映画の小道具
今日映画に関するある講座に参加してきた。2年ほど前から行われている講座で、でき る限り参加している。先月はバスを仕立てて「博士の愛した数式」のロケ地めぐりをする企画があった。残念ながら平日だったのでいけなかったが、これはぜひ参加したかった。
それはさておいて肝心の講座のほうだが、講師はフィルム・コミッションのKさん。今回のテーマは「時代劇」。毎回現場の人でないと分からない面白い話が聞けるのだが、今回の話は特に面白かった。中でも小道具の話は目からうろこが落ちる思いだった。まあ順を追って説明しましょう。最初は普通の時代劇の話。今まで上田ではそれほど時代劇の撮影は行われていなかった。それが「たそがれ清兵衛」の真田広之と大杉漣が決闘するシーンを上田で撮って以来増えてきている。あるいは、普段時代劇に出ている俳優が上田に来て現代劇を撮ってゆくケースも増えているそうだ。
面白かったのはその後の小道具の話。Kさんによれば、変化が激しく、しかも古いものをすぐ捨ててしまう「使い捨て文化」になってしまった日本では、10年前でも時代劇になってしまうという。10年前にあったものが撮影しようとするともう手に入らないというのだ。まあ、10年前はオーバーかもしれないが、何も時代劇といっても江戸時代から前の時代と限ることはなく、大正や昭和(特に戦前)だって時代劇だという指摘はうなずけるものがある。
昭和の時代は「ALWAYS三丁目の夕日」の大ヒットで今注目されている。ところが、例えば電気製品などを例にとれば、次々と新しい製品が現れしかも使い捨ての生活になれているので、ちょっと前の時代を撮ろうとすると小道具が手に入らないらしい。まあ電気製品ならまだ作っている会社に頼めば作った製品は保存してあるので何とか借りることはできる。困るのは日常的でほとんど保存しておく価値のないもの。いい例が新聞に折り込まれるチラシ。言われてみれば、これは確かにどこの家庭も保存はしない。新聞と一緒に捨ててしまう。しかし、例えば昭和20年代の折込チラシの本物があれば、ぐっと画面にリアリティが出る。値段もその当時の金額が分かるし、「バーゲン・セール」ではなく「大売出し」とか「特売」とかの文字が躍っている。今の感覚でそれらしいものを作ってもリアリティは出せない。新聞そのものは新聞社に保存されているのでいくらでも再生が可能だ。その新聞の隣にたとえ一枚でも本物のチラシが置いてあれば実にリアルな画面になるというわけだ。映画の撮影で必用なのはごく普通の家屋やそれ自体は何てことはない生活の道具なのである。
そんなものが映画の撮影に役立つなどと普段意識して生活していないし、映画を観るときも小道具など特に注意して観てはいない。だからこの話は新鮮だった。テレビなどの撮影なら、小道具が手に入らなければそこをカットするか、別のもので代用してしまう。しかし映画の場合は監督のこだわりようが違う。たとえば、「博士の愛した数式」で手紙を出すシーンがあるが、手紙の重さを計る昔の秤が手に入らなくて散々苦労したらしい。郵便局に行ってもそんなものは全部処分してしまってどこにもないという。逓信博物館だかにはあるが貸してもらえなかった。フィルム・コミッションも頭を抱えたが、ネットオークションで何とか手に入れたそうである(そんなものがオークションに出ているのか!)。
Kさんが言うにはリサイクル店に行ってもあるのは新しいものばかり。骨董屋では扱っていない。本当に欲しいものがどこにもない。撮影で借りた家を片付けているときにぜひ欲しい小物を見つけることもあるそうだが、個人の所有物を欲しいといってもらってくるわけには行かない。高級なものなどいらない。何でもないありふれたものが必要になる。しかしそ れがない。みんな捨ててしまう。昔の鉄道やバスの切符、切符にパンチ穴を入れる鋏(どこの駅か分かるように切れ込みの形が全部違っていた)。切符が自動販売機になる前使っていた切符に印字する機械。こういったものは自動化(機械化)あるいは更新されたとたんにこの世から消えてなくなってしまう。
