マラソン
2005年 韓国
監督:チョン・ユンチョル
脚本:ユン・ジノ、ソン・イェジン、チョン・ユンチョル
撮影:クォン・ヒョクジュン
照明:イ・ジェヒョク/ナム・インジュ
編集:ハム・ソンウォン
美術:イ・グナ
エグゼクティヴ・プロデューサー:キム・ウテク
アソシエイト・プロデューサー:チョン・テソン
プロデューサー:ソク・ミョンボ
出演:チョ・スンウ、キム・ミスク、イ・ギヨン、ペク・ソンヒョン、アン・ネサン
チョ・ヨングァン
不思議なことに「マラソン」は『キネマ旬報』の2005年ベストテンでは1点も入らず、選外になった。傑作というほどではないが、決して悪い出来ではない。かなり評判にもなった作品なので、151位までにすら入らなかったのはなんとも解せない。案外投票した人たち自身もそう思っているかもしれない。韓国映画があまりに多く入ってくるようになったので、かえってどれを観ていいのか分からなくなった、あるいは、あまりに感動作という評判が立ちすぎて、むしろ避けて通る人が多かった、そういうことなのかも知れない。感動物はもうたくさん、正直そういう雰囲気はあったと思う。僕自身それほど期待してみたわけではない。評判だったので一応観ておこうという気持ちで借りてきた。
大量に入ってきている韓国映画にはかなりお涙頂戴物が多いと思われるが、この映画は心配したほど泣かせようという演出ではない。チョ・スンウが演じた自閉症の障害をもったチョウォンは決して同情の対象として描かれてはいない。だがいかんせんストーリーが弱い。最後にマラソンを走りきるのだろうということはタイトルから推測できる。最後までほぼ予想したとおりにストーリーは展開する。最初から結末が見えている映画である。そういう意味では傑作と呼べる映画ではない。しかし韓国映画に数多くある「難病物」に比べると(自閉症は病気ではなく障害であるが)良くできた映画だと思う。
難病物は難病を患った本人がけなげに振舞ったり、果たせなかった夢を涙ながらに語ったりして泣かせようとする演出になりがちである。その点この映画の場合主人公が自閉症だからはっきりと自分の感情を表現できない。したがって母親との精神的葛藤も描かれない。映画はむしろ年齢は20歳でも5歳児並みの知能しかないチョウォンの振る舞いと、彼に愛情のすべてを注ぎ込む母親のキョンスク(キム・ミスク)が何とか彼を一人前のランナーとして育てようと強い意志で努力する姿を客観的に描いている。二人から一定の距離を置き、感情を排して客観的に描いたことがこの作品をお涙頂戴物にすることを防いでいる。
障害者本人ではなく障害者を持った家族に焦点を当てると、今度はどうしても苦労話になりがちである。もちろん大変な苦労であったに違いない。実際に自分で経験しなければその苦労は分かるなどと軽々しく言えない。キョンスクは夫(アン・ネサン)やチョウォンの弟であるチュンウォン(ペク・ソンヒョン)をあえて犠牲にしてでもチョウォン一人に愛情を注ぎ込んだ。一つのことを覚えさせるのにしつこいほど何度も何度も同じ事を繰り返し教えなければならない。映画では簡単に時間を飛ばすことができるが、その間も日々同じことが繰り返されていたのである。しかし「マラソン」はこれを単なる苦労話の映画にしなかった。それは母親を客観的に淡々と描いているからであり、彼女自身が自分の内面をほとんど見せなかったからであるが、それ以上に彼女の内的葛藤に焦点を当てていたからである。
「マラソン」はチョウォンと同じくらい母親のキョンスクに比重をかけ、その苦悩と葛藤を描いている。だがその苦悩を映画の後半まで彼女に語らせなかった。この構成がうまい。映画の前半と後半ではこの母親に対する観客の認識は変わってしまう。前半はどんな差別にも負けずに一途に息子のために努力する彼女に共感する。シマウマが大好きなチョウォンが若い女が持っているシマウマのバッグに触ってしまい、警察に引っ張られる。その女に「そんな子ほったらかしにしないで、家に閉じ込めといてよ」と罵倒される。いったんは警察署を出たキョンスクはまた引き返し、その女にきっぱりと言い返した。息子は普通の子と変わらないという彼女の信念が世間の冷たい目にひるまない強い意志を彼女の中に作り上げていたのである。
だから「息子より一日だけ長く生きることが願い」という彼女の言葉や、走る時だけは他の人々と違わないのだからそのマラソンの才能を伸ばしてやろうとする彼女の姿勢に共感するのである。「チョウォンの足は100万ドルの足!」と何度も言い聞かせる。だが、彼女の描き方で一番見事なのは決して彼女を美化しなかったことだ。一つは強い母の内面に苦悩と葛藤があったことを描いたことである。何とか本格的なマラソンの訓練を受けさせようと、キョンスクはボストンマラソンで優勝した経験を持つソン・チョンウク(イ・ギヨン)にコーチを頼む。しかし汚い言葉やつばを吐いたりするのを覚えてきたり、酒を飲まされたりするのですぐ息子をコーチから引き離してしまう。その時にコーチから「息子にマラソンをさせているのは、あんたのただのエゴだ」、「あいつが母親なしで生きられないんじゃない。あんたが息子なしで生きられないんだ」と言われてしまう。キョンスクは「短い期間に何がわかるの?」と言い返すが、コーチに言われた言葉は彼女の頭から消えなかった。彼女は「子供の気持ちは顔を見れば分かる」と思っていたが、本当にそうなのか。そういう疑問が彼女の中に沸いてくる。チョウォンは本当に走ることが好きなのか、彼女の中で初めて自信が揺らぎ出す。ついに彼女は胃潰瘍で倒れる。
