Dearフランキー
2004年 イギリス
原題:Dear Frankie
製作:キャロライン・ウッド
脚本:アンドレア・ギブ
監督:ショーナ・オーバック
音楽:アレックス・ヘッフェス
撮影:ショーナ・オーバック
美術:ジェニファー・カ-ンキ
出演:エミリー・モーティマー、ジェラルド・バトラー
ジャック・マケルホーン、
シャロン・スモール
メアリー・リガンズ、ショーン・ブラウン
ジェイド・ジョンソン、カティ・マーフィ、アン・マリー・ティモニー
イギリス映画には「ボクと空と麦畑」、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、「がんばれリアム」、「マグダレンの祈り」のような行き詰まり感の強い暗澹たる気分になる映画がある一方で、「ブラス!」、「フルモンティ」、「リトル・ダンサー」、「グリーン・フィンガーズ」、「ベッカムに恋して」、「カレンダー・ガールズ」のような、頑張れば道は開かれるという明るい色調の映画がある。「Dear フランキー」は後者の部類に入る。
舞台はスコットランド。ロケがおこなわれたのは、スコットランドはグラスゴー近郊のグリーノックという港町。そこは何と主演の一人ジェラルド・バトラーの故郷の近くだそうである。「ロケ地がスコットランドの、僕が育ったところから7マイルくらいの場所なんだ。場面によっては3マイルのところもあった。信じられない思いだよ。」スコットランドのどんよりとした空とその下のもやったような美しい景色が効果的に映し出されている。これが長編第一作になるショーナ・オーバック監督は元々写真家だったそうで、撮影も彼女が担当した。とにかく海の景色が素晴らしい。丘の上から町を見渡すシーンは確か映画の中でマリーが「世界一だ」と言っていたが、そういいたくなる気持ちが分かるほど美しい。
主人公のリジーを演じるのはエミリー・モーティマー。「キッド」、「ケミカル51」に続いて彼女を観るのはこれが三作目。特に「ケミカル51」の印象が鮮明だ。殺し屋の役だが、いきなり冒頭の結婚式の場面で花嫁のような白い衣装を着て登場する。教会で突然ハシゴを登り機関銃を組み立て始める。首尾よく参列者の一人を撃ち殺し、教会の鐘撞きロープを伝って下に降り、何食わぬ顔で脱出する。「キルビル」さながらで、なかなか色気もあってすっかり魅了された。本作では細身の体を生かして、繊細だが芯の強い母親役を好演している。彼女の息子フランキー役はジャック・マケルホーン。耳の聞こえない子供の役だが、言葉ではなく目や表情で感情を表現する難しい役を見事にこなしていた。
話は単純である。夫の暴力に耐えかねて家を飛び出したリジーは母のネル(メアリー・リガンズ)と息子のフランキーと3人で転々と住所を変えながらひっそりと暮らしていた。フランキーは夫の暴力のせいで耳が聞こえない。幸い幼い頃の出来事で、フランキー本人はその事情を知らない。父親を知らないフランキーに、父親は「ずっとACCRA号で世界中を航海しているので会えないのよ」とリジーは説明していた。父を慕うフランキーは父親に手紙を書き、リジーは父親のふりをして自分で手紙に返事を書いていた。しかしたまたまACCRA号という船が近くの港に寄港することが分かる。リジーは辻褄を合わせるために一日だけ父親役を演じてくれる男を探す羽目になる。
リジーは口紅を塗り、慣れないマニキュアをつけて、1日だけの父親になってくれる男を探すために夜酒場に出かける。しかし娼婦と間違えられ「ここで商売をしてもらっちゃ困る」と言われてしまう。逃げるように店を出たリジーは、海岸近くのベンチで泣きながら夜を明かす。口紅を塗るシーンをじっくり映すことで、普段はそんなものを塗っていないことが逆に分かる。夫の暴力に懲りて、男性に恐怖感を持つようになっていたのだろう。久しく女としての自分を忘れていたのに違いない。さりげない描写がそれをうまく表現していた。
父親役として友達のマリー(シャロン・スモール)が紹介してくれた男(ジェラルド・バトラー)は寡黙で暗い感じの男だった。どうせ一日だけの父親役だから「過去も現在も未来もない男」でよかった。リジーはその男の名前も知らず、彼も言わない。とりあえずフランキーの実の父親の名前デイビー・モリスンを名乗らせる。
ところが父親と会う当日になってフランキーが見つからない。港にいるところが発見され、マリーに連れられて家に戻ってくる。なぜか暗い表情をしている。あれほど父親に思いを寄せていながら、いざ会う段になると、はじめて会う父親にどう接していいかわからなかったのだろう。手紙でしか知らない父親。一体どんな人なのか。合いたい気持ちと合いたくない気持ちが相半ばして、気持ちが整理できなかったのではないか。フランキーの不安な気持ちは十分われわれにも理解できる。さりげないひとこまだが大事なシーンだ。
