あの頃名画座があった(改訂版)②
◆73年
前回触れた映画記録ノートを今読み返して見ると実に面白い。4月に大学に入学するまでの3ヶ月間に42本映画を観ている。さすがにこの時期は受験勉強を多少はしていたはずだが、2日に1本観ていたとは自分でもびっくり。ほとんどテレビだが、「墓石と決闘」、「市民ケーン」、「国境は燃えている」、「真昼の決闘」、「攻撃」、「シェーン」、「ゴッドファーザー」、「飛べフェニックス」、「探偵物語」などを観ている。
東京に来て最初に映画館で観た映画は「ポセイドン・アドベンチャー」と「戦場にかける橋」の二本立てだった。銀座と京橋の境目辺りにあったテアトル東京で見たのである。確か高速道路のすぐ下だった。観客席の床がそのままスクリーンにつながっている、つまりコンクリートか何かでできたスクリーンだったことで有名な映画館だった。観たのは4月9日だから入学してすぐのことである。その後しばらくはテレビで観た映画が続く。まだ東京に慣れていなかった上に、大学にも慣れていなかったせいだろう。千葉県の流山市から片道1時間半から2時間かけて大学まで通っていたという事情もあるだろう。
次に映画を観に行ったのは、早くも京橋の国立フィルム・センターだった。4月28日にミケランジェロ・アントニオーニの「女ともだち」を観ている。当時イタリア映画特集をやっており、他にジロ・ポンテコルヴォー(「アルジェの戦い」の監督)の「ゼロ地帯」、フェリーニの「カビリヤの夜」、「81/2」、アントニオーニの「情事」、「夜」、「赤い砂漠」、フランチェスコ・ロージの「真実の瞬間」を観た。気付くのが遅く、特集の前半を見逃したのは未だに残念でならない。それでも、名前だけしか知らなかった作品が何と70円(当時70円だったのだ!)で見られるのだから、うれしくて仕方なかった。そういえば、当時京都にも府立(?)のフィルム・ライブラリーがあったはずだが、その後どうなってしまったのか。まだあるのだろうか。
4月29日には銀座松坂屋でエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、翌30日には「十月」を観ている。それまで自主上映で何度か上映されていただけで、幻の名作といわれて久しかった映画である。このあまりにも有名な作品がたまたまこの年一般の人の前でヴェールを脱いだのである。何という幸運。期待したほどの感動はなかったが、幻の名作を観ることができただけでも田舎出の学生にとっては感涙ものだった。
5月1日には「イージー・ライダー」と「真夜中のパーティー」(初めて観たホモセクシャル映画、「ズボンをはいて座るときは股を開いて座りなさいよ」などという会話がうぶな学生にはシュールに響いた)の二本立てを観ているが、どこで観たのかは書いてない。今となっては知りようもない。次に場所が特定できるのはシドニー・ルメットの「質屋」とアーサー・ヒラーの「ホスピタル」を観たパール座だ。高田馬場の早稲田予備校の向かいにあった有名な名画座で、その後何度もお世話になったところである。 5月17日には新宿の紀伊国屋ホールで「イワン雷帝」の特別上映を観ている。これも幻だった映画である。赤を中心にしたカラーの鮮烈な画面が記憶に残っている。5月19日には初めて池袋の「文芸座」に行っている。パゾリーニの「テオレマ」と「アポロンの地獄」を観に行ったのだ。文芸座といえば東京の名画座の代表格で、当時の映画青年は皆ひんぱんにここに通ったものだ。僕にとっても銀座の「並木座」とならんで一番多く通った名画座だろう。ただしここはあまり雰囲気はよくなかった。新左翼系の学生が多いと言われ、確かに怪しい風体の男たちが目立った。警察官の見回りもあったくらいだから風紀もよくなかった。そのうち81年頃だろうか、「ル・ピリエ」ができ、喫茶店と書店も併設されて便利ではあった。「シネ・フロント」のバックナンバーや映画の前売り券などなどをよくそこの書店で買った。5月20日に「恋のエチュード」と「暗くなるまで待って」を観ているが、場所を書き忘れている。
5月23日になんと「ズール戦争」をテレビで観ている。先月観たばかりだが、初めて観たつもりでいた。12月29日にテレビで観た「家族」(山田洋次)も観たことを忘れていた。薄れてゆく記憶力に涙(・_・、)。5月27日に黒澤の「素晴らしき日曜日」と「どですかでん」の二本立てを観ているが、場所が書いてない。恐らく「文芸地下」か「並木座」で観たものと思われる。6月9日に厚生年金会館で「キッド」を観ている。こんなところにも行ってたのか!ひどいフィルムでものすごい雨が降っていたのを覚えている。それでも感動したのだからチャップリンはすごい。ところで画面に「雨が降る」という表現は若い人にわかるだろうか。使いまわされたフィルムはいたみが激しく、映すと傷が一面についていて雨が降っているように見えることからそう言っていた。時には映写機が止まってしまって、投光機の熱でフィルムが見る見るうちに溶けてゆくのがスクリーンに映し出されることもあった。6月10日にはテアトル新宿でジョゼフ・ロージーの「夕なぎ」、「秘密の儀式」、ビスコンティの「地獄におちた勇者ども」を見ている。三本立ての初体験だった。テアトル新宿と三鷹オスカーは三本立てで有名な所で、ほかの名画座は二本立てが一般的だったと思う。
