イギリス小説を読む⑥ 『エスター・ウォーターズ』その2
<作者ジョージ・ムアについて>
ジョージ・ムアは『エスター・ウォーターズ』の作者として英文学を学ぶものの間では知られているが、一般にはほとんど知られていない作家である。日本の英文学界でもジョージ・ムアを専門に研究しているという学者はまずいないだろう。『エスター・ウォーターズ』の翻訳も1988年にようやく出たばかりである。
ジョージ・ムアはアイルランドの旧家の大地主の家に生まれた。最初は画家になるつもりだったが、フランスで過ごすうちに作家になろうと決心した。特にフランスの自然主義作家エミール・ゾラの影響を受け、自然主義の色彩の濃い作品を書いた。『エスター・ウォーターズ』にもその特徴が見られ、エスターというヒロインを通して、人生のありのままの姿が描かれている。当時の常識を逸脱した下層の女性をヒロインにし、そのなりふりかまわず生き抜こうと苦闘した人生を歯に衣を着せずに描いたため、不道徳だとのそしりを受け貸本屋から一時締め出されていた。
<エスター・ウォーターズ:英文学史上初めて登場した最下層出身のヒロイン>
ジェイン・オースティンの描いた世界と比べると、エスターの世界は実に不安定な世界である。いつ貧困のどん底に突き落とされるか分からない世界、絶えず救貧院の陰が付きまとい、飢えと死の不安が付きまとっている世界である。読者もエスターの運命に絶えず不安を感じながら読み進まずにはいられない。たとえ幸福な時期があっても、この幸福はいつまで続くのかと不安に思わずにはいられないのだ。エスターの女中仲間だったマーガレットがいみじくも言った通り、「世の中はシーソーみたいなもので上がったり下がったり」なのである。この言葉こそエスターの浮き沈みの激しい人生を端的に表現している。いや、上流の人たちもこの点では例外ではない。隆盛を誇ったバーフィールド家も競馬で破滅してほとんど財産を失ってしまうのだから。
エスターの生活が不安定なのは単に彼女が社会の最下層の出身だからというだけではない。結婚せずに子供をもうけたことが彼女の運命をさらに苛酷なものにさせている。彼女がウィリアムをはねつけたのは、彼女の頑固さと無知にも原因があり、さらには宗教的な信念からくるかたくなさもその一因になっている。その意味では彼女の側に非があったとも言えるが、作者の意図はエスターの性格を非難することではなく、そういうかたくなな娘を作った社会を批判することにあると思われる。字も読めないほど無学で貧しい娘が判断を誤ったとしても、彼女ばかりを責められまい。
むしろ作品は、子供を抱えて必死に生きようとするエスターを冷たくあしらう世間に、読者の目を向けさせている。私生児を生んだというだけでふしだらな女と見なされ、ほとんどの家から仕事を断られてしまう。彼女の希望は子供だけなのだが、使用人の務めを果たすためには他人に子供を預け、離れて暮らさなければならない。自分が食べて行くだけでなく、子供の養育費も捻出しなければならない。この最悪の逆境にあって彼女を支えていたのは、何としても子供を一人前に育てなくてはいけないという思いだった。どんなことをしてでも自分は生き抜き、自分の身を削ってでも子供を育てるのだ、それまでは絶対に死ねないという決意、この決意があってこそ1日17時間の労働といった奴隷並の苛酷な労働にエスターは耐えられたのである。このたくましさ、しぶとさは、それまでのヒロイン像とは大きく掛け離れている。この決してくじけないしぶとさが、エスターというヒロインの最大の魅力である。
エスターは現実的な女だった。生きるためには信仰よりも生活を優先した。競馬と賭け事を罪深いことだと感じながらも、「夫に従うのは妻の務め」と信じるエスターはあえて夫の仕事に口を出さない。最後まで信仰を失いはしなかったが、生活に追われてしばしば信仰を忘れかけていることもあった。信念よりも生活を優先させるこの現実的な考え方、この考 え方が彼女の活力の源である。作者はエスターにふれて「だがこのプロテスタンティズムの信仰を凌いで人間性があり、20歳という彼女の年齢が彼女の内部で脈打っていた」と書いているが、これは『ジェイン・エア』のヒロインと彼女がローウッド校で出会った薄幸の少女ヘレンを思い出させる。信仰心の篤いヘレンは不当ないじめに対しても聖書的な諦めの境地でじっと耐えている。しかしジェインは神の世界ではなく現実に生きる女性であり、不当なことには歯向かって行く。エスターはヘレン的信念と忍耐力を持ったジェインである。信仰を最後まで失わず、厳しい試練に耐える忍耐力を持ち、かつ現実と前向きに戦う力をもったヒロインだ。「夫に従うのは妻の務め」と信じる古いタイプの女であるエスターは、『余計ものの女たち』のローダ・ナンたちからはあざ笑われるだろうが、彼女には戦闘的なフェミニストも舌を巻くほどの力強さがある。
エスターの現実的な面は金銭面にも現れている。彼女が常に気にする金銭の額は、ジェイン・オースティンの世界に出てくる何千、何万ポンドという額ではない。主にシリング(1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンス)単位の額で、時にはほんの数ペンスしか手元に残っていなかったりする。『エスター・ウォーターズ』にはいやと言うほど金銭の額が出てくるが、それはもちろん彼女が金に卑しいからではない。賭け事を商売にしているウィリアムも絶えず金銭を気にしているが、彼のお金に対する意識とエスターの意識とは全く違う。ウィリアムが競馬に入れあげるのは別に生活が苦しいからではない。それに対してエスターにとっての金は、ギリギリ生活してゆくための、自分と息子を生きながらえさせるための生活資金だった。まさに生命線である。だからたとえ年14ポンドの仕事があっても、年16ポンド以上の仕事先が見つかるまで我慢するのだし、本当に困ったときには低賃金の仕事でもひきうけるのだ。
ジョージ・ムアはどうしてこのようなヒロインを創造できたのだろうか。恐らく本文にあるように、「上流の人々が使用人たちを一段と劣った人間と考えていることを、エスターは知っていた。しかし人間は皆、同じ血と肉で作られているのだ」という考え方が作品の中で貫かれているからだろう。翻訳書の解説に、「彼女に破滅の道を辿らせなかったのは、作者がその戦いに高貴なものを見たからに他ならない」という指摘があるが、確かに作者がエスターというヒロインに魅力を感じていなければこの作品は成り立たなかっただろう。彼女のような身分の登場人物は、それまでなら夜の女に身を落とし、惨めに死んでゆくという運命を辿ることが多かった。エスターは勤勉と倹約の精神と堅実さ、そして夫と子供に尽くす女という、まさに「家庭の天使」そのものの価値観を持った伝統的タイプの女性だが、そこに作者が現実に立ち向かうしぶとい生活力をもった女を見いだしたとき、かつてないタイプの新しいヒロインを彼は作り出したのである。ただ、無教育で文盲であるはずのエスターがきちんとした標準語を話しているところに、時代の制約がまだ残ってはいるが。
『日陰者ジュード』のヒロイン、天使のように自由なスー・ブライドヘッドは、結局社会の圧力に跳ね返され、敗北する。彼女の敗北は伝統的価値観がいかに強固で呵責ないものかを示している。エスターは敗北しなかった。踏まれても踏まれても庶民は雑草のようにまた起き上がってくるのだ。
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