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2006年1月

2006年1月31日 (火)

彼女を信じないでください

dan01bw 2004年 韓国
脚本:チェ・ヒデ
監督:ペ・ヒョンジュン
撮影:ユン・ホンシク
出演:キム・ハヌル、カン・ドンウォン、ソン・ジェホ
    キム・ジヨン、ナム・スジョン イム・ハリョン
    キム・ウニョン、リュ・テホ、ク・ヘリョン、イ・ヨンウン

  この1、2年の韓国映画の日本流入量はすさまじい限りだ。もう何でもいい、手に入る限り持ってこいといった感じである。韓国映画のレベルは相変わらず高いのだが、これだけ大量に入ってきたのでは選ぶのに苦労する。当然ハズレも覚悟しなければならない。「彼女を信じないでください」はもともとそれほど期待もしていなかったが、出来はまあ標準といったところか。

 「下妻物語」「茶の味」「東京原発」「笑の大学」「約三十の嘘」「運命じゃない人」「ALWAYS三丁目の夕日」「THE有頂天ホテル」とこのところの日本映画には良質のコメディが目白押しだが、好調な韓国映画でも不思議とこの分野には洗練された作品があまりない。韓国のコメディ映画はそれほど多くは観ていないので偏った見方になっているかもしれないが、美男美女を並べて下手な芝居をさせているだけの安易な作品が多い気がする。ほとんどテレビ・ドラマのレベルにとどまっているのではないか。中国では「キープ・クール」「ハッピー・フューネラル」のようなとことん話を広げてゆく大げさな笑いが主流のようで、これまた日本人にはエグすぎて逆に笑えないようだが、それでも韓国物より数段良い。「至福のとき」のような優れた人情喜劇もある。台湾の「熱帯魚」「ヤンヤン夏の思い出」等もレベルの高いコメディだと言える。

  僕の知っている限りでは、傑作と呼べる韓国のコメディは「猟奇的な彼女」「反則王」くらいである。様々なジャンルで数多くの傑作を生み出している韓国で、なぜこれほどコメディのレベルが低いのか。一番の理由は、なんと言っても若い世代を相手に作っているとしか思えない安手の作りにある。美男美女さえそろえておけばそれで満足してくれるさ、という安直な安物。志が低すぎる。「僕の彼女を紹介します」はその典型。チョン・ジヒョンを観るためだけの映画で、それ以上ではない(もっともこの映画の彼女はちっとも美女には見えなかったが)。志の低い安易な映画だから、作りもお決まりのパターン通り。「彼女を信じないでください」は「猟奇的な彼女」のパターンをそっくり頂いている。気の強い女性と気が優しくドジな男、コメディに涙を誘う味付けを加えるという展開。女性が「暴力的」なところまで一緒だ。

  作品のテーマよりも美男美女を見せることにそもそもの狙いがあるのだから、いいものが出来ようはずもない。韓国得意のラブコメもかなりこれに近い状態で、「八月のクリスマス」、「イルマーレ」、「美術館の隣の動物園」「永遠の片想い」等の傑作も生んではいるが、美男美女の組み合わせをとっかえひっかえしただけの安易で安手の作品を大量に垂れ流している。恐らく韓国では映画もドラマもこれらの安手のコメディとラブコメが庶民に一番受けるのではないか。傑作も生まれはするがそれはあくまで例外で、多くは大衆に迎合して、パターン通りの作品を量産してお茶を濁しているのだろう。安易なつくりでも日本では結構受けるのだから、これまた情けない。日本のドラマが同じ程度のレベルだから、むしろすんなり入ってくるのだろうか。

 「彼女を信じないでください」やこの手のコメディに共通する一番の問題は、役者のわざとらしい演技と、あえてそれをやらせた演出にある。ひどいと言えばあまりにひどい。学芸会や大道芸並みの田舎芝居。あまりのバカバカしいわざとらしさに終始冷めて観ていた。キム・ハヌルを一流のコメディエンヌであるとまで褒め上げる人がいるのは信じられない。ただ、さすがに話題になっただけあってストーリーや仕掛けは悪くない。役者も、主役の二人032561 はともかく、周りの脇役(ソン・ジェホとキム・ジヨンが出色)は皆大げさな演技をしていないのでなかなか良い。ストーリー展開は決して悪くはないのだから、うまく演出すればかなりの傑作になったかもしれない。主役二人のわざとらしくて大げさな演技を取り除けば、それだけでもかなり映画全体の水準は上がるはずだ。キム・ハヌルがしてやったりとほくそえむショットがやたらと出てくる。これなど日本のドラマによく出てくる、聞き込みに来た刑事が帰った後、愛想笑いを浮かべていた悪役がにたりと笑う場面と全く同じだ。下手な演出の見本である。キム・ハヌルが本当に騙されて捨てられた女のように振舞ってこそ、そして周りの人たちがそれを本気にして同情してこそ、自然な笑いが起きてくるのである。やたらと目をむきおたおたするカン・ドンウォンの演技も日本のお笑いのショート・コント並だが、キム・ハヌルがまともに捨てられた女を演じていれば彼の大げさな演技も生きてくる。周りはみんな真剣に怒っているのに、彼だけが訳が分からずおたおたする。ボケと突っ込みの呼吸。これでこそコメディだ。キム・ハヌルがしょっちゅうにんまりしてわざとらしく演じていたのでは全部ぶち壊しなのである。一流の詐欺師という設定なのだから。名脇役ソン・ジェホとキム・ジヨンは一切大げさでわざとらしい演技をしていない。だから笑えるのである。あけすけな話をものすごい勢いで喋りまくる田舎のおばちゃんたちだって、滑稽に振舞おうとしてはいない。いつもどおりに喋り捲っているから面白いのである。彼女たちの話し振りから田舎の普段の生活が自然にあぶりだされてくるからである。ここをきちんと押さえなければ一流のコメディにはならない。キム・ハヌルやカン・ドンウォンにソン・ガンホ並の演技を期待することはそもそも無理なのだが、滑稽な身振りをしなくてもコメディを作ることは出来るのだ。

  演出も工夫が必要である。無理やり作っている場面が多い。その典型はヨンジュ(キム・ハヌル)とヒチョル(カン・ドンウォン)の出会いの場面。ヒチョルはヨンジュの座席の下に落とした指輪を拾いたいだけだから、彼女に声をかけてちょっとどいてもらい、指輪を拾えばすむことである。それをわざわざ彼女の足元にひざまずいて座席の下を覗かせるのは、痴漢と間違えさせてぼこぼこに殴られる「猟奇的な彼女」的展開にもって行きたかったからである。だったらもっと無理なくそうなる展開を考えるべきだ。せっかくの面白い場面なのに、このわざとらしい演出がその効果を半減させている。

  それに比べると、しつこいタクシー運転手にヨンジュが思わず「新しい嫁です」とつい口からでまかせを言ってしまったために、話がとんでもない方向にねじれてゆくあたりの展開はよく出来ている。素朴でお人よしの田舎の人たちを騙し続けるためにまた嘘をつき、こうして嘘はどんどん膨れ上がってゆく。とんでもない嘘のシナリオが作り上げられてゆく。何もしらないヒチョルが帰ってくると、電車でたまたま会っただけの女が自分の婚約者になりすましてちゃっかり家に入り込んでいて、自分はいつの間にか彼女を妊娠させて見捨てた血も涙もない極悪人に仕立てられていた。コメディの状況設定としてはよく出来ている。このあたりはドタバタ調になる。さらに見せ場の一つである「Mr.唐辛子コンテスト」を経て、やがて映画の色調は互いに毛嫌いしていた二人がどんどん惹かれ合ってゆくラブロマンスへと転じてゆく。このあたりの展開も悪くはない。やはりキム・ハヌルは「猟奇的な彼女」路線よりも「リメンバー・ミー」路線(作品としては今一だったが)の方が似合う。少なくとも無理して演じているという違和感はない。ヨンジュを変えていったのは温かいヒチョルの家族たちだったという展開も共感できる。

  監督のペ・ヒョンジュンはこれが処女作である。第1作としてはまずまずの出来か。スター中心の映画作りという以前から心配していた状況がかなり進行してきた韓国映画界だが、優れた新人監督の育成という点ではまだ相当な成果を上げている。ペ・ヒョンジュン監督も作品を作り続けてゆく間にいずれ優れた作品を物するだろう。粗製濫造体制に近づいてきたとはいえ、韓国映画界はまだまだそんな期待をさせるだけの勢いを持っている。

2006年1月30日 (月)

イギリス小説を読む⑧ 『夏の鳥かご』

<今回のテーマ>人形の家を出た女たち

(1)20世紀イギリスを代表する女性作家
Virginia Woolf(1882-1941)        『灯台へ』(新潮文庫)、『ダロウェイ夫人』(新潮文庫)
Katherine Mansfield(1888-1923) 『マンスフィールド短編集』(新潮社)
Jean Rhys(1890-1979)            『サルガッソーの広い海』(みすず書房)
Elizabeth Bowen(1899-1973)      『パリの家』(集英社文庫)
Daphne du Maurier(1907-  )      『レベッカ』(新潮社文庫)
Muriel Sarah Spark(1918-  )     『死を忘れるな』(白水社)
Doris Lessing(1919-  )            『一人の男と二人の女』(福武文庫)
Iris Murdoch(1919-  )            『鐘』(集英社文庫)
Anita Brookner(1928-  )           『秋のホテル』、『異国の秋』(晶文社)
Edna O'Brien(1932-  )             『カントリー・ガール』(集英社文庫)
Fay Weldon(1933-  )              『ジョアンナ・メイのクローンたち』(集英社)
Emma Tennant(1939-  )           『ペンバリー館』(筑摩書房)
Margaret Drabble(1939-  )       『碾臼』(河出文庫)、『夏の鳥かご』(新潮社)
Margaret Atwood(1939-  )        『浮かびあがる』(新水社)、『サバイバル』(御茶の水書房)
Susan Hill(1942-  )                 『その年の春に』(創流社)
Angela Carter(1940-92)            『血染めの部屋』(筑摩文庫)、『ワイズ・チルドレン』(早川文庫)

(2)マーガレット・ドラブル著作年表、および略歴
1963  A Summer Bird-Cage   『夏の鳥かご』(新潮社)
1964  The Garrick Year           『季節のない愛--ギャリックの年』(サンリオ)
1965  The Millstone        『碾臼』(河出文庫)
1967  Jerusalem the Golden   『黄金のイェルサレム』(河出書房新社)
1969  The Waterfall               『滝』(晶文社)
1972  The Needle's Eye           『針の眼』(新潮社)
1975  The Realms of Gold         『黄金の王国』(サンリオ)
1977  The Ice Age                 『氷河期』(早川書房)
1980  The Middle Ground
1987  The Radiant Waysedang3
1989  A Natural Curiosity
1991  The Gates of Ivory
1996  The Witch of Exmoor

(略歴)
  シェフィールド生まれ。ケンブリッジ大学のニューナム・コレッジで英文学を専攻し、最優秀で卒業した。ロイヤル・シェークスピア劇団の俳優であるクライブ・スイフトと結婚。『夏の鳥かご』で作家としてデビューした。自分とほぼ同年代の若い女性をヒロインにし、女性の自立、不倫、未婚の母などのテーマを描くのが得意。妹のアントニア・バイアットも作家で、現代のブロンテ姉妹と言われている。

(3)『夏の鳥かご』と現代的ヒロイン
  ヒロインのセアラ・ベネットはオックスフォードを優秀な成績で卒業した若い知的な女性である。物語はセアラが姉ルイーズの結婚式に出席するために、パリからイギリスに戻ってくるところから始まる。姉のルイーズは「くらくらするような美人」で、男にもてはやされているため、セアラはいつも引け目を感じている。姉の方もセアラのことなど眼中になく、二人の仲はよそよそしい関係である。

  特に物語の進行に筋らしい筋はない。物語は、姉の結婚式、披露宴、セアラのロンドンへの引っ越し、ジャーナリストと俳優の友人たちが開いたパーティ、姉の新居でのパーティ、姉とその愛人である俳優との逢い引きへの同伴、姉の結婚の破綻と告白、とエピソードの積み重ねだけで進行している。全体として会話が中心の展開となっている。セアラは観察や考察もするが、それも自分自身やごく身の回りのことに関心を向けることが多い。

  しかし何らかのテーマがないというわけではない。若い女性のヒロインと周りの人々との会話を通して、ヒロインの価値観と他の人々の価値観のぶつかりあいが浮かび上がってくるのである。そのヒロインを取り巻く人々の中でとりわけ重要なのは姉のルイーズである。ルイーズと彼女の世界を理解しようとすることが中心的テーマになっている。それはまたセアラ自身とその世界を理解することでもある。

  この小説の一つの特徴は女性特有の視点や会話が満ちあふれていることである。19世紀にも多くの女性作家が活躍していたが、その文体は基本的には男の文体で、考え方や行動も当時の社会的規範からそれほど大きくはみ出してはいなかった。一方、『夏の鳥かご』はさすがに20世紀の小説ということもあって、ヒロインの考え方や行動や話し方は現実の若い女性のそれに非常に近い。衣服や靴などに目が行く、相手や自分が口にしたことをいちいちあれこれと気にする、矛盾したり、本音とは裏腹のことを言ったりする。作者のドラブル自身この点を明確に表明している。  「ケンブリッジを卒業したとき、小説という形態は未来ではなく過去に属するものだと考えておりました。...ところが...ソール・ベローの『雨の王ヘンダーソン』...J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』...を読んでみたら、突然小説は20世紀に属するものなのだ、自分自身の声で語り、自分自身の声で書くことが可能なのだ、と思われました。」『女性小説の伝統』(1982)

  しかし、20世紀に入って女性の生き方はどれだけましになったのだろうか。『人形の家』のノラが家を出た後にたどる運命は、魯迅が予言したとおりこの20世紀のヒロインに当てはまるのか。この点についても検討していきたい。

<ヒロイン・セアラの性格分析>
  登場したときからセアラは人生の目標を見いだせないでいる。オックスフォード卒業後すぐにパリに行ったが、ただ暇つぶしに出掛けただけで、特に何をしたわけでもない。パリからイギリスに戻る汽車の中で、セアラは「仕事とか、真剣さとか、教育を受け過ぎて使命感を失った若い女性は自分をどう扱うべきかといった問題を」ずっと考え続けていた。せっかく優秀な成績で大学を出ても、彼女には人生の目的が見いだせていなかった。そこには人生のさまざまなやっかいな問題から遠ざかっていたいというヒロインの意識が現れていると言える。彼女は「わたしって、適応しないものが好きなのよ。...社会的な関わりのない人が好きなんだわ」とはっきり言う。彼女は親友のシモーヌが好きなのだが、それは彼女のような「無責任になりたい」からである。ここで言う「無責任」とはいろんな束縛から自由でいられるという意味だと思われる。セアラは自由にあこがれているのだ。しかし、彼女は決していいかげんな女性ではない。むしろ自分を「退屈な勉強家」だと卑下しているくらいである。にもかかわらず、セアラは「卒業後何をやるか考えていない」「自分が何をしたいのかわからない」と言うのである。彼女は大学卒業後結局BBCに勤めるが、そこでの様子は一切描かれない。仕事をする彼女の姿が全く描かれていないのである。まるで生活のためにとりあえずやっているだけの仕事であるかのように。そして、実際そうなのだ。「お勤めなんてひまつぶしのひとつだわ」と彼女は公言してはばからない。恐らく彼女のこの不安定な状態は、「人形の家」から飛び出したものの、まだ十分女性の社会的地位が固まっていないため、自分の生きがいを見いだすに至っていなかった当時の女性の現状の反映と言えるかもしれない。何をやりたいかは分からないが、古い価値観という束縛には縛られるのはいやだ。とにかく自由でいたい。この心理は今の女性でもある程度は共感できるのではないか。逆に言えば、今日でも1963年当時とさほど大きな違いはないということになる。

  一方姉のルイーズは「とびきりの美人」で「彼女が街を歩くと、みんなが振り替える」ほどである。しかし三つ年下の妹のことは全く相手にもしていない。8歳から13歳まではセアラは「ルイーズを追い回し、まめまめしく仕え、ほんの親しみのひとかけらでも恵んでもらおうと努めた時代もあった。」ルイーズが全寮制の学校に入った頃は、彼女が休暇で帰ってくる前から「毎日カレンダーの日付を斜線で消し」今か今かと待ち望んでいたのだが、いざ汽車が着いてみるとルイーズはセアラの存在を無視して両親にキスをしたのだった。13歳をすぎたころに、セアラは「自分の威厳を取り戻し、ついにはルイーズに背を向けてしまった」のである。今では互いに冷淡になっており、ほとんど会うこともない。だが、ルイーズの結婚後何度か彼女と会ったり、知り合いたちと話したりするうちに、実は自分はルイーズと似ているのだとセアラは気づかされたり、自分で気づいたりすることになる。ジョンには「きみは彼女に似ているね」「二人とも釘のように頑丈だ」と言われ、自分でもあるとき「二人とも真面目な人間なのだ」と気づく。姉自身からも「わたしたち肉食性だと思わない?わたしたち食べられるより食べる方がいい。」「わたしたちは同類なのよ、あなたもわたしも」とはっきり言われる。

art-pure2003b   似ているがゆえに互いに反発しあうということはよくあることだ。ましてや、ともに「肉食性」であればなおさら歩み寄れない。ルイーズに対するセアラの反発の根底には、姉の方が美人で、いつも自分の方が負ける、自分は「才知はあるが、美貌ではない」というコンプレックスがある。しかし、あるときダフニーというメガネをかけた醜いいとこのことを姉と二人で散々こき下ろした後で、セアラは[自分がかくも恵まれた身であることの栄光と後ろめたさを絶えず感じている」ことを意識する。肉体は天からの賜物である。「美しい肉体をもつ者は、この世を大いに利用するがいい」と考えるに至るのだ。このセアラの考えはほとんどルイーズのそれに近い。彼女はどうやらルイーズの後を追っているようだ。

  ではルイーズはどうなったのか。作品の一番最後のあたりで、ルイーズがドッレシングガウン一枚しか身につけていない格好でセアラのアパートに駆け込んでくる場面がある。実は金持ちで作家のスティーヴンと結婚したルイーズは、結婚後も公然と愛人のジョンと浮気を続けていたのだが、あるとき二人でシャワーを浴びているところに思いもかけず夫が帰って来たのである。セアラははじめて姉と腹を割って話をする。なぜジョンと結婚したのかとセアラが聞くと、ルイーズは「お金のためよ」と平然と答える。貧乏だけはしたくなかった、金持ちと結婚すれば貧乏することはないと考えたというのだ。かつて美人だったステラという友達の惨めな結婚生活を見て、自分はあんなふうにはなりたくないと思ったとも言う。そして泣き始める。初めて心の奥底を打ち明け会った二人はその後仲良くなり、互いに良い関係を保っている。後に、結婚したのは妹に追い越されまいとしたからだとルイーズは打ち明けている。その後ルイーズは夫とは別居し、愛人のジョンと同棲していることを読者に伝えて、小説は終わっている。

<セアラとルイーズ>
  セアラとルイーズは19世紀の小説にはまず登場し得ないキャラクターである。間違いなく20世紀のヒロインだ。1960年代に登場したセアラは古い価値観に反発する。「わたし自身は、食事を作ってもらったり床をのべてもらったりするような契約的な慰めに負ける自分をときどき軽蔑するのだけれど、ママはそういうことが悪いとは少しも思わない。ママは面倒を看てもらうのが好きなのは弱さの証拠だとは思わないし、それが当然だと思っている。」結婚式の当日にルイーズが「ヴァージンのまま結婚するのって、どんな気持ちだと思う?」とセアラに聞くと、セアラは「不潔な純白さっていうとこかしら」、「きっと屠殺場に曳かれて行く子羊みたいな感じかしら」と答える。これは19世紀の作家には絶対書けないせりふである。セアラの友達のギルも、夫にヤカンを火にかけろと言われて断ったのが離婚のきっかけだった。これも19世紀までなら考えられないことである。

  しかし、一方でセアラは古い価値観ももっている。結婚なんかいやだと言いながらも、結婚にはあこがれている。セアラにはオックスフォードで知り合ったフランシスという婚約者がいて、今はアメリカのハーバード大学にいるのだが、彼には忠誠を誓い浮気はしない、彼が帰って来たら結婚すると考えている。結婚式の時にルイーズが「大きな純白の百合」の花束をもっているのを見て、セアラはルイーズがひどくもろく見えると思った。「男は万事問題ない。彼らは明確に定義され、囲まれている。しかし、わたしたち女は、生きるために、来る者すべてにオープンで、生で接しなくてはならない。...すべての女が、敗北を運命づけられているのを感じた。」これは一瞬の感傷だったのかも知れないが、あのごうまんなルイーズにも弱さを感じたことは気の迷いだけとは言い切れないだろう。

  セアラは気持ちだけは強気である。彼女は、ギルは自分と比べると「もっと寛大で、率直で、自意識過剰でなくて、癖がない」と言っているが、とすれば、セアラはその逆だということになる。自意識過剰で、癖のあるセアラは斜に構えて世間を見ている。これは世間に対する攻撃姿勢であると同時に、世間から自由でいたいという防御の姿勢でもあろう。何と言っても自分の目標を見いだせないセアラは、大地に根を張っていない宙ぶらりんな存在なのである。ルイーズはそんな妹を「一番特権的で肉食的な人のひとりよ」と表現している。「特権的」という言葉は的を射ている。何と言っても、一流の大学を出られて、適当にBBCで働いていてもやって行ける身分なのだ。その気楽さが彼女の一見浮ついたように見える態度の根底にある。セアラはいとこのダフニーを口を極めてこき下ろすが(「あのひとを見てると、動物園の飼い馴らされたうすぎたない動物を思い出す」)、その一方で彼女は脅威になりそうだと感じてもいる。たとえ醜い女でも、真面目に努力しているダフニーはやはり彼女よりもはるかに堅実に生きているのである。その弱みがダフニーを脅威と感じさせるのである。そういう社会に根付いていない自分の存在を自覚しているからこそ、自由でいられるパリやイタリアへの憧れをつのらせるのである。

 『夏の鳥かご』で描かれている世界は、イギリスの中流階級の、饒舌だが、目的も価値観も見いだせないでいる世界なのである。主人公の二人の姉妹のみならず、他のカップルも離婚したり、浮気したり、貧困にあえいでいたりで、うまく行っている夫婦や恋人たちはほんのわずかしか登場しない。タイトルの「鳥かご」はジョン・ウェブスターの「それは夏の鳥かごのようなものだ。外の鳥は中に入ることをあきらめ、中の鳥は絶望して二度と外に出られないかと不安のあまり衰え果てるのだ」から取っている。「鳥かご」はドラブルの作品の場合、結婚あるいは女性の境遇を指していると思われる。「人形の家」を出ても、女たちはまだ鳥かごの中に入ったままなのである。

  自分はルイーズに似ているとセアラは自分でも気づくが、そのルイーズの結婚は失敗に終わった。これはセアラにとって不吉な予兆とも言える。セアラがその後どうなったかは描かれていない。フランシスと無事結婚できたのか、読者の想像にまかされている。しかしその読者にはもう一つ不吉な言葉が与えられている。シェイクスピアのソネットが作中引用されているが、その引用の最後は「腐った百合の花は、雑草よりはるかにいやな匂いがする」である。ルイーズが結婚式のときに持っていた花束は「大きな純白の百合」の花束だった。はたしてセアラは腐らない「純白の百合」の生き方を目指すのか、それともたくましい「雑草」の生き方目指すのか。「純白の百合」であれ「雑草」であれ、腐らずに生き続けるためには、何らかの生きる目標を見いだすことが必要だろう。満足な目標を見いだすためには、まず彼女の前に努力してつかみ取るに値する、女性にとって価値のある目標が存在しなければならない。それを生み出すのは時代である。セアラの模索は続くだろう。そして、その後も何千人何万人のセアラたちの迷いと模索は続いているのである。

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2006年1月29日 (日)

イギリス小説を読む⑦ 『土曜の夜と日曜の朝』

  このところ忙しくてなかなか映画を観られません。もうしばらくイギリス小説にお付き合いください。

今回のテーマ:工場労働者出身のヒーロー night2

【アラン・シリトー作品年表(翻訳があるもののみ)】
 Alan Sillitoe(1928-  )  
Saturday Night and Sunday Morning(1958) 
   『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)
Lonliness of the Long Distance Runner(1959)
  『長距離ランナーの孤独』(集英社文庫)  
The General(1960)               『将軍』(早川書房)
Key to the Door(1961)              『ドアの鍵』(集英社文庫)  
The Ragman's Daughter(1963)        『屑屋の娘』(集英社文庫)
The Death of William Posters(1965)    『ウィリアム・ポスターズの死』(集英社文庫)
A Tree on Fire(1967)             『燃える木』(集英社)  
Guzman Go Home(1968)           『グスマン帰れ』(集英社文庫)  
A Start in Life(1970)              『華麗なる門出』(集英社)  
Travels in Nihilon(1971)            『ニヒロンへの旅』(講談社)  
Raw Marerial(1972)               『素材』(集英社)  
Men Women and Children(1973)       『ノッティンガム物語』(集英社文庫)  
The Flame of Life(1974)            『見えない炎』(集英社)  
The Second Chance and Other Stories(1981)  『悪魔の暦』(集英社)  
Out of the Whirlpool(1987)          『渦をのがれて』(角川書店)

【作者略歴】
 1928年、イングランド中部の工業都市ノッティンガムに、なめし革工場の労働者の息子として生まれた。この工業都市の貧民街に育ち、14歳で学校をやめ、自動車工場、ベニヤ板工場で働きはじめ、この時期の経験が、『土曜の夜と日曜の朝』など、一連の作品の重要な下地になった。19歳で英国空軍に入隊し、1947年から48年までマラヤに無電技手として派遣されていたが、肺結核にかかって本国に送還された。1年半の療養生活の間に大量の本を読み、詩や短編小説を試作した。病の癒えた後、スペイン領のマジョルカ島に行き、『土曜の夜と日曜の朝』と『長距離ランナーの孤独』を書き上げた。ロレンスを生んだ地方から新しい作家が現れた」と評判になった。その後ほぼ年1冊のペースで詩集、長編小説、短編集、旅行記、児童小説、戯曲などを発表している。1984年にはペンクラブ代表として来日している。

【作品の概要と特徴】
  アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』は、労働者階級を労働者側から描いた最初の作品と言ってよい。それまでも下層出身の主人公はいなかったわけではない。ハーディの『日陰者ジュード』の主人公は職人だった。シリトーと同郷の先輩作家D.H.ロレンスの『息子と恋人』(1913年)は炭鉱夫を主人公にしていた。しかし工場労働者が工場労働者であることを謳いながら工場労働者を描いた小説はそれまでなかった。しかも、『息子と恋人』の主人公ポール・モレルは炭鉱夫でありながら、そういう境遇から抜け出ようと志向し努力するのだが、シリトーの作品の主人公たちは上の階級入りを目指そうとはしない。

  シリトーはノッティンガムシャーの州都ノッティンガム出身。旋盤工の息子だが、D.H.ロレンスもノッティンガムシャーの「自分の名前もろくに書けない」生粋の炭鉱夫の息子である(母親は中流出身)。シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』を初めとする多くの作品はノッティンガムを舞台にしており、ロレンスの『息子と恋人』『虹』『チャタレー夫人の恋人』などもノッティンガムシャーを舞台にしている。ノッティンガムは、マンチェスターやバーミンガムとともに、イギリス中部の工業地帯を形づくる三角形の頂点の一つをなす都市であって、産業革命を契機に起こった労働者階級の暴動や運動には、中心的な役割を果たしてきた土地である。1810年代に起こった機械の破壊を目的とするラッダイトの暴動はここを中心としていたし、1830年代末から起こったチャーティズムの運動にも関係していた。この土地から、ロレンスとシリトーという二人の下層階級出身の小説家が出たことは、単なる偶然ではあるまい。

 シリトーはロレンスよりもほぼ半世紀遅れて作家活動を始めた作家で、文学史的には〃怒れる若者たち〃と呼ばれる一派、すなわち『怒りをこめて振り返れ』(1956年)のジョン・オズボーン、『ラッキー・ジム』(1954年)のキングズレー・エイミス、『急いで駆け降りよ』(1953年)のジョン・ウェインなどとほぼ同時期に『土曜の夜と日曜の朝』(1958)が発表されたために、シリトーもその一派と見なされたりした。しかし〃怒れる若者たち〃がその後体制化し「怒り」を忘れてしまってからも、シリトーの主人公たちはなおも怒り続けた。

