お気に入りブログ

  • 真紅のthinkingdays
    広範な映画をご覧になっていて、レビューの内容も充実。たっぷり読み応えがあります。
  • 京の昼寝〜♪
    僕がレンタルで観る映画のほとんどを映画館で先回りしてご覧になっています。うらやましい。映画以外の記事も充実。
  • ★☆カゴメのシネマ洞☆★
    細かいところまで目が行き届いた、とても読み応えのあるブログです。勉強になります。
  • 裏の窓から眺めてみれば
    本人は単なる感想と謙遜していますが、長文の読み応えのあるブログです。
  • なんか飲みたい
    とてもいい映画を採り上げています。短い文章できっちりとしたレビュー。なかなかまねできません。
  • ぶらぶらある記
    写真がとても素敵です。

お気に入りホームページ

ゴブリンのHPと別館ブログ

無料ブログはココログ

« サッチャーの時代とイギリス映画① | トップページ | しばらく北海道に行ってきます »

2006年8月24日 (木)

サッチャーの時代とイギリス映画②

第2章:80~90年代のイギリス映画:不況の中の人間像

(1)1980年代以降のイギリスの代表的映画監督/俳優
<監督>
・フリーシネマ系  ケン・ローチ マイク・リー ピーター・カッタネオ
・ポップ映画系  ニコラス・ローグ アラン・パーカー リドリー・スコット
 アレックス・コックス  トッド・ヘインズ イアン・ソフトリー アントニア・バード
・アート映画系  ケン・ラッセル ピーター・グリーナウェイ デレク・ジャーマン
 サリー・ポッター  ニール・ジョーダン リチャード・クウィートニオスキー
 ブラザース・クエイ
・文芸映画系  ピーター・ブルック ジェームス・アイヴォリー マイク・ニューウェル
 アンソニー・ミンゲラ ケネス・ブラナー マイケル・ウィンターボトム

<俳優(男優)>
 ヒュー・グラント ゲイリー・オールドマン ピート・ポスルスウェイト レイフ・ファインズ
 ダニエル・デイ・ルイス ロバート・カーライル ユアン・マクレガー ライナス・ローチ
 ジュード・ロウ ティモシー・スポール ボブ・ホスキンス クリストファー・エクルストン
 ピーター・ミュラン 

<俳優(女優)>
 ヘレナ・ボナム・カーター エマ・トンプソン ケイト・ウィンスレット ジュディ・デンチ
 タラ・フィッツジェラルド ブレンダ・ブレッシン ヘレン・ミレン 

・30~60年代を代表する監督
 アルフレッド・ヒッチコック: 三十九夜 第三逃亡者 バルカン超特急
 デヴィッド・リーン: 逢びき 戦場にかける橋 アラビアのロレンス ライアンの娘
 キャロル・リード; 第三の男 最後の突撃 邪魔者は殺せ 落ちた偶像
            文なし横丁の人々
 マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー:天国への階段 黒水仙 赤い靴 ホフマン物語
 アレクサンダー・コルダ: ヘンリー八世の私生活 レンブラント描かれた人生

・60年代を代表する監督
 トニー・リチャードソン: 怒りをこめてふり返れ 蜜の味 長距離ランナーの孤独
 カレル・ライス: 土曜の夜と日曜の朝 フランス軍中尉の女
 ジョン・シュレシンジャー: 或る種の愛情 ダーリング 遥か群集を離れて
 リンゼイ・アンダーソン: 孤独の報酬 ifもしも・・・ オー!ラッキーマン
 ジョゼフ・ロージー: エヴァの匂い 召使 できごと 秘密の儀式 恋

・70年代を代表する監督
 ケン・ラッセル: 恋する女たち 恋人たちの曲/悲愴 狂えるメサイア マーラー 
 デレク・ジャーマン: テンペスト カラヴァッジョ ラスト・オブ・イングランド
 ピーター・グリーナウェイ: 英国式庭園殺人事件 コックと泥棒、その妻と愛人

