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2005年11月

2005年11月30日 (水)

あの頃名画座があった(改訂版)⑤

054599◆83年
  池袋にスタジオ200というスペースがあった。恐らく演劇なども上映しているところだと思うが、ここで「20世紀のドキュメンタリー ライプチヒ映画祭の25年」という企画が催された。83年5月7日に「『クチ』のゲリラ」、「ハノイ・13日・金曜日」、「すべての哀しみは他人事ではない」、「ダー河の架線」を観た。いずれも短編記録映画である。貴重な体験だったが、残念ながらほとんど記憶は残っていない。ライプチヒ映画祭は記録・短編映画専門の映画祭である。その存在は知ってはいたが、そこで上映された作品を観る日本で機会はめったにない。東京はこのように、多くの自主上映館があり、さまざまなユニークな企画が並んでいる点で非常に便利である。渋谷の東京国際映画祭は別格としても、文芸座の中国映画祭、三百人劇場の「ソビエト映画の全貌」などを始め、映画館単位で独自の「映画祭」企画を組んでいる。この傾向は84年頃から目立ってきており、特に86年以降(88年からは長野に移ったのでその後は分からないが)極めて盛んになっている。フィルムセンターや三百人劇場、あるいは名画座などは特集を組むのが普通だが、それ以外の映画館でも特集を組むようになったからだ。

 

  83年6月にまた池袋のスタジオ200でグルジア映画「ピロスマニ」を観ている。同名の画家を描いたものだが、何もない空間と静寂が支配する映画である。傑作だと思った。この頃からソ連の中の各共和国の映画が日本に入って来るようになった。3月に有楽町シネマで「サン・ロレンツォの夜」、新宿ビレッジ2で「エボリ」を観た。いずれも傑作で、久々にイタリア映画が息を吹き返したと感じた。80年代に公開されたタヴィアーニ兄弟の作品はどれも傑作だった。

 

  この年の10月から12月にかけて三百人劇場で「黒澤明の全貌」という特集が組まれていた。この頃にはもうほとんど彼の作品は観ていたので、まだ観ていなかった「姿三四郎」と「一番美しく」だけを観た(12月19日)。後者はいわゆる「戦争協力映画」で、予想通り内容はたいしたことはなかったが、観ておかねばならなかった。また12月から翌年の1月にかけて渋谷の東急名画座で「山本薩夫セレクト・フェア」が開催された。偶然なのか、同時期に東急名画座で「今井正監督特集」が組まれていた。今井正と山本薩夫は共に社会派の大監督だが、二人とも不当に無視されてきた感じがする。このような特集が組まれたことはその意味で非常に重要なことであった。山本薩夫の「金環食」、「真空地帯」を観た。

 

  しかし何といってもうれしかったのはこの年ついに小津を初めて観たのである。10月26日文芸座で「生まれてはみたけれど」と「小早川家の秋」を観たのだ。特に「生まれてはみたけれど」には感動した。84年から小津ブームが起きるが、これはその先駆けだった。

 

◆84年
   翌84年の2月6日・7日に大井武蔵野館で「東京物語」、「生きてはみたけれど」、「晩春」、「早春」を観ている。大井町に行ったのは恐らくこの日が初めてで、その後何回か行ったが、映画館がなければまず行くことのないところである。それはともかく、この頃小津ブームで、いろいろな所で小津の特集が組まれていた。2月28日には池袋の「サンシャイン劇場」で「秋刀魚の味」を観ている。大井町にはもう一つ大井ロマンもあり、そこでは4月15日に「ウッドストック」と「レッド・ツェッペリン狂熱のライブ」を観ている。

 

  この年には新しいなじみの映画館がかなり増えた。3月1日にシネ・ヴィヴァン六本木でニキータ・ミハルコフの「ヴァーリャ」を観た。この映画館はその頃でき始めた新しいタイプの映画館で、会員制になっていた。その日入会し、以後頻繁に通った。10月1日にはアフリカ映画「アモク!」(モロッコ・ギニア・セネガル)を観ている。岩波ホール並の芸術性の高い作品を中心に上映しているところで、結構いい作品を何本もここで観た。アフリカ映画といえばセネガルの「エミタイ」も岩波ホールで4月6日に観ている。3月5日に東銀座の松竹シネサロンで「花咲く港」と「カルメン故郷に帰る」を観た。ここはこの頃から特集を組んで、松竹の財産とも言える過去の名作を次々に上映していた。この時は木下恵介の特集だった。そのすぐ後には「田中絹代フェア」をやった。「野菊の如き君なりき」、「喜びも悲しみも幾年月」、「マダムと女房」、「おぼろ駕籠」等々、ここで初めて観た日本映画は多い。

 

  3月7日に渋谷のユーロスペースでアレッサンドロ・ブラゼッティの「雲の中の散歩」を観ている。ユーロスペースにはこの時初めて行ったのだが、ちょうどイタリア映画特集(「ネオリアリスモ秀作選」)をやっていた。料金は800円。3回券2000円。8日に「ウンベルトD」、9日に「二ペンスの希望」、11日に「屋根」、12日に「激しい季節」と立て続けに観に行っている。イタリア映画は昔から大好きで、たまたまこの特集はそれまで見逃していた作品を選んでくれたかのように上映していた。特に、「二ペンスの希望」は僕にとって長い間幻の映画だっただけに、感激ひとしおだった。というのも、昔テレビでこの映画を途中から観たのだが、ずっと題名が分からないでいた。全部観た訳ではないのでノートにも書いてなかったからである。カルメンとかいうヒロインがいて、その恋人が映画館から映画館に自転車で映画のフィルムを運ぶ仕事をしていた事だけをぼんやり覚えていた。だから「二ペンスの希望」を観ていてその場面が出てきたときには、やっと幻の映画を捜し当てた喜びで胸が騒いだ。

 

  この頃のACTのラインナップはすごい。3月13日に「禁じられた遊び」、「恐怖の報酬」、「やぶにらみの暴君」の三本立て、翌14日には「暗殺者の家」、「処女の泉」、「もだえ」を観042680ている。3月29日にもACTでドイツ表現主義のサイレント映画「カリガリ博士」、「ジーグフリード」、「ヴァリエテ」を観た。偶然かもしれないがその数日後赤坂の東ドイツ文化センターで「巨人ゴーレム」を観ている。ちょうど「スクリーン上のデーモン――表現主義の影」という特集を組んでいたのである。8日には「ドクトル・マブゼ」も観ている。ここへは後に『ドイツ映画の黎明――「三文映画」と「作家映画」』という特集を組んだときも観に行っている。これもめったに観られない貴重な企画だった。各国が同じような企画を立ててくれたらその国の文化紹介にもなるのでいいと思うのだが。

 

  84年4月14日、この日三百人劇場で忘れられない映画を観た。当時三百人劇場は4月から5月にかけて「ソビエト映画の全貌PART2」という特集を組んでおり、その一環として上映されたカレン・シャフナザーロフ監督の「ジャズメン」を観たのである。1920年代のオデッサが舞台。主人公はジャズのピアノ弾きである。当時ソ連ではジャズはブルジョア文化の手先とされ、理解されていなかった。それでも主人公はジャズが好きでやめられず、たまたま監獄で知り合ったサキソフォン吹きの男を交えてバンドを結成するが、その男は軍楽隊出身でアドリブが全くできない....。ジャズが好きで好きでしょうがない青年の情熱を描いたさわやかな映画で、特にピアノを弾いているときの彼の笑顔が素晴らしい。好きでたまらないことをやっているときの人間の顔はこれ程輝くものか。忘れられない映画の一つである。そのときの特集では他に名作アニメ「話の話」を観た。料金は当日1200円、特別鑑賞券1000円。

 

  5月12日に高田馬場東映パラスで「ザ・デイ・アフター」と「アトミック・カフェ」の二本立てを観ている。ニュース・フィルムを編集したドキュメンタリー映画「アトミック・カフェ」は、マイケル・ムーアの原点ということで「華氏911」が公開された昨年改めて注目され、DVDも出た。5月17日には三鷹オスカーで「祇園の姉妹」と「浪華悲歌」を観た。黒澤、小津と比べるとあまり上映される機会のない溝口健二の作品は見つけたら必見である。めったに行かない三鷹まで行ったのはそのためである。80年代に入ってかなり日本映画を観ている。この84年の7月には並木座で「にごりえ」と「真昼の暗黒」を観ている。同館で7月23日には「私が棄てた女」と「砂の女」を、10月10日には「切腹」と「武士道残酷物語」を観た。

 

  7月11日にお茶の水のアテネ・フランセでカール・ドライアーの「奇跡」を観た。アテネ・フランセにはこの日初めて行った。ここも自主上映の常連館で特集を組んで上映するのでありがたかった。8月6日には「岩波ホール」でサタジット・レイの「大地のうた」、「大河のうた」、「大樹のうた」三部作を一気に観た。有名な「大地のうた」はこのとき始めて観たが、期待どおりの傑作だと思った。前後するが、7月31日にキネカ大森でポーランド映画「大統領の死」を、9月1日には「王者のためのアリア」を観ている。「ポーランド・シネマ・ウィーク」と題した特集だった。当日券1500円、学生1300円、前売1200円。当時、ハンガリーを始め、チェコやポーランドの東欧映画がけっこう日本に入ってきていた。この2本は期待したほどではなかったが、10月14日に岩波ホールで観たユーゴ映画「歌っているのはだれ?」は傑作だった。独特の雰囲気をもったコメディタッチの映画である。キネカ大森はこの頃から増えてきた新しい映画館の一つである。キネカ錦糸町と恐らく同じ系列店だと思うが、錦糸町の方が後に出来たと思う。六本木のシネ・ヴィヴァンもそうだったが、新しい映画館は特色を出すためにユニークな作品を上映する傾向があり、ありがたかった。座席も座りやすくなり、前の人の頭が邪魔にならないように一列毎に座席半分ずらして並べるなどの工夫もするようになった。

 

  84年11月には渋谷の東急名画座(東口東急文化会館6F)で「スペイン映画祭」が開かれた。「クエンカ事件」、「黄昏の恋」、「夢を追って」、「パスクアル・ドゥアルテ」、「庭の悪魔」の5本を観た。料金は一般1500円、学生1300円。5枚セット券5000円。80年代前半はフランコ死後に息を吹き返したスペイン映画の黄金時代で、国際映画祭で次々に賞を取っていた。「黄昏の恋」はアカデミー外国語映画賞を取った傑作である。80年代の中国映画が文革時代を引きずっていたように、当時のスペイン映画はスペイン戦争の影を引きずっていた。「黄昏の恋」はそんな時代のせつない中年の男女の恋を描いた映画である。「クエンカ事件」は実際にあった事件を描いたもので、無実の罪で牢獄に入れられた男を描いたものである。全編これ拷問シーンばかりといった印象の映画だが、当時のスペインで空前の大ヒットとなった。そのことから当時のスペインの雰囲気がよく分かる。「パスクアル・ドゥアルテ」は徹底したアナーキズム映画だ。何の動機もなく次々に人や動物を殺す場面が出てきて、何とも気が滅入る映画だった。「問題作」だとパンフに書いてあったが、確かにそうとしか書けないだろう。名作「エル・スール」もこのときの上映作品に入っていたが、残念ながらこのときは観られなかった。85年の11月にシネ・ヴィヴァン六本木で上映されたときにようやく観ることが出来たのである。

 11月17日に初めて早稲田松竹で「波止場」と「地上より久遠に」を観ている。「早稲田松竹」に行ったのがこんなに遅かったとは。もっと行っていそうな気がするが、他の名画座よりも若干料金が高かったことと、やはりラインナップが今一つだったということだろう。

 

<付記>
  フィルムセンターは1984年9月3日に昔一度火事で焼けている。この火事はまさに日本における映画文化の貧困さを象徴していた。この日は多分いつもより比較的涼しい日だったのだろう、フィルム保管庫のクーラーを止めていたところ可燃性フィルムが自然発火してしまった。予算をケチってクーラーを止めたために貴重なフィルムを一部消失してしまったのである。fan-3当時新聞でそれを知ったときにはしばし呆然としたものだ。

 そもそも古いフィルムは発火しやすく、フィルム保管庫はいわば弾薬をかかえているのと同じである。オランダ視聴覚アーカイヴの可燃性フィルム保存庫は海辺の砂丘地帯の窪地にある。第二次大戦中にナチス・ドイツ軍のトーチカとして建設されたものをフィルム保存庫に改造したのである。保存庫は、職員が働いている隣室とは反対側の壁を比較的弱くしてあり、「最悪の事態」が生じた時にはそちらへ爆風が逃げてゆく構造になっている。トーチカを選んだのはそれが頑丈だからだが、周りに人家が少ないことも考慮に入れていたのだろう。

  昔のトーチカを改造して使う。これくらい保存に気を使わねばならないほど可燃性フィルムはデリケートなものなのである。そのクーラーを切るとは!フィルムセンターの所員の責任ではない。国立のフィルム・ライブラリーに貧困な予算しかつけない文化政策に問題がある。日本の文化予算は能や歌舞伎などの伝統文化の維持にほとんどをつぎ込み、映画などという「大衆文化」にはおこぼれ程度しか回ってこない。果ては、予算を増やすどころか、これでもまだ多いとばかりに2001年には独立法人にしてしまった。自国の映画産業をアメリカ映画の侵食から守るためにクォータ制をとっている国もあるというのに、国自らが映画文化の首を絞めてどうする。ここ数年予算は増えてきており、多少の理解も進んだようだが、松竹の大船撮影所閉鎖などの逆行現象は止まらない。映画は製作会社だけのものではない。国民の財産なのだ。製作だけではなく、上映、保存、修復など一連の事業を含めて対策を考えるべきものである。映画は後世に伝えるべき優れた文化遺産なのだという認識を、政府も国民の間でも確立することが今一番必要なことだ。

2005年11月29日 (火)

寄せ集め映画短評集 その12

在庫一掃セール第12弾。今回は各国映画6連発。

「ザ・インタープリター」(2005年、シドニー・ポラック監督、アメリカ)
 シドニー・ポラック監督というと「一人ぼっちの青春」(69年)、「追憶」(73年)、「トッツィー」(82年)等が有名だ033798が、75年に「コンドル」というサスペンスの名作を作っている。他にも「ザ・ファーム」(93年)という、法律事務所を舞台にしたジョン・グリシャム原作のサスペンス・ミステリーも作っている。
 「ザ・インタープリター」は国連を舞台に同時通訳の女性(ニコール・キッドマン)を主人公にしたという点でユニークである。しかし偶然大統領暗殺計画を耳にしたために命を狙われるという展開はありきたりである。出来は可もなく不可もなくというところか。特にこれといって新味もない。シークレット・サービス役でショーン・ペンがからむ。彼はさすがの存在感だが、こういう組み合わせもありきたりである。ただ、こういう場合ハリウッド映画は二人を必ず恋愛関係にしてしまうのだが、ショーン・ペンが妻を亡くしたばかりでその痛手から完全には立ち直っていないという設定になっていて、深い関係に踏み込ませない(一度だけ無言のまま抱き合う場面があるが)ところはさすがシドニー・ポラックである。
 最初のサッカー・スタジアムのエピソードがどう絡むのかかなり後の方にならないと分からない仕掛けや、狙われるニコール・キッドマン自身にも何か秘密があるというあたりは工夫を感じさせるが、これもよく使われる手だ。何で自分が追われているのかさっぱり分からないという「コンドル」の謎めいた展開に比べるとかなり見劣りする。まあ、平均的な出来栄えで悪くはないのだが、アメリカはこの手の映画を作りすぎているのだろう。「メメント」のような思い切り意表をつく設定でないといまさらもう驚かない。こちらはもう散々この手の映画を観てきているし、早川文庫や創元文庫を読み漁ってきているわけだから。
 この映画の収穫といえるのはニコール・キッドマンの若さと美しさだ。彼女こんなに若かったっけ?こんなに美人だったっけ?正直驚いてしまった。彼女が意外に美人だと気付いた(?)のは「ムーラン・ルージュ」の時だが(ただし最後まで観ていない)、その時よりも若く美人になっている。これが素顔なのか?それともメーキャップの賜物なのか?この映画より深い謎だ。

「ボーン・スプレマシー」(2004年、ポール・グリーングラス監督、アメリカ・ドイツ)
 こちらもそれほど展開に新味があるわけではないのだが、ずっと出来はいい。しかしどこが違うのか、どこがいいのか説明は難しい。前作の「ボーン・アイデンティティ」もそうだが、どこか「ダイ・ハード」(88年)を思わせるところがある。並みのアクション映画とは違う厚みと風格がある。「ダイ・ハード」はサスペンス・ハード・アクションの金字塔で、もう結構前の映画になるがいまだに何度観ても面白いと思う。この「ダイ・ハード」が他の作品よりどこが優れているのか説明するのは難しい。派手なアクション、めまぐるしい展開、強大な敵を相手にした孤独な戦い、これらの点で「ダイ・ハード」に匹敵する、あるいは上回る映画はいくつもあると思うのだが、映画全体の出来として「ダイ・ハード」を超える映画はまだ現れていないと思う。「ダイ・ハード」が優れているのは上に挙げた要素をすべて兼ね備えている上に、主人公に忘れがたい個性と存在感を与えているからだとしか今はいえない。
 「ボーン・スプレマシー」は「ダイ・ハード」に迫る数少ない映画である。「ボーン」シリーズはマット・デイモンの存在感が大きい。それまではおよそアクション俳優というイメージはなかったのだが、あっと驚く変身ぶりを見せてくれた。スマートでかっこいいというタイプではなく、どちらかというとずんぐりしてあまり身軽に見えないのだが、いざというときには俊敏な動きで見事なファイトをする。殺人マシーンという設定に負けていない。へろへろになって孤軍奮闘しながら「なんで俺がこんな目にあうんだ」とぼやくマクレーンは主人公として一つの確固としたイメージを作り上げているが、ジェイソン・ボーンの普段は優しい男だが、一旦緊急事態となれば無言でてきぱきと事を進めることができる冷静な役柄(ほとんど殺し屋のイメージ)もなかなかのキャラクターである。どこかゴルゴ13を思わせる凄みと身のこなし。ブルース・ウィリスなくして「ダイ・ハード」がありえないように、「走るジミー大西」マット・デイモンなくしては「ボーン」シリーズは考えられない。もはや「エイリアン」シリーズにおけるシガニー・ウィーバーの様な存在である。シリーズもので2作目が1作目に並ぶ、あるいは超えるものはそうはない。だからシリーズものの安易な作り方を常々批判してきたが、この水準を維持できるなら3作目があってもいいとさえ思った(元々三部作のようだが)。
 かつて同じ訓練を受けた仲間との格闘シーン、何度も出てくる脱出シーン、ラストのカーチェイス・シーンと盛りだくさんである。追われる立場でありながら、追う立場でもあるという抜群の設定と展開。そのアクションとサスペンスの連続に芯を与えているのは、不完全な記憶と悪夢にうなされつつ自分の記憶とアイデンティティを探ろうとするジェイソン・ボーンの複雑なキャラクターとそれを演じたマット・デイモンの演技力である。演技派の彼を主役に持ってきたことが見事に成功している。断片化した記憶を手繰ってゆくことが重要なサブ・テーマとなっていて、それが謎の解決と結びついている。
 しかも今回は敵役のカール・アーバンに凄みがありターミネーター並にしつこい。ボーン捜索を担当する女性指揮官役のジョアン・アレンもきつい顔で、有能な指揮官らしさ横溢。アクションの展開だけではなく、登場人物たちのキャラクターがしっかり描きこまれていないと、「マトリックス」のように観た次の日にはどんな話だったか全く思い出せないということになってしまう。とにかくいろんな意味でよく出来た映画である。原作はロバート・ラドラムの「殺戮のオデッセイ」(角川文庫)。

「アイリス」(2001年、リチャード・エア監督、イギリス)
 期待に違わぬいい映画だった。アイリス・マードックの若いときをケイト・ウィンスレット、晩年をジュディ・デンチが演じている。ケイト・ウィンスレットは輝くばかりの若さと美しさで奔放な性格の若きアイリスを魅力的に演じている。一方のジュディ・デンチは最初と最後で全く違うアイリスを演じ分けなければならない。最初に登場したときは理知的な老女であった。テレビで講演をしている場面が出てくるが、言葉も話の内容も明瞭である。しかし、徐々に同じことを繰り返し言ったり、 綴りが書けなくなったりしてゆく。最後は子供のようになってしまう。海岸でメモ帳の紙をちぎり、飛ばされないように上に石を乗せて並べてゆく。何の意味があるのか分からないが(恐らく本人にも分からないのだろう)、非常に印象的な場面である。もう一つ印象的なのは施設に入れられたアイリスが廊下で一人踊っているシーンである。短い場面だが、すぐ次に彼女がベッドで息を引き取る場面が続くだけに何とも強い印象を残す。
 夫である有名な文芸評論家ジョン・ベイリー役のジム・ブロードベントも見事な存在感を示した。若いころから太っていて、頭は禿げかかっており、その上どもりなのだが、まじめで人のよいその性格は人を引き付けるものがある。彼はアイリスがボケてからも決して彼女を見捨てなかった。時にはイライラしてどなったり、ののしったりすることもあるが、すぐに彼女のせいではないと気持ちを入れ替える。原作がジョン・ベイリーなので実際より美化されているとは思うが、いい話だ。
 このところイギリス映画には作家を描いたものや小説の映画化作品が多いが、BBCが果たしている役割が大きいのではないか。この映画もBBCの製作である。

「長雨」(1979年、ユ・ヒョンモク監督、韓国)
 最近の韓国映画はアメリカ映画に似てきたが、この作品は韓国独自の文化風習を色濃く反映している。しかも南北問題という韓国独特の社会・政治問題を中心にすえている。
 033799ある一家の家にその家の嫁の家族が移り住むことになる。嫁の母親もいて、2人のおばあさんは最初仲良く暮らしていた。丁度人民軍と韓国軍が一進一退の攻防を繰り広げていた時期だ。ところがその村が人民軍の占領下に置かれたときに、その一家の次男が人民軍に惹かれ参加してしまう。彼以外の家族はみな当然韓国側だ。嫁の家族にも同じような年頃の息子がおり、彼は右派の活動をしていたので裏山に隠れ住むことになる。人民軍に入った息子は撤退間際に山に隠れているいとこを密告する。幸いそれを予期していたため、いとこは無事だった。しかし韓国軍による解放後、彼は軍に入り戦死してしまう。彼の母は人民軍を呪う。それを聞いたもう一人のばあさん(つまり、息子が人民軍に参加した方)は激しく相手のばあさんをののしる。嫁の小さな息子もチョコレートに釣られおじが人民軍に参加していることを教えてしまう。こうして一家は真二つに割れてしまう。南北分断の悲劇を一つの家族の中に描きこんでいるわけだ。
 情勢は人民軍に不利になってゆくが、人民軍の息子を持つばあさんは、息子は決して死なないと公言する。しかし最後の戦闘で人民軍は壊滅する。それでもばあさんは息子の無事を主張してはばからなかったが、祈祷師が予言した日に息子は帰らなかった。代わりに蛇が門から入ってくる。それを見てばあさんは気を失う。するともう一人のばあさんが茶碗に食べ物を供え、(おいの生まれ変わりである)蛇に心を込めて話しかける。家のことは心配しなくてもよい。みな無事にやっている。だから安心して帰りなさいと。その言葉を理解したのか、蛇はゆっくりとまた門から出て行った。その一部始終を聞かされたもう一人のばあさんは、横たわったまま自分の非をわびる。外出を禁じていた孫にもわび、外で遊ぶことを許す。ようやく許しが出た孫は喜び勇んで長雨のあけた外に飛び出してゆく。希望と平和への祈りが込められた、感動的なラストシーンだった。
 南北分断が人々に与えた苦難を描くことは朝鮮戦争後ずっと韓国映画の主題の一つだった。最後に止むまでずっと降り続いている雨は、この鬱屈した重苦しい時代の雰囲気を象徴している。「長雨」(1979年)はその主題を扱った映画の代表作の一つだ。

「ホワイト・バッジ」(1992年、チョン・ジヨン監督、韓国)
 東京映画祭でグランプリを受賞した作品。時代は、パク・チョンヒ大統領が暗殺された1979年。期待通りの傑作だ。今では忘れられてあまり知られていないが、韓国はベトナム戦争時アメリカに協力してベトナムに派兵していた。この映画はそのベトナムから戦争後遺症を患って帰国した元韓国兵の話である。いわばアメリカ映画「帰郷」の韓国版といったところか。 最後にベトナムでの壮絶な戦闘シーンが出てくる。3人を除き部隊はほぼ全滅してしまう。敵をひきつける役目をさせられたことが翌日視察に来た司令官(?)から知らされる。「帰らざる海兵」と同じ設定だ。もちろん主題はベトナム戦争そのものよりも、その戦争後遺症を描くことにある。主人公役のアン・ソンギおよび彼と共に生き残った一人の一等兵に焦点が当てられている。
 その一等兵は、間違って民間人を殺してしまった上官に、その事実を隠蔽するために生き残った他の民間人も殺すよう命じられる。一等兵はためらうが、銃で脅されやけになって殺してしまう。直後に自分のやってしまった事実を見てのけぞる。彼は最後の戦闘で生き残るが精神に深いダメージを受けてしまう。一方アン・ソンギの方は大きな負傷もせず、精神を病むこともなく、その後ベトナム戦争を描く作家として暮らしている。そこにかつての部下である例の一等兵が突然電話をかけてくる。彼は自殺願望に悩まされ、妻との間もうまく行かず、死ぬことも出来ない。毎日サイレンや銃声を思わせる音におびえる生活。信頼する元上官のアン・ソンギに戦場から持ち帰った銃を預かってほしいと頼みこむ。
 ラストはアン・ソンギが預けられた銃で元部下を撃ち、地面に横たわった死体の横に彼自身も横たわる。むなしそうな顔を空に向けたアン・ソンギと部下の死体が映し出されストップ・モーションになる。
 韓国は第二次世界大戦以降も朝鮮戦争とベトナム戦争を経験した。また北との小競り合いも日常的にある。アメリカほどではないが、日本と違った現代史を歩んで来た国である。アメリカ製ベトナム戦争映画のブームが終わった後にこの映画が作られた意味を理解するには、韓国の歴史をよく調べねばならないが、この映画が作られた翌年の93年にキム・ヨンサムによる文民政権が生まれたことと無関係ではないだろう(その前まで軍人の大統領が続いた)。韓国にとってある意味ではまだ戦後になっていないのかもしれない。

「ビッグ・フィッシュ」(2003年、ティム・バートン監督、アメリカ)
 ティム・バートンにしてはなんともストレートな映画だ。デヴィッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」のようなものか。もちろんティム・バートンらしいファンタスティックな雰囲気や登場人物もたくさん出てくる。5メートルの大男や魔女(ヘレナ・ボナム・カーター)、上半身は双子で下半身は一人分の姉妹、サーカスの芸人達。何と言ってもユニークなのは桃源郷のような町スペクターだ。全員が裸足で生活し、たった3行の詩を書く作家ノザー(後に銀行強盗になり、その後成功する、スティーブ・ブシェーミ)や旅人の靴を町の入り口の電線に吊るす少女ジェニファー・ビル(後の魔女)など住民もユニークだ。
 主人公のエドワードはほら話(トール・テイル)が大好きな男(アルバート・フィニー、若い頃をユアン・マクレガー)で、死期を迎えている。散々ほら話を聞かされてすっかり親父が嫌いになった息子のウィルがしぶしぶ父親を見舞いに来る。この作品の中心テーマは、ウィルが父親を理解してゆくプロセスを描くことである。その外枠の中に父親の若い頃の回想というストーリーが入り込んだ形になっている。この部分がいい。特に妻サンドラ(若い頃をアリソン・ローマン、年取ってからをジェシカ・ラング)との出会いと結婚の部分。素晴らしいロマンスになっている。若い頃のはつらつとしたエドワードとすっかり太りベッドに横になったきりの現在のエドワードの差、この差が、息子ウィルが見る父親像と母親やウィルの妻ジョセフィーン(マリオン・コティヤール)が見るエドワード像との乖離につながっている。やがて少しずつ父親への誤解が解け、ついには父親の最期の時にウィルが作り話をするに至る。若いとき魔女の瞳を覗いたエドワードはその中に自分の未来を見たという。しかしその死の場面がどんなものだったかは誰にも話したことがなかった。その死の場面を息子に語らせようとするのだ。息子は精一杯想像力を働かせ、父親の話を引き継いで物語に結末をつける。ここで初めて息子と父の共同作業が行われるのである。二人が力を合わせて(想像力を駆使して)一つの物語を完成させる。いい結末だ。
 ファンタジーにロマンスを程よくミックスさせ、さらにアメリカの伝統のトール・テイルを組み合わせるという脚本が秀逸だ。「シザー・ハンズ」「ナイトメアー・ビフォー・クリスマス」と並ぶ彼の代表作になるだろう。

