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2006年5月 1日 (月)

クレールの刺繍

Engle1 2004年 フランス
監督:エレオノール・フォーシェ
脚本:エレオノール・フォーシェ、ガエル・マーセ
撮影:ピエール・コットロー
音楽:マイケル・ガラッソ
出演:ローラ・ネマルク、アリアンヌ・アスカリッド
    マリー・フェリックス、ジャッキー・ベロワイエ
    トマ・ラロプ、アルチュール・ケアン、アン・キャノヴァス

 数日前に「ゴブリンのこれがおすすめ 6」で女性映画リストを挙げたばかりだが、また新しい女性映画に出会った(急遽リストに追加した)。いかにもフランス映画らしい、そしていかにも女性監督の映画らしい繊細な作品。思わぬ妊娠をして「匿名出産」をしようとしている17歳のクレール(ローラ・ネマルク)と最愛の息子を事故で奪われたメリキアン夫人(アリアンヌ・アスカリッド)、この二人の心理が共に同じ刺繍を作り上げる作業を通して微妙に変化してゆく過程を描いてゆく。二人の出会いのきっかけはクレールの友人の兄ギョーム(トマ・ラロップ)が起こしたバイクの事故である。ギョームは顔に大怪我をし、その上一緒に乗っていた友人イシュハンを死なせてしまう。そのイシュハンの母親がメリキアン夫人だったのである。どことなく「12g」を思わせる人間関係だが、話の展開は「12g」のようなどろどろした息苦しい方向には向かわない。刺繍という共同作業を通して二人は心を通い合わせ、クレールは自分で子どもを育てる決心をし(ギョームとの新しい愛も芽生え始めている)、息子を失い自殺まで企てたメリキアン夫人は生きる気力を取り戻してゆく。

 ストーリーはこれだけである。クレールはそれまではいたって平凡な、特に潤いのない生活を送っていたのだろう。前半にスーパーでアルバイトをしている場面が出てくる。同僚に最近太ったなどといわれて抗がん剤の副作用だと答えてごまかしていた。スーパーのバイトは平凡さの象徴である。「いつか読書する日」の田中裕子もスーパーでバイトをしていた。田中裕子の場合はその平凡な生活の中に情熱を秘めていたのだが、クレールは早い段階で親から独立しているので独立心はあるのだが、何か生きがいを見出すところまでいっていない。わずかに趣味の刺繍に自分の世界を見出しているだけだ。その閉じられた自分だけの世界をさらに広い世界へと押し開いたきっかけがメリキアン夫人との出会いだったのである。

 この映画はきわめて感覚的な映像とせりふを抑えた静謐な空間で構成されている。特に前半はコラージュ的に短いショットをつなぎ合わせており、ストーリーは流れない。正直前半は退屈だった。後半になってメリキアン夫人との出会いを経て二人で刺繍をつづっていくあたりからテーマが明らかになり、物語が動き出す。後半はどんどんひきつけられていった。しかしストーリー自体は特に起伏があるわけではない。せりふも少ない。したがって感覚的に捉えることが必要になるが、その前提となる状況を観客がきちんとつなぎ合わせてゆくこともまた必要である。クレール、メリキアン夫人、ギョーム、それぞれのおかれた状況を理解した上でなければ、感覚的な映像の持つ意味合いを深く理解できない。

 クレールが早い段階で家を出たのは彼女の独立心もあろうが、母親とうまく折り合わないことが理由としては大きいだろう。印象的な場面がある。クレールがスーパーを止めたと聞いた母親が心配してクレールの下宿までやってくる場面である。久々の再会だが、そこに母娘の暖かい絆はない。クレールが妊娠したことをそれとなく知らせようと母親にふくらんだお腹を見せても、母親はまったく気づかなかった。クレールはそんな母親に我慢が出来なくて家を出たのだろう。クレールは自分の明確な目標を持ったしっかりとした性格の女性というわけではない。お腹の子の父親はスーパーの同僚だが、妊娠を知っても責任のある態度を示さない。クレールもそんなことは期待していない。もともとその程度の付き合いだったのだ。ごく平凡に流されて生きてきた。当然母親としての自覚もない。腹の中の赤ん坊を映し出したモニターを見ようともせず、子供の性別にも関心を示さない。だから医者に言われるままに最初は匿名出産を選んだのである。

