スタンドアップ
2005年 アメリカ 2006年1月公開
監督:ニキ・カーロ
製作:ニック・ウェクスラー
脚本:マイケル・サイツマン
製作総指揮:ヘレン・バートレット、ナナ・グリーンウォルド
ダグ・クレイボーン、ジェフ・スコール
原作:クララ・ビンガム、ローラ・リーディー・ガンスラー
撮影:クリス・メンゲス
美術:リチャード・フーバー
編集:デイビッド・コールソン
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
衣装:シンディー・エバンズ
出演:シャーリーズ・セロン、フランシス・マクドーマンド、ショーン・ビーン
リチャード・ジェンキンズ、ジェレミー・レナー、ミシェル・モナハン
ウディ・ハレルソン、シシー・スペイセク、ジェイムズ・カーダ
ラスティー・シュウイマー、リンダ・エモンド
昨年末から今年の2月にかけてアメリカ映画の力作が集中的に公開された。それらの作品が半年ほど遅れて今次々とレンタル店に並び始めた。さきがけとして昨年末に公開された「ロード・オブ・ウォー」はラディカルな姿勢を最後まで貫いた傑作だった。「ミュンヘン」や「シリアナ」にはがっかりしたが、今回取り上げる「スタンドアップ」はこれまた堂々たる傑作だった。「クラッシュ」、「ジャーヘッド」、「ホテル・ルワンダ」、「アメリカ家族のいる風景」なども期待できそうだ。
「スタンドアップ」は実話に基づいている。ミネソタ州のエヴェレス鉱山で働いていたロイス・ジェンセンというシングル・マザーがセクハラで鉱山会社を訴えた裁判(アメリカで最初のセクハラをめぐる裁判)が元になっている。原案となったノンフィクション「集団訴訟――セクハラと闘った女たち」は竹書房から文庫版で翻訳が出ている。映画では80年代末頃の設定になっていたと思うが、ロイス・ジェンセンが就業したのは1975年である。訴訟に訴え出たのは80年代のようだが、裁判所で受け付けるかどうか紆余曲折があり、その上会社側の引き伸ばし工作などによってだいぶ長引いたようだ。98年にやっと和解に至った。就業してから20年以上も経過した長い戦いだった。原告が手にした和解金はわずかだったが労働者保護法が作られるという成果を導き出した。
差別是正措置であるアファーマティブ・アクションは60年代の後半ごろから導入されているはずなので、75年就業のロイス・ジェンセンはその措置で炭鉱に進出した最初の世代ではないと思われる。しかしまだセクシュアル・ハラスメントという言葉も一般的ではなかった頃だから相当な嫌がらせを受けていたと想像できる。
映画でも炭鉱会社は法律の縛りでいやいやながら女性を受け入れてはいるものの、セクハラは見てみぬ振り。「それくらい我慢しろ、我慢できないなら辞めろ」という姿勢が露骨だ。辞めてくれれば会社の思う壺である。単に従業員だけが野卑で愚かなのではなく、会社ぐるみだという点を見逃してはいけない。労働組合さえ何の頼りにもならない。むしろセクハラ男の味方だ。同じ女性従業員たちですら、仕事を失いたくないあまりに非協力的だ。むしろ主人公の行動を迷惑がっている。その上シングル・マザーで上の子と下の子の父親が違うために父親からも疎んじられている。主人公のジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)は孤立無援だったのである。
映画の冒頭ジョージーは夫のドメスティック・バイオレンスを逃れて実家に避難してくる。彼女を迎える父親ハンク(リチャード・ジェンキンズ)の態度は実に冷たい。殴られた痕が残る娘の顔を見て「浮気がばれて殴られたのか」というような言葉を投げつける。この一言で、ミネソタの田舎町がいかに保守的な気風であるかがいやというほど伝わってくる。特にジョージーの上の子の父親が誰か分からないために、若い頃さんざん遊び歩いたふしだらな娘だと父親は思い込んでいる。彼ばかりか狭い地域社会ではみなそのことを知っている。映画の最後の裁判の場面で明らかになるが、実はそれはまったく根拠のない噂で、彼女には息子の父親を明かせない事情があったのだ。真相を知った父親が法廷で「その男」に殴りかかり退廷させられる場面が出てくる。
