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2006年4月17日 (月)

蝉しぐれ

Komachi1 2005年:日本
監督:黒土三男
脚本:黒土三男
原作:藤沢周平『蝉しぐれ』
撮影:戸澤潤一
音楽:岩代太郎
イメージソング:「かざぐるま」一青窈
出演:市川染五郎、木村佳乃、今田耕司、ふかわりょう
    原田美枝子、緒形拳、石田卓也 、佐津川愛美
    久野雅弘、岩渕幸弘、小倉久寛、根本りつ子
    渡辺えり子、原沙知絵、 大地康雄、緒形幹太
    田村亮、三谷昇、柄本明、加藤武、大滝秀治

  「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」に続く藤沢周平の映画化。たいした評判ではなかったのでそれほど期待はしていなかったが、結果はその低い期待をさらに下回ってしまった。すぐれた原作を元にしながらこの程度の映画にしかならなかったのにはいくつか原因が考えられる。一つは脚本の貧しさ。もともと長編小説を高々2時間程度の映画で忠実に再現することは望むべくもない。そぎ落とさざるを得ない要素が多すぎる。それでも元の小説の「映画化作品」として作られた以上、少なくとも原作のエッセンスを伝え得ていなければならない。しかし前半の少年時代に時間をかけすぎて、後半の展開が十分描ききれていない。伏線もなく、複雑な事情はばっさり切り落とされている。

  原作は主人公の成長が描かれた長編小説だが、映画では単に少年役と青年役が代わっただけ。主人公たちの心の葛藤が十分描かれていない。陰謀渦巻く藩の裏事情もあっさりと処理されてしまう。残るのは文四郎とふくの悲恋だけ。二人の再会は分かれてから長い時間が経過しているからこそその思いの深さに胸を打たれるのだが、映画ではわずか数年後という設定になっている。何のことはない、美男美女を撮りたかったから中年ではなく若いうちに再開を果たす設定にしたのだ、そう勘ぐりたくなる。

  配役にも疑問が残る。文四郎の子ども時代を演じた石田卓也はせりふも心もとないまさに素人芝居。観ていて終始不安を感じた。それに比べるとふくの少女時代を演じた佐津川愛美はいい。特にアップで撮ったときの憂いを含んだ表情が素晴らしい。だが、ちょっと離れて撮ると色黒の田舎娘にしか見えない。そういう設定ではあるのだが、もっと撮り方に工夫が欲しかった。成長した文四郎役の市川染五郎は、美形だけあってさすがに見栄えがする。剣技も悪くない。ただ少年時代とまったく顔が変わってしまうのはご愛嬌か。大人のふくを演じたのは木村佳乃。あまりに洗練されすぎていて、こちらもあの田舎娘っぽかった少女時代と隔たりが大きすぎる。何より不満なのは、自分の意思ではなく君主の命令で無理やり側室にさせられたふくの憂い、幸せそうな表情の裏に隠された陰りが彼女の顔からはまったくにじみ出てこないことだ。ただ彼女を美しく洗練された姫様のように映そうとしている。こういうテレビドラマのような安っぽい描き方がこの映画から奥行きを奪っている。長い間離れ離れに暮らす運命にありながらも互いに最初の頃に抱いた思いをなくさずにいたからこそ、最後の別れがなおいっそう切なく胸に染み入るのである。「これで、思い残すことはありません」という言葉に込められた万感胸に迫る思いが映画では伝わってこない。原作にあるそのせりふすらカットされている。映画はただ単に綺麗に描いただけにとどまっている。

  文四郎の両親を演じた原田美枝子と緒形拳はさすがにうまいが、彼らの演技力と存在感を十分生かしているとはいえない。それでも緒形拳が切腹前に文四郎と会う場面は素晴らしい出来だ。広い空間の中で向き合うふたり。感情を抑えて穏やかに話すふたりを囲む空気に緊張感が満ちている。しかし川が氾濫したときの描き方はがっかり。あの場面にはまず緊張感がない。川の水が堤防のふちすれすれまで増水している場面が出てこない。ただ濁流を映すだけだ。緒形拳が堤防を切る場所を変えて欲しいと訴え出る場面は前半のハイライトの一つだ。原作の場合そこで緒形拳は暴風と雨に負けない大音声で訴えることになっている。しかし遠景で撮っているので声がよく聞こえない。相手を圧倒する迫力が伝わってこない。また、堤防を決壊させて川の水が堤防の裂け目から流れ出る場面は映されなかった。なんとも拍子抜けである。金がないのでこれで我慢してくれという感じで情けない。ここは文四郎が父の人間性に打たれ、父を尊敬する気持ちになる重要な場面のはずだ。それがさらっと流されている。