2005年11月28日 (月)

カーサ・エスペランサ

2003年 アメリカ・メキシコ
tenkiyuki脚本:ジョン・セイルズ
監督:ジョン・セイルズ
音楽:メイソン・ダーリング
撮影:マウリチオ・ルビンシュタイン
出演:マギー・ギレンホール、ダリル・ハンナ
    マーシャ・ゲイ・ハーデン、スーザン・リンチ
   メアリー・スティーンバーゲン、リリ・テイラー
    リタ・モレノ、 ヴァネッサ・マルティネス

 インディーズの大物として知られているジョン・セイルズ監督の作品。僕の好きな監督の一人だ。今のところ「パッション・フィッシュ」(92年)がもっとも優れた作品だと思うが、「メイトワン1920」(87年)と「フィオナの海」(94年)も傑作である。91年の「希望の街」は「再会の街」、「シティ・オブ・ジョイ」と3本いっぺんに観たので、記憶が入り混じってよく覚えていない。何であんな馬鹿なことをしたのか(後悔の涙)。

 それはともかく、ジョン・セイルズ監督作品ということで期待して観た。非常に変わった群像劇である。とある南米の国に赤ん坊を養子にもらおうとやってきた6人のアメリカ女性たち。スキッパー(ダリル・ハンナ)、ナンシー(マーシャ・ゲイ・ハーディン)、ゲイル(メアリー・スティンバーゲン)、ジェニファー(マギー・ギレンホール)、レスリー(リリ・テイラー)、アイリーン(スーザン・リンチ)。それぞれにいろんな事情を抱えている。ラテン系の国のこと、養子縁組の手続きがなかなか進まない。時間をもてあました彼女たちは買い物をしたり、観光をしたり、互いに語り合ったりして時間を過ごす。

  しかし、彼女たちばかりにスポットライトが当てられているわけではない。失業して何とかアメリカに密入国をしようとする現地の男、アメリカ人が泊まっているホテルの女性オーナー(なんとリタ・モレノ!すっかり年を取り、加賀まりこそっくりになっている)、左翼思想を持つその息子、そのホテルで働く女性メイド、町の浮浪少年たち、子供を身ごもり母親から養子に出せと強制されている女性。ここまで徹底した群像劇も珍しい。様々な人たちの人生が交差する南米の町。様々な理由で子供がなく養子を取ろうとするアメリカ人の女性たちと、子供を手放すしかない貧しい現地の女たち。養子になるには年を取りすぎてしまったストリート・チルドレンたち。アメリカに憧れる者、アメリカを批判する者。失業男は偽造パスポートを手に入れようとするが、金が足りない。くじで当てようとするが、逆に金を全部すってしまう。越えたくても越えられない国境線。難なく国境を越えられるのは養子にもらわれた赤ん坊だけであるという皮肉。

 全編ほとんど会話で埋め尽くされている。登場人物が多く、会話の組み合わせも多様なので、観客の意識は会話の内容に深くとどまらない。それは意図された演出だろう。アメリカ人女性たちもたまたま現地で一緒になっただけ。アメリカ人と現地の人との接点も一時的なもの。どこにも深い人間関係はない。たまたま居合わせた人たち。やがて養子縁組が決まり女たちは別れてゆく。はっきり養子が決まったと分かるナンシーとアイリーン以外はどうなったのかさえ分からない。突然終わってしまう。

 ホテルのメイド・アスンシオン(ヴァネッサ・マルティネス)とアイリーンの会話が印象的だ。互いに言葉が分からない。アイリーンは娘を持った自分を想像し、それを一方的にベッド・メイキングしているアスンシオンに話して聞かせる。最初は言葉が分からないので相槌もうたずただ聞いていただけのアスンシオンだが、今度は逆に自分の子供が北(アメリカ)にもらわれていったことを話して聞かせる。言葉が通じないのに互いに自分の思いを語りかける二人の女性。それなのに何かが通じ合っている。ラストで養子縁組が決まったアイリーンが娘の名前はエスメラルダにするとつぶやく。エスメラルダとはアメリカに養子に出したアスンシオンの娘の名前だ。ここにかすかな人間的つながりが示されている。いささか唐突な終わり方だが、アイリーンのつぶやきに余韻がある。

 ジョン・セイルズは何が言いたかったのか。豊かな国と貧しい国、その対比なのか。それもあるだろう。生みの親が育てるよりアメリカ人に引き取ってもらう方が幸せになれるという期待。「カーサ・エスペランサ」とは、「希望の家」という意味である。この期待は「幻想」なのか。そういう問いかけも映画に含まれている。豊かな国と貧しい国の関係とは、例えば、貧しい国の人々が食料にならないコーヒー豆を育て、飽食した国の人たちがそれを嗜好品として飲んでいる関係、飢えた国の人たちが生きるために自分の血を売り、その血は豊かな国の人たちに輸血される関係である。一方で飢餓に瀕した人々がおり、一方でダイエットに血道を上げている人たちがいる関係でもある。「北」は本当に幸せな人々が住む国なのか。そういう問いかけもある。赤ん坊を求めてきた6人のアメリカ人女性は皆幸せなのか。アメリカは徹底した競争社会だ。キャリア優先で後ろも見ずにひたすら走ってきた女性たち、離婚率が高まり家庭崩壊寸前の女性たち、何らかの理由で不妊になった女性たち、等々。心の隙間を抱えた女性が少なからずいるという現実。女性ばかりではない。独身の女性もいるが、結婚している女性でもその夫は出てこない。夫(男)の不在。これまた暗示的だ。

 赤ん坊を里子に出す母親も仕事を求める失業男も北に憧れる2204snowmanwreath4。名作「エル・ノルテ 約束の地」はグァテマラからアメリカに密入国した兄妹の話だが、「約束の地」で待っていたのはやはり過酷な現実だった。養子になった赤ん坊たちは容易に国境を越えられるが、幸せな人生が待っているのか。アメリカ人の女性たちは一緒に話しているときは楽しそうでも、皆一人になると寂しそうな一面を見せる。豊かな暮らしをしながら「何か足りない」人生。その足りないものを補おうと赤ん坊をもらいに南にやってきた女性たち。彼女たちが望んだのは赤ん坊そのものではなかったのかもしれない。心の空隙を埋めてくれる何物か。それぞれの空隙は一人ひとり違うだろうが、赤ん坊だけで埋められるものではないだろう。

 一方貧しい国の人々。こちらにも様々な理由がある。赤ん坊は決して売られてゆくのではない。何とかいい生活をしてほしいという願いも込められている。ストリート・チルドレンを見ているとそう願う気持ちも理解できなくはない。彼らは大人になってやはり偽造パスポートを持って「北」へ行こうとするのだろうか。かつて程の貧困はないのかもしれないが、貧しいことに違いはない。かつて日本の農村でも借金を作った親が娘を売るということは珍しくなかった。姥捨ての伝説もある。木下恵介の名作「楢山節考」には、なまじ歯があるから飯を食うのだと老婆が石臼に口を打ち付けて歯を全部折ってしまう凄絶な場面が出てくる(働けなくなった老人は文字通り「ごくつぶし」なのだ)。

 ベッドの中の赤ん坊は無邪気に眠っている。この子たちにどんな未来が待っているのか。観ていていろんな思いに駆られる。それは映画の狙いでもある。最初から最後までしゃべり倒すこの映画は観客に考える余裕を与えない。かといってジェットコースター・ムービーと同じではない。こちらは別に考えなくてもいいように作られている。「カーサ・エスペランサ」は考えるべき問題がむしろあふれかえっている。アメリカ人の女性たちばかりではない、ホテルのメイドも、家のない子供たちも、失業した男もそれぞれに問題をかかえている。彼ら個人を越えた大きな社会的、政治的問題もある。むしろ問題を詰め込みすぎて消化不良になっているともいえるくらいだ。6人のアメリカ人女性だけでもそれぞれ深刻な問題をかかえているのだが、あっと言う間に会話は流れてゆくので十分記憶に残らない。心に深くしみこむ前に話は次に進んでいる。戸惑っているうちにふっと映画は終わってしまう。問題をざあっとぶちまけ、深く追求することもなく突然終わってしまう。観客は後で自分でゆっくり考え直さなければならない。そういう狙いなのだろう。どこかドキュメンタリー的なタッチも意識的に取り入れているのかもしれない。様々な人生のひとこまを切り取り、無造作に観客に投げかける。そんな映画だ。だからエンディングらしいエンディングはない。赤ん坊を引き取ったところで人生は終わらない。そこからまた始まるのだ。人生は続くのである。

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2005年11月27日 (日)

あの頃名画座があった(改訂版)④

◆76年earth1
  76年に入って異変が起こる。何とこの年にはわずか6本しか映画を見ていない。しかもその6本はすべて(ノートを見て自分でも驚いたが)テレビで観たものだった。翌77年はさらに減って年間5本。78年は若干増えたが7本。やっと79年になって20本、80年に22本まで回復している。何と76年から79年の4年間でわずか38本しか見ていない。別に意識的に映画絶ちをしていた訳ではないと思うが、とにかく忙しくなったのである。76年は大学4年生で、今も属している研究会に前年入会しその活動で非常に忙しい時期だった。帰りも遅くなることが多くなったので、それまで寄留していた流山市の叔母の家を出て、調布市菊野台(最寄り駅は京王線の柴崎駅)のアパートに引っ越した。そこに12年住むことになる。77年は大学院受験に失敗し浪人していた時期である。78~80年は大学院に通っていた時期だ。要するに映画など見ている余裕がなかったのである。どうして映画を見ずにいられたのか今から考えると不思議だが、この頃は一番勉強していた時期だから無理もなかったのだろう。

  最初の5年間で1032本見ている。2000本台に達したのは91年1月で、同じ1000本観るのに15年かかっている。71年と72年の2年間で(高2から高3に当たる)501本見ている。高校時代は片端から見まくっていたわけだ。僕の高校時代は、本を読んでいなければ映画を観ている、映画を観ていなければ本を読んでいるという生活だった(高3の頃は世界文学全集を読み漁っていた)。そんな生活をしていたからこそできたことだ。なにせ受験勉強なんか一切しなかった。受験勉強なんかするよりも、優れた本を読み、優れた映画を観る方がはるかに有意義だと信じて疑わなかった(今でもそう思っている)。

◆77年~79年
  77年2月9日に初めて神保町の岩波ホールで映画を見ている。観たのは「トロイアの女」だった。同年6月21日にはこれまた初めて高田馬場の古本屋街の一角にあるACTミニシアターで「戦火のかなた」と「自転車泥棒」を観ている。その後頻繁に利用するこの二つの場所に行ったのがこんなに遅いとは、自分でも意外だった。岩波ホールにはその後しばらく行かなかったが、79年に「家族の肖像」と「木靴の樹」と「旅芸人の記録」を観ている。これらを観てまた映画熱がぶり返し始めた。少なくとも月に1本は映画を観ようと決心したのはこの頃からである。実際、79年には20本と急に本数が増えている。しかし、年間100本以上にまで回復するのはさらに数年後、84年になってからである。

◆80年~81年
 80年に日経小ホールで「ジプシーは空に消える」(2月20日)と「ナーペト」(8月11日)を見ている。どちらもソ連映画だが、この頃きっかけは忘れたが「ソビエト映画鑑賞会」なる会に入っていて、その会でみたのである。大手町の日経新聞社のビルの中にある日経小ホールだった。めったに行かない場所だし、普通の映画館ではないので何とも不思議な空間だと感じた。ソ連映画はめったに観る機会がないので貴重な経験だったが、長くは通わずにやめてしまった。理由は覚えていない。

  岩波ホールに頻繁に通いだし、「女の叫び」、「青い年」、「メキシコ万歳」、「鏡」、「ルートヴィヒ神々の黄昏」、「チェスをする人」、「株式会社」、「約束の土地」、「山猫」と、ほとんど欠かさずに観に行った。81年の1月31日には千石の三百人劇場で「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」を観ている。三百人劇場初体験である。ここもその後頻繁に通うことになる。特に何回か開催されたソビエト映画特集は実に貴重な特集だった。73年に後楽園シネマで開催された例の「ソビエト名作映画月間」の際に見逃した「シベリヤ物語」を81年の4月に見ている(同時上映はソ連初のカラー映画「石の花」だった)。

  9月には京王線沿線にある下高井戸京王で「勝手にしやがれ」と「薔薇のスタビスキー」を観た。ここは同じ京王線沿いなのでよく利用した。一時閉鎖されそうになったが、市民の努力で残されることになった。素晴らしいことである。「出没!アド街ック天国」の下高井戸編でも10位に入っており、支援する人々のこともきちんと取り上げていた。何もできないが、影ながら応援したい。文芸座も97年に一時閉館してしまったが、2000年12月にほぼ以前と同じ場所に新文芸座として再建された。新しい建物にはまだ入ったことはないが、2、3年ほど前に行ったときはケン・ローチ特集をやっていて、ユニークな特集は健在だと安心した。その一方で、三百人劇場が2006年いっぱいで閉館になると新聞に出ていた。数々のユニークな特集を組んできたところだけに、なんとも残念なことだ。

  81年10月には文芸座ル・ピリエで「ライムライト」、12月に八重洲スター座でアンジェイ・ワイダの「世代」を観た。前者は確か文芸座と文芸地下の間に新しく建てたもので、2階に上がったと思う。いつ出来たのか正確にはわからないが、恐らくこの年(81年)だろう。後者は新しく開拓した映画館でその後頻繁に利用した。こちらは逆に入り口から地下に降りて行った。この頃ポーランドでは「連帯」が有名になり、「鉄の男」(84年4月三鷹オスカー)、「大理石の男」(80年10月岩波ホール)でアンジェイ・ワイダは再び脚光を浴びた。また、当時ムービー喫茶なるものもあって、81年9月に名前は忘れたが水道橋近くのムービー喫茶で「怒りの葡萄」を観ている。薄暗い感じの店内にスクリーンを垂らして映写していた。この店にはそれ一回しか行かなかったが、ムービー喫茶そのものも結局定着することなく消えて行った。

◆82年
 82年頃になるともうほとんど映画は映画館で見ていた。82年1月に新宿の「シネマスクエアとうきゅう」で「モスクワは涙を信じない」を観た。ソ連映画のあらゆる記録を破る大ヒットを飛ばした映画で、ついにはハリウッドでアカデミー外国語映画賞まで取った傑作であdolphin-wave1る。この映画を見てソ連映画は変わったと実感したのを覚えている。また82年4月に「シネマスクエアとうきゅう」で観た「メフィスト」、7月に新宿東映ホール1で観た「ハンガリアン」、84年12月に三百人劇場で観た「ハンガリアン狂詩曲」を観れば、当時のハンガリー映画のレベルの高さを知ることができる。いずれも傑作である。また「シネマスクエアとうきゅう」は全座席入れ替え制を導入していた。岩波ホールは前から実施していたが、一般の劇場で導入しているのはまだ珍しかった(ここが最初に始めたのかどうかは分からない)。

  3月11日に初めて自由が丘の武蔵野推理劇場に行っている。「カッコーの巣の上で」と「普通の人々」を観ている。魅力的な館名だったが、あまり観たい映画をやっていなかったので、結局この時とあと1回行っただけだった。また、この頃には結構ロードショー館にも行っている。渋谷のジョイシネマと東急名画座、新宿文化シネマ2、新宿東映ホール1など。

  とにかくこの頃はテレビ映画どころかテレビそのものをほとんど観なくなり、あちこちの映画館に足を延ばしていた。『ぴあ』を見て手帳にびっしりと観たい映画の上映時間を書き込んでいた。まだレンタルビデオが広まる前で、名画座や自主上映館があちこちにあり、ユニークな企画を競っていた。ビデオやDVDが発達した今日でも日本映画や外国映画の古典的作品は必ずしも充実しているとは言えない。ましてや80年代前半頃は、並木座や文芸座のような日本映画の古典を上映する映画館や、ACTや三百人劇場のような国内外の古典的作品を安い料金で上映する自主上映館は貴重な存在だった。しかも日本映画について言えば、黒澤や小津や溝口以外の日本映画監督の映画も積極的に上映していたという意味でも貴重だった。木下恵介、小林正樹、今井正、熊井啓、浦山桐郎、今村昌平、内田吐夢、山本薩夫等々、貴重な作品をどれだけこれらの映画館で観たか。また、高田馬場のACTでは「戦火のかなた」、「自転車泥棒」、「無防備都市」、「平和に生きる」等のイタリア・ネオリアリズモの代表作を観ることができたし、今井正の「キクとイサム」、「ここに泉あり」のような日本映画も観ることができてありがたかった。

  82年5月に渋谷のパルコ・パート3の8階にあるスペース・パート3で「ベリッシマ」を観た。ここはデパートの中にある上映スペースという点でユニークだった。渋谷は東京映画祭の中心地だったが、その後BUNKAMURAなどもできて独特の文化の薫りのする街だった。9月10日に川崎国際で「飢餓海峡」と「不毛地帯」を観ている。わざわざ川崎まで行ったのは、2本ともどうしても観たかった映画で、この機会を逃したらもう観ることはできないと思ったからだろう。館内に入るとさすが労働者の街、都内の映画館とは雰囲気がまるで違った。周りの観客はほとんど日雇い労務者風の人たちで、昼間から酒を飲んで観ている。なんとなく落ち着かなかったのを覚えている。

  82年11月3日には新宿文化シネマで「1900年」を観た。その日は祝日で館内は満員。5時間近くもあるこの大長編映画をずっと立ち通しで観たわけだが、映画に引き込まれていたせいかそれほど苦にならなかった。同じ11月に中野名画座に始めて行った。「エレファント・マン」と「フランス軍中尉の女」を観た。都内の名画座はほとんど行ったと思うが、ここは三鷹オスカー、大塚名画座や荻窪オデヲンなどとともにあまり行かないところだった。おそらくラインナップにあまり魅力がなかったからだと思うが、中央線沿線は場所的にも行きづらかったのだろう。三本立てで有名だった「三鷹オスカー」などは結構魅力的な企画を打ち出していたのだから。7月5日に六本木の俳優座で「若者のすべて」を観ている。俳優座シネマとなっていないところをみると、この頃はまだ試験的にやっていたのかもしれない。同じ六本木のシネ・ヴィヴァンより先にこちらに来ていたのは自分でも意外だった。11月の24日から12月2日にかけて、日比谷の千代田劇場で「山の音」、「雪国」、「忍ぶ川」、「浮雲」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」を観た。「東宝半世紀傑作フェア」と銘打った企画だった。DVDなど影も形もなかった頃だ。いずれもこのとき見逃したら一生観ることはないだろうと思っていた。

2005年11月26日 (土)

あの頃名画座があった(改訂版)③

◆74年rose
 年が明けて74年になると、ようやく他の映画館にも行きはじめた。1月23日に飯田橋の「佳作座」で「最後の猿の惑星」と「ソイレント・グリーン」を見ている。「佳作座」はあまりラインナップがよくなく(よく「駄作座」と呼んでいた)、それまで入ったことがなかった。今はもうなくなってしまったが、飯田橋駅の向かい側、東京理科大のそばにあった。近くのポルノ専門館だった「銀鈴ホール」が今も「ギンレイホール」として続いているのは何とも皮肉だ。2月10日には「銀座文化」で「スケアクロウ」を見ている。ここはロードショー館だが、ラインナップがよく、度々見に行った。2月13日に「有楽シネマ」でチャップリンの「独裁者」。有楽町駅からマリオンへ行く途中のビルの二階にあるロードショー館でよく通ったが、これも今はない。

  2月15日に後楽園シネマで「バイカルの夜明け」を見た。当時後楽園で大シベリア博覧会が開かれており、それにあわせて大シベリア博記念特別番組と銘打ち、「ソビエト名作映画月間」として23本のソ連映画が上映されたのである。今では珍しくはないが、その頃はソ連映画を見る機会は極めて少なく、これだけ大規模にソ連映画を上映するのはおそらく画期的なことだったと思われる。3日交替でプログラムが替わるのだが、春休みに入っていたので最初の3本(「シベリア物語」「おかあさん」「大尉の娘」)を除いて全部見た。文字通り平均3日おきに通ったのである。観た作品のタイトルを挙げると、「湖畔にて」、「戦争と平和」、「遠い日の白ロシア駅」、「戦争と貞操」、「大地」、「アジアの嵐」、「戦艦ポチョムキン」、「復活」、「外套」、「貴族の巣」、「人間の運命」、「リア王」、「ハムレット」、「ワーニャ伯父さん」、「罪と罰」、「小さな英雄の詩」、「子犬を連れた貴婦人」、「がんばれかめさん」、「ルカじいさんと苗木」。80年代に三百人劇場などで大規模なソ連映画祭が開催されるようになったが、そこでも取り上げられなかった作品が多く含まれており、DVD化も当分望めないので貴重な特集だった(「リア王」、「ハムレット」、「戦艦ポチョムキン」はDVD入手!)。今ではかすかに記憶の中に残っているだけである。特に「湖畔にて」と「遠い日の白ロシア駅」はどうしてももう一度見たいと今でも思っている。ちなみに当時のパンフレットを見ると料金は当日一般で450円、学生350円、前売300円となっている。

  1回に2~3本を上映するのだが、その合間に短編アニメを上映していた。プログラムに載っていないので、作品名も本数も今では分からないのだが、そのレベルの高さに驚いたものである。今のアニメに比べると動きはぎこちないのだが、ウィットに富んだ、独特の世界を作っていた。不確かな記憶ながら、大人が見て楽しむ作品が多かったように思う。宮崎駿が現れるはるか前で、アニメといえばディズニーという時代だっただけに、大人のユーモアがたっぷり盛り込まれたアニメにすっかり感心したのだ。今でも当時のプログラムを見ると、休憩時間に流されていたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のメロディーが頭に浮かんでくる。

  4月に入り2年生になると、早速文芸地下で黒澤映画を2本見ている。「酔いどれ天使」と「静かなる決闘」である。ほぼ同じころフィルム・センターでも日本映画特集を組んでいて、この時期けっこう日本映画を見ている。黒澤は、いや日本映画の古典は、田舎ではまず見られないものだ。機会があればぜひ見ておきたかった。だいぶ昔のことだが、日本映画ファンというある外国人が、日本映画にあこがれて日本に来たが、日本では古い日本映画がさっぱり見られないのでがっかりしたと、朝日新聞の投書欄に書いていた。もっともな嘆きで、日本では映画を文化遺産ととらえる意識が決定的に欠けている。ビデオやDVDが発達した現在でも、古い日本映画の名作はほんの一部しか販売されていない。ようやく去年から今年にかけて大量に日本映画の過去の遺産がDVD化されてきた。今後も一層日本映画の遺産(これは映画会社の財産ではなく、国民の財産なのだ)を国民の元に届ける作業を推し進めてほしい。そのためにはDVD化する作品を増やすだけではなく、ぜひ値段も下げてほしい。ハリウッド映画並とまでは言わないが、せめて旧作を2、3千円台まで下げてほしい。

  これまでテレビでいかに大量に優れた映画が放映されていたかを強調してきた。僕は外国映画の名作のかなりの部分をテレビで観たといっても過言ではない。にもかかわらず、日本映画の名作がテレビで放映される機会はほとんどなかった。日本にいながら日本の名作をほとんど観られなかったのである。東京に来て以来、機会があれば逃さず、飢えたように日本映画を観に行ったのは当然だった。この74年だけで32本の日本映画を観ている。いずれも名作ぞろい。この年に映画館で観た最初の映画は並木座の「羅生門」と「無法松の一生」(坂妻版)である。他に、文芸地下で「飼育」、「少年」、「雨月物語」、「野菊の如き君なりき」、「津軽じょんがら節」、「西鶴一代女」、「近松物語」など、フィルムセンターで「春琴物語」、「宮本武蔵」(稲垣浩)、「わかれ雲」、「大阪の宿」、「風の中の子供」などを観た。京橋のフィルム・センターと池袋の文芸地下そして銀座の並木座。この三つは日本映画の名作を上映している数少ない映画館であり、貴重な存在だった。この三つがなければ僕は未だに日本映画をほとんど観ないままでいただろう。ただ残念なことに、この時点では小津安二郎の作品を見る機会はまだ訪れていなかった。

  5月12日に川崎駅ビル文化という映画館で「LBジョーンズの解放」と「わが命つきるとも」を観ている。たぶん今はもうないだろうが、この映画館に行ったのはこの1回だけだ。川030712_03_q崎駅に行ったのもこの時が最初だと思う。その後5月から8月まではほとんどテレビでしか映画を見ていない。大学の授業にそれだけ熱心に通っていたということだろう。夏休みに入ってもフィルム・センターに1~2度行っただけで、思ったほど映画を観ていない。ところが、10月に入って大島渚の作品を4本まとめて観ている。「愛と希望の街」、「日本の夜と霧」、「ユンボギの日記」、「絞死刑」。法政大学の大学際の一環として企画されたものだった。会場は学生会館の中である。当日大島本人も来ていて講演をした。何を話したか覚えていないが、講演後の質疑のときのやり取りは記憶に残っている。活動家と思われる学生が、大島が講演の中で思わず言った「バカチョン・カメラ」という表現に噛み付いたのである。朝鮮人をバカにする言葉をなぜ使ったのかと食ってかかったのだ。大島は不用意な発言だったと謝ったように思うが、いかにも当時全国一の紛争校として知られていた法政大学らしい一幕だった。

  この年もテレビが放送していたラインナップは驚くほど充実していた。「シャイアン」、「俺たちに明日はない」、「無法松の一生」(三船版)、「オズの魔法使い」、「荒野の決闘」、「シェーン」、「シシリアン」、「エデンの東」、「哀しみのトリスターナ」、「静かなる男」、「禁じられた遊び」、「ハスラー」、「邪魔者は殺せ」、「オルフェ」、「春の悶え」、「河」、「ビリディアナ」、「下り階段をのぼれ」、「裸足のイサドラ」、「理由なき反抗」、「ワイルドバンチ」、「フレンチ・コネクション」、「男の敵」、「ステージ・ドア」、「血と砂」(ヴァレンティノ版)、「召使」、「十二人の怒れる男」、「宿命」、「蛇皮の服を着た男」、「成功の甘き香り」、「ブルックリン横町」、「オーシャンと11人の仲間」等々。地上波でこれだけやっていたのだ!現在のテレビの地上放送が貧弱になってしまったのは、娯楽大作以外の作品が衛星放送に回されているからだと言えるが(いいものを観たければ別料金を払え!的姿勢見え見え)、当時の観客にはいわゆる娯楽作品以外のものまで観る余裕と鑑賞眼があったということも指摘しておくべきだろう。今のような時代には、家に帰るとぐったりと疲れて、何も考えなくても勝手に観客を運んで行ってくれる娯楽映画しか観る気がしなくなる。シリアスな社会派映画などビデオで借りるのも億劫になる。