  なお、『土曜の夜と日曜の朝』は1960年にカレル・ライス監督により映画化され、こちらもイギリス映画の名作として知られる。もう1つの代表作『長距離ランナーの孤独』も1962年にトニー・リチャードソン監督により映画化されている。

<ストーリー>
  『土曜の夜と日曜の朝』は「土曜の夜」と「日曜の朝」の2部構成になっている。小説の始まりから終わりまでにほぼ1年が経過している。主人公のアーサー・シートンは旋盤工だが、金髪の美男子だ。15の時から自転車工場で働いている。重労働だが高賃金である。アーサーの父が失業手当だけで、5人の子供をかかえ、無一文で、稼ぐ当てもないどん底生活を送っていた戦前に比べれば、今は家にテレビもあり、生活は格段に楽になっている。アーサー自身も数百ポンドの蓄えがある。しかし明日にでもまた戦争が起こりそうな時代だった。

ukflag2_hh_w   作品はアーサーが土曜日の夜酒場での乱痴気騒ぎの果てにある男とのみ比べをして、したたかに酔っ払って階段を転げ落ちるところから始まる。月曜から土曜の昼まで毎日旋盤とにらめっこして働きづめの生活。週末の夜には羽目を外したくなるのも無理はない。しかし、アーサーの場合いささか度が外れている。ジン7杯とビール11杯。階段から転げ落ちた後もさらに数杯大ジョッキを飲み干した。挙句の果てに、出口近くで知らない客にゲロをぶっかけて逃走する。その後職場の同僚のジャックの家に転がり込む。ジャックは留守だ。亭主が留守の間に、彼の妻のブレンダと一晩を過ごした。

  アーサーは決して不まじめな人間というわけではなく、仕事には手を抜かず旋盤工としての腕も立つ。しかし、平日散々働いた後は、週末に大酒を飲み、他人の妻とよろしくやっている。月曜から金曜までの労働と、土曜と日曜の姦通と喧嘩の暮らし。まじめに働きながらも、ちゃっかり「人生の甘いこころよい部分を積極的に」楽しんでいる。しかもブレンダだけではなく、彼女の妹のウィニー(彼女も人妻)とも付き合っている。さらには、若いドリーンという娘にも手を出している。「彼はブレンダ、ウィニー、ドリーンを操ることに熱中してまるで舞台芸人みたいに、自分自身も空中に飛び上がってはそのたびにうまくだれかの柔らかいベッドに舞い降りた。」とんだ綱渡りだが、ついにはウィニーの夫である軍人とその仲間に取り囲まれ散々ぶちのめされる。祭の時にブレンダとウィニーを連れているところを、うっかりドリーンに見つかるというへままでしでかす。しかし何とかごまかした。アーサーは嘘もうまいのだ。「頭がふらふらのときだって嘘や言い訳をでっちあげるくらいはわけないからな。」

  アーサーの狡さはある程度は環境が作ったものだろう。アーサー自身「おれは手におえん雄山羊だから遮二無二世界をねじ曲げようとするんだが、無理もないぜ、世界のほうもおれをねじ曲げる気なんだから」と言っている。世界にねじ曲げられないためには、こっちもこすっからくなるしかない。軍隊時代は自分に「ずるっこく立ち回ること」だと言い聞かせて、自由になるまで2年間がまんした。「おれに味わえる唯一の平和は軍隊からきれいさっぱりおさらばして、こりやなぎの並木の土手から釣り糸を垂れるときか、愛する女といっしょに寝ているときしかない。」彼がハリネズミのように自分の周りに刺を突き立てるのは、自分を守るため、自分を失わないためだ。自分の定義は自分でする。「おれはおれ以外の何者でもない。そして、他人がおれを何者と考えようと、それは決しておれではない。」この自意識があったからこそ、彼は環境に埋没せずに、自分を保てたのだ。

  アーサーは政治的な人間ではない。確かに彼は「工場の前で箱に乗っかってしゃべりまくっている」連中が好きだとは言う。しかしそれは彼らが「でっぷり太った保守党の議員ども」や「労働党の阿呆ども」と違うからだ。アーサーは、自分は共産主義者ではない、平等分配という考え方を信じないと言っている。もともとアーサーの住む界隈は「アナーキストがかった労働党一色」の地域であった。実際、彼の自暴自棄とも思える無軌道なふるまいにはアナーキーなやけっぱちさがある。「おれはどんな障害とでも取っ組めるし、おれに襲いかかるどんな男でも、女でも叩きつぶしてやる。あんまり腹にすえかねたら全世界にでもぶつかって、粉々に吹き飛ばしてやるんだ」とか、「戦う相手はいくらもある、おふくろや女房、家主や職長、ポリ公、軍隊、政府」とか、勇ましい言葉を吐くが、結局ノッティンガムの狭い社会の中でとんがってずる賢く生きているだけだ。批評家たちからは、反体制的な反抗というよりも、非体制的な反抗だとよく指摘される。だが、反抗といっても他人の女房を寝取るという不道徳行為に命を賭けるといった、ささやかなものに過ぎない。むしろ今から見れば、将来の希望の見えない労働者の、酒や暴力で憂さを晴らし、人妻との恋愛に一時的な快楽を求める、刹那的な生き方と言った方が当たっているだろう。「武器としてなんとか役立つ唯一の原則は狡くたちまわることだ。...つまり一日中工場で働いて週に14ポンドぽっきりの給料を、週末ごとにやけっぱちみたいに浪費しながら、自分の孤独とほとんど無意識の窮屈な生活に閉じ込められて脱出しようともがいている男の狡さなのだ。」窮屈な生活から何とか逃れようともがいている、やけっぱちの男、これこそ彼を一言で表した表現であろう。

  そうは言っても、彼の生き方に全く共感できないわけではない。アーサーと言う人物は、80年代以降のイギリス映画によく出てくる一連の「悪党」ども、「トレイン・スポッティング」等の、「失業・貧困・犯罪」を描いた映画の主人公たちに一脈通じる要素がある。アーサーは彼らの「はしり」だと言ってもよい。イギリスの犯罪映画に奇妙な魅力があるように、『土曜の夜と日曜の朝』に描かれた庶民たちの生活には、裏町の煤けた棟割り長屋に住む庶民のしたたかな生活力と、おおらかな笑いが感じられる。西アフリカから来た黒人のサムをアーサーの伯母であるエイダの一家が歓迎する場面はほほえましいものがある。中にはからかったりする者もいるが、すぐにエイダはたしなめるし、みんなそれなりにこの「客」に気を使っている。アーサーがいとこのバートと飲んだ帰りに酔っ払いの男が道端に倒れているのを見て、家まで連れて帰るエピソードなどもある。この時代の「悪党」はまだ常識的な行動ができていたのだ。もっともバートはちゃっかり男の財布をくすねていたが(ただし空っぽだった)。

  面白いのは、最後にアーサーがドリーンと結婚することが暗示されていることである。この間男労働者もいよいよ年貢の納め時を悟ったようだ。最後の場面はアーサーが釣りをしているところである。「年配の男たちが結婚と呼ぶあの地獄の、眼がくらみ身の毛がよだつ絶壁のふちに立たされる」のはごめんだとうそぶいていた男が、釣り糸を見ながら、「おれ自身はもうひっかかってしまったのだし、これから一生その釣り針と格闘をつづけるしかなさそうだ」などと、しおらしく考えている。さて、どのような結婚生活を送るものやら。

2006年1月28日 (土)

イギリス小説を読む⑥ 『エスター・ウォーターズ』その2

win2 <作者ジョージ・ムアについて>
  ジョージ・ムアは『エスター・ウォーターズ』の作者として英文学を学ぶものの間では知られているが、一般にはほとんど知られていない作家である。日本の英文学界でもジョージ・ムアを専門に研究しているという学者はまずいないだろう。『エスター・ウォーターズ』の翻訳も1988年にようやく出たばかりである。

  ジョージ・ムアはアイルランドの旧家の大地主の家に生まれた。最初は画家になるつもりだったが、フランスで過ごすうちに作家になろうと決心した。特にフランスの自然主義作家エミール・ゾラの影響を受け、自然主義の色彩の濃い作品を書いた。『エスター・ウォーターズ』にもその特徴が見られ、エスターというヒロインを通して、人生のありのままの姿が描かれている。当時の常識を逸脱した下層の女性をヒロインにし、そのなりふりかまわず生き抜こうと苦闘した人生を歯に衣を着せずに描いたため、不道徳だとのそしりを受け貸本屋から一時締め出されていた。

<エスター・ウォーターズ:英文学史上初めて登場した最下層出身のヒロイン>
  ジェイン・オースティンの描いた世界と比べると、エスターの世界は実に不安定な世界である。いつ貧困のどん底に突き落とされるか分からない世界、絶えず救貧院の陰が付きまとい、飢えと死の不安が付きまとっている世界である。読者もエスターの運命に絶えず不安を感じながら読み進まずにはいられない。たとえ幸福な時期があっても、この幸福はいつまで続くのかと不安に思わずにはいられないのだ。エスターの女中仲間だったマーガレットがいみじくも言った通り、「世の中はシーソーみたいなもので上がったり下がったり」なのである。この言葉こそエスターの浮き沈みの激しい人生を端的に表現している。いや、上流の人たちもこの点では例外ではない。隆盛を誇ったバーフィールド家も競馬で破滅してほとんど財産を失ってしまうのだから。

  エスターの生活が不安定なのは単に彼女が社会の最下層の出身だからというだけではない。結婚せずに子供をもうけたことが彼女の運命をさらに苛酷なものにさせている。彼女がウィリアムをはねつけたのは、彼女の頑固さと無知にも原因があり、さらには宗教的な信念からくるかたくなさもその一因になっている。その意味では彼女の側に非があったとも言えるが、作者の意図はエスターの性格を非難することではなく、そういうかたくなな娘を作った社会を批判することにあると思われる。字も読めないほど無学で貧しい娘が判断を誤ったとしても、彼女ばかりを責められまい。

  むしろ作品は、子供を抱えて必死に生きようとするエスターを冷たくあしらう世間に、読者の目を向けさせている。私生児を生んだというだけでふしだらな女と見なされ、ほとんどの家から仕事を断られてしまう。彼女の希望は子供だけなのだが、使用人の務めを果たすためには他人に子供を預け、離れて暮らさなければならない。自分が食べて行くだけでなく、子供の養育費も捻出しなければならない。この最悪の逆境にあって彼女を支えていたのは、何としても子供を一人前に育てなくてはいけないという思いだった。どんなことをしてでも自分は生き抜き、自分の身を削ってでも子供を育てるのだ、それまでは絶対に死ねないという決意、この決意があってこそ1日17時間の労働といった奴隷並の苛酷な労働にエスターは耐えられたのである。このたくましさ、しぶとさは、それまでのヒロイン像とは大きく掛け離れている。この決してくじけないしぶとさが、エスターというヒロインの最大の魅力である。

  エスターは現実的な女だった。生きるためには信仰よりも生活を優先した。競馬と賭け事を罪深いことだと感じながらも、「夫に従うのは妻の務め」と信じるエスターはあえて夫の仕事に口を出さない。最後まで信仰を失いはしなかったが、生活に追われてしばしば信仰を忘れかけていることもあった。信念よりも生活を優先させるこの現実的な考え方、この考clip-cathedral1 え方が彼女の活力の源である。作者はエスターにふれて「だがこのプロテスタンティズムの信仰を凌いで人間性があり、20歳という彼女の年齢が彼女の内部で脈打っていた」と書いているが、これは『ジェイン・エア』のヒロインと彼女がローウッド校で出会った薄幸の少女ヘレンを思い出させる。信仰心の篤いヘレンは不当ないじめに対しても聖書的な諦めの境地でじっと耐えている。しかしジェインは神の世界ではなく現実に生きる女性であり、不当なことには歯向かって行く。エスターはヘレン的信念と忍耐力を持ったジェインである。信仰を最後まで失わず、厳しい試練に耐える忍耐力を持ち、かつ現実と前向きに戦う力をもったヒロインだ。「夫に従うのは妻の務め」と信じる古いタイプの女であるエスターは、『余計ものの女たち』のローダ・ナンたちからはあざ笑われるだろうが、彼女には戦闘的なフェミニストも舌を巻くほどの力強さがある。

  エスターの現実的な面は金銭面にも現れている。彼女が常に気にする金銭の額は、ジェイン・オースティンの世界に出てくる何千、何万ポンドという額ではない。主にシリング(1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンス)単位の額で、時にはほんの数ペンスしか手元に残っていなかったりする。『エスター・ウォーターズ』にはいやと言うほど金銭の額が出てくるが、それはもちろん彼女が金に卑しいからではない。賭け事を商売にしているウィリアムも絶えず金銭を気にしているが、彼のお金に対する意識とエスターの意識とは全く違う。ウィリアムが競馬に入れあげるのは別に生活が苦しいからではない。それに対してエスターにとっての金は、ギリギリ生活してゆくための、自分と息子を生きながらえさせるための生活資金だった。まさに生命線である。だからたとえ年14ポンドの仕事があっても、年16ポンド以上の仕事先が見つかるまで我慢するのだし、本当に困ったときには低賃金の仕事でもひきうけるのだ。

  ジョージ・ムアはどうしてこのようなヒロインを創造できたのだろうか。恐らく本文にあるように、「上流の人々が使用人たちを一段と劣った人間と考えていることを、エスターは知っていた。しかし人間は皆、同じ血と肉で作られているのだ」という考え方が作品の中で貫かれているからだろう。翻訳書の解説に、「彼女に破滅の道を辿らせなかったのは、作者がその戦いに高貴なものを見たからに他ならない」という指摘があるが、確かに作者がエスターというヒロインに魅力を感じていなければこの作品は成り立たなかっただろう。彼女のような身分の登場人物は、それまでなら夜の女に身を落とし、惨めに死んでゆくという運命を辿ることが多かった。エスターは勤勉と倹約の精神と堅実さ、そして夫と子供に尽くす女という、まさに「家庭の天使」そのものの価値観を持った伝統的タイプの女性だが、そこに作者が現実に立ち向かうしぶとい生活力をもった女を見いだしたとき、かつてないタイプの新しいヒロインを彼は作り出したのである。ただ、無教育で文盲であるはずのエスターがきちんとした標準語を話しているところに、時代の制約がまだ残ってはいるが。

  『日陰者ジュード』のヒロイン、天使のように自由なスー・ブライドヘッドは、結局社会の圧力に跳ね返され、敗北する。彼女の敗北は伝統的価値観がいかに強固で呵責ないものかを示している。エスターは敗北しなかった。踏まれても踏まれても庶民は雑草のようにまた起き上がってくるのだ。

2006年1月27日 (金)

イギリス小説を読む⑤ 『エスター・ウォーターズ』その1

aimiku-ajisai 今回のテーマ:最下層出身ヒロインの戦い

<ジョージ・ムア著作年表>
George Moore(1852-1933)  
 1885  A Mummer's Wife  
 1888  Confessions of a Young Man 『一青年の告白』(岩波文庫)
 1894  Esther Waters          『エスター・ウォーターズ』(国書刊行会)
 1898  Evelyn Innes

<ストーリー>
  物語はエスターが英国南東部のある駅のプラットフォームに立っているところから始まる。その時エスターは20歳。「がっしりした体格で短いたくましい腕をして」いる。エスターはバーフィールド家に住み込みで奉公するためにやってきたのである。人に仕えるのは初めてではないが、バーフィールド家ほどのお屋敷に勤めるのは初めてであり、不安げな様子である。屋敷の手前でウィリアムという若い男に道を尋ねた。たくましい体格の男で、彼はバーフィールド家の料理長であるラッチ夫人の息子だった。

  エスターはすぐに女中仲間のマーガレットと仲良くなり、バーフィールド家の人々も幸い良い人たちで、エスターは安定した生活を送る。バーフィールド夫人は農夫の娘で、領主に見初められて結婚した人だった。エスターと同じ宗教の信者だったこともあり、エスターには優しくして何かとかばってくれた。字を読めないエスターに字を教えてくれたりもした(結局ものにならなかったが)。バーフィールド氏と息子のアーサー、そして執事のジョン・ランダルやウィリアムたちは競馬に夢中だった。バーフィールド氏は自分の馬をレースに出しており、アーサーは騎手であった。しかしエスターは信仰心のあつい娘で、賭けは罪深いことだと考えていた。

  エスターの両親はプリマス同胞教会の熱心な信者であった。しかし父は早く亡くなり、母親は再婚をした。再婚後次々に子供が生まれ、母親は貧血状態になり健康が衰えていた。エスターは小さな乳母のように妹や弟の面倒を見、母親が心配のあまり学校にも通わなかった。だからエスターは読み書きができないのである。継父のソーンダーズは機関車にペンキを塗る職人で、酒が好きだった。大家族を養うためにエスターは17歳になると奉公に出された。わずかな給金で散々こき使われて来た。

  平穏な生活に少し退屈を感じ始めていたころ、ウィリアムがエスターに近づいて来た。ある日ウィリアムにお前は俺の女房だと言われ、その言葉に酔っているうちに肉体関係を結ばれてしまった。はっと気が付いて逃げ帰ったエスターは、その後ウィリアムを許せず、何度ウィリアムが話しかけて来ても相手にしなかった。ウィリアムは不誠実な男ではないが、エスターは持ち前の頑固でかたくなな性格のため、簡単にはウィリアムを許せなかった。一方ウィリアムは何日たっても態度が変わらないエスターの頑固さにうんざりして、勝手にしろという気持ちになっていた。彼はペギーという別の女性と付き合い始め、ついには二人で屋敷を出て行ってしまう。

  しばらくは周りから同情されていたが、そのうち妊娠していることにエスターは気づく。首になる不安に駆られながら、エスターは次の給金が出るまで腹が大きくなっていることを隠し通す決意をする。子供が七カ月ほどになった時、エスターはバーフィールド夫人に事実を打ち明ける。夫人も同情してくれたが、さすがにエスターを屋敷に置いておくことはできなかった。やめた後の苦労をおもんばかって特別に四ポンドを与え、再雇用に必要な人物証明書も書いてくれた。雨と風が吹き荒れる日、エスターはバーフィールド家の屋敷を去った。

  エclip-lo6スターはとりあえず行くところもないので、親の家に戻った。家では小さな妹たちが内職でおもちゃの犬を作っていた。子供が多すぎて、かつかつの生活なのである。父親は場所がないからと言ってエスターを家に置くことを認めなかった。しかし、エスターが部屋代として週に10シリング払うというと、コロッと態度が変わり、置いてもらえることになった。父親は部屋代のほかにエスターから酒代をしばしばせびった。当時病院に入院するには病院に寄付をしている人からの紹介状が必要だった。しかし、エスターが未婚の母だと知ると次々に断られ、散々歩き回ったあげくようやく紹介状を手に入れることができた。わずかな蓄えも尽きかけたころようやく子供が生まれた。

  エスターは男の子を産んだ。出産後妹の一人が病院に来て、母親が死んだと伝えた。実は、母親も同じ時期に出産を控えていたが、子供たちのめんどうを見なければならなかったので、家で出産したのだった。しかし度重なる出産で体が弱っていた母親は、死産のうえ弱り切って死んでしまったのである。エスターは母親の葬式にも出られなかった。父親は子供たちを連れオーストラリアに行ってしまった。

  エスターはついに一人きりになってしまった。しかもベッドが足りないからと病院からも追い出される。それでもエスターは乳母の仕事を何とか見つけた。勤めの間スパイヤズ夫人に子供を預けていた。しかし赤ん坊のことが気になって仕方がない。だが女主人は週末にエスターが赤ん坊に会いに行くことを許さなかった。エスターは自分の前の二人の乳母が、二人とも預けていた赤ん坊を死なせたことが気になった。「この裕福な女の子共が生きるために、二人の貧しい女の子供たちが犠牲にされた」のだ。エスターには真実が見えて来た。

   あたしのような者の口から申すことではございませんが、そんなおっしゃり方をする
 奥様はよこしまな方です。たとえててなし子でもそれは子供が悪いんじゃございませ 
 んし、ててなし子だからといって見捨てられてよいものではありませんし、見捨てろと
 おっしゃる権利があなたさまにあるわけではございません。もしあなたさまが最初に 
 わがままをなさらず、ご自分の赤ちゃんにご自分でお乳をあげなすったならば、そん
 なことをお考えになりませんでしたでしょう。ところがあたしのような貧しい女を雇って、
 本来は別のこのものである乳を自分の子供にやらせるようになさると、もう見捨てら
 れたかわいそうな子供のことは何もお考えにならないのです。そんな子は私生児な
 んだから、死んで始末がついたほうがいい、とおっしゃるのです。...結局こういう
 ことなんです。あなたさまのような裕福な方々がお金を払って、スパイヤズさんのよ
 うな人たちがかわいそうな子供たちの始末をする。二、三回ミルクを替え、少しほっ
 たらかしにする、そうすれば貧しい奉公人の女は自分の赤ん坊を育てる面倒がなく
 なって、金持ちの女の飢えた赤ん坊を見事な子供に仕立て上げることができるんで
 す。

  エスターは首になった。一文なしで、奉公先も失ったエスターにはいよいよ救貧院しか行くところがなかった。何としても子供を救貧院に入れたくはなかったが、ほかに道のないエスターは仕方なく救貧院に入った。救貧院には年14ポンド以下の求人しかこないが、人づて にやっと年16ポンドという仕事が見つかった。一日17時間の苛酷な雑働きの仕事だった。気が狂うほど働いてエスターは結局その仕事を辞めた。次に見つけた奉公先は2年続いたが、子供がいることが分かり「だらしない女」は置いておけないと首になった。その後エスターはいろんな奉公先で歯を食いしばって耐えながら働いてきた。だが長く続かない。主人の息子に追いかけ回され解雇させられたこともあった。去って行くエスターに「器量のよい女中を置くことは危ない」という女主人の声が耳に入った。それでもエスターはくじけなかった。

  それはまことに壮烈な戦いだった。下層の者、私生児である者にむかって文明が結
 集させるすべての勢力を敵にまわして子供の命を守ろうとする母親の戦いだった。今
 日は働き口を得ていても、それが続く保証はない。自分の健康が頼みの綱で、それに
 もまして運と、雇い主の個人的な気まぐれにみじめにも左右された。街角で見捨てら
 れた母親がぼろのなかから茶色の手と腕をさしのべ、小さい子供たちのために物乞
 いをしている姿を見ると、彼女は自分の生活の危うさを思い知らされた。三か月職に
 あぶれてしまえば、自分もまた路上にさまよう身となるだろう。花売り、マッチ売り、そ
 れとも--

  「それとも--」の後には言うまでもなく「売春婦」という言葉が続くはずだ。確かに一歩間違えばエスターはそこまで転落しかねなかった。

   売春婦たちはいつもより早い時刻に郊外を後にし、白い服を腰のまわりになびか
 せ羽毛のボアを歩道から数インチのあたりまで垂らして、フラムからはるばるやって
 来ていた。だがこの優雅な装いの奥に、エスターは女中だった少女を認めることが
 できた。彼女たちの身の上は自分の身の上だった。どの娘も捨てられて、おそらくそ
 れぞれが子供を養っているのだった。だが彼女たちは働き口を見つけることにかけ
 てエスターほど幸運に恵まれなかった。違いはそれだけだった。

  当てもなくロンドンをさまよっているときに、エスターはバーフィールド家で一緒だったマーガレットに偶然出会う。マーガレットはバーフィールド家が競馬で破産したと教えた。

  エスターは次にミス・ライスという女性に雇われる。子供の養育費を考えるとどうしても年clip-window2 16ポンド以上はないとやっていけないと計算したエスターは、14ポンドと提案したミス・ライスに大胆にも16ポンドを要求した。以前救貧院にいたこと、未婚の母であることを正直に打ち明けたエスターを気に入り、ミス・ライスは彼女を雇った。しかも苦しい中で子供の養育費も込めて18ポンド出してくれたのである。ミス・ライスとはうまくやって行けた。そのうちエスターはフレッド・パーソンズという文房具を扱う男と知り合った。同じプリマス同胞教会の信者であるフレッドはエスターを好きになる。エスターは28歳になり、結婚するには潮時だった。週30シリング稼ぐフレッドは結婚相手として悪くなかった。敬虔な信者であるフレッドは、彼女の過去を知っても結婚の意志を変えなかった。

  ところが思いがけずエスターは彼女の子供の父親であるウィリアムとまた出会ってしまった。彼は今はペギーとも別居していて、エスターに結婚を迫ってきた。エスターは悩んだ。貧弱な体格で、堅実ではあるが宗教的信念により考えが狭いところがあるフレッドを選ぶか、昔の恨みはあるが、子供の父親であり、たくましく、競馬の賭け元をして3000ポンドの財産があるウィリアムを選ぶか。息子のジャックは死んだと教えられていた実の父が現れて最初は戸惑っていたが、しだいになついていった。ついに結婚したらエスターと息子のジャッキーに500ポンドやると言われて、エスターの決意が固まる。かくしてエスターはウィリアムの経営するパブの女主人になった。彼女がパブを切り盛りし、ウィリアムは競馬の賭け元の商売に精を出した。ジャッキーは親元を離れ学校に通っていた。ウィリアムは賭けごとをしているが、誠実でまじめな男だった。その後数年間エスターの幸福な時期が続いた。

  だが、その幸福も長くは続かなかった。ウィリアムは競馬場から競馬場へとまわり歩くうち、ある冬の寒い日に雨に濡れて風邪を引いてしまった。体をこわし外で商売ができなくなったウィリアムは、自分のパブで非合法に馬券を売り始める。そこへ、かつて結婚まで考えたフレッドがやってきて、このまま闇で馬券を売っていると危ないと警告した。彼はあくまでも誠実であり、エスターを救おうと思って忠告したのである。しかしエスターは、いまだに信仰心をなくしてはいなかったが、自分には「夫と子供があり、それを大事にするのがあたしの務めです」と答える。もちろんエスター自身は競馬や賭け事を罪深い事だと思っていたので、夫にフレッドが言ったことを伝え、自分からも闇の馬券を売るのを止めるよう説得した。しかしウィリアムは逆に怒り出し、やめようとはしなかった。ただし、営業停止はこわいので慎重に客を選ぶよう用心することにした。

  だが、ある時おとりの客に馬券を売ってしまい、警察に検挙されてしまう。営業停止になり、店を手放さざるを得なくなった。エスターは7年間必死で働いたのに、結局何も後に残らなかったと嘆く。ウィリアムの体調も日増しに悪化し、今ではやけくそぎみに自分で競馬に賭けているが、負けがこんでいる。医者に見せるとウィリアムは結核にかかっており、エジプトに行かなければ命はないと言われた。しかしエジプトに行く金が無いので、一か八か彼は最後の賭けを始めた。一時は大穴を当てたりしたが、最後の最後にすべてを失ってしまった。エスターは死ぬ前に息子に会いたいという夫のために、学校へジャッキーを迎えに行った。スクスクと育った息子を見て、彼女は「この子のために生きなければならない。たとえ自分自身は人生に未練がなくとも」という思いをかみしめる。ウィリアムはジャッキーにけっして競馬や賭けごとには手を出さないと約束させ、そして死んでいった。

  エスターは再び、最初と同じ駅のプラットフォームに立っていた。ほとんど財産を無くし、荒れ果てた屋敷に一人寂しく住んでいる、かつての女主人バーフィールド夫人の世話をするためにまたウッドヴューに戻ってきたのだ。ちょうど18年前の振出に戻っていた。ウィリアムが死んだ後エスターはまた無一文になり、生活のために低賃金で働いていた時、バーフィールド夫人のことを思い出したのだ。夫人は快くエスターを迎えてくれた。エスターはバーフィールド家を出た後に経験したことを夫人に語って聞かせた。「苦しい戦いでございましたし、まだ戦いは終わってはおりません。息子がきちんとした仕事につくまでは終わりません。息子が一人前になって落ち着くのを見るまでは生きていたいと思います。」

  何カ月かが過ぎ、二人は主人と女中というよりも、友達同士のようになって暮らしていた。もちろんエスターは「奥様]という敬称をやめなかったし、二人が同じテーブルで食事することもなかった。それでも二人の関係は親しいものになっていた。エスターは今が人生の一番幸せな時だと思った。ジャッキーは結局よい職には就けず、軍隊に入った。作品は軍服を着たりりしい青年が荒れたバーフィールドの屋敷にやってくるところで終わる。「彼女は自分が女の仕事をやりおおせたということだけを感じていた。彼女はジャックを一人前に育て上げたのであり、それが十分な報酬であった。」

2006年1月26日 (木)

イギリス小説を読む④ 『余計者の女たち』

garbe2 <今回のテーマ> 「新しい女」と世紀末

【1 新しい女】 
  19世紀のイギリス小説--もう少し正確に言うと、1880-90年代のイギリス小説--にはヒロイン像の大きな変化が見られる。従来の良妻賢母型ヒロインに代わって、<新しい女>と呼ばれる一群のヒロインたちが登場してくるのだ。19世紀末のイギリス小説にヒロインの変貌が見られるとすれば、それは理想の女性をめぐるイデオロギーに変化があったからにほかならない。...