ジョージーは実家に戻ったものの、いつまでも親の厄介になっているわけには行かない。親もそれを望んではいない。日本と違って大人になった子供は親と同居しない。ジョージーは働き口を探す。たまたま町で出会った旧友のグローリー(フランシス・マクドーマンド)から炭鉱で働くことを進められる。だが父親は同じ炭鉱で働いているので反対する。しかし母子家庭で二人の子供を育てるには給料のいい炭鉱で働く以外に道はない。
同時採用の女性たちと職場を案内されたジョージーは早速男たちからセクハラの洗礼を受ける。すれ違いざまに汚い言葉を浴びせかけられる。それからは苦難の連続だ。ロッカールームで一人涙を流すこともあった。グローリーは「女を追い出す口実を与えちゃだめ」と励ます。グローリーは組合の役員でもあり、持ち前の負けん気で男どもの汚い言葉にやり返す。それができるのは彼女だけだ。他の女性はみなひたすら我慢している。彼女たちがなぜそうまでされてなおこの職場にかじりついているのか詳しく描かれてはいない。それぞれ色んな事情があったのだろうと想像するしかない。グローリーの夫のカイル(ショーン・ビーン)も炭鉱で体を壊して職場を離れている。他の女性たちも母子家庭であったり病気の肉親を抱えているなどの深刻な事情があったと思われる。
ひどい扱いにジョージーは一人立ち向かおうとする。彼女は最初社長に直訴するが、「辞めるときは通常なら2週間前に申し出なければならないが、君の場合特別に今すぐ辞めていい」と冷たくあしらわれる。果ては息子まで学校で差別されることになる。ついに彼女は決心した。同じ町に住む弁護士のビル・ホワイト(ウディ・ハレルソン)を口説き落とし会社を相手取って訴訟を起こす。
以上が裁判を起こそうと決意するまでの経過である。なぜジョージーにここまでの行動が取れたのだろうか。単に女性は強いというだけでは不十分だろう。我慢している女性従業員もいる。グローリーですら集団裁判に持ってゆくには原告が最低3人必要だと協力を求められた時断っている。あるいは男性の中にも訴訟を引き受けたビル・ホワイトのような勇気ある男もいた。おそらく、ジョージーの強さは守るべきものを持っている人の強さなのだ。もちろん、その強さは彼女に最初同調しなかった他の女性たちにもあった。彼女たちにも守るべき生活があった。だから訴えることもせずじっと我慢していたのだ。あの執拗なセクハラに耐えて職場にかじりついているのは並大抵のことではない。彼女たちの背後には泣く泣く職場を辞めていったその何倍もの女たちがいるに違いないのだ。彼女たちも強い。しかしジョージーはただ受身的に生活を守るだけでは同じことが続くだけで、会社と男たちの考えを改めさせなければ根本的な解決にはならないと考えた。ただ受身的に守るのではなく、改善を求めて立ち上がった。取った方法は違っていたが、共に強かったのはどうしても守りたいものが彼女たちにあったからだ。
ではジョージーが守りたかったものとは何であったか。ビル・ホワイトに訴訟の依頼をした時の会話に重要なヒントが含まれている。ビルは最初断る。「裁判に勝っても現実は厳しいぞ。」「正しいのに。」「正しくても現実の前では無力だ。アニタ・ヒル(注)を見ろ。法廷は鉱山よりひどいぞ。君をあばずれ呼ばわり。″誇大妄想″だの、″自分で誘った″だのと言われて傷つくだけだ。新しい仕事を見つけてやり直したほうがいい。」「やり直すのは無理よ。」「君は美しい。いくらでも・・・」「″養ってくれる男が見つかる″って?自分でちゃんと稼いで子供を養いたいの。これは女性みんなの問題よ。どうでもいいって?」