  精神的なゆとりがなくなってきていることも問題だが、もっと重大なことは映画を観る目が衰えていることだと思う。山田洋次は「よい映画はよい観客が作る。よい観客はよい映画が作る」と言ったが、今は逆の弁証法(つまり悪循環)が働いていると言ってよい。つまらない映画ばかり観ているから、観客の目が肥えていない。目の肥えていない観客ばかり相手にしているから、つまらない映画しか作られない。つい3、4年前までの日本映画がその典型だった。総じて志が低い。人気俳優を集めただけの、テレビドラマに毛が生えた程度のものか、独りよがりのひねこびた作品ばかりが目立った。宮崎駿のアニメがこれ程もてはやされるのはそれ自体が優れているからでもあるが、劇映画にかつての力がなかったからでもある。それに比べたら安定して一定数の優れた作品を生み出し続けているハリウッド映画はむしろ立派だと言える。ただこの1、2年は逆転現象がおきている。日本映画はこのところ好調だ。一方アメリカ映画にははっきり陰りが見えてきている。

◆75年
  年が明けて75年1月28日に初めて大塚名画座に行っている。「地上より永遠に」を観た。ここは大塚駅から細い路地に入った分かりにくいところにあった。あまり観たい映画をやっていなかったので、恐らく行ったのは2、3回だろう。2月になると、頻繁にフィルムセンターに行っている。「嘆きの天使」、「裁かるるジャンヌ」、「パリの屋根の下」、「塔」、「パサジェルカ」、「赤い風船」などを観ている。テレビでも相変わらず「激突!」、「旅路」、「毒薬と老嬢」、「真夜中のカウボーイ」、「花嫁の父」、「吸血鬼」(ポランスキー)、「水の中のナイフ」、「地下水道」、「終身犯」、「素晴らしきヒコーキ野郎」、「ニノチカ」、「暗くなるまで待って」、「失われた週末」、「わが谷は緑なりき」等々、相変わらずすごい作品が放送されている。まだ小津映画には出会っていなかったが、黒澤は着実に観ていた。新宿座で「我が青春に悔いなし」と「生きる」を、有楽座で「デルス・ウザーラ」をそれぞれ見ている。この年は後楽園シネマによく行っている。「砂の器」、「ゼロの焦点」、「チャップリンの殺人狂時代」、「アメリカの夜」など7本観ている。

  この年に英米文学の研究会に入ったため、急に忙しくなり鑑賞数が減った。74年は190本観ていたが、75年は63本。3分の1に激減している。しかし翌年はさらに減る。76年から3年間続けて年間で1桁しか映画を観ていないのである。

2005年11月24日 (木)

あの頃名画座があった(改訂版)②

◆73年art-temariuta20001d
 前回触れた映画記録ノートを今読み返して見ると実に面白い。4月に大学に入学するまでの3ヶ月間に42本映画を観ている。さすがにこの時期は受験勉強を多少はしていたはずだが、2日に1本観ていたとは自分でもびっくり。ほとんどテレビだが、「墓石と決闘」、「市民ケーン」、「国境は燃えている」、「真昼の決闘」、「攻撃」、「シェーン」、「ゴッドファーザー」、「飛べフェニックス」、「探偵物語」などを観ている。

  東京に来て最初に映画館で観た映画は「ポセイドン・アドベンチャー」と「戦場にかける橋」の二本立てだった。銀座と京橋の境目辺りにあったテアトル東京で見たのである。確か高速道路のすぐ下だった。観客席の床がそのままスクリーンにつながっている、つまりコンクリートか何かでできたスクリーンだったことで有名な映画館だった。観たのは4月9日だから入学してすぐのことである。その後しばらくはテレビで観た映画が続く。まだ東京に慣れていなかった上に、大学にも慣れていなかったせいだろう。千葉県の流山市から片道1時間半から2時間かけて大学まで通っていたという事情もあるだろう。

 次に映画を観に行ったのは、早くも京橋の国立フィルム・センターだった。4月28日にミケランジェロ・アントニオーニの「女ともだち」を観ている。当時イタリア映画特集をやっており、他にジロ・ポンテコルヴォー(「アルジェの戦い」の監督)の「ゼロ地帯」、フェリーニの「カビリヤの夜」、「81/2」、アントニオーニの「情事」、「夜」、「赤い砂漠」、フランチェスコ・ロージの「真実の瞬間」を観た。気付くのが遅く、特集の前半を見逃したのは未だに残念でならない。それでも、名前だけしか知らなかった作品が何と70円(当時70円だったのだ!)で見られるのだから、うれしくて仕方なかった。そういえば、当時京都にも府立(?)のフィルム・ライブラリーがあったはずだが、その後どうなってしまったのか。まだあるのだろうか。

 4月29日には銀座松坂屋でエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、翌30日には「十月」を観ている。それまで自主上映で何度か上映されていただけで、幻の名作といわれて久しかった映画である。このあまりにも有名な作品がたまたまこの年一般の人の前でヴェールを脱いだのである。何という幸運。期待したほどの感動はなかったが、幻の名作を観ることができただけでも田舎出の学生にとっては感涙ものだった。

 5月1日には「イージー・ライダー」と「真夜中のパーティー」(初めて観たホモセクシャル映画、「ズボンをはいて座るときは股を開いて座りなさいよ」などという会話がうぶな学生にはシュールに響いた)の二本立てを観ているが、どこで観たのかは書いてない。今となっては知りようもない。次に場所が特定できるのはシドニー・ルメットの「質屋」とアーサー・ヒラーの「ホスピタル」を観たパール座だ。高田馬場の早稲田予備校の向かいにあった有名な名画座で、その後何度もお世話になったところである。 5月17日には新宿の紀伊国屋ホールで「イワン雷帝」の特別上映を観ている。これも幻だった映画である。赤を中心にしたカラーの鮮烈な画面が記憶に残っている。5月19日には初めて池袋の「文芸座」に行っている。パゾリーニの「テオレマ」と「アポロンの地獄」を観に行ったのだ。文芸座といえば東京の名画座の代表格で、当時の映画青年は皆ひんぱんにここに通ったものだ。僕にとっても銀座の「並木座」とならんで一番多く通った名画座だろう。ただしここはあまり雰囲気はよくなかった。新左翼系の学生が多いと言われ、確かに怪しい風体の男たちが目立った。警察官の見回りもあったくらいだから風紀もよくなかった。そのうち81年頃だろうか、「ル・ピリエ」ができ、喫茶店と書店も併設されて便利ではあった。「シネ・フロント」のバックナンバーや映画の前売り券などなどをよくそこの書店で買った。5月20日に「恋のエチュード」と「暗くなるまで待って」を観ているが、場所を書き忘れている。

 5月23日になんと「ズール戦争」をテレビで観ている。先月観たばかりだが、初めて観たつもりでいた。12月29日にテレビで観た「家族」(山田洋次)も観たことを忘れていた。薄れてゆく記憶力に涙(・_・、)。5月27日に黒澤の「素晴らしき日曜日」と「どですかでん」の二本立てを観ているが、場所が書いてない。恐らく「文芸地下」か「並木座」で観たものと思われる。6月9日に厚生年金会館で「キッド」を観ている。こんなところにも行ってたのか!ひどいフィルムでものすごい雨が降っていたのを覚えている。それでも感動したのだからチャップリンはすごい。ところで画面に「雨が降る」という表現は若い人にわかるだろうか。使いまわされたフィルムはいたみが激しく、映すと傷が一面についていて雨が降っているように見えることからそう言っていた。時には映写機が止まってしまって、投光機の熱でフィルムが見る見るうちに溶けてゆくのがスクリーンに映し出されることもあった。6月10日にはテアトル新宿でジョゼフ・ロージーの「夕なぎ」、「秘密の儀式」、ビスコンティの「地獄におちた勇者ども」を見ている。三本立ての初体験だった。テアトル新宿と三鷹オスカーは三本立てで有名な所で、ほかの名画座は二本立てが一般的だったと思う。

 その後、夏休みを挟んだ7月~8月はなぜかテレビで観たものが多く、ほとんど映画館に足を運んでいない。7月3日に「ジョニーは戦場へ行った」、8月3日に「欲望という名の電車」をパール座で観ているだけだ。テレビは相変わらずすごい。「レベッカ」、「デカメロン」、「フェリーニのローマ」、「赤い風車」、「明日に向かって撃て」、「自転車泥棒」、「わが家の楽園」、「落win2ちた偶像」、「西部戦線異状なし」、「サイコ」、「魂のジュリエッタ」、「若者のすべて」、「駅馬車」、「将軍たちの夜」、「仁義」、「ローラ殺人事件」、「十戒」、「誓いの休暇」、「渚にて」等々。
  8月下旬から徐々に映画館に行き始めた。8月30日にパール座で「哀しみの青春」と「愛のふれあい」の二本立て。9月1日に文芸座で「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」の二本立て。9月8日にパール座で大島渚の「儀式」と篠田正浩の「沈黙」二本立て。9月10日には初めて水道橋の後楽園シネマ(球場の横の建物にあった、もちろんドーム球場にはまだなっていなかった)に行っている。吉田喜重の「戒厳令」と市川崑の「股旅」の二本立てを観た。このころから徐々に日本映画を観始めていることが分かる。11月25日には文芸地下で「用心棒」と「野良犬」の二本立てを、12月16日には銀座の並木座で「虎の尾を踏む男たち」と「赤ひげ」の二本立てを観ている。

  ようやく10月に入ってフィルム・センター通いがまた始まる。10月3日から「1930年代ヨーロッパ映画特集」という、願ってもない企画が始まったからである。2部に分けて12月15日まで続いたこの特集はそれまでほとんど観られなかった名作を40本もそろえた夢のような企画であった。全部で17本を観た。「自由を我らに」、「制服の処女」、「会議は踊る」、「春の驟雨」、「にんじん」、「地の果てを行く」、「こわれ甕」、「野いちご」、「大いなる幻影」等々。その時見落としたもののうち後日観ることができたものもあるが、いまだに未見のものが数本あり、残念である。ビデオになっていないものが多く、まさに貴重な特集だったといえる。このとき観た映画は一生の宝だ。

 この頃はまだ映画をテレビで観ることが多く、劇場はフィルム・センターを別にすれば以外なほど観に行っていない。ほとんど劇場で観るようになったのは79年頃からである。前述した映画館のほかに73年に行っているのは、渋谷の東急文化会館6Fにあった東急名画座、渋谷文化、新宿の名画座ミラノ、新宿グランド・オデヲン程度である。

 一方、テレビで観た映画を並べてみると圧倒される。「飾窓の女」、「異邦人」、「トプカピ」、「冬のライオン」、「スミス都へ行く」、「鳥」、「椿三十郎」、「七人の侍」、「獣人」、「できごと」、「警視の告白」、「ナチス追跡」、「大列車作戦」、「日曜はダメよ」、「黒水仙」、「ベケット」、「戦争は終わった」、「アルトナ」、「チャンピオン」、「アスファルト・ジャングル」、「僕の村は戦場だった」、「アパートの鍵貸します」、「偽りの花園」、「猿の惑星」、「ハムレット」、「大脱走」等々。相当絞ってもこんなにある。1年でこれだけの名作をテレビで観ていたのである。今の衛星放送よりよほどすごい。

 今振り返ってみて驚くのは、その年の新作をほとんど観ていないことだ。7、8本程度しか観ていない。テレビで観たものが古いのは当然だが、映画館で観たのもほとんどが昔の名作である。この時期で既に徹底した名作主義になっている。評判の新作にはほとんど目もくれず、名作を観られるところならどこにでも行っている。73年に公開された映画の半分程度は翌年に名画座に回ってきたときに観る。名画座をレンタルDVDに変えれば今と同じ姿勢だ。今評判の映画でも10年後には忘れ去られているかもしれない。それより作られて30年たった今でも名作として語り継がれている映画を観る方が確実だ。確かにあの頃既にそう考えていた。ただ80年代には新作をかなり観るようになってくる。欧米映画先進国以外の映画がどっと日本に入ってくるようになったからだ。岩波ホールにもしきりに通っている。東欧、南欧、南米、アフリカ、中国、北欧などの映画が入って来るようになって、僕の意識が大きく転換する。旧作主義から世界中の映画を観てやろうという姿勢に変わる。この転換が今の僕の原点である。

2005年11月23日 (水)

あの頃名画座があった(改訂版)①

kael2w  これは言ってみれば僕の映画自伝です。当然個人的な記録と思い出なのですが、70年代から80年代にかけての映画環境が書き込まれているので他の人にとっても何らかの参考になると思います。
  最初に書いたのは2002年10月19日。記憶が失せないうちに書き残しておきたいという思いで書いたものです。記録マニアという性格が幸いして、映画記録ノート、劇場用パンフレット、チラシの類が大量に手元にあるので可能だったことです。映画ノートを持って喫茶店に入り、数時間かけて一気に書き上げました。
  当時の貴重なパンフレットなどもいずれ暇ができたらデジカメで撮ってアップしたいと思っています。すぐにはできません、気長にお待ちください。
  既に本館ホームページに全文掲載してありますが、さらに手を入れて改訂版を作ることにしました。85年で終わっているのですが、できればもう少し先まで追加しようと考えています。おそらく10回くらいの不定期連載になるでしょう。どうかご期待ください。

◆高校時代まで
  僕が映画を最初に観たのは恐らく小学生の頃だろう。最初に観た映画が何だったかは覚えていないが、記憶に残っている最初の映画は父親に連れられて観に行った「キングコング対ゴジラ」である。他にも何回かやはり親に連れられて怪獣映画や戦争映画を観に行ったと思う。後者はもっぱら父親の好みで、彼は戦争ものが好きだった。子供には退屈だったようで、何か「コンバット」のような感じの映画と、人間魚雷回天が活躍する映画を観た記憶がかすかに残っているだけだ。そういった戦争ものよりは「ゴジラ」や「ガメラ」の方がよほど怖かったのか、はるかに鮮明に記憶している。小学生時代に友だちと観に行った映画で、怪獣映画以外に唯一覚えているのは市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」である。

  中学生になると友達と行くようになったが、回数も少なく何を観たかもほとんど覚えていない。その頃から飢えたように本ばかり読んでいたので(中学時代はSFに夢中で、創元文庫をむさぼるように読みあさっていた)、映画の方はほとんど関心がなかったのだろう。ただ、よく覚えていて懐かしいのは、あの頃の映画館が映画を上映する前にニュース・フィルムを流していたことだ。まだテレビが一般には普及していなかったからだろう。

  もう一つよく覚えているのは、ニュースの代わりに短編のサイレント映画を流していたことがあったことだ。まだ子供だったので何で音が出ないのか不思議に思ったものだ。部分的に覚えているものが一つだけある。観光地で記念写真を撮っている男がいる。当時のカメラだからカメラに黒い幕をかぶせてのぞき、片手にフラッシュを持ってボンとたくやつだ。男が後ろを向いてフィルムを入れ替えている時に、たまたま通りかかった黒いスカ-トをはいたおばさんがカメラをどかして、屈んで靴ひもを直し始めた。また前を向いたカメラマンは、カメラの黒い幕と間違えておばさんの黒いスカートをめくってしまう・・・。しばらくして顔を出したカメラマンは目をぱちくりする。なかなか顔を出さないのが無性に可笑しかった。あれはチャップリンだったのだろうか。

 高校に入ると推理小説に夢中になり、これまた創元推理文庫を次々に買っては読んでいた。ところがある偶然のきっかけで映画を観るようになったのである。高校の2年生の時、当時好きだった森山加代子が夜遅くテレビに出演することを知り、観ようと決心した。夜遅くといっても11時くらいではなかったかと思う。家族が9時か10時には寝ていたので、その番組を観るには一人ひそかに観なければならなかったのである。

  家中が電気を消した後、一人部屋に残って森山加代子の出演する番組を観た。その番組が終わった後、まだ眠くないのでついでに次の番組も観ることにした。たまたま映画をやっていた。ヒッチコックの「白い恐怖」だった。偶然観たわけだが、これが滅法面白かった。この日初めて映画の魅力に目覚めたのである。これで味をしめた後は、片っ端から映画を観まくった。当時は9時台と深夜にほぼ毎日テレビで映画を流しており、それらを可能な限り全部観たのである。名作もB級映画も見境なしである。そのうち高校の近くの映画館へも行くようになり、観た映画も全部ノートに記録するようになった。製作年、監督・撮影監督・脚本家・配役、観た日付、映画館名などを書き、初めのうちはコメントも付けていた。

  最初に記録した映画は「サンセット大通り」だった。日付は1971年8月1日。ビリー・ワイルダーの名作を見て高校生ながらも感動したのだろう。それがどうして記録ノートを作ることと結びついたのかは今となっては推測するしかないが、恐らく監督や俳優の名前を忘れないようにするためだったと思われる。「サンセット大通り」は記憶に値する最初の映画だったのである。こうして、少なくとも記録に残っているだけでも高校2年のときに156本、3年のときに345本の映画を観た。最初の年は途中から記録を付けはじめたわけだから、実際に見た数はもう少し多いことになる。ちなみに、高3のときの345本が年間鑑賞数としては最高記録である。

  とにかく何でも観た。大半はアメリカ映画である。「怪傑キャピタン」、「南太平洋ボロ船作戦」、「熱砂の大脱走」、「蛮族の大反乱」、「過去のうめき声」、「殺しはドルで払え」などの記憶のかけらも残っていない?映画から、「ニュールンベルグ裁判」、「刑事」(ピエトロ・ジェルミ監督)、「ハリケーン」、「マイ・フェア・レディ」、「山猫」、「大脱走」、「静かなる男」、「ブーベの恋人」、「カビリアの夜」、「道」、「嘆きの天使」、「ジャイアンツ」、「その男ゾルバ」、「翼よ!あれが巴里の灯だ」、「シェナンドー河」、「五月の七日間」、「情婦」などの懐かしい名画まで。衛星放送などなかった頃なので、これだけの映画を地上波でやっていたのである。 そしてまた、出てくる名前の懐かしいこと!エリザベス・テイラー、エバ・マリー・セイント、ジャン・マレー、ジャック・レモン、タイロン・パワー、チャールズ・ブロンソン、ジェーン・ラッセル、アンナ・マニヤーニ、アンソニー・クイン、ピーター・カッシング、クリストファー・リー、ジャック・パランス、ウィリアム・ホールデン、マリー・ラフォレ、アニー・ジラルド、バーバラ・スタンウィック、もう切がない。

  しだいに映画史に興味を持ち始め、何でも観る姿勢が名作主義に変わっていった。近代映画社刊の『写真で見る外国映画の100年(全5巻)』というのを買ってきて、端から端まで何度も読み返した。ただし1巻目のサイレント映画編だけは買わなかった。おそらくサイレント映画などとうに過去のもので関心もないし、観る機会もないと思ったのだろう。このシリーズは後に一度再刊され、80年代以降の巻も付け加えられている。過去の名作、監督、俳優などの名前はほとんどこれを通して覚えたと言ってもよい。

  しかし、悲しいかな、テレビで放送されるのは40年代、50年代のものがほとんどで、映画館に来るのは田舎(茨城県日立市)のことで娯楽大作ばかり。観たくても観るすべのない映画が山ほどあり、悔しい思いをしていた。その状況が東京の大学に入学してから一変した。どこにどんな映画館があり、何が上映されているかを知るために『キネマ旬報』を買うようになった。当時はまだレンタル・ビデオという便利なものはなかったが、その代わり名画座がたくさんあった。300円程度で少し古い映画を2~3本立てで観られたのである。様々な特集なども組まれたりして、田舎から出てきた金の無い学生にはまさに天国のように思えた。

2005年11月22日 (火)

ミリオンダラー・ベイビー

2004年 アメリカ decodiv-d3
原題:Million Dollar Baby
原作:F・X・トゥール「テン・カウント」
監督:クリント・イーストウッド
音楽:クリント・イーストウッド
撮影:トム・スターン
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク
    モーガン・フリーマン、アンソニー・マッキー
    ジェイ・バルチェル、マイク・コルター
    ブライアン・F・オバーン、マーゴ・マーティンデイル

 クリント・イーストウッド。数々のスターを輩出したハリウッドでもこれほど長い間第一線で活躍し続けている人物は珍しいだろう。なにしろ彼は僕が子供のころ既にスターだったのだ。テレビの「ローハイド」。当時の大人気番組だった。「ローン・レンジャー」、「コンバット」、「パパ大好き」、「名犬ラッシー」、「名犬リンチンチン」、「奥様は魔女」、「突撃マッキーバー」、「トムとジェリー」等々、おっと「ララミー牧場」と「ライフルマン」も忘れちゃいけない。今の世界中の子供たちが日本製アニメで育ったように、あの頃の日本の子供はみんなアメリカのテレビ番組を見て育ったのである。そしてマカロニ・ウエスタン時代。ジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパー、バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュワートなどが活躍する正統派西部劇も好きだったが、どちらかというとマカロニ・ウエスタンの乾いた感じの方が好きだった。ジュリアーノ・ジェンマ、リー・ヴァン・クリーフ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、フランコ・ネロ、そしてクリント・イーストウッド。ひげ面に葉巻をくわえた苦みばしった顔が実に格好よかった。

 そして何といっても「ダーティー・ハリー」(71年)。これで一気にスターから大スターになった。その後しばらく80年代ぐらいまでは「ダーティー・ハリー」シリーズの印象が強く、ややマンネリの印象を持っていた。88年の「バード」でジャズの世界を描き、方向転換をした感じを受けた。監督業にも手を出していると意識し始めたのもこの頃か。実は既に71年の「恐怖のメロディ」から監督をやっていたのだが、まだこの頃までは俳優のイメージが強かった。本格的に監督になったと感じたのは92年の「許されざる者」あたりからだが、「マディソン郡の橋」(95年)、「スペース・カウボーイ」(2000年)、「ミスティック・リバー」(03年)とどれも作品としては今一だった。この頃はだいぶ枯れてきて、俳優としては昔とはまた別の味が出てきてよかったのだが、監督としてはまだたいしたことはないという認識だった。

  それがやっと「ミリオンダラー・ベイビー」で花開いた。久々に見るハリウッドらしい味のある映画だ。今年見たアメリカ映画の中でも「サイドウェイ」を抜いて一番の出来だと思う。監督としても俳優としても素晴らしい。細い体形は昔のままだが、髪はすっかり白くなって後退し、顔には深い皺が何本も刻まれている。すっかりじい様だ。昔の苦みばしった顔もいいがこの枯れた味わいもいい。演出も今様のめまぐるしいアクション映画とは一線を画し、悠揚迫らぬ落ち着いた展開。モ-ガン・フリーマンとの老優二人のコンビがまた抜群。室内描写が多いので全体に薄暗い雰囲気だが、光と影を活かしたキャメラ・ワークが実に効果的である。

  老優二人を向こうに回してさらに一歩抜け出た強烈な印象を与えたヒラリー・スワンクもすごい。恥ずかしながら、99年の「ボーイズ・ドント・クライ」に続く二度目のアカデミー主演賞受賞だったことを知らなかった。この若さで二度目とは!この映画ではじめてみたのだが、確かにすごい女優だ。幼い頃からスポーツ万能だったようだ。実際ボクシングの場面はすごい迫力である。一発で相手をぶっ飛ばすシーンは腰が入っているから本当の試合を見ている感じすら受ける。チャンピオンのブルー・ベアとの壮絶な打ち合いも迫力満点。筋肉質で手足が太い、そしてあの強い眼差し。リングに立つとものすごい威圧感である。演技力もなかなかのもので、素人の打ち方から一流のプロの打ち方まで、きちんと演じ分けている。最初のうちはサンドバッグをたたくしぐさも様にならず、フットワークもなくへっぴり腰で腕だけで打っている感じだった。それがやがてスクラップ(モーガン・フリーマン)とフランキー(クリント・イーストウッド)に鍛えられ少しずつうまくなってゆく。このあたりのボクサーとしての成長過程が実に自然である。

  監督何作目になるのか、もうベテランの風格を持ったイーストウッドの演出も見事である。特に伏線の使い方がうまい。「大切なのは、自分を守ること」、「モ・クシュラ」というゲール語の言葉、マギー(ヒラリー・スワンク)の父親と犬の思い出、これらはラストで大いに効果を発揮する。マギーが最後につぶやく「父親が犬にやったこと」というせりふは憎いほどぴったりのせりふだ。

  フランキーの性格描写も陰影があっていい。全体に渋くて静かな演技。ここでは小技の使い方が絶妙だ。ドアを開けると何通も床に落ちている手紙。それを拾い上げて、箱に入れる。その箱には同じように娘宛に出してそのまま送り返されてきた手紙がぎっしり詰められている。片目を失った元ボクサー・スクラップの贖罪のために熱心に教会に通っている。それでいて熱心に信仰している感じでもない。神父さんとの掛け合いが滑稽で面白い。ボクmoontalisman2サーを大切にし、決してあわてて大試合には出さない。「大切なのは、自分を守ること」が口癖になっている。ボクシングジムで暇をみては、ゲール語(昔アイルランドで使われていたケルト語系の言語)の勉強をしている。イェーツの「イニスフリーの湖島」を苦心して英語に翻訳するシーンは印象的である。イェーツはアイルランドの大詩人である。ダンという苗字からしても、どうやら彼はアイルランド系らしい。昔気質の頑固さはいかにもアイリッシュだ。マギーも苗字がフィッツジェラルドだからアイルランド系だろう。ゲール語は現在アイルランドの公用語で、小中学校では必修になっているが(日常語はもちろん英語だが)、アメリカ育ちのマギーにはさっぱり分からない。

  モーガン・フリーマンの渋い演技もいい。片目を失って現役を引退してもフランキーのもとを去らず、雑役をこなしながらフランキーに罪の意識を感じさせないよう生きている。ぐっと抑えた演技で、ここぞというときに含蓄のある言葉を吐く。絵に書いたような役柄だ。だが、モーガン・フリーマンには昔ほどすごさを感じなくなった。もともと派手な演技をする人ではないが、「ドライビング・ミス・デイジー」(89年)で出てきた頃は役者としての凄みを感じさせた。名優とはこういう人を言うのだという見本の様な人だった。このところかつての重厚さはなくなった。しかしさすがの存在感。まだ枯れてない。二人の老優のコンビは濃厚なとろみとあっさり味がうまく交じり合ってこの上ない味付けになっている。

  ヒラリー・スワンクは30歳を越えたボクサーという設定がいい。もう若くない、活躍できる期間は短いという切迫感もあるが、それ以上に苦労を重ねてきたという設定が効いている。13歳からダイナーのウェートレスとして働いているのである。生まれも貧しくトレーラー・ハウスで育った。客の食べ残しを包んで持って帰るシーンがさりげなく差し挟まれている。こういう小技がうまい。家庭環境は複雑で、母親や兄弟姉妹はよくもまあこれほどとあきれるほどの恩知らずである。だが、「あきれる」ということはそれだけリアルだということでもある。すっかり手当に頼りきりで、何も努力しない無気力な生活に慣れきった人々。こんな状態から逃れたいという強い意志が、マギーのハングリー精神のバックボーンとなっているに違いない。そんなだらしない母親でも、彼女のために家を買ってやろうとするあたりはケン・ローチの「スウィート・シックスティーン」を連想させる。どちらも子供が思うほどには母親は子供を思っていない。それが切ない。しかし、それでいて悲愴感が全く漂っていないのがいい。

  いつになく俳優について多くのスペースを割いたが、それはこの映画の基本的な魅力が主人公3人の人物描写とからみにあるからだ。優れたトレーナーと素質のあるボクサーが組めばチャンピオンも夢ではない。しかし映画はそういう展開にはならない。もはや、特に9・11以降は、アメリカン・ドリームなどは描けないのだ。だから大不況時代を描いた「シービスケット」や「シンデレラマン」のような復活劇が作られるのである。夢が羽ばたいた「アビエイター」だってこの時代だ。今のアメリカはとうに夢から覚め、現実という悪夢にさいなまれている国である。もう一度心地よい夢を見るためには過去に遡るしかないのだ。キング牧師は「いつの日かきっと」と未来に夢を託したが、過去に戻ってしか夢を語れないアメリカの現状。過去の名作や外国映画の焼き直し、ヒット作の続編ばかり作っているアメリカ映画の低迷状態は、この現状を受身的に反映していると考えていいだろう。

