2004年 南アフリカ・イギリス・イタリア 2006年1月公開
原題:HOTEL RWANDA
監督:テリー・ジョージ
製作:A・キットマン・ホー、テリー・ジョージ
脚本:ケア・ピアソン、テリー・ジョージ
撮影:ロベール・フレース
音楽:アンドレア・グエラ、ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
アフロ・ケルト・サウンド・システム
共同制作総指揮:ケア・ピアソン、ニコラ・メイエール、イジドール・コドロン
特別顧問:ポール・ルセサバギナ
出演:ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ、ホアキン・フェニックス
デズモンド・デュベ、デイヴィット・オハラ、カーラ・シーモア、ファナ・モコエナ
トニー・キゴロギ、ハキーム・ケイ=カジーム
散発的に銃声が響く中、1台の戦車が南ベトナム大統領官邸の鉄柵を押し倒し広い中庭に侵入する。兵士や他の戦車が次々にそれに続く。もはや抵抗するものも少なく激しい銃撃戦はない。やがて旗ざおから南ベトナムの旗が降ろされ、するすると南ベトナム解放戦線の旗が掲げられる。2階のベランダに一人の兵士がハンドマイク(拡声器)を持って現れる。その兵士はベランダから身を乗り出すようにして叫んだ。「ピース・フォーレヴァー、フォーレヴァー、ピース・フォーレヴァー、フォーレヴァー」。
南ベトナム政府が降伏し実質的にベトナム戦争が終わった日。このニュース・フィルムはこれまで何百何千と見てきたあらゆるニュース・フィルムの中でもっとも強烈に記憶に残っているものである。中でも兵士が叫んだ言葉が印象的だった。「われわれは勝利した」でもなければ、「ベトナム万歳」でもなく、「祖国は統一された」でもない。「平和よ永遠に」。長かった。ベトナム人にとってそれは本当に長い戦争だった。65年の北爆開始から数えても75年4月30日のサイゴン陥落まで10年。アメリカの前にはフランスからの独立戦争もあった。もうこれで戦争は終わったのだ。これからは永遠に平和なのだ。兵士が叫んだ言葉は偽らざる心境だったろう。
ベトナム戦争が終結した日、僕は生まれて初めて歴史を実感した。僕にとってそれまで歴史とはフランス革命や日清戦争のような過去の出来事だった。あの日初めて、未来の歴史書や年表に間違いなく大きく書かれるはずのベトナム戦争の終結という歴史的出来事を同時代人として共有していることを実感したのだ。
記憶が失せないうちにと思って僕が上の短い文章を書きとめておいたのはもう何年も前だ。さすがに記憶はだいぶ薄れてきたが、兵士が叫んだあの言葉は今でもはっきりと耳に残っている。「平和ボケ」という言葉が何の警戒心も無く無神経に語られている今日、あの兵士が叫んだ言葉の意味をもう一度考え直してみることは無駄ではないだろう。
フツ族とツチ族の対立で94年の4月から6月にかけての100日間に少なくとも80万人が虐殺されたと言われるルワンダの大量虐殺事件。それを題材にした「ホテル・ルワンダ」を観て、直接関連の無いベトナム戦争のことを僕が思い出したのはこのような文脈においてである。
7月に「ロード・オブ・ウォー」を取り上げた。「ロード・オブ・ウォー」が民族紛争などの混乱に乗じて武器を売り飛ばす側を描いたものだとすれば、「ホテル・ルワンダ」は売られた武器がどう使われたかを描いた映画である。まずこの関係を念頭においておくべきだろう(フツ族の民兵が中国から安い値段で買ったナタを運んでいる場面も出てくる)。紛争の陰には常に大国と武器商人の影が付きまとっている。
フツ族とツチ族。その間に本質的な違いなどあろうはずもない。もともとツチ族とフツ族は対立関係にあったわけではない。同じ言語を話し、同じ地域で暮らしてきた。にもかかわらず100万人近い人間が虐殺される。政治的な利害関係が絡んでいたからだ。植民地支配する国(ドイツ、後にベルギー)が一方を重んじ、一方を軽んじたからである。民族対立をあおりつつ支配するのは植民地支配の常套手段だ。フツ族とツチ族の間に支配、被支配関係が生まれ、独立後も対立が続く。フツ族とツチ族の対立は植民地支配の負の遺産なのである。ここにもまた憎しみの連鎖が作動している。
