プライドと偏見
2005年 イギリス 2006年1月公開
監督:ジョー・ライト
原作:ジェイン・オースティン『高慢と偏見』
出演:キーラ・ナイトレイ、 マシュー・マクファディン 、ドナルド・サザーランド
ブレンダ・ブレッシン、ロザムンド・パイク、ジュディ・デンチ、サイモン・ウッズ
ルパート・フレンド、トム・ホランダー、クローディー・ブレイクリー、
ジェナ・マローン
キャリー・マリガン、タルラ・ライリー
『高慢と偏見』はイギリスの女性作家ジェイン・オースティン(1775-1817)の最も有名な小説である。彼女は全部で6冊の長編小説を残している。作品の出来にほとんど差はない。
Sense and Sensibility (1811) 『いつか晴れた日に』(キネマ旬報社)
Pride and Prejudice (1813)『高慢と偏見』(岩波文庫、他)
Mansfield Park (1814)『マンスフィールド・パーク』(集英社)
Emma (1815)『エマ』(中公文庫、他)
Northanger Abbey (1818) 『ノーサンガー・アベイ』(キネマ旬報社)
Persuasion (1818)『説きふせられて』(岩波文庫)
ジェイン・オースティンはジョージ・エリオットやブロンテ姉妹などと並んでイギリスで最も尊敬されている女性作家である。国民的作家だけあって、イングリッシュ・ローズの中に ジェイン・オースティンと名付けられた黄色いバラもある。彼女の小説はすべて映画化されているが、有名なのは比較的最近のものである。アン・リー監督、エマ・トンプソン主演の「いつか晴れた日に」(95年)、ダグラス・マクグラス監督、グウィネス・パルトロウ主演の「エマ」。『高慢と偏見』はBBCにより95年にジェニファー・イーリーとコリン・ファース主演でドラマ化されている(残念ながら未見)。BBCのイギリス文学ドラマ化作品はいずれも質が高く、かなり原作に忠実なので必見である。
映画化作品としては「いつか晴れた日に」の出来が抜群によい。エマ・トンプソンは名優ひしめくイギリス映画・演劇界にあって、中堅女優としてはダントツだろう。他に比肩すべき女優が思い当たらない。「エマ」は水準の出来だが、悪くはない。「プライドと偏見」(何という中途半端な邦題だ)はその中間あたりの出来か。ヒロインのエリザベス・ベネットを演じたキーラ・ナイトレイがなかなか魅力的だった。イギリスのミドルセックス出身。「穴」で始めて観たときはソーラ・バーチに隠れてあまり印象に残らなかったが、「ベッカムに恋して」では(主演のパーミンダ・ナーグラの親友の役)なかなかかわいい女優だと思った。その後「パイレーツ・オブ・カリビアン」でブレイク。「キング・アーサー」は映画そのものが今一だったが、「ドミノ」(未見だが近々観る予定)の評判は良く、着実にキャリアを重ねている。一方、ミスタ・ダーシーに扮したマシュー・マクファディンには相当違和感があった。うつむきがちで寡黙な男というイメージになっており、彼の高慢さがさっぱり感じられなかった。エリザベスとの出会いの場面では、人を見下したような彼の高慢さがいやらしいほど出ていなければならない。もっと高慢で不機嫌な男に「見え」なければならない。原作では強烈な経験なのである。そうでなければ彼に対するエリザベスの激しい嫌悪感が十分描けない。かなり後のほうになるまでエリザベスは彼に嫌悪感を持ち続けていたのである。それは実際ダーシーがいやな奴だからである。もっとも、自分だけが物事を正しく見ているという彼女の慢心が彼への偏見を生み、彼の本当の姿を見失わせてもいるわけだが。猛烈な嫌悪感があったからこそ彼の真意を知ったときのエリザベスの驚き、自分の偏見と思い上がりに対する反省がリアルに伝わってくるのである。あんな暗い目立たない男ではダーシーらしさがまったく感じられない。