  映画はスポ根ドラマのように始まる。最初は女性ボクサーの指導など嫌がっていたフmoonharp_w3ランキーだが、やがて熱心に指導を始め、ついにはチャンピオンとの決戦に挑む。使い古された展開だ。ボクサーとして育てるときにいろいろアドバイスをするが、これはマカロニ・ウエスタンによく出てきたガンマンの心得に通じる。イーストウッドにとっては昔取った杵柄である。また日本のスポコン漫画の常道でもある(その典型は「あしたのジョー」)。

  最後の悲痛な結末はたまたま知っていたのでショックではない。マギーはゴングのなった後に放たれたチャンピオンの反則パンチで倒れ、倒れたところがコーナーの椅子の上だったために全身麻痺状態になってしまう。そして尊厳死へ。お定まりのパターンで始まりながら、「ロッキー」のような結末には至らない。ふいに中断されたサクセス・ストーリー。クライマックスからカタストロフィへの暗転。これが21世紀のリアリズムである。ただ、この最後の展開はいかにもハリウッド的だという気もする。さあ、ここが泣き所ですよ。そう思うせいか全く泣けなかった。しかし、興醒めというわけではない。そこはさすがにイーストウッド。いかにもという泣かせの演出にはしなかったことはむしろ褒めてもいい。淡々と経過を描いてゆく。開ききる前に散っていった大輪の花。劇的に盛り上げるのではなく、余韻を残して終わる。せめてジョーのように燃えつきて最期を迎えさせたかった。

 I will arise and go now, for always night and day       
 I hear lake water lapping with low sounds by the shore;       
 While I stand on the roadway, or on the pavements grey,       
 I hear it in the deep core of the heart.
 (from "The Lake Isle of Innisfree")

 マギーはイニスフリーへと旅立ったのだろうか。湖の岸部に寄せるさざなみの音を聞いている彼女の表情に無念さは浮かんでいないだろう。ロッキーにはなれなかった。しかしフランキーという「父」を得ることは出来た。フランキーが書いた手紙(マギーのリングローブに「モ・クシュラ/わが心の脈拍」と一言だけ書いた手紙)はたった一通だけ「娘」に届いたのだ。
 (11月23日 加筆訂正)

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2005年11月21日 (月)

オアシス

2002年 韓国hanehosi1
脚本:イ・チャンドン
監督:イ・チャンドン
撮影:チェ・ヨンテク
出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ、アン・ネサン、チュ・グィジョン
    リュ・スンワン、キム・ジング、ソン・ビョンホ、ユン・ガヒョン

  「グリーンフィッシュ」はがっかりしたが、「シュリ」と同じ年に日本公開された「ペパーミント・キャンディー」は「シュリ」を凌ぐ傑作だった。そのイ・チャンドン監督作品ということで期待してみたが、ややがっかりした。決して悪くはないのだが、いろいろ疑問も感じる。 主な登場人物はジョンドゥ(ソル・ギョング)とコンジュ(ムン・ソリ)の二人。コンジュは重度の脳性麻痺。ジョンドゥは軽い知能障害がありそうだ。映画は終始二人を突き放して描いている。どちらの意識にも入り込もうとしない。全体に暗い色調が漂い、コンジュの部屋にジョンドゥが忍び込むあたりは、のぞき穴からのぞき見るような淫靡な感覚さえ帯びる。他の登場人物は誰一人としてこの二人を理解していないし、しようともしない。

  一番疑問に思うのはジョンドゥの描き方だ。婦女暴行の前科があり、落ち着きのない、どこか頭のネジが2、3本抜けているような風変わりな男。映画はまず最初にこの男がいかに世の中から浮いた存在であるかを強調する。バス停で並んでいた男にもらいタバコをし、さらにバス代をせびる。どうやら金がないようだ。落ち着きがなく、どこか尋常でない気配が漂っている。金をせびられた男は迷惑そうにジョンドゥから離れる。よく見るとジョンドゥは半袖なのだが、周りの人たちはみな冬の格好をしている。そういえばジョンドゥはいかにも寒そうに身を縮めている。 この導入部分はうまく出来ていて、よく事情が分からないからかえってひきつけられてゆく。しだいに事情が分かってくる仕掛けだが、ジョンドゥはひき逃げ事件による2年6ヵ月の刑を終え、娑婆に出てきたところだったのである。夏に入獄したので出てきたときも夏服なのだ。しかし兄の家を訪ねてみるとそこには別の家族が住んでいた。金のないジョンドゥは只でもらった豆腐の塊を何もつけずにむさぼり食う。なんとも異様な男だ。

  なぜこんな男を主人公にしたのか。恐らくイ・チャンドン監督は、障害にも負けず必死に頑張る映画や、障害者と健常者の温かい心の交流などを描く映画のような「ありきたりの」映画にしたくなかったのだろう。それはそれで理解できる。様々なジャンルの映画が作られてはいるが、韓国映画というとやはり主流は恋愛ものという印象が強い。その中でどう「異質な」映画を作るのか。その異質さの一つの表れがこの主人公の組み合わせなのである。脳性麻痺の女性と思慮が足りず、子どものように気持ちが赴くままに行動してしまう男。この組み合わせは確かにこれまでにないパターンである。

  イ・チャンドン監督は、世間からのけ者にされ無能者扱いされているジョンドゥの方がよほど「純粋」だと言いたげである。世間から誤解されやすい人間こそ実は心優しい人物だというのはよくあるパターンである。恐らくイ・チャンドン監督の狙いはここにあったのだろう。しかしこれまたありきたりのパターンなのでさらに手を加えて、観客が「過度に」ジョンドゥに感情移入しないようにした、そういうことだろう。あの落ち着きのない立ち居振る舞い。映画の撮影場面に出くわすとしつこく付きまとう。コンジュの部屋に忍び込むと彼女を押し倒して胸に手を入れる。どこか常人とは違う行動パターンと思考回路を持ち、自由奔放に欲望と興味のままに行動する男だということをこれでもかと描き出す。その一方で自分が起こした(ということになっている)交通事故の被害者の家庭に見舞いの品を持ってお詫びに行ったり、コンジュが壁掛け(その壁掛けの絵柄が「オアシス」である)に映る枝の影が怖いというので、木に登って枝を切ったりするような行動を描いてゆく。

tr_06  それだけではあまりに微妙なので、一見まともそうな彼の周りの人物たちがいかにいい加減な人間であるかを描いてゆく。自分の社会的信頼を失いたくないばかりにひき逃げの罪を弟のジョンドゥに肩代わりさせた兄、コンジュを厄介者扱いして安アパートに放り出し、福祉局か何かの立ち入り検査のときだけ自宅に連れ帰り、あたかもずっとそこに住んでいるかのように見せかけているコンジュの兄夫婦。いかにもひどい奴らだ。それでいて世間に対してはまともな社会人の様な顔をしている。このように描きこむことによって、実はジョンドゥとコンジュの方がまともなのだということを際立たせようというわけである。

  しかし世間から疎まれているものどうしの付き合いにはどうしても限界がある。暗い部屋にずっと閉じ込められているコンジュは幻想の中でしか自由になれない。鏡に反射する光が白い鳩や蝶となって飛び回る場面は映像的にも見事である。その自由をさらに押し広げたのがジョンドゥだった。二人は互いに「姫」や「将軍」と呼び合い無邪気にたわむれる。象やインド人が出てきてコンジュの部屋が壁掛けの「オアシス」の絵の世界に変わる。世間から隔絶していたコンジュの部屋は一転して「オアシス」になる。コンジュ本人も幻想の中で健常者になり自由に歩き回る。確かに美しく、また現実ではないと分かっているだけに切ない場面だ。しかし一番印象的なのは、屋上に出たコンジュが空を見上げるシーンである。そこには本物の空があった。幻想の鳩や蝶は部屋から出られなかった。屋上で見上げた空には本物の開放感があったのである。

  素晴らしいシーンだとは思うが、それでもずっと覚めた目で見ている自分がいた。ありきたりな映画にはしたくないというイ・チャンドン監督の考えも分からないではないが、やはりひねりすぎだ。観ているこちらは終始冷めていた。もちろん、それはある意味で意図されたことかもしれない。ジョンドゥとコンジュのベッドシーンもグロテスクな描かれ方をしている。これもただただ美しく描き上げたくはないという意図が反映しているのだろう。感情移入を極力避けている。

 しかし、作品に入り込めないのにはもっと他にも理由がある。さんざんひねり回した結果ジョンドゥとコンジュは冷静に観察される「対象」になってしまった。それは単に二人を突き放して描いたからというだけではないだろう。人間と社会に対する描き方がどこか平板なのだ。本当にこの二人だけが純粋で、世間の人は皆表面だけつくろって生きている人たちばかりなのか。それこそ型にはまった描き方になっていないか。人間や人間関係、そして社会の捉え方が一面的で近視眼的になっていないか。終始この疑問が頭から離れなかった。ソル・ギョングもムン・ソリも熱演しているだけに(ムン・ソリは迫真の演技、「ギルバート・グレイプ」のレオナルド・ディカプリオに勝るとも劣らない)その点が惜しいと思う。

2005年11月20日 (日)

05年にDVD化されたおすすめ旧作

cut-window5  「今年DVD化された」というのは、必ずしも今年初めてDVD化されたという意味ではありません。今年発売されたDVDの中からおすすめの映画をみつくろって見ました。もれているものもあるはずですので、順次追加してゆきます。

【外国映画】
アエリータ(1924年、ヤーコフ・プロタザーノフ監督)
赤い影(1973年、ニコラス・ローグ監督)
アジアの嵐(1928年、フセボロド・プドフキン監督)
嵐が丘(1939年、ウィリアム・ワイラー監督)  
アンドレイ・ルブリョフ(1966年、アンドレイ・タルコフスキー監督)
怒りの葡萄(1940年、ジョン・フォード監督)  
生きるべきか死ぬべきか(1942年、エルンスト・ルビッチ監督)
石の花(1946年、アレクサンドル・プトゥシコ監督)  
ウディ・アレンのザ・フロント(1976年、マーティン・リット監督)  
男の争い(1955年、ジュールス・ダッシン監督) 
俺たちは天使じゃない(1955年、マイケル・ケーティス監督)
外人部隊(1933年、ジャック・フェデー監督)  
風の遺産(1960年、スタンリー・クレイマー監督) 
仮面の米国(1932年、マービン・ルロイ監督)
刑事マディガン(1968年、ドン・シーゲル監督)
裁かるるジャンヌ(1928年、カール・ドライヤー監督)
サリヴァンの旅(1941年、プレストン・スタージェス監督)  
ジェニーの肖像(1947年、ウィリアム・ディターレ監督)  
終身犯(1962年、ジョン・フランケンハイマー監督)   
情婦マノン(1949年、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督)
ジョニーは戦場へ行った(1971年、ダルトン・トランボ監督)
白く渇いた季節(1989年、ユーザン・パルシー監督)   
人生案内(1931年、ニコライ・エック監督)  
成功の甘き香り(1957年、アレクサンダー・マッケンドリック監督)
戦場(1949年、ウィリアム・ウェルマン監督)
その男ゾルバ(1964年、マイケル・カコヤニス監督)
大地(1930年、アレクサンドル・ドブジェンコ監督)
黄昏(1981年、マーク・ライデル監督)
魂のジュリエッタ(1964年、フェデリコ・フェリーニ監督) 
探偵物語(1951年、ウィリアム・ワイラー監督)
沈黙は金(1947年、ルネ・クレール監督)
トリコロール青の愛(1993年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
トリコロール赤の愛(1994年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
トリコロール白の愛(1994年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
尼僧物語(1959年、フレッド・ジンネマン監督)
ニノチカ(1939年、エルンスト・ルビッチ監督)
裸足の伯爵夫人(1954年、ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督)
80日間世界一周(1956年、マイケル・アンダーソン監督)  
母(1926年、フセボロド・プドフキン監督)
ピンクの豹(1963年、ブレイク・エドワーズ監督)
フィラデルイア物語(1940年、ジョージ・キューカー監督)
ブリット(1968年、ピーター・イエーツ監督)   
蛇皮の服を着た男(1959年、シドニー・ルメット監督)
ポケット一杯の幸福(1961年、フランク・キャプラ監督)
炎628(1985年、エレム・クリモフ監督)
街の野獣(1950年、ジュールス・ダッシン監督)
ミラグロ 奇跡の地(1988年、ロバート・レッドフォード監督)
モナリザ(1986年、ニール・ジョーダン監督)  
山猫(1963年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)
レディ・イヴ(1941年、プレストン・スタージェス監督)
ローカル・ヒーロー(1986年、ビル・フォーサイス監督)

名作映画をよく観ようキャンペーン(どれもおすすめ)
「デカローグ」BOX(クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
侯孝賢傑作選BOX80年代篇  
ルイ・マルBOX②

【日本映画】
浮雲(1955年、成瀬巳喜男監督) cut-window6
お葬式(1984年、伊丹十三監督)
貸間あり(1959年、川島雄三監督)
家族(1970年、山田洋次監督)
がんばっていきまっしょい(1998年、磯村一路監督)   
喜劇駅前旅館(1958年、豊田四郎監督)  
警察日記(1955年、久松静児監督) 
故郷(1972年、山田洋次監督)
シコふんじゃった。(1992年、周防正行監督)  
Shall we ダンス?(1996年、周防正行監督)   
少年時代(1990年、篠田正浩監督)
砂の器(1974年、野村芳太郎監督)
ゼロの焦点(1961年、野村芳太郎監督)
戦争と人間 第1部~第3部(70~73年、山本薩夫監督)
どっこい生きてる(1951年、今井正監督)   
幕末太陽傳(1957年、川島雄三監督)  
ファンシイダンス(1989年、周防正行監督)   
墨東綺譚(1960年、豊田四郎監督)   
僕らはみんな生きている(1992年、滝田洋二郎監督)
息子(1991年、山田洋次監督)
夫婦善哉(1955年、豊田四郎監督)
めし(1951年、成瀬巳喜男監督)

伊丹十三DVDコレクションたたかうオンナBOX
木下恵介BOX1~6
「戦争と人間」BOX
独立プロ名画特選BOX1~4
成瀬巳喜男BOX1、2

2005年11月19日 (土)

パッチギ!

2004年art-pure2003b
監督:井筒和幸
脚本:羽原大介、井筒和幸
撮影:山本英夫
音楽:加藤和彦
原案:松山猛「少年Mのイムジン河」(木楽舎刊)
出演:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、尾上寛之
    真木よう子、小出恵介、波岡一喜 オダギリ ジョー
    加瀬亮、キムラ緑子、余貴美子、大友康平、前田吟、光石研

 「GO」、「チルソクの夏」、「血と骨」とこのところ在日コリアンを扱った映画が結構作られている。サッカーのワールドカップ日韓同時開催あたりを機に急速に韓国に対する意識が変わり、それに止めを刺すように巻き起こった「冬ソナ」ブームが背景にあるだろう。「月はどっちに出ている」、「血と骨」の原作を書いた梁石日の活躍も忘れてはならない。そして何よりも、そんなブームが起こる前からコリアンがこの日本に住んでいたのだという事実。これほど多くのコリアンが日本にいる背景には日本による植民地支配が根本的な原因であるという事実。いまさらいうまでもないことだが、ここまで遡らなければ今の在日コリアン映画ブームを理解できない。

   時代設定は1968年の京都。今の韓国ブームのはるか前である。日本人高校生と朝鮮高校生との喧嘩から始まる。朝鮮人に対する日本人のむき出しの偏見・差別意識とそれに対する朝鮮人の反発・対抗意識。その中で一人の日本人高校生松山康介(塩谷瞬)が朝鮮高校の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹キョンジャ(沢尻エリカ)にほれてしまう。朝鮮人たちから白い目で見られながらもめげずにキョンジャに近づいてゆく康介。やがてキョンジャの方も康介に魅かれ、二人の関係は日本人とコリアンの憎しみ・対立の間に結ばれた細い一本の糸のようになり、対立意識を和らげて行く。

   「パッチギ!」はこのように偏見と対立を乗り越えて、日本人もコリアンも人間として理解しあうことが必要だと訴えている。この基本的姿勢には共感できる。偏見と対立を乗り越えるきっかけが恋愛だというのはいかにも安易であるように見えるが、それは下敷きになったシェークスピアの『ロミオとジュリエット』も同じこと。相手に興味を持つということは相手を理解しようとする気持ちにつながる。そこが大事なのだ。康介はキョンジャを単なるかわいい女の子としてではなく、日本人に根深い憎しみを持つアンソンの妹として、日本に住む一人のコリアンとして理解しようとした。二人で駆け落ちするのではなく、キョンジャの住む世界を理解しその世界に入って行こうと努力した。その姿勢に共感できる。一人康介だけではない。観ているわれわれ観客も、例えば、「日本は出て行けと言う、韓国は帰らせるなと言う」という言葉に表現されている在日コリアンたちの不安定な立場に対する理解を共有する。

  「パッチギ!」は康介とキョンジャの結びつきが周りの人々を巻き込み友好と理解が広がっていることを描いている。ラストで康介が歌う「イムジン河」をキョンジャがラジオで聞いており、そこにチェドキの弔い合戦で日本人とコリアンが殴りあう場面、桃子(アンソンの恋人:楊原京子)が生んだ子供をアンソンが抱き上げるシーンを挿入し、様々な人々と出来事を「イムジン河」の歌が包み込んでゆく様を描いている。ここはこの映画でもっとも感動的な場面である。非常に優れた演出である。「イムジン河」は南北朝鮮の分断を嘆く歌だが、ここでは日本人とコリアンの間の深い溝を乗り越える歌として使われている。

  男女の愛が対立を乗り越えるという図式のプロトタイプはシェークスピアの『ロミオとジュリエット』である。「ウエスト・サイド物語」も「パッチギ!」も基本的な枠組みは『ロミオとジュリエット』から借りている。「パッチギ!」が『ロミオとジュリエット』や「ウエスト・サイド物語」と違うのは対立が単なる2組の小さなグループの間の対立ではなく植民地問題を介在した二つの民族の間の対立だということである。この点は重要な違いであり、「チルソクの夏」と「パッチギ!」が後者の2作品を越える契機になりうる。それだけ深刻な問題を扱っているからだ。ではこの二つの日本映画は『ロミオとジュリエット』を「ウエスト・サイド物語」を越えただろうか。残念ながらそうは言えない。

  「パッチギ!」は日本人と韓国・朝鮮人の間の憎しみと対立を結構描いてはいる。喧嘩もそうだが、それよりもチェドキの葬式のとき康介に「帰れ」と怒鳴った在日1世の爺さん(笹野高史)が彼に語った話には説得力があった。この映画で最も説得力のある場面である。その場の空気、コリアンたちの中に一人だけ日本人がいる、しかもチェドキは日本人に殺されている。康介は他の日本人とは違うとみなされていても、それでも入り込めない壁。緊張感をはらんだその場の空気には乗り越えがたい壁が感じられた。この壁がいかに頑丈で簡単には乗り越え難いものであったかを描きこまなければこの主題は安っぽいものになってしまう。その意味でこのシーンは重要だった。しかしその空気はその場限りのものだった。不良どもの間には絶えず緊張感があるが、そんなものは不良グループ同士の対立と同じガキの喧嘩のレベルだ。殴りあいこそしないが互いの胸の中にどろどろと渦巻く軽蔑、偏見、歪んだ反発、鬱屈した憎しみ、そして就職、結婚などで現実にあらわれる差別の実態こそが真に乗り越えがたい壁なのである。それをガキどもの殴り合いでお茶を濁してしまった。

  どうしてそんなことになるのか。井筒和幸監督に深刻なドラマを撮るつもりはなかっただろう。それでは重くなりすぎる。彼はあくまでエンタテインメント映画を作るつもりだったに違art-pure2001awいない。それはそれで構わない。しかしこの「エンタテインメント」というのが曲者である。日本でエンタテインメント映画を作るとテレビドラマと同じレベルになってしまう。在日問題というテーマを核にして、それに「恋愛」と「青春」と「音楽」という要素を取り込むのはいい。まさにエンタテインメントだ。その青春の描き方に疑問がある。ばったり出会っただけで喧嘩を始める高校生たち。そこになにかひたむきに、がむしゃらに今を生きる若者の姿を本当に感じ取れるだろうか。そこに常識や理屈をこえた青春の輝きが感じられるだろうか。会うと喧嘩ばかりしている高校生の描き方が問題なのは、立ち回りにばかり気をひかれてなぜ彼らはそれほど憎しみあい対立しているのかが後ろに後退していってしまうからだ。冒頭の喧嘩の原因は日本人の高校生がコリアンの女子高生に絡んだことだが、それだけでなぜコリアンの高校生はあのような「過剰な」反応をするのか。実はそこのところが曖昧になっている。全体を見れば理解は出来るのだが、描き方は乱闘場面そのものを楽しむようなつくりになっている。

  もう一つの問題は「常識や理屈をこえた」という考え方だ。これはプロパガンダ的なメッセージや生のメッセージを毛嫌いする傾向と裏腹な関係にある。何かメッセージや主張をすると単純にそれを「プロパガンダ」だとみなしてしまう傾向。正面切って「理屈」と書くことを嫌い、「リクツ」と書くような感性。非常に危険だ。党派的なメッセージは確かに「プロパガンダ」だ。だが、笹野高史演じる在日一世が康介に向って言った台詞、「お前ら日本のガキは何知ってる?」で始まる激烈な言葉、これを越える「生の」言葉がこの映画の中で他にあったか?爺さんが言った「生の」言葉の力を超えるものがあるとすれば「イムジン河」の歌以外にない。だが、これさえも爺さんが悲しいコリアンの歴史を怒鳴るように投げつけるという前提があってこそ深く鋭く観るものの胸をえぐるのだ。 重いテーマを持ちながらエンターテインメントにするというのは難しい課題だ。何らかの工夫が必要なことは言うまでもない。しかし井筒監督が取った方法は安易な演出法だったと思う。彼の演出法はテレビドラマの様な安手なおふざけムードに走ってしまった。

  日本の多くの映画に表れているこのような描き方を「なんちゃって演出」と呼ぶことにしよう。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2003」で上映され、グランプリを受賞した「地獄甲子園」という映画がある。これはまさに全編「なんちゃって演出」の塊である。言うまでもなく大した作品ではない。この映画がグランプリを受賞したのはこの映画が漫画だからである。単に原作の漫画を実写版にした映画だという意味ではない。原作は月刊少年ジャンプに連載された「地獄甲子園」という漫画なのだが、普通漫画を映画化する場合は、原作の漫画を映画向きに変える。表現媒体が違うのだから当然のことである。しかしこの映画は漫画を映画化した映画なのではなく、いわば漫画そのものが映画の画面の中で展開されているのである。死んだものが平気で生き返る、甲子園にかける情熱を熱く語ったかと思うとすぐその後で「なんちゃって」とひっくり返す。殺人集団・外道高校野球部のメークは学芸会並みのちゃちさ。まさに漫画そのもの。安っぽさ、バカバカしさを漫画そのままに映画の画面に表してみた、そこに今まで経験したことのない違和感が生じる。漫画では自然なことが、映画になると戸惑うのだ。審査員たちはそこに何かただならぬものがあると勘違いしグランプリを与えてしまったのだろう。しかし所詮はバカバカしいだけの映画に過ぎない。漫画そのものがくだらないと言っているのではない。漫画には優れたものが少なからずある。問題は、画面に描かれた漫画(原作は読んでいない)がただバカバカしさで笑わせるだけの漫画であることだ。まさに「なんちゃって演出」のきわみ、理屈ではなく「リクツ」と書く感覚がそこには蔓延している。このおチャラけた感覚が最近の日本のテレビドラマや映画には大なり小なり入り込んでいる。「JSA」、「ノー・マンズ・ランド」、「ヴェロニカ・ゲリン」、「アフガン零年」、「タッチ・オブ・スパイス」、「この素晴らしき世界」、「モーターサイクル・ダイアリーズ」等々、挙げれば切がないが、この様な作品が日本から生まれないのはこの脳天気な意識からきている。物を考えることを嫌う傾向が行き着く先はただ権威の言うことを鵜呑みにする集団催眠状態である。「パッチギ」の演出はもちろん「地獄甲子園」よりはるかにまともな映画であり、芯があり、その演出もずっとしっかりしている。しかしどこかに共通する要素はないか。「パッチギ」は本当にこの現状を「突き破り」、「乗り越え」たのか?他の演出方法は本当になかったのか?