  19世紀の中葉以降、結婚して良妻賢母への道を歩むことが、女にとって志向すべき理想の(もしくは、唯一の)生き方ではなくなっていたのだ。換言すれば、現実の社会で女は結婚できなくなって(あるいは、結婚しなくなって)いたのだ...。生涯未婚のままで生きることを、女の正常な生の選択肢の一つとして社会的に認知せざるをえなくなったのだ。となると、良妻賢母の理想にもとづく従来の女性の生のガイドラインは、しだいに有効性を失わざるをえない。結婚しないことが女性の生の選択肢に加わったことによって、結婚は、女のもっとも理想的な、かつ唯一の生き方ではなくなってきたからだ。

  世紀末のイギリス小説には、女の本質や役割の見直しが求められるなかで、新しいヒロインが続々と登場してきたが、こうした<新しい女>の登場をうながしたもっとも大きな要因は、19世紀後半におけるフェミニズム運動の盛り上がりであろう。イギリスの場合、近代フェミニズムの成立はメアリー・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』(1792)に求められるものの、この本は結局は一時的衝撃を与えたにすぎず、広く世論を喚起するにはいたらなかった。やはりフェミニズムが一つの組織された運動になっていくのは19世紀中葉からであり、事実、世紀半ばから後半にかけて、妻の財産権の確立や中高等教育の拡大などフェミニズム運動の成果がいろいろなかたちで出てきている。この時期、フェミニズム運動活性化の動機となったのは、直接的には女性の数の過多が招いた未婚女性の経済的困窮、および潜在的には「お上品ぶり」を誇示する「道具立て」の一つに物象化された既婚女性の卑屈感など、ひとえに中産階級の女性の問題であった。

   とくに未婚女性の経済的困窮は、フェミニズム運動の導火線となったものである。19世紀の半ば以降のイギリスでは、適齢期の女の数に見合うだけの適齢期の男の数が大幅に不足し、その結果、夫を見つけられない女--俗にいう<余った女>--が大量に出現した。彼女たちは経済的自立を図る必要に迫られたが、当時レディがレディの身分を失うことなく就ける仕事は、ガヴァネスの仕事しかなかったのである。しかし、かつてないほど大量の未婚女性がガヴァネスの口を求めるとなれば、需要と供給のアンバランスから、雇用条件の悪化は避けられない成り行きだろう。失業、病気、高齢化によるガヴァネスの経済的困窮を背景に、その救済策を模索する動きは、教育の機会および職業の選択における男女不平等の現実を揺さぶる大きなエネルギーを生み出さずにはおかない。こうして、ガヴァネスを中心とする<余った女>の経済的問題を口火としたイギリス・フェミニズムの運動は、やがて高等教育の拡大・選挙権の獲得・道徳におけるダブル・スタンダードの見直しへとめざましい闘いを展開していく。

  この三番目の領域--すなわち、道徳におけるダブル・スタンダードの見直し--におけるフェミニズム意識の盛り上がりこそ、小説が<新しい女>探求に本領発揮の機を得た背景であった。なぜなら、ダブル・スタンダードが問い直され、男と女の関係における新しい性のモラルが求められるとき、<女なるもの>の修正は必然であろう。このとき、小説は、愛や結婚や家族を通して両性関係および<女なるもの>を探求する有効な手段として、欠くべからざる役割を果たすことになる。
  川本静子『<新しい女たち>の世紀末』(みすず書房、1999年)より

【2 イプセンの『人形の家』と魯迅】
  ノルウェーの劇作家ヘンリク・イプセン(1828-1892年)の戯曲『人形の家』は1879年に発表され、世紀末のイギリスにも大きな衝撃を与えた。ヒロインのノラ・ヘルメルは平凡な主婦であった。子どもを甘やかし、夫にかわいがられ(「ヒバリ」や「リス」や「かわいいのらくら鳥」などと夫に呼ばれて喜んでいる)、金遣いが荒い。夫のヘルメルも間もなく銀行の頭取になることが決まり、彼女の前途は順風満帆であるかと思われた。そこにクログスタットという男が現れてから、不吉な影がさしはじめる。彼は彼女が書いた借用書に不備があることを理由に、彼女を脅し始めたのである。

  いよいよ夫に知られるという段階になって、彼女は一大決心をする。ノラは、それまでの自分が夫のただの慰みものに過ぎなかったことを悟り、家を出て行くと夫に宣言する。「あたしは実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。」お陰で自分は何も知らない、何もできない人間になってしまった。だからまず「自分自身を教育しなければ」ならない。世間を知るために世間に出て行くのだと。夫は妻の「神聖な義務」、つまり夫に対する、そして子どもに対する義務を怠るのかと問い詰めるが、ノラは自分にはもう一つ同じくらい神聖な義務がある、つまり自分に対する義務だと言って引かない。そして「奇跡中の奇跡」、つまり「二人の共同生活が、そのまま本当の夫婦生活になれる時」が訪れない限りは、自分たちは永久に他人だと言い放ってノラは出て行く。
  (新潮文庫版より)

  この作品が発表されると、賛否両論が沸き起こった。ノラの女性としての「目覚め」が唐突すぎる嫌いがあるが、それでも当時としては衝撃的なヒロインの登場だった。しかし、ノラは家出をした後どうなったか。それを取り上げて論じたのは中国の作家魯迅だった。

  魯迅は「ノラは家出してからどうなったか」と題した講演で、ノラには実際二つの道しかなかったと論じた。堕落するか、そうでなければ家に帰るかである。「人生にいちばん苦痛なことは、夢から醒めて、行くべき道がないこと」である。「夢を見ている人は幸福」だ。確かに道が見suzu4 つからないときは、必要なのは夢である。しかし将来の夢を見ては行けない。必要なのは現在の夢である。実際、ノラは「覚醒した心のほかに、何を持って行」ったのか。何もない。はっきり言えば「金銭が必要」なのだ。「自由は、金で買えるものではありません。しかし、金のために売ることはできるのです。」したがって、経済権が最も大切である。「第一に、家庭内において、まず男女均等の分配を獲得すること、第二に、社会にあって、男女平等の力を獲得することが必要です。残念ながら、その力がどうやったら獲得できるか、ということは、私にはわかりません。やはり闘わなければならない、ということがわかっているだけであります。」
  (『魯迅文集3』ちくま文庫)

  魯迅の指摘は極めて示唆的である。魯迅はノラの姿勢を否定したわけではない。どんなに高い志があっても、経済的な裏付けがなければ結局は失敗すると言いたかったのだ。夢も必要だが、夢は闘って実現するのだと言いたかったのである。夫や親に頼る以外、何の経済的基盤も持たない女性の立場がここで示唆されている。ノラや『日陰者ジュード』(トマス・ハーディ)のヒロイン、スーの後にも古い鎖を断ち切ろうとした多くの女性が続いた。しかし「人形の家を出た女たち」の歩んだ道は決して平坦ではなかった。20世紀に入ってもなお「二人の共同生活が、そのまま本当の夫婦生活になれる時」、「家庭内において、まず男女均等の分配を獲得すること、社会にあって、男女平等の力を獲得すること」はまだまだ実現が困難なのである。しかしそれでも、女性たちは決して夢を見ることを止めない。夢を現実にする努力は21世紀に至るまで連綿と続けられている。

【3 ギッシングの『余計者の女たち』】
1 ジョージ・ギッシング著作年表
1884  The Unclassed 『無階級の人々』(光陽社出版)
1889  The Nether World 『ネザー・ワールド』(彩流社)
1891  New Grub Street 『三文文士』(秀文インターナショナル)
1892  Born in Exile 『流謫の地に生まれて』(秀文インターナショナル)
1893  The Odd Women 『余計者の女たち』(秀文インターナショナル)
1898  Charles Dickens 『ディケンズ論』(秀文インターナショナル)
1901  By the Ionian Sea 『南イタリア周遊記』(岩波文庫)
1903  The Private Papers of Henry Rycroft 『ヘンリ・ライクロフトの私記』(新潮文庫)
1906  The House of Cobwebs  『蜘蛛の巣の家』(岩波文庫)

2 『余計者の女たち』:二人のフェミニストと堕ちた女
  『余計者の女たち』の主人公は3人の女性たちである。ローダ・ナンとメアリー・バーフットという二人のフェミニストとモニカ・マドンである。モニカ・マドンは医師の娘で、6人姉妹(アリス、ヴァージニア、ガートルード、マーサ、イザベル、モニカ)の末娘である。父が800ポンドを残して早く亡くなった時から、姉妹たちの苦労は始まる。いずれも結婚前であったため、ガヴァネスなどをして暮らしを立てていた。800ポンドの遺産は少ない額ではないが、6人では足らず、将来への不安から元金には手をつけずに利子で細々と暮らしていたのである。ガートルードとマーサは苦労の末に亡くなり、イザベルは自殺してしまう。アリスとヴァージニアはガヴァネスやコンパニオンをしていたが、ともにオールド・ミスで一生を送る。ヴァージニアは人生の悲惨さに耐え切れず、アル中になってしまう。

  姉妹たちの希望は末の妹で、一番の美人のモニカだった。彼女だけは結婚する。しかし、彼女の早まった結婚は結局失敗だった。彼女は姉たちのようになりたくなくて良く考えずに結婚してしまったのである。「姉たちはとても惨めで、彼女たちのようにつらい人生を生きなければならないのかと思うと、ぞっとしてしまったんです...」夫のエドマンド・ウィドソンは異常なほど嫉妬深いうえに(ほとんど今で言うストーカーである)、古い価値観の持ち主だった。「妻とは権利と義務を持った個人でもあるのだということは、ウィドソンには考えもつかないことだった。彼が言うことは、すべて自分が一段上なのだということを前提としていた。命令するのは自分で、従うのは彼女である、それが当然だと思っていた。」

  彼は「女の世界は家庭だよ、モニカ」と妻に言い聞かせ、彼女に読みたい本も読ませず、結婚前からの友人との交際も認めない。「家庭の天使」は「牢獄の女囚」にほかならなかった。彼女はあまりの窮屈さに、自由を求め始める。そんな彼女を感化したのは先の二人のフェミニストたちだった。彼女は必死に夫に訴える。「エドマンド、男と女の間には本質的な相違は大してないと思ってますの。」「もっと自由がないとそのうち人生が重荷になってしまいます。」夫は法を法とも思わぬのかと詰め寄る。彼の言う「法」とは「夫たる者の指導に従うように命じている法律」である。このような夫からモニカの心は離れ、ビーヴィスという若い男に引かれて行く。駆け落ちする寸前まで行くが、結局ビーヴィスは遊び程度のつもりだったので、逃げてしまう。失意のモニカは夫の「家を出て」姉の元に行く。その時彼女の中には夫の子どもが宿っていた。夫の疑念が解けないまま、モニカは女の子を産んで死んでしまう。

  ローダ・ナンはモニカよりも10歳年上である。自信と知性にあふれ、挑戦的な表情をした女性だ。彼女もガヴァネスをしていたが、うんざりして止めてしまう。代わりに速記、簿記、ビジネスレター、さらにはタイプライターまで習った。ついには女子のための職業訓練所の共同経営者になってしまう。そのもう一人の経営者がメアリ・バーフットである。二人とも当時の最先端のフェミニストだが、ローダ・ナンの方がより過激である。メアリー・バーフットは温和な改良主義者だが、ローダ・ナンは結婚を否定する女性である。この二人の会話は当時のフェミニストたちの考え方や振る舞い方をよく伝えている。二人の論争場面などはそれまでの小説では考えられなかったものである。

 ローダはメアリー・バーフットのいとこであるエヴァラード・バーフットに言い寄られるうちに、しだいに彼に引かれて行く。しかしある誤解がきっかけでローダの気持ちが変わり、結局彼女はバーフットの求婚を断る。バーフットは遺産が入り、1500ポンドの年収がある。玉の輿のケースだ。しかしローダは結婚しないことを選んだ。ここに結婚を拒否し、自分の信念に従い独身を通すヒロインがついに登場したのである。

2006年1月25日 (水)

村の写真集

_0372004年 日本
監督・脚本:三原光尋
撮影:本田茂
音楽:小椋佳
出演:藤竜也、海東健、宮地真緒、甲本雅裕、桜むつ子
    吹石一恵、大杉漣、原田知世、 ペース・ウー

  僕がまだ学生の頃だったろうか。理由は忘れたが父と常磐線に乗っていた。窓の外は延々田んぼが続く。「茨城は本当に田舎だな」と思わず僕が言うと、その言葉に馬鹿にしたような響きを感じ取ったのだろう、父がすかさず「田舎がなければ人は生きてゆけない」と言った。その言葉にはっとなった。確かに都会人は旅行に行くときには必ず田舎に行く。普段は便利な都会に住んでいるが、羽を伸ばそうと思ったときには田舎に行く。日本中すべて都会ばかりだったならば、人間は一体どこでほっと息をつくのか。

  「村の写真集」は日本版「山の郵便配達」である。父と息子が並んで山を歩くという意味でも、父が息子に何事かを伝えるための「旅」という意味でも、そして「親父の背中」映画という意味でも。ダムに沈もうとしている村の人々を写真に残すために、村の写真家が東京から呼び戻した息子を連れて山を歩いて上り、一軒一軒家を訪ね歩いてゆく。舞台となった徳島県の山間部、池田町、山城町、西祖谷山村などの風景が実に美しい。親父は何も言わず、教えず、ただ黙々と山を登り写真を撮る。息子は反撥を感じながら親父についてゆき、その背中から何かを感じ取る。昔ながらの親父気質、不言実行。そして昔ながらの職人気質、習うのではなく見て盗め。

  ここで問題提起を一つ。なぜ美しい村の風景ではなく、村人を撮るのか。答えはいくつか考えられる。美しい山村の景色をこれでもかとばかり撮れば却ってそのインパクトが失われるし、単なる徳島観光案内映画になってしまいかねない。ストーリーも痩せてしまうだろう。幸い「村の写真集」は適度に美しい風景を織り込む程度で抑えているために、ところどころ映し出された山の風景がかなりのインパクトを与えている。そしてもう一つの理由は、恐らく「山の郵便配達」を意識しているからだ。手紙などの郵便物は人と人をつなぐ「絆」である。郵便配達は一軒一軒回りながら家族の近況を伝えたり、祝い事や親の死などを伝える。美しい山は単なる風景ではなく、人間が済み生活を営んでいる生活の舞台である。あくまで人間が主役なのである。郵便配達が歩く道は人々をつなぐ線である。美しい風景を撮るだけなら人と接する機会はそれだけ減る。いやでもドラマは父と息子の関係だけに絞られてしまう。だから「村の写真集」も単なる風景ではなく人間を撮るのだろう。

  父親は体が病で弱っていたにもかかわらず、頑固に険しい山道を歩き、一軒一軒訪れて写真を撮り続ける。息子の孝は車で行った方が能率的だろうというが、父親は自分の信念を変えようとしない。何度も父親と撮影を共にしてようやく息子も「歩かないと見えてこないものがある」ということに気付く。車で行っては見過ごしてしまうもの。それは何だろうか。父親が山を降りる途中息子を案内した絶景のビュー・ポイントがあった。これもその一つだろう。もちろんそれだけではない。山の斜面に住む人たちが毎日のように上り下りする山道、その苦労を自ら体験しなければ彼らの生活を撮れない。そういう考えもあっただろう。韓国映画「おばあちゃんの家」で何度も家の前の斜面を上り下りするおばあちゃんの姿が重なる。何気なく咲いている道端の花や微妙な季節の変化なども歩きでなくては気付かない。あるいは、わざわざ重い機材を抱えて山道を上り下りする苦行に精神修行の様な重みを込めるという意味合いもあるかもしれない。歩けなくなった父親を背負う場面にはその色合いが濃厚だ。日本人には割合すっと入ってくる考えかたである。彼らの歩みは映画自体のゆったりとしたリズムと重なる。時間がたゆたうように流れてゆく。

  「山の郵便配達」を意識している以上、描かれるテーマも共通している。村に住む人々との心の通い合い、父と息子の葛藤と絆、家族の絆、故郷の風景へのノスタルジア。「山の郵便配達」はこれらのテーマを実にバランスよく描いていた。しかし「村の写真集」は「山の郵便配達」と比べると、村人との交流が十分描けていない。「山の郵便配達」にはなんでもないことながら、印象深いシーンがたくさんあった。手紙を届ける際にちょっと交わす一言、あるいは字が読めない老人に手紙を音読してやる、等々。「村の写真集」でこれに匹敵するのは戦争で亡くした息子の写真を大事に抱えて息子の帰りを待つ老婆(桜むつ子)のエピソードくらいではないか。「帰ってきた時に私がいないと寂しいだろうから」と言って村を離れようとしない。写真屋親子はもっと村人と言葉を交わすべきだった。ただ人々の写真を撮るだけではなく、そこに人々の生活や思い出を映しこむべきだった。だが、むしろ写真を撮る父親の姿を映してしまう。なぜならそこにどうしたらいい写真が撮れるのかというテーマが絡んでくるからである。その結果父子の関係の方に力点が置かれる。

  ところがこの父子、演技力からいえば相当なアンバランスがある。父親役の藤竜也はしだいに体が弱ってゆくにもかかわらず、決して信念を曲げない頑固な父親像を余すところなく演じきった。近年の彼は渋さが光る。この映画は彼でもっているようなものだ。藤竜也は息子役の海東健と「海猿」でも共演しているが、そこでも経験豊かで、厳しさの中に人間的深みを感じさせる教官役を見事に演じていた。年を取るに従い渋みと重厚さをにじませる味のある俳優になってきた。一方の海東健はさっぱり印象が残っていない。藤竜也と比べると海東健は格段に見劣りすると言わざるを得ない。

  父親の写真の技術はよく分からないが、写真を撮る際の掛け声が驚くほど様になっている。自信に満ち、力強い声。つられて撮られる方もつい笑顔を見せてしまう。観ている観客もあれならいい写真が取れたに違いないという気になってしまう。そして父親は撮った後必ず「ありがとうございました」とお礼を言う。つまるところ写真は技術ではないと言っているのである。どううまく撮るかではなく、映される人たちの自然な姿をどう引き出すか、ここに、技術的には長けている若い息子には乗り越えられない父親との大きな隔たりがある。父親は何十年farmhouseも前の古いカメラを使っている。技術云々ではない(もちろん十分な技術を持っているに違いないが)。父親は最後の一枚は山の男たちを撮ると決めていたが、病に伏せ息子にその大役をになわせる。息子が撮った「最後の一枚」にはいらいらした気持ちが顔に表れた人たちが映っていたのだろう、自分の写真が父親の撮った他の写真に遠く及ばないことに息子は気付く。少なくともそれが分かる程度にまで彼は成長していた。同じ息子が撮った写真でも、魚を釣った子供たちは本当にうれしそうに映っていた。無理やり作らせた笑いではなく、自然に湧き出てきた笑みだったからだ。だから息子も写真に撮らせてほしいと思ったのだし、実際いい写真が撮れたのである。

  どうしても父親でなければ山の男たちの写真は撮れない。息子は病床の父に無理やり頼み込み、もう一度山に登る。足が弱っている父親は途中でうずくまり、息子が背負ってゆく。ここも明らかに「山の郵便配達」の有名な場面を意識している。そして父親が撮った村の「最後の写真」。被写体は同じなのに明らかに違った写真になっている。息子はこの父親の背中、いや、父親の掛け声とシャッターを押す指先、そして映される人たちとの呼吸の合わせ方から何かを学んだであろう。父親がカメラの横に立っただけで映される男たちの顔には自然に笑みが浮かんでくるのである。

  しかし藤竜也がこれほど好演しているにもかかわらず、全体としてみれば「村の写真集」は傑作とはいえない。「山の郵便配達」と比較すれば映画の出来は明らかに劣る。一番の欠点は脚本と演出の甘さだ。簡単に先が読めてしまう展開。何箇所かある山場もありきたりである。孝の姉が最後に帰ってくることも予想できてしまう。予定調和へと向かう予想通りの展開で、いい意味で裏切られることがない。孝の台湾人の恋人のエピソードにも必然性が感じられない。それにどうしても「山の郵便配達」の二番煎じという印象がぬぐい去れない。

  それでもこの作品には魅力があることを率直に認めたい。「ALWAYS三丁目の夕日」が都会のノスタルジーを誘う映画だとすれば、「村の写真集」は郷愁を誘う日本の風景へのノスタルジーを描いた作品である。もっとストーリー展開に工夫がほしいという思いは残るが、さわやかな余韻を残すいい映画である。

   僕はタイとかベトナムとか、日本以外のアジアの国を旅行するのが好きなんです。
 向こうの国って経済的には貧しいけど、その分、家族の絆がある。食卓には大勢の
 家族が集まり、みんなで一緒にご飯を食べている。今の東京ではまず見られないん
 じゃないかな。みんな携帯電話の液晶を見ることに必死になって、周りに目を向けて
 いない。携帯電話から得る情報も必要だけど、直に人間と話さなければ得られない
 情報もいっぱいある。僕は作品でそれを伝えていきたい。それは僕にとって変わら
 ないテーマだし、これからも描き続けていきたい部分ですね。

  三原光尋監督があるインタビューで語った言葉には共感を覚える。遠くない将来、きっと素晴らしい作品を生み出してくれるのではないか、そう期待させるものがある。

2006年1月23日 (月)

イギリス小説を読む③ 『ジェイン・エア』

angel3テーマ:結婚と身分--成功をつかんだガヴァネス

1 ブロンテ姉妹作品目録
①Charlotte Brontë (1816-55)  
Jane Eyre(1847) 『ジェイン・エア』(岩波文庫)  
Shirley(1849)  『シャーリー』(みすず書房)   
Villette(1853) 『ヴィレット』(みすず書房)  
The Professor(1857) 『教授』(みすず書房)

②Emily Brontë (1818-48)  
Wuthering Heights(1847)  『嵐が丘』(新潮文庫、岩波文庫)

③Ann Brontë (1820-49)  
Agnes Grey(1847)  『アグネス・グレイ』(みすず書房)  
The Tenant of Wildfell Hall(1848) 『ワイルドフェル・ホールの住人』(みすず書房)

2 シャーロット・ブロンテ小伝
  シャーロット・ブロンテは1816年、ヨークシャーの牧師の家に生まれる。父はアイルランドの貧農の生まれ。娘たちの結婚も阻むような気難しい男で、苦労して聖職に就いた。5歳の時に母を失う。6人の子供はみな虚弱で、一番上の二人(マリアとエリザベス)は1825年に亡くなり、1848年から翌年にかけて弟のパトリック・ブランウェルが31歳、エミリーが30歳、アンが29歳で夭折している。姉妹の中で一番長生きしたシャーロットでさえも39歳で亡くなっている。皮肉にも、早死にの一家の中で最後まで生き残ったのは父だった。1847年シャーロット31歳の時に『ジェイン・エア』を発表し評判になる。エミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』も同年に出版された。3人の代表作が同時に発表されたこの年は英文学史上重要な年である。1854年に父の補佐役だったニコルズという牧師と結婚するが、9カ月後に死亡する。

3 『ジェイン・エア』:あるガヴァネスの精神の遍歴
(1)ストーリー
  ジェイン・エアは孤児である。美人ではない。ジェイン(正式にはジャネット)の父は貧しい牧師だった。母は金持ちのリード家の娘で、不釣り合いだという周りの反対を押し切って結婚した。母の祖母は怒って一文も財産を譲らなかった。結婚1年後に父はチフスにかかり、母も感染し、二人とも1カ月もたたないうちに相次いで亡くなった。ジェインは母方の伯父リード氏にひきとられた。伯父は彼女をかわいがってくれたが、伯父の死後、ジェインは居候同然のひどい扱いを受けていた。女中のベッシーだけが唯一の理解者だった。

  伯母は反抗的なジェインに手を焼き、厄介払いするためにジェインをブロックルハースト氏が経営するローウッド校に入れることにした。ブロックルハースト氏に言わせれば、堅実さがローウッド校のモットーである。簡単な食事、質素な服装、簡素な設備等々を方針としている。しかし、その実態は劣悪な校舎で、寒さをしのぐ服もなく、とても食べられないような食事を子供に与えているということであった。ジェインはそこでヘレン・バーンズと仲良くなる。ヘレンは非常に頭が良いのだが、だらし無いと言われていつも先生にしかられている。ジェインが反抗的なのに対して、ヘレンはじっと耐えてしまうタイプだ。しかしジェインはヘレンから多くのことを教えられた。また、教師の中にも一人だけテンプル先生という、優しい人柄でジェインたちをよく理解してくれる天使のような人がいた。劣悪な環境のせいでローウッド校で病気がはやり、学校は事実上病院に変わってしまった。ヘレンも感染して死んでしまう。学校のひどい経営が暴露され、その後改善された。ジェインは主席で卒業し、2年間そこで教師を務めた。新しい経験をしたいと思ったジェインは家庭教師(ガヴァネス)の口を探し、ロチェスター氏の家で雇われることになった。ジェインはまだ18歳だった。

  ジェインはアデルという女の子の家庭教師としてソーンフィールドにあるロチェスター氏の屋敷に住み込むことになった。(アデルは或るフランス人女性--ロチェスターのかつての愛人だったことが後で分かる--の娘でロチェスター氏と血のつながりはない。)ロチェスターは40歳前くらいの莫大な財産を持った男で、「きびしい目鼻だちと太い眉をした浅黒い顔」をしている。がっしりとした体格と強い意志を持っているが、彼もまた必ずしも美男子ではない。ロチェスター家で初めてジェインは人間としてまともな扱いを受けた。美人のイングラム嬢とロチェスターが結婚するといううわさがあったが、実はロチェスターはジェインに魅かれていた。家庭教師をまともな人間扱いしないイングラム嬢たちと対照的に、ロチェスターは身分の差など気にもかけない。ロチェスターはジェインに結婚を申し込み、ジェインもそれを受ける。しかし結婚式の当日、メースンという人物が現れ、ロチェスターには既に妻がいることを暴露する。ジェインは以前から3階の屋根裏部屋から恐ろしい叫び声がするのを聞いており、何か謎があると思ってはいた。実は、屋根裏部屋にはロチェスターの発狂した妻バーサが監禁されていたのである。結婚式は取りやめになった。ロチェスターとしてはバーサは妻の資格はないと思っているのだが、ジェインはロチェスターが自分を情婦にしようとしたのだと考え、翌日黙って屋敷を出て行く。

  一文なしで2、3日さまよい歩き、乞食のような扱いを受ける。やっと親切な二人の女性(ダイアナとメアリ姉妹)に救われる。この二人の兄であるセント・ジョンに頼まれて、ジェインは小学校の教師になる。熱病のような情熱を秘めたセント・ジョンは宣教師になろうと決心する。そのジョンがあるきっかけからジェインの正体を見抜き(ジェインは偽名を使っていた)、彼女の伯父が亡くなりジェインに2万ポンドの遺産が入ると伝えた。またジェインは彼らの従兄弟だということも分かる。ジェインは2万ポンドを従兄弟たちと4等分し、それぞれ5000ポンドずつ分けることにした。

  ジェインは家庭教師をしていたダイアナとメアリを勤め先から呼び戻し一緒に住む。セント・ジョンはいよいよインドへ宣教師として赴くことになり、ジェインに結婚して一緒にインドに行こうと迫る。しかし、敬虔で誠実なクリスチャンであると認めつつも、セント・ジョンのなかに非情で冷酷なところがあると感じていたジェインはその申し出を断る。そんな折り、ジェインはロチェスターが彼女を呼ぶ声を聞くという、超自然的な体験をする。矢も盾も止まらなくgirl1なったジェインはロチェスターの屋敷へ行く。しかし屋敷はバーサのせいで火事になり、完全に廃墟になっていた。バーサは屋根から飛び降り死んだという。ロチェスターは召使たちを救おうとして重傷を負い、両目を失明し片手を失っていた。ジェインはロチェスターがいるファーンディーンに向かい、変わり果てた彼と会う。聞くと、彼も同じ日の同じ時間にジェインの声が聞こえたと言う。二人は再び愛を確かめ合って、結婚する。それから10年立った時点が、ジェインが語っている現在時点である。後にロチェスターは片方の目が少し回復して、見えるようになった。セント・ジョンは今も宣教師として人類のために働いている。