何せ彼は年収1万ポンドの大地主なのである。J.P.ブラウン著『19世紀イギリスの小説と社会事情』(英宝社、昭和62年)によれば、「貴族階級とは、1万エーカー(約18平方マイル)をこえる私有地をもつ大地主から成っていて、彼らは大部分がいわゆる爵位貴族階級に属していた。年間1万ポンドを上まわる収入を産み出す資産をもち、絶大な権力を備えたこの一握りのグループの数は、3百世帯から4百世帯程度であった。」ダーシーは爵位こそ持っていないが、彼の年収1万ポンドは貴族に匹敵する。彼の領地ペンバリーにいたっては目で見える範囲すべてが彼の領地という広大さ。とにかく、英国貴族の領地の広大さは日本では想像できないほどで、子供が庭で迷子になることもあるほどである。そういう身分である彼の態度には本人が自覚していなくても高慢さ(特に身分の低いものを見下す態度)がにじみ出てしまうのだ。それがマシュー・マクファディンからはさっぱり感じられない。その点が残念だった。
原作『高慢と偏見』はいわば「婿探し物語」であり、その主題は「結婚」である。だが、決して単なるラブ・ロマンスではない。ヒロインのエリザベスは自分の周りの人物たちをいつ も観察している。彼女の周りの人たちの性格や行動が彼女の目を通して描かれる。小さな田舎町に暮らすアパー・ミドルの人たちの暮らしをリアルに描いた小説なのである。その人間観察、人物描写の的確さ、見事さがこの小説の価値を支えている。だが、映画は人間観察からラブ・ロマンスに重点を移している。2時間という映画の枠に収めるためには仕方のない処理なのかもしれない。むしろ原作の雰囲気を結構残していることを褒めてもいい。
ストーリーの中心にいるのはエリザベスの家族、ベネット一家。エリザベスの両親を演じたドナルド・サザーランドとブレンダ・ブレッシンが出色。対照的な夫婦だ。その性格の違いは原作の冒頭で見事に描き出されている。英文学史上有名な書き出しである。近所に大地主が越してくるから挨拶に行ってくれと大騒ぎをする母親。われ関せずとそ知らぬふりをする父親。最初の2、3ページで早くも読者はこの小説の世界にすっかりはまり込んでいる。ミスタ・ベネットはやや世間を斜に構えて見ている男だが、分別のある好人物。ドナルド・サザーランドが飄々とした演技でいい味を出している。息子のキーファーが大活躍だが、まだまだこの親父も負けていない。
母親のミセス・ベネットは5人の娘に何とか良縁を見つけようとそればかり気にかけている女性。原作も皮肉を交えてこっけいに描いている。「秘密と嘘」、「ガールズ・ナイト」、「リトル・ヴォイス」のブレンダ・ブレッシンはこういう役柄を演じさせたらまさにぴったり。かなりこっけいに描かれているが、彼女があれだけ婿探しに夢中になるには切羽詰った事情もある。いうまでもなく子供が5人とも娘ばかりで相続人がいないのである。映画の途中で従兄弟のコリンズ(トム・ホランダー)という男が出てくる。限定相続なので財産は男系親族であるコリンズが相続することになる。相続権のない娘たちは裕福な男と結婚する以外生きる道がない(働くなど問題外だ)。もし売れ残ろうものなら身内の情けにすがって、周りから軽蔑されながら細々と食いつないでゆくしかない。せいぜい残されているのはガヴァネス(住み込みで上流の子弟を教える家庭教師)になる道くらいである。実際に遠縁の男に財産を奪われ惨めな境遇に転落した一家を描いたのが『いつか晴れた日に』である。夫を失った妻と三人の娘(妻にすら相続権はないのだ!)が屋敷まで奪われ、狭苦しい家で細々と暮らしている。
だから娘たちも婿探しに血道を上げるのである。映画ではハンサムな軍人や裕福な地主が現れるたびにキャピキャピ騒ぎまわる様子が描かれている。原作もそう大差はない。 コミカルな持ち味は原作にもある。社会学的な関心がオースティンにあるわけではない。あくまである状況下に置かれた人物たちの性格や振る舞いを事細かに描くことに関心がある。生活描写と性格描写が命なのだ。その焦点はほとんど娘たちに当てられる。無権利状態に置かれていた娘たちはたとえ男の兄弟がいる場合でも結婚する以外に「幸せをつかむ」道はなかったのである。相手が見つからなければ、相続者となった兄弟の家に厄介者のオールド・スピンスター(昔は「老譲」というすさまじい訳語が当てられていた、オールド・ミスのことだがこれも今や死語?)として肩身の狭い思いで暮らしてゆくしかないのである。