 1968年という時代が背景ともなれば、その絡みで色々言いたいことはあるが、もうだいぶ長くなったので簡単にだけ触れる。冒頭の「オックス」の失神コンサートには笑ってしまった。女の子が「愛ちゃーん」と絶叫している場面をよくテレビで流していたものだ。「失神」という言葉もあの頃流行語になった。ビートルズに始まるマッシュルーム・カットも流行ったなあ。フォークルの「イムジン河」は懐かしかった。このような文脈の中で聞くとなおさら素晴らしい曲に思える。もう一つ、観た後で知ったのだが、原作が「少年Mのイムジン河」というタイトルで、しかも作者が「帰ってきたヨッパライ」の作詞者である松山猛という人だということである。原作も作者も知らなかった。

2005年11月17日 (木)

資料・日本と諸外国の映画環境②

【アメリカ映画の市場占有率】SD-memb-01
・アメリカ映画の世界市場で占める割合は上がる一方である。1998年の世界映画市場稼ぎ頭40本のうち39本、フランスでは稼ぎ頭10本のうち9本までがアメリカ映画である。フランスの国産映画は1982年には53%を占めていたのに、1998年には28%に落ち、英国では1997年のシェア27%が翌年には半減、ドイツでは1998年で10%である。一方、小国デンマークでは1999年、2000年と連続20%を維持している。韓国もアメリカ映画の上映時間割当制のおかげで、従来20%のシェアが40%まで拡大しているという。   
  →日本映画の国内シェアは2001年にはついに27%まで落ち込む。
  →映画入場者数も1958年をピークに下降傾向は止まっていない。

・アメリカは一貫して経済的観点から映画を論じる。ヨーロッパは文化主義的観点から映画を論じる。アメリカが文化的ヘゲモニーを拡大して行く中で、娯楽大作ものはアメリカに任せて、自分の国では独自の文化的薫りを持った作品を作ろうとする方向に進む国が増えている。
・ハリウッドの大手各社がアメリカ産の映画では十分世界市場を維持出来なくなったので、アメリカは世界中から目ぼしい作品の配給権を買い、世界で稼ぐマーケット戦略を強めている。特に製作費がアメリカと比べて格段に安い中国映画がねらわれている。チャン・イーモウの「あの子を探して」と「初恋の来た道」はソニー・エンタテインメント・ピクチャーズの配給である。日本も例外ではなく、スタジオ・ジブリはディズニーと組んでおり、熊井啓の「海は見ていた」はソニー・エンタテインメント・ピクチャーズ、平山秀幸の「OUT」はフォックスの配給である。
・1993年のGATTでフランスとアメリカの間で激しい駆け引きがあった。
  →上映割当システムの維持をめぐっての争い。フランスが押し切る。
・フランスなどがこれ程自国映画の保護に熱心なのは、アメリカ映画が市場を独占出来るだけの力をもっていることの裏返しである。くだらない作品も山のように作っているが、優れた作品もたくさん生み出している。アメリカ社会の腐敗や矛盾、社会悪を告発する作品もまたアメリカ人自身の手で作られている。

【韓国映画の勢いと国の保護政策】
・韓国では40万坪を有する撮影所が国の支援で97年に作られ、「JSA」「シュリ」などの話題作が次々に作られている。韓国の映画振興委員会(99年設立)は製作支援から撮影所の提供、教育・研究まで総合的な支援策を検討し、実行している。

・韓国映画の目覚しい躍進を支える有力な制度的仕組みとして、1996年の「映画振興法」によって実施された「韓国映画の上映義務」制、いわゆる「スクリーン・クォータ制」(上映時間割当制)がある。すべての映画館は年間146日以上、韓国映画を上映する義務を負い、この制度に国の様々な助成策が加わって韓国映画の「躍進」を促してきた。
  しかし1999年、それまで韓国映画市場の6~7割を占有してきたハリウッドは、このスクリーン・クォータ制に激しい攻撃を加え、韓国政府に圧力をかけたが、韓国映画人は団結して民族映画擁護のため、この制度を死守する大運動を展開。「クスリーン・クォータ文化連帯」という非政府組織をつくり、その力で政府はハリウッドの要求をはねつけてきた。  「シュリ」(1999年)「JSA」(2000年)「シルミド」(2003年)「ブラザーフッド」(2003年)など、国民的な大ヒット作が続出、韓国映画は市場の過半数を制するまでになり、ハリウッドは再びスクリーン・クォータ制への攻撃を強めた。04年7月14日、3000人の韓国映画人があつまり、この制度を死守する大デモを決行、日本でも知られる大スターたちも参加している。

・韓国映画の市場占有率は、2002年に45.0%だったのが、03年には49.4%、そして04年の上半期はついに60.0%に達した。03年12月公開の「シルミド」は1108万人、04年2月公開の「ブラザーフッド」は1174万人の記録的な大動員を果たした。これにたいしアメリカ映画は2002年48.7%、03年43.5%、そして04年36.1%と押され続け。アメリカ映画7対邦画3の壁をなお破れない日本の場合と、対照的だ。

・「KOFIC」発行の『韓国映画の展望台』(2005年夏の号)より
 韓国映画は2000年以来年平均19%の観客増という急成長を続けてきた。2005年は若干足踏みしている。05年上半期の観客動員数は計2076万9086人で、昨年同期の2317万2446人に比べてearth127.8%減。その大きな理由は昨年上半期には「シルミド」「ブラザーフッド」という1000万人動員のメガヒットがあったが、今年はまだそのクラスの大作に恵まれていない。その結果昨年同期、国産映画の市場比率が62.4%まで飛躍していたのが、今年は50.4%に後退。しかし韓国の全映画館は年間146日、国産映画を上映する義務を持つスクリーン・クォータ制があり、なおシェアの過半を占めている。
  なお日本の「ハウルの動く城」は昨年末公開、外国映画の興行収入第4位(301万5615人)を記録した。

【映画は文化である フランス映画に学ぶ文化の支援と保護】
  以下は中川洋吉『生き残るフランス映画』(希林館、2003年5月)の「序文」の要約紹介である。

  CNC[注:国立映画センター、文化省の直属機関]の財政基盤を支えるのは、映画・映像(テレビ)産業界からの拠出金システムである。映画入場料金の11%、テレビ局(国営も含む)の総売り上げの5.5%を徴収し、年間予算は26億2200万フラン(2001年、約440億円)に上っている。民間の資金を官が運営し、徴収金を再び映画産業へと還元する。一種の文化リサイクル装置をつくり上げている。日本の文化庁予算の45%の規模であり、すべてが映画・映像に費やされている。
  CNCと並ぶ、フランス映画を支える両輪の一方がテレビ局である。フランスでは、映画がテレビの重要なソフトであり、年間約1500本が放映される。テレビ局は映画製作に対し、地上波局は総売り上げの3%、ケーブルテレビのカナル・プリュスは20%の支出が法的に義務づけられている。

 フランスのテレビが映画・映像作品を放送する場合、60%をヨーロッパ作品としたうえで、40%をフランス作品とするという枠をはめ、自国作品の保護を図っている。

  93年度の統計によると、上映館数は4300館で、この10年間ほとんど変わらない。日本の1700館とは大きな開きがある。

  この違いはシネマコンプレックス(複合映画館)の発展の違いによる。フランスにはシネマコンプレックスが800館以上あり、大部分はひとつのビルに2~5館を含んでいる。  助成は映画館の改装費、設備費に対して最高90%まで援助される。また、CNCはプリントの貸与も行っている。この制度によって、少都市でも、大都市と同様な上映作品が楽しめ、映画館の経営維持にも役立つ。
  CNCが行っている映画製作に対する助成のひとつ「選択助成」の最大のものとして、制作資金の前貸し制度がある。この制度のおかげで、フランスでは毎年、多くの新人監督が世に出ている。
  フランスではテレビは映画の敵ではない。テレビが映画を斜陽化させた事実は否定できないが、映画はテレビにとって視聴率を上げる最大のソフトでもある。つまり、テレビには映画なくしては生きていけない状況があり、そこで両者の制度的な共存関係が生まれた。
 映画館の客足を確保するため、金曜日の夜は芸術性の高い作品を除いて、テレビは映画を放映できないという制限もある。

  映画を歴史的文化遺産として保存に力を注ぐことにおいて、フランスにまさる国は他にないであろう。古い作品を恒常的に上映するシネマテークの存在は我が国でも広く知られている。フランスでは1992年の政令により、出版、ビデオ、映画、テレビに関し、納付制度が義務づけられた。この制度により、映画に関しては、国内で上映された全作品をCNCが保管することとなった。他に、このアーカイヴのもう一つの大きな役割は、古いフィルムの修復であり、むしろ、この分野にこそ、CNCは力瘤を入れている。

  CNCとシネマテークの業務は重なる分野もあるが、実際は上下関係にあり、規模はCNCが圧倒的に大きい。両者の特徴は、CNCが保存・修復を第一の目的とし、作品の一般公開は原則的に行わない。これに反し、シネマテークは、作品の公開をメインの目的としている。
  このようにCNCを頂点にした映画分野における「歴史的文化財産」の保存・修復活動は、国家の文化に対する意識の高さを表している。

2005年11月16日 (水)

資料・日本と諸外国の映画環境①

<カナダ>fan-2
  モントリオール市郊外にあるカナダ国立映画制作庁(NFB)は、年間の経費約44億円をすべて国費でまかなう映画制作機関だ。
  カナダは映像産業への手厚い保護がある。まず制作費の3割以上を国が投資する制度。昨年のカナダ映画約60本のうち22本が適用を受けた。その資金運用を国から委託されているテレフィルムカナダによると、今年の総予算は約178億円。フランソワ・マセロラ代表は「あくまでも出資だが、返ってくるのは1割程度」という。映像を国が支援する目的のひとつは「カナダ文化の保護」。国内で上映されているのはハリウッド映画が9割以上。人口は3000万人余、映画館入場料700~800円では、カナダ映画を作っても国内だけでは資金の回収は難しい。「カナダの映像文化は歴史が浅い。守らないと消えてしまうおそれがある」とマセロラは話す。
  このほか、州や連邦政府の資金援助や税金の返還制度もあり、すべてを使えば、制作費の約1割の手持ち資金で、かなり大規模な映画が作れてしまう。
  プロデューサーや監督たちは、こうした制度なしではカナダで映画は作れないと口をそろえる。しかし、援助が得られないと・・・。ベテランプロデューサーのロジェ・フラビエは昨年、2本の長編を企画したが、国と州政府から援助を断られ1本も作れなかった。
          「北のハリウッド カナダ映画事情」下  「朝日新聞」 01年4月24日

<デンマーク>
  デンマークは人口わずか530万人(日本の約20分の1)、長編映画の制作費を国内で回収することは至難の業。それに他の欧州諸国同様ハリウッド映画の重圧がある。
  にもかかわらずこの数年間製作は長編20本台に伸び、1999年と2000年には人口の5分の1に当たる100万人動員の作品が1本ずつ出、海外映画祭の受賞も相次ぎ、海外市場からの収益も伸びた。一番有名なのは2000年のカンヌ映画祭グランプリをとり、日本でも大ヒットの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(監督ラース・フォン・トリアー)。
  その要因には国立映画学校の人材育成、政府とテレビ局の積極的助成、トリアーらの映画運動「ドグマ95」があげられていて、政府は2000年に前年の倍額1900万ドル(25億円)の政策補助を出し、国営テレビも「ドグマ95」のような運動を支援、「ドグマ95」は「技術的なことより人間ドラマを」のきびしい原則、国情に合ったコストで良質な映画を目指すなど学ぶべきことが多く、考えさせられる。

<ニュージーランド>
  ニュージーランドには1970年代末まで映画産業は存在しなかった。映画はあったが、自国の映画は50年代に1本、60年代に2本と事実上ゼロに等しかった。それが70年代末、政府がニュージーランド・フィルム・コミッション(NZFC)を創設、国産映画の製作に投資しはじめてから、ニュージーランド映画の新しい人材が出現、国際的にも注目されはじめる。このNZFC発足25年間に150本の作品が登場、ピータ・ジャクソンも国の出資で第1作を撮り、超大作「ロード・オブ・ザ・リング」にいたった。また「ワンス・ウォリアーズ」(1994)でデビューしたリー・タマホリがハリウッドに招かれ、「007」最新作を監督したのも、その延長線上にある。 また、ニュージーランドの先住民マオリの映画も注目を集めている。
  ・1994年「ワンス・ウォリアーズ」(リー・タマホリ監督
  ・2003年「クジラの島の少女」(ニキ・カーロ監督)
  →隣のオーストラリアでもアボリジニを描いた「裸足の1500マイル」(2002年)が
       作られている(監督は白人のフィリップ・ノイス)。

<日本>
  日本の劇映画の製作は、1887年に年間300本を切って以来、300本を回復出来ていない。映画の撮影所も大船撮影所の閉鎖に続き、縮小・移転などが推し進められようとしている。国家の支援もイギリスのフィルムカウンシルの支出は約86億円、フランス国立映画センターの映画関係支出は280億円となっている。
  →山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は京都の太秦撮影所で撮影
   →日本は30億円に満たない。   
  →また支援の内容も制作資金への助成にとどまっている。
     撮影所の老朽化・縮小・閉鎖、映画人の著作権、人材養成機関の設立など

  日本の映画環境は大都市と地方都市では大きな較差がある。ある調査によると、東京では封切り映画の98%が公開され、大阪は76%、名古屋は65%など、他方下関はわずか5%、鳥取は9%、いわきは12%である。

・日本の文化政策の貧困 →フィルムセンターの火災(1984年9月3日)
  フィルムセンターは昔一度火事で焼けている。この火事はまさに日本における映画文化の貧困さを象徴していた。84年の9月3日、多分いつもより比較的涼しい日だったのだろう、フィルム保管庫のクーラーを止めていたところ可燃性フィルムが自然発火してしまった。予算をケチってクーラーを止めたために貴重なフィルムを一部消失してしまったのである。fan-3当時新聞でそれを知ったときにはしばし呆然としたものだ。
 そもそも古いフィルムは発火しやすく、フィルム保管庫はいわば弾薬をかかえているのと同じである。オランダ視聴覚アーカイヴの可燃性フィルム保存庫は海辺の砂丘地帯の窪地にある。第二次大戦中にナチス・ドイツ軍のトーチカとして建設されたものをフィルム保存庫に改造したのである。保存庫は、職員が働いている隣室とは反対側の壁を比較的弱くしてあり、「最悪の事態」が生じた時にはそちらへ爆風が逃げてゆく構造になっている。トーチカを選んだのはそれが頑丈だからだが、周りに人家が少ないことも考慮に入れていたのだろう。
  昔のトーチカを改造して使う。これくらい保存に気を使わねばならないほど可燃性フィルムはデリケートなものなのである。そのクーラーを切るとは!フィルムセンターの所員の責任ではない。国立のフィルム・ライブラリーに貧困な予算しかつけない文化政策に問題がある。日本の文化予算は能や歌舞伎などの伝統文化の維持にほとんどをつぎ込み、映画などという「大衆文化」にはおこぼれ程度しか回ってこない。果ては、予算を増やすどころか、これでもまだ多いとばかりに2001年には独立法人にしてしまった。自国の映画産業をアメリカ映画の侵食から守るためにクォータ制をとっている国もあるというのに、国自らが映画文化の首を絞めてどうする。ここ数年予算は増えてきており、多少の理解も進んだようだが、松竹の大船撮影所閉鎖などの逆行現象は止まらない。映画は製作会社だけのものではない。国民の財産なのだ。製作だけではなく、上映、保存、修復など一連の事業を含めて対策を考えるべきものである。映画は後世に伝えるべき優れた文化遺産なのだという認識を、政府も国民の間でも確立することが今一番必要なことだ。

・キネマ旬報映画総合研究所所長 掛尾良夫氏談
  「日本では年300本弱の邦画が公開される。しかし一握りの作品以外は全くビジネ
  スになっていない。韓国は70本程度だが、産業としてはずっと健全。」
                    「プロデューサー元年」中 05年1月5日(朝日新聞)

・経済産業省 特定サービス産業動態統計速報
 2004年の映画館売上高
   1557億円(前年比マイナス2.5%)2年ぶりに前年を下回る。
 映画館の入場者数
   アニメ 前年比42.8%増  →「ハウルの動く城」の大ヒット
   邦画  前年比11.3%増  →「世界の中心で、愛をさけぶ」のヒット
   洋画  前年比10.3%減  →それでも洋画は入場者全体の55%を占める。

<イギリス>
  1988年は「日本における英国年」で、第11回東京国際映画祭に協賛する形で10月24日から11月8日にかけて東京で「英国映画祭」が開催された。画期的なことである。また2000年の4月4日から9日まで東京の草月ホールで「ケルティック・フィルム・フェスト」が開催された。南北アイルランド、スコットランド、ウェールズというケルト圏の映画を集めた催しである。これもそれまでは考えられなかった企画である。さらに、「トレイン・スポッティング」「ブラス!」「フル・モンティ」「エリザベス」「秘密と嘘」「リトル・ダンサー」「シーズン・チケット」等々、次々と話題作が公開されている。特に「秘密と嘘」が1997年度『キネマ旬報』年間ベストテンの第1位に選ばれたことは特筆すべきことである。それほど話題にはならないとしても、毎月のようにイギリス映画が公開される。こんなことは80年代、いや90年代の前半までも考えられなかったことだ。なぜイギリス映画はこれほど急激に活況を呈するようになったのだろうか。
  1982年にイギリス映画界にとって画期的な出来事が二つ起きている。一つはイギリス映画「炎のランナー」がアカデミー作品賞を受賞したことである。もう一つはテレビ局のチャンネル4が出来たことである。この局は映画制作に力を入れることを念頭に置いて作られた局である。これ以降メジャーな配給会社による映画とチャンネル4によるインディペンデントな小品映画が並行して作られ、少しずつ成功作が生まれてくる。86年の「マイ・ビューティフル・ランドレット」は中でも印象深い作品である。その他にもジェームズ・アイヴォリーの文芸映画、デレク・ジャーマン、ピータ・グリーナウェイのアート系映画などが次々に生まれた。「インドへの道」や「ミッション」などの大作も作られた。こうしてデビッド・リーンやキャロル・リードといった巨匠が活躍した時代から、怒れる若者たちの時代60年代を経てその下降線をたどり、低迷の70年代を送ったイギリス映画界は、80年代の回復期を経て、90年代に入りついに復活し、イギリス映画は再び黄金時代を迎えたのである。1989年には30本しか製作されなかったのが、90年代前半には50本以上になり(92年は47本、93年は69本、95年は78本)、96年128本、97年112本と、96年以降は年間100本以上のイギリス映画が製作されているのである。このような好調の背景には、映画制作にかかわる事情の変化が関係している。前述したチャンネル4と公共放送のBBCが車の両輪となり、映画制作を支えている。他にもグラナダ・テレビとITCなどのテレビが劇映画を製作している。また、宝くじの売上金を映画制作に融資する制度も映画製作本数の増加に大きく貢献している。また、ブレア首相率いる労働党内閣も映画振興政策に力を入れている。ブレア首相は初めて映画担当大臣を置き、映画制作の資金調達と若手映画人育成に力を入れだした。制作費1500万ポンド以下の作品を非課税扱いとした。
  さらに、イギリスという国家がイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域からなっていることを考えたとき重要なのは、これらの影響がイングランド以外の地域にも及んでいるということである。90年代以前はイングランド以外の地域ではほとんど映画の製作は行われていなかった。しかし90年代に入り、スコットランドでは宝くじ収益金のほかに、短編映画の助成金、グラスゴー映画基金、スコティッシュ・スクリーンなどの映画機関の援助が得られるようになった。ウェールズでは82年にウェールズ第4言語テレビチャンネルが設立され、宝くじ基金やウェールズ・アーツ・カウンシルなどの助成金制度などとあわせて映画制作やウェールズ国際映画祭などを支えている。北アイルランドでも、90年代に北アイルランド・フィルム・カウンシルが設立され、宝くじ基金とBBC北アイルランドと共に映画制作を援助している。こういったことがすべてあいまって80~90年代のイギリス映画の好調を支えているのである。
              ゴブリン「80~90年代のイギリス映画:不況の中の人間像」
<参照資料>
小林義正「ケルト圏の最新の映像を集めた意欲的な催しーーケルティック・フィルム・フェ
  ストの上映作品」、『シネ・フロント』No.248
大森さわこ「最近英国映画事情」、『キネマ旬報』No.1274
品田雄吉「イギリス映画の今を探る」、同上

2005年11月15日 (火)

傑作TVドラマ「第一容疑者」

moon14  TVドラマシリーズ「第一容疑者」(1992-96)の第1巻と第2巻を観た。優れた警察ドラマである。日本の9時台に放送されるサスペンス・ドラマとは雲泥の差だ。2000年にBFIが選定した「英国テレビ番組ベスト100」(本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「イギリス映画の世界」コーナーに入れてあります)の68位にランクされた傑作である。脚本・原案はリンダ・ラプランテ。主演は「キャル」「エクスカリバー」「英国万歳!」「グリーン・フィンガーズ」「ゴスフォード・パーク」「カレンダー・ガールズ」など、映画でも活躍中のヘレン・ミレン。美人ではないしもう中年だが、女優として実に魅力的である。かつてのグレンダ・ジャクソンを思わせる。「第一容疑者」は何年か前にNHKで放送されたそうだが、「ER」シリーズ以外はあまりテレビでドラマを見ないので知らなかった。今回中古店でBOXを手に入れ、はじめて観たのである。

  新しく捜査主任になったジェーン・テニスン主任警部(ヘレン・ミレン)が警察内の女性差別にもめげず、なかなか尻尾を出さない連続娼婦殺人犯を追い詰めてゆくのが第1巻。タイトル通り、ある男が容疑者として早くから上がっているのだが、なかなか立証する証拠が挙がらない。あらゆる方面から糸口を手繰って行き容疑者を追い詰めてゆく展開が見事である。容疑者は早い段階で絞られているので、犯人探しではなくむしろアリバイ崩しや証拠がために主眼がある。その意味では倒叙ものの系統に入る。

  第2巻ではすっかり部下の信頼を得たジェーンが白骨死体をめぐる難解な事件に挑む。今回は倒叙形式ではなく真犯人がなかなか分からない。本格的な犯人捜査もの。ジェーンの黒人の恋人が同じ捜査班に加わり、ジェーンをあわてさせたり、勝手な行動を取ってジェーンを追い詰めたりする。毎回新たな展開がありそうで第3巻以降が楽しみだ。BOX1には3巻、BOX2には4巻収録。 ヘレン・ミレンが実にりりしい。とても「カレンダー・ガールズ」でヌードになったおばちゃんと同じ人とは思えない。優れた女優である証だ。

  英国の警察ドラマには「インスペクター・モース(主任警部モース)」(同42位)、「刑事ロニー・クレイブン」(同15位)などがあって、警察物は人気のようだ。この2つは見ていないが、「バーナビー警部」シリーズはDVDで全部見た。これも良かった。ベスト100には入っていないが優れたシリーズだと思う。フロスト警部のTVドラマシリーズもあるようだがまだ見ていない。『クリスマスのフロスト』など原作はどれも面白いので期待できそうだ。

  外国のTVシリーズといえば、最近は韓国ものが大量に入ってきている。偏見なのかこれらは一つも見ていない。どうも映画ほどは食指が動かない。アメリカのTVシリーズは何と言っても「ER」と「バンド・オブ・ブラザーズ」が最高。後者は絶対おすすめである。映画「プライベート・ライアン」の続編の様な性格のシリーズである。これほどリアルな戦争ドラマは他にない。特に第9話は衝撃的だ。ぜひ観てほしい。「24」は第1シーズンこそ息もつがせぬ展開でぐいぐいひきつけられたが、第2シーズン以降は話が荒唐無稽になって興味を失った。「ツイン・ピークス」は最初こそ謎が謎を呼ぶ展開で素晴らしかったが、最後は超常現象で終わってしまうのでがっかりした。「ダーク・エンジェル」も第1シーズンはすっかりジェシカ・アルバにはまってしまった。ドラマの出来もいい。しかし第2シーズンは今ひとつで、結局途中で観るのをやめてしまった。「Xファイル」はあまり興味がなくほとんど観ていない。

  イギリスのTV番組はBBCのドキュメンタリーが何といっても有名だ。世界の最高水準だろう。その陰に隠れてドラマはあまり知られていないと思う。しかし水準はかなり高そうだ。中古屋で見つけたら即買いである。「第一容疑者」にはしばらく病み付きになりそうだ。その間映画があまり観られないのではないかと今から心配だ。

2005年11月14日 (月)

うえだ城下町映画祭②「女が階段を上る時」

mas2_1  成瀬巳喜男の「女が階段を上がる時」は銀座のバーの雇われマダムの話である。こちらは華やかな世界の裏面を哀愁をこめて描いている。成瀬監督得意の女性映画で、興行的にも大ヒットした。主演は高峰秀子。高峰秀子は淡島千景とならぶこの時代のお気に入り女優である。「馬」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」「名もなく貧しく美しく」等々、数々の出演作は名作ぞろい。

 男たちに翻弄され、家族に悩まされながらも、一人の女として自立して生き抜いてゆこうとする女性を描いている。その意味では溝口の描いた「祇園囃子」に通じるものがある。タイトルは、主人公圭子(高峰秀子)のバーが二階にあり、いつもその階段を上がるときに一瞬のためらいを彼女が感じるところからつけられている。階段を上がりきったら自分を捨て客のサービスに徹する世界に入り込むからである。

 彼女の夫は何年か前に事故で亡くなっている。以来彼女は決して特定の客と深い仲にならないようにしている。圭子はいつも着物を着て店に出ているが、その着物は銀座のマダムとしては地味である。店に出ていないときでも着られるようにわざと地味な柄を選んでいるのである。このあたりに彼女の堅実な性格が現れている。主ななじみ客は銀行の支店長・藤崎(森雅之)、町工場の社長・関根(加藤大介)、実業家の郷田(中村鴈治郎)、利権屋・美濃部(小沢栄太郎)。かわるがわる口説かれるが彼女はうまくいなしている。

 溝口監督は主人公の圭子の心の揺れに焦点を当てて描いている。銀座の雇われマダムも悩みが多い。疲れてアパートに帰った後も売り上げや経費の計算をしなければならない。時にはつけの清算に客の勤め先に出向かねばならない。彼女の元で働いた後自分の店を持ったユリ(淡路恵子)の店は大いに繁盛しているように見えたが、店を立ち上げたときの借金で車も宝石も手放した。ついには借金取りの同情を引こうと自殺未遂をするが、薬を飲みすぎて死んでしまう。冒頭にはガス自殺したマダムの話も出てくる。決して楽な商売ではないのだ。郷田に店を持たせてやってもいいと言われだいぶ気持ちが傾くが、特定の男に頼りたくないので、圭子は1人10万ずつたくさんの人から出資してもらうことを考える。

 男に囲まれながら、男に身を売らず自立してゆくのは大変である。所詮雇われマダム。自分の店を持ちたいという願望は強くなる。しかし頑張りすぎ無理がたたって胃潰瘍になり、1月ほど実家で静養せざるを得なくなった。実家は佃島である。生まれは貧しい庶民の家という設定は彼女の性格をうまく表している。しかし実家も居心地はよくない。実家では兄(織田政雄)が借金を抱えて困っている。母親も兄も彼女が頼り。店の女将(細川ちか子)が見舞いに来るが、何のことはない早く店に戻れ、客のつけを早く清算しろと暗に催促しているのだ。実家すら安息の場ではない。自分のアパートが唯一くつろげる場所である。しかし、そこにも兄が借金を頼みに来たり、男が押しかけてきたりして決して完全な避難場所とはいえない。結局客も店の女の子もバーの経営者も、一皮向けば金のつながりしかない。華やかな銀座の享楽の影で、女たちは日々うめいている。彼女を取り巻く環境は不安定なもので、常に崩れ去る危険性を伴っている。いつ転落するか分からない綱渡りの人生である。圭子は堅実な性格だからここまで何とかやってこられたのだ。そんな圭子を愛しながらじっとそれを隠し、彼女を支えてきたのはマネージャーの小松(仲代達矢)である。

clip-eng3  体も壊し自分の店を持つ夢もなかなかかなわない圭子はとうとう男に頼ってしまう。町工場の社長・関根に結婚を申し込まれ、圭子は申し出を受け入れる。美男子ではないが、酒も飲めないのに店に通い誠実な態度で接する彼を信頼したのだ。しかし彼の妻から(妻がいたのだ!)電話が入り、彼の話はすべて嘘だと分かる。落胆して酒におぼれる圭子を家まで送った支店長の藤崎は、彼女と一晩を共にしてしまう。実はこの藤崎に圭子は一番心を引かれていたのである。しかし翌朝彼は関西に転勤だと圭子に告げる。彼の帰った後に、今度はマネージャーの小松がやってきてこれまで隠していた思いを打ち明け、結婚してくれと迫る。圭子は断った。すべての男に裏切られ、圭子は自分ひとりで生きていこうと強く決心する。最後にまた階段を上がるシーンが出てくるが、その時の足取りは軽く自信に満ちている。

 成瀬監督を代表する傑作は「めし」と「浮雲」だと思うが、「女が階段を上がる時」も素晴らしい出来だった。45年前の作品だが、今観ても圭子の描き方には共感できる。家庭以外に女性の生活の場がほとんどなかった時代に、「結婚して幸せになりました」という結論を持ってこなかっただけでも立派である。「女ひとり大地を行く」のようなたくましい女性として描かれてはいないが、彼女は悩み苦しみ、失敗を繰り返しながら自分の生き方を模索していった。結局元の状態に戻っただけだが、圭子の意識は大きく変わっている。「浮雲」と同じ高峰秀子と森雅之の競演作。男性客を演じた多彩な名優たちがそれぞれにいい味を出している。山茶花究、多々良純、藤木悠、沢村貞子、中北千枝子、賀原夏子、菅井きん、千石規子など、おなじみの役者が次々に登場するのも楽しい。昔の映画界には天上に輝くスターたちばかりではなく、実にたくさんの個性的な「地上の星」がいたのである。

 成瀬巳喜男は、黒澤明、小津安二郎、溝口健二、今井正とならぶ日本映画の5大巨匠と呼んでいい存在であるにもかかわらず、これまであまり知られているとは言えなかった。やっと生誕百周年の今年になってDVD-BOXが発売され、様々な特集や上映会が催されるようになった。衛星放送やDVDが普及した意義は大きい。大都会に住んでいなくても過去の優れた遺産に容易に接することが可能になったのである。東京にいた頃、「文芸座」や「並木座」以外では滅多に日本映画の古典は観られなかった。「浮雲」は82年の11月から12月にかけて日比谷の「千代田劇場」で催された「東宝半世紀傑作フェア」で観た。他に「山の音」、「雪国」、「忍ぶ川」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」を観ている。この時を逃したら生涯観ることもないだろうと当時は思っていた。今はDVDで観ることが出来る。いい時代になったものだ。今後も日本映画の優れた遺産をDVD化する作業が進むことを強く期待する。

うえだ城下町映画祭①「春の雪」

  第9回「うえだ城下町映画祭」に行ってきた。映画祭を観に行くのはこれが2回目。最初snowrabbitのうちは企画が貧弱なので、馬鹿にして行かなかった。2002年の第6回は「たそがれ清兵衛」という目玉があり、「シュレック」「GO」「銀河鉄道の夜」など結構いい映画をやっていたのだが、なぜか行かなかった。わざわざ映画祭が終った数日後に「たそがれ清兵衛」を観に行っている。多分混みあうのを避けたのだろう。初めて行ったのは去年の第8回である。映画祭2日目に「草の乱」と「東京原発」の2本を観た。その2日前に「隠し剣 鬼の爪」を、映画祭の数日後に「ハウルの動く城」を映画館で観ている。この2本は映画祭と関係ない。

  どうもこの時期は1年のうち一番映画館で映画を観る時期になっている。映画祭の上映作品をあまり観ないのは既にDVDが出ている旧作が多いからである。DVDで観られるのに、わざわざ高い金を出して映画館まで観に行く気がしないのだ。去年は映画祭で上映された「ジョゼと虎と魚たち」を映画祭終了後にレンタルDVDで観ている。料金が高いので映画祭ではこれを観て、こちらはレンタルして観ようと計画を立ててしまうのである。そもそもレンタル店で借りられる古い作品を上映する企画に問題がある。それも、例えばある監督の特集上映の様な企画があるならいいが、ただ何の関連もない映画を何本かまとめて上映しているだけでは、観に行く気がしないではないか。そもそも映画祭期間以外の時期でも、僕が映画館に行ってまで観たいと思う作品はDVDが出る頃に上田の映画館に回ってくるのである。例えば、来週から「故郷の香り」が上映されるが、これはもうDVDが出ている。当然映画館ではなく安いDVDで観ることになる (ただ「故郷の香り」は近所のレンタル店には置いてないので、観に行くかどうかまだ迷っている)。比較的早く映画館に回ってくるのは話題のハリウッド映画ばかりだ。その手の映画はレンタル店で1週間レンタルになってから見れば十分なので、わざわざ映画館で観る気にはなれない。だから、結局映画祭のときしか映画館に行く機会はないことになる。なぜか映画祭の前後にいい映画が来るのでその時期に集中して観に行くことになるのである。ちなみに、今月から来春にかけて「故郷の香り」の他に「運命じゃない人」「メゾン・ド・ヒミコ」などが上映予定である。いずれもDVDとどっちが早いか競争だ!

