浮雲
1955年 日本 1955年1月公開
監督: 成瀬巳喜男
製作: 藤本真澄
原作: 林芙美子 『浮雲』
脚本: 水木洋子
撮影: 玉井正夫
美術: 中古智
編集: 大井英史
音楽: 斎藤一郎
監督助手: 岡本喜八
特殊技術: 東宝技術部
出演:高峰秀子、森雅之、中北千枝子、岡田茉莉子、山形勲、加東大介
木匠マユリ、千石規子、村上冬樹、大川平八郎、金子信雄
ロイ・H・ジェームス、森啓子
成瀬巳喜男(1905-1969)の作品はこれまで「妻よ薔薇のように」(35)「めし」(51)「稲妻」(52) 「あにいもうと」(53)「晩菊」(54) 「山の音」(54)「浮雲」(55)「流れる」(56)「女が階段を上る時」(60)「乱れる」(64)「乱れ雲」(67)と11本観てきた。少なくない数だが、それでも生涯に89本もの作品を残した彼の膨大な作品群の一部を垣間見ただけに過ぎない。最初に観たのが「山の音」でその翌日に「浮雲」を観ている。「あの頃名画座があった(改訂版)④」にも書いたが、82年の11月24日から12月2日にかけて日比谷の千代田劇場で「東宝半世紀傑作フェア」と銘打った企画が催され、「雪国」、「忍ぶ川」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」などと共に観たのである。上の10本の中では「流れる」と「浮雲」が好きだ。千代田劇場で観た6本の中でも「夫婦善哉」、「また逢う日まで」と「浮雲」の3本は図抜けた傑作だと思った。いや、「浮雲」は日本映画を代表する1本にすら数えられる名作である。
成瀬巳喜男は神格化されてきた黒澤明、小津安二郎、溝口健二などに比べると海外での評価が遅れたが、日本を代表する大監督の一人である。昨年が生誕100周年に当たり、DVD-BOXも発売された。やっと彼の評価がなされてきたことは喜ばしいことだ。この4人に今井正を加えたのが日本の映画監督「マイ・ベスト5」である。
「浮雲」は幸田ゆき子(高峰秀子)とその愛人である富岡(森雅之)の2人が主人公だが、視点はゆき子の視点である。「浮雲」には異様な緊張感と迫力があり、観客をぐいぐいと引き込んでゆく。冒頭のゆき子が仏印(インドシナのこと、ハノイという地名が出てくるのでおそらくベトナムと思われる)から日本に引き上げてくる場面と富岡との再会、そしてそれに続く仏印での回想場面(富岡との出会い、作中最も明るい部分)から屋久島でのゆき子の病死まで一気に映画は突き進む。そのため観終わった後にずっしりと映画の重み(無常観と悲哀感が混じったようなもの)が観客にのしかかり、何か途方もない作品を観てしまったという思いに包まれる。「重い」のは悲劇的結末だからであり、「無常」なのはその悲劇にカタルシスがないからである。何か劇的な盛り上がりがあるわけではないが、かなり波乱に富んだストーリー展開である。
波乱に富んでいるという印象が残るのは、この映画の中であるパターンが繰り返し現れるからである。そのパターンとはゆき子と富岡が何度も別れと再会を繰り返すというものだ。面白いことに、映画の中で誰かが誰かを訪ねてくるという場面が何度も出てくる。異常に多い。その度ごとに訪ねてくる人物も訪ねられる人物も境遇が変わっている。さらに、その訪問を機にまた人間関係が変わってゆく。付かず離れずの腐れ縁関係。そうなるのは主に富岡に甲斐性がなくふらふらしているからだ。まさに空に浮かぶ「浮雲」のごとく、あるいは碇を失った船のごとく、決まった目的地もなくただただ流れに任せてどこへともなく漂ってゆく二人。
この富岡という男が実に情けない男である。日本に引き上げてきたゆき子はすぐ渋谷区代々木上原にある富岡の家を訪ねる。最初に富岡の母親、次に妻(中北千枝子)が出てきて怪しそうにゆき子を見る。ゆき子は富岡を外に連れ出して二人で歩きながら話す(背景は焼け野原なのか建物の少ない街並みだ)。二人は闇市の中を通りホテルに入る。彼は妻ときっぱり別れてゆき子を迎えると言っていたのにまだ妻と別れずにいた。戦時中農林省に勤めていたが「官吏なんかいやだから」と日本に帰ってからやめてしまい、今は木材関係の仕事をしていると話す。愛してもいない妻と別れられずにずるずると一緒に暮らしている。ゆき子には別れ話を持ち出す。富岡は手切れ金として彼女に金を渡すのだ。「正直に言えば、僕たちはあの頃夢を見ていたのさ。こんなことを言うと君は怒るだろうが、日本に戻ってまるっきり違う世界を見ると、家の者たちをこれ以上苦しめるのは酷だと思ったんだ。別れるより仕方がないよ。」この段階ではありふれた別れ話に思える。しかし富岡の言葉に彼の優柔不断さがすでに表れている。
