ストレイト・ストーリー
1999年 アメリカ
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:ジョン・ローチ/メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
美術:ジャック・フィスク
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:リチャード・ファーンズワース、シシー・スペイセク
ハリー・ディーン・スタントン 、ジェームズ・カダー
ウィリー・ハーカー、エヴェレット・マッギル、ジェーン・ハイツ
DVDの特典映像に入っているインタビューで、「ストレイト・ストーリー」はこれまでの作品とだいぶ異質だが、観客を怖がらせるより人間愛を描く方向に転換したのかと問われて、デヴィッド・リンチは即座に「ノー」と答えている。いいストーリーだと思ったから取り上げただけで、次はどんな作品になるか自分でも分からないと。いい話が来れば受ける、それだけのこと、「いつもドアは開けておく」と強調していた。「ストレイト・ストーリー」のような作品を作るのは意外だと言われるのには不満そうだ。
確かに「ストレイト・ストーリー」を観れば、彼がサスペンス・ミステリーものしか作れない監督でないことは明瞭である。メアリー・スウィーニーがNYタイムズに掲載された記事を持ち込んだ時に関心を示したということは、そういう話に共鳴する資質を持っていることを意味する。そうでなければもっと付け焼刃の様な演出になっていただろう。「ストレイト・ストーリー」はデイヴィッド・リンチのもう一つ別の面を知る上で重要な作品である。
「ストレイト・ストーリー」のストーリーはいたって単純である。主人公のアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)は娘のローズ(シシー・スペイセク)と二人で暮らしている。アルヴィンは映画の冒頭でいきなり発作を起こして倒れる。大事には至らなかったが杖を二本使わなければ歩けない。そんなある日10年前に仲違いしたまま音信不通の兄ライルが倒れたとの知らせを聞き、兄に会いに行くことを決意する。だがアルヴィンは目が悪くて車の運転が出来ない。年齢も73歳である。だがなんとしてでも自力で兄のライルのところへ行きたい。そこで考えたのがトラクターでの旅。アイオワ州のローレンスからウィスコンシン州のマウント・ザイオンまで、時速8キロのトラクターでのんびり進む560キロの旅。
6週間の旅の間に様々な人たちと出会う。最初に出会ったのはヒッチハイクをしていた妊娠5ヶ月の娘。その後も自転車に乗った若者の集団、7週間に13頭もの鹿とぶつかったと半狂乱になって叫ぶ中年の女性ドライバー、途中トラクターが壊れてしまった時に泊めてもらった家の主、一緒に酒を飲みに行ったアルヴィンとほぼ同年配の白髪の老人、トラクターの修理をしてくれた若い双子の兄弟、一緒に焚き火をはさんで語り合った牧師、そして最後に兄のライル。一つひとつの出会いが皆温かい。旅の途中で出会った人たちと語り合うかたちで少しずつアルヴィンの歩んできた人生が明らかになってゆく。この展開の仕方が実に自然で見事だ。
中でも印象的なのは戦争体験を語り合った白髪の老人との会話である。アルヴィンは酒を断っているのでソフト・ドリンクを飲みながら語り合う。そしてなぜ彼が酒を断っているのか彼は涙ぐみながら語り始める。戦争が終わって国に帰った彼は浴びるように酒を飲んだ。彼がそれほど酒におぼれたのは戦場での悲惨な思い出が原因だった。相手の老人もうなずきながら言う。「大勢酒浸りになった。」その後のアルヴィンの言葉が胸を打つ。「皆忘れようとする。・・・みんなの顔が忘れられない。仲間の顔は皆若い。わしが年を重ねるほど仲間が失ったものも大きくなる。」そしてずっと彼の胸にとげのように刺さっていた大戦中のある出来事を語り始める。恐らくアルヴィンがこれを語ったのはこれが初めてだったのだろう。忘れようにも忘れられない過去のつらい記憶、それは心の重荷となってずっと彼の胸の奥にわだかまっていたに違いない。もうひとりの老人も自分のつらい記憶を語りだす。