  映画祭の企画ももう少し何とかならないのか。今年のラインアップは過去最低だ。ぜんぜんやる気を感じさせない。せめて期間を1週間に延ばして、中心に何か特集企画を立ててほしい。今のままではジリ貧だ。映画祭そのものの性格ももっとはっきりと打ち出してほしい。個人的には、思い切って名称を「上田東アジア映画祭」に変え、日本・韓国・中国の映画を中心に企画を立てるぐらいの改革が必要だと思っている。「福岡アジア映画祭」とも提携し、福岡と並ぶ東の「アジア映画祭」という意味もこめて発展させるべきだと思う。

  映画館の入場料が高すぎるのも何とかしてほしい。先日長野市に映画を見に行った。「ALWAYS三丁目の夕日」を観ようと映画館の入り口まで行ったが、1800円という料金をどうしても払う気になれなくて結局入らずに帰ってきた。時間と電車賃の無駄遣いだった。上映作品にも問題がある。何年か前までは上田の映画館は2本立てだったから1本あたりsuzu4900円で、そう考えると安いと感じた。それでもあまり行かなかったのは見たい映画をやっていないからだ。88年に上田に来て最初に観たのは「フルメタル・ジャケット」だったが、何と併映は「エルム街の悪夢」(どうゆう組み合わせなんだ?)。忘れもしない衝撃の初体験。しかも観客は「フルメタル・ジャケット」の時でもわずか数人、その後の「エルム街の悪夢」が始まったときには最終回だったこともあって僕以外にたった1人。その1人も5分くらいで帰ってしまった。そもそも観たい映画ではなかったし、料金がもったいないから観ようと思っただけなので、結局僕も10分くらいで出てしまった。あんなもの一人暗闇の中で観る映画ではないからね。まあ、こんな具合で、2本立てでも観たいのは1本だけということが多かったのである。

  そろそろ映画祭で観た映画のほうに話題を移そう。今年は成瀬巳喜男監督の「女が階段を上る時」と行定勲監督の「春の雪」を観た。前者はさすがの傑作だったが、後者は今ひとつ。最近だいぶ日本映画の水準が上がってきたとはいえ、まだまだ黄金期の高い峰には届かない。改めてそう実感した。

  「春の雪」は妻夫木聡と竹内結子主演の悲恋物語。映像がすこぶる美しい。なにせ大正時代の侯爵家の子息と伯爵家の令嬢の悲恋を映画いているのだから、建物や風景などこれでもかとばかり贅を凝らしている。馬車なども出てきて大正時代の雅さには事欠かない。所詮は貴族たち(伯爵家は没落貴族だが)の浮世離れした恋愛物語なのだが、悲劇的な別れまでの持って行き方は悪くない。2時間半の長さを2時間に縮めていればそれなりの佳作になっただろう。というのも最後の30分は不要だからだ。聡子(竹内結子)と清顕(妻夫木聡)の駅での別れの場面で終わらせておけば余韻もあっていい終わり方だったと思う。冒頭に出てくる百人一首の言葉(流れが大きな岩で止められ、二つに分かれてもまた一つにつながる)と2枚の札(読み札と取り札)がうまく使われている。分かれてもまた会えるという意味を込めてそれぞれ1枚ずつ持っていたのだが、別れの際に聡子は自分の札を清顕に渡してしまう。つまり二度と会わないという決意だったのである。ここで終わらせるべきだった。

  にもかかわらず、清顕はいつまでも未練たらたらでみっともないことこの上ない。聡子は宮様との婚約が決まり清顕への思いを断ち切ったのに、この自己チュー男は聡子に会わせろとしつこく迫る。今更そんなこと言うのだったら、聡子の婚約が決まる前になぜ彼女をしっかり自分の妻にしておかなかったのだと怒鳴りつけてやりたくなる。聡子の婚約が決まる前は、斜に構えて素直に聡子への愛を表さなかったではないか。それが手遅れとなったころになって俺は自分の真の愛に気付いたとばかり聡子に付きまといだす。どこまでも自分勝手な男である。「卒業」のように聡子をかっさらって二人で駆け落ちするぐらいの行動力を示すならまだしも、ぼろぼろになって寺の前で会わせてくれとただ頼むだけではねえ。バカバカしくて最後の30分はすっかり冷めてしまった。

2005年11月12日 (土)

セルラー

2004年 アメリカSD-fl6-08
原題: CELLULAR
監督: デヴィッド・R・エリス
製作: ディーン・デヴリン、ローレン・ロイド
製作総指揮: ダグラス・カーティス、キース・ゴールドバーグ
原案: ラリー・コーエン
脚本: クリス・モーガン
出演: キム・ベイシンガー、クリス・エヴァンス、
    ウィリアム・H・メイシー、 ジェイソン・ステイサ
    ノア・エメリッヒ、エリック・クリスチャン・オルセン
    ジェシカ・ビール、リチャード・バージ、マット・マッコーム

  携帯電話をcellurar phoneとかcell choneというが、この場合のcellとはどういう意味なのかと常々思っていた。「細胞」であるはずはないから何かの「単位」だろうとは思っていた。「セルラー」を観た機会に辞書を引いたら一発で分かった。「地域を数キロ程度の小さなセル(cell)に分割し、それぞれに周波数を割り当てて、中継局を介して通信を行う電話であるところから」と語源が説明されている。なるほどね。通信地域の単位だったんだ。辞書は引いてみるもんだね。

  この手のサスペンス・アクションものを見るのは実に久々。どうも意識して借りてこないといつまでもアメリカ映画を観ない日が続きそうだった。努力の甲斐あって(努力しないとアメリカ映画を観ない日が来ようとは!)最近は結構アメリカを映画見ている。「サイドウェイ」「五線譜のラブレター」「Mr.インクレディブル」「ネバーランド」「舞台よりすてきな生活」「マシニスト」「アビエイター」「エイプリルの七面鳥」。まとめると意外に多いので自分でも驚く。しかしエンターテインメント系となると4月9日の「ツイステッド」、1月21日の「コンフィデンス」くらいしか今年は見ていない。やっぱり異常だ。「ザ・インタープリター」、「バットマン・ビギンズ」、「宇宙戦争」が1週間レンタルになるまでにはしばらくかかりそうだから、間を埋めるために「ボーン・スプレマシー」と「ソウ」を観ることにしよう。「コラテラル」「コンスタンチン」「キングダム・オブ・ヘブン」「サハラ」はさっぱり食指が動かないしね。

  ぶつぶつ言っている間にまた前置きが長くなった。「セルラー」は意外にいい出来だった。売りは「手に汗握る超高速ノンストップ・サスペンス・スリラーの傑作」と相変わらずのワンパターン。いわゆる「ジェットコースター・ムービー」という奴だが、このところ「観覧車ムービー」ばかり見ていたので結構楽しめた。原案は「フォーン・ブース」のラリー・コーエン。電話つながりだが、「フォーン・ブース」は固定電話で身動きが取れないハラハラサスペンスだったので、「セルラー」は一転して動きが自由な携帯にしたということだろう。もっともジェシカ(キム・ベイシンガー)がかけているのは固定電話で文字通り身動きが取れないから、両方の電話をミックスしたとも言える。そういう意味では「フォーン・ブース」の発展形だ。昨日の「エイプリルの七面鳥」同様、二つのストーリーが同時進行する構成になっている。

  身動きが取れない人質と車で自由に動き回れる巻き込まれ男、その間をつなぐ携帯電話。設定はよく出来ている。なんで携帯につながった時点で着信履歴から住所をわりださないのかと疑問に思う人もいるだろうが、そうできない切羽詰った事情になっている。警察に行った時点でライアン(クリス・エヴァンス)の役割は本来終わるはずだった。しかし警察署内で騒ぎが起こって、結局警察に引き継げないままライアンが突っ走ることになる。ジェシカの子どもがさらわれ、次には夫が狙われる。ライアンにゆっくり警察で事情を説明している時間などなかった。無理のない設定がちゃんと作られている。もっともライアンが途中で降rashinban1りてしまえばそれまでなのだが。そもそも登場したときは軽薄そうな男だったのだから、おばさんからの電話なんか無視しておねえちゃんにまとわりついている方がよほど自然。ではあるが、そこから先の突っ込みはご法度。そういうものとして受け入れましょう。

  犯人グループも彼らの狙いも実際にありそうな設定になっている。あまり大風呂敷を広げないところはかえってリアルでいい。「24」のように荒唐無稽になってしまうと逆効果だ。サード・シーズン以降は馬鹿らしくて見る気もしない。いいのはファースト・シーズンだけだね。

  移動が自由だという携帯の最大の利点ばかりではなく、いちいち充電しないといけないとかトンネルの中では圏外になるといった欠点も十分ストーリーに生かされている。もっとも、トンネルで一旦つながらなくなっても、また外に出ればつながるじゃないかと疑問に思った。あるいは、なぜライアンは四六時中携帯を持っていないといけないのかという疑問を感じた人もいるだろう。後でよく考えてみたらちゃんと理屈に合っていた(考えている余裕を与えないのがジェットコースター・ムービー)。そもそもジェシカの電話が彼の携帯にかかったのは偶然である。したがって一旦通信が途切れると、次にかけ直したときは別の人につながってしまう。ライアンの携帯にまたつながる可能性はほとんどゼロに近い。だからジェシカはあれほど「携帯を切らないで」と懇願していたのだ。文字通り細い一本の線でつながっていたのである。なるほど、うまく出来てる。

  コメディ的要素もうまく取り入れられている。特に傑作なのはポルシェを盗られた男とウィリアム・H・メイシー演じる引退間近の警官。ピストルで脅して携帯の充電器を「買って」ゆく場面も面白い。特にウィリアム・H・メイシーは最初間抜けそうな感じで出てきながら(顔にパックをつけているシーンは傑作)最後には大活躍する。その変身振りはライアン以上である。なにせ27年間も発砲経験がないわりに、肝心なところでちゃんと弾があたるんだから。「ファーゴ」で有名になったが、僕には「ER」のモーゲンスタン部長のイメージの方が強い。映画よりテレビ向きの顔だもんね。

  最後にキム・ベイシンガーについて一言。「ナチュラル」、「ブロンディー」、「プレタポルテ」「LAコンフィデンシャル」、「8Mile」等々、結構観てきたのだがさっぱり印象の残らない女優だった。「L.A.コンフィデンシャル」でアカデミー賞を取ったそうだが、これすらほとんど印象がない。金髪美人というだけで、どこがいいのか分からないというのがこれまでの印象。覚えているのは相手役の男優ばかり。よほど個性のない女優なのだろう。容貌が衰えてすっかりおばさんになった今回の作品が一番記憶に残りそうだ。顔もほとんど覚えられなかったのだが、おばさん顔で記憶に残ることになる。

2005年11月11日 (金)

エイプリルの七面鳥

2003年 アメリカm000413fd
原題:April’s Pieces
監督、脚本:ピーター・ヘッジス
音楽:ステフィン・メリット
撮影:タミー・レイカー
出演:ケイティ・ホームズ、パトリシア・クラークソン
    デレク・ルーク、アリソン・ピル、ジョン・ギャラガーJr.
    オリバー・プラット、アリス・ドルモンド、 リリアス・ホワイト

  80分ほどの小品だがなかなかよく出来た映画である。アメリカ映画はハリウッドの大作よりも、低予算の映画にいいものがある。ヒット作の続き物や外国映画のアメリカ版などよりよほどいい。

  エイプリルは「四月」という意味ではなく、ヒロインの名前。毛を赤く染め、タトゥーを入れ、アヴリル・ラヴィーンばりに目の周りが黒くなっている。見た目は全くのパンク少女である。

  エイプリル(ケイティ・ホームズ)はニューヨークのスラム街にある小汚いアパートにボーイフレンドのボビー(デレク・ルーク)と二人で暮らしている。ボビーは黒人だ。彼女は小さい頃から家族となじめず、家を飛び出したのである。中でも、典型的な中流家庭の母親であるジョーイ(パトリシア・クラークソン)とは全くそりが合わない。しかし母親がガンで余命いくばくもないと聞いて手料理で家族全員を持て成す計画を立てた。ちょうど感謝祭の時期だったのでエイプリルは七面鳥の調理に初めて挑戦する・・・。

    映画はエイプリルが朝目覚めたときから家族と再会するまでの1日を描いている。いわゆる「心温まるホームドラマ」のカテゴリーに入る映画である。アメリカにはこのジャンルに秀作が多い。ファミリーに対する思い入れは日本よりよほど強いだろう。家族崩壊の現象が広がっているだけになおさら惹かれるものがあるのかもしれない。

  お得意のジャンルで他に傑作も多いとなれば、新手の工夫が必要である。親子の反目と和解、和解のきっかけとなる母親の不治の病という基本設定はありきたりのものだ。しかしこの映画は一日だけに時間を絞ることによって画面に差し迫った緊張感を与えている。家族との再会に心を弾ませ張り切るエイプリルを次から次へとトラブルが見舞う。一方、エイプリルに会いに行く家族たちには心の揺れがある(家族に散々迷惑をかけた不良娘に会ってもいやな思いをするだけではないか、引き返した方が良いのではないか)。特に、誰よりも娘に対して辛らつである母親の態度に不安がよぎる。多少ドタバタ調のエイプリルのエピソードと苦い笑いをこめた不安感みなぎる家族のエピソード、わずか80分の小品に異なる二つの味付けをした脚本の妙。この作品が成功したのは二つのドラマを同時進行させ、最後まで緊張感を持続させたところにある。料理などしたことのないエイプリルに家族を喜ばせるような料理が作れるのか、そもそも料理は間に合うのか、家族たちは本当に来るのか、彼らはエイプリルが料理に込めた「感謝」の気持ちを受け入れられるのか。最後まではらはらさせる展開が見事である。気が付くと観客はいつの間にか画面にのめり込んでいる。最後にこの二つのドラマは一つに合流し、お約束の「心温まる」エンディングへ。大枠は型どおりといえば型どおりだが、ドラマの進行と味付けに絶妙の工夫が見られ、ありきたりのホームドラマの枠を超えている。

  慣れない手つきでエイプリルは料理の準備をする。その手つきの不器用なこと。ナイフで指を切ったり散々苦労する。やっと七面鳥に具を詰めて後は焼くばかりとなるが、何とオーブンが故障。さっぱり熱くならない。あわてるエイプリル。アメリカ中がオーブンを使っているこの日に修理を頼むのはそもそも無理な話。頼りのボビーは身なりを整えるためにスーツを調達に出かけていていない。やむなく他の住民にオーブンを貸してほしいと頼んで回るが、どこも冷たい反応。実家に帰っていて留守のところ、いてもドアすら開けてくれないところが多い。やっと彼女に協力してくれたのは陽気な黒人の中年夫婦だった。七面鳥の詰め物やタレにレトルトばかり使っているエイプリルに、それじゃダメだと新鮮な食材を提供してくれる。

wm02b    オーブンを貸してくれたのは白人の若い男ウェイン(ショーン・ヘイズ)。しかし超が付く偏執狂でエイプリルは散々彼に振り回される。結局十分焼きあがらないうちに部屋から追い出される。困っているところに声をかけてくれたのは中国人の一家だった。一見冷たそうな人たちが実は親切な人たちだったという展開はアメリカ映画によく出てくる(例えば「イン・アメリカ 三つの小さな願いごと」)。これは偶然でも作り事でもない。東京のスラムで育った小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟なりき』(ちくま文庫)という実に面白い本がある。一般のイメージとは逆に、彼が育った岩の坂というスラム街には「活気と治外法権的な自由な雰囲気があった」という。そして長じて各国を回った著者はニューヨークのハーレムにも同じ雰囲気を見出したという。いろいろなところに行ったが、別れる時いつまでも手を振って別れを惜しんでくれたのはスラムに住む人たちだけだったという話が印象的だ。

  スラム街のアパートは小さな社会である。そこに住む下層の人々を描きこむことによって、エイプリルのエピソードはぐっと豊かなものになった。住民の冷たい反応も描きつつ、作品に込められた共感はエイプリルの中流家族にではなく、これらの下層の人々に向けられている。エイプリルが中国人一家に語る「感謝祭」のいわれにも差別されてきたネイティヴ・アメリカン(インディアン)に対する共感がさりげなく込められている。いろんな人たちに助けられ、何とか家族を喜ばせる料理を作ろうと奮闘するエイプリルに「頑張れ」と声をかけたくなる。

  一方、エイプリルの家族のエピソードも朝から始まる。エイプリルの父ジムが目を覚ますと妻のジョーイがいない。思わずベッドの横を覗くところが滑稽だが、何とジョーイは早くも支度をして車に乗り込んでいた。こわばった冷たい顔で助手席にじっと座っているジョーイにはどことなく異様な雰囲気が漂っている。この出だしの描写が見事だ。どこか尋常でないジョーイの性格を的確に描き出している。出発前から不安な雲行きが漂っているのである。

 旅の車中でさらに不安が増幅してゆく。エイプリルの妹ベス(アリソン・ピル)と弟ティミー(ジョン・ギャラガー・ジュニア)の性格も車中の会話を通してあぶりだされる。ニューヨークに近づくに連れて不協和音が大きくなってくる。ジョーイは、エイプリルを少しもかわいいと思ったことがない、彼女の思い出はいやな思い出ばかりだと吐き捨てるように言う。必死で娘のフォローをする夫に促されて、一つだけいい思い出があると話し始めると、それは私よとベスが話の腰を折る。ついにはジョーイがあまりにひどいことを言うので、一緒に乗っていた祖母(少しぼけが入っている)が、「あなたは誰? あなたは私の娘じゃない。私の娘はそんな意地悪じゃなかった」と言ってそっぽを向く。こういうちょっとした台詞が実に効いている。

  ジョーイが途中で車を降りてしまったりと散々てこずった挙句やっとエイプリルのアパートの前に着いてみると、そこは薄汚れたスラム街で一家は尻込みする。そこへ折悪しくぼろぼろの服を着て血を流した黒人のボビーが戻ってくる(帰る途中でエイプリルの前の恋人に絡まれたのだ)。ボビーから家族が着いたと知らされてエイプリルが通りに下りてきてみると、そこに車はなかった。すっかり腰が引けているところにボビーに声をかけられた家族は逃げ出していたのだ。彼らはどこかのレストランに駆け込みほっとする。一方落胆したエイプリルは、階段を上りながら階段に沿って飾りつけておいた風船をひとつひとつ割ってゆく。ここの描写が悲しい。

  この絶望状態を救ったのは、なんと母親のジョーイである。彼女はレストランのトイレである出来事を目撃する。なぜその出来事がジョーイのかたくなな気持ちを変えたのか僕には正直ぴんとこなかった。恐らくそれは理屈ではないのだ。ジョーイが心の底に長い間押し込め封印していた何かが、この出来事をきっかけに一気に噴出したのだ。子育てで散々手を焼き苦労してきた母親だけに分かる、理屈を越えた思いが彼女の胸の中にあふれ出てきたのに違いない。エイプリルが長女なのはそういう意味で絶妙な設定だった。母親として一番未熟だったときの子なのだ。死を目前にした彼女の胸に去来したのは何か。それは彼女にしか分からない。だから彼女は夫にも子どもたちにも黙って、一人でレストランを抜け出し娘の元に駆けつけたのである。ある意味では、この場面こそ最も感動的な場面なのかもしれない。

  この映画は決して無理やり泣かせる演出をしていない。そこに好感が持てる。監督のピーター・ヘッジスは「ギルバート・グレイプ」の脚本家として知られる。本作の脚本も彼が書いている。随所に素晴らしいアイデアがこめられた見事な脚本である。

2005年11月10日 (木)

サマリア

2004年 韓国koke
監督、脚本:キム・ギドク
出演:クァク・チミン、ハン・ヨルム(ソ・ミンジョン)、イ・オル
    クォン・ヒョンミン オ・ヨン、イム・ギュノ、チョン・ユン
    イ・ジョンギル、シン・テッキ

   非社会性のみならず、この「情念と欲望」は「サマリア」を含
   めた3本の作品に共通している。「サマリア」では一転して
   都会が舞台だが、人間関係の薄さと欲望のテーマは援助
   交際(売春)というベッドの上だけの関係に引き継がれて
   いる。一方、親子という濃密な人間関係になると、娘と関
   係した男を父親が次々に殺してゆくという描かれ方になって
   ゆく。濃い人間関係が描かれたとたん、抑えがたい激情と
   不可分に結びついてしまう。

  「春夏秋冬そして春」批評の最後で上のように書いた。作品としては「サマリア」は「春夏秋冬そして春」よりも後退していると思う。「春夏秋冬そして春」では曲がりなりにも、従来の「情念と欲望」を最低限に抑制し、観念的で自己完結的ではあるが、主人公の苦悩と自己再生を美しい映像の中で描いていた。「サマリア」ではまたぞろ「情念と欲望」が復活し、人間関係はさらに薄く、人間理解はさらに観念的になっている。 「サマリア」は売春を題材にしてはいるが、その問題を社会問題として扱うという視点はもとよりギドクにはないし、望むべくもない。それはそれでいい。下手に社会問題を取り上げても、相当深く社会の矛盾に切り込まない限り、お定まりの映画で終わってしまう。疑問点はむしろ二人の少女たちの描き方、ヨジンの父親の描き方、そしてヨジンと父親の関係の描き方にある。

  チェヨンはヨーロッパ旅行の旅費を得るために売春を続けている。動機は軽すぎるが、実際そんなものだろう。チェヨンの描き方で一番違和感があるのは終始笑顔でいることと売春相手と人間的な関係を求める点である。ヨジンを除いて彼女の家族や身近な人物などは一切描かれず、真に人間的関係を結ぶに値するのは金のためにベッドを共にする見知らぬ男たちだけであるという描き方。ここに既にギドク的感覚が露わに出ている。だが、チェヨンが一番心を引かれていた男ですら、チェヨンなど死のうがどうなろうがどうでもいいと思っている男である。チェヨンにモナリザの様な微笑を与えたところでこの関係に何の変わりはない。謎の微笑みに何の意味もない。

  ヨジンは売春を汚いものと思っており、たびたびチェヨンに売春を止めさせようとしている。しかしチェヨンが死んだとたん、一転してチェヨンの罪滅ぼしと称して自ら男に体を売り、金を取るのではなくチェヨンの金を返すという行為を始める。相当無理がある設定である。罪滅ぼしというなら金だけ返せばいい。自分が同じ売春行為をすることが罪滅ぼしなら、チェヨンと一緒に売春をしなかったことを反省していることになる。男たちにとっては若い女と寝られて金まで返してもらえるのだから棚からぼた餅、やり得である。仮に何らかの精神的安らぎをヨジンが得たとしても、それは彼女の一人合点に過ぎない。

  要するにギドクは、それまでセックスと欲望を人間の本源的本性であるかのごとく描いてきたが、ここではさらに踏み込んで、あるいは踏み外して、セックスと欲望を何らかの浄化作用があるものにまで称揚している。まるで極楽への道だといわんばかりだ。チェヨンもヨジンも男たちもベッドを通じて文字通り昇天したのである。

  どのホームページやブログを観ても誰一人この描き方に疑問を投げかけたものはいない。まるで当然のごとく、いや常人の理解を超えた素晴らしい人間理解であるかのごとく、無批判的に受け入れている。海外の映画祭で賞を取り、内外で高く評価されているのだから、よく分からないけど素晴らしいに違いない。本当にそれでいいのか?

