だと考えれば決して長くない。

  それはともかく3時間半でも当時の雰囲気がよく伝わってくる。特に、当時多くのアーティストや若者が集まっていたグリニッジ・ヴィレッジの雰囲気が映像で見られたのは貴重だった。様々な才能を持った人々が様々なパフォーマンスを繰り広げていた。実に独特の雰囲気だった。そこから多くの才能が発掘された。ボブ・ディランもまたそこで大先輩たちから様々なことを学んでいた。ジョニー・キャッシュやリアム・クランシーのパフォーマンスから多くを学んだ。ほぼ同じ世代のジョーン・バエズにも圧倒され、パートナーになる予感がしたと率直に語っている。

  音楽だけではない。ジェームス・ディーンやマーロン・ブランドの映画からも影響を受けたと語っている。50年代はアメリカが空前の繁栄を享受していた時代だった。ウィリアム・ホールデン主演「ピクニック」(1955)を観れば当時の浮かれた雰囲気が分かるだろう。そこに登場した二人の反逆児。「理由なき反抗」で無軌道な行為に突っ走っていたジェームズ・ディーン、「乱暴者」、「波止場」でふてぶてしい面構えを見せたマーロン・ブランド。彼らは当時の反逆者の象徴だった。この二人の影響とグリニッジ・ヴィレッジでの経験から反逆児ボブ・ディランが生まれたのである。

  グリニッジ・ヴィレッジでの経験を通じてディランは別人のように成長した。本人も「悪魔と取引きして、一夜にして変わったんだ」と語っている。ブルース・ギタリストであるロバート・ジョンソンの有名な伝説の引用である(彼はある時四つ角で悪魔に出会い、魂を売るのと引き換えにギター・テクニックを手に入れた、さらに元をたどればゲーテも取り上げた「ファウスト」伝説に行き着くだろう)。

  ディランの記録映像には他にD・ A・ペネベイカー監督の「ボブ・ディランDONT LOOK BACK 1965 LONDON」もあるが、これはもっとディラン個人とそのパフォーマンスに焦点をArtkazamidori01250wd 当てているようだ。だから観たいとは思わない。ディランを、特に60年代のディランを理解しようとすれば、「ノー・ディレクション・ホーム」の様により広い社会的視野から彼を捉えなければならないと思うからだ。ディランを理解しようとするならウディ・ガスリーとの関係は切り離せない。ディランはガスリーに会いに行っている。抜け殻のようになっていたその姿にショックを受けたようだ。初期のディランのしゃがれ声とぶっきらぼうな歌い方には明らかにウディ・ガスリーの影響が見て取れる。ガスリーの自伝にはケルアック(『路上』の作者)以上に親近感を覚えたと語っている。

  ディランはガスリーからその自由な生き方と、常に自分と歌を社会と民衆の中におく姿勢を学んだのだろう。ギンズバーグが絶賛しているように、ディランの詩人としての才能はガスリー以上だった。ロックに転向した時、ファンは彼を「裏切り者」、「ユダ」とののしったが、僕から観れば「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「廃墟の街」はガスリーの延長線上にある気がする。ウディ・ガスリーの影響が明瞭な初期の「時代は変わる」も名曲だと思うが、「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「廃墟の街」にはより優れた詩人に成長したディランがいる。本人の言葉によれば、泊まった人の家に詩集があると手当たり次第に読んだそうである。彼は単なるミュージシャンであるばかりではなく詩人だったのだ。僕が大学院生だったとき、大学の学会で「廃墟の街」を詩としてとらえた研究発表を聞いたことがある。ジョーン・バエズが面白い体験を語っていた。当時売れっ子の彼女がディランを連れて高級ホテルに泊まろうとした時、ディランの格好があまりに汚いので最初断られた。何とかねじ込んで泊まれるようにしたが、その苦い体験を元にディランがホテルで一気に書き上げたのが有名な「ホエン・ザ・シップ・カムズ・イン」だった。

  フォークからロックへ移っていったのはディランにとって恐らく自然なことだったのだろう。しかしそれを理解しないファンからの野次にはかなり心を悩ましていたようだ。インタビューもひどい。実にばかげた質問を執拗に繰り返している。観ていて腹が立った。結局彼らは自分たちの理解の範囲でしかディランを「理解」していなかったのだ。バイクの絵柄のシャツにこだわっていたファンはディランではなく自分を語っていたのである。ディランを理解しなかった当時のマスコミも同じだったのである。僕は決して彼のファンではないが(というより僕は個人崇拝がきらいなので誰のファンにもならない、映画であれ音楽であれ僕にとって重要なのは個人ではなく「作品」である)野次が飛び交う中で自分が歌いたい歌を歌いきったディランの姿には感動すら覚えた。