映画はどちらの立場にも立たない。むしろ西洋人の目からはほとんど区別がつかないことを強調している。白人の報道カメラマン、ダグリッシュ(ホアキン・フェニックス)が酒場で隣に座っている女性たちに君はどっちだと聞く場面が印象的だ。答えを聞いても彼はフツもツチも見分けがつかないとぼやく。この視点が大事である。
シドニー・ポラック監督の「インディアン狩り」(67)という映画がある。バート・ランカスターと黒人俳優オシー・デイヴィス主演の映画で(タイトル通りインディアンも絡んでいる)、映画の出来としては傑作というほどではないが、ラスト近くに極めて印象的な場面が出てくる。黒人のオシー・デイヴィスと白人の無法者が格闘している。近くに立っているバート・ランカスターが悪党のほうを撃とうとするがなかなか撃てない。なぜなら二人の見分けがつかないからだ。二人は泥水に浸かり泥まみれになって転げまわっている。泥で顔も肌の色も見分けがつかないのだ。結局バート・ランカスターは何とか悪党をしとめるのだが、この場面が象徴していることは明確だろう。泥で覆われてしまえば黒人も白人も見分けがつかない。肌の色などはなんら人間の本質的な違いではない、そう言っているのだ。(注)
しかし現実には、白人と黒人ほどの違いもないフツ族とツチ族の間に互いに殺しあうほどの憎しみが渦巻いていた。なんともやりきれないが、それがまた現実である。「ホテル・ルワンダ」という映画を観ることは、そういう現実と正面から向き合うことである。ある印象的な場面がある。赤十字で働く女性パット・アーチャー(カーラ・シーモア)は目の前で子供たちが殺されるのを目撃した。「一人の女の子が背中に妹をおぶってた。殺される直前私に叫んだの。”お願い助けて、ツチ族をやめるから。”」ツチ族をやめてフツ族になるなどどうしてできよう。不可能だと分かっているからこそ、そうまで言わざるを得なかった少女の言葉が胸に突き刺さる。
「ホテル・ルワンダ」はこの大虐殺事件に巻き込まれそうになった主人公たちがホテルに閉じ込められ、苦心の末国外に脱出するまでを描いている。主人公のポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)はルワンダの首都キガリにある4ツ星ホテル「ミル・コリン・ホテル」の 支配人である。優秀なホテルマンで、エリートであった。しかしどんなにエリートであれ、所詮はアフリカ人にすぎないことを戦争によって思い知らされる。平和維持軍のオリヴァー大佐(ニック・ノルティ)がポールにこう語りかけるのだ。「分かるだろうポール。君は頭がいい、スタッフの信望も厚い。だがオーナーにはなれん。黒人だからだ。”ニガー”ですらない。アフリカ人だ。」ニグロという言葉には特に差別的な意味は込められていないが、ニガーは明確な差別語である。だが、アフリカ人はそのニガー以下なのである。面と向かってそう言われ、一流ホテルの支配人としてのポールの誇りとエリート意識がもろくも崩れ去る。大佐がその後に言った言葉はさらに打撃的だった。「軍は撤退する。」ホテルにやってきたベルギー軍はポールたちではなく白人のみを救助するためにやってきたのだ。アフリカ人同士の紛争から国連は手を引いてしまった。西欧の大国にとってルワンダの原住民などおよそ救う値打ちがないのだ。こうしてポールは「非白人」避難民と一緒にホテルに取り残される。
オリヴァー大佐は決してポールを軽蔑して上の言葉を言ったのではない。白人たちの安全だけを考えて、危険な紛争地からの白人の脱出にばかり気を配る西欧人の対応を自嘲気味に語ったのである。大佐は「俺につばを吐け」といってこの話を切り出したのだ。報道キャメラマンのダグリッシュも退去の際ホテルマンが差し出す傘を断り、「恥ずかしい」といって雨に濡れたままでバスに乗り込んでいった。この映画はアフリカ人の苦悩ばかりではなく、西欧人の良心と苦悩もあわせて描いている。平和維持軍は現地に残り活動を続けたが、生命の危険があるとき以外は武器を使えない。悔しさに歯軋りしながらも、オリヴァー大佐は体を張って任務を全うしようと努力したのだ(平和維持軍は全土で300人しかおらず、ホテルの警備には4人しか回せない状況だった)。赤十字のパット・アーチャーも現地に踏みとどまり、何人ものツチ族の孤児たちを救った。しかし彼らの意思も勇気も現実の前ではほとんど無力だった。国連軍の撤退によってポールたちは絶体絶命の状況に投げ出される。彼らには身を守る何の手段もない。
