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2005年12月14日 (水)

わが家の犬は世界一

2002年 中国 31su
製作総指揮:フォン・シャオガン
監督、脚本:ルー・シュエチャン
製作:ワン・チョンジン
撮影:チャン・シーグイ
編集:コン・ジンレイ
美術:リュイ・ドン
音楽:シャン・ミン
出演:グォ・ヨウ、ディン・ジャーリー、リー・ビン
    リー・キンキン、シア・ユイ

  「1994年北京市は犬の飼育の厳重制限を決定。翌95年5月1日より一斉取締りが始まった。」映画冒頭の字幕がこの映画の基本的なシチュエーションを簡潔に説明している。「わが家の犬は世界一」はこの取締りによって愛犬を奪われた一家が、何とかその犬を取り戻そうと奮闘する話である。犬が取り上げられたのは登録をしていなかったからだが、登録料の5000元は庶民にとって簡単には払えない額である。その5000元がどれほど大変な額であるかは、主人公ラオ(グォ・ヨウ)の妻ユイラン(ディン・ジャーリー)の「5000元ためるのに何年かかると思うの。たかが犬のために3年はかかるのよ」という台詞から想像がつこう。

  この映画を通して中国のいろいろな事情が見えてくる。まず、中国では何事にも裏のルートがあるということ。登録料が払えないために、ラオは様々なコネやつてを頼って裏から手を回して愛犬カーラ(英語のタイトルは”Cala, My Dog”)を取り戻そうとする。犬を売る闇の業者も登場する。取締りが強化されれば闇屋が跋扈するのは道理。麻薬と同じだ。

  中国の平均的な家庭の事情もほの見える。一人っ子政策だから当然子供は一人。息子のリアンは親に反抗的なところがある。それでも、友人がカツアゲにあっているところを助ける義侠心もある。そのことが後にとんでもない結果をもたらすのだが。妻のユイランはリストラされている。中国では女性の社会進出は日本よりはるかに進んでいる。共働きでなければ暮らしていけないという事情もあるだろうが、経済的に自立している中国女性は強い。ルー・シュエチャン監督はインタビューで、「ラオのように一家で立場の弱い父親って、中国には結構多いんですか」という質問に対して次のように答えている。「僕が物心ついたころ、1970年代にはそういう父親は普通にいたね。中国では女性が自立してるんだ。ほとんどの女性が仕事を持っていて、経済的にも自立してるし、家に帰っても夫と対等な立場だ。男性の方が必ずしも発言力があるわけじゃない。女性が強い、というより、よく言えば、男性が心が広い、寛容ってことかもしれないけど。」ラオは妻にも息子にも疎んじられているうだつの上がらない男で、愛犬のカーラだけが唯一の彼の慰めだった。彼が必死で犬を取り戻そうと努力するのはそのためである。

  95年というと今から10年前だが、今ほどではないにしろ急激な経済発展で中国の社会や文化が急速に変わっていった時期である。富裕層が生まれ、ペットを飼う余裕が生まれてきた。次々に高層ビルが建てられ始め、古い建物はどんどん壊されていった。廃墟のようになった建物に隠れて犬を密売している業者が一斉に検挙されるシーンも出てくる。あるいは、ラオが金を借りようと母親の家に行くところでは、手前の貧しい家並みの向こうに高層ビルが覆いかぶさるように屹立しているシーンが映し出されている(彼女には日照権の訴訟により大金が転がり込んでいた)。9月に中国旅行記を書いたときに近代化と貧困が隣り合っていると指摘したが、そういう状況はこの頃既に現出していたのである。

  そんな中で庶民はたくましく生きている。違法な商売をしたり、法律違反ぎりぎりの危ない仕事をしたりして何とかしのいでいる人たちも少なくない。ラオがカーラを一旦あきらめて闇で犬を買うシーンは秀逸だ。廃墟の様な建物の前に貧しそうな露天商が並んで物を売っている。その中のひとりの女に犬はいらないかと声をかけられ、ラオは迷った末女についてゆく。女はすぐそこだというが結構遠くまで歩かされる。怪しげな路地を入ったところに犬がいた。ラオはカーラと似た犬を買う。しかしその犬はただの白い犬を斑に染めた偽ものだった。そんな犬に300元も払ってしまった。あわてて元の場所に戻るがもぬけの殻。最初に彼を誘った女もいつの間にかいなくなっていた。アメリカのサスペンス映画を観ている感じだ。

  そう、サスペンス映画。この映画は単に現代中国生活事情を垣間見るだけの映画ではない。この映画を、あえて名づければ、中国風ノンアクション・サスペンス・ムービーといった角度から見てみると面白い。カーラを取り戻す期限は翌日の午後4時。それまでに金を払って登録するか何らかの方法で助け出さなければカーラは処分されてしまう。不吉にも、映画の途中で、まるで肉屋の店先にぶら下げられている豚肉のように、皮をむかれて上から逆さまに吊り下げられている3頭の犬を乗せたトラックが走り去ってゆくシーンが出てくる。何とかしなければカーラもああなってしまう!さながら「24」のように、字幕で「あと8時間」、「あと4時間」、「あと1時間」とどんどん期限が迫っていることが示される。しかも相手は庶民から犬を取り上げるにっくき権力。相手にとって不足はない。愛犬奪還のためヒーローの孤軍奮闘、派手なアクションが展開されるはずだ。