「これは女性みんなの問題よ」というせりふも大事だが、男に養ってもらうのではなく「自分でちゃんと稼いで子供を養いたい」という言葉こそ重要である。実家に帰る前は専業主婦で毎日のように夫に殴られる生活だったのだろう。もう自分は誰の世話にもならない。自分と子供の生活費は自分で稼ぎたい。あちこち壁紙が剥げている家を自分で稼いだ賃金で買ったときの彼女の誇らしげでうれしそうな顔。初めて子供たちとまともなレストランで食事をした時の彼女の顔の輝き。彼女は働くこと、自分の手で生活費を稼ぐことの喜びを初めて味わったのだ。ジョージーは「人形の家」を出て精神的に自立しただけではなく、魯迅が提起したより困難な課題、経済的自立までも手に入れたのである。さらに彼女には守るべき子供が二人いた。そもそも炭鉱のきつい仕事を選んだのも子供たちのためだ。子供のためならどんなことでもする。彼女は何度もそう言った。だが、彼女が求めたものは何も特別なことではなかった。それは当たり前の、なんでもないささやかな幸せに過ぎない。自分たちの家を持ち、仕事をして収入を得、子供を守り育てる。平凡だが幸せな生活。そのささやかな生活(もはや「夢」ではない、現実の生活)を会社と職場の男どもは許さなかったのだ。だからこそ、彼女は敢然と立ち上がったのである。ここで諦めたらやっと手に入れた自分たちの生活ばかりか人間としての誇りまでも失うことになる。
組合の集会で父親が立ち上がって娘を誇りに思うと発言した場面も感動的だが、僕が最も素晴らしいと思うのは、ジョージーが自分で働いて生きることに喜びを感じてゆく姿を丁寧に描いたことである。会社はそれを許さなかった。執拗であからさまなセクハラにも観ていて腹が立ったが、会社と同僚の男たちがジョージーからこの生きる喜びを奪おうとしていることにより強い怒りを覚える。男から職を奪うのをやめて、女はおとなしく家庭に戻って男に「養われて」いればいい。そうすればかわいがってやるよ。女性従業員のシェリーが中に入っている簡易トイレをゆすってひっくり返し糞まみれにしてしまう、すれ違うたびに、「あばずれ、メス豚」などの汚い言葉を浴びせる、弁当箱の中にペニスの形のおもちゃを入れるなどの子供じみたいじめ(何という心の貧しさ)以上に問題なのは、その背後にあるこういう考え方だ。家庭も大事だが、女性が働きたい時や働く必用があるときにそれを保障することも大事だ。男たちが投げつけるシモネタ満載の言葉の裏に「お前らは家に引っ込んでろ」という本音が潜んでいる。
後半は裁判の行方と同時に、一人また一人と彼女の仲間が増え、一時ずたずたになっていた家族の絆が取り戻される過程を描く。彼女はたった一人で立ち上がった。しかし一人では戦えないのだ。この後半部分は感動的だ。果敢に汚れ役に挑んだ主演のシャーリーズ・セロンも素晴らしいが(美人すぎるのでまだ汚れたりない気はするが、迷いながらもうつむかずにきっと前を見つめる姿が魅力的である)、彼女を脇で支える助演陣がまた見事だ。中でも群を抜く存在感を示したのはジョージーをずっと支え続けたグローリー役に扮したフランシス・マクドーマンド。素晴らしい女優だ。彼女をめぐるビルとカイルの会話が面白い。ビル「なぜグローリーは迫害されないんだ?」カイル「グローリーは組合の代表だった。信頼を勝ち得ていたのさ。群れに迎合しないし、誇り高い。」ビル「群れは安全だ。群れれば生き残れるが孤立したら餌食になる。」
女性版ウィレム・デフォーという感じの渋い顔がここでは何ともどっしりとした信頼感と力強さを与える。ジョージーに「まず男にならないとダメ」と忠告したのは彼女だった。彼女自身その言葉どおりに実践していた。だが彼女はある病気のため職場を離れてしまう。ALS(筋萎縮性側索硬化症)で体の機能が次第に奪われてゆく。それでも気丈に普段どおりに振舞おうとする姿勢に強く胸を打たれる。その彼女を温かく世話し見守る夫のカイルがまたいい。ともに辛い状況に置かれながら、ジョージーにカイルの秘密を打ち明けて愉快そうに笑ったりと陽気に振舞っている姿に胸が熱くなる。カイルはまたジョージーの息子サミーとの関係でも重要な役割を果たした。裁判でサミーは自分の父親が母親のレイプ犯だと知ってしまう。はじめて事実を知ったサミーはジョージーを憎む。カイルの元に逃げてきたサミーをカイルは決して叱らなかった。彼は「人を憎むことはキツイぞ。その覚悟はあるのか」と語りかけるのだ。彼の言葉にサミーの憎しみが解けてゆく。別れる時にカイルはサミーに「友達として」腕時計を渡す。このシーンが実に見事だった。その後のサミーとジョージーが抱き合う場面よりも素晴らしいと思う。