そこからポールの苦難と活躍が始まるのだが、「ホテル・ルワンダ」は決して彼を人並みはずれたヒーローとしては描かなかった。この映画の製作は南アフリカ・イギリス・イタリアだが、アメリカではなくイギリスが一枚噛んでいることに注目すべきだ(監督のテリー・ジョージは北アイルランドのベルファスト生まれ)。ハリウッド製作ならもっと違った映画になっていただろう。イギリスは南アフリカのアパルトヘイトを描いた力作「遠い夜明け」(リチャード・アッテンボロー監督、87年)や「ワールド・アパート」(クリス・メンゲス監督、87年)を作ってきた。「ズール戦争」(サイ・エンドフィールド監督、63年)では、イギリスの植民地支配にこそ直接触れなかったが、ズール族を公平な視点で描いていた。決して野蛮人のようには描かなかった。サッチャー政権以後イギリスはどんどんリトル・アメリカ化してきているが、イギリス映画人の批判精神はまだまだ健在である。
和平協定成立直後にハビャリマナ大統領が暗殺され、ルワンダ国内は一気に民族間紛争が激化する。ポールはフツ族だが、妻のタチアナ(ソフィー・オコネドー)はツチ族である。いつ家族の身に危険が迫るか分からない。映画はサスペンス映画の様相を呈しはじめる。避難民が次々に逃げ込んできて、ホテルは難民キャンプの様になってしまう。ポールのとっさの機転でホテル本社の社長(ジャン・レノ)に裏からフランス政府に手を回してもらい、何とかホテルの安全は当面保たれた。政府軍(フツ族)を援助しているのはフランスだったのである。ここにも「ロード・オブ・ウォー」の世界がある。しかしこのままではまるで猛獣がうろつくジャングルの中で逆に檻に入ってかろうじて身を守っているような状態である。フランスから援助を受けているルワンダの政府軍はまだ統制がきくが、彼らが去ってしまえば民兵が何をするか分からない。この危機的状況からいかに脱出するか。映画は何度も危機的な状況を設定しサスペンスを盛り上げる。
ポールは抜け目の無い男であった。映画の最初のあたりで政府軍の将軍をもてなしている場面が出てくる。将軍がクロークにカバンを預けてあるとそれとなく支配人のポールに伝える。するとポールはさっとその場を辞し、クローク係に高級酒2本を渡し、将軍のカバンに入れろと指示する。賄賂である。鼻薬として1本1万フランもするハバナ産の葉巻を贈ったりもしている。内戦が続く不穏な情勢の中で権力者に取り入って抜け目無くやってきた。妻のタチアナが、向かいの家の男が連れ去られるのを見てポールに何とかして欲しいと頼んだ時、ポールはこう答えた。「タチアナ、俺は毎日将校や外交官や観光客をもてなしている。恩を売っておいて、いざという時に助けてもらうためだ。」彼の心は家族の安全を心配するだけでいっぱいで、たとえ親しい隣人であっても危ない橋を渡る気はなかった。
「わが家の犬は世界一」の主人公も同じだったが、特別な権力を持たない人間の武器は賄賂とコネである。家に踏み込んできた民兵たちに妻や匿っていたツチ族を殺すと脅された時は、民兵の隊長に賄賂を渡して何とかその場を逃れた。あるいは、最後に立てこもったホテルの中でポールは従業員や「滞在客」たちにこう呼びかけた。「援助は来ない。介入軍もだ。自衛するしかない。外国の有力者に連絡してくれ。私たちの危機を知らせてお別れを言うんだ。だがその時、電話を通して相手の手を握りなさい。手を離されたら死ぬと伝えるんだ。彼らが恥じて救援を送るように。忘れるな。ここは難民キャンプじゃない。兵士はここが4ツ星ホテルだと知ってる。それが私たちの命綱だ。」
何という心細い命綱か。いつの間にか従業員100人のほかに避難民が800人も集まってきていた(最終的には1268人の避難民をホテルに匿った)。彼ら全員の命はポールにかかっていた。最初は家族のことだけを考えていたが、いつしか彼の意識はホテルにいる全員に向いていた。決して颯爽とはしていない。しかし彼は常にネクタイを締め、きち