初めて「父親」と対面した時は双方ぎこちない。「父」は前からフランキーが欲しがっていた熱帯魚の図鑑をプレゼントする。それは手紙を読んでいなければ分からないことだった。この人は本当のパパだとようやく納得したフランキーは、にこっと笑って「父」に抱きつく。びっくりした「父」は最初手を広げたままだが、やがて大きな手でしっかりとフランキーを抱きしめる。ここは本当に素晴らしい場面だった。ぎこちなさから自然な感情の発露に変わる微妙な空気の変化、張り詰めた緊張が少しずつ溶けてゆく。二人を見つめていたおばあちゃんの顔もすてきだった。
実は、フランキーのことを知ってもらおうと、リジーは「臨時の」父親にフランキーからの手紙を渡してあったのである。彼はその手紙をしっかり読んでいた。フランキーの手紙は間違いなく「父親」に届いていたのである。この伏線の使い方が見事だ。
父 親を演じるジェラルド・バトラーが実に魅力的である。がっしりとした体つきで、いつも硬い表情を崩さないが、フランキーを見る目には優しさがこもっている。渋い表情の寡黙な 男。最後まで謎めいているが、忘れがたい印象を残す。 「父親」との出会いに戸惑っていたのはフランキーだけではない。ほとんど実の夫以外男を知らない感じのリジーも、この初めて出会うタイプの男に戸惑っていた。「父親」と出会いフランキーはどんどん明るく変わってゆくが、同時に母親のリジーも男へのかたくなな警戒心を少しずつ解いてゆくのである。この気持ちの変化がストレートに愛情に変わらないところに演出の見事さを感じる。むしろ最初のうちは、あまりにも息子と親しくなる「父親」に対して、リジーは息子を取られるのではないかとはらはらするのである。
約束の一日が終わった時、男はもう一日フランキーと会わせてほしいとリジーに頼む。あくまで単なる契約として片付けたいリジーは最初断る。男は「 フランキーは(父親を)待っていた。君自身も待っていたんだろう?」と説得する。彼は彼女の中の微妙な気持ちの変化を既に読み取っていたのだ。結局リジーが折れて次の日も会えることになる。
二日目、リジーは仮の「夫」と並んで海岸沿いの道を歩いている。すっかり警戒心を解いていたリジーは彼にいろいろな事情を打ち明ける。夫のこと、暴力のこと、そして手紙のこと。「偽の手紙はやめようといつも思うの。手紙が途絶えればあの子もあきらめるわ。でも実は私自身があの子の返事を欲しがっているの。唯一聞ける“声”よ。」この映画で最も感動的な台詞だ。
たった二日の出会いだが、男はリジーとフランキーを大きく変えてしまった。彼を介してフランキーとリジーの複雑でもどかしいほどの気持ちの揺れが描かれている。フランキーの気持ちをとらえた男は、リジーの気持ちもとらえかけていた。二日目が終わりいよいよ別れの時、男とリジーは戸口で長いこと見つめあい軽くキスを交わす。男は去ってゆく。いかにもという展開だが、しかしこのまま予想される結論にはまっすぐ進んで行かない。これと前後して実の夫が介入してくる。彼の姉が、弟が病気で先が長くないので息子に会わせてやってほしいと懇願してきたのだ。リジーの気持ちはさらに揺れ動く。結末は書かないが、この展開が絶妙だ。
ストレートな映画だが、決してあざとい演出で泣かそうとはしていない。ストーリーも名作「一日だけの淑女」を思わせるところがあり、そう目新しいものではない。しかし深い感動を伴う映画に仕上がっている。ありきたりの映画と何が違うのか。違いを説明するのは難しいが、恐らくこの映画がわれわれに感動を与えるのはそこに成長が描かれているからだろう。たとえ息子を思いやる気持ちから発したこととはいえ、偽りの手紙を書き続けるリジーはやはり現実から逃げていた。この映画が感動的なのはリジーとフランキーが二人とも逃げることを止め、現実を見つめ、それを乗り越えてゆこうとするからである。母も子も前に進む道を選択したのだ。一時しのぎの二日間が過ぎた後、母子はまた元の状態に戻ったのではない。ラストでリジーが受け取ったフランキーの手紙は彼の最後の手紙である。もう手紙は必要なくなったのだ。手紙がなくても二人は寄り添って歩いてゆける。二日間だけの「父親」は二人の絆をより強くするための触媒だった。役目が終われば彼は去ってゆくのである。「シェーン」のアラン・ラッドのように。リジーとフランキーが二人で寄り添いながら霧に煙る夕暮れの海を見つめるラスト・シーンが素晴らしいのは、単に景色の美しさだけのせいではない。
いや、偽の「父」もフランキーと接することで変わっていったのだ。もう一日会わせてほしいと頼んだのは彼の方である。最初受け取った謝礼も最後に全部返す。お金以上に大切なものをフランキーから受け取ったからだ(フランキーがタツノオトシゴの粘土細工を彼に贈るシーンは感動的だが、もちろんそれだけを指して言っているのではない)。それは丁度フランキーにとって「父」からもらった平らな石が何物にも代えがたい宝であったのと同じである。