 妊娠を知ってからクレールの心は不安定になる。それは当然だ。わずか17歳の女性がはじめての妊娠で不安を感じないはずはない。大きなお腹を抱えて働き続けられるのか、母親に打ち明けるべきか、本当に匿名出産でいいのか。先を考えれば不安ばかりだ。そんなクレールの唯一の慰めが刺繍だったのである。母胎とは本来生命を生み育てる豊穣な大地である。しかしクレールの大地は乾いていた。そしておそらくクレールの母親の大地も乾いていたのだ。フォーシェ監督の言葉が示唆的である。「植物も生えないような大地の匂い、そしてクレールを花開かせようとメリキアン夫人がその大地を豊かにしていく、そんな物語を描きたいと思いました。」

 クレールがメリキアン夫人と、そして彼女を通じて刺繍と出会って初めて乾いた大地に潤いがもたらされた。母になる決意が持てず思い悩む少女、息子をなくし失意に沈む母親、友人を死なせてしまって生きる気力を失った青年。「21g」と似た設定ながら「クレールの刺繍」は生の再生へと向かう。何か大切なものを失ったままで人間は生きられないからだ。空白・空虚さを埋めるために互いに求め合う。新しい愛、芯から打ち込める仕事の発見、心から尊敬できる人との出会い。そして何より象徴的なのはクレールの体の中で成長してゆく赤ん坊の存在である。新しい生命が生の息吹を吹き込んでゆく。実の親子の間で作れなかった深く理解し合える関係が他人同士の間に作られてゆく。心の通い合いがあって刺繍という技術もまた次の世代へと伝えられてゆく。

 友を失ったギョームと息子を失ったメリキアン夫人の苦悩も描かれているが、クレールの苦悩ほどは詳しく描かれていない。メリキアン夫人が自殺を図り、見舞いに来るクレールTeablue を煙たがる様子も描かれているが、ギョームはむしろ「回復」の象徴としての役割の方が大きい。彼が最初に登場したときには顔にひどい傷を負っていた。だが、登場するたびに傷が小さくなってゆく。メリキアン夫人は終始そっけない態度で無口である。クレールもまた無口だ。二人の間には終始沈黙がある。その沈黙を破るのはタタタタタというミシンの音とプチッ、プチッという刺繍に針を刺す音だけ。時計の音さえ聞こえる(静寂を最も効果的に表すのは完全なる無音ではなく静かに時を刻む時計の音である)。

 閉ざされた空間と静寂が支配する中で二人は黙々と刺繍をする。わずかなせりふで淡々と行為だけが進行する映像を通して二人の心の動きが実に「雄弁に」語られる。この映画の最も優れている点は「無言の会話」を映し出すこの表現力である。このほとんど無言の行為を通して妊娠や出産に対するとまどいや不安をクレールが少しずつ乗り越えてゆく過程、そして生きる気力を一旦失ったメリキアン夫人が生命力に満ち溢れたクレールと接することによって生への意欲を取り戻してゆく過程が同時に描き出されてゆく。フォーシェ監督は刺繍という行為そのものだけではなく、その場に流れる空気を映像化することに成功した。ほとんど説明的な映像を交えず、行為と短い会話で描いてゆく。退院したメリキアン夫人にクレールがプレゼントした手製のショール、それをラクロワに見せた夫人がクレールに語った「デビュー作から評価されるのは稀なことよ」という優しい言葉。二人の心の動きと変化はこういった描写で簡潔に表現される。