興味深かったのはラムネのビン。戦時中の昭和17、8年頃のビンが手に入らないらしい。この時代は戦争による物資不足で、ガラスなら何でも溶かして間に合わせに作っていたらしい。だからそれ以前やそれ以後のものと比べると一目で違いが分かるそうだ。それが1本テーブルにでも置いてあるだけで、当時の生活がどれほど苦しいものだったか分かる。なるほど確かにそうかも知れない。リアリティは細部に宿る。観ているほうにそれだけの識別眼や知識があるかは別として。例のラムネビンは、ラムネの製造会社に日参して拝み倒し、「そこまで言うのなら」とやっと1本もらってきたそうだ。たまたま近所のフリーマーケットで絶対に手に入らないといわれていた昔の電車の切符を1枚200円で買ったこともあったそうだ。もちろん悟られて値段をつり上げられないように、何食わぬ顔でほしくもない切符も一緒に買ってきたそうである。別段彼個人が趣味で集めているわけではない。何かの撮影で必要になるかもしれないと思うから手に入れておくのである。しかしまあ、フィルム・コミッションの仕事とは大変なものだ。撮影の許可を取ったり、ロケ地の案内、弁当やバス等の手配だけではない。そんなことまでやっているとは知らなかった。
普段からそういうものを収集しておけばいいのだが、そのためには広大な敷地と巨大な倉庫が必要となる。撮影所を持っている映画会社ならそれなりに持ってはいるだろうが、スペースに限界があるので何でもそろっているわけではない。だから撮影スタッフやフィルム・コミッションが撮影の度に苦労するのである。国家が映画製作を支援している韓国の釜山には巨大な倉庫があり、膨大な数の小道具等がそろっているそうだ。一度中を見せてもらったときに驚嘆したという。
こんな具合に話が文化論にまで及んで面白かった。使い捨て文化が進行する一方で、「何でも鑑定団」以来、人が古いものすべてに価値があると思い込んでひそかに隠し持って手放さない傾向が現れているという指摘も面白かった。持っているのに聞くとないと答えるという。あるいは貸してくれる場合もあるが、借り賃を要求したり保険を掛けてくれと言ってくるようになったそうだ。その一方で学校が廃品回収を始めてから、日常のなんでもないものが手に入りにくくなったとも言っていた。あるいは、特定のものにはコレクターがいて、非常に貴重なものまでそろっているが、なかなか貸してもらえないという。かといって、フリーマーケットやネット・オークションで「掘り出し物」が出るのを待っているようでは情けない。ともかくそんな社会に今の日本はなってしまったということである。
講演後の雑談の中で、各家庭でいらなくなったものを市で集めて倉庫に保管するようにできないか、ただ保管するだけではもったいないので普段は博物館として公開してはどうか、貴重なものを持っている人のリストを作って必要なときだけ貸してもらえば場所をとらなくていい、などの意見が出た。というわけで、実に面白く、いろいろ考えさせられた講演でした。
<追記>
小道具の話で忘れていたが、前から気になっていた韓国映画「青燕」のことを追加しておきます。気になっていたのはその映画に僕がエキストラとして参加していたからです。その時のことは本館HP「緑の杜のゴブリン」の「そら日記より」コーナーにある「韓国映画『青燕』にエキストラ出演」という記事に詳しく書いてあります。参加したのは04年の5月29日。この映画は韓国初の女性パイロットを描いた映画。日本で訓練を受け、資格取得後の初フライトで韓国に帰る途中事故で墜落死してしまう。
初フライトで事故死してしまったため歴史に埋もれていた女性を発掘してきた映画です。その年の内に編集を終え、05年の正月ごろには日本でも公開される予定でした。しかしいつまでたっても公開されないのでどうしたのかずっと気になっていたわけです。それがこの日の話の中で事情が判明しました。竹島問題で引っかかっていたのです。韓国で上映されたときに、一部の人たちがプラカードを持って映画を観ないよう呼びかけていたりした。そういう事情なので日本の輸入会社も二の足を踏んでいるということのようです。
政治問題の狭間で1本の映画が宙に浮いてしまっている。日本が過去の問題にきちんと決着をつけずにずるずる来てしまっているから、竹島問題にも過去のわだかまりが絡み複雑な問題になってしまう。自分が映っている場面がカットされずに残っているかも気になるが、この映画の行方も気になる。韓国の映画やドラマが大量に輸入されている影で、政治に翻弄され上映が見合わされている映画があることを心に留めておいてください。
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