(2)婿捜し物語りという枠組み
  一人の人間としての成長過程、特に精神的成長が小説のテーマとなり、構成要素となる背景には、産業革命によって急速に変わってゆくヨーロッパ社会の中で既成の価値体系が崩れてゆき、従来の生き方が若い世代の青年に人生の意味を提出するものでなくなってしまったという認識がある。それは言いかえれば、既成の人生航路では達成できない人間的成長が明確に意識され始めたことでもある。・・・
  女性作家が女性の成長を扱った小説のパターンの一つに、婿捜し物語がある。婿捜しは、ヒーローとヒロインからなる「ロマンス」を貫く重要なモチーフであり、近代小説においても、人妻の恋、心理的恋愛とともに、恋愛小説の根底を流れるパターンである。・・・  婿捜しというモチーフの中心には、結婚という社会制度、そしてその制度のもたらす個人的な幸福に対する信頼がある。結婚はしなくてはならないものという思想、あるいは信念がなくては、婿捜しの物語は成立しない。同時にまた、どんな結婚でもよいのではなく、最も望ましい結婚という理想的結婚の観念が、結婚する当人、すなわち個人の幸福と矛盾対立するところに、恋愛が婿捜しから独立して取り扱われるようになる根拠の一つがあったのであるが、近代において個の主張が重要になるにつれて、結婚と恋愛はおのおの独立したテーマとして文学上扱われるようになる。・・・
  水田宗子『ヒロインからヒーローへ--女性の自我と表現』(田畑書店、1992年)

(3)ヒロインとしてのジェイン
  ジェインは美人ではない。昔も今もヒロインは美人と決まっているのだが、あえて作者は伝統に逆らって普通の容貌の女性をヒロインにした。美貌を女性の価値と見る男の価値観を引っ繰り返したかったからだろう。

  川本静子氏は19世紀の「女性問題」は、中流階級の女性に関する限り、ひとえに困窮したレディの問題にほかならないが、それは事実上「ガヴァネス問題」という形であらわれると述べている。しかし、ジェインは決して「余った女」ではない。男が見つからなくて結婚できず、ついには社会の最底辺にまで堕ちて行くという運命をたどったわけではない。彼女はロチェスターという理想の男とめぐり会い幸福な結婚をするのである。しかし、単なる通俗小説的な成功物語というわけではない。彼女は当時の価値観に大胆に反抗し、財産や身分よりも人間的な関係を求めてロチェスターに行き着いたのである。

  『ジェイン・エア』は発表当時社会的議論を巻き起こしたが、それはこの作品には当時の価値観に従わない要素が満ちあふれているからである。レディ・イーストレイクはこの作品には「高慢な人権思想」がみられ、危険な書物だと言った。孤児という運命を謙虚に受け止めるのではなく、それに不満を言うなどもってのほかだというわけだ。確かに『ジェイン・エア』は、ヴィクトリア時代の保守的な文学伝統と社会常識を脅かす要素をもっていた。

・激しい感情をあらわにする
  →不当な扱いに対する反抗、自分を認められたいという思い、自由へのあこがれ、
   知識や未知の世界に対するあこがれ
・女から求愛する。
・身分の違いを越えて結婚を考える
 →結婚:自分を金銭的な投機の対象とは考えていない、情熱や感情の一致を重視する
・男女の平等意識 
・男や社会の考えをそのまま受け入れるのではなく、自分の価値観で判断する。
 →絶えず自己批評、自己分析を繰り返しながら成長してゆく。  
 →例:ジェインは小学校で教えることになって品位を落としたと感じる
  しかしこれはすぐに克服する。彼女の考え方というよりは、社会的価値観を受け身的
  に反映したもの。
・リード一家やイングラム嬢を初めとするロチェスターが付き合っている上流家庭の人物
 はみな美男美女だが、いずれも高慢で、傲慢で、意地の悪い俗物として描かれてい
 る。それに対して、ロチェスターを自分と同類の人間だと感じる。

  しかしその一方で伝統的な側面も合わせ持っている。
・財産や身分のもつ価値を完全には否定していない
 →結局は自分よりも身分が上のロチェスターと結婚し、都合よく遺産も相続する。せい
   ぜい遺産の分け前を従兄弟たちに与えるだけだ。
  遺産相続後の生活はメアリは絵を描き、ダイアナは百科事典の読破を続け、ジェイ
   ンはドイツ語を勉強しているという優雅な生活だ。
 →作品自体も、ロチェスターに妻がいることが分かり、彼の元を飛び出す当たりから話
   の展開が慌ただしくなる。遺産が入り、バーサが都合よく死んでくれるなど、話が
   意外な方向に目まぐるしく展開して行くメロドラマ的な展開になっている。なぜ自分
   はこんな目に遭うのか、「不合理だ、不公平だ」と激しく反抗していた前半の力強さ
   はなくなっている。  
 →現実と自己が溶け合わない疎外された段階、次に現実から圧迫され悩まされる段
   階を経て、自己が現実を認識して現実に溶け込む段階へと至る、コントの「3段階
   の法則」のパターンに当てはまるという指摘がある。結局現実を何ら変えることな
   く、うまく現実の中に収まってしまうという意味では当たっている。  
 →ヘレンの聖書的諦めの境地を結局ジェインは理解できなかった。ジェインは神の世
   界ではなく現実の世界に生きる女性なのである。この点がジェインの強み(不当な
   扱いを跳ね返して行く)であると同時に限界(現実の中に収まってしまう)でもある。
・遺産を相続するとさっさと教師を辞める。
 →男に養われるという「家庭の天使」に止まらずに、経済的自立を目指す発言もしてい
   るが、それも遺産を相続するまでのこと。貧しい子供たちを教育しながら、彼らにも
   個人差があると気づいてゆくが、これも遺産が入ると人に任せてしまう。
・セント・ジョンの宣教活動がもつ帝国主義的意味に気づかない

2006年1月22日 (日)

イギリス小説を読む② 『高慢と偏見』

テーマ:婿探し物語

【ジェイン・オースティン作品年表】
Jane Austen ジェイン・オースティン(1775-1817)  
 Sense and Sensibility(1811)          『いつか晴れた日に』(キネマ旬報社)  
 Pride and Prejudice(1813)        『高慢と偏見』(岩波文庫)
 Mansfield Park(1814)                  『マンスフィールド・パーク』(集英社)  
 Emma(1815)                          『エマ』(中公文庫)  
 Northanger Abbey(1818)            『ノーサンガー・アベイ』(キネマ旬報社)  
 Persuasion(1818)             『説きふせられて』(岩波文庫)

  オースティンに続くブロンテ姉妹、ジョージ・エリオットと、19世紀の女性の一流作家が皆牧師の娘であるのは偶然ではない。牧師は大学教育を終えた当時最高の知識階級であり、蔵書も豊富で、牧師館に出入りする大勢の人々が人間を観察する機会を与えた。
   青山吉信編『世界の女性史7 イギリスⅡ 英文学のヒロインたち』
   (評論社、1976年)

【主要登場人物】
■エリザベス・ベネットElegant6
  本作品のヒロイン。ベネット家の次女。両親のほかに、上に長女のジェイン、下に三女のメアリ、四女のキャサリン、末娘のリディアがいる。父親のミスター・ベネットはしっかりした人物ではあるが、家族の騒動をはたから見て面白がっている。ミセス・ベネットは娘たちを結婚させることしか頭にない、単純な人物。金持ちでいい男が現れるたびに大騒ぎする。

■ジェイン・ベネット
  エリザベスの姉。優しく人が良くて疑うことを知らない性格。いつも相手の立場に立ってものを考える。ビングリーと引かれ合うが、途中でダーシーに仲を引き裂かれる。ダーシーが誤解に気づき、再び交際を始め、めでたく結婚する。

■ミスタ・ダーシー
  本作品の主人公。登場人物の中で最も身分の高い人物だが、無口で高慢な男と思われエリザベスに毛嫌いされる。一度エリザベスに求婚するが、冷たく拒否される。しかし様々な誤解や偏見を乗り越え最後にはエリザベスと結婚する。年収約1万ポンドの大地主。

■チャールズ・ビングリー
  ベネット家の近所に引っ越して着た青年。ジェインと恋に落ちるが、ダーシーに仲を引き裂かれる。後にダーシーの誤解も解け、ジェインと結婚する。年収4~5千ポンド。

■ミスター・コリンズ
  エリザベスたちのいとこに当たる。ミセス・ベネットと並び、本作品中最も喜劇的な人物。大仰な言葉遣いでやたらと長々しい話をして周りの人を呆れさせる。

【作品とヒロインの特徴】
1 田舎の上層中流階級の社会を描いた小説

  『高慢と偏見』は地方のアパー・ミドル(上層中流)階級を中心に描いた写実的風俗小説である。そのまま第1級の社会史の資料として使えると言われるほどであり、当時の中上流の人々の暮らしがリアルに描かれている。例えば、上流階級の社交の様子が頻繁に出てくる。当時は上流の人たちが集まると、パーティーを開いておしゃべりに花を咲かせ、飲み食いしたあげくにトランプなどのゲームをするというのが普通だった。『高慢と偏見』の中にはまさにこのとおりの場面が何度も描かれる。話の内容もだれがだれと結婚するかといった他愛のないものである。会話に知的な要素が交じることは少ない。エリザベスはあまりに情けない会話の内容に呆れることがあるが、彼女自身もあまり本を読まない女性で、学問的な会話などしていない。

  登場人物の中心をなしているのは地方の上層中流階級から上流階級の人々である(ただし貴族は登場しない)。下層の人々(召し使い等を除いて)も登場しない。一部の登場人物を除いて、大部分は一体何をして暮らしているのかと思う人たちばかりである。労働の場面や職場に出掛ける場面は皆無に近い。何をして食べているのか分からない人物が出てきたら、その人はまず地主階級だと思ってよい。彼らは地代で暮らしている(数百から数千ヘクタールの土地を持ち、これを小作人や農業経営者に貸して年に数千ポンドもの地代を取る)ので働く必要がないわけである。したがって登場人物たちは狭い田舎の社会の中で遊び暮らしているだけである。何も仕事がない未婚の娘たちは隣人との付き合いに好きなように時間を使った。友達や親類同士で何週間も、時には1~2カ月以上も泊めたり泊まりに行ったりする。労働は描かれず性道徳の観念も一律に保守的である。このような世界をおもしろく描くことができたのは、オースティンの人間観察、人間鑑定の確かさと作品構成の緻密さ、そして女性にとっての本当の幸せとは何かを真剣に追求しようとする真剣な姿勢のお陰である。「愛のない結婚は決してすべきでない」と考えるオースティンは、ヒロインのエリザベスに相手が真に自分に値する男かどうかを真剣に吟味させてゆく。これを底で支えているのは、オースティンの実に正確な人物描写である。

2 主題は結婚
  オースティンの小説はいずれも恋愛と結婚を主題としている。その主題を通じて、人生における幸せとは何か、優れた人間性やマナーとは何かが追求され、また、当時に生きる人々の赤裸々な人間模様が描き出されている。タイトルの由来はエリザベスの偏見とダーシーの高慢さを指している。ともに様々な試練と経験をへて互いにその欠点に気づき、それを矯正してゆく。もちろんダーシーにも偏見はあり(特に身分の低い者に対する偏見)、エリザベスにも自分は他の人よりもよく物事が見えているという高慢な思い上がりがある。

engle1   登場人物の多くは当時の価値観を無意識のうちに受け身的に受け入れており、当然のように有利な結婚相手を捜すことに血道を上げる。したがってオースティンの小説には年収○○ポンドという表現がうんざりするほど頻出するのである。だがそのような恋愛騒動の背後には女性には自立(自活)の道がないという厳しい現実がある。遊び暮らす女性たちの背後には、オースティンがあえて描こうとしなかった下層の人々の悲惨な現実がある。このような現実とのかかわりを極力作品の外に追いやってしまったことはオースティンの作品に一定の限界を与えてはいるが、それはまた彼女の作品の魅力でもある。実際、この作品には深刻な場面はほとんど無く、むしろ基調になっているのは喜劇的色彩である。その喜劇的要素が読者をどんどん引き込んで行く原動力の一つになっている。その喜劇的側面の中心にいるのはミセス・ベネットやミスター・コリンズという単純で分かりやすい人物である。

  エリザベスは5人姉妹であり、姉妹それぞれを描き分けることによって当時の女性の様々な考え方を複線的に描くことができる。長女のジェインと次女のエリザベスは分別があるが、下の3人は未熟な女性(まだ子供だが)として描かれている。末娘のリディアにいたっては軍隊の将校にあこがれ、ついには美男だが浮気で金遣いの荒いこの将校と駆け落ちまでしてしまう。

  ただし、ベネット家の子供は娘ばかりだったので、限定相続によって財産は男系親族(作中では従兄弟のコリンズが相続者)に取られてしまうことになっている。もし娘が売れ残ったら、分けてもらった動産の利子や、身内の情けにすがって、周りから軽蔑されながら細々と食いつないでゆくしかない。いきおい女たちは豊かな生活と社会的尊敬を維持するために、結婚をするしかなかった。他に自活の方法はなかったのである。同じような状況はオースティンの『いつか晴れた日に』(原題は『分別と多感』)でも描かれている。ダッシュウッド夫人は子供がいずれも娘ばかりのため、亡くなった夫の財産はほとんどが先妻の息子と孫息子に行ってしまう。屋敷まで取られた形で、彼女と三人の娘ははるかに小さな別の家へ移り、生活費を切り詰めて暮らすことを余儀なくされるのである。

  ただ、当時のイギリスの結婚は恋愛結婚が原則だった。親が相手を選ぶドイツやフランスとは違って、ふつう娘には夫を選択する権利が認められていた。双方の財産が等しいのが適当な結婚の条件と考えられていたが、相手の家の資産の方が多ければ娘たちにとって幸いなのは言うまでもない。

3 エリザベスの性格と魅力
  エリザベスの性格を理解するには、次回取り上げるシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』の同名のヒロインと比較するとより浮き彫りになるだろう。自己分析と自己批評を繰り返したジェイン・エアに対し、エリザベスは専ら周りの人たちを観察することに専念する。また、ジェイン・エアは必ずしも結婚を念頭に置いて行動していないが、エリザベスは結婚のことしか頭にない母親や姉妹の影響を受けて、かなり結婚のことを意識している。これはジェイン・エアが孤児として育ち散々苦労を重ねてきたのに対し、エリザベスの方は当面の生活に苦労しない(将来に不安はあるが)上流の恵まれた家庭に育ったという出発点の違いによる影響が大きい。一方、様々な経験を通して人間や世の中を見る目を豊かにし、理想の結婚相手を見いだすという点では、ジェインもエリザベスも共通している。

  エリザベスの魅力は身分が上の人たちにも物おじせず、卑屈にもならずに対等に渡り合うそのはつらつとした精神と行動力にある。5人の姉妹の中では長女のジェインと次女のエリザベスだけが分別のある人物として作者から肯定的に描かれているが、ジェインの方はしとやかな女性という類型的な描かれ方をしており、その点が型破りなところがあるエリザベスと比べると印象が薄い理由である。また、エリザベスは自分では公平で正確な判断力があると思っているが、実はダーシーの誠実さに気づかず、逆に人当たりはいいが一皮むくと浪費家で浮気もののウィカムにコロリとだまされたりと、案外誤った判断をしているところがある。完璧ではなく欠点もあり、しかも誤りに気づいたときは潔くそれを認める誠実さを持った女性として描かれていることも、彼女の人物造形に深みを与えている。

  次回はシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を取り上げます。

2006年1月21日 (土)

イギリス小説を読む① キーワーズ

SD-cut-mo3-07  昔まだパソコンではなくワープロを使っていた頃(ほんの3、4年ほど前までワープロを使っていたのです)のフロッピーを整理していたら、懐かしい原稿が出てきました。ある事情があって書いていたものですが、捨てるのには惜しい。そこで映画を観なかった日の埋め草にすることを思いつき、パソコンに取り込みました。
 イギリス小説の単なる紹介記事で、大した内容ではありません。ただ最近でも「オリバー・ツイスト」や「プライドと偏見」などイギリス小説の映画化は連綿と続いていますので、何かの参考にはなるでしょう。毎週1作を取り上げていたので、当時は非常につらかった。単行本を1週間で1冊読み上げ(もちろん翻訳です)、おまけに紹介文まで書いていたのだから当然ですが。幅広い人に読んでいただけたら当時の苦労も報われます。

【ヴィクトリア時代】
・ヴィクトリア時代(1837-1901)
  ヴィクトリア女王はわずか18歳で即位。英国史上最も輝かしい栄光の時代。

ヴィクトリア時代とは、いうまでもなくヴィクトリア女王が在位した時代のことで、1837年から1901年までの65年間を指す。ヴィクトリア初期(1837-50)、ヴィクトリア中期(1850-70年代)、ヴィクトリア後期(1870年代ー1901)の三期に分けて考えるのが一般的である。
 19世紀のイギリス史は、1870年代を境に大きく二分して考えることができる。1870年代以前は、世界に先駆けて産業革命をなしとげた工業国イギリスが世界の霸者となる躍進期であり、1870年代以降は、いわゆる「帝国主義」の時代で、それ以前が躍進期であるのなら、この時期は、イギリスの今日にまでいたる後退期の始まりであった。
 従来の通説は、産業革命の進展とそれにもとづくブルジョワ階級の発展を歴史叙述の機軸としていたが、その場合ややもすれば、ブルジョワ階級の経済力の増大をそのままかれらの政治支配権の増大と同一視する傾向があった。しかしながら、このさい、われわれもまたはっきり留意しておかなければならないのは、第一次選挙法改正と穀物法撤廃という画期的事件のあとに到来した1850-70年代のヴィクトリア中期においてさえも、上下両院をはじめとする全イギリスの政治機構は、なお地主階級によってほぼ完全に掌握されていたという事実であって・・・政治的な支配体制という見地からすれば、1870年代までイギリスは地主階級による貴族政の国家だった・・・。

 1832年の選挙法改正と1846年の穀物法廃止の最たる史的意義が、それぞれブルジョア階級への参政権付与と自由貿易の実質的な確立にあることはすでに周知のところである。
 一方労働者階級の運動についてみれば、まず19世紀の前半はまさしくイギリス労働者階級の英雄時代であった。ラダイト運動、オーエン主義、労働組合主義、政治的チャーティズムと様々な運動が起こったが、伝統的な地主・貴族階級がブルジョワ階級と手を結んだとき、これと対抗するのには結局のところあまりにも非力であった。したがって、ピータールー事件に始まり、第一次選挙法改正の運動、全国労働組合大連合をへて新救貧法反対闘争からチャーティズムへといたる敗北の歴史は、労働運動の歴史は、これを遺憾なく物語っているといえる。
   参考文献:村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)

 世界に先がけて産業革命を経験したイギリスは、その後は他国の追随をゆるさない繁栄の時代を迎える。しかもその発展は、これを経済史的に見れば、直線的に行われたわけではけっしてなく、1825年の恐慌以後は、ほぼ10年の周期をもって規則正しくくりかえされた景気循環過程(好況→恐慌→不況)を通じて、中断をともないながら螺旋的に行われた。...ところが、70年代になると、「世界の工場」としてのイギリスの地位に、かげりが見えはじめる。遅れて世界市場に登場したドイツやアメリカの工業生産力が、非自由主義的なカルテルやトラストの組織を背景として飛躍的に発展し、イギリスは守勢に立たざるをえなくなったからである。資本主義の世界史的発展段階としては、1873年から20年以上にわたる「大不況」期を過渡期として、自由主義段階と帝国主義段階とに区分する理由がここにある。
 50年代は、ロンドン万国博覧会に象徴されるように繁栄の時代であるが、この時代の底辺の労働者の実態は、H.メイヒューの『ロンドンの労働とロンドンの貧困』と、その中に含まれている数多くのイラストによって、余すところなく描き尽くされている。
  イギリスが、チャーチズムの荒れ狂った「飢餓の40年代」を脱し、ヴィクトリア朝の繁栄とパックス・ブリタニカを本格的に謳歌するのは50年代に入ってからである。他国を農業国とする国際分業体制の下で、文字通り「世界の工場」として君臨してきたイギリスが、ユニオン・ジャックの国旗の威力を世界に誇示する晴れの舞台、それが1851年にハイド・パークで開催されたロンドン万国博覧会であった。そして、その会場でイギリスの威光を何よりも雄弁に物語っていたのが、当時の科学技術の粋を集めて建設された鉄枠総ガラス張りのクリスタル・パレス(水晶宮)であった。
 パビリオンとなった水晶宮は、全長560メートル、幅120メートル、高さ30メートル、建築面積7万平方メートルという巨大な建造物であった。  万博の入場料は、「二つの国民」の存在を数字の上で示した。定期券所有者と金曜日(2シリング半)土曜日(5シリング)の入場者延べ160万人は、上・中流階級の人々であったことはまちがいない。しかし、入場者の大半は、1シリング入場券の見学者で、しかもその中には、地方から往復割り引き切符を手に会場を訪れた団体客もかなり含まれていた。1830年に開業した鉄道も、その後の20年間で、イギリス全土を文字通り網の目のように覆っていた。これに目をつけた旅行業者T.クックや鉄道会社が、こぞって割安の観光切符を発売したり、団体旅行を請け負ったことが、すでに述べたように、「1シリング・デイ」の入場者数を膨らませたもう一つの理由であったわけだ。
 ロンドン万博を契機に大衆化したものは、観光旅行だけにとどまらなかった。...40年代初頭『パンチ』と『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』というヴィクトリア朝期を特徴づける大衆向け娯楽週刊誌が創刊されていたが、両誌を含めたマス・メディアは毎号、万博の話題を盛り込んで、万博熱を高めるのに寄与していた。
   長島伸一『世紀末までの大英帝国』(法政大学出版局)

【階級社会/ジェントルマン/ジェントリー】
  会田雄治の「アーロン収容所」に、174センチの彼より長身の英軍下士卒は少なく(そのうえ単純な計算が苦手で、満足に英語を綴れぬものもいた)、一方彼より背の低い将校はまれで、体格はみな立派だったという記述がある。イギリスがいかに画然とした階級社会であるかがよく分かる。階級はイギリスを読み解く上で欠かせないキーワードである。以下に関連の引用を示す。

  この史上最初の「消費革命」の一特徴は、中流階級に虚栄の生活態度を抜きがたく植えつけてしまったことで、かれらの社会は、まさにサッカレイのいう『虚栄の市』となった。かれらの生活目標は、一段階上のジェントルマンで、年々の消費の増大は、「ジェントルマンの体面を獲得するのに必要な道具立て」を、年収の増加に応じて順次購入していくという形で顕現した。19世紀を通じて増大しつづけた馬車と召使の数値は、その端的な現れであったし、また地位向上と体面維持のための経済膨張は、多面での節約を余儀なくさせ、かくして結婚の延期と家族計画が中流階級の習慣となって定着した。
  ジェントルマンとは、・・・ イギリスに特有な有閑階級のことなのであって、19世紀の前半には、ジェントルマン、ノン・ジェントルマンの区別は、なおすぐれて支配、被支配の区別に対応するものであった。だが、ジェントルマンをジェントルマンたらしめるのは、支配という要素だけではない。おそらくより重要であったのはジェントルマンの教養で、この点でパブリック・スクールとオックスブリッジが大きな意味をもつ。
  ジェントルマンになるためには、...ジェントリ=地主になるか、ジェントルマン教育コースに学ぶか(そしてその後、たいていはジェントルマンのプロフェッションにつく)のいずれかしか道はなかったことになる。ところが幸い、16世紀以来のイギリス社会は「開かれた貴族制」で、ここから中流階級のジェントリ=地主ないしジェントルマンをめざす社会移動の問題が生まれた。そしてこの問題が、なかんずく大きな史的意義を持ったのは、19世紀、わけてもジェントルマン化意識が、いうなれば大量現象として、中流階級のエートス[時代風潮]と化した19世紀中葉においてであった。
   村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)

 上流階級は、さらに貴族階級、ジェントリー、そして地主階級ないしは労働の必要のない自立紳士階級の3種に分けることができる。貴族階級とは、1万エーカー(約18平方マイル)をこえる私有地をもつ大地主から成っていて、彼らは大部分がいわゆる爵位貴族階級に属していた。年間1万ポンドを上まわる収入を産み出す資産をもち、絶大な権力を備えたこの一握りのグループの数は、3百世帯から4百世帯程度であった。彼らの下に、1千から1万エーカーまでの私有地をもつ、やや小規模の土地所有者から成るジェントリーがいた。このジェントリーの年収は1千ポンドから1万ポンド。そして彼らは約3千世帯を形成していた。    
  J.P.ブラウン『19世紀イギリスの小説と社会事情』(英宝社、昭和62年)

  「わたくしずっと以前から堅く信じておりますけれど、実際どんな職業でもそれぞれに無くてはならないもの、尊いものでございますけど、まあいつまでも達者でいられるというしあわせは、職業に就かないですむ方、時間も勝手に使え、自分の好きな事ができ、財産で食べていけ、お金を殖やそうと齷齪しないですむ方、まったくそういう方だけに恵まれた運でございますわ。そういう方以外には、どんな方面の人でも、そろそろ若さを失いかける時分には、どうしたって幾分器量が落ちてまいりますわ。」(ウォールター卿に対するクレイ夫人の言葉)
   ジェーン・オースティン『説き伏せられて』(岩波書店)p.33

SD-fai2-09【家庭の天使】
 かつて理想とされた良妻賢母型の理想的主婦像。以下の引用参照。

 良妻賢母の理想像の背後には、言うまでもなく、男は公領域(=職場)、女は私領域(=家庭)という性別分業がある。工業化の進展が家庭と職場の完全な分離をもたらしたなかで、男には生活の糧を得るために家の外で経済活動に従事することが、女には良き妻、賢い母として家庭を安らぎの場とすることが、それぞれ期待されていたのだ。つまり、家庭は激烈な生存競争の場たる職場からの避難所、安らぎと憩いの聖域として位置づけられ、女はそこで生存競争の闘いに傷ついて戻る男を迎え、その傷を癒し、男の魂を清める天使の役割を割りふられていたのである。ということは、男性領域たる職場と女性領域たる家庭が相携えて産業資本に基づく社会の歯車を円滑に回転させていたということであろう。<家庭の天使>とは、端的に言って、イギリス産業資本がその支配権確立の一環として制度化した「理想の女性」にほかならないのである。
 本書が対象とする家庭は、さまざまな例から見ておおよそ中産階級の中流以上と言ってよかろう。女主人は、料理や育児に直接手を下すことを期待されていない。代わりに、指示を与える職務上、家政のすべての面にわたる知識が要求されているのだ。
 まず指摘したいことは、女性の使命が娘・妻・母という三つの性役割においてとらえられていることだ。  次は、女性が男性に劣る存在としてはっきりと規定されていることだ。つまり、女性は、個人的才能はどうであれ、女性という性に属するだけで、問題なく男性に劣る存在なのである。エリス夫人は『イギリスの妻たち』において、「あなたのほうが夫に比してより才能があり、より学識があり、人びとからより高く評価されているかもしれません。ですが、そうしたことは女性としてのあなたの地位となんら関係がないのです。女性の地位は夫の男性としての地位に劣るものであり、かつ劣るものでなければならないのです」と説き、したがって「妻は、夫がどんな愚かなことをしようと、夫を尊敬しなければなりません。妻となったからには、その男より劣った立場になったのですから」と諭し、続く『イギリスの娘たち』においても「女にとってまず重要なことは、男に劣っていること--体力において劣っているのと同じ程度に知力においても劣っていること--を甘んじて受け入れることです」と男女の優劣関係をくり返し強調している。                
  川本静子「清く正しく優しく--手引き書の中の<家庭の天使>像」
   『英国文化の世紀3 女王陛下の時代』(研究社出版、1996年)所収