  「ノー・ディレクション・ホーム」の最後のほうは苦悩するディランを映し出している。この苦悩を突き抜けてディランはさらに大きく成長したのだろう。このドキュメンタリーが成功したのはディランを決して美化しなかったことだ。賛美するのではなく客観的に彼を描こうとした。その点を評価したい。最後にマーティン・スコセッシ監督のインタビューから引用して終わろう。

  この映画を見る若い人たちにとって興味深いのは、あるアーティストの成長と、彼のしてきた選択の数々が見られるところだと思う。彼が選んできたのは、自分自身であること、そしてもう少し成長した後では、自分自身からより多くをひきだせるかどうか、挑戦し続けることだった。

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2006年10月 4日 (水)

長野県上田市で「スティーヴィー」の無料上映会を開きます

 これまで何度も書いてきましたが、地方都市では観たい映画があってもなかなか観られないのが現状です。映画館の数が少ないからです。上映されるのは日本映画とアメリカの娯楽大作がほとんど。地方都市とはいえ、熱心な映画愛好者はどの都市にもいるはずです。僕もその一人です。地方の小さな都市ではDVDのレンタル開始あるいは発売まで待たなければ観たい映画が観られません。

 そういった「映画文化不毛の地」ではしばしば有志による自主上映会が開かれることがあります。上田でも過去に何度か自主上映会がありました。その自主上映もここしばらく途絶えていたのですが、今回話題のドキュメンタリー映画「スティーヴィー」の無料上映会が開かれることになりました。

 少人数で毎月開いている「映画の会」(僕も含めて現在6名)のメンバー小林さんが立ち上げた企画です。僕も上映会スタッフの一員として協力しています。日時、場所、チケット(整理券)の入手方法(無料ですが整理券が必要です)など、詳しいことは下記をご覧になってください。今回の上映会、および映画「スティーヴィー」については「映画『スティーヴィー』について語ろう」というブログに詳しい情報が載っていますので、関心のある方はそちらのブログも参照してください。サイドバーの「お気に入りブログ」に載せてあります。

 現在のところ順調にチケットがはけています。県外からのチケット希望も何件か寄せられています。定員がありますので、チケットを入手したい方は早めにお申し込みください。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

【「スティーヴィー」上映会の案内】

日時: 2006年10月21日(土) 午後2時開演 (午後1時半会場)
場所: 長野大学リブロホール (定員320名 入場にはチケットが必要です)

≪チケット情報≫
配付期間: 2006年9月8日(金)~ (なくなり次第終了)
配付場所: 以下の場所で各100枚程度。

長野大学 地域連携センター
  〒386‐1298 上田市下之郷658-1 Tel:0268-39-0007
松尾町 真田坂キネマギャラリー幻灯舎
  〒386-0012 上田市中央1-3-1 Tel:0268-21-7280
長野大学 小林一博研究室
  〒386‐1298 上田市下之郷658-1 Tel:0268-39-0001(代表)

※ 遠方の方でチケットの郵送をご希望の方は「チケット希望」と朱書した封書に住所・氏名を書いた封筒と返信用の切手を入れて、希望枚数を明記のうえ、長野大学 小林一博研究室宛にお申し込みください。1回の申し込みにつきチケットは2枚までお送りできます。申し込みはお早めに。

2006年10月 2日 (月)

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

2006年 アメリカ・フランス  06年3月11日公開Fuukei1a
原題:THE THREE BURIALS OF MELQUIADES ESTRADA
製作:マイケル・フィッツジェラルド、トミー・リー・ジョーンズ
監督:トミー・リー・ジョーンズ
脚本:ギジェルモ・アリアガ
撮影:クリス・メンゲス
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、ドワイト・ヨーカム
    ジャニュアリー・ジョーンズ、アシュトン・ホームズ、ハイディ・ヘイズ
    メリッサ・レオ、フリオ・セサール・セディージョ、ヴァネッサ・バウジェ
    レヴォン・ヘルム