その後、夏休みを挟んだ7月~8月はなぜかテレビで観たものが多く、ほとんど映画館に足を運んでいない。7月3日に「ジョニーは戦場へ行った」、8月3日に「欲望という名の電車」をパール座で観ているだけだ。テレビは相変わらずすごい。「レベッカ」、「デカメロン」、「フェリーニのローマ」、「赤い風車」、「明日に向かって撃て」、「自転車泥棒」、「わが家の楽園」、「落ちた偶像」、「西部戦線異状なし」、「サイコ」、「魂のジュリエッタ」、「若者のすべて」、「駅馬車」、「将軍たちの夜」、「仁義」、「ローラ殺人事件」、「十戒」、「誓いの休暇」、「渚にて」等々。
8月下旬から徐々に映画館に行き始めた。8月30日にパール座で「哀しみの青春」と「愛のふれあい」の二本立て。9月1日に文芸座で「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」の二本立て。9月8日にパール座で大島渚の「儀式」と篠田正浩の「沈黙」二本立て。9月10日には初めて水道橋の後楽園シネマ(球場の横の建物にあった、もちろんドーム球場にはまだなっていなかった)に行っている。吉田喜重の「戒厳令」と市川崑の「股旅」の二本立てを観た。このころから徐々に日本映画を観始めていることが分かる。11月25日には文芸地下で「用心棒」と「野良犬」の二本立てを、12月16日には銀座の並木座で「虎の尾を踏む男たち」と「赤ひげ」の二本立てを観ている。
ようやく10月に入ってフィルム・センター通いがまた始まる。10月3日から「1930年代ヨーロッパ映画特集」という、願ってもない企画が始まったからである。2部に分けて12月15日まで続いたこの特集はそれまでほとんど観られなかった名作を40本もそろえた夢のような企画であった。全部で17本を観た。「自由を我らに」、「制服の処女」、「会議は踊る」、「春の驟雨」、「にんじん」、「地の果てを行く」、「こわれ甕」、「野いちご」、「大いなる幻影」等々。その時見落としたもののうち後日観ることができたものもあるが、いまだに未見のものが数本あり、残念である。ビデオになっていないものが多く、まさに貴重な特集だったといえる。このとき観た映画は一生の宝だ。
この頃はまだ映画をテレビで観ることが多く、劇場はフィルム・センターを別にすれば以外なほど観に行っていない。ほとんど劇場で観るようになったのは79年頃からである。前述した映画館のほかに73年に行っているのは、渋谷の東急文化会館6Fにあった東急名画座、渋谷文化、新宿の名画座ミラノ、新宿グランド・オデヲン程度である。
一方、テレビで観た映画を並べてみると圧倒される。「飾窓の女」、「異邦人」、「トプカピ」、「冬のライオン」、「スミス都へ行く」、「鳥」、「椿三十郎」、「七人の侍」、「獣人」、「できごと」、「警視の告白」、「ナチス追跡」、「大列車作戦」、「日曜はダメよ」、「黒水仙」、「ベケット」、「戦争は終わった」、「アルトナ」、「チャンピオン」、「アスファルト・ジャングル」、「僕の村は戦場だった」、「アパートの鍵貸します」、「偽りの花園」、「猿の惑星」、「ハムレット」、「大脱走」等々。相当絞ってもこんなにある。1年でこれだけの名作をテレビで観ていたのである。今の衛星放送よりよほどすごい。
今振り返ってみて驚くのは、その年の新作をほとんど観ていないことだ。7、8本程度しか観ていない。テレビで観たものが古いのは当然だが、映画館で観たのもほとんどが昔の名作である。この時期で既に徹底した名作主義になっている。評判の新作にはほとんど目もくれず、名作を観られるところならどこにでも行っている。73年に公開された映画の半分程度は翌年に名画座に回ってきたときに観る。名画座をレンタルDVDに変えれば今と同じ姿勢だ。今評判の映画でも10年後には忘れ去られているかもしれない。それより作られて30年たった今でも名作として語り継がれている映画を観る方が確実だ。確かにあの頃既にそう考えていた。ただ80年代には新作をかなり観るようになってくる。欧米映画先進国以外の映画がどっと日本に入ってくるようになったからだ。岩波ホールにもしきりに通っている。東欧、南欧、南米、アフリカ、中国、北欧などの映画が入って来るようになって、僕の意識が大きく転換する。旧作主義から世界中の映画を観てやろうという姿勢に変わる。この転換が今の僕の原点である。
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