エイプリルの七面鳥
2003年 アメリカ
原題:April’s Pieces
監督、脚本:ピーター・ヘッジス
音楽:ステフィン・メリット
撮影:タミー・レイカー
出演:ケイティ・ホームズ、パトリシア・クラークソン
デレク・ルーク、アリソン・ピル、ジョン・ギャラガーJr.
オリバー・プラット、アリス・ドルモンド、
リリアス・ホワイト
80分ほどの小品だがなかなかよく出来た映画である。アメリカ映画はハリウッドの大作よりも、低予算の映画にいいものがある。ヒット作の続き物や外国映画のアメリカ版などよりよほどいい。
エイプリルは「四月」という意味ではなく、ヒロインの名前。毛を赤く染め、タトゥーを入れ、アヴリル・ラヴィーンばりに目の周りが黒くなっている。見た目は全くのパンク少女である。
エイプリル(ケイティ・ホームズ)はニューヨークのスラム街にある小汚いアパートにボーイフレンドのボビー(デレク・ルーク)と二人で暮らしている。ボビーは黒人だ。彼女は小さい頃から家族となじめず、家を飛び出したのである。中でも、典型的な中流家庭の母親であるジョーイ(パトリシア・クラークソン)とは全くそりが合わない。しかし母親がガンで余命いくばくもないと聞いて手料理で家族全員を持て成す計画を立てた。ちょうど感謝祭の時期だったのでエイプリルは七面鳥の調理に初めて挑戦する・・・。
映画はエイプリルが朝目覚めたときから家族と再会するまでの1日を描いている。いわゆる「心温まるホームドラマ」のカテゴリーに入る映画である。アメリカにはこのジャンルに秀作が多い。ファミリーに対する思い入れは日本よりよほど強いだろう。家族崩壊の現象が広がっているだけになおさら惹かれるものがあるのかもしれない。
お得意のジャンルで他に傑作も多いとなれば、新手の工夫が必要である。親子の反目と和解、和解のきっかけとなる母親の不治の病という基本設定はありきたりのものだ。しかしこの映画は一日だけに時間を絞ることによって画面に差し迫った緊張感を与えている。家族との再会に心を弾ませ張り切るエイプリルを次から次へとトラブルが見舞う。一方、エイプリルに会いに行く家族たちには心の揺れがある(家族に散々迷惑をかけた不良娘に会ってもいやな思いをするだけではないか、引き返した方が良いのではないか)。特に、誰よりも娘に対して辛らつである母親の態度に不安がよぎる。多少ドタバタ調のエイプリルのエピソードと苦い笑いをこめた不安感みなぎる家族のエピソード、わずか80分の小品に異なる二つの味付けをした脚本の妙。この作品が成功したのは二つのドラマを同時進行させ、最後まで緊張感を持続させたところにある。料理などしたことのないエイプリルに家族を喜ばせるような料理が作れるのか、そもそも料理は間に合うのか、家族たちは本当に来るのか、彼らはエイプリルが料理に込めた「感謝」の気持ちを受け入れられるのか。最後まではらはらさせる展開が見事である。気が付くと観客はいつの間にか画面にのめり込んでいる。最後にこの二つのドラマは一つに合流し、お約束の「心温まる」エンディングへ。大枠は型どおりといえば型どおりだが、ドラマの進行と味付けに絶妙の工夫が見られ、ありきたりのホームドラマの枠を超えている。
慣れない手つきでエイプリルは料理の準備をする。その手つきの不器用なこと。ナイフで指を切ったり散々苦労する。やっと七面鳥に具を詰めて後は焼くばかりとなるが、何とオーブンが故障。さっぱり熱くならない。あわてるエイプリル。アメリカ中がオーブンを使っているこの日に修理を頼むのはそもそも無理な話。頼りのボビーは身なりを整えるためにスーツを調達に出かけていていない。やむなく他の住民にオーブンを貸してほしいと頼んで回るが、どこも冷たい反応。実家に帰っていて留守のところ、いてもドアすら開けてくれないところが多い。やっと彼女に協力してくれたのは陽気な黒人の中年夫婦だった。七面鳥の詰め物やタレにレトルトばかり使っているエイプリルに、それじゃダメだと新鮮な食材を提供してくれる。
オーブンを貸してくれたのは白人の若い男ウェイン(ショーン・ヘイズ)。しかし超が付く偏執狂でエイプリルは散々彼に振り回される。結局十分焼きあがらないうちに部屋から追い出される。困っているところに声をかけてくれたのは中国人の一家だった。一見冷たそうな人たちが実は親切な人たちだったという展開はアメリカ映画によく出てくる(例えば「イン・アメリカ 三つの小さな願いごと」)。これは偶然でも作り事でもない。東京のスラムで育った小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟なりき』(ちくま文庫)という実に面白い本がある。一般のイメージとは逆に、彼が育った岩の坂というスラム街には「活気と治外法権的な自由な雰囲気があった」という。そして長じて各国を回った著者はニューヨークのハーレムにも同じ雰囲気を見出したという。いろいろなところに行ったが、別れる時いつまでも手を振って別れを惜しんでくれたのはスラムに住む人たちだけだったという話が印象的だ。
