ミリオンズ
2004年 アメリカ・イギリス 2005年11月公開
監督:ダニー・ボイル
脚本:フランク・コットレル・ボイス
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
美術:マーク・ティルデスリー
音楽:ジョン・マーフィー
出演:アレックス・エデル、ルイス・マクギボン、ジェームス・ネスビット
デイジー・ドノヴァン、クリストファー・フルフォード
ダニー・ボイル監督。最初はTVで活躍していたが、「シャロウ・グレイブ」(1995)で映画界に鮮烈デビュー、「トレインスポッティング」(1996)で一躍有名になる。その後アメリカに渡り、「普通じゃない」(1997)、「ザ・ビーチ」(1999)、「28日後」(2002)を撮るがどれも凡作。アメリカに渡ってだめになった監督の典型かと思われたが、「ザ・ビーチ」と「28日後」の合間にイギリスで撮ったTVドラマ「ストランペット」(2001、本館HP「緑の杜のゴブリン」の「映画日記」コーナーにレビューがあります)と「ヴァキューミング」(2001)は以前の疾走感と毒気とエグみを幾分取り戻していた。やっぱりイギリスでないとこの人はだめなのね。それじゃとばかりに「28日後」は舞台をロンドンに設定してみたが、作りはアメリカのB級映画。ボロボロの駄作だった(いいのは出だしだけ)。それでもめげずに、新作「ミリオンズ」ではまたまたイギリスに舞台を設定し、これでもかとイギリスらしさを前面に押し出した。結果は久々の快作。「トレインスポッティング」ほどの毒気はないが、映画の出来とすれば「トレインスポッティング」と並ぶ彼の代表作となった。もっと早く過去の成功作の呪縛から脱して新しい「芸風」を身につけるべきだったと思うが、改めるのに遅すぎることはない。よしよし。金に目がくらんでアメリカに渡ったのかもしれないが、これからはちゃっかり金だけアメリカに出してもらって、映画はイギリスで撮るがよろしい。
この映画の魅力は何といっても主人公のそばかす少年ダニエル(アレックス・エデル)にある。いまどき珍しいほどの純粋な心を持った少年だ。その少年が思わぬ大金を手にすることになる。それにはある予兆があった。イギリスでは家に名前を付けることがよくある(日本でも昔の風流人が「○○庵」などと付けていたことはあるが一般的ではない)。ダニエルの家の名はserendipity(思わぬ発見)。もちろん空から大金が降ってくることを暗示している。引越しと同時にダニエルが空き地に作った段ボールハウスの上にある日大金の詰まったバッグが降ってくるのだ。兄のアンソニー(ルイス・マクギボン)と数えてみると22万9320ポンドも入っていた。アンソニーはぱっと使ってしまおうとするが、ダニエルは拾ったお金を貧しい人に上げようと言う。アンソニーは「そんなのどこにいる。ここは高級住宅地だぞ」と反対する。それでもダニエルは考えを変えず、会う人毎に「あなた貧しいですか?」と聞いて回るところが何とも可笑しい。子供は単刀直入だ。ついには質問にイエスと答えた近所のモルモン教徒の家にこっそり「贈りもの」をする。贅沢を嫌うモルモン教徒が大きな包みを抱えてスクーター(これも買ったもの、前は自転車に乗っていた)で帰ってくるところも滑稽だ。急にぜいたく品を買いだしたので怪しまれ、警察に職務質問されたときも終始ニコニコ顔を崩さない。
全編を貫くこのコミカルな演出が効果的である。見つけた大金を役所に届けると言っていた弟に、アンソニーがそんなことをすると税金を40%も取られると話す。「どれくらいか分かるか。ほとんど全部だ。」おいおい。ちゃんと算数習ったのか(笑)。このアンソニー、まだ10歳なのだが妙に世故に長けている。「お母さんは死んじゃった」と言うと大人から色々な物を貰えるとダニエルに教えたのも彼だ。始めのうちは舞い上がってホームレスたちにピザをおごって168ポンドも使ったりするが、そのうち不動産を買えば値上がりして利益が上がると言い出す。ドラえもんのような弟とホリエモンのような兄。このあたりの兄弟の描き分けも見事だ。