・80年代以降を代表する監督
 ケン・ローチ: ケス リフ・ラフ レディバード・レディバード レイニング・ストーンズ
 ジェームズ・アイヴォリー: 眺めのいい部屋 モーリス シャンヌのパリそしてアメリカ
 ニック・パーク: ウォレスとグルミット・シリーズ
 ケネス・ブラナー: ヘンリー五世 ピーターズ・フレンド ハムレット 恋の骨折り損
 マイク・リー: ライフ・イズ・スウィート 秘密と嘘 キャリア・ガールズ
 サリー・ポッター: オルランド タンゴ・レッスン 耳に残るは君の声
 ダニー・ボイル: シャロウ・グレイブ トレイン・スポッティング ヴァキューミング
 マイケル・ウィンターボトム: 日陰のふたり ひかりのまち ウェルカム・トゥ・サラエボ
 マーク・ハーマン:ブラス! リトル・ヴォイス シーズン・チケット
 ガイ・リッチー: ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ スナッチ

(2)80年代以降のイギリス映画 ・イギリス映画の復興
 1988年は「日本における英国年」で、第11回東京国際映画祭に協賛する形で10月24日から11月8日にかけて東京で「英国映画祭」が開催された。 画期的なことである。England1024 また2000年の4月4日から9日まで東京の草月ホールで「ケルティック・フィルム・フェスト」が開催された。南北アイルランド、ス コットランド、ウェールズというケルト圏の映画を集めた催しである。これもそれまでは考えられなかった企画である。さらに、「トレイン・スポッティング」 「ブラス!」「フル・モンティ」「エリザベス」「秘密と嘘」「リトル・ダンサー」「シーズン・チケット」等々、次々と話題作が公開されている。特に「秘密 と嘘」が1997年度『キネマ旬報』年間ベストテンの第1位に選ばれたことは特筆すべきことである。それほど話題にはならないとしても、毎月のようにイギリス映画が公開される。こんなことは80年代、いや90年代の前半までも考えられなかったことだ。なぜイギリス映画はこれほど急激に活況を呈するようになったのだろうか。

 1982年にイギリス映画界にとって画期的な出来事が二つ起きている。一つはイギリス映画「炎のランナー」がアカデミー作品賞を受賞したことである。もう一つはテレビ局のチャンネル4が出来たことである。この局は映画制作に力を入れることを念頭に置いて作られた局である。これ以降メジャーな配給会社による映画とチャンネル4によるインディペンデントな小品映画が並行して作られ、少しずつ成功作が生まれてくる。86年の「マイ・ビューティフル・ランドレッ ト」は中でも印象深い作品である。その他にもジェームズ・アイヴォリーの文芸映画、デレク・ジャーマン、ピータ・グリーナウェイのアート系映画などが次々に生まれた。「インドへの道」や「ミッション」などの大作も作られた。こうしてデビッド・リーンやキャロル・リードといった巨匠が活躍した時代から、怒れる若者たちの時代60年代を経てその後下降線をたどり、低迷の70年代を送ったイギリス映画界は、80年代の回復期を経て、90年代に入りついに復活し、 イギリス映画は再び黄金時代を迎えたのである。1989年には30本しか製作されなかったのが、90年代前半には50本以上になり(92年は47本、93 年は69本、95年は78本)、96年128本、97年112本と、96年以降は年間100本以上のイギリス映画が製作されているのである。

  このような好調の背景には、映画制作にかかわる事情の変化が関係している。前述したチャンネル4と公共放送のBBCが車の両輪となり、映画制作を支えている。他にもグラナダ・テレビとITCなどのテレビが劇映画を製作している。また、宝くじの売上金を映画制作に融資する制度も映画製作本数の増加に大きく貢献している。また、ブレア首相率いる労働党内閣も映画振興政策に力を入れている。ブレア首相は初めて映画担当大臣を置き、映画制作の資金調達と若手映画人育成に力を入れだした。制作費1500万ポンド以下の作品を非課税扱いとした。

 さらに、イギリスという国家がイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域からなっていることを考えたとき重要なのは、これらの影響がイングランド以外の地域にも及んでいるということである。90年代以前はイングランド以外の地域ではほとんど映画の製作は行われていなかった。 しかし90年代に入り、スコットランドでは宝くじ収益金のほかに、短編映画の助成金、グラスゴー映画基金、スコティッシュ・スクリーンなどの映画機関の援助が得られるようになった。ウェールズでは82年にウェールズ第4言語テレビチャンネルが設立され、宝くじ基金やウェールズ・アーツ・カウンシルなどの助成金制度などとあわせて映画制作やウェールズ国際映画祭などを支えている。北アイルランドでも、90年代に北アイルランド・フィルム・カウンシルが設立され、宝くじ基金とBBC北アイルランドと共に映画制作を援助している。こういったことがすべてあいまって80~90年代のイギリス映画の好調を支えているのである。