「僕たちはあの頃夢を見ていたのさ」という彼のせりふに注目すべきである。二人が歩いている家の少ない東京の景色から突然一転して豪華なお屋敷が映し出される。ここは回想場面で、貴族の館かと思える豪華な建物は日本軍が現地で接収した建物である。タイピストとして雇われたゆき子が富岡を含めた職員たちに紹介されている。輝くばかりの豪華な建物の中にいるゆき子も(豪華なドレスではないが)眩いばかりの白い衣装を身にまとい実に美しい。内地の混乱をよそに、彼女たちはここで優雅に暮らしていたのだ。敗戦ですっかり変わってしまった日本に比べると確かに「夢」のようだった。しかし富岡はすでに夢から覚めていた。「いつまでも昔のことを考えたって仕方がないだろう。」一方ゆき子はあくまで当時の思い出にこだわる。「昔のことがあなたとあたしには重大なんだわ。それを無くしたらあなたもあたしもどこにもないんじゃないですか。」結局二人は分かれる。家に帰った富岡は「あなたこのごろ私と別れたいと思っているのでしょう」と妻にも泣かれる。
どうやらゆき子と富岡との違いのひとつは昔にこだわるかどうかの違いである。回想部 分の最後は二人で森の中を散歩している時突然富岡が振り返り、二人で見つめあう場面である。寄り添いキスをするのかと思いきや、突然ホテルにいる現在の二人の場面に切り替わる。キスをしている二人。ゆき子にとって過去と現在は繋がっているのだ。だから2人でいると必ずゆき子は仏印で過ごした頃の思い出話をするのである。「思い出すわ色んなこと。」この時もゆき子の方から彼の部屋に行った思い出を語っていた(常に彼女のほうが積極的である)。
その次に二人が会った時、ゆき子は進駐軍兵士のオンリーになっていた(もっとも当時はパンパンと呼んでいた)。今度は富岡のほうから訪ねてきた。ゆき子はその外人から教えられたという「忘れな草」の歌詞を口ずさむ。
懐かしき君よ 今はしぼみ果てたれど
かつては瑠璃の色 いと鮮やかなりしこの花
ありし日の君と過ごせし 楽しき思い出にも似て
あたしの心に消えぬよう
やはり彼女は過去を引きずっている。バーの女のような格好をしているゆき子に(話し方も前よりぞんざいになっている)富岡は「君はたくましいさ。感服するよ」と言う。ゆき子はこう返す。「あなたの力じゃどうにもならないんでしょ。あたしと一緒に暮らすことが出来なければ、あたしの生活はあたしでやってくんですから、そのつもりでいてくださいね。」富岡「邪魔はしないさ。邪魔はしないが、時々は遊びに来てもいいだろ。」富岡は未練たらたらだ。互いに辛らつな言葉を交わしながらも付かず離れず、だらだらと2人の関係は続く。
直後、またゆき子は駅前で富岡と会っている(「インターナショナル」を歌いながら近くをデモ隊が通ってゆく)。「あたしたちって行くところがないみたいね。」「そうだな。どこか遠くへ行こうか。」この言葉は2人の境遇を見事に表していて象徴的だ。戦時中、この世のものではないような外地で「夢のような」時間をすごした二人にとって、すっかり変わってしまった戦後の日本には帰る場所がなかったのである。この場面の直後今度は二人は伊香保の温泉宿に泊まっている。どんな風に自殺するか二人で話し合っている。「あなたそのためにきたのね」とゆき子。二人で温泉に浸かるあの有名なシーンはこの後に出てくる。「ねえ。」「何だ。」「あたしあなたをもっと生きさせてあげたいのよ。いっそお正月をここで暮らしてゆかない?お金が足りなかったらあたしのコートを置いてもいいし。」「明日帰るよ。」かみ合わない二人の会話。実に秀逸だ。
この時もまたゆき子がインドシナにいた頃の思い出を話す。その後の富岡のせりふが彼の性格をよく現していて重要だ。「昔話も時がたつと色があせてくるよ。二人で会って昔を懐かしがってみたところで、君と僕の間が昔どおりの激しさに戻るわけでもないし。そのくせ僕は女房にだって昔のような愛情を持っちゃいないんだよ。まったくどうにもならない魂のない人間が出来ちゃったもんさ。」自嘲気味に話す「どうにもならない魂のない人間」という言葉。この言葉自体とそれを口にする行為自体が彼の優柔不断で無責任で無定見な性格と生き方がよく表れている。そんな男にゆき子は「あたしあなたをもっと生きさせてあげたい」といって寄り添っている。「僕は神経衰弱なんだ。」と弱音を吐く男に、「しょうがない人ね。それで他人にはよく見えるんだからいいわ。移り気で、気が小さくて、酒の力で大胆になって、気取り屋で」と馬鹿にし、あるいは「ハノイのキャンプで『ベラミ』って小説読んだけど、あなたあの中の主人公ね。でもあの主人公は宿無しの風来坊だから、女をはしごして出世するんだけど、あんた女だけをはしごしてる」と皮肉を言ったりもするが、なぜか彼からきっぱりと袂を分かったりはしない。懲りない富岡は伊香保温泉では宿の主人の妻おせい(岡田茉莉子)と出来てしまい、後に同棲までしているというのに。