もうひとつ全体の基調をなすのはシュールな演出。新居が建つ予定地に兄弟で横たわり、新しい家を想像する場面がある。するとたちまち壁が立ち上がり家具が出現し屋根が付けられて家が出来てゆく。子供の想像力とCGの技術がマッチした面白い場面である。もっともシュールなのはダニエルにいろんな聖人が見えること。何人も現れてはダニエルにアドバイスをしてゆく。いろんな守護聖人がいるのが可笑しい。鍵や防犯対策の守護聖人なんてのもいた。八百万の神様じゃあるまいし、そんな聖人本当にいるのか?アッシジのフランチェスコやナザレのヨセフなど聖人の名前はみな本物だが、その逸話にはダニエルの創作が入っている気もする(正確なところはわからない)。それはともかく、転校先の学校で先生が尊敬する人を挙げなさいというと、ほとんどの生徒はマンチェスターUの選手名を挙げるが(ダニー・ボイル監督の出身地であるマンチェスターが舞台)、ダニエルは次々に聖人の名前を挙げ周りをうんざりさせる。どこか滑稽でシュールなのだが、この背 景には悲しい事実があった。ダニエルはどの聖人にも必ず「聖モーリーンに会ったことがありますか」と尋ねる。聖ニコラスにも同じ質問をすると、彼は「何をした?」と聞き返す。「セルフリッジの化粧品売場で働いていました」と答えるダミアン。変な聖人だと一瞬思うが、何せ「鍵や防犯対策の守護聖人」がいるくらいだからそれほど奇妙だとは思わない。だいぶ後の方でダニエルがある化粧品売り場に行ったときすべてが分かる。引っ越す直前になくなったダニエルの母親がそこで働いていたのである。そこまで来て、モーリーンが母親の名前だったことがやっと観客に分かるのである。憎いほどうまい演出だ。おそらく彼に聖人が見えるようになったのは母親が亡くなってからなのだ。母親は聖人になれたのか、新入りの聖人が天国で元気でやっているのかずっと気にかけていたのである。
ダニエルのソバカス顔と無邪気でけなげな発想が何ともかわいい。それがこの映画の一番の魅力である。しかし映画全体はそう単純で優しいばかりの作品ではない。ファンタジーの系統に入る作品だが、かなり辛らつな皮肉が込められたファンタジーである。そもそも降ってきた現金はユーロの切り替え前に回収されたポンド札だった。強盗団がその金を奪って、列車から仲間に向かって投げ落としたバッグがたまたまダニエルの段ボールハウスの上に落ちてきたのだ。ポンドからユーロへの切り替えはもちろん架空の話だが、奪われたポンド札をめぐって大人たちが右往左往する様を描く視線は皮肉たっぷりだ。大金が父親(ジェームス・ネスビット)に見つかり、神様の贈り物かと思ったとダミアンが言うと、父親は「神様が現金なんか配るか」と一蹴し、現金を警察に届けようとする。しかし家が強盗段に荒らされているのを見たとたん、あっさりと猫糞を決め込むパパ。そのパパが仲良くなってしまうチャリティーワーカーのドロシー(デイジー・ドノヴァン)も、学校でチャリティー資金を集めている場面はどことなく胡散臭げに描かれている。結局はいい人だったのだが。そして彼女がエチオピア救済チャリティのボランティアをしていたことがラストに繋がってくる。
これにさらに付け加えられているのはサスペンスの要素。奪った金を横取りされた間抜けな強盗がダミアンに迫ってくる一方で、その金の横取りを決めたダミアンの父たちがポンドをユーロに換金しようと必死で走り回る。強盗の男(クリストファー・フルフォード)は凄みがあるが、行動はどこか間が抜けている。ハラハラドキドキというより「ホーム・アローン」の乗りだ。最初にその男に気づかれそうになったとき(ダミアンがうっかりその貧乏そうな男にお金をたくさん持っていると話してしまう)、兄が気をきかせてビンに小銭をつめて大金だけどあげるよと男に渡してごまかすエピソードは秀逸だった。