スラム街のアパートは小さな社会である。そこに住む下層の人々を描きこむことによって、エイプリルのエピソードはぐっと豊かなものになった。住民の冷たい反応も描きつつ、作品に込められた共感はエイプリルの中流家族にではなく、これらの下層の人々に向けられている。エイプリルが中国人一家に語る「感謝祭」のいわれにも差別されてきたネイティヴ・アメリカン(インディアン)に対する共感がさりげなく込められている。いろんな人たちに助けられ、何とか家族を喜ばせる料理を作ろうと奮闘するエイプリルに「頑張れ」と声をかけたくなる。
一方、エイプリルの家族のエピソードも朝から始まる。エイプリルの父ジムが目を覚ますと妻のジョーイがいない。思わずベッドの横を覗くところが滑稽だが、何とジョーイは早くも支度をして車に乗り込んでいた。こわばった冷たい顔で助手席にじっと座っているジョーイにはどことなく異様な雰囲気が漂っている。この出だしの描写が見事だ。どこか尋常でないジョーイの性格を的確に描き出している。出発前から不安な雲行きが漂っているのである。
旅の車中でさらに不安が増幅してゆく。エイプリルの妹ベス(アリソン・ピル)と弟ティミー(ジョン・ギャラガー・ジュニア)の性格も車中の会話を通してあぶりだされる。ニューヨークに近づくに連れて不協和音が大きくなってくる。ジョーイは、エイプリルを少しもかわいいと思ったことがない、彼女の思い出はいやな思い出ばかりだと吐き捨てるように言う。必死で娘のフォローをする夫に促されて、一つだけいい思い出があると話し始めると、それは私よとベスが話の腰を折る。ついにはジョーイがあまりにひどいことを言うので、一緒に乗っていた祖母(少しぼけが入っている)が、「あなたは誰? あなたは私の娘じゃない。私の娘はそんな意地悪じゃなかった」と言ってそっぽを向く。こういうちょっとした台詞が実に効いている。
ジョーイが途中で車を降りてしまったりと散々てこずった挙句やっとエイプリルのアパートの前に着いてみると、そこは薄汚れたスラム街で一家は尻込みする。そこへ折悪しくぼろぼろの服を着て血を流した黒人のボビーが戻ってくる(帰る途中でエイプリルの前の恋人に絡まれたのだ)。ボビーから家族が着いたと知らされてエイプリルが通りに下りてきてみると、そこに車はなかった。すっかり腰が引けているところにボビーに声をかけられた家族は逃げ出していたのだ。彼らはどこかのレストランに駆け込みほっとする。一方落胆したエイプリルは、階段を上りながら階段に沿って飾りつけておいた風船をひとつひとつ割ってゆく。ここの描写が悲しい。
この絶望状態を救ったのは、なんと母親のジョーイである。彼女はレストランのトイレである出来事を目撃する。なぜその出来事がジョーイのかたくなな気持ちを変えたのか僕には正直ぴんとこなかった。恐らくそれは理屈ではないのだ。ジョーイが心の底に長い間押し込め封印していた何かが、この出来事をきっかけに一気に噴出したのだ。子育てで散々手を焼き苦労してきた母親だけに分かる、理屈を越えた思いが彼女の胸の中にあふれ出てきたのに違いない。エイプリルが長女なのはそういう意味で絶妙な設定だった。母親として一番未熟だったときの子なのだ。死を目前にした彼女の胸に去来したのは何か。それは彼女にしか分からない。だから彼女は夫にも子どもたちにも黙って、一人でレストランを抜け出し娘の元に駆けつけたのである。ある意味では、この場面こそ最も感動的な場面なのかもしれない。
この映画は決して無理やり泣かせる演出をしていない。そこに好感が持てる。監督のピーター・ヘッジスは「ギルバート・グレイプ」の脚本家として知られる。本作の脚本も彼が書いている。随所に素晴らしいアイデアがこめられた見事な脚本である。
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観た後にちょっと幸せな気分になれる映画でした。 料理とは全く無縁そうなエイプリルが、オーブンが壊れてもめげずに、頑張り通すところなど、応援せずにはいられませんで [続きを読む]
» 『エイプリルの七面鳥』 [りりこの図書館]
エイプリルは感謝祭の日に家族を招待します。 家族と疎遠になっていたエイプリルはちょっと心配でなかなか準備を始められませんが 恋人のボビーの助けを借りてようやく初めての料理にとりかかります。 一方、エイプリルの家族も車に乗って家を出ますが……。 こういったらなんだけど、意外に面白かった! エイプリルの初めての料理は力技が多く、 おいおいって思うけれど、料理は愛情よね。やっぱ。 隣人との交流も面白か... [続きを読む]
» 乙酉年弥生弐ノ弐 エイプリルの七面鳥 [週刊電影報告]
エイプリルの七面鳥@飯田橋ギンレイ
2003/アメリカ/ピーター・ヘッジズ/Pieces of April
ニューヨークで恋人と生活するエイプリルは、中流家庭の家族とは折り合いが悪く幼少のころから何かと反発をしてきた。彼らとはもう何年も会っていないが、母親が癌の末期症状であり初めて家族を感謝祭にニューヨークのアパートに招き、手料理でもてなそうとする。
感謝祭の料理に初挑戦するエイプリル。何とか七面鳥の準備をし�... [続きを読む]
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