カイルとビルは最初から町の男たちとは異質だった。炭鉱の男たちに迎合しようとしない。町の良心とも言うべき二人をショーン・ビーンとウディ・ハレルソンが味わい深く演じている。この二人は最初から安心してみていられる。グローリーとカイルとビル、ジョージーを支えたのはこの三人である。
だが、町の雰囲気を一変させたのはジョージーの父親のハンクだった。組合大会に乗り込んで演説する彼女に男たちが汚い野次を浴びせかける。それをじっと聞いていた父親がやにわに立ち上がり発言を求める。下がろうとする娘を脇に立たせ、彼は言葉を噛み締めるようにゆっくりとこう発言した。「君らを仲間だと、兄弟だと思ってた。だがここに友はいない。ここで誇れる人間は娘だけだ。」
父親は父親の言葉で、すなわち同じ炭鉱で働く男として語った。お前たちは仲間ではなかったのか?ジョージーの訴えよりも炭鉱の男たちにはこの言葉がこたえた。同じ職場で働く男たちの連帯感に訴えたのだ。彼らは下卑た無教養な男たちだが、それでもヤマの男たちだった。演壇を降りて退場する二人に何人もの男たちが立ち上がり拍手を送る。この描き方がいい。一方、後列に固まっていた女性たちは拍手もせず呆然と二人を見送っていた。
よく指摘されるが、 あれほど娘に冷たい態度をとっていたハンクが急に態度を変えたのは確かに唐突である。しかし一応の説明はされている。妻のアリスが彼を変えたのだ。娘に対する夫のあまりの無理解にアリスは家を出る。娘ばかりか母親も「人形の家」を出たのだ!口では娘に我慢しなさいと言いながら、肝心な時に娘を支えたのは母親だった。この描き方もいい。これにはさすがのハンクもこたえた。そう描かれている。しかし、そもそもハンクは心からジョージーを嫌っていたわけではないと考えるべきだろう。父親とは本心を隠して往々にしてああいう態度をとるものだ。この頑固親父を演じたリチャード・ジェンキンズが渋い。そして陰で娘を支え続ける母親を演じたシシー・スペイセクがまたすばらしい。いつの間にかすっかりばあさんになってしまったが、あの目立たないようでしっかりと家族を見守っているアリスの佇まいは彼女だからこそ表現できたものだろう。アカデミー主演女優賞を受賞した「歌え!ロレッタ愛のために」(80)や、地味ながら「ミッシング」(82)、「ザ・リバー」(84)、「ロング・ウォーク・ホーム」(90)などは一見をすすめたい。
監督を務めたのは「クジラの島の少女」の女性監督ニキ・カーロ。ハリウッドに渡ってつまらない映画を作らされないかと心配していたが、うれしいことに杞憂だった。今後も素晴らしい作品を送り出してくれるに違いない。願わくばスウェーデンからアメリカに渡った後も傑作を作り続けているラッセ・ハルストレム監督のようになって欲しい。
ラストで流れるボブ・ディランの「スウィートハート・ライク・ユー」とキャット・パワーの「パス・オブ・ヴィクトリー」(ボブ・ディラン作曲)も耳に残った。
(注) アニタ・ヒル
ブッシュ大統領によって最高裁判事に推薦された黒人裁判官クラレンス・トーマスの選任を決める上院司法委員会の審理で、かつてトーマス判事の部下であったアニタ・ヒル教授が彼にセクハラを受けたと証言した事件。彼女の話題がテレビで放映されている様子が映画の中で何度か映されていた。
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ほんやら堂さん TB&コメントありがとうございます。
この映画はそれほど広く観られていないような気がします。タイトルがあまり魅力的ではないからでしょうかね。しかしどっしりとした手ごたえのある素晴らしい映画だと思います。
単に戦う女としてではなく、1人の女性として自立して行く彼女の姿とそれを支える家族や職場の仲間をしっかりと描いています。政治ではなく生活がこの映画の根底にある。そこにこの映画の最も優れた説得力があるのだと思います。
投稿: ゴブリン | 2007年3月29日 (木) 12:12
ゴブリンさん,TB有り難うございました.