 90年代に入ってイギリス映画が一般に受け入れられるようになったのは、80年代のイギリス映画にあまりなかった明るさや前向きのエネルギーが感じられるからだとある批評家が言っている。辛らつなアクの強さや社会的メッセージ性が抑えられて口当たりがよくなったから、国際的な評価を得られるようになったのだと。確かに独特でアクの強い映画は少なくなったと言える。その分親しみやすくなったが、その分物足りなさも感じるところだSitu3 ろう。しかし「フル・モンティ」や「ブラス!」や「リトル・ダンサー」などの明るい前向きのイメージを持った映画にも、それらの映画の明るさの裏には失業、貧困、犯罪などの現実がある。そしてこの「失業、貧困、犯罪」こそが現在のイギリス映画を読み解く重要なキーワードなのである。

 それと並行するかのように、男優も貴公子然としたダニエル・デイ・ルイスやヒュー・グラントよりも、ユアン・マクレガーやロバート・カーライルのような庶民的で人間臭い役者が人気を得ているのである。後者の2人ともスコットランド出身であることは暗示的である。「カルラの歌」の前半や「マイ・ネーム・イズ・ジョー」などの舞台はグラスゴーだった。グラスゴーは決してロンドンのような「ひかりのまち」としては描かれていない。「ボクと空と麦畑」にいたっては、グラスゴーは清掃業者のストのため、街中ゴミであふれかえった都市として描かれている。

・イギリス映画の4つのタイプ
①貧困・失業・ストを描いた映画  
 「マイ・ネーム・イズ・ジョー」「フル・モンティ」「マイ・スウィート・シェフィールド」  
 「ブラス!」「シーズン・チケット」「レイニング・ストーンズ」「ボクと空と麦畑」  
 「レディバード・レディバード」「リフ・ラフ」 「リトル・ダンサー」
②犯罪や麻薬を描いた映画  
 「スナッチ」「ザ・クリミナル」「シャロウ・グレイブ」「バタフライ・キス」「フェイス」  
 「アシッド・ハウス」「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」  
 「トレインスポッティング」
③文芸映画  
 「恋の骨折り損」「理想の結婚」「エリザベス」「鳩の翼」「ダロウェイ夫人」
 「日陰のふたり」「Queen Victoria 至上の愛」「ハムレット」「夏の夜の夢」
 「エマ」 「ある貴婦人の肖像」「世にも憂鬱なハムレットたち」「チャタレー夫人の恋人」
 「英国万歳!」 「いつか晴れた日に」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」
 「オルランド」 「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」
④アート系映画  
 「プロスペローの本」「ピーター・グリーナウェイの枕草子」「イグジステンス」  
 「ベルベット・ゴールドマイン」

・不況の中の人間像
 日本でも評判になった「リトル・ダンサー」と「ブラス!」にはともに炭鉱のストライキが背景として登場する。前者は少年が女性ダンス・コーチにダンスの才能を見出され、ロンドンに出て行くまでを描いた作品である。後者はストの最中もブラスバンドの練習に打ち込み、ついにはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれた決勝コンクールで優勝するまでを描いている。彼らを支えていたのは、閉山反対闘争に敗れた仲間の炭坑労働者や家族たちへの連帯感である。イギリス労働運動の伝統とイギリス映画人の良心とが一体となった傑作である。ともに失業や貧困を乗り越えて前向きに生きる人々の姿が肯定的に描かれている。殺人罪を犯した囚人がガーデニングに目覚め、コンテストに出品するまでを描いた「グリーン・フィンガーズ」も同様の作品である。いずれの作品にも登場人物への深い愛情が表れている。わたしたちの身近にいくらでも起こりうる、それゆえに誰にでもよく分かる出来事が描かれている。人生の真実は身近にある、映画の素材は才能と人間への愛情があればいくらでも発見できるものだという意気込みが、とりわけハリウッド製の映画と比較してみると、なおさらよく伝わってくる。

  また、ロンドンを舞台にした作品も多いが、地方を舞台にした、それも労働者の街を舞台にした作品も目立つ。しかも主人公たちは地域に根付いていて、大都会の豊かな生活を夢見て脱出するというパターンをとらない。「フル・モンティ」や「マイ・スウィート・シェフィールド」のシェフィールド、「レイニング・ストーンズ」のマンチェスター、「がんばれリアム」のリバプール、「トレインスポッティング」のエディンバラ、「リトル・ダンサー」はイングラ ンド北東部の炭鉱町、「ブラス!」はヨークシャーの炭鉱町、「シーズン・チケット」はイングランド北部のゲーツヘッドが舞台である。