  そしてなんといっても二人で刺繍の共同作業をしている場面。フォーシェ監督はその無言の場面を通して2人に沈黙の会話をさせた。生を授かった女性と息子の生命を失った女性の思いが複雑に交錯する。刺繍が出来上がってゆくにつれてクレールも刺繍職人として、また子を宿した女性として成長してゆく。彼女の成長は膨らんで行く彼女のお腹とシンクロしている。刺繍が完成したとき一人の「母親」が誕生する。少女から母へ、人間的成長と産む性としての自覚、一針一針地道に仕上げられていく刺繍と女性としての成長が同時に描かれるのだ。

 このような演出をどのように思いついたのか。「きっかけは、糸(fil)と親子の愛情(filiation)です」とフォーシェ監督は語っている。その発想は「祖母が何年間も裁縫箱にためていた衣類を繕う姿」がら湧いてきたものだという。彼女のインタビューは示唆に満ちている。

   裁縫は映画作りの隠喩そのものです。映画を見ていると、技術スタッフたちの
 苦労など想像しないものですよね。それと同じで、ステージ上のファッション・モデ
 ルを見て、その背後に多くの職人が費やした膨大な時間など考えないもので
 しょう。この 映画の刺繍を制作してくれたルサージュ氏やナジャ・ベリュイェのアト
 リエを訪れたとき、私が探し求めていた雰囲気を感じ取ることができました。つま
 り、女性たちが醸し出す、あの暗黙の雰囲気、連帯感です。映画では、刺繍は
 ちょうど日記のような役割を果たしていて、人物の気持ちを表しています。ク
 レールは、 テクニックは二の次で、回収したウサギの毛皮や配管用の座金(薄
 い金属板の輪)などの素材で制作を始めます。この映画では、触感という感覚を
 大切にしたかったのです。そして、メリキアン夫人の作品を見た瞬間、官能的と
 も言える感覚がクレールの体を駆けめぐるのです。クレールのお腹が大きくなる
 につれて、 メリキアン夫人宅で作業をする刺繍の腕が上がっていく必要がありま
 した。クレールにとってあのアトリエは、まるで胎内のような、もしくは洞くつのよう
 な隠れ場所なのだと思います。

 前半の技に懲りすぎた複雑なショットのつなぎ方には疑問を感じるが、全体を通してみるとやはり優れた作品だと言える。主要な二人の役柄を演じた女優のキャスティングもぴったりとはまっていた。メリキアン夫人を演じたアリアンヌ・アスカリッドについてフォーシェ監督が「彼女は、険しい表情の老け役を演じることを承諾してくれ、まるで手袋をはめるようにすっと役柄に入っていきました」と語っているのが印象的だ。なお、彼女を起用する際に、メリキアン夫人の国籍を当初のチェコ人からアルメニア人に変更したそうだ。クレールを演じるローラ・ネマルクはそばかすだらけの顔だがなかなか魅力的な顔立ち。赤毛の髪をこれでもかとばかり大きく波打たせている。刺繍をするときに青いスカーフで髪をくるむが、そのときのイメージがフェルメールの「青いターバンの少女」にはっとするほど似ている。「真珠の耳飾の少女」のスカーレット・ヨハンソンより似ていると思った。

 最後に、僕は刺繍のことは何も知らないが、二人が縫っている刺繍は実は裏表逆になっているそうである。裏面を表にして縫っている。だから出来映えを確かめるためには下から見なければならない。ギョームが刺繍の下にもぐりこむ場面があるが、それはこういう理由からだった。あるブログを読んで納得したしだい。

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コメント

 mimiaさん いつもコメントをいただきありがとうございます。
 いつもmimiaさんの方が先にご覧になっているので、こちらが後からTBを送るパターンになってしまうのですね。 とてもいい作品を選んでご覧になっておられるので、これからもmimiaさんの記事を参考にさせていただくつもりです。

こんにちは~
いつもTBありがとう!
昨年のMyBestの一位は『亀も空を飛ぶ』に譲りましたが、私的にはイチ押しかもしれません。クレールは私自身…手仕事をしている私は感情移入しまくり(笑)で、前半の複雑なショットには全く気がつきませんでした。もう一度DVDで観たくなったな~。

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