後半はドタバタ調になるが、ラストはまたファンタジーに戻る。いろんな要素を盛り込んではいるが、やはり基本はファンタジー。ダニエルはひとり家を抜け出して線路でお金を燃やしてしまう。その上を列車が走り抜けてゆく。列車が通り過ぎると、線路の向かい側にママが座っていた。5分間だけの邂逅。ママが「髪にコンディショナーを付けなさい」とダミアン に言うせりふは実に自然でいい。いつもそんな風に子供に話しかけていたのだろう。記憶の中で美化された美人の母親ではなく、ごく普通のおばさんなのがまたいい。ダミアンは聞く。「ママは聖人なの?」「厳しい審査があるの。善を行うだけではダメで、奇跡を起こさないといけないのよ。」「それで?」「ママはもちろん合格。」「どんな奇跡を起こしたの?」母親の答えは書かないでおこう。最後はアフリカに飛ぶ。文字どおり飛ぶのだ。
初期の2作とはだいぶ作風が違うが、久々にダニー・ボイル監督の本領が発揮されている。様々なタイプの映画を撮れてこそ一流の証。監督はインタビューで「28日後」の後「なんでも好きなことができるようになれたのはとても幸運だった」と語っている。逆に言うとそれまでは制限があったということになる。ハリウッドで気にそまない作品を作らされていたということだろう。ある意味で初心に帰った作品なのだ。本人も「ミリオンズ」は「シャロウ・グレイブ」と同様誠実に作った映画だと言っている。ダミアンの描き方には敬虔なカトリック教徒だった母親の影響もあるようだ。「ダミアンの母親は、人を信じることができる人間にダミアンを育てた。ぼく自身も、母親にそう育てられたんだ。人が誰かを信じれば、その誰かも別の誰かを信じることができる。そうやって、人を信じる心は、波紋のように伝わっていくと思うんだ。今の時代に、人を信じろなんて言うのは、時代錯誤かもしれない。でも、ぼくは、楽天的な人間なんだ。そして、今こんな時代だからこそ、楽天的な映画が作りたかったというのもある。実際世の中で起こっているのは暗い出来事が多い。そんな中で、希望を示せればいいなって。」
金に縛られているこの世界に対抗するダミアンの武器は想像力だった。「ダミアンと聖人の関係で重要なのは、彼の信仰心ではなくて、彼の想像力のほうだ。それが、聖人と彼をつなげている。彼は明らかに、アーティストになるべき人なんだ。彼の想像力は、あらゆることに対抗できる。お金とか、悪事とか、物質主義社会の誘惑とかね。」監督自身「トレインスポッティング」のように子供の頃電車を眺めてはロマンを感じていたという。「電車が夢を運んで来るという考えが入っている映画なんだ。」
脚本は「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を書いたフランク・コットレル・ボイス。ダニー・ボイル監督の意見もだいぶ取り入れたようだ。「ブラス!」、「グリーン・フィンガーズ」、「シーズン・チケット」、「リトル・ダンサー」、「ベッカムに恋して」、「カレンダー・ガールズ」などの系統に属する前向きで楽観的な作品。いかにもクリスマスにふさわしい映画に仕上った。この映画自体が贈り物だ。
« 待望の連休 | トップページ | ロード・オブ・ウォー »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
bettyさん コメントありがとうございます。
ダニエル君の純真な魅力にはかないませんね。決して泣いたりしないけれど、ママに対する思いが素直に伝わってきます。
それにしてもあんなにたくさんの聖人のことをダニエルはどうやって覚えたのでしょう?とてもお父さんが教えたとは思えないのですが。『世界の聖人』なんて絵本でもあるのでしょうかね(笑)。
投稿: ゴブリン | 2006年7月16日 (日) 00:17
TBありがとうございました。
弟がドラエモンみたい、とは言い当てて妙ですね~、
子どもの想像力には際限がないですね。
想像力を失うにつれ、お金に目覚めていうのでしょうか、
この映画はそんな人間たちに純真な気持ちを思い起こさせてくれる・・・
>この映画自体が贈り物だ。 <
まさにステキな贈り物でした。
投稿: betty | 2006年7月15日 (土) 17:51