 ところで、ブラス・バンドとイギリスの労働者の結びつきについては高橋哲雄がおもしろい指摘をしている。「イギリス、とくに北部の工業中心地での爆発的普及の背景には、労働不安におびえる工場主や炭鉱主たちがこのあたらしい遊び道具を労働者の不満解消に積極的に利用し奨励しようとしたという事情があっ た」というのである。言うまでもなくイギリスは霧や通り雨の多い天候不順な国だが、「霧に閉ざされた原野や深い森のなかでも遠くへ届くだけの音量があって 指向性の強い金管楽器」が、その土地柄に適合したのである。フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアといった他のブラス・バンドの先進国が、その起源や発達に関して軍楽隊と強く結びついていたのに対し、イギリスでは「民間の職場、地域のバンドが質量ともに圧倒的だ」という指摘も興味深い。イギリスは弦楽器の名演奏者が育たない国だが(チェロのジャクリーヌ・デュ・プレは唯一の例外)、室内吹奏楽では世界の最高水準を誇っている。クラシックの大作曲家を生まなかったイギリスだが、粒ぞろいのオーケストラや室内楽団を保有する国であるなどの指摘もあり、イギリスの音楽事情がよく理解できる優れた文章である。 (高橋哲雄『二つの大聖堂がある町』、ちくま学芸文庫)

 また、炭鉱のストライキも単なる時代背景と受け止めてはいけない。最近のイギリス映画はよく80年代を描くが、それは80年代のイギリス社会には「失業、貧困、犯罪」が蔓延しJardin3sていたからである。イギリスの80年代とはそのままサッチャー時代である。ちょうど現在の日本のような閉塞感が社会に広がっていた時代である。1984年4月から85年3月まで丸1年間続いた炭鉱ストは組合側の敗北で終わるが、この大闘争はまさにサッチャー時代の象徴的出来事だったのである(「Strike 84」という豊富な写真を載せた貴重なサイトがある)。その時代を知るには藤本武の『イギリス貧困史』(新日本新書)が参考になる。関連の部分を要約してみる。

 1979年の総選挙で保守党が勝利し、サッチャーが首相として登場した。彼女は、さらに二回の総選挙でも勝利し、1990年まで首相としての地位にとどまるが、97年までメイジャーによる、保守党政権が続き、彼女の政策は継承される。サッチャー政権の政策を要約すれば次のようになる。

 1つは、自由な利潤の獲得を制限してきた労働運動をたたきつぶすことである。そのためには労働運動の活動をきびしく制限しなければならない。  
 2つは、この国で比重を高めている国営企業の民営化である。
 3つは、経済政策はすべてハイエクやフリードマンなどの主唱するマネタリズムに従って遂行する。多くの規制を撤廃し、公的支出は軍事費を除いてカットし、直接税は減免して代わりに間接税をふやし、公の借金や貨幣供給は抑えられ、労働党政府の下で課されてきた諸統制は撤廃する。社会保障への支出は削減し、賃金や労働安全、職業病への規制は撤廃ないし大幅にゆるめる。

 石炭生産の落ち込みは著しく、1979年を100とすると、急減して、1995年にはわずか37.7に落ちた。これは石油に押され、石炭の需要が減少したためであって、イギリス の有力産業の一つが失速したことを意味する。...1995年には50年前のわずか2%しか雇用していない有様で、労働運動の中核だった炭坑夫組合の弱体化を招き、イギリス労働運動へも打撃を与えていくことになる。

 1980年と82年の雇用保護法の改定には、同情ストの禁止、ピケッティングのきびしい制限、クローズド・ショップ制を禁止する規定などが含まれていた。83年の改定では、ストの前に法定のスト投票を義務付け、政治目的への組合費支出はすべて投票による承認を必要と定めた。そして、これらの弾圧立法を整えてから、1984年に最強の炭坑夫組合のいる国営炭鉱の大量解雇に打って出た。