【性のダブル・スタンダード】
 女性に厳しく、男に甘い性の二重基準のこと。以下の引用参照。

 このことは、言い換えればダブル・スタンダードの程度がはなはだしい社会ほど、一方で強調される女性の貞淑さと男性への従属とのバランスをとるために、もう一方で売春行為とそれを行う女たちを必要とする社会だということになる。そしてヴィクトリア朝のイギリスは、まさしくそうした社会の一つであった。たとえばこの時代、夫婦のうち妻に一度でも不貞行為があった場合、夫はまちがいなく離婚が認められたが、夫が同じような行為をしたという理由で妻からの離婚請求が認められることは滅多になかった。妻は夫から不貞だけでなく、重婚や虐待、遺棄、近親姦、強姦、その他の「離婚理由として十分な」被害をこうむったことを立証しなければならなかったのである。こうした態度の背景には、妻は夫の所有物であるという観念とともに、男の性欲は強くて制御が難しいのに対し、女の場合には「まともな女性」であればそのような欲求は感じるはずはないという考え方が存在していた。
 当時のイギリスにはその一方で、男女ともに厳しい性的モラルを要求し、婚姻外でのすべての性関係をゆるすべからざることとみなす考え方も存在していた。これはピューリタンの伝統とともに、中流階級の勃興とも関係があった。新興ブルジョアジーは、富裕だが淫蕩な上流階級の生活とも、貧しい下層階級の性的無秩序(と彼らが考えたもの)とも異なる高い道徳性やリスペクタビリティを、自分たちの階級的アイデンティティのよりどころとしていたのである。もちろんこれにはつねに、悪名高いヴィクトリア朝風お上品ぶりや、表面だけをとり繕った欺瞞という側面が伴っていたのでもあるが。
   荻野美穂「「堕ちた女たち」--虚構と実像」 、  『英国文化の世紀4 民衆の文化
  誌』 (研究社出版、1996年)所収

【余った女】
 女あまりの時代に結婚できない女はこう呼ばれた。以下引用。

  中産階級女性の有閑生活は、父親から夫への扶養者交代の歯車が順調に回転してこそ可能であり、この歯車の回転がいったん滞れば、たちどころに崩れてしまうことは誰の目にも明らかだろう。事実、19世紀の40年代頃から、この歯車は男女の数のアンバランスによってスムーズに回転しなくなったのである。男女数の不均衡は、本文で触れるとおり、①男女の死亡率の相違、②海外移住に関する両性間の相違、③上流および中流階級男性の晩婚の傾向など、主として三つの原因に由来するが、とにかく、適齢期の女の数に見合うだけの適齢期の男の数が大幅に不足したのだ。その結果、夫を見つけられない女--俗にいう<余った女>--が世紀の半ば以降、大量に出現したのである。
 かつてないほど大量の未婚女性がガヴァネスの職を求めて殺到するとなれば、これまた需要と供給のアンバランスから、労働条件の悪化を招くことは当然の成り行きだろう。19世紀の「女性問題」は、中流階級の女性に関するかぎり、ひとえに困窮したレディの問題に他ならないが、それは事実上「ガヴァネス問題」という形であらわれたのだった。
   川本静子『ガヴァネス』(中公新書、1994年)

【ガヴァネス】
 上流家庭の子供を住み込みで教える女性家庭教師のこと。彼女自身出身は中流の上層か上流であるが、親が財産をなくしたり女性であるがゆえに財産を相続できなかった女性が収入を得る唯一の手段。

 18世紀には娘たちを寄宿学校に入れるのが広く流行したが、寄宿学校では健康についての配慮がほとんどなされず、結核にかかって死ぬ者が少なくなかったという。こうしたことから、裕福な親たちは娘たちを学校にやらず、ガヴァネスをおいて家で教育を受けさせようとした。この時代のガヴァネスは、ヴィクトリア時代とはちがって、敬意をもって扱われたらしい。ガヴァネスに無礼な態度をとることはマナーにかけると見なされていたし、女性作家マライア・エッジワース(1767-1849)も「私の育った頃にはガヴァネスは上級の雇い人としてではなく、レディとして扱われました」と言っている。
  上流階級の家でガヴァネスを雇うことが慣行となったのはチューダー王朝期以降だったが、摂政時代(1811-20)になると裕福な中産階級もガヴァネスを雇うようになった。この頃、女性作家ジェイン・オースティン(1775-1817)の作品『エマ』(1816)に登場するミス・テイラーのように、恵まれたガヴァネスがいたことも確かだが、一般にガヴァネスの扱いに変化がでてくるのはこのあたりかららしい。
 ヴィクトリア時代におけるガヴァネスの定義だが、これはレディ・イーストレイクが有名なエッセイ「『虚栄の市』、『ジェイン・エア』およびガヴァネス互恵協会」(『クォータリー・レヴュー』1848年12月)の中で次のように明確な定義を与えている。

  ガヴァネスの真の定義は、イギリスでは、生まれ、振る舞い、教育の点で私たちと対等であるものの、財産の点で私たちに劣る人のことである。生まれも育ちも、言葉のあらゆる意味において、レディである人を例にとろう。彼女の父親が失職したとしよう。すると、このご婦人は、私たちが子どもたちの教育者として考えている最高の理想像にぴったりというわけだ。ガヴァネスという収穫を刈り取るには、何人かの父親が軽はずみ、浪費、誤り、罪などを犯すことによって種をまいておいてくれる必要があるのだ。このように同胞の不幸によって供給される仕組みになっている雇用労働者は、他に類がない。

  つまり、ガヴァネスとは、一言で言えば、生計の資を得るために教師として働くレディというわけである。
 19世紀中葉以降ガヴァネスの数が増え続けた最大の原因は、女性の数の過剰である。ヴィクトリア時代の女性について少しでも学んだ者は、1851年のセンサスによって明らかになった事実、すなわち、女性の総数が男性のそれに約51万人以上上回ることを知っていよう。
 当時レディにとって恥ずかしくないと見なされた唯一の職業はガヴァネスだったので、自活の必要に迫られたレディたちがきまってガヴァネスの仕事を求めたのは、論理の当然の帰結だったのである。それに加えて、商人や農場経営者の娘たちが社会的上昇の手段としてガヴァネス職を選んだことも、ガヴァネス人口の供給源の一つとなっていた。
   川本静子『ガヴァネス』(中公新書、1994年)

【付録 イギリス歴史・社会・文化用語解説】

■チャーチスト運動(Chartism)
 1838年から58年にかけての労働者階級による議会改革運動。1838年ロンドン労働者協会は、男子普通選挙権、無記名秘密投票、議員への歳費支給、財産による議員資格制限の撤廃、選挙区の均等有権者数制、議会の毎年開会の6項目を掲げて議会改革を呼びかけた。まもなくこの6項目は人民憲章(People's Charter)として公表された。そのためこの運動はチャーチズム、運動参加者はチャーチストと呼ばれた。請願は再三拒否され、結局直接成果は挙げられなかった。この運動は1832年の第一次選挙法改正で参政権を与えられなかった労働者が参政権を求めたものであるが、中産層の支持を得られなかったために収束していった。

■ピータールー虐殺事件(Peterloo Masacre)
 1819年8月16日、マンチェスターのセント・ピーター広場で起こった、官憲による民衆運動弾圧事件。集まった5万人の群集を前に弁士が演説を始めたとき、軽騎兵が抜刀して群集に襲いかかった。11人が死亡、400人以上が重軽傷を負った。

■ラッダイト(Luddites)
 19世紀初め、機会破壊運動を起こした手工業者や労働者たち。彼らは、ナポレオン戦争による困窮の原因を産業革命によって機械が導入され、省力化が進められたことにあると信じ、集団で工場や製造所を襲撃し、機械を破壊した。運動は1811年から翌年にかけ、中部や北部の繊維工場地帯で起こり、広まった。政府は軍隊を投入して厳しく弾圧した。

■ロバート・オーエン(Robert Owen, 1771-1858)
 イギリスの社会主義者、社会改革家。1799年ニューラナークの紡績工場を買い取り、この工場で人道的な工場管理により効果を上げて、世間の注目を浴びた。1825年アメリカに渡り、ニューハーモニー共同社会を建設したが、失敗に終わった。33年には労働組合を結成して全国労働者組合大連合を成立させ、議長になった。しかし、1~2年で瓦解した。晩年は財産も使い果たし心霊主義者になった。

■改正救貧法(Poor Law Amendment Act)
 1834年に制定された救貧法。これにより、院外救済は廃止され、救済対象の貧民はすべて強制的に救貧院に収容して働かせることになった。怠け者への懲罰の意味を含めるため、救貧院の居住条件は最悪とされ、拘置所と大差ないものになった。

■選挙法改正(Reform Act)
◇「第1次選挙法改正」1832年。
 選挙区の合理化と選挙権の拡大が図られた。これまで議員選挙権をもたなかった新興都市に議席が与えられた。新たに富裕層、地方商人、新興工場主など、中産階級の上層、中層部にまで選挙権が拡大した。

◇「第2次選挙法改正」1867年
 この改正で都市の一般市民や工場労働者にまで選挙権が広まった。また第1次改正後も残っていた腐敗選挙区などの統廃合が行われた。

 次回は「プライドと偏見」の原作『高慢と偏見』を取り上げます。

2006年1月20日 (金)

寄せ集め映画短評集 その13

relief 久々の在庫一掃セール。今回は各国映画7連発。

「フォーガットン」(2004年、ジョゼフ・ルーベン監督、アメリカ)
  気をつけて歩いていたつもりだったがまた地雷を踏んでしまった。このところのアメリカ映画がそこそこ出来がよかったので、つい油断してしまった。「シックス・センス」、「サイン」の系統に属するトホホ映画だった。あまりにひどい。こんな出来損ない映画を作る奴らの気が知れない。サスペンス映画に見せかけながら宇宙人を出してくるという荒唐無稽な展開。一切納得のゆく説明がない。何のことはない、でかい音で脅かしたり、ぎょっとする映像でびっくりさせたりしたいだけ、逆に言うと他にとりえがない。全くのクズ映画。誰かこの手の映画に「シックス・センス」印をつけて、観る(あるいは借りる)前にはっきりこれはハズレですと表記することを義務付ける法律を作ってくれないか。
  主演はジュリアン・ムーアだが、彼女の子供を思う母親の演技も上滑りしているだけ。ゲイリー・シニーズの相変わらずの曲者ぶり、「ターミネーター2」のロバート・パトリックを思わせるライナス・ローチなどは健闘しているのだが、ストーリーがこれじゃね。意外なところでは、「ER」のグリーン先生役アンソニー・エドワーズがジュリアン・ムーアの夫役で出ている。しかしぱっとしない役だった。どうも映画ではちょい役ばかりで当たり役がない。

「スイミング・プール」(2003年、フランソワ・オゾン監督、フランス)
  フランソワ・オゾンの作品の中では一番いい出来だと思った。シャーロット・ランプリングの謎めいた表情がいい。彼女はサスペンス小説の作家という設定。最初はただの堅物のように見えたが、彼女が借りたフランスの別荘に家主(出版所の編集者ジョン)の娘が突然現れる。だらしなく、毎晩のように違う男を連れ込む娘に彼女は顔をしかめる。そのうち娘の行動がいちいち気になって覗き見おばさんのようになる。しかしやがてその若い娘を題材に小説を書くことを思いつ く。そこから彼女の表情が変わる。娘と話を交わし、付き合い始める。特に心を引かれたのは娘の母親のことである。
  ある時娘の荷物を引っ掻き回して、母親が書き残したという小説を見つける。どうやらそれを借りて自分の小説に仕立て上げようということらしい。その頃には彼女の顔から表情がなくなっている。覗き見おばさんから冷静な観察者に代わってゆく。このあたりが不気味だ。  娘が、連れ込んだ男を殺したと言ったときも顔色一つ変えない。非難もしないし警察も呼ばない。それどころか娘を手伝って死体を庭に埋めてしまう。どうも彼女が書いている小説が同じようなストーリーになっているらしい。彼女は娘と最初に会った頃に、あんたは言葉に書いても実際は何も出来ないのよとののしられた。その言葉に反発するように、彼女は行動を起こしたのだ。世話してくれる近所の老人が死体を埋めた地面を見て不審に思ったとき、彼女は男に体を与えて気をそらす、あるいは口止めすることさえする。こうして何事もなくときは過ぎ去り小説は仕上がる。娘は別荘から出て行く。
  ところがこの後ある重大な事実が発覚する。そこから謎が生まれる。その謎は最後まで謎のままである。さらにすごいのは、その驚くべき事実に気付いた主人公がこのときもまた顔色を変えないことだ。そのことを知っていたはずはないのだが、ではあの落ち着きようはどういうことだ。これまた謎である。この余韻の残し方がいい。フランス・サスペンス映画の一級品だ。

「ヤンヤン夏の思い出」(2000年、エドワード・ヤン監督、台湾・日本)
  久々の台湾映画。監督はエドワード・ヤン。彼の映画を観るのは恐らくははじめてだが、かなり才能のある監督だと思った。5人家族とその周りの人々を描いた映画で、これといった一筋通ったストーリーがあるわけではない。病気で寝たきりの祖母を除いて家族一人一人とその人間関係が描かれている。誰が主役というわけではないが、特に詳しく描かれているのは一家の主とその娘。主はゲームソフト関係の会社の役員。日本人の太田(イッセー尾形)と契約を結ぶことで傾いている会社を立ち直らせようと懸命になっている。ちょうどその頃かつての恋人と出会う。元の関係を取り戻そうとする彼女に対して、男は終始冷静である。 結局契約は太田のコピーをしている小田という若い女性と交わすことになり、日本にまで行って太田と契約一歩手前まで行った彼の努力は水の泡となる。昔の彼女との逢びきも結局実を結ばなかった。
  彼の娘は隣の部屋の若い女性と仲良くなる。その隣人には恋人がいたが、その若い男は優柔不断な男で、なかなか彼女に声をかけられない。そうこうしている間にその男は主人公の娘の方に気持ちを引かれる。しかしまたもとの彼女と付き合い始め、ついには恋のもつれからその女性を殺してしまう。
 タイトルのヤンヤンはこの一家の息子の名前。彼はそれほど前面に出て描かれることはない。彼の目を通して描かれているわけでもない。どうして彼の名前をタイトルに入れたのか不思議だ。日本で勝手につけたのかもしれない。ヤンヤンはカメラに興味を持ち始め色々撮りまくる。不思議な写真ばかりだ。人間の後頭部ばかり撮ったりしている。いつも年上の女の子にいじめられてばかりいるが、その中の一人に淡い恋心を抱き始める。
  一家の主の妻はまったくの脇役だが、その妻の弟と弟の新妻のエピソードはメインの筋の一つだ。この部分は面白い。映画の冒頭場面で弟たちの結婚の場面が描かれるが、式に彼のもと恋人の女性が乗り込んでくる。花嫁の腹ははちきれそうに膨らんでいる。女は私の彼を奪ったと花嫁をなじる。後に彼ら夫婦が開いた パーティにまたこの元彼女が乗り込んできた時には、新妻が切れまくり元彼女を追い出してしまう。この若妻がなかなかの美人である。全体に美女がうようよ出てきて、それがまた魅力の一つになっている。
  しっちゃかめっちゃかで全体にまとまりはないが、家族の絆は最後には映画が始まったときよりも強まっている。そのあたりに共感を覚える。一家の主人が東京で昔の恋人と過ごす場面はかなり印象的だ。イッセー尾形の奇妙な存在感も忘れがたい。印象的なエピソードがいくつもちりばめられている。独特の語り口だが、それがまた魅力だ。前半多少もたつき感があるのが残念。

「息子のまなざし」(2002年、ダルデンヌ兄弟、ベルギー・フランス)
  「ロゼッタ」のタルデンヌ兄弟の監督だが、独特のタッチがここでは成功していない。普通のビデオカメラで写したような映像がだらだら続く。緊張もストーリーもない。
 大工の親方オリヴィエの下に彼の息子を殺した少年が雇われてくる。オリヴィエを息子のように慕う少年に対し、オリヴィエは複雑な気持ちながら新しい息子を持ったような気持ちになってゆく。これらの事情は最低限説明されているだけだ。映画はただ淡々とオリヴィエの日常の生活と仕事を映してゆく。最後にオリヴィエが少年に向かって、お前が殺したのは俺の息子だと告げるあたりから画面に緊張がみなぎるが、すぐ唐突に終わってしまう。
  「ロゼッタ」はヒロインに観客の関心をひきつけることが出来ていた。だから彼女に共感できた。「息子のまなざし」はオリヴィエの顔をひたすら追うが(彼の顔のクローズアップをlady5多用している)さっぱり彼が何を考えているのか表情から読み取れない。だから彼に共感できない。オリヴィエが少年に息子のことを伝えた後に突然少年が逃げ出し、やっと追いついたオリヴィエは少年の首に一瞬両手をかける。しかしすぐ手を離し、材木を運ぶ仕事に戻る。ここで始めて感情が爆発する。ドラマティックな展開になる。このあたりは確かに力強い映像である。しかしすぐその後唐突に終わってしまう。やはり成功した作品とはいえない。
  では、「ロゼッタ」とはどこが違うのか。どちらも似たようなタッチである。せりふも少なく淡々と主人公の行動を映しているだけだ。ストーリー性の欠如が問題なのか。いや、それなら「ロゼッタ」にもあまりない。たぶん「息子のまなざし」はオリヴィエの表情に多くを語らせようとしているところに問題があるの だろう。しかし彼の表情からはほとんど彼の気持ちが読み取れないのだ。描こうとしているのは主人公の感情である。しかし感情は無表情な顔からは読み取れない。「ロゼッタ」はむしろヒロインの行動に重点があった。彼女の日常の生活自体が意味を持っていたのだ。それは行動を追うことで観客にも伝わる。おそらくここに成功と失敗の分かれ目があったのではないか。

「マグダレンの祈り」(2002年、ピーター・ミュラン監督、英・アイルランド)
  さすがはピーター・ミュラン、見事に暗い映画だ。アイルランドの身持ちの悪い女性ばかりを収容した修道院の話。ぞっとするほどひどい扱いをされている実態を暴いた映画だ。まず、そこに送り込む家族の頭の固さ。韓国映画「シルバー・スタリオン」と同じだ。男にレイプされた娘が汚れたといって修道院に送られる。おいおい、男はどうなったんだ。悪いのは男だろう。見事なまでのダブル・スタンダード。男はお咎めなし。孤児院に入れられていた娘は男と話しただけで男たらしだとされてこの修道院に送られる。他の収容者も似たような事情で送り込まれたのではないかと想像せざるを得ないように描かれている。
  時代ははっきりしないが今より前だ。映画の最後にこのような施設は1990年代の前半ですべてなくなったという字幕が出ている。90年代まであったのかと逆に驚く。修道院の中の扱いもひどい。裸にして一番のデカパイとペチャパイを選んだり、一番(濃い?)陰毛を選んだりと動物並みの扱いだ。一切の自由と楽しみを奪われている。修道院というより監獄だ。似非宗教でしばられているだけにもっとたちが悪いと言える。映画はこの実態をこれでもかとばかり描き出す。確かにひどい実態だし、最後に二人が脱走に成功するが、全体として暗い映画で、もう一度見たいと思わせるものではない。
  最近のイギリス映画にはこの手の気のめいるようなリアリズム映画がいくつもある。ピーター・ミュランが監督ではなく主演をしたケン・ローチの「マイ・ネーム・イズ・ジョー」も見事にお先真っ暗な映画だった。もっとも、日本映画「この世の外へ クラブ進駐軍」に出演した時にはいい味を出しており、さすがにうまい役者だと感心したが。それはともかく、事実を描くにしてももう少し工夫がほしい。

「ブラザーフッド」(2004年、カン・ジェギュ監督、韓国)
  朝鮮戦争を舞台にしたチャン・ドンゴンとウォンビンの兄弟愛を描いた大作だ。突然始まった朝鮮戦争に弟がいきなり徴兵されてしまう。兄は弟を取り戻そうとするが、逆に掴まってしまい彼も戦場に送られる羽目になる。兄は何かにつけて弟をかばう。自分はどうなってもいいから何としても弟を母の元に返そうと必死の努力をする。彼が思いついた方法は戦闘で殊勲をたて勲章をもらい、その見返りに弟を除隊させることであった。しかしあまりに無理をする兄に弟は反発する。ついに兄が無理をしたために戦友を死なせてしまう。弟はついに兄と袂を分かつ。だが母にあてた兄の手紙を読み、その真心にうたれ兄を許す。
  しかし母の様子を見に家に戻ったとき兄のいいなずけが北のスパイとして捕らえられ処刑されそうになる。弟は彼女を助けようとし、そこに兄も加わる。乱闘になって兄のいいなずけは撃たれて死んでしまう。弟は営倉に入れられる。兄は勲章のおかげで営倉入りは免れるが、弟の助命を上官が受け入れない。それどころか営倉を焼き払う命令を出してしまう。弟は危うく脱出して助かっていたのだが、兄は弟が死んだものと思ってしまう。兄は北の軍隊に捕らえられ、やがて北に寝返ったと言ううわさが南に流される。弟は兄を助けに北の軍隊の中に乗り込むが、戦闘が始まってしまい壮絶な戦闘の混乱の中、兄と弟は再び出会う。重傷を負っていた兄は弟を逃がし、自分は踏みとどまり戦死する。
  いかにも韓国らしい濃厚な兄弟愛の物語だ。愛し合いまた反発しあう兄弟の運命に胸が痛む。お得意の戦闘場面はアメリカ並みのすさまじさ。「ロスト・メモリーズ」評に「しかしアメリカ映画の域には達しているが、それを超えてはいない。」と書いたが、この作品はアメリカ映画を超えた数少ない映画である。「アメリカ映画から学びながらもそれを乗り越えるには優れたシナリオが必須である。派手さや切れのいい演出方法だけではなく、しっかりとした人間描写とドラマを描けるようになればこれからもたくさん傑作を生み出せるだろう」というそこでの指摘どおり、兄弟愛というドラマを組み入れることによってただド派手なだけのアメリカのアクション大作を乗り越えた。逆に言うと、アメリカ映画は総じて人間描写が薄っぺらだということだが。反面その粘っこいほどの兄弟愛が日本人には息苦しく感じられもする。最後に狂気に近い状態になるチャン・ドンゴンの描き方は韓国と日本では評価が分かれるかもしれない。

「シルミド」(2003年、カン・ウソク監督、韓国)
  おおよそのストーリーは知っていたが、最後は予想もしない展開だった。訓練兵はシルミ島で抹殺命令を受けた指導兵たちと壮絶な戦いを演じて、そこで全滅するのだと思っていた。しかし先手を取った訓練兵たちは指導兵たちを逆に全滅させ、直訴するために大統領官邸を目指す。バスをのっとり何重ものバリケードを突き破るが最後に大部隊に囲まれる。激しい撃ち合いの後、人質を逃がし手りゅう弾で自爆する。ラジオでは彼らのことを共産主義者のゲリラ部隊と放送していた。バスの中で撃たれた仲間の兵士を囲んで「赤旗の歌(?)」を歌う場面は何とも皮肉だ。
  全体の半分以上は軍事訓練のシーンである。地獄の様な訓練を通じて指導兵と訓練兵の間に人間的関係が作られてゆく。めまぐるしい展開があるわけではないがなぜか時間が長く感じた。退屈なときに感じる時間の長さではなく、ぎっしり中身が詰まっているために感じる時間の長さだ。もうたっぷり90分は観ただろうと思っても実際は60分しかたっていない、そんな感覚だ。新兵を鬼軍曹が訓練で鍛える映画はアメリカによくあるが、アメリカ映画と違うのはその人間関係の濃密さである。おそらく儒教的な考えが人間関係の背後にあるからだろう。それが濃密な感じを与え、ひいては時間が長く感じたのだろう。
  アン・ソンギが演じた人間味ある指揮官が強い印象を残す。指導兵がマンツーマンで訓練兵につけられていることも人間関係を濃密にしている。訓練兵は死刑囚などのならず者ばかりだが、けんかや対立をしながらも共通の目的と同じ厳しい訓練を耐え抜いた仲間意識が連帯感を培ってゆく。激しい戦闘場面は最後に持ってゆき、人間関係や個々の人間像をじっくり描きこんでゆく。「荒野の決闘」と同じストーリー展開だ。この映画が成功したのは、長い間隠されていた歴史の暗部に鋭くメスを入れたという話題性ばかりではなく、この濃密な人間関係を最後までじっくり描いているからだ。彼らを美化しすぎているきらいはあるが、大きな欠点とは言えない。

2006年1月18日 (水)

THE有頂天ホテル

clip-eng32005年 日本(東宝)
製作:亀山千広
監督:三谷幸喜
脚本:三谷幸喜
撮影:山本英夫
美術:種田陽平
音楽:本間勇輔

キャスト
<「ホテルアバンティ」従業員>
ホテルの総支配人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊東四朗
副支配人(宿泊部長) 新堂平吉・・・・・・・・・役所広司
アシスタントマネージャー 矢部登紀子・・・・・戸田恵子
副支配人(料飲部長) 瀬尾高志・・・・・・・・・生瀬勝久
ベルボーイ 只野憲二 ・・・・・・・・・・・・・・・・・香取慎吾
ウェイター 丹下哲平 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・川平慈英
客室係 (議員の元愛人) 竹本ハナ・・・・・・・松たか子
客室係 野間睦子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀内敬子
筆耕係 右近  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オダギリジョー

<「ホテルアバンティ」のお客様>
汚職国会議員 武藤田勝利・・・・・・・・・・・・・佐藤浩市
武藤田の秘書 神保保・・・・・・・・・・・・・・・・・浅野和之
謎のフライトアテンダント 小原なおみ・・・・・・麻生久美子
マン・オブ・ザ・イヤー受賞者 堀田衛・・・・・・角野卓造
堀田衛の妻 (新堂の元妻) 堀田由美・・・・・原田美枝子
演歌歌手 徳川膳武・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西田敏行
徳川の付き人 尾藤・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梶原善
ホテル探偵 蔵人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井正則
大富豪 板東健治 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津川雅彦
板東の息子 板東直正・・・・・・・・・・・・・・・・・近藤芳正
コールガール ヨーコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・篠原涼子

<芸人たち>
芸能プロ社長 赤丸寿一 ・・・・・・・・・・・・・・・唐沢寿明
スパニッシュマジシャン ホセ河内 ・・・・・・・・寺島進
シンガー 桜チェリー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・YOU
腹話術に使うアヒル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アヒル

  日曜日に「THE有頂天ホテル」を観てきた。「ラヂオの時間」「みんなのいえ」に続く三谷幸喜の監督3作目である。うわさに違わぬなかなかの傑作。「運命じゃない人」に匹敵する一分の隙もない練り上げられたストーリー展開が秀逸。23人もの主要登場人物が絡まり、もつれながらも、ラストのカウントダウンに向かって進んでゆくダイナミックな面白さ、演技力があり癖のある俳優を多数そろえた豪華さ、ホテルの1階部分をまるまる造り上げたセットの華麗さ、どれをとっても極上のエンターテイメント作品である。

  2005年の大晦日、新年まであと約2時間あまり。カウントダウン・パーティーの準備で大忙しの「ホテルアバンティ」。そこから映画はリアルタイムで進む。新年のカウントダウン・パーティーの成否はホテルの威信に関わり、これを無事終えることが副支配人の新堂平吉に課せられた責務である。しかし、次から次へと思わぬハプニングが起き、新堂たちはてんてこ舞い。なぜだか頼りの総支配人は行方知れず、どころか足を引っ張る始末。ホテル内には神出鬼没のコールガールとアヒルがうろつき、宿泊客はいずれも訳ありの落ち着かない人たちばかり。新堂自身も偶然出会った元妻に見栄から思わず嘘を言ってしまい窮地に陥る。

  とまあ、コメディのテクニックを惜しみなく駆使しつつ、混乱の極みからクライマックスとなる最後のカウントダウン・パーティーへとよどみなく展開させてゆく演出の冴えはさすが。舞台がホテルというのは偶然ではないだろう。多数の人が行き交い、様々な人生が交錯する場所を舞台とした群像劇、いわゆる「グランド・ホテル形式」の映画。ホテルのスイートルームに「グランド・ホテル」のキャストの名前をつけていることからもこの形式を意識していたことが分かる。しかし「グランド・ホテル形式」という用語を聞くのは久しぶりだ。昔はよく使ったのだが、いつごろから使わなくなったのか。より複雑で複線化した「ショート・カッツ」building003_sや「パルプ・フィクション」タイプの映画が増えたために、「グランド・ホテル形式」という表現が合わなくなってきたせいだろうか。「THE有頂天ホテル」も「グランド・ホテル形式」というより「パルプ・フィクション」タイプの映画だ。

  ホテルを舞台にしたのは成功である。互いに知らないたくさんの人たちが出入りし集結する場所、同時にいろいろなことが進行している場所、華やかな表側と様々な思惑や秘密にまみれた裏側が同時に存在する場所、迷路の様な複雑な造り、まさにホテルは群像劇に適した場所なのである。