  ヨジンの父親ヨンギの描き方も疑問だらけだ。最初に「親子という濃密な人間関係」と書いたが、濃密ではあっても対話はない。一緒に食事をする場面は描かれるが、どこかよそよそしさがある。ヨンギは娘が売春をしていることに気付いても、娘には何も言わない。ただ相手の男たちを殺すか追い詰めるだけだ。世代の断絶となどというものではない。最初から言012葉による相互理解の可能性を放棄している。口で説得してもどうぜ通じやしないから、行動で示すのだ。言葉ではなく、パトカーで連れ去られる父親の背中が示す無言のメッセージを受け取れと。それはそれでもいい。問題は彼の「行為」だ。警察官として売春を取り締まっているときは法を守るが、個人の怒りは法を超えるというのか。彼が目撃した場面は男が無理やり自分の娘を押し倒して強姦している場面ではない。娘がモーテルで男とむつまじく話している場面だ。しかし彼の怒りは娘には向かない。男に向かう。警察官であれば、人一倍売春を許せないという気持ちは理解できる。だが、それで人を殺すことを正当化できるのか。いや、あんなのは比喩に過ぎない。彼の怒りと絶望を暗示するシンボリックな行為なのだ。別に映画なのだから本当に人が死ぬわけではない。衝撃的な効果が得られればそれで良いじゃないか。こう考えるのだろうか。だとすれば、やはり作り物だ。鬼面人を驚かす見世物に過ぎない。「魚と寝る女」の自傷行為と同じだ。

  ヨジンと父親が二人で母親の墓参りに行くあたりからラストまでは「春夏秋冬そして春」に近い雰囲気がまた漂いだす。美しい風景。しかしやはり人間は少ない。魂の浄化を描こうとすると、必ずギドクは人里はなれた空間を必要とする。徹頭徹尾社会を避け、人間関係は薄く、決して踏み込まない。母親の墓(何であんな山の中にあるんだ?)を見舞っても、何も話さずただ寿司を食らうだけだ。唯一親子の結びつきを暗示するのは、車が溝にはまって進めなくなったときだ。父はすぐあきらめるが、代わりに娘が石をどかして溝から車を脱出させる。これも言葉ではなく行為によって示されている。

  川辺に車を停めて娘に車の運転を教えるところはこの作品中もっとも印象的な場面だ。素晴らしい場面だといってもいい。相変わらず美しい風景だが、そこはギドク、ただただ美しくは描かない。ヨンギが娘の首を絞めて殺し、川辺に埋めるシーンが差し挟まれる。もちろん幻想シーンなのだが、この程度ならごく普通の描き方で何の違和感もない。パトカーに乗せられ去ってゆく父親を、運転を習ったばかりの娘が車で追いかけるシーンもよく出来ている。無言の行為に込めた父親の心情。こう書くと「親父の背中」のような心温まるものに思えるが、無論そんなものではない。その行為の元にある父親の行為と娘の行為に根本的な疑問がある以上、手放しで褒めるわけには行かない。

  第1部のテーマは体を売る行為を通じて男たちに仏教の教えを伝えたパスミルダ。第2部のテーマは罪を償い信心深く生きたサマリア人の女性。第3部の「ソナタ」は鎮魂の章だ。宗教的テーマやアリュージョンを描くことは、作品を抽象的、観念的にしてしまうきらいはあるが、必ずしも否定すべきことではない。だがここでは、不条理な設定を覆い隠す隠れ蓑の様な役割を負わされている気がする。枠組みがそうなっていれば何となく納得させられてしまう。パスミルダのたとえを持ち出されると、ヨジンの体を売る行為を肯定できそうな気がしてくる。実際、ヨジンは男とベッドを共にするに連れてどこかすっきりした、憑き物が取れたような表情になってゆくではないか。顔中血まみれになってゆく父親とは反対に。父と娘を対比させることによって、キム・ギドクは現代人の孤独と魂の彷徨を描いているのだと。

  しかしこの描き方には無理があり、説得力に欠ける。どうやらギドクは娘の売春行為を「罪」と捕らえている。これがそもそも観念的なのだ。なぜならこの場合の「罪」は刑法上の罪ではなく、より抽象的な、多分に宗教的な意味を含んだ「罪」だからである。だからパスミルダやサマリア人という宗教的な枠組みが必要なのである。この枠組みは必然なのだ。売春行為に対するギドクのアプローチは当然ながら社会的なものではなく、宗教的なアプローチだった。ここでの「罪」の捉え方は、「春夏秋冬そして春」で少年が生き物を殺して背負った「業」の捉え方に近いといえるかもしれない(少年が魚や蛇や蛙を殺したことは明らかに刑法上の罪には当たらない)。そう考えればヨジンが「罪滅ぼしに」男と寝る行為は、「春夏秋冬そして春」の少年が大人になって自分の体に石を縛りつけて山の頂上に仏像を運び上げる苦行と同質の行為だということが分かる。しかし後者の場合は男が自分ひとりで行う自己完結的な修行だったから破綻はなかったが、ヨジンの場合は彼女一人の自己完結的行為では納まらない。なぜなら彼女の行為は社会的行為だったからだ。相手の男がおり、父親にも影響を及ぼしている。結局相手の男の何人かが殺されまた自殺し、父親は殺人犯になる。「春夏秋冬そして春」の世界は、まるで試験管の中の世界のように、閉じられた自己完結的世界だった。人里離れた世界という意味でも、輪廻という円環構造の世界という意味でも。しかし一歩社会の中に出て行ったとき閉じられた輪は破れ破綻してしまう。

  第3部に宗教色のない「ソナタ」というタイトルがつけられているのは、単に3部作という意味だけではないだろう。もはや宗教の枠に収まりきらないからであると考えられる。宗教という枠を断ち切ったのは、ギドクをギドクたらしめている要素の一つ、激烈な「情念」である。第3部では父親が主人公になる。そこではまたぞろ「激情」が爆発するのだ。しかし一通り懲罰行為を繰り返して「激情」が収まると、素直に自分から自首する。押し込められていた黒いマグマが一気に噴出して、すべて出し切った後で「鎮魂」へと向かう。どうやらギドクという男の中で、「反省」して悔い改める気持ちと「激情」がせめぎあっているようだ。その心の揺れがそのまま「サマリア」に表れているように思える。最後にちょっとよろめいたが、何とか姿勢を保った。娘の首を絞めるのをかろうじて幻想にとどめた。しかしたまっていた黒いマグマは吐き出したが、マグマを生む「根」はまだ残っているに違いない。ちょっと気を抜くとまた封印がはずれて、どす黒いマグマが噴き上げてきそうだ。

  「サマリア」でギドクは山を降り、里に出てきた。当然作品に社会が入り込む。しかしそれはきわめて限定され歪められた形で取り入れられている。歪められた人間関係は押さえ込まれていた情念を噴き出させる起爆剤となる。これを、「春夏秋冬そして春」の閉じられた世界から一歩踏み出し、より複雑で不可解な人間の本性を描きこんだとして評価すべきだろうか?いや、それにしては人間の捉え方は一面的で、説得力に欠ける。むしろ人間と社会の関係に対するギドクのどこか歪んで観念的な捉え方が露わになった作品だと捉えるべきではないか。
 (2005年11月16日加筆訂正)

2005年11月 7日 (月)

春夏秋冬そして春

2003年 韓国・ドイツ07150011
監督、脚本:キム・ギドク
撮影:ペク・ドンヒョン
出演:キム・ギドク、オ・ヨンス、キム・ジョンホ、キム・ヨンミン
    ソ・ジェギョン、ハ・ヨジン

  キム・ギドクの作品で最初に観たのは「魚と寝る女」である。キネマ旬報で上位に入った映画だが、少しも良いとは思わなかった。要するにかつての「芸術派」ポルノ映画の韓国版だ。この手の映画作家には確かに才能を思わせる一面はある。湖の上に浮かべた小屋付き釣りいかだの不思議な映像と存在感。バイクに縛り付けられて水に沈んでゆく娼婦。その後に続く水中を覗くヒロインの顔。これは確かに衝撃的な映像だ。水中に顔を差し入れる様子を水中から撮っている。顔の周りに髪の毛が広がり、さながらゴルゴンを思わせる。

  このようにいくつかの場面で才能を感じさせるが、全体としてみれば、限定された空間で繰り広げられる単なる情念の世界である。ヒロインが言葉を話せないことが、何よりこれが情念だけの世界であることを物語っている。社会的広がりを一切切り捨て、まるで湖に浮かぶ売春宿のような人間の下卑た欲望が絡まる世界を描こうとしている。この手の作品は映画、小説などのジャンルを問わず、このような人間の情念や欲望が人間性の本質であるかのごとく描き出す。ひたすら情念の激しさを追う。男が自分の喉に釣り針を引っ掛け力ずくで引きちぎる場面、同様に女が自分の陰部に釣り針を引っ掛け力ずくで引きちぎる場面。何の必然性もなく、ただ情念の強さを示すためだけに付け加えられた場面だ。

  「春夏秋冬そして春」もそうだが、無理やり限定された人工的な空間を作りその外の世界を一切描こうとしない。外部の人間はただやってきてまた去ってゆくだけだ。限定された架空の時空間、作り物の空間である。「春夏秋冬そして春」で大きく作風が変わったように見えるが、その後に見た「サマリア」も含めて、社会性を絶ち、限定された世界の中でのみ人間を描くという点は一貫している。

   「春夏秋冬そして春」は「自分の激情的すぎた生き方の反省を込めて撮った」という作品。確かに「魚と寝る女」より断然できはいい。設定は「魚と寝る女」とよく似ている。湖の上に浮かぶ寺が舞台。この設定がまず似ている。人里はなれた場所に舞台を限定しており、登場人物も同じように少ない。「魚と寝る女」は情念の世界だったが、こちらは観念の世界。深い共感が生まれないのはそのせいだ。仏教の思想をうまく取り入れてはいるが、どこか現実離れした観念の世界であるという印象はぬぐえない。

  山奥の湖に浮かぶ寺で老僧と2人で暮らしている少年は、蛙と魚と蛇に石を結びつけるという無邪気ないたずらをして生き物を殺したことから、一生の業を背負ってしまう。この設定自体が既に観念的だ。少年はその寺で青年に成長する。ある時病気がちの娘が病気を治そうと寺にやって来る。青年はその娘に引かれ、修行僧であるにもかかわらず娘と何度もセックスをする。このあたりの欲望の描き方はいかにもキム・ギドク的だ。やがて病気の直った娘は寺を出てゆく(お祈りよりセックスの方が効果的だと言いたげだ)。青年も娘への欲望を断ち切れず、娘の後を追ってこっそり寺を出て行く。このあたりもいかにもキム・ギドクらしい展開だ。「魚と寝る女」よりは抑えられているが、まるで性欲が人間の本質であるかのように描いている点では同じだ。

moon25   やがて青年はその女が別の男を好きになったという理由でその女を殺して、また寺に逃げ戻ってくる。髪を伸ばし、すぐカッとなる粗暴な男に変わっている。後から2人の刑事が彼を追って寺にやってくる。老僧は寺の床に般若心経の文句を書き、青年にそれをなぞって彫るよう命ずる。夜明けに経文を彫り終えた青年は刑事に連れられて去ってゆく。このあたりはなかなかいい場面だ。しかし、その後老僧は船に火をつけて自殺する。これがまったく理解しがたい。なぜ自殺する必要があるのか。何の説明もない。ただストーリーの展開上必要だったからという以上に理由はない。

  それから何年か後、男はまた寺に戻ってくる。既に中年になっている。湖面が凍りついた湖の上で男は一人修行に励む。魚や蛙にしたように自分の体に大きな石をくくりつけ、山の頂上まで仏像を運びあげる。氷が少し解けかけた頃、顔をスカーフの様なものですっぽり覆って隠している女が赤ん坊をかかえて寺にやってくる。赤ん坊を寺に置き去りにして女は夜寺から逃げ出す。しかし女は、男が氷にあけた穴に誤って落ちて凍死してしまう。男は子供を引き取り育てる。やがて子供は大きくなり、無邪気ないたずらを始める。その子供は最初の子供と同じ子役が演じている。輪廻のように同じことが繰り返されようとしている。

  最後はまるで手塚の「火の鳥」のようだ。どうもどこをとってもどこかから借りてきたような印象を受ける。映像は耽美的で見事ではあるが、どこか薄っぺらな印象がぬぐいきれない。なぜこの二つの作品は同じように人里はなれた場所を舞台に設定しているのか。この設定自体が極めて人工的だ。老僧も少年も名前がない。「魚と寝る女」では女に言葉がない。これも何かの表れである。「魚と寝る女」は情念の世界だから言葉はいらなかった。ストーリーも状況設定も情念だけが渦巻くまったくの不条理の世界だった。「春夏秋冬そして春」は輪廻の世界だから個人の名前は意味を持たない。ただ人間が入れ替わり同じことが繰り返されるだけだ。やがてこの新しい少年も成長して女を追って寺を出てゆき、男は自殺するのだろう。人間は不完全な生き物で、欲望に駆られて罪を犯し、そうなって初めて、つまり自分の肩にのしかかっている業の深さを悟って初めて、真の意味で人間として成長し始める。そう言いたいのだろうが、やはりどこか観念的だ。

  本人は反省したと言ってはいるが、人間を見る目は根本的に変わっているのか。「春夏秋冬そして春」は「魚と寝る女」とかなり違う作品に見えるが、後者の「情念と欲望」が「業」に変わっただけのようにも思える。これほどの修行を積まなければ人間はその「業」を抑えられない。逆に言えばそれほど人間の不条理に満ちた「情念と欲望」は激しいものだということである。冒頭に挙げた非社会性のみならず、この「情念と欲望」は「サマリア」を含めた3本の作品に共通している。「サマリア」では一転して都会が舞台だが、人間関係の薄さと欲望のテーマは援助交際(売春)というベッドの上だけの関係に引き継がれている。一方、親子という濃密な人間関係になると、娘と関係した男を父親が次々に殺してゆくという描かれ方になってゆく。濃い人間関係が描かれたとたん、抑えがたい激情と不可分に結びついてしまう。やはりギドクはギドクなのだ。この先の詳しい分析は「サマリア」論に譲る。

2005年11月 6日 (日)

寄せ集め映画短評集 その11

 在庫一掃セール第11弾。今回は各国映画7連発。そろそろ在庫も底をついてきました。後3回くらいで打ち止めです。

「コールド・マウンテン」(2003年、アンソニー・ミンゲラ監督、アメリカ)
   2時間半の大作。時代は南北戦争時代。コールド・マウンテンは主人公たちが住んでいる土地の名前。アンソニー・ミンゲラの演出はかなり粘着質で、脱走兵(ジュード・moon39ロウ)が帰途の旅で出会う出来事と彼を待つ女性エイダ(ニコール・キッドマン)が経験する数々の苦難をしつこく描いている。再会までの互いの苦労をきちんと描きこまないと成り立たないストーリーになっているからだ。南軍の兵士インマンをジュード・ロウが好演。必ず生きて返ると誓った女性のために、脱走して、500キロの道のりを歩きとおす。一途な思いを貫き通す寡黙な男を凛々しく演じている。
  ニコール・キッドマンもいい。最初に登場したときはまだ10代という設定だと思われるが、実際そんな風に見えた。男が全員振り返るような美人だ。しかし戦争が始まってすぐ父親が死んでしまう。収入がなくなり落ちぶれてゆく。最初の上流のお嬢様という佇まいから、髪を振り乱し、なりふり構わない状態に変わってゆく。それを見かねた近所の女性が手伝いの女性を紹介する。そのルビーを演じるのがレニー・ゼルウィガーである。アカデミー助演女優賞を獲得しただけあってなかなかの力演。ベット・ミドラーが演じると合いそうな役柄で、下品で粗野だがたくましい生活力と生きるための知識を持っている女性だ。ルビーのおかげでエイダは次第にたくましく変わってゆく。役に立つことは何もしてはいけないというお嬢さん教育を受けてきたエイダが、鍬やショットガンが似合う女性に変貌してゆく。
  インマンはついにコールド・マウンテンに着き、エイダとの再会を果たす。しかし再会したのもつかの間。以前からエイダの土地を狙っていて、また脱走兵狩りをしている男たちにエイダとルビーが襲われる。それを助けたインマンは、逃げた最後の一人を追うが、相打ちとなりあっけなく死んでしまう。しかしその前日にエイダと一夜を共にしたときエイダは娘を身ごもっていた。最後の場面は数年後に飛ぶ。エイダの娘は無事成長しており、ルビー(打ち合いのとき撃たれたが致命傷ではなかったようだ)も結婚して夫と娘と父親に囲まれている。平和で幸せな光景である。
  南北戦争というアメリカ最大の国難の時代を背景にしているが、基本は恋愛劇である。時代と恋愛が十分結び付けられていない感じがした。主演3人の好演は光るがどこか物足りない。

「ヴェロニカ・ゲリン」(2003年、ジョエル・シュマッカー監督、アメリカ)
  体から怒りが噴出す思いで観た。傑作である。
  麻薬犯罪を容赦なく追及したために麻薬組織に殺されたアイルランドの女性ジャーナリストを描いた映画。実話に基づいている。実際のヴェロニカは美人ではないし結構年も取っている。ジャーナリストとして賞を受けたときのスピーチの様子が付録映像としてDVDに入っているが、イブニング・ドレスが似合わないこと。まるでJ.K.ローリングと同じだ。しかしそのスピーチの中で法律の不備を指摘するあたりはいかにも彼女らしい。ケイト・ブランシェットがヴェロニカ役を演じているが、ずっと美人だし若い。しかし映画だからいいだろう。
  実際ケイト・ブランシェットは見事な演技だった。脅されて内心怯えるが、それを表には出さない。そのあたりをケイト・ブランシェットはうまく演じている。麻薬組織の黒幕を演じたジェラルド・マクソーレイもすごみがある。アイルランドの名優だそうだ。オーストラリア出身のケイト・ブランシェット以外はアイルランドの俳優を使い、アイルランドでロケをした。スタッフもアメリカ人である監督のジョエル・シュマッカーと製作のジェリー・ブラッカイマー以外はアイルランド人だ。このこだわりが映画にリアリティを与えている。
  ヴェロニカの死は大きな世論を巻き起こし、政府の麻薬に対する対応は大幅に進んだそうである。彼女の死が無駄にならなかったことを知ってほっとした。キネ旬のベストテンでは選外。ストレートな題材なので高く評価されないのだろうが、だとすればその考え方こそ間違っている。昨年公開映画の収穫の一つだ。

「ラブストーリー」(2003年、クァク・ジェヨン監督、韓国)
  文字通り絵に書いたようなラブストーリーで、いまどきこんな映画を作るのは韓国以外にない。考えてみれば、今では死語になった「清純派女優」がいなければ成り立たないジャンルだ。チェ・ジウ、シム・ウナの様な女優は日本では死に絶えた。もっとも、「猟奇的な彼女」のような映画もあるが、あれはあくまで例外。最近韓国のテレビドラマを意識したドラマが日本でも作られるようになってきたが、「清純派女優」がいないのだから同じものが出来るはずもない。
neko   「ラブストーリー」のストーリーはどこか「リメンバー・ミー」と似ている。「リメンバー・ミー」はありえない設定の上に成り立っているが、こちらは一応ありえる設定になっている。昔父親が母親にあてて書いた手紙を(実は代筆)娘が見てしまう。そこから母親の過去の恋愛が回想されるという「マディソン郡の橋」のような設定になっている。娘と母親はソン・イェジンの二役だ。彼女の清楚な佇まいは、日本では絶滅種だけにどこか懐かしい感じがする。昔の日本映画を見ているような錯覚をおこしそうになる。彼女だけではない。障子のある建物、黒い学生服、日本の70年代を思わせる音楽。字幕でなく吹き替えだったらまったく日本映画と変わらない。親の世代なので、男女の付き合いもおずおずとしたものだ。これも昔の日本と同じ。ただ、ベトナム戦争が出てくるところが日本と違う。
  描き方はラブ・ロマンスの典型だ。雨に降られて雨宿り、恋文の代筆、列車での別れ、形見のペンダント。虹やホタル、お化け屋敷。これでもかとばかりラブ・ロマンスの常套手段が繰り出される。これだけ臆面もなくやられるとさすがに食傷気味になる。お約束の泣かせる設定も用意されているが、さすがに泣けなかった。「シュリ」や「ラストプレゼント」と同じで、あまりに泣かせてやるぞという意図が見え見えでかえって興醒めになる。だから「イルマーレ」のような寒々とした画面と不思議な状況設定、「八月のクリスマス」のようなあっさりとした別れ、あるいは「猟奇的な彼女」のような破天荒なヒロインが必要なのである。
  まあ、ヒロインは美人だし、若い頃誰でもあこがれる話なので惹かれるものはあるし後味も悪くはない。ただ、これだけ甘すぎる味付けをされたのではさすがにげんなりだ。

「犯罪河岸」(1947年、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、フランス)
  期待したのとは大分違う映画だった。もっと暗く不気味な映画かと思っていた。しかしストーリーは日本のテレビドラマによくあるような設定だった。演出も切れがいいというより、多弁でゆったりとした展開。一番期待と違っていたのはルイ・ジューヴェだ。確かにうまい役者だが、ここではよくしゃべるおっさんという感じで、期待したような凄みを発揮してはいなかった。彼の出演する映画に駄作はないと思っていたが、ちょっと自信が揺らいだ。
  主演はベルナール・ブリエ。懐かしい。観終わった後にキャストを確認するまで彼だとは思わなかった。もう何十年も彼を見ていなかったので、大分顔の印象が薄れていたようだ。だが、わかってみれば確かに彼だ。
  タイトルから来る印象と違っていたので、正直戸惑いがあった。デュヴィヴィエの「モンパルナスの夜」のような犯罪映画かと思っていた。ベルナール・ブリエが妻の浮気相手を殺そうと思って男の家に行くと、既にその男は殺されていた。一方彼の妻は自分がその男を殴って殺したと女友達に打ち明けている。ベルナール・ブリエが容疑者として掴まると、妻は自分が殺したと告白し、またその女友達も彼女をかばおうとして自分が殴ったと警察に話す。しかし真犯人は別にいた。まさに夜9時からのテレビのサスペンスドラマそのものだ。真犯人に少しずつ近づいてゆく展開ではなく、最後にばたばたと片がつく。どうも今ひとつ面白くない。この手の映画はやはりアメリカ映画の方が作るのはうまい。フランス映画はそれに対してフランスならではの味つけをする。それがこの映画にはあまり無かった。実はそれが一番物足りないところなのかもしれない。

「ハリウッド・ホンコン」(2001年、フルーツ・チャン監督、香港・仏・日)
  主演の女優が「小さな中国のお針子」と同じ女優だとは観終わるまで気がつかなかった。かなりの美人に写っていた。映画はあまり出来がいいとはいえない。香港の貧民街。背景にはハリウッドという名の同じ形をした5つの高層ビルが立ち並んでいる。その貧民街に似つかわしくない美女が出没する。何が目的かなかなか分からない。彼女は何人かの男たちを誘惑してはセックスをする。一人は風俗店を営業する若いやさ男。豚肉を売る一家は男ばかり三人家族で、いずれも豚のように太っている。その三人とも謎の女と親しくなる。親父と長男は娘とセックスする。下の息子はまだ小学生くらいで、もちろん肉体関係はない。彼女もこの子とは素直に友達になれる。
  実は、彼女が男たちを誘惑してセックスをした後、怖い組織から金を払えという脅迫状が届くという仕組みになっているのだ。風俗店を営む若い男は金を払うことを拒否したため、男たちに襲われ右手を切断される。幸い切られた右手が発見されたのでつないでもらったが、それは別の人物の手でしかも左手だった。彼は復讐のため豚肉屋の長男とともに女の住む高層ビル「ハリウッド」に乗り込むが、豚肉屋の下の息子が知らせたために彼女は難を逃れた。最後に本物のハリウッドにいる彼女が映し出される。
  香港の貧民街の様子がよく描かれて入るが、全体がエンターテインメント仕立てになっている。なぜ彼女がこのような仕事にかかわっているのか最後までわからない。ただ、アメリカ行きにあこがれていることが分かるだけだ。男の子とは親しくしながらも、平気でその父親や兄とセックスをして罠にはめる彼女の心理もほとんど描かれない。まあ、難しいことを言わずに楽しめばいいって事か。香港映画なのだから。

「ヴァキューミング」(2001年、ダニー・ボイル監督、イギリスTVドラマ)
  ダニー・ボイル監督はイギリスで「シャロウ・グレイブ」と「トレイン・スポッティング」 を撮った後アメリカに渡った。アメリカで「普通じゃない」「ザ・ビーチ」「28日後...」を撮ったが、惨めな結果に終わる。完全に失速していた。しかし 「ザ・ビーチ」と「28日後...」の間に、イギリスに戻ってBBCで撮ったこの作品ではあの毒気と疾走感がだいぶ戻ってきた。
  主演はティモシー・スポール。「ラスト・サムライ」でカメラマン役を演じたあの太ったおっちゃんだが、イギリス映画の常連で「秘密と嘘」にも出ている。 しかし何といっても印象的なのはマイク・リー監督の「人生は、時々晴れ」で演じたタクシー運転手役。だらしないイギリスの中年男を演じさせたらこれ以上ないほどうってつけの役者だ。
  その彼が「ヴァキューミング」では一転して、日本人真っ青の猛烈サラリーマンに扮している。主人公トミーは電気掃除機の販売員で、完全な仕事人間。どうやら独身だ。移動時間も惜しいとばかり車を爆走させ、客に口を挟む余裕を与えず歯をむき出して一方的にしゃべり倒す。売っているのはどでかい掃除機だが、とても持てそうもない老人夫婦にも平気で売りつける。
  折りしも年間売り上げコンテストの締め切りが迫っている。優勝すると掃除機をかたどった金のトロフィーがもらえる。彼の売込みにもいっそう力が入る。そんな時売れないDJの卵ピートが転職してきて、ベテランの彼と一緒に顧客回りをさせられる。この若者は意外にまともで、借金だらけの主婦に無理やり売りつけた掃除機を、後で考え直して引き取ってくる。その帰りに数人の暴漢に襲われ掃除機を奪われてしまう。この1台 が結局あだとなってトミーは年間売り上げコンテストで2位になってしまう。1位との差は1台だったのだ。優勝は間違いないと思い込んでいたトミーはパーティーで踊り騒ぐ同僚たちから離れ、一人寂しnekoくふらふらと海岸まで歩いてゆく。絶望の果てに砂浜に仰向けに倒れ伏す彼に波が静かに打ち寄せる。
  ラストは何のひねりもなく物足りないが、作品の出来は「シャロウ・グレイブ」や「トレイン・スポッティング」のレベルに迫っている。アメリカでは力を発揮できなかったボイルだが、イギリスに帰って作った本作では彼本来の持ち味がよみがえっている。今後も甘いハリウッドの誘いには目を向けず、本国で創作を続けてほしいと思った。

「美しい夏キリシマ」(2002年、黒木和雄監督)
  キネマ旬報とシネ・フロントの両ベストテンで1位になった作品。期待したほどではなかったが、なかなかの佳作である。戦争末期から終戦までの田舎の日常を描いている。黒木和雄監督の実体験にフィクションを織り交ぜたもの。黒木監督は地元で13番目といわれる地主の息子で、そのため戦争中であるにもかかわらず意外に優雅な生活をしていたようだ。確かに空襲や勤労動員、軍事訓練などはあっただろうが、案外戦争中でも日常はのんびりした生活があったのかもしれない。ましてや地主一家の生活ともなればなおさらだ。もちろん本土決戦に備えて17万人もの兵隊が九州の田舎の町に駐留していたわけだから、夫をなくした妻が軍人に体を任せ食料などをもらっていたり、兵隊が夜食糧を盗みに入ったり、姉が片足を失った元兵士と結婚したりといった戦時中ならではのエピソードも出てくる。しかしグラマンの機影が映されても爆撃や機銃掃射の場面などは出てこない。全体にのんびりした雰囲気が漂っている映画だ。もう一つ手ごたえを感じなかったのはそのあたりに原因があるのだろう。
   そののんびりした中で、一つテーマとなって貫かれているのは、主人公の少年(柄本明の息子柄本佑が演じている)の胸に傷として残っている思いだ。敵に襲われたとき友人を置き去りにして自分だけ逃げてしまったという思いである。しかしそれも必ずしも少年の内面にまで深く入り込んで追求されているわけではない。
  戦時中の日常をリアルに描くことは重要なテーマである。その描き方は当時子どもであった場合と大人であった場合、男であった場合と女であった場合とでは違っているはずだ。当然地主の息子から見た世界と小作人の息子から見た世界も違っているはずである。どの視点からでなければいけないというわけではないが、この視点の問題は重要である。戦時中の意外にのんびりした生活を描くというのは、ある意味でステレオタイプを破ることで、意味のあることだ。ただそれももう一つ突込みが足りない物足りなさが残る。
  それはどこから来るのか。どうやら全体がパノラマ的でもう一つ作品に芯がないことに理由がありそうだ。少年の眼から見た視点がもっと一貫してあってよかったのではないか。もちろんその場合一定の限界がある。視野の狭さと少年であるがゆえの理解力不足である。当時の生活を広く捉えるためには視点を広げる必要があるが、その基本にはやはり一貫した視点が必要だ。この二つが融合して芯がありつつ広い視点も含みうる作品が出来る。まあこれは理屈だが、それにしてももう一つ手ごたえがなかったのは確かだ。戦後60年近くたってから撮った映画であるため、散漫になってしまったのかもしれない。霧島の美しい風景が見事にとらえられているだけに、その点が惜しい。
  実は、作品そのものよりも感動したのは監督自身と映画評論家の佐藤忠男が音声解説をつけた特典映像である。これは実によく出来ている。2人はほぼ同じ世代で、したがってかなり共通する体験をしているために、実に豊富なエピソードや舞台裏の話が聞ける。これほど充実した音声解説は珍しい。全部通しで観たわけではないが、いろんなことを教えられた。撮影は地元の市民のボランティアによる支えがあったようだ。実際に黒木監督が住んでいた家を当時のままによみがえらせて撮影したという。実に立派な屋敷である。牧瀬里穂が演じた主人公のハイカラな叔母は、実際当時でももんぺをはかずドレスにハイヒールという服装を通した人だったという。地主の娘だから出来たこととはいえ、相当に意志の強い人だったのだろう。当時の黒木少年の目には叔母の姿が実にまぶしく映ったそうだ。