富岡は一貫して「僕たちのロマンスは終戦と同時に消えたんだ。いい年をして昔の夢を見るのはやめたほうがいい」という姿勢をとり続けるが、憎まれ口をたたきながらもゆき子は結局どこまでも彼について行く。ついには流れ流れて屋久島まで二人で行くのである。列車を乗り継いで鹿児島まで来たとき、ゆき子はこう言っている。「あたし屋久島に住めなかったら、ここへ来て料理屋の女中したっていいわ。女ってそれだけのものよ。捨てられたらまたそれはそれにして、生きてくんだわ。」
どうしてゆき子はこんなだらしない男と一緒にとことん転落してゆく破滅的な生き方をしたのか。口では相手を馬鹿にしたり皮肉を言ったりし、あるいは「絶望はしてません。生きて見せますとも。せいぜいあんた勝手に女作ればいいのよ」などと一人でも生き抜くたくましさを持っているかのような口ぶりであるにもかかわらず、なぜこんな男と別れられないのか。果ては屋久島までついて行き、病気で倒れても「あんたのそばで死ねば本望だわ」と口にしている。屋久島で病気の彼女を世話してくれる女(千石規子)にさえ、彼女が富岡と話していると嫉妬に駆られた目でじっと見つめてしまう。なぜ彼女はそうなってしまったのか。何が彼女を突き動かしていたのか。誰もが引っかかる疑問である。
仏印での彼女は白い服を着て、まるで無垢な女に見える。しかし経験の少ない無垢な女が男にだまされてのめりこんだというわけではない。彼女の最初の男は富岡ではない。 義兄の伊庭杉夫(山形勲)が最初の男だ。本人も「俺はお前の最初の男だからな」と言っている。次はゆき子と伊庭の会話。「親戚にお手伝いに行った娘が一生を台無しにするなんて話よく出てるわね。お義兄さんの荷物売ってあたしが叱られるんだったら、あたしも元通りの娘に返してもらいたいわ、どお?」金のないゆき子は無断で義兄の荷物の一部を売って金にしていた。「お前もあっちへ行ってから人柄が変わったな。」
ゆき子はすでに世の荒波にもまれた女だった。墜ちた女だった。だから進駐軍兵士のオンリーにすんなりなれたのである。そういう女だったから「毒舌家」の富岡に惹かれたのかも知れない。まあ個人の感情は推し量る以上にできない。毒舌家だが仕事はしっかりやる男と最初に紹介されたわけだが、内地に帰ってみると女房とも別れられずあれこれ言い訳するだらしない男になっていた。だが、彼女が強い言葉で非難しても「みんな僕が悪いんだ。僕だけが悪いんだよ。僕って人間はもぬけの殻なんだから。君のようにそう押し付けてきたってしようがないじゃないか。伊香保でお互いさっぱりしたはずじゃないか」と自嘲気味に言い募る「暖簾に腕押し」男からどうして離れられなかったのか。よく言われるように理屈では割り切れない何か人間の「業」のようなものを描いているのだろうか。普通の恋愛を超えたどろどろした人間の情念のほとばしりを描いたのだろうか。確かに伊香保で泊まった宿の主人向井清吉(加藤大介)の「ねえ旦那、めぐり合いってやつは大切にしなくちゃならねえ」という思わせぶりなせりふもある。向井と富岡には同じ南方にいた因縁があった。向井は「運命には逆らわないことにしています」とも言っている。後に向井の妻のおせいが富岡と同棲するようになり、嫉妬に狂った向井がおせいを殺すという展開にもなっている。これがラストでのゆき子の死を暗示する不吉な伏線になっていると言えないこともないが、ゆき子と富岡の関係はもっと起伏に富んでおりこんな単純ではない。
