ダブリン上等!
2003年 イギリス・アイルランド
原題:Intermission
監督:ジョン・クローリー
脚本:マーク・オロー
撮影監督:リシャルト・レンチェウスキ
音楽:ジョン・マーフィー
出演:コリン・ファレル、キリアン・マーフィー
ブライアン・F・オバーン、
デヴィッド・ウィルモット
ケリー・マクドナルド、コルム・ミーニー
デイドラ・オケイン、マイケル・マケルハットン
トマス・オサリバン、オーウェン・ロウ
最近よく見かける、最初はばらばらな独立したエピソードに思えたものが、話が展開してゆくに連れてしだいに互いに絡み合ってゆくというスタイルの群像劇である。どのあたりが最初なのか。ロバート・アルトマンが得意とする手法で75年の「ナッシュビル」や93年の「ショート・カッツ」などがその典型。94年の「プレタポルテ」や01年の「ゴスフォード・パーク」なども群像劇だ。94年のクエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」、99年のロドリゴ・ガルシア監督「彼女を見ればわかること」、ガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98年)と「スナッチ」(00年)、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」(99年)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」(99年)と「21グラム」(03年)、ラモン・サラサール監督の「靴に恋して」(02年)、思いつくままに挙げただけでも結構ある。99年ごろから急増していることが分かる。この発想の大本には19世紀フランスの文豪バルザックの「人間喜劇」があると考えられるかもしれない。ある小説の登場人物が別の小説にも登場する、しかも重要な人物の場合は繰り返しいくつもの別々の小説に登場するのである。人間関係の網の目が張られ、同じ人物が様々な角度から検討され、全体として「人間喜劇」という壮大な小宇宙が形作られる。100人を超える登場人物が絡まりあうトルストイの大長編『戦争と平和』を持ち出すことも出来るだろう。
まあ映画だからそこまで壮大なものは作れないし望むべくもないが、何がしかのアイデアは借りているのかもしれない。しかし、前世紀末あたりから流行り始めたのは何か理由があるのだろうか。男女の恋愛の様な単純になりがちなストーリーを避け、複雑な人間関係を描いてドラマに厚みを加え、かつストーリーの展開に意外性を加えるには確かに適した手法だ。上に挙げた作品の中には人間関係や利害関係が絡まりもつれ合って、どこか息苦しい行き詰まり感に行き着くものもある。社会の様々な面で崩壊現象が現れている今の時代を反映しているのかもしれない。もちろん映画によってその手法を用いる狙いは違う。人間関係を複雑かつ重層的にして重厚なドラマにしようというものと、意外なストーリー展開自体に重きを置いているものと分けられそうだ。「ダブリン上等!」の場合は後者だろう。恐らくガイ・リッチー監督の2作の手法をモデルにしたと思われる。チンピラや犯罪が絡む展開はやはり一番彼の二つの作品に近い。あるいはダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」(96年)にも通じる世界。
イギリス映画にこの種の映画が登場したのは、80年代のサッチャー政権が弱者を切り捨てる政策に転換したことと関係している。その結果貧富の差が拡大し、若者の間に麻薬が蔓延し犯罪が増えた。90年代に相次いで作られた麻薬とアル中と犯罪が絡んだ一連の映画は、福祉国家である事をやめたイギリスの荒廃した現状を描いていたのである。「ダブリン上等!」は恐らくそれらのイギリス映画の枠組みを借りつつも、完全には犯罪者になりきれない現代アイルランドの若者を描くという点で違いを出そうと試みたのだろう。どこか純情で悪になりきれない若者。ジョン(キリアン・マーフィ)とオスカー(デヴィッド・ウィルモット)の親友二人にとって最後はハッピーエンドで終わる。そういう要素が混じるためイギリス映画ほどの疾走感はない。自動車のフロントガラスに石を投げつける子供が出てきたりと、人心の荒廃した現状は描かれるが、結局はラブストーリーだ。この映画がどうも今ひとつ突き抜けていないのはその中途半端さに原因がありそうだ。
冒頭、コリン・ファレル演じるレイフがレジの女の子を甘い言葉で口説いている。と思わせておいて、レイフはポーっとしている女の子の顔をいきなりぶん殴って金を取って逃げる。この冒頭の場面は上記のイギリス映画の様な展開になることを予感させる。しかし最後はラブラブでハッピーエンド。おいおい。デイドラ(ケリー・マクドナルド)もあんな優柔不断でいい加減なジョンとよりを戻すなんて何考えてるんだ。
まあ、ユニークな登場人物を配し、社会風刺やブラックユーモアをまじえて描く。誰もが行き詰まりの状態になっているが、それを脱却する方法はどこかおバカな行動である。その典型がレイフとミックがジョンを巻き込んで企てる銀行強盗。しかし予期せぬ展開となってあっさり頓挫してしまう。この銀行強盗が各エピソードをつなぐ結節点となっている。ドタバタ調の展開になり、最後は収まるところに収まるというほのぼの路線。もっとも突如妻のノーリーン(ディードル・オケイン)を捨ててデイドラと同棲を始めた銀行支店長サム(マイケル・マケルハットン)は、元の鞘に納まったもののノーリーンにこっぴどい目に合わされるだろうが。
個々の部分はどれも悪くはない。登場人物のユニークさはかなりのものだ。マッチョな暴力警官なのにクラナドが好きだと公言するジェリー(コルム・ミーニイ)、車椅子に乗りパブに入り浸っている爺さん、デパートの無愛想な店員。主要な登場人物もキャラクターはよく出来ている。総じて男はろくな奴がいなくて、女は計算高くて堅実。複雑な人間関係が絡まるが特に大きな破綻はない。ジョンとオスカーがバイトをしているスーパーでの経営者とのやり取り、テレビ・ディレクターのベン(トマス・オサリバン)と上司とのやり取り、あるいは不可抗力の事故だったにもかかわらず首にされた不運なバス運転手ミック(ブライアン・F・オバーン)のエピソードには社会風刺も盛り込まれている。
しかし全体としてみた場合、やはり出来はそれほどよくない。中途半端だし何よりもだらしなくまともな生き方が出来ないジョンやレイフたちの人物像に共感出来ないからだ。イギリス映画のように最後まで突き放していれば、共感はいらない。しかしこの映画の場合、でも結局はみんないい奴だよと最後は収めてしまう。そのためにはもっと共感できるような人物設定が必要になってくる。つまり途中までいいかげんでどうしようもない奴らだと描いておきながら、最後はハッピーエンドで丸く収めてしまう展開に無理がある。まともなのはオスカーとサリー(シャーリー・ヘンダーソン)くらいのものだ。こちらを主人公にしておけばまだケン・ローチの「スウィート・シックスティーン」の様な味わいの作品になったかもしれない。
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履歴書さん
コメントありがとうございます。古い記事にコメントを頂くのはうれしいものです。最近は忙しくてレビューは書いていませんが、良かったらまたふらっと遊びに来てください。
投稿: ゴブリン | 2014年6月 6日 (金) 00:44
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
投稿: 履歴書 | 2014年6月 4日 (水) 13:08