  三谷幸喜はさらにもう幾つか工夫を重ねている。新年のカウントダウンという年に一度のホテルの威信をかけたイベントが控えていて失敗は許されない。タイムリミットが設定された時限ドラマにしているのだ。さらに新聞記者を導入することによりホテルは脱出困難な閉じられた空間になる。これは最後に武藤田国会議員がホテルを脱出する場面で生きてくる。これらの設定が功を奏している。準備をあせるホテル関係者と遠慮なく発生するハプニング、関係者は対応に追われ準備は遅れるばかり。そうしている間に時間は迫り・・・。三谷幸喜のコメディのツボを知り尽くした演出が冴え渡る。

  最初のハプニングは垂れ幕。「謹賀新年」の字が「謹賀信念」に。あわてて筆耕係に新しいのを作らせる。しかし彼は大きな字など書いたことがない・・・。その後はもうハプニングの嵐。ホテルの品位を落とすコールガールの侵入、アヒルが逃げ出し、総支配人は顔にドーランを塗ったまま逃げ回る、マン・オブ・ザ・イヤーの受賞者はコールガールに付きまとわれ逃げ回る、副支配人の新堂も別れた妻と出会って思わず嘘を言ってしまう、その上にstag をstageと読み間違えてますます混乱を招く結果に・・・。

  何しろ主な登場人物だけでも23人も登場し、それがまたそれぞれにかなりの比重を与えられているのだから、まさに大混乱である。しかもそれがリアルタイムで展開されており、各登場人物がいろんなところで接触し、すれ違い、交錯し、その上思わぬ出会いまであったりと、先が読めないようになっている。コメディにはもってこいのシチュエーションである。それでいて観客がついてゆけなくなるほど複雑ではない。恐らく長回しを多用したことがうまくシチュエーションの理解を助けているのだろう。めまぐるしくシーンが切り替えられたのでは観ている方は混乱する。よく考え抜かれている。混乱の渦巻きの中心に、副支配人新堂平吉を演じる役所広司を置いたことも正解だった。

  笑いのつぼも押さえまくっている。伏線の張り方、小道具の使い方が絶妙だ。9つのエピソードが同時に進行するのだが、それぞれに色調を変えている。松たか子・津川雅彦・近藤芳正が中心のエピソードでは「取り違え」のテクニックが取り入れられている。角野卓造・篠原涼子のエピソードでは携帯が小道具としてうまく使われている。クネクネダンスの使い方は憎いくらいうまい。香取慎吾・麻生久美子・堀内敬子・川平慈英のエピソードでは「二役」のトリックが見事に決まっている。伏線の張り方もうまい。役所広司・原田美枝子・戸田恵子のエピソードでは嘘から出た思い込みのひとり芝居の世界に突入。

  伊東四朗・角野卓造・YOUの逃走3人組はチャップリンよろしくドタバタ調に。ここでは「てんぷくトリオ」時代に鳴らした伊東四朗のお笑い芸が満喫できる。ドーラン塗って逃げ回る伊東四朗はまさにバカ殿のノリだ。名人角野卓造の慌てふためきぶりも見もの。唐沢寿明・寺島進・YOU・石井正則の芸能グループでは何と言ってもアヒルが小道具(?)として大活躍。このアヒルは24人目の主要登場人物といってもいい(上のキャスト一覧の中に入れておいた)。オダギリジョー・役所広司の挿話では前述の垂れ幕が小道具として使われている上に、融通の利かないオダギリジョーのキャラクターが笑いを生む。

  西田敏行・梶原善・香取慎吾のエピソードでは自殺願望の演歌歌手という奇抜な設定を設け、あえてベタな芝居をさせて、有名人の意外な裏面を覗かせる。一転して、佐藤浩市・篠原涼子・浅野和之・松たか子グループではシリアス調になり、松たか子が熱く語ったりする。とまあ、こんな次第で、才人三谷幸喜は知り尽くしたコメディのテクニックを総動員して、笑いガス弾を撃って撃って撃ちまくる。観客はあえなくノックアウトである。

  混乱は一時はどうなることかと思うほどだが、12時のカウントダウンまでにはすべてうまく収まるところに収まる。嵐が去って、めでたく新年をみんなで迎える。めでたしめでたし。シェイクスピアじゃないが「終わりよければすべてよし」とあいなります。これだけでも十分腹応えがあるのに、さらに様々な愛のエピソードが絡まり、この映画のために建てられた豪華なホテルのセットを堪能できるおまけ付き。あそうそう、忘れてはいけない。新年を祝うパーティーでYOUが歌を披露してくれます。売れない歌手という設定ですから歌はうまいわけですが、彼女自身元は「フェアチャイルド」というバンドのボーカルだった。当時のジャケット写真は実にかわいかった。

  もうひとり最後に特記しておきたいのは篠原涼子。最近の彼女の活躍は目覚しい。そういえば彼女も歌手だが、女優としての方が才能はあると感じた。このコールガール役も実に似合っている。もっと出演作が増えればいい女優になるでしょう。

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2006年1月15日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日

kael2w2005年 日本
監督:山崎貴
脚本:山崎貴
原作:西岸良平 『三丁目の夕日』
出演:吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、三浦友和
    もたいまさこ、薬師丸ひろ子、 須賀健太、小清水一揮
    マギー、温水洋一、小日向文世、木村祐一
    ピエール瀧 、神戸浩、飯田基祐、麻木久仁子
    奥貫薫、石丸謙二郎、松尾貴史

  昭和33年、東京タワーが完成した年。僕は4歳だった。小学生の低学年くらいの時に東京の叔母に連れられて東京タワーを見に行った覚えがある。そういう世代にとってはとにかく懐かしさを感じる映画だ。冒頭に出てくる竹ヒゴ飛行機が屋根の上を飛ぶシーン。あの飛行機を見たとき懐かしさのあまり思わず声を出しそうになった。当時の男の子はみんなあれを作って飛ばしていた。竹ヒゴを火であぶって曲げて羽の先端の曲がったところを作るのが難しかった。ただあんな街中で飛ばすことはない。屋根の上に乗ってしまって取れなくなるからだ。みんな原っぱ(昔はあちこちに原っぱがあった)や小学校の校庭で飛ばしていた。あんなごみごみした街中で飛ばすのは、その後の空からのショットにつなげるための映画的演出のためである。

  それはともかく、三輪のミゼット、氷で冷やす冷蔵庫(電気冷蔵庫がはじめて来たとき家族が代わるがわる冷蔵庫に頭を突っ込むところが可笑しい)、駄菓子屋(当時は籤の「ハズレ」を「スカ」と言っていた、カスをひっくり返したものではないか)、都電、地方からの集団就職(金の卵と言われてもてはやされていたが、実際はこき使われていたのだろう)、フラフープ(「だっこちゃん」ブームもこの頃じゃなかったっけ?)、野球盤、納豆売り、蛇腹の洗濯板、蒸気機関車、湯たんぽ。何と言っても昔の上野駅前の映像は感涙もの。東京に行くにはいつも常磐線を利用していたから昔の上野駅は懐かしい。映画には出てこなかったが、昔の洗濯機は回転させて脱水するという機能がまだなかったのでローラーで絞っていた。2本のローラーの間に洗濯物を挟んで、取っ手でローラーを回転させて絞るのである。反対側からスルメの様にぺったらになった洗濯物が出てくるのが見ていて面白かった。

  物ばかりではない。アッカンベーをする子供。確かに最近見ない。近所のテレビのない人たちがテレビを見に来る様子はなんとも懐かしい。実家にも物心ついたときにはテレビがあったから、プロレスが始まる時間になると近所の人たちが集まってきたものだ。それから、電話のない家も珍しくなく、隣の豆腐屋のおばちゃん家に電話が来るとよく呼びにやらされたものだ(隣は電話がないのでうちにかけてくる)。なお、三種の神器も時代によって当然中身が変わってくる。テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器といわれていたのは50年代である。60年代の高度成長期にはカラーテレビ、クーラー、カーの3Cとなる。最近ではデジカメ、DVDレコーダー、薄型テレビがそう呼ばれるそうである(「ウィキペディア(Wikipedia)」より)。

  とにかく駄菓子屋の商品ひとつとってもどれも懐かしいものばかりだ。しかしよく考えてみるとこの懐かしさはどうも作られた懐かしさなのだ。実際、昔の日本映画を観ても(VFXではない本物が映っているにもかかわらず)これほど懐かしさを感じない。なぜならそこに映っているものは皆現役であって、少しも懐かしいものではないからである。これ見よがしに懐かしいでしょうと映しているのではなく、自然に映画の中に溶け込んでいる。それらを見せるこc_aki01bとに主眼があるわけではないからだ。翻って見れば、「ALWAYS三丁目の夕日」は当時を懐かしむ時に思い出される典型的なものを総動員したという感じなのだ。よく思い出はセピア色だと言うが、実際はそんなことはない。昔だってちゃんと色はある。昔の写真や映画が白黒である事からの連想である。セピア色の人工的な懐かしさ。まるで博物館だとブログで指摘している人もいたが、確かにその通りである。

  VFXの技術に長けた人が昔の風物を撮るとこうなるのか?まあ、それ自体は別に問題ではない。問題は肝心のストーリーが懐かしさを強調するあまりやせてしまっていないかという点である。懐かしさを感じさせることもこの映画の「売り」の一つなのだから。VFX映像は実によく出来ていて一部に不自然さがあったけれども(都電の窓からの眺めが動きとやや合っていない)、ほとんど作り物という感じは抱かせない。

  この映画に懐かしさを感じるのは風物ばかりではない。人間関係の描き方はかつての日本映画が得意とした人情喜劇路線を踏襲している。懐かしい古い日本映画のタッチ、かつての日本映画はこうした庶民の哀歓を綴った人情喜劇が得意だったのである。人情物大好きの僕としては大歓迎である。もちろんこのタッチは原作の持ち味である。原作の漫画は30年も連載しているそうだが、あまり読んだことはなかった。人物の目が横長のまるでカプセルの様な形をしているのが特徴で、ストーリーはほのぼのタッチ。決して嫌いなタイプの漫画ではないのだが、なぜかじっくり読んだことはなかった。映画化をきっかけに原作を買ってきたが、暇な時にじっくり読んでみたい。

  映画のストーリーはこれといって一貫した筋はない。東京タワーが建設中の東京下町の夕日町三丁目が舞台。自動車修理工場「鈴木オート」に青森から集団就職で星野六子(堀北真希)がやってくる。上野駅まで出迎えてもらってさぞや大きな工場だろうと期待が膨らむが、行ってみたら家と工場が一体の小さな町工場(「こうば」と読まないと感じが出ない)だった。社長(堤真一)自身が運転する出迎えの車も三輪のミゼット。このように冒頭からコメディ調で笑わせる。向かいの駄菓子屋「茶川商店」の店主茶川竜之介(吉岡秀隆)は東大卒で、本業は売れない小説家。彼は行きつけの飲み屋の女将ヒロミ(小雪)に色仕掛けで迫られ、彼女の元に来た身寄りのない少年古行淳之介(須賀健太)を引き取るハメになる。茶川竜之介や古行淳之介というパロディ調のネーミングが全体のコメディ仕立てに合っている。

  中心人物はこの鈴木オートの家族と茶川竜之介・古行淳之介コンビである。これに医者の宅間先生(三浦友和)やたばこ屋兼暴走自転車ライダーのおばちゃん(もたいまさこ)などの多彩な近所の人たちが絡む。鈴木オートの息子の一平(小清水一揮)が宅間先生を「悪魔先生」と呼んで、「悪魔は嫌いだぁ~」と叫んで怖がるところが笑える。

  役者がみんな良い。堤真一演じる頑固オヤジが実に面白い。リンゴほっぺで東北弁を話す堀北真希がかわいい(昔の田舎の子供はみんな赤いほっぺをしていた)。そうそう、鈴木オートの「社長夫人」を忘れちゃならない。薬師丸ひろ子が椎名誠風に言えば「正しい日本のおかあちゃん」をしっかりと演じている。唯一心配だったのは吉岡秀隆。「寅さん」シリーズの満男役、「北の国から」の純役など子役の時はよかったのだが、いつまでも子供の様な甲高い声で大人の役者になりきれていない不安があった。「半落ち」の副裁判官役などは全く役柄の重々しさが出ていなかった。しかし茶川役は何とか無難に乗り切っていた。これまでやったことがない役柄だろう。ただし、ぼさぼさ髪にメガネという扮装がだいぶ助けているようで、まだ演技や台詞回しは拙い感じがする。

 売れないながらもいつかは賞をとって純文学作家になるんだと夢見る茶川(当時売り出し中の慎太郎だの健三郎だのを酔うとコケにする)、いつかは世界に打って出る自動車会社にするんだと誓う鈴木オートのオヤジ、明日を夢見るパワーがあった時代。まさに「プロジェクトX」の世代だ。彼らのパワーと創造力と技術が高度成長時代を到来させたのだが、しかし一方で公害を撒き散らし無駄な構造物をやたらと作った。

 「ALWAYS三丁目の夕日」は人情物の常として否定的な面は切り捨て「古きよき時代」をノスタルジックに描き出す。それはそれでいい。わずか2時間で人生や社会のすべてを描き切ることなど出来はしない。その一面を切り取ってくるしかない。いろんな切り取り方familyをした作品があっていい。人情物である本作は今では薄れてしまったものに焦点を当てる。物のない暮らしの中で人々が慎ましく生き、少ないものを互いに分け合い、子供がいたずらをすれば大人が本気で叱り、「本日休診」のように医は仁術を実践する医者がおり、「警察日記」のように貧しさゆえのちょっとした犯罪などは見逃してやる警官がいた。人情味のある生活がそこにあった。

  茶川は淳之介に「お前とは縁もゆかりもないんだからな」と言いながら、淳之介が遅くまで家に帰ってこないときには本気で心配した。薬師丸ひろ子が「本当のお父さんになったね」と言ったくらいだ。淳之介の帰りが遅くなったのは母親を探すために一平と高円寺まで都電で行っていたからだが、これなどは人情物の常道だ。

  全体にエピソードを寄せ集めたような作りなのは原作が続き物ではなく毎回読みきりの漫画だから。恐らく映画に盛り込む題材を探している時に、これもいいこれもいいと感動的なエピソードをどんどん盛り込んでいったのだろう。泣かせどころは普通1、2箇所なのだが、全編、特に後半はこれ泣かせどころのオンパレード。一平のセーターの肘に母親が忍ばせたお守り、茶川がヒロミに「指輪」をはめるシーン、六ちゃんがお母さんの手紙を読むシーン、裕福な実の父親に引き取られることになるが振り切ってまた茶川の元へ戻ってくる淳之介、六ちゃんと淳之介に生まれて初めてのクリスマスプレゼントを贈る場面、これでもかとばかり「催涙弾」を後から後から放つ。

 人情物に弱い僕はかなり泣かされたが、後で冷静になって考えてみると、これでもかと感動的なエピソードを積み重ねて観客の涙を搾り取る演出はかなりえぐい。だから、さりげなく挿入された宅間先生の家族のエピソードが却って印象深いのである。大人たちの演技は皆大げさである。恐らく大げさな演技を要求するのは演出する側に「照れ」があるからだ。子供たちが一番自然な演技をしていた。小料理屋の女将ヒロミも、演じる小雪が輝くばかりに美しく、とても水商売で生きてきた女には見えない。子どもたちが青っ洟を垂らしていないあたりは確かに美化されている。作った過去、作られた懐かしさなので多少の無理はある。六ちゃんが古くなったシュークリームを食べて食中毒になったエピソードでは、シュークリームをはじめて見たので期限が切れていても捨てられなかったという貧しさへの言及が出てくるが、総じて懐かしい過去というユートピアを演出する方向に向かう。だからこれはある意味でファンタジーなのである。そう割り切って観た方がいいだろう。

  山田洋次監督だったらノスタルジー一辺倒に偏るのではなく、もっと現実の様々な面を描きこんでいただろう。あるいは、子供たちを主人公にして大人たちを脇役にしていればもっと自然な懐かしさを作れたかもしれない。ストレートな映画だから当然不満も出てくるだろう。それでも、まだ家族が家族らしかった時代、物不足を人情が補っていた時代の陽だまりのような温かさ、このほのぼのした持ち味は素直に受け入れたい。

  ストーリーの進展につれて建造中の東京タワーが徐々に出来上がっていき、ラストでは完成している。「50年後も夕日は美しい」というメッセージとともに映画は終わる。僕らは今その50年後にいる。その50年の間にわれわれはどんな道のりを歩んできたのか。それを考えるのは映画を観ている側の課題である。

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2006年1月14日 (土)

最近上田でもいい日本映画が観られるようになった

st  どうしたわけか、最近急に上田でもいい映画が観られるようになった。それもなぜか日本映画ばかりだ。昨年の12月に「メゾン・ド・ヒミコ」を観たのが最初。今年に入って先週「運命じゃない人」を観た。今日は「ALWAYS三丁目の夕日」を観てきた。明日は「THE有頂天ホテル」を観に行く予定。その後も「博士の愛した数式」(これは上田でもロケをした)と「県庁の星」が控えている。日本映画のレベルが上がってきたことの現われだろうと思う。ただこの調子で今後もいい映画が続くかはまだ分からない。いずれにしても今年はもっと映画館で映画を観ようと思っている。

  「ALWAYS三丁目の夕日」は予想以上によかった。後半はもう涙が乾く暇がなかった。このところコメディタッチの映画ばかり作っていた日本映画だが、これは伝統的な日本映画の味わい、「警察日記」や「本日休診」、あるいは小津の長屋物などに通じる庶民の哀歓を綴った人情喜劇である。アメリカ映画の様なアクション大作やミュージカルを作れない日本では、こういう映画が得意だった。戦後間もない東京の風景を再現した映像も素晴らしい。懐かしい風景だった。レビューを書くのが楽しい作業になりそうだ。

  それにしても、雨天とはいえ土曜日なのに観客は20人程度。小さな映画館なのにがらがらである。上田では普通の入りだが、いい映画なのだからもっと多くの人に観てほしい。ただ、子供が三人観ていたが、途中そわそわしたりしていなかったので夢中で観ていたようだ。年配の人だけではなく子供たちも観て楽しめる映画のようだ。なんだか自分のことのようにうれしい。

 一方洋画の方は観たい映画がさっぱりこない。「ナルニア国物語」が来る予定だが、出気が気になる。VFXが発達した今日、かつては映画化が困難だったファンタジーがスクリーン上で表現可能になった。「ロード・オブ・ザ・リング」を観れば、もう大概のものは映画化が可能だという気になる。そうなると「ナルニア国物語」にとどまらず、ファンタジー王国イギリスが生み出した膨大な数のファンタジー小説が次々に映画化される可能性がでてくる。これは児童文学大好きの僕としては楽しみである。

2006年1月13日 (金)

コーラス

2004年 フランス cut-window3
原題:choristes
監督:クリストフ・バラティエ
脚本:クリストフ・バラティエ 、フィリップ・ロペス=キュルヴァル
撮影:ドミニク・ジャンティル、カルロ・ヴァリーニ
音楽:ブリュノ・クーレ 、クリストフ・バラティエ
出演:ジェラール・ジュニョ 、フランソワ・ベルレアン
    ジャン=バティスト・モニエ ジャック・ペラン
       マリー・ビュネル、カド・メラッド、マクサンス・ペラン

  問題児を更正させる寄宿学校「池の底」に舎監兼教師として一人の中年男がやってくる。その学校の生徒は問題児ばかりで、校長は高圧的に締め付けることで問題児を押さえつけようとしていた。校長の口癖は「やられたらやり返せ」。その子供たちを新しい舎監クレマン・マチューは合唱を教えることで立ち直らせてゆく。

  絵に描いたようにストレートな映画である。しかし出来は悪くない。ラストは感動すら覚える。この種の映画はややもするととんでもなく説教臭くなりがちだが、マチューは生徒にあまり説教はたれない。彼と生徒たちとのかかわりは勉強よりも合唱の練習をしている時の方が多く、そこでは実際的な指導をしているからだ。むしろ校長の方針に逆らったり、臆せずに面と向かって意見を言っている姿の方が印象的だ。だから自然に彼に対して共感を持つようになるのである。この辺の描き方がうまい。

  「コーラス」はイギリス映画「ブラス!」のように全国大会で優勝するというクライマックスを設けるというドラマティックな展開もなく、アメリカ映画の「天使にラブソングを」の様な躍動感や痛快さがないにもかかわらず、観客をひきつけて止まない。その演出力は称賛に値する。いかにもフランス映画らしく淡々と、かつコミカルに描かれてゆく。ハリウッド映画の様な「さあ感動してください」と言わんばかりのこれ見よがしの演出になることを恐らく意識的に避けている。

  ではこの映画の魅力はどこにあるのか。誰もが指摘するこの映画の魅力はコーラスの美しさ、とりわけピエール役ジャン=バティスト・モニエの声の素晴らしさである。マコーレー・カルキンとウィレム・デフォーをあわせたような顔の少年だ。“天使の歌声”と絶賛されているが、確かに素晴らしい。しかしこの映画の魅力はそれだけではない。

  少年たちが変化してゆく様子を説得的に描くためには、少年たちの心をひきつけるほどコーラスがすばらしいことを描かなければなければならないが、その前提としてまず彼らがいかにそれまで荒れていて、彼らが収容されていた施設がいかに少年たちの教育の場としてはふさわしくないかを描いていなければならない。学校の抑圧的な雰囲気はよく描かれている。マチュ-が始めて「池の底」にやってきた時、門の鉄柵にしがみつくように立っている小さな男の子に気付く。用務員が出てきて門を開けてくれるのだが、用務員からその子がペピノという名前で、土曜日に父親が迎えに来てくれると信じていていると聞かされる(実際には両親は既に亡くなっている)。この導入部分は秀逸だ。収容されている子供たちに不幸な影が付きまとっている印象がうまく伝えられている。

  キャメラは「池の底」の中に入ってゆくが、学校の構内は全体に暗くくすんだ色調で映されている。薄ら寒い学校の雰囲気がよく出ている。用務員がマチューを案内している時に生徒のいたずらで顔に大怪我を負ってしまう。初日でいきなりこれだ。しかも紹介された校長は見るからに厳格そうな男である。マチューならずとも先を思いやられ、不安がよぎる。マチューの前の舎監が去ってゆくときに、マチューに言い残す言葉も不安を増幅する。彼は最後に、とりわけピエール・モランジュ(ジャン=バティスト・モニエ)に気をつけろと言い残してゆく。学校一の問題児で、天使の顔をした悪魔だと。

  その後の最初の授業でマチューはさっそく子供たちのいたずらの洗礼を受ける。しかし正直それほどひどい生徒たちだとは思えない。この点は正直少し物足りないと感じた。今の日本の小学校と大して変わらないという印象だ。なにより学校一の問題児と言われるピエール・モランジュがそれほど悪がきには見えない。子供たちは別に暴力的なわけではないし、人間不信一歩手前というほどすさんでいるわけではない。ただ騒いだりたわいのないいたずらをしたりして教師の制止をきかないという程度である。これはドラマとしては緊張感に欠けるように思える。ただ、忘れてならないことは、「池の底」が(ひどい名前をつけたものだが)いわゆる札付きの不良ばかりを集めた少年院の様なところではないということだ。最初に出会ったペピノの様な不幸な境遇の子供たちが集まっているのである。教師の言うことを聞かないのは、ただ強圧的に押さえつけようとする教師の側(特に校長)にも問題がある。ピエールだって根っからの不良ではなく、母親への複雑な思いが彼をかたくなにさせている面がある。

  そこにマチューがコーラスを通じて子供たちを変えてゆける根拠がある。要するに子供たちは(ありきたりで面映い言い方だが)愛や優しさに飢えていたのである。もっとも、それにしても子供たちがあっさり変わり過ぎるきらいはある。確かにそのあたりには多少不満をおぼえる。しかしそれはこのようなストレートな映画にはつき物のちょっとした欠点に過ぎない。大きな破綻ではない。

  子供たちの変化を説得力あるものにするためには、マチューを魅力的に描かねばならない。「コーラス」はその点で成功していると言える。この映画の一番の魅力は何よりマチューという人物像の魅力なのである。マチューを演じているのは「バティニョールおじさん」のジェラール・ジュニョ。ちびでデブではげ頭。三拍子そろったさえない男である。当然よくある熱血型の教師ではない。懇々と諭すようなタイプでもない。むしろ無愛想で素っ気ないところSD-metro02がある。生徒一人ひとりに歌わせてテナーやアルトなどに振り分けるところなどは、それこそ取れた野菜を大きさや形でより分けるような機械的とも思える対応だ。そんなところに気を使わない。日本だと無理に褒めたり、励ましたりするところだ。日本の学校ドラマの様なベターっとしたところがないことが却っていい。問題児のピエールに対してはあえて突き放したりもする。叱る時は叱る。しかし決して校長の様に体罰は与えないし、怒鳴りつけたりもしない。優しい性格なのだが、甘やかすことはせず、過度な優しさも示さない。だが、ちょっとしたいたずら程度は笑って済ます。この距離の取り方が絶妙なのだ。「心温まる人間ドラマ」にありがちな甘さは意外なほどない。

  やがて彼は他の教師とは違うことが生徒たちにも理解され始める。最初はいやいや、あるいは面白半分にやっていたコーラスの練習にも楽しさを感じ始める。生徒ばかりではない。熱心にコーラスの指導をし、校長の教育方針に一応はしたがいながらも、生徒にコーラスを教える権利は校長とやり合ってでも守り抜く彼の姿に、他の教員たちも変わり始める。ダサい外見にもかかわらず、彼には強い信念があり正義感がある。校長に「コーラス」を禁じられた時、マチューは子供たちとこっそり隠れて練習をした。彼はそれを「レジスタンス」だと言った。この言葉に彼の信念を感じる。しかし、一人ではやれることに限界がある。生徒たちや他の教員などが協力してくれたからこそやりぬけたのだ。例の怪我をした用務員も実は心優しい男だった。

  このマチューの人間臭いキャラクターが映画を支えていると言っていい。彼のどこかとぼけた、飄々としたキャラクターが、アメリカ映画の様なかっこいい教師像あるいは「型どおりの」型破りな教師像や、日本の説教臭くべたつくような教師像とはまた違う、いかにもフランス的な教師像を作り上げている。ピエールの母親ヴィオレット(マリー・ビュネル)がなかなかの美人で、彼女がピエールに面会に来るとあわてておしゃれをして、体にオーデコロンをつけて飛んでゆくあたりは滑稽さすら混じる。はては勝手に彼女に思われていると誤解してしまうあたりも、決してやりすぎという感じがしない。それは彼が完璧な人間ではなく、意外に単純でドジなところもある人間として描かれているからである。

 「コーラス」は基本的に予定調和に向かって進んでゆくタイプの映画である。しかしそう単純でもない。途中モンダンというとんでもない悪がき(「トレインスポッティング」のユアン・マクレガーをもっとごつくしたような顔だ)が「池の底」に送られてくる。結局手におえず少年院に入れられるのだが、マチューもこの札付きの不良だけは更正させられなかった。モンダンは学校に火をつけて、ふてぶてしい笑いを浮かべてどこかに去って行くのである。アメリカ映画だとこんなどうしようなない奴も最後には改心するのだが、教師の真心や歌(コーラス)の力はどんなワルも変えられるなどという甘い幻想を振りまかない。そういう観点を貫いているところに好感が持てた。校長も途中で変わりかけるが、結局は学校が火事になったことの責任をとらせてマチューを首にしてしまう。最後まで自分の出世と保身しか考えていない男なのである。すべてが都合よくあっさり変わってしまったりはしないのである。にもかかわらず、去ってゆくマチューは生徒たちに忘れがたい思い出と歌う喜びを与えた。

  詳しくは書かないが、ラスト近くで紙飛行機が飛んでくるシーンは感動的である。しかしその後に続くラストシーンも忘れがたい。バスに乗り込もうとするマチューにペピノが一緒に乗せて行ってと頼む。一旦は断りバスは発車するが、少し走ってまた止まりペピノを乗せる。「ペピノが正しかった。マチューと旅立ったのは土曜日だった」とナレーションが入る。その日こそペピノが待ち望んでいた土曜日だったのである。