  一番キャスティングで疑問に思ったのは成長した文四郎の友人小和田逸平と島崎与之助の配役。なんと今田耕司とふかわりょうが起用されている。驚きを通り越してあきれてしまった。おふざけ演技はしていないが、このふたりでは原作とイメージがかけ離れすぎているし、あまりにも重みに欠ける。特に今田耕司ではとても藩きっての秀才には見えない。大地康雄と大滝秀治も登場するがちょい役で本領を発揮する機会すらなかった。別に彼らでなくてもよかったという感じだ。原沙知絵にいたっては前半に思わせぶりに出てくるが、彼女にまつわる筋が丸ごとカットされているのでそれっきりになってしまう。ひとり抜群の存在感を示していたのは柄本明のみ。登場場面はそれほど多くはないが、飄々とした持ち味を存分に発揮していた。

  伏線、脇筋、エピソード、そして何よりお家騒動の詳しい事情を大幅にカットしているのYorugaoで、ドラマがすっかりやせてしまった。それを補うかのように日本の美しい風景を映した映像がふんだんに挿入される。だが肝心のドラマが貧弱ではどんなに映像が綺麗でも焼け石に水である。「春の雪」もそうだったが、この手の日本映画(絵ばかり美しくてドラマが貧 弱)は結構昔から多い。山田洋次作品とは違って山形弁を使わせなかったのも、リアリティよりも見かけを重視した結果だろう。市川染五郎や木村佳乃が「~でがんす」と話したのでは様にならない、そう考えたのではないか。そう考えると宮沢りえは立派だった。観光ビデオじゃないぞ。もっとしっかり作って欲しい。

  要するに、トレンディドラマがはやっていた頃の日本映画と同じような低い志で作られた映画なのである。映像ばかりがいたずらに美しいだけ。美男美女、あるいはテレビの人気者を配して客を集めればいいという情けないつくり。ふかわりょうや今田耕司の起用にそれが典型的に表れている。製作会社やプロデューサーの意向もあったのかもしれないが、基本的には監督そして脚本家としての黒土三男の力量不足である。原作にあった深い人間観察がほとんど削られてしまった。原作の持ち味をほとんどそぎ落として受け狙いの「泣ける」悲恋映画にしてしまった。

  藤沢周平の有名な長編小説を元にしながらこの程度の完成度では、正直もったいないという気持ちだ。せめて監督を山田洋次か、そうでなくても彼クラスの人(ほとんどいないが)に任せるべきだった。監督と共同で脚本をもっと練るべきだった。残念でならない。

  かといってまったく心に何も残らないというわけではない。そこは藤沢周平の原作だ、いい場面もいくつかある。市川染五郎は存在感があるので、彼が出てくると画面が引き締まる(逆に言うと彼の魅力に頼った映画だということになるが)。最も印象的なのは文四郎が父助左衛門の遺骸を大八車に乗せて引いてゆく場面だ。父は謀反人とされているので周りから冷ややかな目で見られ、ひしゃくで水をかけられたりもする。上り坂に差し掛かっててこずっているときに坂の向こうからふくが現れる。最初はかすんでよく分からないが近づいてくるうちにふくだと分かる。ふくは助左衛門の遺骸に手を合わせ、二人で力を合わせて大八車を押して坂を上ってゆく。ふくは無言だが、悲しみと無念さがこもった彼女の表情が実に雄弁だった。この場面は演出も含めて実に見事だった。シエ・チン監督作品「天雲山物語」の名場面、ソンウェイが病気のルオチンを荷車に載せて雪山を越えてゆくシーンには及ばないが、優れた場面だった。

  ただ謀反人の子としての汚名を着せられた文四郎が経験する屈辱とそれを耐えて母を助けながら生きてゆく姿が十分描かれない。それがまた残念だ。「たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」同様、「蝉しぐれ」の主人公は下級武士である。身分は低いが卑屈にならず、また出世欲に駆られもせず、ひたすら慎ましく誠実に生きようとする。しかし前2作では、主人公は心ならずも藩命で人を斬らざるを得なくなる。その人間的な葛藤にしっかりと焦点が当てられていた。「たそがれ清兵衛」では倒される側の人間性までしっかりと描きこんでいた。その悲痛で過酷な運命にわれわれは共感するのである。決闘シーンも見事だが、ドラマの核心に深い人間的な葛藤が描かれているからこそすぐれた作品になった。繰り返すが「蝉しぐれ」ではその人間ドラマが貧弱なのだ。