病床へ見舞いに来た夫に彼女が語った言葉は感動的である。「好きなことを見つけてあげたかった。でも気づいたら私が夢中になっていた。夢見たり、癒されたりしてたわ。何も知らない子どもに苦労させて。でも途中で止めることはできなかった。生きがいを失う気がして。」そしてチョウォンが子どものとき動物園で迷子になったときのことを覚えていたと夫に打ち明ける。実はそのとき彼女はチョウォンの世話に疲れて、握っていた手を離してしまったのである。「本当はあの時チョウォンを捨てたのよ。どうしても育てる自信がなかったの。・・・あの子はまた捨てられると思って“つらい”と言わずに生きてきたのかも。」
キョンスクはつらい気持ちを夫に打ち明けることで心の重荷を下ろす。彼女は反省し、もうチョウォンを無理やり走らせるのをやめようと決心する。この彼女の葛藤と反省は心からのものだ。だからこそ感動的なのである。だが、それでも彼女にはまだ変わっていない面があった。それはマラソン大会の日に表れる。マラソンを禁じられたチョウォンは大会の日一人でバスに乗って会場に行ってしまう。後から心配して駆けつけてきたキョンスクが言った言葉は、「そんなに走りたかったのね。じゃあ思い切って走ってきなさい」ではなかった。彼
女は無理やりチョウォンの腕を押さえて走らせまいとするのである。彼女の反省は本物だったが、それでもチョウォンの行動は自分が決めるという考えにまだ縛られていたのだ。走らせるのも、止めるのも、決めるのは彼女。長いこと波打ち際で砂の城を築くように同じ事を何度も何度も最初からやり直してきた彼女は、息子には自分で判断する力がないという認識を無意識のうちに持っていたのである。自覚的な意識のさらに奥底にある無意識の思い込み。映画はそこまで描いていた。傑作とはいえないものの、並の「感動作」などよりもこの映画が優れているのは、深く矛盾を抱えたキョンスクの意識を美化することなく丹念に描いていたからである。
子育てで悩んだことのない女性などいない。ましてや障害を持った子を育てる親の意識に迷いや矛盾がないはずはない。子供のためと思いつつ、それでよかったのかと迷わない日はないだろう。キョンスクはその迷いを、チョウォンを一流のランナーにすることこそこの子の幸せと思い込むことで押さえつけてきたのだ。手を離してしまった自分への深い反省を込めて。しかしそうすることでいつの間にか彼女は息子から離れられなくなっていたのである。周りが見えなくなっていた。彼女はコーチのチョンウクの言葉で我に返り、「あんたはいつも兄貴ばかり。俺の気持ちを考えたことがあるのか」という次男の言葉で長男べったりだった自分に気づき、チョウォンの行動で自分の中の無意識の思い込みに気づかされたのである。そうは言っても、彼女の浅はかさを批判的に描いているというのではない。もう二度と手を離すまいという彼女の強い決意もわれわれは十分理解できる。だからこそ、あれは自分のエゴだったのかという彼女の苦悩の深さが観るものの胸に響くのである。
マラソン大会の時、キョンスクは握った子どもの手を再び離した。今度こそ迷いなく。チョウォンは彼女の手から飛び立っていった。走っている時のチョウォンの表情が素晴らしい。母親の手は離したが、走りながら彼は沿道の人たちの伸ばした手に次々とタッチしてゆく。初めて家族とコーチ以外の人に「触れた」のだ。途中で走れなくなるが、その時すっと彼の前にチョコパイを持った手が伸びてくる。それをつかもうと彼はまた走り出す。まるで馬の前にぶら下げたニンジンみたいで笑えるが、あの手はキョンスクの手だったのだろう(もちろん幻である)。しかし再び走り出したチョウォンはせっかくつかんだそのチョコパイを途中で捨ててしまう。もう誰の助けも要らない。後は自分でシマウマのように走るだけ。そこに彼の成長がうかがえる。
母親のキョンスクが自分の思い込みによって見えなくなっていたのは、自分の周りのことだけではない。息子の成長に気づかなかった。それを知っていたのはコーチのチョンウクだった。最初のうち、走ってのどが渇いた時にチョウォンは自分一人で水を全部飲んでしまう。コーチが水をくれと言っても見向きもしない。それは自閉症から来るもので悪気はない。しかしある時、走り終わった後彼はペットボトルの水を全部飲まずに半分残し、それをコーチに差し出した。スモモもコーチに分けてやるようになる。そこには確かな成長があった。