  ペピノ役のマクサンス・ペランが実にかわいい。この子はジャック・ペランの実の息子である。そして監督をしているのが甥のクリストフ・バラティエ。これが長編デビュー作である。ジャック・ペラン自身も大人になったピエール・モランジュ役として出演し、製作もしている。ジャック・ペランはヴァレリオ・ズルリーニ監督の名作「鞄を持った女」と「家族日誌」、ジャック・ドゥミ監督の「ロシュフォールの恋人たち」と「ロバと女王」で知られる俳優だが、若い頃は線が細いやさ男という記憶しかない。ただし一方で社会派のコスタ・ガブラス監督の「Z」と「戒厳令」を製作するなどの面も持っていた。その後ずっと忘れさられていたが、89年の「ニューシネマ・パラダイス」のサルヴァトーレ役で再び知られるようになった。ジャック・ペランの名前を見たときは正直まだ現役でやっていたのかと思ったものだ(失礼)。その後はむしろ製作者として「リュミエールの子供たち」、「ミクロコスモス」、「キャラバン」(ネパール映画の傑作!)、「WATARIDORI」そして「コーラス」と次々に傑作を物してきた。「鞄を持った女」(61)が白黒映画だったせいかずいぶん昔の人という印象があるのだが、41年生まれだからまだ65歳。まだまだこれから活躍しそうだ。

2006年1月12日 (木)

マイ・ベスト・レビュー

  自分なりに比較的よく書けたと思うレビューを選んでみました。レストランで言えば「当店のおすすめメニュー」といったところでしょうか。数が増えてきたら順次入れ替えて行きます。以下が現在のベストです。

アメリカ、家族のいる風景
アマンドラ! 希望の歌
いつか読書する日
ウェディング・バンケット

ヴェラ・ドレイク
浮雲
宇宙戦争
エディット・ピアフ 愛の賛歌

延安の娘
王の男
オリバー・ツイスト
風の前奏曲
紙屋悦子の青春
亀も空を飛ぶ
キムチを売る女
嫌われ松子の一生
グエムル 漢江の怪物
ククーシュカ ラップランドの妖精
孔雀 我が家の風景
グッドナイト&グッドラック
クラッシュ
ココシリ
心の香り
この素晴らしき世界
コープス・ブライド
サマリア
サン・ジャックへの道
シンデレラマン
酔画仙
スタンドアップ
スティーヴィー
ストレイト・ストーリー
スパングリッシュ
ズール戦争
世界最速のインディアン
大統領の理髪師
旅するジーンズと16歳の夏
父と暮らせば
長江哀歌
Dearフランキー

天空の草原のナンサ
ドレスデン 運命の日
トンマッコルへようこそ
遥かなるクルディスタン
春夏秋冬そして春
パンズ・ラビリンス
ヒトラー 最期の12日間
ビューティフル・ピープル
Vフォー・ヴェンデッタ
芙蓉鎮
古井戸
ベルヴィル・ランデブー
ホテル・ルワンダ
ボルベール<帰郷>
マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ
マラソン
ミニミニ大作戦
ミリオン・ダラー・ベイビー
麦の穂をゆらす風
約束の旅路
やさしくキスをして

柳川掘割物語
山猫
Uボート
酔いどれ天使
ライフ・イズ・ミラクル
ロード・オブ・ウォー

2006年1月10日 (火)

ブログを見ていただいたみなさんに感謝

ivy-5   おかげさまで1月9日にアクセス数が10000を超えました。訪問していただいた方々に感謝いたします。サイドバーの「ココログ」のロゴの下に書いてあるように、ブログを開設したのは2005年8月27日でした。あれから約4ヶ月と10日ほどで大台に乗りました。一方、本館のホームページはブログよりも2ヶ月以上早い2005年の6月5日に開設したのですが、今年の1月6日にやっと2000を超えるという超スローペースです。

  これを見てもブログがいかに有利か分かります。まあ、ほぼ同じ記事を載せているのですからどちらを見てもらってもいいのですが、やはり「長男」の方がかわいいという気持ちもあります。ブログを開設したばかりの頃は1日に30もアクセスがあれば喜んでいました。HPは1日に10を超えるのがやっとでしたから。最近は1日にブログへのアクセスが100を超えることも珍しくなくなりました。HPの方はリストなどの資料を置くアーカイブという位置づけにしています。ブログは記事の横幅が狭いのでリストを挙げると2行に分かれることがあって見苦しいからです。それとブログとの差異化を図るという意味もあります。

 この4ヶ月の間にコメントやトラックバックを通じて何人もの方とコミュニケートすることが出来ました。また、それらを通じてたくさんの素晴らしいブログと出会えました。サイドバーの「お気に入りブログ」は表示できるブログ数に制限があるため、全部載せられないのが残念です。それらのコメントやブログを通じていろいろなことを教えられました。ありがとうございます。

 自己紹介代わりの連載「あの頃名画座があった(改訂版)」もぎりぎり昨年中に終わりました。自分で振り返ってみて10代、20代の頃と基本的な姿勢は変わっていないと再認識しました。作品の好みもほとんど変わっていないと思います。逆に言うと、高校生の頃から中年みたいな関心を持っていたわけです。一体傍から見てどんな高校生だったのか。あの頃の自分を今の自分の目で見てみたいという欲求にかられます。

  ブログを始めた頃は夢中になって、1日に10時間以上ぶっ続けでパソコンに向かうなどという無茶なこともやっていました。そのせいですっかり目を悪くしてしまいました。右目の視力が極端に落ちています。もともと悪かったのですが、さらに悪くなり左目とのバランスが悪くなっています。目が見えなくなったのではブログどころか映画さえ見られなくなりますから、あまり無理しないようにするつもりです(でもついつい無理してしまうのですが)。

 ちょっと挨拶を書くつもりが、また長くなってしまいました。多分、硬い文体で長ったらしい文章は今後もあまり変わらないと思います。つい知識をひけらかしてしまうような悪い癖もあります。僕が映画レビューを描くときの基本姿勢は、いいところはいい、疑問に思うところはここが疑問だと書くという単純なものです。そしてどこがどのようにいいのか、どこがどう問題なのかを自分なりに考え表現したいと思っています。「素晴らしい」とか「感動した」などの言葉はあまり使わないほうが文章表現上はいいのですが、映画という大衆的なメディアにはそういう直接的な表現のほうが合うと考えています。ともかく、読みやすく分かりやすい文章を心がけていきたいと思います。また、あまり知られてはいない優れた映画をたくさん紹介して行きたいと思っています。

  今後もよろしくお付き合いください。

2006年1月 9日 (月)

運命じゃない人

0043232004年 日本
監督:内田けんじ
脚本:内田けんじ
プロデューサー:天野真弓
撮影:井上恵一郎
音楽:石橋光晴
美術:黒須康雄
出演:中村靖日、山中聡、霧島れいか、板谷由夏、山下規介

  今年最初に映画館で観た映画。映画館で観るのは「メゾン・ド・ヒミコ」以来ほぼ1ヶ月ぶりだ。「有頂天ホテル」と「ALWAYS 三丁目の夕日」の前売り券も買ってあるので来週以降に観る予定。どういうわけか年末から年始にかけて観たい映画が集中した。去年の秋ごろまではほとんど観たい映画が来なかったのに。だいたい上田に来るのが遅すぎる。「運命じゃない人」なんか今月末にDVDが出る予定だ。ぎりぎり間に合った、というか無理して映画館で観なくてもよかったんじゃないかという思いが頭をよぎる。

  まあ、ぼやきはこれくらいにしておこう。「運命じゃない人」は非常に面白かった。脚本が実によく出来ている。ほとんどアイデアと脚本の勝利だ。話の展開としては「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」と似ており、時間を逆に遡ってゆく展開である。ただ、遡ると言っても「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」のようにどんどん前の時間に戻るのではない。ある登場人物の視点でA時点からB時点までストーリーをたどり、次に別の登場人物の視点でまたA時点あたりからB時点あたりまでたどりなおすという展開である。これを、登場人物を変えて何回か繰り返す。そうすると同じ場面を何度も別の角度から見ることになり、最初のストーリーで見えていなかったことが見えてくる。なるほどそうか、そういうことだったのか、と観客は思わず唸り驚きまた納得するわけである。この奇抜なアイデアが見事に功を奏している。観客はやられたと降参するしかない。

  発想は携帯電話から湧いてきたということだ。携帯ならどこからかけているか分からない。別の場所で同じ時間を生きている。そこにミステリアスなものを感じたのだそうだ。オリジナルだから「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」などの類似の映画があっても二番煎じという感じはない。先日レビューした「ダブリン上等!」は、最初はばらばらだった複数のエピソードがストーリーが進行するに連れて互いにつながってゆくというタイプの映画だが、「運命じゃない人」は丁度このタイプと時間を逆に遡るタイプの映画を合わせ、さらに複数の視点で同じ出来事を観るという「パルプ・フィクション」あるいは松本清張の『ガラスの城』(この語りのトリックには驚嘆しますよ)的展開を加えたようなストーリー構成になっている。とにかくこの構成がユニークだ。まさに語りのマジック、語りは騙りだ。時間を巻き戻し視点を変えることで、このパラレル・ワールドの全貌がしだいに明らかになってゆく。そして見えなかったものが見え、何でもないと思えた些細なことが誰も予想しないようなところに結びついていく意外性をたっぷり楽しむ。そんな映画だ。

  これだけ言えばほとんど事足りる。後は観ていただけばいい。と言って終わるのもなんだからもう少し付け足しておきましょう。面白いといってもそこはエンターテインメント映画。別に深みがあるわけではない。形式はだいぶ違うが、味わいや雰囲気的には「約三十の嘘」に近い。そんな感じの軽い映画。騙し騙され、出し抜き出し抜かれ、でもって恋愛もあるよという作り。まあ、難しいことは言わず楽しめばいい。

  主要登場人物は5人。まじめで気弱そうなサラリーマン宮田武(中村靖日)、婚約を破棄されてしょんぼりしている桑田真紀(霧島れいか)、宮田の元恋人倉田あゆみ(板谷由夏)、宮田の親友で私立探偵の神田(山中聡)、やくざの浅井志信(山下規介)。ストーリーは宮田が過ごした一晩を5人の角度から描いている。その晩宮田は桑田真紀と出会い、彼女が帰る際に電話番号を聞きだした。つまり最後まで宮田は楽しい一晩を過ごしたのである。でも彼は全く何も知らなかった、同じ時間に彼の気付かないところで2000万円の金が絡むとpp-xんでもないドタバタ劇が進行していたことを。彼にとっては思わず踊りだしたくなるようなうれしい一夜だったが、他の4人(というか正確には3人)にとっては悪夢のような一夜だったことを。宮田のことを友人の神田が「別の星に生きてる」と言うが、これだけ大騒ぎがあったことに何も気付いていない宮田は神田には確かにそう見えるだろう。

  登場人物は皆どこか間が抜けていて憎めない。特にやくざのエピソードが面白い。やくざ稼業も楽じゃないとしきりに嘆く。「事務所の家賃に光熱費。子分の食事代に小遣い。冠婚葬祭に上納金。ヤクザも大変よ。」金がないので、便利屋のやまちゃんに協力してもらって、見せ金として一番上と下だけが本物の偽の札束を作るあたりは妙に情けなくて笑える。便利屋のやまちゃんはいろんなところで活躍していい味付けになっている。 典型的な低予算映画だが、脚本がよければこれだけのものが作れる。内田けんじ監督がインタビューで次のように語っている。

  僕は脚本の段階で確実に「面白い」と思えるものを作ってからじゃないと、撮る度胸が
  ないんです。あと、大学時代に観た仲間うちの学生映画がたるいものばっかりだった
  んです。映画を撮りたい学生って、脚本よりも映像ありきの人が多くて、一本も面白い
  と思えるものがなかった。そういう自主製作映画ノリへの対抗意識は、すごくありまし
  た。

  手塚治虫も同じようなことを言っていた。若い人にはものすごく絵のうまい人がいるが、結局いいストーリーを考え出せなければ優れた漫画は作れないと。手塚はいくらでもアイデアがわいてきたと言っている。もっとも誰もが彼の様な才能を持っているわけではないが、肝心なのはストーリーこそ命だという点である。内田けんじ監督は「プロットをパズルみたいに組み立てていく」のに1年かかったと語っている。基本の「設計図が完成してからは、実際に執筆したのは十日間だけ」だったという。「まさに “構成命”の映画でした。」

  配役については板谷由香だけ最初から彼女と決めていたようだ。これは理解できる。僕もすっかり彼女の魅力にはまってしまった。彼女を観たのは初めてだが、色気があってなんとも魅力的だ。ちょっと今井美樹に似ている。笑うと頬のあたりに線が入るのも同じだ。他の俳優も皆個性的で映画のユニークさによくマッチしている。特に神田役の山中聡がいい。ざっくばらんな感じに親しみがもてる。今の若い俳優には珍しい野性味を感じさせる。

  タイトルは神田が宮田に言う「30過ぎたら運命の出会いなんて無いんだよ」という台詞からつけられたのだろう。しかし、必死で桑田真紀の乗るタクシーを追いかけた宮田の純情さが実を結びそうな気配で終わる。どうやらこれは「運命の人」との出会いだったようだ。才気ばしった監督によくある斜に構えた姿勢ではなく、平凡な人たちに寄せる視線があたたかい。この姿勢をなくしてほしくない。本人は「僕自身、サービス精神たっぷりのエンタテインメント映画が大好きなので、そういう楽しいものを撮っていきたい」と語っているのでたぶん心配ないだろう。

  なお彼は「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」でスカラーシップを受け、その援助で「運命じゃない人」を作っている。このスカラーシップで作られた作品には結構優れたものが多いようだし、受賞者もそろって将来を感じさせる人たちのようだ。若手の登竜門としてこれからも優秀な映画人を育てることに貢献してほしい。

これから観たい映画

  2005年に公開された映画で、これから観たいと思っている映画のリストを挙げておきます。マイ・ベストテンを作る上で是非観ておきたい映画というのが選んだ基準です。まだこれだけあるのかと思うと少々気が重い。この大部分を観終えるには少なくともあと半年はかかるでしょう。
 他におすすめの映画がありましたらぜひコメントください。
 その後観た映画には青色をつけて行きます。

【外国映画】risuc1-2
「ヴェニスの商人」
「ヴェラ・ドレイク」
「エリザベスタウン」
「エレニの旅」
「エターナル・サンシャイン」
「風の前奏曲」
「亀も空を飛ぶ」
「銀河ヒッチハイク・ガイド」
「キング・コング」
「故郷の香り」
「コーヒー&シガレッツ」
「皇帝ペンギン」
「さよなら、さよならハリウッド」
「SAYURI」
「シンデレラマン」
「シン・シティ」
「世界」
「チャーリーとチョコレート工場」
「Dear フランキー」
「天空の草原のナンサ」
「ティム・バートンのコープス ブライド」
「南極日誌」
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
「PTU」
「ヒトラー ~最期の12日間~」
「ピアノを弾く大統領」
「ブレイキング・ニュース」
「マラソン」
「マルチュク青春通り」
「Mr.&Mrsスミス」
「ミリオンズ」
「ライフ・イズ・ミラクル」
「ラヴェンダーの咲く庭で」

「ランド・オブ・プレンティ」
「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」
「私の頭の中の消しゴム」
「ワンナイト・イン・モンコック」

【日本映画】
「青空のゆくえ」
「あらしのよるに」
「いつか読書する日」
「イン・ザ・プール」
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「カーテンコール」
「亀は意外と速く泳ぐ」
「空中庭園」
「蝉しぐれ」
「大停電の夜に」
「NANA」
「ハサミ男」
「フライ・ダディ・フライ」
「村の写真集」
「リンダ リンダ リンダ」

海の牙

1946年(日本公開1948年) フランス deep-blue01-5
監督:ルネ・クレマン
脚本:ジャック・コンパネーズ、ヴィクトル・アレクザンドロフ
脚色:ルネ・クレマン、ジャック・レミー
撮影:アンリ・アルカン
音楽:イヴ・ボードリエ
出演:ポール・ベルナール、アンリ・ヴィダル 、ヨー・デスト
    フロランス・マリー、クローネ・フォルト、マルセル・ダリオ
    フォスコ・ジャケッティ、ミシェル・オークレール
    アンヌ・カンピオン、ジャン・ディディエ

 「海の牙」は「鉄路の闘い」(45)、「禁じられた遊び」(52)、「居酒屋」(56)、「太陽がいっぱい」(60)、「パリは燃えているか」(66)などと並ぶルネ・クレマンの代表作である。ドイツの潜水艦Uボートを舞台とした映画だが、「眼下の敵」や「Uボート」、比較的最近のものでは「レッド・オクトーバーを追え!」、「クリムゾン・タイド」、「U-571」、「ユリョン」などとは全く違うタイプの映画である。駆逐艦から爆雷攻撃を受ける場面も最初の方に一度だけ出てくるが、戦闘場面はそれだけである。よくある潜水艦同士の戦いや駆逐艦との死闘を描く映画ではない。潜水艦の内部という外部のない限定された空間内で展開される人間ドラマである。

  時は第二次大戦終了間際。ノルウェーのオスロからドイツの高官たちを乗せた潜水艦が出航する。乗船しているのはハウザー将軍(クローネ・フォルト)、ゲシュタポの幹部フォスター(ヨー・デスト)、イタリアの実業家ガロージ(フォスコ・ジャケッティ)、ガロージの妻で実はハウザー将軍の愛人であるヒルダ(フロランス・マリー)、対独協力者であるフランス人新聞記者クーチュリエ(ポール・ベルナール)、ハウザー将軍の男色相手であるチンピラのウィリー(ミシェル・オークレール)。他にスカンジナビア人父娘(父親が科学者)も乗っている。この父娘を見て記者のクーチュリエは「他にフランス人、イタリア人、ドイツ人、まるでノアの箱舟だ」とつぶやく。しかしこの箱舟は洪水から逃れるのではなく、逆に「洪水」の中に飲み込まれてゆく。その「洪水」とはナチスドイツの崩壊という渦巻きである。第三帝国の崩壊と運命を共にするかのように潜水艦の中の人間関係も崩壊してゆく。Uボート自体もその乗組員を救ったドイツ軍の補給船も渦巻きの中に飲み込まれ沈んでゆく。「海の牙」は冷徹な視線でその狂気に満ちた断末魔の地獄絵図を映し出してゆく。フランス語の原題は「呪われた人々」、あるいは「地獄に堕ちた人々」という意味である。

 映画の視点はフランス人の医師ギベール(アンリ・ヴィダル)の視点である。彼はUボートが駆逐艦に爆雷攻撃を受けた時にヒルダが怪我をしたため、フランスの沿岸の町ロワイアンから拉致されてきた。軍医が乗っていなかったのである。

 ドイツは既に敗戦寸前であり、ハウザー将軍たちに与えられた使命は南米に脱出しそこで再起を図ることである。登場人物の中ではハウザー将軍を演じるクローネ・フォルトとゲシュタポのフォスターを演じるヨー・デストの存在感が抜群である。特にヨー・デストのぞっとするような凄みは特筆ものだ。30年ほど前にテレビで観たときも、淀長さんが彼の不気味さをとりわけ強調していたのを覚えている。

 もうひとり印象深いのはハウザー将軍の愛人ヒルダに扮したフロランス・マリーである。ミシェル・モルガンと見間違うほど似ている。夫の実業家ガロージが彼女と将軍の関係に悩んで自殺した後、あからさまに将軍にまとわりつく。相手にされないとなるとチンピラのウィリーに色目を使い出す。妖艶というほどではないが、男ばかりの潜水艦の中で一際人目を惹く存在となっている。その人間関係を見事に表しているシーンがある。ハウザー将軍とフォスターが四角いテーブルを挟んでチェスをしている。空いている2面にヒルダとウィリー058785が向かい合わせで座っている。チェス盤に夢中になっている将軍とフォスターの横でヒルダは向かいのウィリーに色目を使う。4人がチェス盤を囲み、視線が交錯する。ねじれた人間関係の危うさを示す見事なシーンである。

  航行中にベルリンが陥落しヒトラーが死んだとの連絡が入る。目的を失い困惑するハウザー将軍とあくまで当初の使命を遂行すべしと迫るフォスター。最初はハウザー将軍が指揮を取っていたのだが、進退窮まって彼が迷った時フォスターが代わりに指揮を取る。ドイツの敗戦が決定的になり、乗り込んでいる人々にあせりと不安が広がる。フォスターはあくまで南米行きを強行するが、次々に脱落者が出てゆく。先に自殺した実業家ガロージに続いて、フランス人新聞記者クーチュリエはボートに乗って脱出しようと試みるが、フォスターに見つかり銃で撃たれる。甲板に残された彼の服をフォスターが靴でける。服の下からクーチュリエが自殺用に持っていた薬物を入れた丸いブリキ缶が転がり出る。缶のふたがはずれて薬が飛び出る。この薬をいつ飲むかが問題だと彼は生前言っていたが、皮肉にも薬を使わずに地獄に堕ちていった。このような細かい描写が実に効果的である。拉致された医師ギベールもゴムボートを使って脱出しようとするが、何とスカンジナビア人の科学者に先を越されてしまう。彼は脱出に成功したが、娘は置いてきぼりだ。船が沈没する前にネズミが逃げ出すというたとえの通り、このようにして崩壊状態が進んでゆく。

 南米近くまで来たとき、現地の様子を伺うためにスパイである商人(マルセル・ダリオ)に連絡を取るが返事がない。フォスターが上陸して乗り込むとスパイは逃げてしまう。結局チンピラのウィリーに殺されてしまうが、コーヒー豆倉庫での追跡シーンとスパイが殺される場面(特に、追い詰められたスパイが机の横を走り抜けた時そこに置いてあったナイフの先端に触れ、ナイフがくるくると回転する場面は映像効果として秀逸である)は有名である。もはやスパイさえも寝返っている。

  燃料が残り少なくなった潜水艦は見方の補給船を呼ぶ。燃料を補給している間に、既に士気の統制がきかなくなった乗組員たちはなだれを打って補給船に乗り移る。その時フォスターはほとんど狂気とも思える挙に出る。ここに至って一気にカタストロフィが訪れる。詳しくは実際に観てもらうとして、結局Uボートに医師ギベールがたった一人取り残される。何日間も漂流する間に彼は一切の顛末を手記として記録する(要するにこのために彼が必要だったのである)。彼は最後にアメリカの魚雷艇に救出される。誰もいなくなったUボートは魚雷艇の魚雷によって沈められる。

 「海の牙」は極限状況における人間模様を描いたドラマであると同時に、崩壊してゆく第三帝国の象徴劇でもある。戦闘場面のほとんどない潜水艦映画。第二次世界大戦終結の1年後に作られたこの映画はいまだに唯一無二の作品である。前作「鉄路の闘い」(第二次世界大戦中におけるフランスの鉄道労働者によるレジスタンス活動を描いた映画)に続いて作られたこの映画によって、ルネ・クレマンは巨匠としての名声を確立した。

2006年1月 8日 (日)

ダブリン上等!

2003年 イギリス・アイルランド time_1
原題:Intermission
監督:ジョン・クローリー
脚本:マーク・オロー
撮影監督:リシャルト・レンチェウスキ
音楽:ジョン・マーフィー
出演:コリン・ファレル、キリアン・マーフィー
    ブライアン・F・オバーン、 デヴィッド・ウィルモット
    ケリー・マクドナルド、コルム・ミーニー
    デイドラ・オケイン、マイケル・マケルハットン
    トマス・オサリバン、オーウェン・ロウ

  最近よく見かける、最初はばらばらな独立したエピソードに思えたものが、話が展開してゆくに連れてしだいに互いに絡み合ってゆくというスタイルの群像劇である。どのあたりが最初なのか。ロバート・アルトマンが得意とする手法で75年の「ナッシュビル」や93年の「ショート・カッツ」などがその典型。94年の「プレタポルテ」や01年の「ゴスフォード・パーク」なども群像劇だ。94年のクエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」、99年のロドリゴ・ガルシア監督「彼女を見ればわかること」、ガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98年)と「スナッチ」(00年)、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」(99年)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」(99年)と「21グラム」(03年)、ラモン・サラサール監督の「靴に恋して」(02年)、思いつくままに挙げただけでも結構ある。99年ごろから急増していることが分かる。この発想の大本には19世紀フランスの文豪バルザックの「人間喜劇」があると考えられるかもしれない。ある小説の登場人物が別の小説にも登場する、しかも重要な人物の場合は繰り返しいくつもの別々の小説に登場するのである。人間関係の網の目が張られ、同じ人物が様々な角度から検討され、全体として「人間喜劇」という壮大な小宇宙が形作られる。100人を超える登場人物が絡まりあうトルストイの大長編『戦争と平和』を持ち出すことも出来るだろう。

  まあ映画だからそこまで壮大なものは作れないし望むべくもないが、何がしかのアイデアは借りているのかもしれない。しかし、前世紀末あたりから流行り始めたのは何か理由があるのだろうか。男女の恋愛の様な単純になりがちなストーリーを避け、複雑な人間関係を描いてドラマに厚みを加え、かつストーリーの展開に意外性を加えるには確かに適した手法だ。上に挙げた作品の中には人間関係や利害関係が絡まりもつれ合って、どこか息苦しい行き詰まり感に行き着くものもある。社会の様々な面で崩壊現象が現れている今の時代を反映しているのかもしれない。もちろん映画によってその手法を用いる狙いは違う。人間関係を複雑かつ重層的にして重厚なドラマにしようというものと、意外なストーリー展開自体に重きを置いているものと分けられそうだ。「ダブリン上等!」の場合は後者だろう。恐らくガイ・リッチー監督の2作の手法をモデルにしたと思われる。チンピラや犯罪が絡む展開はやはり一番彼の二つの作品に近い。あるいはダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」(96年)にも通じる世界。

  イギリス映画にこの種の映画が登場したのは、80年代のサッチャー政権が弱者を切り捨てる政策に転換したことと関係している。その結果貧富の差が拡大し、若者の間に麻薬が蔓延し犯罪が増えた。90年代に相次いで作られた麻薬とアル中と犯罪が絡んだ一連の映画は、福祉国家である事をやめたイギリスの荒廃した現状を描いていたのである。「ダブリン上等!」は恐らくそれらのイギリス映画の枠組みを借りつつも、完全には犯罪者になりきれない現代アイルランドの若者を描くという点で違いを出そうと試みたのだろう。どこか純情で悪になりきれない若者。ジョン(キリアン・マーフィ)とオスカー(デヴィッド・ウィルモット)の親友二人にとって最後はハッピーエンドで終わる。そういう要素が混じるためイギリス映画ほどの疾走感はない。自動車のフロントガラスに石を投げつける子供が出てきたりと、人心の荒廃した現状は描かれるが、結局はラブストーリーだ。この映画がどうも今ひとつ突き抜けていないのはその中途半端さに原因がありそうだ。

trump_jb   冒頭、コリン・ファレル演じるレイフがレジの女の子を甘い言葉で口説いている。と思わせておいて、レイフはポーっとしている女の子の顔をいきなりぶん殴って金を取って逃げる。この冒頭の場面は上記のイギリス映画の様な展開になることを予感させる。しかし最後はラブラブでハッピーエンド。おいおい。デイドラ(ケリー・マクドナルド)もあんな優柔不断でいい加減なジョンとよりを戻すなんて何考えてるんだ。

  まあ、ユニークな登場人物を配し、社会風刺やブラックユーモアをまじえて描く。誰もが行き詰まりの状態になっているが、それを脱却する方法はどこかおバカな行動である。その典型がレイフとミックがジョンを巻き込んで企てる銀行強盗。しかし予期せぬ展開となってあっさり頓挫してしまう。この銀行強盗が各エピソードをつなぐ結節点となっている。ドタバタ調の展開になり、最後は収まるところに収まるというほのぼの路線。もっとも突如妻のノーリーン(ディードル・オケイン)を捨ててデイドラと同棲を始めた銀行支店長サム(マイケル・マケルハットン)は、元の鞘に納まったもののノーリーンにこっぴどい目に合わされるだろうが。

  個々の部分はどれも悪くはない。登場人物のユニークさはかなりのものだ。マッチョな暴力警官なのにクラナドが好きだと公言するジェリー(コルム・ミーニイ)、車椅子に乗りパブに入り浸っている爺さん、デパートの無愛想な店員。主要な登場人物もキャラクターはよく出来ている。総じて男はろくな奴がいなくて、女は計算高くて堅実。複雑な人間関係が絡まるが特に大きな破綻はない。ジョンとオスカーがバイトをしているスーパーでの経営者とのやり取り、テレビ・ディレクターのベン(トマス・オサリバン)と上司とのやり取り、あるいは不可抗力の事故だったにもかかわらず首にされた不運なバス運転手ミック(ブライアン・F・オバーン)のエピソードには社会風刺も盛り込まれている。