  今年のアメリカ映画は違う。「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(長いので以後は「メルキアデスの埋葬」と省略する)も期待を裏切らない力作だった。変わったタイトルが目を引くが、この映画から連想される映画がいくつもある。何度も埋められては掘り返されるという点ではヒッチコックの「ハリーの災難」をすぐ連想した(もっともハリーの場合は3度なんてものではないが)。もちろんコメディである「ハリーの災難」に比べると「メルキアデスの埋葬」は遥かに重い映画だ。単に掘り返すのではなく、死者をその故郷に運ぶ旅につながるからである。その意味では、むしろ同じアパートに住んでいたユダヤ系の老婦人の遺灰を彼女の生前の望み通りイスラエルの地で撒いてやろうと奔走する青年を描いたフランス映画「C階段」(1985)や、祖父の遺灰を息子と孫がメキシコ国境近くまで運んでいって撒くまでを描いた「ラスト・マップ/真実を探して」(2004)に近い主題を持っている。さらには、トルコ映画の名作「遥かなるクルディスタン」(1999)ではトルコ人の主人公が、迫害されて死んだクルド人の友人の棺を持って彼の故郷に向かう。死んだ友人が差別される人間だったこと、遺灰ではなく死体を運んでゆくこと、故郷が近づくにつれて荒涼とした風景になって行くこと、故郷に至るラストで衝撃的な事実を知る点など、共通点は非常に多い。また、それまでほとんどまともに描かれることのなかったメキシコ人を正当に描いたという点では「スパングリッシュ」(2006)に通じるものがあり、国境の向こう側もこちら側も決して「約束の地」ではなかったことを描いたという点では名作「エル・ノルテ 約束の地」(1993)にも通じる(国境の越え方は逆方向だが)。

  「メルキアデスの埋葬」の展開は途中からガラッと変わる。最初の3分の1くらいまでは時間軸をずらし、メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)の死体発見後の展開、メルキアデスが誤って射殺されるまでの展開、彼を誤射した国境警備員のマイク・ノートン(バリー・ペッパー)と妻ルー・アン(ジャニュアリー・ジョーンズ)がシンシナティから舞台となったメキシコ国境に近いテキサス州バンホーンに引越して来るエピソードが、何度か時間を撒き戻しながら交錯するように描かれている。後半はメルキアデスのカウボーイ仲間ピート・パーキンス(トミー・リー・ジョーンズ)がマイクを無理やり連れ出して、メルキアデスの遺体を彼の故郷に埋葬する旅に出る直線的展開に変わる。ここから映画はロード・ムービーになる。

  一風変わった展開には脚本を担当したギジェルモ・アリアガの個性が強くにじみ出ている。「アモーレス・ペロス」や「21グラム」の脚本家だ。時間軸をずらす手法は彼の得意とするところである(同じ場面を別の角度から撮って真相を見せてゆくという手法をより徹底して全編にわたって駆使したのが内田けんじ監督の「運命じゃない人」)。

  「アモーレス・ペロス」や「21グラム」は皮肉な運命に翻弄される個人のドロドロした絡まりあいを描いた。個人的人間関係に限定したために、インパクトは強いが深みに欠けるきらいがあった。その点「メルキアデスの埋葬」はより広い社会的テーマを扱っている。そのテーマとはアメリカとメキシコの関係であり、その関係のシンボルとなるのが国境である。狭い人間関係に焦点を絞っていた前2作は空間的にも狭かったが、二つの国にかかわる「メルキアデスの埋葬」は空間的にも広がりがあり、そこで「旅」のテーマが導入される。この「旅」は単なる移動ではない。飛行機でひとっ飛びしたのでは得られないものを、彼らは国境を越え山を越えて、地上をゆっくりと進む旅で得たのである。後半がロードムービーになる所以である。したがって、全体としてみれば後半に重点があり、前半はむしろ状況設定の部分である(だから退屈にならないように時間を交錯させて変化をもたせる必要があったのだ)。

  監督と主演を務めたトミー・リー・ジョーンズは公式サイトに収録されたインタビューで、「私はずっとテキサスとメキシコのボーダーをテーマにした映画を撮りたいと思っていたんだ。私が生まれて育った場所の物語を描きたかった」と語っている。さらに、「国境」についても次のように述べている。

  この映画は同じ土地に生き、同じような文化を共有していながら、そこに国境が横たわっているという、我々の現実の姿を描いている。でも実際にテキサスとメキシコの間に立ってみれば、どこが国境かなんてわからないだろう。まったく同じ風景が続くだけなんだから。つまりボーダーなんてものは、ないということを描いてもいる。

