うえだ城下町映画祭②「女が階段を上る時」
成瀬巳喜男の「女が階段を上がる時」は銀座のバーの雇われマダムの話である。こちらは華やかな世界の裏面を哀愁をこめて描いている。成瀬監督得意の女性映画で、興行的にも大ヒットした。主演は高峰秀子。高峰秀子は淡島千景とならぶこの時代のお気に入り女優である。「馬」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」「名もなく貧しく美しく」等々、数々の出演作は名作ぞろい。
男たちに翻弄され、家族に悩まされながらも、一人の女として自立して生き抜いてゆこうとする女性を描いている。その意味では溝口の描いた「祇園囃子」に通じるものがある。タイトルは、主人公圭子(高峰秀子)のバーが二階にあり、いつもその階段を上がるときに一瞬のためらいを彼女が感じるところからつけられている。階段を上がりきったら自分を捨て客のサービスに徹する世界に入り込むからである。
彼女の夫は何年か前に事故で亡くなっている。以来彼女は決して特定の客と深い仲にならないようにしている。圭子はいつも着物を着て店に出ているが、その着物は銀座のマダムとしては地味である。店に出ていないときでも着られるようにわざと地味な柄を選んでいるのである。このあたりに彼女の堅実な性格が現れている。主ななじみ客は銀行の支店長・藤崎(森雅之)、町工場の社長・関根(加藤大介)、実業家の郷田(中村鴈治郎)、利権屋・美濃部(小沢栄太郎)。かわるがわる口説かれるが彼女はうまくいなしている。
溝口監督は主人公の圭子の心の揺れに焦点を当てて描いている。銀座の雇われマダムも悩みが多い。疲れてアパートに帰った後も売り上げや経費の計算をしなければならない。時にはつけの清算に客の勤め先に出向かねばならない。彼女の元で働いた後自分の店を持ったユリ(淡路恵子)の店は大いに繁盛しているように見えたが、店を立ち上げたときの借金で車も宝石も手放した。ついには借金取りの同情を引こうと自殺未遂をするが、薬を飲みすぎて死んでしまう。冒頭にはガス自殺したマダムの話も出てくる。決して楽な商売ではないのだ。郷田に店を持たせてやってもいいと言われだいぶ気持ちが傾くが、特定の男に頼りたくないので、圭子は1人10万ずつたくさんの人から出資してもらうことを考える。
男に囲まれながら、男に身を売らず自立してゆくのは大変である。所詮雇われマダム。自分の店を持ちたいという願望は強くなる。しかし頑張りすぎ無理がたたって胃潰瘍になり、1月ほど実家で静養せざるを得なくなった。実家は佃島である。生まれは貧しい庶民の家という設定は彼女の性格をうまく表している。しかし実家も居心地はよくない。実家では兄(織田政雄)が借金を抱えて困っている。母親も兄も彼女が頼り。店の女将(細川ちか子)が見舞いに来るが、何のことはない早く店に戻れ、客のつけを早く清算しろと暗に催促しているのだ。実家すら安息の場ではない。自分のアパートが唯一くつろげる場所である。しかし、そこにも兄が借金を頼みに来たり、男が押しかけてきたりして決して完全な避難場所とはいえない。結局客も店の女の子もバーの経営者も、一皮向けば金のつながりしかない。華やかな銀座の享楽の影で、女たちは日々うめいている。彼女を取り巻く環境は不安定なもので、常に崩れ去る危険性を伴っている。いつ転落するか分からない綱渡りの人生である。圭子は堅実な性格だからここまで何とかやってこられたのだ。そんな圭子を愛しながらじっとそれを隠し、彼女を支えてきたのはマネージャーの小松(仲代達矢)である。
体も壊し自分の店を持つ夢もなかなかかなわない圭子はとうとう男に頼ってしまう。町工場の社長・関根に結婚を申し込まれ、圭子は申し出を受け入れる。美男子ではないが、酒も飲めないのに店に通い誠実な態度で接する彼を信頼したのだ。しかし彼の妻から(妻がいたのだ!)電話が入り、彼の話はすべて嘘だと分かる。落胆して酒におぼれる圭子を家まで送った支店長の藤崎は、彼女と一晩を共にしてしまう。実はこの藤崎に圭子は一番心を引かれていたのである。しかし翌朝彼は関西に転勤だと圭子に告げる。彼の帰った後に、今度はマネージャーの小松がやってきてこれまで隠していた思いを打ち明け、結婚してくれと迫る。圭子は断った。すべての男に裏切られ、圭子は自分ひとりで生きていこうと強く決心する。最後にまた階段を上がるシーンが出てくるが、その時の足取りは軽く自信に満ちている。
成瀬監督を代表する傑作は「めし」と「浮雲」だと思うが、「女が階段を上がる時」も素晴らしい出来だった。45年前の作品だが、今観ても圭子の描き方には共感できる。家庭以外に女性の生活の場がほとんどなかった時代に、「結婚して幸せになりました」という結論を持ってこなかっただけでも立派である。「女ひとり大地を行く」のようなたくましい女性として描かれてはいないが、彼女は悩み苦しみ、失敗を繰り返しながら自分の生き方を模索していった。結局元の状態に戻っただけだが、圭子の意識は大きく変わっている。「浮雲」と同じ高峰秀子と森雅之の競演作。男性客を演じた多彩な名優たちがそれぞれにいい味を出している。山茶花究、多々良純、藤木悠、沢村貞子、中北千枝子、賀原夏子、菅井きん、千石規子など、おなじみの役者が次々に登場するのも楽しい。昔の映画界には天上に輝くスターたちばかりではなく、実にたくさんの個性的な「地上の星」がいたのである。
成瀬巳喜男は、黒澤明、小津安二郎、溝口健二、今井正とならぶ日本映画の5大巨匠と呼んでいい存在であるにもかかわらず、これまであまり知られているとは言えなかった。やっと生誕百周年の今年になってDVD-BOXが発売され、様々な特集や上映会が催されるようになった。衛星放送やDVDが普及した意義は大きい。大都会に住んでいなくても過去の優れた遺産に容易に接することが可能になったのである。東京にいた頃、「文芸座」や「並木座」以外では滅多に日本映画の古典は観られなかった。「浮雲」は82年の11月から12月にかけて日比谷の「千代田劇場」で催された「東宝半世紀傑作フェア」で観た。他に「山の音」、「雪国」、「忍ぶ川」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」を観ている。この時を逃したら生涯観ることもないだろうと当時は思っていた。今はDVDで観ることが出来る。いい時代になったものだ。今後も日本映画の優れた遺産をDVD化する作業が進むことを強く期待する。
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