  「文四郎さんの子供が私の子供で、私の子供が文四郎さんの子供であるという道はなかったのでしょうか。」ラストでふくが語るこのせりふは印象的だが、そこにいたる長い年月とその間互いに秘めていた思いが十分描かれていないので感動が薄い。あの幸せそうで明るい木村佳乃の表情からは、君主の子を身ごもりながらも自分が本当に生きたかった人生を生きられなかった無念さや悲しみはうかがえない。若い頃の文四郎とふくを描くのに映画の半分を費やしたのは長すぎるが、若い頃の二人をしっかりと描くこと自体は重要である。淡い恋心を互いに感じていた時期があったからこそ、最後の二人の再会と別れが観る者の胸を打つのである。もっと焦点を絞って前半を縮め、文四郎が大人になってからのストーリーを十分展開させるべきだった。2時間半くらいの長さにすればお家騒動や陰謀ももっと描きこめただろう。

  時代劇に欠かせない殺陣の場面は悪くはない。まるで「七人の侍」の菊千代のように抜き身の刀を畳に刺して、人を斬っては別の刀に持ち替えるという演出は視覚的に見ごたえがある。ただ、いかに腕が立つとはいえ、二人であれだけ人数を相手にして無事生き残るというのはリアリティに欠ける。まるで昔のチャンバラ劇だ。不思議な剣を使う犬飼兵馬との決闘シーンも盛り上がりにかける。犬飼兵馬に人間的なふくらみが持たされていないので、へんてこりんな剣を使う奴という以上には描けていない。

  黒土三男監督はテレビドラマ「蝉しぐれ」の脚本も手がけている(こちらは観ていない)。彼は「映画では、テレビで描けなかった日本人の気高さを描きたかった」と語っている。主役に市川染五郎と木村佳乃を抜擢したのもそのコンセプトに基づいているとのこと。彼は「日本人の気高さ」をどう捉えていたのだろうか?裏切り者の息子という汚名に耐え、父の教えを守り慎ましくかつ潔く生きようとする文四郎、運命の無情さに翻弄され出家しようとまで思いつめながらも、どうしても文四郎への思いを断ち切れず最後に身を任せるふく、ふたりを隔てていた長い年月とそれでも決して消え去らなかった互いの思い、試練に耐えたふたりだからこそラストの逢瀬には深い感動が伴う。はずだった。残念ながら期待したほど深い感動ではなかった。決してお涙頂戴という描き方ではないが(ふくと語り合う文四郎の体が障子の影に半分隠れているという描き方は、二人の身分差という距離を示していてうまいと思った)、ふたりが経た試練が十分描かれていないために感動が深まらない。

  川に浮かぶ小船が長々と映し出されるラストシーンは美しい。確かに美しい映画だ。キャメラは確かに日本の美しさを捕えていた。その美しさは自然の美しさだ。清流の清らかさや緑の中でひときわ目に生える桜のピンク。しかし一番美しいのは手付かずの美しさではない。点々と人の姿が映る田んぼの緑が桜以上に美しい。そこには人間の営みがある。自然に寄り添い、自然を加工し、自然の中で物を育ててきた人々。日本の美とは何かを考えさせられた。

  しかしただ美しいとだけ言ってはいられない。清流には蛇が潜んでいる。蛇に指を噛まれたふく。その指に口を当てて血を吸い出した文四郎。その行為によってふたりは結び付けられたが、ともに過酷な運命に翻弄されることにもなる。人間社会の中に潜む蛇はもっと陰険だ。陰謀渦巻くお家騒動。「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、「蝉しぐれ」、いずれも下級武士たちが陰謀に巻き込まれ苦悩する。ワンパターンではあるが、そこに描かれた苦悩や葛藤はそれぞれ丁寧に描き分けられている。そこに藤沢周平の筆力を感じる。その苦悩や葛藤を十分深く描けなかったこと、「蝉しぐれ」が「たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」に遠く及ばなかった理由はそこにある。

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コメント

 カゴメさん コメントありがとうございます。
 映画というよりもテレビの感覚で作っている感じでした。せっかくの藤沢作品なのにこの粗雑なつくりでは本当にもったいない。
 昨年の日本映画はかなり水準の高い作品がそろっていたのですが、まだまだ全体的にはこのような作品が多く作られているのでしょう。もっと志を高く持って欲しいものです。

ゴブリンさんも原作を読んでおられましたか・・・。
カゴメは本来、「原作は原作、映画は映画」というスタンスではあるんですが、
尊敬する藤沢先生の代表作という事もあり、
さすがに今回はそうも言ってられなかったです(苦笑)。
ただ、口幅ったいながらそれだけでなく、
縦から見ても横から見ても、どう頑張って割り引いても、
この作品は駄目ですねぇぇ(嘆息)。
軽薄短小、味わいというのがなるで無さ過ぎますもの。
若き文四郎の台詞の拙さ。殺陣の荒唐無稽さ。
友人役二人と里内家老の人物描写の軽薄さ。
あれでは折角のクライマックスさえも白けてしまいかねません。
「何ともまぁ、勿体無いことをしてくれたもんだ」
と、心底悲しくなってしまいました…。

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