父と暮らせば
2004年 日本
監督:黒木和雄
原作:井上ひさし「父と暮せば」(新潮社刊)
脚本:黒木和雄、池田眞也
企画:深田誠剛
撮影監督:鈴木達夫
美術監督:木村威夫
音楽:松村禎三
出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信
ずっと気になっていた作品だが、近所のレンタル店に置いてなくてこれまで観られなかった。やっとアマゾンで2000円の中古品を手に入れたので早速観てみた。果たして、期待を上回る傑作だった。
実は、「父と暮らして」は映画より先に芝居の方を観ている。2004年の7月に「市民劇場」の例会で観たのである。こまつ座の公演で西尾まりと辻萬長が主役の二人を演じていた。井上ひさし原作、こまつ座の公演とあって期待していたのだが、今ひとつという印象だった。もうだいぶ忘れているので、当日の日記から感想を引用しておこう。「1幕もので時間的にはあっけなく終わってしまった。会話を通して、娘がかたくなに結婚を拒否する気持ちの奥に親友の死と父親の死が絡んでいることが分かる。ぐっとくる場面だ。しかし劇後の感想は今ひとつというものだった。全体に喜劇仕立てになっていて、悲惨な話を生のまま出さない工夫をしているが、それが感動を弱めてしまっていると感じた。」
同じ原作に基づいているのに、劇場版と映画版とでこのような差が表れたのは何が原因だろうか。一つは役者の違いだろう。映画版の宮沢りえと原田芳雄は見事に呼吸が合っていて、実に素晴らしい演技だった。それともう一つ思いつく理由はコメディ的要素とシリアスな要素のバランスだろう。演劇版はバランスがコメディに寄りすぎたために感動を弱めてしまったが、その点映画版はバランスの取り方が絶妙だった。コミカルな要素を活かして軽妙に話を進めながらも、美津江がなぜあれほどかたくなに幸せになることを拒むのかが明らかになってゆく山場は妥協なく、心の中をえぐるようにしてぐいぐいと推し進めてゆく演出だった。そして最後にまたコミカルなトーンが戻ってくる。このような演出だったために、コミカルになりすぎることもなく、シリアスになりすぎることもなく、感動がダイレクトに伝わってきたのである。
また舞台では出来ない映画の技法としてクローズアップやフラッシュバック、あるいはモンタージュがある。人物の顔のクローズアップはもちろん、舞台でははっきり見せなかった原爆瓦や熱で溶けてねじれたガラス瓶が大きく映し出される。この効果は大きい。また丸木位里、俊夫妻の原爆の図、お地蔵さんの首、焼けただれた日本人形、そして原爆ドームなどの映像が効果的に挿入されている。まあ、演劇版との比較はこれくらいにしておこう。演劇版も何種類かあるし、その日によって出来も違うわけだから、当然優れたものもあったはずだ。
この作品、何と言っても井上ひさしの原作が秀逸だ。いきなり押入れの中から登場する父親(福吉竹造)。この登場の仕方がとっぴで、最初からひきつけられる。しばらく何気ない会話が続くうちにようやくこの父親が実は幽霊であることが分かってくる。父と娘は同じ場所で原爆にあったのだが、偶然のいたずらで父親は死に娘は生き残ったのである。なぜ父親の幽霊が出てくるのか。それは美津江が恋をしたからである。なぜ娘が恋をすると父親の幽霊が出てくるのか。それは自分だけが生き残ったことへの負い目にさいなまれる娘が自分の恋心を押し殺し、「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と思いつめているからである。見かねた父親が「美津江の恋の応援団長」としてしゃしゃり出てきたのである。ストーリーは、娘がそこまで思いつめるようになった理由を父親が聞き出してゆくという展開になる。このストーリー展開がうまい。いったいあの時何があったのか。観客はぐんぐん二人の会話に引き込まれてゆく。
ほとんど二人の会話に終始するので原爆投下直後の悲惨な状況は直接描かれない。視覚的、肉体的悲惨さではなく心に深く負った傷に焦点を当てている。美津江はまた軽い原爆症を患っているようだ。生き残ったものも筆舌に尽くしがたい悲痛な記憶と心の傷を背負い、放射能による癒えることのない病に苦しむ。見た目にはすがすがしい美津江の姿と目に見えない傷や苦悩とのギャップ、これがなんとも皮肉だ。
悲惨な現実を直接描く代わりに象徴的な描き方を多用している。原爆瓦や熱で溶けねじれたガラス瓶、一面の焼け野原や焼けただれた日本人形もそうだが、一番強烈なインパクトを与えるのはお地蔵さんの首である。ある日美津江が庭に出ると、庭に置かれている石地蔵の首がふと目にとまった。どうしても気になってその首の向きを替えると、顔の右側がケロイドのように削れていた。これは原爆の資料を集めている木下青年から預かったものだろう(彼が美津江の思い人である)。かなりショッキングな映像だ。しかしこれはわれわれ以上に美津江に衝撃を与えた。この地蔵を見て彼女は同じような状態になっていた父親を思い出したからだ。そこから瀕死の父親を助けずに自分だけ逃げたというつらい思い出がよみがえってくる。このあたりの話の持って行き方も見事だった。