しかしアルヴィンに悲壮感はない。日本映画「ロード88」に比べるとぐっと肩の力が抜けている。「ロード88」のヒロインは難病にかかっていていつ死ぬか分からない不安な状態に置かれている。死期が近いという点ではアルヴィンも同じだ。しかも兄もまた同じ状態なのである。同じ死が目の前にある状態でも、「ロード88」の10代のヒロインは生き急いでいる。そのひたむきさに心を打たれる。まだ十分人生を生きていないからである。だが、73歳のアルヴィンは「間に合うだろうか」と心配しつつも、のろのろとしたトラクターの旅にこだわる。トラクターの修理が終わるまで庭先に泊めてもらった家の主人が車で送ろうかと親切に申し出るが、自分でやり遂げたいと断る。「最初の志を貫きたいんだ。」
アルヴィンの旅の目的は何だったのだろう。もちろん死ぬ前に兄と仲直りしたいという気持ちがきっかけだったのには違いない。しかし、いくら自分で車を運転できないからといっても、ただ兄に会いに行くだけなら他にいくらでも手段はあったはずだ。560キロという距離は車なら1日でも行ける距離だ。だが、アルヴィンは敢えて自分の力で行く道を選んだ。それはなぜだったのだろう。牧師との会話の中で彼はこう語っている。兄のライルと自分はミネソタの農場で育った。「口争いの原因が何であれ、もうどうでもいい。仲直りしたい。一緒に座って星を眺めたい。遠い昔のように。」
そう、恐らく彼は星を眺めたかったのだ。最初は単に老人の意固地な意地だったのかもしれない。別に車でもよかったのだ。しかしひとりで旅を続け、いろんな人と出会い、自分の過去を振り返るうちに旅それ自体が一つの目的になっていたのではないか。見渡す限りトウモロコシ畑が広がるのどかな景色を眺め、夜にはじっくりと星空を眺める旅。いつしかその旅は人生の旅と重なり合う。来し方を顧み、兄との来るべき再会を夢に見る。ミシシッピー川を越え、兄の住むマウント・ザイオンの近くまで来たアルヴィンは涙ぐんでいる。出発した頃はそうではなかったはずだ。つまらない仲たがいを悔い、いま残り少ない人生を思った時、兄とすごした子どもの頃、互いに星空を眺めていた仲のよかった頃を思い、あの頃の二人に戻りたいという真剣な思いがしだいに募っていったのに違いない。ただ一緒に星空を見上げたいがために、純粋にそれだけのために兄に会いたい。そういう気持ちになったのだろう。自分の気持ちを整理するために時間が必要だったのである。
星空を眺めるということはもっと比喩的意味も含んでいる。星を眺めるとは自分の人生を見つめなおすことにも通じる。生き急いでいる人間にゆっくりと星空を眺める余裕はない。「ロード88」のヒロインのように難病で明日をも知れぬ場合でなくても若い頃は皆そうなのだ。わき目も振らず走り続けてきた人間はその過程で通り過ぎてきた多くのものを見落としてきた。走っている自分さえもたびたび見失っていただろう。いま、ゆっくりと人生最後の旅をしながら、アルヴィンは初めて会った人たちと話を交わし、自分を語りながら自分を見つめなおす。そしてその旅の終点に兄がいるのである。車で1日で行ってしまったのではそれが出来ない。星空を眺めている時間がない。そう、これはジェットコースター・ムービーの対極にある、究極の観覧車ムービーなのである。何もない地平を眺め、人の優しさとぬくもりを感じる旅、今まで気付かずに見落としていたものを再発見する旅。それがストレイトの旅だった。
余談になるが、この映画を観て、老人(というより老女)の一人旅を描いたもう一つの傑作「バウンティフルへの旅」(主演のジェラルディン・ペイジはアカデミー主演女優賞を受賞)を久しぶりに思い出した。いつも壁に向かって一人で話しをしているキャリーは、ある日息子夫婦に黙って自分の生まれ故郷のバウンティフルへと旅立つ。しかし既に故郷へ行く路線は廃線になっていた。仕方なくバスに乗って行くが、バウンティフルという駅は既になくなっている。それでも、途中様々な人と出会い、その親切に助けられ生家まで何とかたどりつく。キャリーの行動は人生からの逃避ではなかった。そこにはむしろ生への前向きでひたむきな姿勢があった。この映画が観るものを感動させるのはそのためである。荒れ果てた生家を見て、後から追いかけてきた息子夫婦と帰る彼女の後ろ姿には、死の影はなかった。
「ストレイト・ストーリー」に戻ろう。途中で出会った自転車に乗った若者の一人に「年を取って一番いやなことは何?」と聞かれる。アルヴィンは「最悪なのは若い頃を覚えていることだ」と答える。彼の言う「若い頃」には、第二次大戦の苦い、苦しい思い出が交じり合っている。と同時に両親や兄と農場で過ごした楽しかった時期も含まれている。忘れられない過去。彼はその過去を忘れようとして忘れられなかったのである。今ようやく彼はその過去と真剣に向き合い、兄と仲直りすることで重い過去を背負って苦しんできた自分を乗りこえようとしている。