これは骨太な映画でしたね.受けて立ったシャーリーズ・セロンの演技も良かったけど,両親・カイル夫妻がいずれも良かった.
この映画は女性の自立と家族の再生というテーマを描き,極めて現代的な映画だと思います.個人的には組合員集会での父親の発言が,感銘的でした.
投稿: ほんやら堂 | 2007年3月28日 (水) 22:20
mimiaさん TB&コメントありがとうございます。
サンドイッチが父を変えたという指摘、さすがです。「家を出るのに夕飯の心配をしている」、女性ならではの観点ですね。僕は気づきもしなかった。そしてこれは、一見存在感が薄いようでいてしっかりと娘を気遣っていたアリスらしいやり方ですね。
「ここであなたが頑張らなきゃ娘はどうなるの!」あの実直そうなお父さん、女性二人に尻をたたかれて彼も立ち上がった。あの堂々としたスピーチは感動的でした。支え合ってこそ家族。家族を陰で支える母親、周りからの反発にもめげず独り立ちしていった娘。親子2代の描き分けも見事でした。
投稿: ゴブリン | 2006年7月29日 (土) 01:29
こんにちは~TBありがとうございました。
父を変えたのは母の作ったサンドイッチ、といったら言いすぎでしょうか。娘をひたすら信じる親の姿に感動です。
ニキ・カーロ監督、これからも目が離せませんね。フェミニズムの観点からまた違った作品を是非作ってほしいです。
投稿: mimia | 2006年7月28日 (金) 17:07
kimion20002000さん
そうですね、ジョージーはああいうことがなければごく平凡に生きた人かもしれません。たまたまひどい職場に行ってしまったために望まぬ苦労をしたわけです。でも、試練は人を鍛えます。苦労は無駄にはなりませんでした。子供を抱えた母は強いですね。
KUMA0504さん
このところ珍しくアメリカ映画を集中的に見ています。なんだかんだ言っても世界一の映画大国。本当に楽しみです。
そして今年の後半にまたどんな新作がやってくるのか。これも楽しみです。
投稿: ゴブリン | 2006年7月26日 (水) 20:59
丁寧な記事ありがとうございました。
私は労働の権利を守る視点のみで、記事を書いたけど、「自分でちゃんと稼いで子供を養いたい」等、登場人物の気持ちに寄り添って一つ一つ大事な視点を書かれてあったので、改めて映画を見直したような気になりました。
今年前半の洋画は確かに力作ぞろいです。外れもあるでしょうが、お楽しみに。
投稿: KUMA0504 | 2006年7月26日 (水) 08:25
TBありがとう。
力作でしたね。
主人公の描き方が、決して、スーパーマンでも、知識を獲得した女性でもなくおっしゃるように、社会的自立をし始め、絶対にこの経験を後戻りしない、という決意を持つ、普通の女性に設定していたのが好感を持ちました。
だかこんな美人が普通かどうかは別として(笑)、等身大、交換可能なキャラクターとなっています。
そこが、共感をもたれた、大きな要素だと思いますね。
投稿: kimion20002000 | 2006年7月26日 (水) 00:53