んとした服装を崩さずホテルマンとして振舞った。この描き方がいい。妻のタチアナが「隣人たちが感謝してた」と話したとき、ポールはこう言った。「今は後悔してる。支配人になったとき言われた。”ホテルの品位を落とすな”、”いつでも尊厳を保て”と。」しかし単にホテルマンとしての使命感だけでここまではできない。危機に直面して人間の真価が問われる。もともと持っていた素質が危難に際して鍛え上げられたのだ。彼はフツ族もツチ族も分け隔てなくホテルに受け入れた。映画のラストでポールの言った言葉「いつでも部屋は空いていた」に示されるように、彼のそういう姿勢がホテル内を1つにまとめ上げたのだろう。
もちろん彼も生身の人間。くじけそうになった時もある。食料調達の後川沿いの道を走っていたポールたちは深い霧につつまれ前が見えなくなってしまう。車が妙に揺れる。車を止め、車外に出たポールは何かに躓きひっくり返る。霧が少しはれた時、そこに見えたのは累々と横たわる死体の山だった。その後何とかホテルまで戻り血の着いたシャツを着替えるが、どうしてもネクタイがうまく結べない。やがてポールは床に崩れ落ち泣き崩れる。心の動揺を言葉や表情で直接表現するのではなく、ネクタイで象徴的に表す描き方が実に秀逸だった。
ポールたちは最後に二度目の脱出を図る(1度目は途中で民兵に襲われホテルに逃げ帰る)。もう賄賂に使う金も酒も宝石も残されていない。刀折れ矢尽き。平和維持軍のトラックに分乗して民兵たちの中を突っ切る。彼らが助かったのは丁度その時ツチ族がフツ族を襲撃したからだ。前線を突破した彼等はツチ族支配地区の難民キャンプに到着する。自分たちの力ではどうすることもできず、平和維持軍という外国人に頼らなければならないという現実。大国に翻弄されてきた小国の悲劇。その点はよく描かれていた。
武器も使えない状況で現場に残った平和維持軍に対しては好意的に描いているが、西側諸国に対するこの映画の視線は冷ややかである。この映画を観てきた人が必ず指摘する重要な場面がある。報道キャメラマンのダグリッシュがホテルの1キロ先でナタで住民を殺している虐殺現場をビデオに撮ってくる。たまたまその映像を観たポールがダグリッシュに言う。「あの残虐行為を見れば必ず助けに来る。」これに答えるダグリッシュの表情は苦渋に満ちている。「世界の人々はあの映像を見て”怖いね”と言うだけで、ディナーを続ける。」遠いアフリカで起きている残虐行為に世界がいかに無関心であるか。映画は観ているわれわれにその事実を突きつけている。カメラに写された現実とそれをお茶の間で遠い国のニュースとして観る人々、その隔たりは悲しいほど大きい。
しかし、ただ無力感に襲われているだけではこの映画を観た意味はない。自分自身無力感に襲われながらもダグリッシュは紛争地に赴いた。身の危険を知りながらもカメラを回した。ほとんど何もできない悔しさに歯軋りしながらもオリヴァー大佐は最後までポールたちを守り抜いた。そういう人たちがいる。自分の家族だけではなくホテルに逃げ込んできた人全員を救ったポールだけが活躍したわけではない。互いに殺しあう人間たちのおろかな現実に圧倒的されながらも、やはりポールや大佐や赤十字のアーチャーたちに僕は共感を禁じえない。負の面だけに目を向けるのではなく、反対の面にも目を向けよう。虐殺ばかりではなくその後の経過にも目を向けよう。ツチ族によるルワンダ愛国戦線(RPF)は全土を完全制圧した後、新政権を樹立。ビジムングを大統領に選んだ。その後を引き継いだポール・カガメ大統領は出身部族を示す身分証明証を廃止した。民族融和の政策を図り、民主化を進めているようだ。もちろん、まだまだこの先どうなるか分からない。一所が落ち着いてもまた別のところで紛争が噴き出す。しかしとにかく前を見るしかない。
映画のラストは明るい調子で終わる。しかし、エンドロールのバックに流れるMillion Voicesの曲はわれわれに疑問を投げかける。なぜアフリカはアメリカのように「アフリカ合衆国」になれないのか?なぜイギリスのように「アフリカ連合王国」になれないのか?絶望はいらない。疑問を持ち、絶えず問い続けることが必要なのだ。疑問を持たなくなった時、現状肯定と無関心が始まる。