5人姉妹の下3人はまだ子供だが、長女のジェイン(ロザムンド・パイク)と次女のエリザベスはさすがに落ち着きがある。ジェインはしとやかで控えめな、いかにも長女タイプ。一方エリザベスは自分の考えをしっかりと持ち、はっきりと意見を言う女性。結婚という人生のゴールは変わらないが、とにかく自分の理想にあった人物をじっくり探そうとするところが他の姉妹と違う。当時の倫理的枠組みを踏み越えてはいないが、はっきりとした自覚と意思を持った女性であって、その点が一番の魅力である。映画ではキーラ・ナイトレイの美貌にだいぶ頼ってはいるが、彼女の自由ではつらつとした振る舞いは確かに魅力的だ。
ダーシーがエリザベスに心を惹かれていると知ったキャサリン夫人(ダーシーの叔母)がものすごい剣幕で怒鳴り込んでくる場面がある。演じるは大女優ジュディ・デンチ。「アイリス」でボケが進んだ晩年のアイリス・マードックを演じ、「ラヴェンダーの咲く庭で」では孫ほどの男性に恋してしまう繊細な老女に扮した彼女が、ここでは一転して威圧感辺りを払う暴君のごとき上流婦人として登場する。頭からエリザベスを見下し散々彼女に圧力をかけてゆくが、エリザベスは一歩も後に引かない。負けずにやり返す。ここは原作でもクライマックスのひとつ。自分だけは物事の理非をわきまえていると自信過剰気味で、幾分分別臭いところのあるエリザベスだが(映画ではさほど強調されてはいないが)、この場面では読者・観客全員の共感を得てしまう。権威に屈せず、自分の気持ちを曲げようとしないからだ。エリザベスの面目躍如たる場面だ。
「エマ」はイギリス映画ではあるが、アメリカ人女優グウィネス・パルトロウをヒロインに据えたためだろう、ほとんどラブ・ロマンスになってしまった。「プライドと偏見」は、その中途半端な邦題から同様の不安を持っていたが、イギリスが徹底した階級社会であり、性のダブル・スタンダードが支配していた社会であることをきちんと描いているため、単なるラブ・ロマンスには堕さなかった。その意味で「エマ」より優れている。一方、ダーシーの描き方に不満が残る分「いつか晴れた日に」には及ばなかった。
登場人物ばかりではない。イギリスの景観と壮麗な大邸宅も魅力の一部。実際の映像で見せられるのは小説には出来ない映画の長所。パーティでのダンス・シーンなども映像の力を駆使している。映像面ではたっぷり楽しめる。
古典を映画化する場合、古臭さを嫌って現代ものに置き換えてしまうことがよくある。しかし小説も戯曲も作品の中には時代が反映されている。その時代ならではの苦悩もある。現代劇に置き換えたとたん元の作品が持っていた重要な要素が抜け落ちてしまう。ただ筋だけが似ている魂の抜け落ちたような作品になってしまいがちである。アメリカ版「大いなる遺産」(アルフォンソ・キュアロン監督、97年)はその悲惨な失敗例。デヴィッド・リーン版(47年)に遠く及ばない。ごくまれにシェイクスピア劇などに優れた翻案が生まれることはあるが、よほどの工夫をしなければ大概は失敗に終わる。「いつか晴れた日に」も「エマ」も「プライドと偏見」も無理やり現代版に置き換えようとはしなかった。これはひとつの見識だと思う。
なお、「プライドと偏見」の原作『高慢と偏見』については「イギリス小説を読む② 『高慢と偏見』」で簡単に紹介しているので、興味のある方はそちらもどうぞ。時代背景などを知る上では「イギリス小説を読む① キー・ワーズ」も多少参考になるかもしれない。また、イギリスでは階級によって話す言葉まで違うことを分かりやすく説明した『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)もイギリス社会を理解する上で絶好の入門書。これは必読。