  国境近くはアメリカ領もメキシコ領も同じように荒涼とした丘が続いている。メルキアデスが撃たれたのもそういうところだ。アメリカには不法滞在者も多く、また彼らの存在があるから経済が成り立っている面もある。にもかかわらず二つの国の間には人為的な「目に見えない」線が引かれている。そしてその見えない線が本来一つであるはずのものを二つに分断しているのだとトミー・リー・ジョーンズは言っているのである。目には見えないが、実際にはベルリンの壁のようなものがそこに存在し、ベルリンの壁同様にそれを超えようとして命を落とした人は後を絶たない。映画の中でも密入国しようとして国境警備隊に阻止された人たちが描かれている。警備隊員のマイクはその際に逃げようとした女性(ヴァネッサ・バウチェ)の鼻を殴ってへし折っている。現実には存在しない線が現実に人の命を奪ったり傷つけたりしている。その国境線の存在はまたメキシコ人への偏見や差別を生む。マイクはメルキアデスを誤って射殺してしまったことを報告せず(死体を埋めて隠してしまった、第1の埋葬)、そのことを伝え聞いた保安官ベルモント(なんとカントリー歌手のドワイト・ヨーカムが演じている)もあえて追及せず闇に葬ろうとする。そこにはどうせ不法入国者のメキシコ人だからという差別意識が露骨に表れている。

  「メルキアデスの埋葬」は一見男と男の友情を描いた映画のように見えるが、そこには上の様な問題意識が描き込められていることにも目を配っておかなければならない。確かに、ピートが国境を越えてメルキアデスの遺骸をメキシコまで運んでいったのはメルキアデスとの約束があったからである。「約束してほしい。もし俺が死んだら家族の元へ連れてってくれ。故郷に埋めてほしい。国境のこっち側に埋められたくない。」夢を求めてアメリカにやってきたにもかかわらず無残にも殺されてしまったメルキアデスの願いをかなえてやりたい、故郷に葬ってやりたい、ピートの心にあったのは復讐ではなくこの願いだっただろう。マイクを強引に拉致して連れて行ったのは報復のためではなく、自分の犯した罪の重さを身をもって痛感させたかったからだろう。だからひどい扱いはするが決して殺そうとはしないし、蛇に噛まれた時は薬草の知識を持っている女性(マイクが殴って鼻を折った女性だった)に救いを求める。憎しみではなく、偏見を超えた深い人間相互の理解を追及しようとする脚本家と監督の姿勢がここに表れている。

  これだけでも充分共感できるが、映画はその上に「国境」を描いている。国境のこちら側、つまりテキサスでは沈滞した町のムードが描かれている。マイクの妻は娯楽らしい娯楽もない田舎町の日常に退屈している。なじみのカフェ・レストランでやるせなくタバコをくYama2 わえているシーンが何度も出てくる。そのレストランでウェイトレスをしているレイチェル(メリッサ・レオ)は夫がいながら保安官やピートと浮気をしている。男も女も浮気をしている。それが唯一の楽しみのようなものだ。田舎町の閉塞感が画面から漂い出ている。一転してメキシコ領に入ると人々はみな親切で(ピートたちに肉を分け与えてくれたメキシコ人役として脚本のギジェルモ・アリアガが特別出演している)。途中電話をかけるために寄ったバーには人が群れ、熱気があった。国境警備隊に追われながらの苦痛に満ちた旅。これは一体何に向かっての旅だったのか。ピートにとっては約束を果たすための旅だった。マイクにとっては自分の犯した罪の深さを知るための、あるいは贖罪の旅だった。彼の横でメルキアデスの死体はどんどん腐食が進み、異臭を放っているのである。旅自体が彼にとって責め苦だった。

  だが、観客の視点から見ればまた違った面が見えてくる。メルキアデスを故郷のヒメネスまで運んでゆく旅はメルキアデスを理解するための旅、彼が生まれ育った国を理解するための旅であった。偏見によって作られたイメージではない、本当のメキシコとはどんな国なのか。ロードムービーが描くのは出会いと発見である。彼らがメキシコで見たのは金と成功に目がくらんだ不法入国者予備軍が住む国ではなかった。マイクに鼻をへし折られた女性でさえも蛇に噛まれたマイクの足の治療を断らなかった(もっとも後で熱湯をマイクの足にぶっ掛けて仕返しをするのだが)。それはまた、翻ってアメリカを見直す旅でもあった。メキシコ国境近くに一人で住む盲目の老人(これまたびっくり、「ザ・バンド」のレヴォン・ヘルムが演じている)はピートたちにわずかな食料を分け与えたが、彼らと別れる時に「わしを撃ってくれ」と頼む。たった一人で生活し、意味も分からないスペイン語のラジオを聞いていたこの老人は既に生きる希望を失っていたのである。生気のないアメリカと親切で活気にあふれるメキシコが対比的に描かれている。