ポールを演じたドン・チードルが何と言っても素晴らしかった。「青いドレスの女」、「ボルケーノ」、「アウト・オブ・サイト」、「トラフィック」、「ミッション・トゥ・マーズ」、「オーシャンズ11」、「ソードフィッシュ」。彼の出演作をこれまで7本も観ていたのだが、どういうわけかほとんど彼の印象がない。こんなに観ていたのかと調べてみて自分で驚いたほどだ。僕が彼を初めて意識したのは映画ではなくテレビドラマだった。「ER」第10シーズンにパーキンソン病にかかっているインターン役で出てきた時だ。結局ドラマのレギュラーにはならず途中で病院をやめてしまうのだが、短い間にもかかわらず鮮烈な印象を残した。ヒューマンな役どころが実によく似合う。「クラッシュ」にも出ているようだ。今後の活躍が楽しみである。
もう一人、オリヴァー大佐を演じたニック・ノルティにも触れておきたい。彼は本当に素晴らしかった。あの精悍な顔が実に頼もしく思えた。しかし彼の顔は常に苦渋にゆがんでいる。血のりが付いた彼の部下の青いヘルメットを民兵が彼の前に放り投げても、手出しができない。首相を護衛していた部下たちが首相と共に殺されたのだ。身をよじるほどの悔しさに彼は耐えた。武器を持ちながら武器を使えない悔しさ。平和維持軍とはいったい何なのか。考えさせられた。しかし銃を使うことなくホテルの人々を守った彼は、アメリカ映画のヒーロー像とは違う別のヒーローだった。「ダブル・ボーダー」での迫力もすごかったが、恐らく彼はこの映画で「ダブル・ボーダー」も「48時間」も超えた。素晴らしい性格俳優になったものだ。
<参考> アフリカ関連の映画
「アマンドラ!希望の歌」(02年、リー・ハーシュ監督、南アフリカ・アメリカ)
「名もなきアフリカの地で」(01年、カロリーヌ・リンク監督、ドイツ)
「白く渇いた季節」(89年、ユーザン・パルシー監督、アメリカ)
「遠い夜明け」(87年、リチャード・アッテンボロー監督、イギリス)
「ワールド・アパート」(87年、クリス・メンゲス監督、イギリス)
「アモク!」(81年、スウヘイル・ベン=バルカ監督、モロッコ・ギニア・セネガル)
「アレキサンドリアWHY?」(79年、ユーセフ・シャヒーン監督、エジプト)
「チェド」(76年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)
「放蕩息子の帰還」(76年、ユーセフ・シャヒーン監督、エジプト)
「エミタイ」(71年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)
「アルジェの戦い」(66年、ジッロ・ポンテコルヴォ監督、イタリア・アルジェリア)
→「ゴブリンのこれがおすすめ 36 アフリカ関連映画」という記事により詳しいリストが載っているので、関心があればそちらも参照していただきたい。
<注>
ロバート・ワイズ監督の「拳銃の報酬」にも「インディアン狩り」とほぼ同じ象徴的意味を込めた場面が出て来る。ロバート・ライアンとハリー・ベラフォンテは互いに人種的憎悪を持ちながら、金のために手を組んで銀行強盗を働く。しかしもう一歩というところで失敗。首謀者のエド・ベグリーは警官に撃たれて死ぬが、2人は逃げ切れる可能性はあった。しかしロバート・ライアンの人種的偏見に基づくある行動がその可能性をつぶしてしまった。二人は仲間割れして互いに銃で撃ち合い、ついにはそれた弾がオイルタンクを撃ち抜き、2人は黒焦げになる。死体を収容に来た男が「どっちがどっちだ」と警官に聞くが、結局見分けがつかないまま二つの死体は運ばれてゆく。これがラストシーンである。
<追記> ルワンダ大虐殺 フランス大統領、責任認める
報道によると、2021年5月27日に、フランスのマクロン大統領は1994年に起きたルワンダ大虐殺について、「フランスは事実上虐殺を行った体制の側にいた」と述べ、「私は、われわれの責任を認めるに至った」と演説したとのことである。この演説は25万人以上の犠牲者が埋葬されている首都キガリの虐殺記念館で行われたもの。27年も経てからの宣言だったとはいえ、フランスの大統領が虐殺の責任を認めたことの意義は大きい。
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