■ドナルド・サザーランド出演作 おすすめの10本
「コールド・マウンテン」(2003)
「ハッピー・フューネラル」(2001)
「評決の時」(1996)
「JFK」(1991)
「白く乾いた季節」(1989)
「普通の人々」(1980)
「1900年」(1976)
「ジョニーは戦場へ行った」(1971)
「M★A★S★H マッシュ」(1970)
「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965)
■ジュディ・デンチ出演作 おすすめの10本
「プライドと偏見」(2005)
「ラヴェンダーの咲く庭で」(2004)
「アイリス」(2001)
「シッピング・ニュース」(2001)
「ショコラ」(2000)
「ムッソリーニとお茶を」(1999)
「恋に落ちたシェイクスピア」(1998)
「Queen Victoria 至上の愛」(1997)
「ヘンリー五世」(1989)
「眺めのいい部屋」(1986)
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» プライドと偏見/試写会 [如意宝珠]
プライドと偏見(原題PRIDE & PREJUDICE) http://www.pride-h.jp/ 2005年製作 米
監督:ジョー・ライト
出演者:キーラ・ナイトレイ
マシュー・マクファディン
ロザムンド・パイク
公開は 1/14(土)~
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試写会 12/21(水) スペースFS汐留
<ストーリー>
18世紀末イギリスの上流社会。 田舎町に住... [続きを読む]
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文芸の世界がみずみずしくリズミカルによみがえる。
軽快でありながら、ロマンティックで満足。
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ほんやら堂さん TB&コメントありがとうございます。
あのラストは皆さんほめていますね。僕も素晴らしいシーンだったと思います。タイトルに関しては僕の思い込みが強いだけかもしれません。最初にタイトルを見た時に「高慢と偏見」のことだと気がつかなかったので、何でそんなタイトルにしたのかと腹が立ったのです。うるさく言うほどのことではないかもしれません。
投稿: ゴブリン | 2006年7月22日 (土) 21:25
ゴブリン様,TBありがとうございました.
小生にとっては,最後のエリザベスと父親のシーンが印象的でした.終わりよければすべて良し.
題名に関しては,「高慢」と「プライド」は微妙に違う気がするのですが,原作を読んでいないのでその辺何とも言えません.
ではまた.
投稿: ほんやら堂 | 2006年7月21日 (金) 23:33
小米花さん コメントありがとうございます。
オースティンの小説は200年も前の作品なのに今でもほとんど違和感なく読めてしまいます。時代も国も文化も違うのですが、それらを超えて分かり合える共通項が人間にはあるのでしょう。考えてみれば200年前は日本も階級社会でしたからね。他の作品も映画化されて、日本で知られるようになるといいですね。
また時々お寄りください。
投稿: ゴブリン | 2006年7月10日 (月) 21:38
お先にコメントいただいて、ありがとうございます!
感想がとても丁寧に書かれていますね~。
オースティンのファンであることが一読してわかりました。
私の感想は本当に一言ボソッと書くだけなので、見に来ていただくには申し訳ない感じです。
これからも、宜しくお願い致します。
投稿: 小米花 | 2006年7月 9日 (日) 21:20