  しかしそこは中国映画。あまり緊迫感はない。車をぶっ飛ばして疾走したり、銃を片手に公安(日本の警察にあたる)と派手な立ち回りがあったり、刑務所の壁ををよじ登ったりなどは一切ない。しかしそこがいいのである。ラオの武器は裏ルートのつてと警官への賄賂である。仲介者に頼んで犬を探し出してきてもらうが、なんとそれは血統書つきのマルチーズだった。世話をしてくれたヤン(彼女の飼い犬がカーラの親犬)は、この犬は「カーラとは月とすっぽん」だから、高い金を払って「登録する価値もあるわね」というが、ラオはそんな犬には見向きもしない。たとえ雑犬であってもカーラでなければダメだとなおも探し回るラオがいじらしい。あるいはヤンの犬の登録証を借りてカーラを引き取りにいく「替え玉作戦」も試みnekozyarashiる。親子だから写真が似ているのでうまく行くと思ったのだが、耳の形が違うことに気付かれて逆にヤンの登録証を没収されてしまう。それでは踏んだりけったりだ。そこで登場するのが賄賂。タバコ代と称して小金を渡すが、警官(「太陽の少年」、「西洋鏡」のシア・ユイ)は賄賂など受け取らないと突き返す。しかし後で登録証をヤンに返す場面が出てくるので、結局鼻薬が効いたことが分かる。あれは建前だったのである。

  いろいろやってみるがどれもうまく行かない。へそくりを取り出してみても1500元しかない。奥さんに相談するが、彼女は「たかが犬のために」そこまでする必要があるのかと渋る。説得されて彼女もへそくりを出してくるが(彼女だって出来ることならカーラを取り戻したいのだ)まだ足りない。定期預金が3万元あるが、息子のリアンの進学費用もあるから手はつけたくないといわれる。どうもこの「サスペンス映画」のヒーローはさっぱり活躍しない。「武器」の使い方もろくに知らず途方にくれるばかり。愛犬奪還のために必死の形相で車を爆走させるどころか、夜勤の疲れで眠ってしまったりする。果ては奥さんにヤン(リー・キンキン、美人である)との間をかんぐられてあわてて弁解する始末。その間にも刻々と時間は過ぎてゆく。

  ところがとんでもないことが起こり事態はにわかに緊迫する。息子のリアンがカツアゲされていた友達を助けたとき、相手の男に骨折する怪我を負わせて逮捕されてしまったのである。なんとリアンが収監されたのはカーラが収容されているのと同じ警察署。しかも時間はもうほとんど残っていない。警察署に飛んでいったラオとユイラン。カーラをこっそり逃がそうとしたり、息子に説教したり、怪我を負わせた相手の親と示談の交渉に応じたりとあわただしいこと。このあたりははらはらさせられる。

  ところが我らがヒーロー・ラオは中国人には珍しく押しが弱い。ひたすら頭を下げて頼み込むばかりだ。全くのアンチヒーローである。同じ必死で走り回るのでも「ボーン」シリーズのマット・デイモンとはなんという違い!しかしそのしょぼくれ具合がいい。ラオを演じているのは「活きる」(94年)、「さらば、わが愛/覇王別姫」(93年)、「キープ・クール」(97年)そして「ハッピー・ フューネラル」(01年)などで日本でも知られる名優グォ・ヨウ。いかにも情けない顔で奔走する頼りないお父さんを見事に演じている。戸惑い、困惑し、へりくだりながらも必死でカーラをすくおうと走り回る姿が哀愁を帯びてきて、いつしか彼に共感してしまう。

  しかし無情にも時間は過ぎてゆく。ついに期限の4時になってしまった。息子は閉じ込められたまま、カーラはトラックで運び去られる。そこで映画は突然終わってしまう。あまりの唐突さに正直唖然とした。カーラがどうなったかは字幕で知らされる。しかしリアンがどうなったかは何も分からない。後で冷静になって考えてみると、この様な唐突な終わり方にした理由が理解できる気がした。あの終わり方は、この映画が描いたのは人生の一断面である事を示すために意図的に取られた手段なのだろう。監督もインタビューで「ラオのような労働者の家庭で、父親と息子が理解し合えないケースは実際凄く多いんだ。90分という1つの作品の中で解決できる関係ではないんだよ」と語っている。映画のように2時間で区切りがつくわけではない。人生は続く。今度はリアンを救い出すためにお父さんはまた走り回らなければならないのである。

 ルー・シュエチャン監督は第五世代(50年代生まれ)に続く第六世代(60年代から70年代生まれ)を代表するひとりである。文革の影を引きずっていた第五世代に対して第六世代の監督たちは現代の生活を中心に描いてきた。ルー・シュエチャン監督も「庶民の生活をじっくり描いてみたいとかなり前から思っていた。中国映画全体には、こうしたごく普通の庶民を描いた作品は意外に少ない。だから、僕のように比較的若い世代の監督でリアルに現実を反映した映画を撮りたいと思っている人たちは多いんだ。今までは、現実をあまりにも反映させた作品だと検閲に通らなかったんだけど、ここ最近は検閲がやや緩やかになってきた。こういう作品を撮れる条件が整ってきたということもあるね」と語っている。権力に対する批判よりやはり庶民生活を描きたかったのではないか。上でこの映画を「中国風ノンアクション・サスペンス・ムービー」と呼んだが、ノンアクションだからジェットコースター・ムービーではなく「観覧車ムービー」である。だからこそ中国の事情がよく見えるのだ。車で走っていると気づかなかったことでも、自転車や歩きでは目に留まるように。ストーリ-を楽しむと同時に現代中国事情も垣間見られる一粒で二度おいしい映画である。小品だが愛すべき作品だ。

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