 一方、労働運動ではサッチャーの攻撃の始まる前から、TUC(イギリス労働組合会議)の弱体化が起きていた。83年の組合選挙では左派の勢力は三分の一以下におち、指導部は右派と中間派で固められる結果となった。そしてTUCはサッチャーとの対話に応じるという決議を採択し、1984年3月からの大量の炭鉱閉鎖に反対する炭坑労組の長期ストライキに対し、傍観者的な態度をとったのである。ストライキを単独で戦った炭坑夫組合に対して、サッチャー政権は警官隊を大量派遣し、ピケに立つ労働者を襲撃した。労働者の中に死亡者さえ生じている。これは80年前から見られなくなった大弾圧であった。そして他方では妥協的な第二組合を育成して、炭坑夫組合の抵抗力を弱めたのである。結局このストライキは敗北に終わるが、それはイギリスのストライキ運動に対する大打撃となった。

 以上が『イギリス貧困史』からの要約である。かつてイギリス最強を誇った炭鉱組合はこ Welshdem_1 の敗北で今は見る影もない弱小組合に転落してしまった。一貫して労働者の立場で映画を作ってきたケン・ローチ監督が傍観を決め込んだTUCを「裏切り者」と呼ぶのは上のような事情があるからだ。彼は69年に有名な「ケス」を作った後BBCに入り、優れたテレビ・ドキュメント番組を次々に送り出した。映画界復帰後も素人俳優を使い、ドキュメンタリー・タッチの作品を作り続けている。彼の作品には貧しさから抜け出すための闘い、富者と貧者、勝者と敗者を生み出す社会へのプロテストが描かれている。しかし彼は「わたしは彼らの現状を取り立てて過酷に描いたわけではありません。彼らの生活そのものが過酷なのであり、人生というものは厳しいものなのです」とインタビューに答えているが(「シネ・フロント」1999年7月号)、時として彼の映画は(例えば「ケス」や「マイ・ネーム・イズ・ ジョー」)あまりにも悲惨で気がめいるほどリアルに現実を描いていて、耐え難いことがある。リン・ラムジー監督の「ボクと空と麦畑」やスティーヴン・フリアーズ監督の「がんばれ、リアム」などもそうだ。
 (左上の写真の出典:「STRIKE84」

 また一連の犯罪映画のように、麻薬や失業や貧困によって精神が荒廃し、犯罪に走る人々を描く方向に向かう ものもある。「シャロウ・グレイブ」「トレイン・スポッティング」などはその面がもっとも露骨に出たアナーキーな作品だ。それでも「スナッチ」「ザ・クリミナル」「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「フェイス」などがハリウッド映画と一味違っているのは、人を食っていて、とぼけていて、 黒い笑いではぐらかすところがあるからだろう。主人公たちはどこか憎めないところがある。特に「フェイス」などは決して悪人ではない主人公が貧しさゆえに犯罪に走らざるを得ない状況がよく描けていて、単純な犯罪アクションものに終わっていないところが優れている。

 今後イギリス映画がどのような方向に進んでゆくのか、このまま好調を維持できるのかは分からないが、現実を直視しながら、等身大の主人公に励まされるような映画を期待する観客の意識が変化しない限り、イギリス映画は現実と関わることをやめないだろう。

<参照資料>
小林義正「ケルト圏の最新の映像を集めた意欲的な催し:ケルティック・フィルム・フェ
   ストの 上映作品」、『シネ・フロント』No.248
大森さわこ「最近英国映画事情」、『キネマ旬報』No.1274
品田雄吉「イギリス映画の今を探る」、同上
ケンローチ、グレアム・フラー『ケン・ローチ 映画作家が自身を語る』(フィルム・アート社)

« サッチャーの時代とイギリス映画① | トップページ | しばらく北海道に行ってきます »

コメント

ETCマンツーマン英会話さん

 コメントありがとうございます。
 8年も前に書いた記事なので、大分書き直したり書き足したりしなければなりません。しかしこれも思うに任せません。
 いつか時間ができたら、2000年代のイギリス社会とイギリス映画についてまとめてみたいと思っていますが、いつになることやら。

ケンローチ監督のMy name is joeが、サッチャーの政策が万人にもたらした人間的な窮状のすざまじい犠牲を描こうとしたという、インタビューを読んで、80年代後半から90年代のイギリスの人々の暮らしについて、詳しく知りたいと思っていました。

ご紹介の映画もそうですが、参考文献『イギリス貧困史』などもぜひ読んでみたいと思いました。ご紹介に感謝です。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: サッチャーの時代とイギリス映画②:

« サッチャーの時代とイギリス映画① | トップページ | しばらく北海道に行ってきます »