  この旅はまたピートとマイクの人間性が問われる旅でもあった。ピートは老いたカウボーイだが、長年の経験がいくつかの場面で発揮されている。メルキアデスの体にアリがたかった時、ピートは咄嗟にアルコールを死体にかけて火をつけた。さらに腐敗が進んだ時には例の盲目の老人の家で不凍液を借り(本当は塩を手に入れたかったのだが)死体の口から注入する。遺体に対する冒涜だという声もあるが、置かれた状況の中で最善の処置を施したのである。死体が腐ってどろどろに溶けてしまったのでは旅を続けられない。友誼に厚い古風な男だが、合理的な考え方の出来る男である。一方、馬が転倒してピートが下敷きになった隙にマイクが逃げ出した時は、追跡はするがすぐに捕まえようとはしない。つかず離れず、距離を置いて付きまとう。ほとんど生殺しの状態。どこか不気味なものを感じさせる。なぜこうも執拗にマイクを連れてゆくことにこだわるのか。この旅にはやはりマイクに対する報復も含まれているのか?映画は説明しない。

  マイクにすれば最初ピートの扱いは不当なものに思えただろう。彼がメルキアデスを撃ったのは一種の事故だった。無警戒でいる時に(その時彼がやっていたことはほめられたものではないが)突然銃声がしたので誰かに狙われていると思い、とっさに自衛の反撃をしたのである。しかしメルキアデスが狙ったのは彼ではなく狼だったのである。だから、むしろ問題はメルキアデスを死なせてしまったことを誰にも報告せず、闇に葬ろうとしたことである。あれは正当防衛だという思いがあるから、マイクは最初素直に謝る気にはなれない。しきりにあれは事故だったと弁明するのである。しかし自分自身何度も死ぬような思いをして最終目的地に着いたときに、彼の考えはかなり変化していた。銃で脅されはしたが、鼻水をたらし涙でボロボロになってメルキアデスに謝罪し、許しを乞うた彼の言葉に偽りはなかったであろう。だからピートも彼に「息子よ」と呼びかけたのである。いつの間にか二人の間には強い絆が作られていた。

  だが、より重要なことは、旅の終点で彼らがメルキアデスの故郷を発見できなかったことだ。美しい緑に囲まれ清らかな水が流れる「故郷」は存在しなかった。ただ荒涼とした谷に家の残骸が残っているだけである。これは何を意味しているのか。メルキアデスは「嘘」を言ったのだろうか。嘘でないなら、なぜあんなことを言ったのか。1つの答えは「故郷」に行くことではなく、「国境」を越えることに意味があったという解釈だ。メルキアデスは本当のメキシコを見て来いと暗示したのだと。あるいはこうも考えられる。この世に理想的な土地などない。努力して自分たちで作るのだと。ピートとマイクがメルキアデスの眠る家に掲げた「墓標」がそれを暗示している。その場合、この映画はアンチ・ユートピア映画になる。故郷にもアメリカンにも「約束の地」などない。故郷が夢のような場所でなかったからこそ危険を侵してアメリカに密入国したのである。そう考えれば、この映画は「エル・ノルテ 約束の地」と対になる映画だといえる。

  「メルキアデスの埋葬」はテキサス出身のトミー・リー・ジョーンズとメキシコ出身のギジェルモ・アリアガが組んだからこそ実現した作品である。テキサスというメキシコと地続きの土地を舞台にしたことが功を奏している。緑色に覆われてはいるが、木がなく草と潅木ばかりの地形は「パリ、テキサス」の砂漠以上に荒涼として見える。クリス・メンゲスのキャメラがその不毛な世界を見事に描き出している。不毛な地で繰り広げられる生きている男と死んだ男の友情、生きている男同士の間に芽生えた友情。アンチ・ユートピアの土台に咲いた小さな花。ピートを演じたトミー・リー・ジョーンズとマイク役のバリー・ペッパーの力演がそれを支えた。

  しかし、優れた作品であることを認めつつも、どこか深みに欠けるようにも感じる。「故郷喪失」と「国境」のシンボリックな使い方は実に効果的なのだが、たぶんそれに頼りすぎたのだ。移民に対する差別や偏見、命がけでアメリカに不法入国しなければならないメキシコの実情などは充分描かれているとは言えない。堅固なリアリズムの土台があってこそ、それを増幅するシンボリズムの効果的使用が生きてくるのである。

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