廃墟となった広島の映像は出てくるが、そこに死体などは写っていない。あくまでも直接的な描写は避けている。黒木和雄監督があえて舞台劇のような限られた空間で描こうとしたのも、舞台劇の空間、すなわち擬似リアリティの空間を必要としたからだろう。映画にす
るのだから原爆投下直後のリアルな再現映像を入れたくなるところだ。しかし原作は二人の対話で成り立っている。それを再現映像にしてしまっては原作の味が出ないと判断したのだろう。心の傷ではなく、見た目の悲惨さに注意が向かってしまうからだ。したがって元旅館だった美津江の家の中で父と娘が交わす会話がほとんどを占める。もちろん当時の悲惨な様子がまったく触れられないわけではない。美津江が見聞きしたむごたらしい光景が彼女の言葉を通して父親に(と同時に観客に)伝えられる。「もんぺの後ろがすっぽり焼け抜けていた」美津江の親友福村明子、防火用水槽の中で立ったまま死んでいた別の友人・・・。
このように美津江が心の奥底に閉じ込めていたものを少しずつ父親に話してゆくにつれて、彼女が自分を殺して生きている理由が明らかになってゆく。それが何であったかは詳しく書かない。最後は美津江の血を吐くようなせりふになる。「あの時の広島は死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことじゃったんじゃ。」「うちは生きとるんが申し訳のうてならん。だけど死ぬ勇気もないです。」
父の竹造はこれを聞いて娘の気持ちを理解したが、それでも引き下がらなかった。彼はなおも説得する。「わしの一等最後に言った言葉がお前に聞こえとったんかいのう。『わしの分まで生きてちょんだいよー。』それじゃけ、お前はわしに生かされとんじゃ。まっことあのようなむごい別れが何万もあったということを覚えてもらうために生かされとんじゃ。お前が勤めている図書館もそげなことを伝えるためにあるんとちゃうか。人間の悲しかったこと楽しいかったこと、それを伝えるんがおまえの仕事じゃろが。それも分からんようになったなら、もうお前のようなあほたれなバカたれには頼らん。誰か他に代わりを出してくれや。わしの孫じゃ。ひ孫じゃ。」
この言葉にようやく美津江は納得する。最後に映される美津江の表情は明るい。「わしの分まで生きてちょんだいよー」という父親の明るい声と美津江の「おとったん、ありがとありました」という最後のせりふがいつまでも心に残る。
全編当時の広島弁を使ったことが素晴らしい効果を挙げている。他県のものが聞いてもどこか懐かしさを感じるその柔らかい響きが重くなりがちな主題を和らげている。『吉里吉里人』や『國語元年』を書いた井上ひさしらしいこだわりだ。原田芳雄の飄々とした父親像と宮沢りえのさわやかさも心を和ませる。と同時に、コメディ仕立てに逃げず、美津江の心の中をさらけ出させ、彼女の背後には生き抜けなかった何万もの人たちがいることを常に観客に意識させている。このさじ加減が絶妙なのだ。
原作や黒木和雄監督の演出も見事だったが、何と言っても素晴らしいのは主演の二人だ。原田芳雄が素晴らしいのは言うまでもないが、僕は特に宮沢りえをほめたい。今の日本でこれほど卓越した演技力と品格を持った女優が他にいるだろうか。一時不遇な時代もあったが、今や間違いなく彼女は日本を代表する演技派女優となった。最初の出会いがまず衝撃的だった。あのポカリスエットのCMだ(これが最初に出演したCMではないようだが)。転がる缶を手を伸ばしながら追いかける彼女のかわいらしさは信じられないほどだった。テレビの番組ではなくCMを録画したいと思ったのはあれが初めてだ。その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、あのヌード写真集を出したあたりから一時泣かず飛ばずになった。
彼女が女優として非凡な才能を持っていると最初に感じたのは「北の国から」で“しゅう”を演じたときからだ。彼女の“しゅう”は素晴らしかった。内田有紀より遥かに良かった。そしてそれが確信に変わったのは「たそがれ清兵衛」である。あの映画を観たとき僕は彼女を絶賛した。しかし彼女はそこにとどまらなかった。「父と暮らせば」では、演技者の力量が映画の成否を決める二人芝居に挑んだのである。芸達者の原田芳雄とがっぷり四つに組んだ迫真の演技は「たそがれ清兵衛」の朋江役を凌ぐとさえ思った。何しろ、せりふは原田芳雄よりも彼女の方が圧倒的に多いのだ。それだけではない、原田がせりふを言っているときの彼女の反応や表情がまた見事である。肩肘張りすぎて「一人芝居」にならなかった。あくまで二人のコラボレーションを大事にした。そこに役者としての確かな成長を見た。絶妙の間合い(短かったり長かったり、時には相手のせりふにかぶせるように反論したり)、せりふのメリハリ、相手のせりふから受ける反応、表情と身振り、ほとんど完璧だった。ほとんど全編せりふで構成されている対話劇を、無難にではなく本当に美津江になりきって演じた。まだ30歳そこそこだろうが、もはや大女優である。