食事のときにおならをしたり、弟に敬語を使ったり、音楽が鳴るとところかまわず踊り出したり、シマウマ模様を見ると触らずにいられなかったりしていた「子ども」は、フルマラソンに参加したとき初めて母親の手を離れ解き放たれた。会場に行くバスにも自分ひとりで乗ったのである。しかし彼は走り終わったときまた母親の手に戻る。成長はしたけれども、やはりまだシマウマとチョコパイとジャージャー麺とテレビ番組「動物の王国」が何より好きなチョウォンのままなのである。手はつながなくともまだ一緒に歩かなければならない。
手は離れていても心がつながっていれば親子の絆は切れたりはしない。これは母と子のそれぞれの成長の物語だった。手を離すこと、それは息子の成長を認めることだった。子どもを守ることは子どもを何から何まで拘束することではない。20年かけてやっとキョンスクはそういう認識に達した。あまりにも過酷な20年間。チョウォンは少し成長したが、キョンスクを必要としなくなったわけではない。彼女の長いたゆまざる苦労があったからこそチョウォンは飛びたてたのである。完走した後チョウォンがカメラの前で見せたあのさわやかな笑顔は、キョンスクが何度も「スマイル」と教えたからこそあの場面で自然に出たのだ。
チョウォンを演じたチョ・スンウ、キョンスク役のキム・ミスク、ともに見事だった。自閉症の障害をもったチョウォンを演じたチョ・スンウの演技は、「オアシス」で重度の脳性麻痺を患った女性を演じたムン・ソリのような見た目に派手な演技ではない。しかしちょっとした目の動きや体の動作で言葉にならない様々な「意思」を伝えていた。「春香伝」は観ていないが、「ラブストーリー」でさわやかな青年を演じ、「H」では一転してレクター博士を連想させる服役中の殺人鬼を演じていた。「マラソン」で彼の演技の幅はさらに広まった。中年四天王や「ペパーミント・キャンディー」、「オアシス」、「シルミド」のソル・ギョングなど、韓国には素晴らしい俳優がたくさんいる。チョ・スンウも彼らに匹敵するいい役者になるだろう。
キム・ミスクは22年ぶりの映画出演だそうである。テレビドラマで日本でも知られているようだが、僕は韓国のドラマは一切観ていないのでこの映画ではじめて知った。若さと美貌を売り物にする女優ではない。しっかりとした存在感があって、彼女も素晴らしい。
そして監督のチョン・ユンチョル。彼もまた本作が長編デビュー作とのこと。もう何度も言ってきたが、新人監督が次々に現れるところに韓国映画の勢いが表れている。陸続と出てくる新人監督の誰に対しても次回作を期待したくなる。こんな国は現在韓国以外に考えられない。
「チョウォン」という名前はハングル語で「草原」という意味だとあるブログで紹介されていた。なるほどぴったりの名前である。チョウォンと草原とシマウマ。彼は今もどこかの草原を駆けているのだろうか。
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kimionn20002000さん ご無沙汰しておりました。コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり韓国、中国、香港、台湾、そして日本。それぞれ映画の製作体制は違っているかもしれませんね。調べてみる価値はあるでしょう。僕も関心があります。ただなかなか調べる時間が取れないのが残念です。こういう方面の研究は重要なのですが、あまりまとまったものは見かけませんね。僕は僕なりに地道に調べていこうと思っています。
またお寄りください。
投稿: ゴブリン | 2006年3月22日 (水) 22:25
TBありがとう。
ゴブリンさんらしい、ていねいな解説で、また、いくつかのシーンが甦りました。
映画はお金をかければいいというものではありませんが、今回、マラソンシーンの撮影でも、相当な予算が必要だったと思います。
国の映像支援に関しては、いろんな情報がありますが、こうした新人監督にかなりの予算を任せられるプロデューサーシステムが日本とどう違うのか、研究してみたいものです。
香港映画、中国映画も、日本とは、違うシステムでしょう。
制作会社(プロダクション)のありかたが、異なるような気がしていますが。
投稿: kimion20002000 | 2006年3月22日 (水) 09:26
latifaさん コメントありがとうございます。
なるほどブログを二つお持ちですが。僕もHPとブログと両方に同じ記事を載せています。作品リストなどはHPだけに載せて差別化を計っています。
確かにうまくTBが貼れないことってありますね。相性のいい悪いがあるのでしょうか。
また時々お越しください。
投稿: ゴブリン | 2006年3月15日 (水) 17:29
こんにちは!昨日はFC2の私のブログにTBどうもありがとうございました^^
ところが、何故かこちらからはTB貼ることが出来ませんでした・・・同じ文を、gooの方のブログでアップしておりますので、gooの方からTBさせて頂きますネm(_ _)m
私のブログは、何故かTBが貼れないって事が多いんですよ。そのためgooとfc2と2つのブログ持ちました。どちらかダメな場合はもう片方はいけるので・・・(^^;)
投稿: latifa | 2006年3月15日 (水) 13:05