しかしフランキーはその石をいつまでもとっておきはしなかった。大事にしていたその石を彼は水きり遊びに使う。その石は今までになく何度も水の上をはねた。石はあくまで石に過ぎない。フランキーはそんなものがなくても生きてゆける強さをいつの間にか身につけていたのである。以前は石を何回投げても1回でドボンと沈んでいた。あの平らの石を投げた時は見事に水を切って何度もはねた。石が平らだったからだが、それだけではない。フランキーが正しい投げ方を学び、遠くまで石を投げられるほど成長していたからでもある。フランキーは確かに成長していた。もう思い出の石は必要ない。もはや手紙を必要としなくなっていたのと同じように。なぜなら彼は「心の父」を得たのだから。
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のほほんさん 心のこもったコメントありがとうございます。
イギリス映画のレベルの高さを示す素晴らしい作品ですよね。「ラヴェンダーの咲く庭で」もそうですが、感情の機微を情に流されることなく、しかしそれでいて深い感動をもって描き出しています。この細やかな描写は女性監督ならではのものかもしれません。
1年以上も前に書いたレビューにコメントをいただけたのもうれしく思います。このような作品は決して埋もれさせたくありませんね。
長い記事ばかりで恐縮ですが、よろしかったら時々またお寄りください。これからもどうぞよろしく。
投稿: ゴブリン | 2007年5月12日 (土) 00:17
ゴブリンさん、はじめまして&こんにちは♪
わたし、この「Dearフランキー」という作品が大好きで
惹かれて、ゴブリンさんのサイトにたどり着きました。
ほんと、とても佳い作品で
わたしにとって心に残る思い出の1作なんですよ♪
そして
このたび初めてゴブリンさんの丁寧で愛にあふれる
レビューを読ませてもらってこの作品を観たときの感動を
思い出しました♪本当にありがとうございます♪♪♪
その感謝の気持ちをどうしても
ゴブリンさんにお伝えしたくて
こうしてコメントを書く勇気が出ました。
他の作品についてもゆっくりじっくり読ませてもらいますね。
そして、映画鑑賞選びの参考にさせてもらいますね。
これからも素敵な映画の紹介を期待していますo(^-^)o
また遊びに来させてもらいますね。
これからどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: のほほん | 2007年5月11日 (金) 11:28
カオリさん コメントありがとうございます。
丁度ココログのメンテナンス時期に重なったために、お返しのコメントが遅れて申し訳ありませんでした。
ほぼ同じ頃に公開された2本のイギリス映画「Dearフランキー」と「ラヴェンダーの咲く庭で」はどちらも素晴らしい映画でした。人生は決して短くはありませんが、そうそう大事件が起こるわけではありません。ちょっとした人との出会い、人との触れ合いに心を震わせ、心をうずかせ、再び平安を得る。そういうことの繰り返しですね。
人間の心の動き、切なさ、悲しさ、うれしさなどの微妙な心情を丁寧に、そして細やかに描いたこういう作品に出会った時、映画を観る喜びを感じますね。時にはつらい現実にも目を向けなければなりませんが、それだけでは息が詰まってしまいます。
息子の「声」を聞きたくてどうしても手紙を書くことをやめられないという母の思い、最後の手紙に込められた母に対するフランキーの思いやり、そして二人に消しがたい思い出を残して去っていった男の無表情な顔の裏に隠された淡い感情、どれもが丁寧に描かれていて心に残ります。
投稿: ゴブリン | 2006年12月 8日 (金) 18:22
丁寧ねレビューですね。まるでもう一度DVDを見ているような気持ちでした。
あのたったの「2日間」が、すべてを変えた。
派手なことは起こらないけれど、ステキなお話と思います。
投稿: カオリ | 2006年12月 5日 (火) 01:09
mahitoさん コメントありがとうございます。
こういう映画は本当に人に勧めたくなりますね。僕も周りの人に勧めてますよ。「カレンダー・ガールズ」以来のイギリス映画久々の快作。こういう映画もっとふえて欲しいですね。
投稿: ゴブリン | 2006年2月 9日 (木) 22:47
TBありがとうございます。
映画館で見ることが出来なかったのでレンタルを楽しみにしていたんですがやはりじっくりと見るにつけいい映画だなと思います。
色調が統一されていて監督のコメンタリーを見れば更に納得で、キャストも素晴らしかったしあざとさを感じない自然な流れが印象的でした。
ジェラルド・バトラーのファンでなくともお勧めしたい作品です。
投稿: mahito | 2006年2月 9日 (木) 08:19