黒木和雄監督のインタビューによると、原爆資料館を訪れた彼女について、「これまで多くの芸能人が来たけれど、学ぶ格好を見せるだけ。宮沢さんは本気で一日中資料を読み、涙していた。こんな俳優は初めて」と資料館スタッフが感激しながら語ったそうである。また相手役の原田芳雄も「撮影が始まって2~3時間で目の色が変わった」そうだ。撮影現場には「鬼気迫る」ものがあったとも語っている。もともと「地味な原爆の映画に少しでも客が入るようにと、旬な女優を使いたいと思った」というのが起用の狙いで、最初は不安に思っていたとのこと。しかし彼は結果的に「あたり」を引き当てたのである。
「父と暮らせば」は「TOMORROW/明日」(88年)、「美しい夏キリシマ」(03年)に続く“戦争レクイエム”三部作の最後を飾る作品。岩波ホールで公開され、25週という歴代2位のロングランとなった。黒木和雄監督はその後第4部となるべき作品「紙屋悦子の青春」(8月に岩波ホールで公開予定)を完成させて、今年の4月12日に急逝された。死因は脳梗塞、享年75歳。 「残された者が背負う罪悪感」というテーマに挑んだのは「父と暮らせば」の舞台を観て感激したからだが、黒木監督自身同じような体験があるからでもあろう。「美しい夏キリシマ」ではその「うしろめたさ」を描いた。そして「父と暮らせば」では、そのうしろろめたさを克服する娘を描いたのである。
新藤兼人監督の「原爆の子」や今村昌平監督の「黒い雨」など原爆関連の映画は何本も観てきたが、「父と暮らす」が最も優れていると感じた。中沢啓治の『はだしのゲン』やこうの史代の『夕凪の街 桜の国』と共に今後も読み継がれ、鑑賞され続けていって欲しい作品だ。
既に遠い過去となった、われわれの知らない戦争とどう向き合うのか。あるいはそれをどう語り継ぐのか。この映画はわれわれにそういう問題を突きつけている。ソ連映画「炎628」の原題「来たれ、そして見よ」をもじって言えば、この映画のメッセージは「生きよ、そして語れ」となろう。
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カゴメさん TB&コメントありがとうございます。
宮沢りえに関して残念なのは、時々つまらない作品に出ていることです。彼女のせいではなく、彼女の才能を見抜けない業界人のせいだと思います。黒木監督にしてあれですからね。「たそがれ清兵衛」と「父と暮らせば」という2本の傑作に出ているだけでも立派ですが、もっと彼女の才能を発揮できる作品とめぐり合ってほしい。心からそう思います。
投稿: ゴブリン | 2007年7月21日 (土) 01:16
ゴブリンさん、TB、感謝であります♪♪♪
>黒木和雄監督があえて舞台劇のような限られた空間で描こうとしたのも、舞台劇の空間、すなわち擬似リアリティの空間を必要としたからだろう。
穏やかな、昼日中の中で語られるからこそ、
非日常的な悲劇性を顔面に突きつけられるような惨さが伝わりますね。
言葉だけで語られるからこそ、想像を掻き立てられて否応もなく怖くなります。
>彼女の“しゅう”は素晴らしかった。内田有紀より遥かに良かった。
あれには本当に驚いた!
「刮目して見よ」とはこの事か、と思ったものです。
この作品、現場の緊張感はただならない物があったでしょうね。
その中でこれだけの実力を発揮し得るとは、並々ならぬ俳優と思ったです。
今の所、彼女に並ぶ女優は(将来性も含め)一人・二人といったところでは。
次は何に出るんでしょうね?
投稿: カゴメ | 2007年7月16日 (月) 17:32
よろ川長TOMさん コメントありがとうございます。
やはり「期待以上」でしたか。僕の場合、期待度そのものがかなり高かったのですが、それを上回るというのは確かに傑作だったのでしょうね。
宮沢りえのデビューに関しての情報、ありがとうございます。そんな前から出ていたのですね。記事を若干手直ししておきます。
また時々お寄りください。
投稿: ゴブリン | 2006年5月 5日 (金) 18:52
すみません。今調べたら85年11歳での明星食品のCMが最初のようです。『三井のリハウス』はその二年後…も、もう20年ちかくになるんですね…
投稿: よろ川長TOM | 2006年5月 5日 (金) 15:32
こんにちわ!『酔画仙』でトラバを頂いてましたね。
私もこの作品は彼女と原田氏が出ているというのでその素晴らしい『芝居』に期待して出かけた作品です。期待以上でしたね〜。
新作『花よりもなほ』ではコミカルな演技を見せてくれているだろうと気になっているのですが。
ここでひとつだけツッコミを。たぶん、彼女のデビューは三井ハウスのCMです。その後同CMからは脚光を浴びる新人さんが出ていますが、彼女がその最初ではなかったかと。
投稿: よろ川長TOM | 2006年5月 5日 (金) 15:24