  しかし全体としてみた場合、やはり出来はそれほどよくない。中途半端だし何よりもだらしなくまともな生き方が出来ないジョンやレイフたちの人物像に共感出来ないからだ。イギリス映画のように最後まで突き放していれば、共感はいらない。しかしこの映画の場合、でも結局はみんないい奴だよと最後は収めてしまう。そのためにはもっと共感できるような人物設定が必要になってくる。つまり途中までいいかげんでどうしようもない奴らだと描いておきながら、最後はハッピーエンドで丸く収めてしまう展開に無理がある。まともなのはオスカーとサリー(シャーリー・ヘンダーソン)くらいのものだ。こちらを主人公にしておけばまだケン・ローチの「スウィート・シックスティーン」の様な味わいの作品になったかもしれない。

2006年1月 7日 (土)

最近聞いたCDから

若々しいナタリー・コールに酔うpocketwatch3
 ナタリー・コールの「ザ・ソウル・オブ・ナタリー・コール」は70年代の曲をセレクトした初期のベスト版。既に持っている「ナタリ・コール・コレクション」と何曲か重なるが、両方持っていても損した感じはしない。ソウル時代のナタリーは当然のことだが実に若々しい。日本で大ヒットした「ミスター・メロディ」は今聞いてもさすがにいい曲だと思ったが、それだけが突出しているのではなく、どの曲も素晴らしい。

  「アンフォゲッタブル」(91)以降、「テイク・ア・ルック」(93)、「スターダスト」(96)、「スノーフォール・オン・ザ・サハラ」(99)、「ラブ・ソングズ」(01)、「アスク・ア・ウーマン・フー・ノウズ」(02)と、ジャズ歌手として素晴らしいアルバムを連発しているナタリー。どれをとっても傑作ばかり。まさに円熟の境地である。だが、改めて聞きなおして思うが、若い頃のソウル時代の曲もやはり素晴らしい。若々しく張りのある声、見事なリズム感、曲の素晴らしさ、どれをとっても一級品である。最近の黒人女性歌手など及びもつかない。この頃から既にものすごい実力だったことを改めて痛感した。

  アシャンティ、アニタ・ベイカー、アリシア・キーズ、インディア・アリー、エリーシャ・ラヴァーン、カーリン・アンダーソン、キャリン・ホワイト、クリスティーナ・ミリアン、ジョス・ストーン、ジョディ・ワトリー、トニ・ブラクストン、ブランディ、ジル・スコット、ディナ・キャロル、デニ・ハインズ、デボラ・コックス、デブラ・モーガン、ミッシー・エリオット、フェイス・エヴァンス、メイシー・グレイ、モニカ、ローリン・ヒル。この10年くらいでずいぶんいろんな人が出てきたが、この中でナタリー・コールに匹敵する人がどれだけいるだろうか。ソウルというよりもブラコン寄りで、僕の好みからすると少し軽い人が多い。

  もちろん優れたものも少なくはない。この半年くらいに聞いたものでは、ショーラ・アーマの「スーパーソニック」、「マッチ・ラブ」、フェイス・ヒルの「フェイス」、カーリーン・アンダーソンの「ブレスト・バードゥン」、アンドレア・マーティンの「ザ・ベスト・オブ・ミー」、ケリー・プライスの「ミラー・ミラー」などは傑出した出来だ。

カーラ・ブルーニ「ケルカン・マ・ディ」
  元スパーモデルから歌手に転向した人。ファッションに一切関心のない僕には縁のなかった人だ。と思ったら意外なところでつながりがあった。何と彼女の姉はフランソワ・オゾン監督の「ふたりの5つの分かれ路」に出演している女優であり、かつ「ラクダと針の穴」では監督もしているヴァレリー・ブルーニ=テデスキだった。とにかくものすごい富豪の娘で、イタリア生まれのイタリア人だが、6歳からはフランスで育ったようだ。

  デビュー・アルバム「ケルカン・マ・ディ」はフランスで大ヒットし、ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジークで女性グループ/アーティスト部門の大賞を受賞した。ギターの弾き語りで歌ったシンプルな曲を集めている。12曲中10曲が彼女自身の作詞・作曲である。いわゆるシンガー・ソングライターだ。珈琲を飲み、新聞を読みながら聞いていたときは、何となくスペイン語で歌っているような感じがした。よく聞くとフランス語なのだがスペインの歌の様な響き、あるいはボサノバの様な感じもある。時にはジャジーなフィーリングさえ混じる。ギター一本で歌うフランス語の歌はあまり聴いたことがないので不思議な味わいだった。フォーク寄りのスザンヌ・ヴェガともまた違う味わい。

  本人は女性ヴォーカルが好きらしく、小さい頃はミーナやオルネラ・ヴァノーニ(なつかしい!)などを聞いて育ち、大人になってからはベッシー・スミス、リッキー・リー・ジョーンズ、バルバラ、エミルー・ハリス、ドリー・パートン、バーブラ・ストライサンド、ビョークなどが好きらしい。あまりに範囲が広いので彼女の音楽性を説明するには役立たない。むしろ、このアルバムのコンセプトは何かと聞かれてカナダの御大レナード・コーエンの名を出していることの方が暗示的である。弾き語りで淡々と歌うスタイルは確かに似ている。解説ではノラ・ジョーンズ、ジョルジュ・ブラッサンス、セルジュ・ゲンズブールなどの名も挙げられている。なるほど確かにどこか通じるものがある。アメリカの音楽の様な盛り上がりには欠けるが、内省的で柔らかいサウンドと歌は実に聴きやすい。かといって癒し系というほどやわでもない。おすすめです。

最近のお気に入りCD
  ついでに最近(ここ数ヶ月)聞いたものでよかったものを挙げておく。同じシンガー・ソンガライター系ではジェス・クラインの「ドロウ・ゼム・ニアー」やデヴィッド・グレイの「ア・ニュー・デイ・アット・ミッドナイト」がいい。ケルト系ではスコットランドの女性歌手シイラ・ウォルシュの「ホープ」、チーフタンズの「ダウン・ジ・オールド・プランク・ロード」、ソーラスの「ソーラス」がおすすめ。

  イギリスのトラッド/フォークではコンピレイション「ザ・ハーヴェスト・オブ・ゴールド~イングリッシュ・フォーク・アルマナック」とフェアポート・コンヴェンションの「ハウス・フル」。フェアポート・コンヴェンションの傑作群が紙ジャケで手に入るようになった(代表作はほとんどゲット)のはうれしい。イギリスの女性ヴォーカルではサラ・ジェーン・モリスの「リーヴィング・ホーム」が出色。ロック系ではコンピ「コンサート・フォー・ジョージ」とニール・ヤングの「アー・ユー・パッショネイト?」。最近のニールはどれも傑作だ。

  このところジャズ・ヴォーカルで新しい才能がどんどん伸びてきている。最近聞いたものではステイシー・ケントの「ドリームズヴィル」、ニーナ・フリーロンの「リッスン」がよかった。ジェーン・モンハイトの「イン・ザ・サン」、シェリル・ベンティーンの「ザ・ライツ・スティル・バーン」、中国に行ったとき約300円で買ってきたノラ・ジョーンズの「フィールズ・ライク・ホーム」も悪くない(1作目より格段に良い)。ヴォーカル以外ではキース・ジャレット「インサイド・アウト」、ハリー・アレン「ドリーマー」、アーチー・シェップ「トゥルー・バラード」。キース・ジャレットも出すCDはすべて傑作だ。

  とまあこんなところだが、なにせCDは中古でしか買わないので最新のものはない。もっとも、最新ベストテンなど一切関心がないので、それで一向に差し支えない。これまでも、これからもこの調子で行く。ただ、この1、2年パソコンからダウンロードして音楽を聴く傾向が広まっているせいか、中古に出るCDが極端に少なくなった。ほしいものと出会うことが滅多になくなったのは残念である。もうCD時代は終わりが近いのかもしれない。店頭で見つけることは困難なので、アマゾンで根気よく探すしかない。そういう時代になってしまった。なお本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「miscellany」コーナーに「お気に入りCD一覧」を挙げてあります。「エッセイ」コーナーには「音楽との長い付き合い」というエッセイもあります。

2006年1月 5日 (木)

便利フリーソフト「映画日記」紹介

mado01bw  映画ファンにとって便利な「映画日記」というフリーソフトを紹介します。自分が観た映画を整理し、個人用のデータベースを作るのに最適な無料ソフトです。「窓の杜」、「vector」、「gooダウンロード」などで簡単にダウンロードできます。映画の基本的情報(製作年、製作スタッフ、キャスト、ジャンル、観た日付、俳優等の個人情報)やコメントなどが書き込めます。画像も付けられます。人物別に観た映画の一覧を出せる機能、それを多い順に並べる機能(どの監督・俳優の映画を一番多く観ているかすぐ分かります)など、検索・統計機能もついています。年毎に見た本数と登録されている映画の総数も一目で分かるようになっています。

  僕は71年から現在まで手書きの映画ノートをつけていて、3000本以上の映画が記録されています。これはこれで貴重な資料なのですが、検索が面倒です。いちいち古いノートを引っ張り出してこなければなりません。このソフトを使えば検索は一発ですのでその点は非常に便利です。ただ、面倒なのは過去に見た映画の情報を手入力しなければならないことです。2000年代から初めてやっと87年まで来ましたが、入力できたのはおよそ1500本。まだ半分残っています。いつ終わるのかも分からない気の遠くなるような作業。入力し始めてから既に2年はたっています。最初のうちは毎日入力していたのですが・・・。まあ気長にやります。

  こういうソフトですのでまめな性格の人でないと続かないかもしれません。ただ、手書きでメモを取るよりもずっと楽ですし、ブログを書いている人ならブログの記事をそのままコメント欄にコピーするだけですので手間はかかりません(あるいは逆にこちらを先に書いて、それをブログにコピーしてもいいでしょう)。バックアップにもなります。既にたくさん観ている人は新しく観た映画だけを記録するといいかも知れません。

追記
  なお、パソコンの場合まめにバックアップをしておくことが必要です。これを怠ると思わぬ故障の時に大事なデータを失ってしまいます。参考までに、僕のやっている方法をご紹介します。

  まずバックアップ先は外付けのハードディスクにしています。これだとパソコンそのものが壊れてもハードディスクのデータは残るので安全です。普段ははずしていて、バックアップのときだけつないでいます。バックアップは「かばくんバックアップ」というフリーソフトを使っています。これは最初に設定をしておけば、あとはボタンを1回押すだけでバックアップができるという超簡単ソフトです。時間も1、2分しかかかりません。しかも同期ができるのがうれしい。同期とはコピー元とコピー先が完全に同じものになることです。普通のバックアップは新しく付け加えられたファイルをコピー先に追加する仕組みです。したがって元のファイルでいらなくなって消したものも、コピー先にはゴミのように残ってたまっているわけです。同期するとコピー先の不要ファイルも消してくれます。もちろん安全のために元では消したファイルをコピー先には残しておきたければ、バックアップを選択するといいでしょう。同期かバックアップかはボタン一つで切り替えられるので簡単です。

  僕の場合マイ・ドキュメントごとバックアップしています。「映画日記」はプログラム・ファイル(普通ソフトをダウンロードするとここに収納されます)ではなくマイ・ドキュメントに移してあるので、ソフトごとコピーしていることになります。こうしておけばパソコン内の「映画日記」ソフトが破損しても、外付けハードディスクに同じものがソフトごと残っていますので、それを逆にパソコンにコピーしてやれば復活できます。恐らくこれが一番安全なのではないでしょうか。他にも「そら日記」など毎日更新しているソフトはマイ・ドキュメントに入れてあります。ハードディスクならマイ・ドキュメントどころかCドライブ全体をバックアップすることも出来ますから、そうしてもいいと思います。マイ・ドキュメントだけだとハードディスクの一部しか使いませんから、ガラガラでもったいないですからね。そうしておけば、パソコンがだめになった時でもダウンロードしてきたフリーソフトなどをいちいちダウンロードしなおす必要がないので便利でしょう。

2006年1月 4日 (水)

正月に読んだ本

tenkiyuki  あけましておめでとうございます。ブログを作って初めての正月を迎えました。開設して4ヶ月たちます。今年もよろしくお願いいたします。
  正月中は一本も映画を観なかったので、今回はとりあえず正月に読んだ本のことを書きます。

      *       *       *       *
  帰省中は連日飲み過ぎてどうにも映画を観に行く気分にならないし、テレビは箱根駅伝くらいしか見なかった。実家に帰る途中で東京を通るのだが、行きも帰りも東京で映画を観て行く気力がなかった。われながら情けない。

  代わりにずっと本を読んでいた。行きの電車の中で『宇宙戦争』を読んだ。驚いたことにほとんど忘れていた。パニックの描写など確かな描写力に改めて驚く。さすがに一流の作家だ。トライポッドの上に乗っている部分がアルミニウム製だろうと書いてあるのには笑ってしまった。7、8台イギリスに飛来した中で一台だけ砲弾が当たって破壊されるが、バリアーも張ってなくアルミニウム製じゃまともに当たればそりゃひとたまりもないだろう。せめて超合金ぐらいにしてほしいところだが、何せ100年以上も前の小説だから仕方がないか。それからトライポッドという訳語は出てこない。原作ではそうなっているのだろうか。昔創元文庫で読んだジョン・ウィンダムの『トリフィッド時代』というSF小説を思い出した。トライポッドもトリフィッドも三本足という意味である。それはともかく、宇宙人の巨大戦闘マシーンが今の感覚からするとさすがにしょぼいのだが、小説としては今読んでも十分通用する。小説としてしっかりしている証だ。

  帰りの電車ではネビル・シュートの『パイド・パイパー』を読んだ。まだ3分の1ほど読んだだけだが期待以上に面白い。なかなか感動作である。ネビル・シュートはこれまたSFの名作で映画も有名な『渚にて』の作者である。解説によると20を超える作品を残しているが、翻訳はわずか5作しかないそうだ。文庫が出てすぐ買ったのだが、ずっと読まずにいた。今回読んでみたのは「ストレイト・ストーリー」の影響である。どちらも老人が主人公なのである。どうも読む本まで映画の影響を受けている。ホームページだけの時はまだしも、ブログを作ってから生活がすっかり映画中心になってしまった。それはともかく『パイド・パイパー』は第二次大戦がはじまって間もない頃にフランスのジュラに来ていたイギリス人の老人ハワードが、いよいよフランスも危ないとなってイギリスに脱出するまでを描いている。戦況が日に日に悪くなり彼がいる田舎町にまで軍隊が押し寄せてくるが、皆ぐったりと疲れていて士気が低い。パリすら守りきれるか危ぶまれる状況だ。このあたりの状況はフランス映画「ボン・ヴォヤージュ」にも出てくる。

  そんな混乱のさなかハワードは何とか港まで出てイギリスに戻ろうとする。しかし同じイギリス人の夫婦から子供を二人預かっている。親はスイスに残り国際連盟の仕事を続けなければならないので、せめて子供たちだけでもイギリスに避難させたいと頼み込まれたからである。さらに途中泊まったホテルでもメイドの姪を同じように預けられてしまう。さらにまたバスがドイツ軍の戦闘機に襲撃された時、両親を殺され呆然としている男の子をやはり放っておけずに連れてゆくことになる。今のところこれだけだが、もっと増えるかもしれない。先が思いやられる道中である。混乱期のリアルな描写が見事であるばかりではなく、親との別れや迷いつつも一旦思い切ったら毅然として行動に出るハワードの行動がまた感動的である。先を読むのが楽しみだ。

xmastree  もう一冊帰省中に読んでいた本がある。以前ブログにも紹介したハリー・ポッターシリーズの最新号『ハリー・ポッターとハーフ・ブラッド・プリンス』である。紹介文を書いた直後からブログが忙しくなり、4分の1ほど読んだところで放って置かれていた。帰省中は暇なので読もうと思ってかさばるにもかかわらずもって帰った。ほとんど外にも出ずに読んでいたのだが結局半分ぐらいまでしか行かなかった。何せ652ページもある英語の本である。

  今回読んだところはロード・ヴォルデモートに関してかなり詳しく明らかにされるところなので引き込まれた。彼の出生と生い立ち(トム・リドルは父親の名前を取って付けられた)からホグワーツに入学するあたりまで読んだ。ダンブルドア校長はハリーにすべて話すと言っているので、ハリーの両親が殺されたあたりまで詳しく語られるのだろう。前作よりも出来がいいという印象は変わらない。ヴォルデモートに関する謎が明かされるという意味でも、シリーズ全体の中で重要な位置を占める一冊である。なおタイトルの「ハーフ・ブラッド・プリンス」だが、それが誰であるかがもう一つの謎である。ハリーがたまたま教師から手渡された古い魔法薬学の教科書の裏表紙に「ハーフ・ブラッド・プリンス」と書かれている。つまり前の持ち主が「ハーフ・ブラッド・プリンス」だったわけだが、その教科書にはおびただしい書き込みがある。その書き込みには教科書に載ってないコツが書かれており、そのおかげで何とハリーは教科書に書かれていることにこだわるハーマイオニー以上の成績を収めることになる。ロード・ヴォルデモートをめぐる謎と「ハーフ・ブラッド・プリンス」とは誰かという謎が後半で交差してゆく展開になると思われる。読むのが楽しみだ。今度は中断することなく、映画を観る時間を削ってでも最後まで読んでしまおう。

  ただ、英語は易しいのだが思うようにはかどらない。昼間テレビに飽きた時と夜中しか時間が取れない。しかも僕の寝る部屋は小さな電気ストーブしかない。寒くて長く読んでいられない。 とにかく家中が寒いのだ。上田より寒い。もちろん気温自体は上田のほうが日立より低い。最高気温がマイナスという真冬日もある地域である。問題は家の中の温度である。なんと両親はこの寒いのに暖房もつけずに分厚い服を着こんでコタツだけで過ごしている。よく北海道の人が東京は家の中が寒くて困ると言うが、それと同じである。そこまで節約しなくてもと思うのだが、長年の習慣で抜けないのだろう。暖房もあるのに使わない。家族がそろっている間はさすがにつけるのだが、今日なんか兄弟がみんな先に帰ってしまって僕しかいないので、また消している。家の中にいるのに白い息を吐いて震えているとは情けない。早めに家を出て帰ってきた。家に戻ってストーブをつけて風呂に入ってやっと人心地がついた。ここなら本が読める。

  しかし考えてみると親のことばかり言えない。自分もいまだに携帯を持たず、映画は東京にいる時でも出来るだけ名画座を利用し、もっぱらレンタルDVDで映画をみるようになった今でも新作ではなく旧作料金になってから借りてくる。けち臭いのは親譲りか。つくづく血は争えないものである。

2006年1月 1日 (日)

ストレイト・ストーリー

1999年 アメリカ clip-prim4
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:ジョン・ローチ/メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
美術:ジャック・フィスク
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:リチャード・ファーンズワース、シシー・スペイセク
    ハリー・ディーン・スタントン 、ジェームズ・カダー
    ウィリー・ハーカー、エヴェレット・マッギル、ジェーン・ハイツ

 DVDの特典映像に入っているインタビューで、「ストレイト・ストーリー」はこれまでの作品とだいぶ異質だが、観客を怖がらせるより人間愛を描く方向に転換したのかと問われて、デヴィッド・リンチは即座に「ノー」と答えている。いいストーリーだと思ったから取り上げただけで、次はどんな作品になるか自分でも分からないと。いい話が来れば受ける、それだけのこと、「いつもドアは開けておく」と強調していた。「ストレイト・ストーリー」のような作品を作るのは意外だと言われるのには不満そうだ。

  確かに「ストレイト・ストーリー」を観れば、彼がサスペンス・ミステリーものしか作れない監督でないことは明瞭である。メアリー・スウィーニーがNYタイムズに掲載された記事を持ち込んだ時に関心を示したということは、そういう話に共鳴する資質を持っていることを意味する。そうでなければもっと付け焼刃の様な演出になっていただろう。「ストレイト・ストーリー」はデイヴィッド・リンチのもう一つ別の面を知る上で重要な作品である。

  「ストレイト・ストーリー」のストーリーはいたって単純である。主人公のアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)は娘のローズ(シシー・スペイセク)と二人で暮らしている。アルヴィンは映画の冒頭でいきなり発作を起こして倒れる。大事には至らなかったが杖を二本使わなければ歩けない。そんなある日10年前に仲違いしたまま音信不通の兄ライルが倒れたとの知らせを聞き、兄に会いに行くことを決意する。だがアルヴィンは目が悪くて車の運転が出来ない。年齢も73歳である。だがなんとしてでも自力で兄のライルのところへ行きたい。そこで考えたのがトラクターでの旅。アイオワ州のローレンスからウィスコンシン州のマウント・ザイオンまで、時速8キロのトラクターでのんびり進む560キロの旅。

  6週間の旅の間に様々な人たちと出会う。最初に出会ったのはヒッチハイクをしていた妊娠5ヶ月の娘。その後も自転車に乗った若者の集団、7週間に13頭もの鹿とぶつかったと半狂乱になって叫ぶ中年の女性ドライバー、途中トラクターが壊れてしまった時に泊めてもらった家の主、一緒に酒を飲みに行ったアルヴィンとほぼ同年配の白髪の老人、トラクターの修理をしてくれた若い双子の兄弟、一緒に焚き火をはさんで語り合った牧師、そして最後に兄のライル。一つひとつの出会いが皆温かい。旅の途中で出会った人たちと語り合うかたちで少しずつアルヴィンの歩んできた人生が明らかになってゆく。この展開の仕方が実に自然で見事だ。

  中でも印象的なのは戦争体験を語り合った白髪の老人との会話である。アルヴィンは酒を断っているのでソフト・ドリンクを飲みながら語り合う。そしてなぜ彼が酒を断っているのか彼は涙ぐみながら語り始める。戦争が終わって国に帰った彼は浴びるように酒を飲んだ。彼がそれほど酒におぼれたのは戦場での悲惨な思い出が原因だった。相手の老人もうなずきながら言う。「大勢酒浸りになった。」その後のアルヴィンの言葉が胸を打つ。「皆忘れようとする。・・・みんなの顔が忘れられない。仲間の顔は皆若い。わしが年を重ねるほど仲間が失ったものも大きくなる。」そしてずっと彼の胸にとげのように刺さっていた大戦中のある出来事を語り始める。恐らくアルヴィンがこれを語ったのはこれが初めてだったのだろう。忘れようにも忘れられない過去のつらい記憶、それは心の重荷となってずっと彼の胸の奥にわだかまっていたに違いない。もうひとりの老人も自分のつらい記憶を語りだす。

  しかしアルヴィンに悲壮感はない。日本映画「ロード88」に比べるとぐっと肩の力が抜けている。「ロード88」のヒロインは難病にかかっていていつ死ぬか分からない不安な状態に置かれている。死期が近いという点ではアルヴィンも同じだ。しかも兄もまた同じ状態なのである。同じ死が目の前にある状態でも、「ロード88」の10代のヒロインは生き急いでいる。そのひたむきさに心を打たれる。まだ十分人生を生きていないからである。だが、73歳のアルヴィンは「間に合うだろうか」と心配しつつも、のろのろとしたトラクターの旅にこだわる。トラクターの修理が終わるまで庭先に泊めてもらった家の主人が車で送ろうかと親切に申し出るが、自分でやり遂げたいと断る。「最初の志を貫きたいんだ。」

  アルヴィンの旅の目的は何だったのだろう。もちろん死ぬ前に兄と仲直りしたいという気持ちがきっかけだったのには違いない。しかし、いくら自分で車を運転できないからといっても、ただ兄に会いに行くだけなら他にいくらでも手段はあったはずだ。560キロという距離は車なら1日でも行ける距離だ。だが、アルヴィンは敢えて自分の力で行く道を選んだ。そwmoonsれはなぜだったのだろう。牧師との会話の中で彼はこう語っている。兄のライルと自分はミネソタの農場で育った。「口争いの原因が何であれ、もうどうでもいい。仲直りしたい。一緒に座って星を眺めたい。遠い昔のように。」

  そう、恐らく彼は星を眺めたかったのだ。最初は単に老人の意固地な意地だったのかもしれない。別に車でもよかったのだ。しかしひとりで旅を続け、いろんな人と出会い、自分の過去を振り返るうちに旅それ自体が一つの目的になっていたのではないか。見渡す限りトウモロコシ畑が広がるのどかな景色を眺め、夜にはじっくりと星空を眺める旅。いつしかその旅は人生の旅と重なり合う。来し方を顧み、兄との来るべき再会を夢に見る。ミシシッピー川を越え、兄の住むマウント・ザイオンの近くまで来たアルヴィンは涙ぐんでいる。出発した頃はそうではなかったはずだ。つまらない仲たがいを悔い、いま残り少ない人生を思った時、兄とすごした子どもの頃、互いに星空を眺めていた仲のよかった頃を思い、あの頃の二人に戻りたいという真剣な思いがしだいに募っていったのに違いない。ただ一緒に星空を見上げたいがために、純粋にそれだけのために兄に会いたい。そういう気持ちになったのだろう。自分の気持ちを整理するために時間が必要だったのである。

  星空を眺めるということはもっと比喩的意味も含んでいる。星を眺めるとは自分の人生を見つめなおすことにも通じる。生き急いでいる人間にゆっくりと星空を眺める余裕はない。「ロード88」のヒロインのように難病で明日をも知れぬ場合でなくても若い頃は皆そうなのだ。わき目も振らず走り続けてきた人間はその過程で通り過ぎてきた多くのものを見落としてきた。走っている自分さえもたびたび見失っていただろう。いま、ゆっくりと人生最後の旅をしながら、アルヴィンは初めて会った人たちと話を交わし、自分を語りながら自分を見つめなおす。そしてその旅の終点に兄がいるのである。車で1日で行ってしまったのではそれが出来ない。星空を眺めている時間がない。そう、これはジェットコースター・ムービーの対極にある、究極の観覧車ムービーなのである。何もない地平を眺め、人の優しさとぬくもりを感じる旅、今まで気付かずに見落としていたものを再発見する旅。それがストレイトの旅だった。

  余談になるが、この映画を観て、老人(というより老女)の一人旅を描いたもう一つの傑作「バウンティフルへの旅」(主演のジェラルディン・ペイジはアカデミー主演女優賞を受賞)を久しぶりに思い出した。いつも壁に向かって一人で話しをしているキャリーは、ある日息子夫婦に黙って自分の生まれ故郷のバウンティフルへと旅立つ。しかし既に故郷へ行く路線は廃線になっていた。仕方なくバスに乗って行くが、バウンティフルという駅は既になくなっている。それでも、途中様々な人と出会い、その親切に助けられ生家まで何とかたどりつく。キャリーの行動は人生からの逃避ではなかった。そこにはむしろ生への前向きでひたむきな姿勢があった。この映画が観るものを感動させるのはそのためである。荒れ果てた生家を見て、後から追いかけてきた息子夫婦と帰る彼女の後ろ姿には、死の影はなかった。

  「ストレイト・ストーリー」に戻ろう。途中で出会った自転車に乗った若者の一人に「年を取って一番いやなことは何?」と聞かれる。アルヴィンは「最悪なのは若い頃を覚えていることだ」と答える。彼の言う「若い頃」には、第二次大戦の苦い、苦しい思い出が交じり合っている。と同時に両親や兄と農場で過ごした楽しかった時期も含まれている。忘れられない過去。彼はその過去を忘れようとして忘れられなかったのである。今ようやく彼はその過去と真剣に向き合い、兄と仲直りすることで重い過去を背負って苦しんできた自分を乗りこえようとしている。

  アルヴィンはついに兄の家に着く。このラストが素晴らしい。兄のライル(ハリー・ディーン・スタントン)が戸口に現れる。二人はしばらく口を利かない。やっとライルが口を開く。「あれに乗っておれに会いに来たのか。」アルヴィンは「そうだ」と答える。二人は腰を下ろし無言で空を見上げる。言葉などいらない。いや、到底言葉では互いの思いを語りきれないのだ。遠い昔のように一緒に座って星を眺めれば互いの思いは伝わる。それでいい。満天の星で始まり満天の星で終わる。見事なラストである。

  次はどんな作品になるか分からないと先のインタビューでデイヴィッド・リンチは語っていたが、結局「ストレイト・ストーリー」の次には従来の路線通りの「マルホランド・ドライブ」を作った。しかし懐の深い彼のこと、いつの日かまた「えっ」と驚くような意外な作品を作ってくるだろう。ドアはいつでも開いているのである。

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