確かに成瀬は二人の不可解な関係に「運命の皮肉」のようなものを込めて描いているのだろう。二人は最後に「底知れない深淵」に飲み込まれていった。この映画のただならぬ力は二人の情念の強さから来ているように見える。しかし「情念」ですべてを説明出来ない。どす黒い情念が二人の関係の底にあるならあんな付かず離れずの先の見えない関係にはならない。ひたすら堕ちてゆくだろう。彼らが地に足が着かず「浮雲」のように漂っているのはこの世に足場を持たないからである。「あたしたちって行くところがないみたいね」というゆき子の言葉。あるいは、富岡が屋久島に行くと聞いた時に彼女が言った言葉。「あたしはどこへ帰るのよ。どこにも行くところがないでしょう。」富岡が農林省の官吏を辞めていろいろな仕事を転々としているのも象徴的だ。世の中に足場がないから過去の思い出にすがる。富岡は仏印時代をいつまでも振り返っていても無意味だといっているが、由紀子という昔の女からは離れられない。ゆき子も内地に帰ってきてからはパンパンになるか大日方教の教主になって羽振りのいい伊庭に養われるかで、まともな仕事には就いていない。口では自分で生きてゆくといいながら結局は男に頼っていた。彼女に唯一残された「足場」は富岡だった。だから彼にすがりついたのではないか。富岡の頼りなさを不甲斐ないと思いつつも彼と一緒に流されていった。仏印時代の彼女が輝いていたのはタイピストとして働いていたからだ。そう言えないだろうか。しかし戦後タイピストとして働こうとしても英文タイプが出来ない彼女には就職口がなかった。彼女は時代に取り残されてしまった。だから過去にすがる。すっかり変わってしまった戦後の日本に二人とも居場所が見出せなかった。
しかし富岡が屋久島の就職口を見つけた時は二人の転機だった。地の果てのような国境近くの島。それでも人生をやり直そうとした富岡と彼についてゆこうとしたゆき子は初めて未来に顔を向けた。職を得て二人でやり直そうとした。しかしその時すでにゆき子の体を病魔が蝕んでいた。ここに彼女たちの人生最大の皮肉があった。彼女は鹿児島で寒気を訴えるが、堕胎手術を受けた(彼女は富岡の子供を堕ろしていた)直後も同じように寒気を感じていた。その時の病気の種が彼女の体の中に潜んでいたのか。ようやく過去を振り切ったかと思われた時、過去が彼女を引き摺り下ろした。幸福にやっと手が届く矢先だった。
晩年の成瀬は「人生というやつはわれわれを裏切るものであると自分はいつも考えていた」と語っていたそうだ。「人生というやつは」、この言葉が成瀬以上に似合う監督はいない。波乱に富んだストーリー展開はメロドラマ調だが、成瀬は終始冷静に、いや冷徹に二人を見つめ続けた。いつものユーモアを排し、劇的な演出も避けて、ひたすら漂う二人を冷徹に描いた。流れ流れてやっと最後にたどり着いた島で惨めに死んでいった女の一生。病床に横たわるゆき子の顔はインドシナにいた時の彼女より美しかった。恐らくこれは成瀬が唯一作った悲劇なのだ。
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コメント
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酔生夢死浪人さん コメントありがとうございます。
「浮雲」を成瀬巳喜男の代表作とすることに違和感を感じる人は少なくないようですね。特に成瀬の熱烈なファンに多いと思います。僕もつい数年前までは「浮雲」と「めし」を観ておけば十分という程度の認識でした。僕が彼の作品を集中的に観たのは80年代ですから記憶もだいぶ薄れていました。
しかし「女が階段を上る時」や「流れる」を最近観て(「流れる」は二回目ですが)、成瀬が決して上の2作だけではないと思い直しました。「浮雲」を代表作とすることに違和感を感じるのは、ユーモアをまじえた彼の語り口と違う作風だからでしょう。「浮雲」を持って成瀬のイメージを作られてしまうことへの不安を感じるのだと思います。それは理解できますね。
ところでこのコメントを読んで重大なことに気づきました。「妻よ薔薇のように」を書き落としていたことです。よく調べたら手書きの映画ノートから「映画日記」というフリーソフトに書き入れる時に書き落としたページがあったことがわかりました。あわてて調べてみたら他にも抜けているページが見つかりました。まだやっとパソコンに半分打ち込んだだけなのに、その上書き抜かしたページが見つかるとは!ともかく重大な書き落としに気づかせていただいてありがとうございます。
投稿: ゴブリン | 2006年8月10日 (木) 16:08
トラックバック、ありがとうございます。かなり前の稿だったので驚きました。
その時も書きましたが、私は邦画史に残る大傑作「浮雲」に違和感を覚える異端派です。同じ成瀬作品でも「妻よ薔薇のやうに」「歌行燈」「あらくれ」あたりの方が好きです。
私は50歳間近ですが、精神年齢は低い、最近ようやく小津作品の価値がわかるようになりました。「浮雲」をはじめ成瀬作品も10年後に見たら、感じ方が変わってくるでしょうね、
投稿: 酔生夢死浪人 | 2006年8月10日 (木) 11:59