アルヴィンはついに兄の家に着く。このラストが素晴らしい。兄のライル(ハリー・ディーン・スタントン)が戸口に現れる。二人はしばらく口を利かない。やっとライルが口を開く。「あれに乗っておれに会いに来たのか。」アルヴィンは「そうだ」と答える。二人は腰を下ろし無言で空を見上げる。言葉などいらない。いや、到底言葉では互いの思いを語りきれないのだ。遠い昔のように一緒に座って星を眺めれば互いの思いは伝わる。それでいい。満天の星で始まり満天の星で終わる。見事なラストである。
次はどんな作品になるか分からないと先のインタビューでデイヴィッド・リンチは語っていたが、結局「ストレイト・ストーリー」の次には従来の路線通りの「マルホランド・ドライブ」を作った。しかし懐の深い彼のこと、いつの日かまた「えっ」と驚くような意外な作品を作ってくるだろう。ドアはいつでも開いているのである。
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監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:ジョン・ローチ 、メアリー・スウィーニー
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1999年 アメリカ
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Okadaさん コメントとTBありがとうございます。
Okadaさんのブログはブルースとロック中心なのですね。僕も東京にいた頃はよくブルースを聞きました。マディ・ウォーターズやB.B.キング、エルモア・ジェイムズあたりが好きでした。上田に来てからはあまり買わなくなってしまったので、持っているのはCDよりもレコードの方が多いという有様です。と言っても30枚程度ですが。
音楽好きな人のブログにちょこんと収まった「ストレイト・ストーリー」の記事。なんだかうれしくなってTBしてしまいました。こちらからも時々寄らせてください。
投稿: ゴブリン | 2006年1月 7日 (土) 20:40
ゴブリンさん、はじめまして!
そしてTBありがとうございました。
とても丁寧に解説されていて、素敵なブログですね。
またちょくちょく覗かせてもらいます。
投稿: Okada | 2006年1月 7日 (土) 17:16
chibisaruさん TBとコメントありがとうございます。
本当にこれほどほのぼのした映画はそうないですね。しかもそれを「ブルー・ベルベット」や「ロスト・ハイウェイ」のデイヴィッド・リンチが撮ってしまうというところが面白い。あまり単純に人を枠にはめてしまってはいけないということでしょう。
また時々お寄りください。
投稿: ゴブリン | 2006年1月 5日 (木) 00:38
こんばんは。
ほのぼのしてじんわりくる映画でした。
トコトコと走るストレイトおじいちゃんが、自分の祖父とダブって懐かしかったです。
デイヴィッド・リンチ監督には色んな作品を取って欲しいですね♪
こちらからもTBさせていただきます。
投稿: chibisaru | 2006年1月 4日 (水) 23:54
カゴメさん あけましておめでとうございます。
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。大晦日に書き始めて、書きあがったときは年を越えていました。こんな文章でも書き上げるまでには、下調べも含めて5、6時間はかかります。正直しんどいのですが、励ましのコメントを頂くとまた頑張ろうという気持ちになれます。
正月最初に頂いたコメント。お年玉を頂いたような気持ちです。あまり無理せずに、アルヴィンのように悠々とレビューを書いてゆくつもりです。
今年もよろしくお願いいたします。
投稿: ゴブリン | 2006年1月 4日 (水) 19:56
明けましておめでとーございます!!
>だが、アルヴィンは敢えて自分の力で行く道を選んだ。それはなぜだったのだろう。
昔、新入社員の頃、赴任地の北海道に行くとき、
あっさり一時間半ほどで札幌に着いてしまい、
(同期の中でも一番遠いい任地だったのに、一番速く着いちゃった 笑)
ぜんぜん気持ちの整理がつかなかった時の事を思い出したです。
ラストは本当に素晴らしかったですね。
沈黙があんなにも雄弁だとは!
これぞ映画にしか出来ない素晴らしさですね。
今年も素晴らしいレビューを沢山読まさせて下さいませ。
投稿: カゴメ | 2006年1月 2日 (月) 10:32