2005年11月 5日 (土)

アビエイター

airplane002_s2004年 米・日・独
原題:The Aviator
美術:ダンテ・フェレッティ
脚本:ジョン・ローガン
監督:マーティン・スコセッシ
撮影:ロバート・リチャードソン
出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット
    ケイト・ベッキンセール、 ジュード・ロウ
     アレック・ボールドウィン、グウェン・ステファニー
    イアン・ホルム アラン・アルダ、ジョン・C・ライリー

 いかにもアメリカ映画という作りだ。題材がまずアメリカ的である。大金持ちで、プレイボーイで、映画制作や航空産業にも手を出したハワード・ヒューズの20代から40代はじめまでを描いている。ハワード・ヒューズといえば古い映画ファンならなじみの名前だろう。有名な映画をいくつも製作したプロデューサーであり、あのRKOを買いとった大富豪である。僕もある程度の知識は持っていたが、伝記を読んだことがあるわけではないので、彼自身優れたパイロットの腕を持ち、航空会社TWA を買収したことなどはこの映画で知った。晩年は潔癖症と強迫神経症が高じて部屋に閉じこもったままの生活をした人だが、映画はそうなりかかるまでの、才能を十分に発揮していた時期を描いている。まあ、確かに才能にあふれた人ではあったが、庶民から見れば金持ちならではの奇人変人の類である。荒木飛呂彦の『変人偏屈列伝』に採り上げられていても何の違和感もない人ですな。ついでに言えば、生まれつきの金持ちだから、立志伝中の人物とか、アメリカン・ドリームの体現者などの言い方は当たらない。

 それはともかく、贅を凝らした建物や衣装、有名女優との浮名、潔癖症と強迫神経症からくる奇行。いかにもアメリカ的だし、アメリカ映画的だ。自分か開発した飛行機の初飛行の場面など、映画的効果が発揮できるシーンにも事欠かない。アカデミー賞5部門受賞など、話題満載の映画である。

 ハリウッドのスター、有名女優がたくさん出てくるのも話題になった。ジーン・ハーロー(グウェン・ステファニー)、キャサリン・ヘップバーン(ケイト・ブランシェット)、エヴァ・ガードナー(ケイト・ベッキンセール)の競演は、演技力でケイト・ブランシェットの勝ち。何しろアメリカでもっとも尊敬されている、アメリカ最高の女優に扮するのだ、力がはいって当然である。大分キャサリン・ヘップバーンを研究したのだろう、あのゴルフのシーンが典型的だが、ヘップバーンの話し方や身振りが実によく似ていた。歯に衣着せずにはっきりとものを言うあの話し方といい、手の振り方や背の反らせ方といい、ホントそっくりだ。顔がとがっているところが似ているので起用されたのかと思ったが、当然演技力も買われたのだろう。何せキャサリン・ヘップバーンを演じるのだからね。一方、ジュード・ロウふんするエロール・フリンはいかにも軽薄な感じで、刺身のツマ程度の扱い(確かに見るからに助平そうだったもんなあエロール・フリンって)。

 どうも不思議なのは、ハワード・ヒューズを知っている事を前提に作られているので、説明不足なところが多くてのめり込めないという感想が多いことだ。特に説明不足とも思えなかったが、恐らく彼の伝記的事実よりもパンナムとの駆け引きとか、当時の映画制作の事情とか、軍との関係とかそういうところがわかりにくいという意味だろうか。ただ、のめり込めないというのは理解できる。彼の様々な面を総花的にスクリーンに描き出そうとしたために、全体としてエピソードの積み重ねのようになって、時々山場はあるが全体に平板なつくりになっているからだろう。主人公を始め、誰にも感情移入が出来ないことにも原因があると思われる。何より、ハワード・ヒューズが変人過ぎて常人には共感できないのだ。

 ハワード・ヒューズを演じた主演のレオナルド・ディカプリオはずいぶん若く見えた。いまだsuzu4に童顔とは!最後の頃も40代には見えない。彼としては力演なのだが、どうも人物像の掘り下げが浅いので名演とまでは行かず。愛人は次々と代わるので掘り下げようもないが、飛行士あるいは航空機の設計士としての情熱と信念を描いている部分はよく出来ていた。タイトルを「アビエイター」としたのは、そこにこそ彼の情熱の原点があることを示したかったのだろう。

 それにもかかわらず、全体として見れば、「アビエイター」はハワード・ヒューズという稀代の「偉人」の複雑な人間性を丸ごと描き出すことにこだわっている。確かに観客を飽きさせることなく3時間近いドラマを描ききったのは監督としてかなりの手腕である。しかし手堅くまとめただけという不満もある。飽きはしないが、深く感動もしない。豪華な作りではあるが、いかんせん人間関係の掘り下げが浅いので映画全体の出来としては今ひとつである。飛行場面(墜落場面も含めて)や公聴会でハワードが反論する場面など見せ場もそれなりにあるが、映画全体としては平板で深みに欠ける。派手な金の使いっぷり、豪華なインテリア、有名女優との恋愛、最新鋭機の飛行実験など、庶民には縁遠い手の届かない世界を3時間近く覗かせてもらうという、いわば見世物の世界だ。

  映画としてはもっと焦点を絞った方がよかったのではないか。せっかくタイトルを「アビエイター」にしたのだから、その面にもっと思い切って重点を置くべきだった。飛行機に対する彼の情熱は並大抵ではない。パンナムの幹部の言い分はこの戦争中に金(それも軍用資金だ)を無駄に使いやがってというものだが(まるで戦争中の日本と同じだ)、ハワードにはそんなことはどうでもいい(才覚のある商売人でもあるから軍用機の開発と売込みには神経を使うが)。むしろハワードは純粋に世界一早く飛ぶ飛行機を作りたい、飛行機による世界一周の最短記録を塗り替えたい、世界一でかい飛行機を作りたいという夢そのものを追い続けていた男なのだ。そして金だけではなく、その夢を実現するだけの才能も持っていた。単なる金持ちの馬鹿息子ではない。映画を見ていて彼の一番の魅力はそこにあると思った。ある意味ではリンドバーグにも匹敵する魅力的な一面である。ならばその面を中心に描けばよかったと思うのだ。

 映画関係も女優との絡みはせいぜいキャサリン・ヘップバーン程度に絞って、映画関係も「地獄の天使」製作だけに絞る(航空機関連で)くらいでよかった。「地獄の天使」製作の場面はよく出来ている。何十台ものキャメラを飛行機にのせて撮るという手法は驚くほど斬新である。自らパイロットとしてスタント飛行もこなす技術と意欲もすごい。そして何と言っても例の雲の一件。背景が何もない空だけでは飛行機のスピード感が出ないというのは卓見である。それだけでも映画監督として非凡な才能を持っていたことがうかがえる(ただ、雲の位置が知りたいというだけで気象学者を雇ってしまうのはいかにも金持ちらしい発想だと思うが)。果てはこれからはトーキーの時代だと、せっかく撮った映画をまたトーキーで撮り直すことまでやる。ほとんど病的といってもいいほどの完璧主義。この「地獄の天使」製作の過程だけでも1本の映画を作れるくらいの内容がある。やはりもっと焦点を絞り込むべきだった。最近不振のアメリカ映画の中では優れた作品の部類に入るだけに、この点が惜しまれる。

2005年11月 3日 (木)

映画レビュー一覧 た~わ行

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

大統領の理髪師
題名のない子守唄(短評)
タイヨウのうた
ダ・ヴィンチ・コード
ダウト(短評)
ダークナイト(短評)
ダージリン急行(短評)
たそがれ清兵衛(短評)
タッチ・オブ・スパイス
旅するジーンズと16歳の夏
ダブリン上等!
たまゆらの女
誰も知らない
小さな中国のお針子
チェイサー(短評)
チェ28歳の革命(短評)
チェンジリング(短評)
父親たちの星条旗
父と暮らせば
父よ
茶の味
チャーリーとチョコレート工場
中国の植物学者の娘たち(短評)
長江哀歌
チルソクの夏
つぐない(短評)
劔岳 点の記(短評)
Dearフランキー
THIS IS ENGLAND(短評)
ディープ・ブルー
テレビシアにかける橋(短評)
天空の草原のナンサ
天上の恋人
天然コケッコー
東京原発
トゥヤーの結婚(短評)
トーク・トゥ・ハー
トランシルヴァニア
トランスアメリカ
ドリームガールズ
ドレスデン 運命の日
トンマッコルへようこそ
ナイトウォッチ
ナイロビの蜂
長い散歩
涙女
名もなきアフリカの地で
21グラム
二重スパイ
ニワトリはハダシだ
熱帯魚
ネバーランド
ノー・カントリー(短評)
ノー・ディレクション・ホーム
パイレーツ・オブ・カリビアン
パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
パイレーツ・ロック(短評)
ハウルの動く城
博士の愛した数式
裸足の1500マイル
八月のクリスマス
パッチギ!
ハッピー・フューネラル
ハッピー・フライト(短評)
母たちの村
ハリウッド・ホンコン
遥かなるクルディスタン
春夏秋冬そして春
春にして君を想う
春の日は過ぎゆく
春の雪 
パンズ・ラビリンス
反則王
ピエロの赤い鼻
美術館の隣の動物園
ビッグ・フィッシュ
人のセックスを笑うな(短評)
ヒトラー 最期の12日間
ビフォア・サンセット
ビューティフル・ピープル
氷海の伝説
ビヨンドtheシー
ヒロシマナガサキ(短評)
ファインディング・ニモ
ファミリー
Vフォー・ヴェンデッタ
フォーガットン
復讐者に憐れみを
ブコバルに手紙は届かない
武士の一分
舞台よりすてきな生活
ふたりの5つの分かれ路
胡同愛歌(短評)
胡同のひまわり
胡同の理髪師
フライ、ダディ、フライ
プライドと偏見
フラガール
フラザーフッド
プラダを着た悪魔
ブラッド・ダイヤモンド
プラットホーム
ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月
プルートで朝食を
フル・モンティ(短評)
ブレッドウィナー
プロヴァンスの贈りもの(短評)
ブロークン・フラワーズ
フロスト×ニクソン(短評)
プロデューサーズ
ヘイフラワーとキルトシュー
ベッカムに恋して
ペパーミント・キャンディ
ベルヴィル・ランデブー
ヘンダーソン夫人の贈り物
ほえる犬は噛まない
僕が9歳だったころ
ぼくセザール10歳半1m39cm
僕と未来とブエノスアイレス
ぼくの国、パパの国①
ぼくの国、パパの国②
ポセイドン・アドベンチャー
ボーダータウン 報道されない殺人者
ホテル・ハイビスカス
ホテル・ルワンダ
ポビーとディンガン
ポーリーヌ
ホルテンさんのはじめての冒険(短評)
ボルベール<帰郷>
ホワイト・バッジ
ボーン・スプレマシー
ボン・ヴォヤ-ジュ
ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
迷子の警察音楽隊
マグダレンの祈り
マゴニア
マシニスト
マッチスティック・メン
マッチポイント
マラソン
マルタのやさしい刺繍
みえない雲
見知らぬ女からの手紙
Mr.インクレディブル
ミス・ポター
みなさん、さようなら。
ミュンヘン
未来を写した子供たち
ミリオンズ
ミリオンダラー・ベイビー
ミリキタニの猫(短評)
みんな誰かの愛しい人
麦の穂をゆらす風
MUSA武士
息子のまなざし
村の写真集
めがね
メゾン・ド・ヒミコ
メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
モーターサイクル・ダイアリーズ
モディリアニ 真実の愛
約三十の嘘
約束の旅路
やさしくキスをして
やわらかい手(短評)
ヤング@ハート
ヤンヤン夏の思い出
勇者たちの戦場(短評)
夕凪の街 桜の国
夕映えの道
雪に願うこと
ユナイテッド93
ヨコハマメリー
寄せ集め映画短評集 その1 韓国映画10連発
寄せ集め映画短評集 その2
寄せ集め映画短評集 その3
寄せ集め映画短評集 その4
寄せ集め映画短評集 その5
寄せ集め映画短評集 その6
寄せ集め映画短評集 その7
寄せ集め映画短評集 その8
寄せ集め映画短評集 その9
寄せ集め映画短評集 その10
寄せ集め映画短評集 その11
寄せ集め映画短評集 その12
寄せ集め映画短評集 その13
寄せ集め映画短評集 その14
寄せ集め映画短評集 その15
寄せ集め映画短評集 その16
寄せ集め映画短評集 その17
寄せ集め映画短評集 その18
寄せ集め映画短評集 その19
酔っ払った馬の時間
4か月、3週と2日(短評)
4分間のピアニスト(短評)
ライフ・アクアティック
ライフ・イズ・ミラクル
ラヴェンダーの咲く庭で
ラストキング・オブ・スコットランド
ラスト・コーション(短評)
ラスト・サムライ
ラストマップ/真実を探して
ラブストーリー
ランド・オブ・プレンティ
リアリズムの宿
リーグ・オブ・レジェンド
リストランテの夜(短評)
リストランテの夜
リトル・ミス・サンシャイン
リベラ・メ
リメンバー・ミー
理由
猟奇的な彼女
緑茶
リンダ リンダ リンダ
玲玲の電影日記
レイヤー・ケーキ
列車に乗った男
レボリューショナリー・ロード(短評)
ロスト・イン・トランスレーション
ロスト・ハイウェイ
六ヶ所村ラプソディー
路上のソリスト(短評)
ロード・オブ・ウォー
ロード88
ロング・エンゲージメント
わが家の犬は世界一
笑いの大学
ONCE ダブリンの街角で

 

 

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

「五十音順記事一覧」の作り方

  やったー!ついにやったぞ。むふふふふふふ。うれぴ~。

  なにがそんなにうれしいかって?念願の「五十音順記事一覧」をついに作ったのですよ。もうどうやったらこれを作れるかずっと頭を悩ましていたんですからね。それをついに考え出したんです。他人に教えてもらったのではなく、自分で考えだした。うれしくないわけがないでしょう。

  まあ、あまりうれしがってばかりいないで、少し冷静になって事情を説明しましょう。以前「庭の枯葉~生活のゆとり」という記事の中で次のように書きました。「ブログの欠点は、古い記事を探しにくいということである。最近書いた記事しかトップページには表記されない。バックナンバーも付いてはいるが、日付で区切られているので、一つひとつの記事のタイトルが分からない。他のブログには五十音順のリストが付いているものもあるが、ココログには標準装備されていない。何らかの工夫をしてつけているのだと思うが、その方法が分からない。何とかその方法を見つけるのが当面の課題だ。」

  実は、ある程度見通しはついていたのです。要は左のサイドバーに載せればいいわけです。サイドバーにはカレンダー、最近の記事、バックナンバー、最近のコメントなどの項目が載っていますが、これらは最初から標準でついているものです。これらに唯一自分で追加できる項目はマイリストですね。これを使えばいい。ここまでは見当がついていた。そこから先が思いつかなかったわけですよ。

  それが最近トラックバックをやたら使うようになって「固定リンク」の概念がやっと分かってきた。何だこれを使えばいいんだ。これに気付いた段階で問題は解決したようなものです。ためしにやってみたら見事成功。がははははは。では、何とか自分の書いた記事を整理したいとお悩みの方に、わたくしゴブリンがそのハウ・ツーを教えて進ぜよう。ただし、あくまでこれはココログを使っている場合の手順ですからね。他のブログを使っている人は応用が必要かもしれません。

 最初に、うんと簡単にやり方を説明すると、まず「五十音順記事一覧」を自分のブログに載せ、マイリストにお気に入りのブログやHPを登録するのと同じ手順で、「五十音順記事一覧」をマイリストに登録するだけです。アーカイブ専用のマイリストを新しく作ればなおいいでしょう。

手順1
  まず自分が書いた記事を分野別、かつ五十音順に並べます。既にたくさんの記事を書いた人はこの作業が大変ですが、とにかくこれをやらないことには先に行けません。頑張りましょう。

手順2
 出来上がった一覧表にリンクをつけます。その時必要なのが「固定リンク」です。それぞれの記事の一番下に「固定リンク」「コメント」「トラックバック」という文字が入っています。どれをクリックしてもいいのですが、「固定リンク」をクリックするとその記事だけが画面に出ます。コメントやトラックバックが来ていれば下に金魚のうんこのように付いています。その画面のURLがその記事固有のURLです。これをコピーして記事のタイトルにリンクさせてください。記事の作成画面のすぐ上に左からB、I、U、S、A等の文字やアイコンが並んでいますが、Aは文字の色を変えるボタンです。必要なら記事のタイトルを選択して色をつけてください。僕は青色を使いました。その右隣にLinkと書かれたアイコンがあります。タイトルを選択したままでこのボタンをクリックするとボックスが開きます。そのボックスの中に先ほどの「固定リンク」のURLをコピーすればリンクが張れます。すべての記事にこのリンクを張って下さい。実はこの作業が一番大変です。僕はクリックしすぎて指が痛くなりました。

手順3
 全部リンクを張り終わったら記事を保存してブログにアップします。これでブログの最新記事としてトップ画面に載ります。これだけでは新しい記事を載せただけです。次にこの記事をサイドバーに載せる手順を説明します。

手順4
 マイリストに新しいリストを追加します。マイリスト画面の右側にある新規作成の欄を使って出来ます。分からなければヘルプを参照してください。リストに名前をつけます。僕は「アーカイブ」にしました。このリストに先ほど作った「記事一覧」を新規項目として追加すればいいわけです。 「記事一覧」の固定リンクURLをコピーして貼り付けましょう。

手順5
   しかし、これだけではまだトップページに表示されません。次にブログのタブを開いて「設定の変更」に進み、「デザイン」のタブを選びます。画面真ん中左の囲みの中に緑色で「コンテンツ」「並べ方」「名称」という文字が並んでいますので、「コンテンツ」をクリックします。ブログに表示するコンテンツ一覧が表示されます。「マイリスト」の項目を探してください。その中に先ほど追加登録した「アーカイブ」(僕の場合)の名前が追加されているはずですので、その左にある小さなボックスにチェックを入れます。一番下にある「変更を保存」をクリックすれば、おめでとう、あなたのブログのサイドバーに見事「アーカイブ」と「五十音順記事一覧」が表示されます。ブログで確認してみてください。

 もしサイドバー上の表示位置が気に入らなければ(例えば一番下では不便ですよね)、先ほどの「コンテンツ」「並べ方」「名称」の画面に戻り、「並べ方」のタブで位置を変えられます。好きな位置にドラッグするだけです。一番上が見やすくていいでしょう。ついでに名称を変えたければ「名称」のタブで出来ます。

 さあこれで完成です。お疲れ様でした。こんなに長い記事になるとは思ってもいませんでした。細かく説明しようとするとこうなるのですね。「記事一覧」を作るのは早ければ早いほどいいですよ。記事が増えればそれだけ苦労が増えますから。

 よく分からなくても自分で考えてください。基本的な操作はヘルプで大体分かるはずです。安易に質問されても困ります。僕もココログを完璧に使いこなしているわけではありませんから。パソコンに詳しいわけでもありません。理系ではなく文系ですから、わたし。

映画レビュー一覧 あ~さ行

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

【映画レビュー】
アイリス
OUT
青空のゆくえ
赤い風船(短評)
アース(短評)
明日へのチケット
アズールとアスマール
あの娘と自転車に乗って
アビエイター
アフター・ウェディング(短評)
アマンドラ!希望の歌
アフガン零年
阿弥陀堂だより
アメリカ、家族のいる風景
アメリカン・ギャングスター(短評)
アメリカン・ジャスティス
アメリカン・ラプソディ
蟻の兵隊(短評)
あるいは裏切りという名の犬
硫黄島からの手紙
活きる
いつか読書する日
一票のラブレター
イブラヒムおじさんとコーランの花たち
犬猫
イングロリアス・バスターズ(短評)
インタビュー
イン・トゥ・ザ・ワイルド
ウィスキー
ヴァキューミング
ウェディング・バンケット
ヴェニスの商人
ヴェラ・ドレイク
ヴェロニカ・ゲリン
ウォーリー(短評)
ウォレスとグルミット危機一髪とファンタジーの伝統
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!
歌え!フィッシャーマン
宇宙戦争
美しい夏キリシマ
海を飛ぶ夢
雲南の少女ルオマの初恋(短評)
運命じゃない人
運命を分けたザイル
永遠の片想い
永遠のマリア・カラス
英国王のスピーチ(短評)

エイプリルの七面鳥
SSU
エディット・ピアフ 愛の讃歌
延安の娘
オアシス
王と鳥
王の男
大いなる休暇
おくりびと
オーケストラ!
おばあちゃんの家
オフィシャル・シークレット
オフサイド・ガールズ
思い出の夏
オリバー・ツイスト
ALWAYS 三丁目の夕日
ALWAYS 続・三丁目の夕日
女はみんな生きている
隠された記憶
隠し剣 鬼の爪
過去のない男
カーサ・エスペランサ
華氏911
風の前奏曲
家族のかたち
河童のクゥと夏休み(短評)
カーテンコール
彼女を信じないでください
紙屋悦子の青春
カミュなんて知らない
亀は意外と速く泳ぐ
亀も空を飛ぶ
かもめ食堂
狩人と犬、最後の旅
カル
カレンダー・ガールズ
記憶の扉(短評)
キッチン・ストーリー
キープ・クール
きみに読む物語
キムチを売る女
キャロルの初恋
嫌われ松子の一生
キンキー・ブーツ
銀馬将軍は来なかった(シルバースタリオン)
クィーン
空中庭園
グエムル 漢江の怪物
ククーシュカ ラップランドの妖精
草の乱
孔雀 我が家の風景
クジラの島の少女
靴に恋して
グッドナイト&グッドラック
グッバイ・レーニン
雲 息子への手紙
クライシス・オブ・アメリカ
クラッシュ
グラン・トリノ(短評)
グリーンフィッシュ
ぐるりのこと。(短評)
クレイジー・ストーン(短評)
クレールの刺繍
刑務所の中
月曜日に乾杯
ケミカル51
恋人たちの食卓
光州5.18(短評)
皇帝ペンギン
告発のとき
ココシリ
心の香り
ゴースト・ワールド
五線譜のラブレター
子猫をお願い
この素晴らしき世界
この自由な世界で
この世の外へ クラブ進駐軍
珈琲時光
コープス・ブライド
今宵、フィッツジェラルド劇場で
コーラス
コンフィデンス
最高の人生の見つけ方(短評)
サイドウェイ

サイドカーに犬(短評)
ザ・インタープリター
THE有頂天ホテル
殺人の追憶
サッド・ヴァケイション(短評)
さまよえる人々
サマリア
サラエボの花(短評)
サルバドル
懺悔(短評)
サンシャイン・ステイト
サン・ジャックへの道
幸せになるためのイタリア語講座
ジェイン・オースティンの読書会(短評)
シークレット・サンシャイン(短評)
沈まぬ太陽(短評)
シッコ(短評)
シティ・オブ・ゴッド
死ぬまでにしたい10のこと
至福のとき
下妻物語
ジャスミンの花開く
ジャーヘッド
しゃべれども しゃべれども
シャンプー台のむこうに
十二人の怒れる男
16ブロック
少女の髪どめ
少女ヘジャル
少年と砂漠のカフェ
ジョゼと虎と魚たち
ションヤンの酒家
シリアの花嫁(短評)
白い馬の季節(短評)
シン・シティ
シンデレラマン
シルミド
深呼吸の必要
真珠の耳飾の少女
人生は、時々晴れ
酔画仙
推手
スイミング・プール
SWEET SIXTEEN
スウィーニー・トッド(短評)
スウィング・ガールズ
スタンドアップ
スティーヴィー
ストレイト・ストーリー
スパニッシュ・アパートメント
スパングリッシュ
スラムドッグ$ミリオネア(短評)
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(短評)
西洋鏡
世界最速のインディアン
接続
蝉しぐれ
セルラー
007 カジノ・ロワイヤル
戦場のレクイエム
潜水服は蝶の夢を見る(短評)
それでもボクはやってない

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

2005年11月 2日 (水)

マシニスト

2004年 スペイン・アメリカcut_b-mgear04
原題:THE MACHINIST
監督:ブラッド・アンダーソン
脚本:スコット・コーサー
出演:クリスチャン・ベイル、ジェニファー・ジェイソン・リー
    アイタナ・サンチェス=ギヨン、ジョン・シャリアン
    マイケル・アイアンサイド

 久々にアメリカの娯楽映画を観た。本当にこの手のアメリカ映画は著しく質が落ちた。観たいのに観たくなる映画がないのだからどうしようもない。とにかく何か観ようと思って借りてきたが、まあ水準の出来でしょうか。

 とにかく落ちがあまりにも情けない。「ロスト・ハイウェイ」のレビューで書いたが、これじゃリンチが不条理を持ち出したくなる気持ちも理解できる。ただ途中の不気味な展開はそれなりにみせる。差し引きゼロで水準程度におさまるというしだい。

   機械工のトレバー(クリスチャン・ベイル)は原因不明の極度の不眠症ですでに丸1年眠っていない。という設定だがそんなはずはあるわけない。睡眠不足で機械工をやっていたら1ヶ月もたたないうちに両手の指は一本もなくなっているはずだ。彼のせいで指を失った同僚のように。要するに極度の不眠症ということが大事で、寝ていないのが1年である必要はない。2、3週間ほとんど眠っていないとすれば無理のない設定なのだが、話を大きくしたかっただけだろう。むしろ不眠症の原因がわからないというのがポイントである。

  話の展開は、彼が見る不思議な現象の原因追及と謎の人物の正体の解明である。ある日、トレバーは自宅の冷蔵庫に”Who are you?”と書いてある張り紙を見つける。自分では全く覚えがない。留守中に誰かが侵入していたことになる。一隊誰の仕業か。張り紙の意味は何か、目的は何か?映画はサスペンスの色合いが濃くなる。

  不眠症で極度に痩せているトレバーは麻薬でもやっているのではないかと上司に疑われる。尿検査の後、工場の外でタバコを吸っていると見慣れない男を見かける。アイヴァン(ジョン・シャリアン)という名前で、休んでいる同僚の代わりだと話す。ところがこの男の姿はどうやらトレバーにしか見えないらしい。アイヴァンに気をとられたトレバーのせいで同僚(マイケル・アイアンサイド)が指を切断する大怪我を負ってしまう。このあたりから映画にホラーの要素(超自然的現象)が混じってくる。

  家に帰ればまた不気味な張り紙が見つかる。アメリカの子どもなら誰でも知っているハングマン・ゲームをもじった謎の張り紙。これが効果的だ。このゲームは相手の考えた単語を1文字ずつ当てて行き最後に何と言う単語かを当てるゲームである。外れるたびに少しずつ吊るし首の絵が完成して行き、単語が分かる前に絵が完成すれば答える側の負けである。

wi00   最初は6文字のうち最後の2文字erが示される。何回か張り紙が見つかるたびに分かる文字が増え,*il*erまで来た時に、トレバーは答えがmillerだと直感する。例の彼のせいで指を切断する事故にあった男の名前だ。トレバーはミラーが脅迫の犯人だと思って怒鳴り込んでゆく。しかしどうも違うらしい。このあたりまで来ると、トレバーがほとんど錯乱状態になっていることが分かる。ハングマン・ゲームの答えはこの段階で誰の目にも明らかで、ミラーは明らかに肩透かしなのだから。

  他にもあの手この手を使って不気味で怪しげな雰囲気を作り出してゆく。ナンバープレート743CRNの赤い車に乗ってトレバーの行く先々に現れるアイヴァン、ルート666という遊園地の怪しい出し物。トレバー自身も工場で危うく手をはさまれて大怪我をしそうになる。誰が機械のスイッチを入れたのかわからない。

  誰かが陰謀を張り巡らせ自分を陥れようとしている。そう信じたトレバーは、ますます精神を蝕まれていく。ありえないことが次々に起こり、サスペンスの域を超えてサイコホラーになってゆく。トレバーの体は登場したときから既にガリガリのすさまじいほどの痩せ具合である。目は落ち窪み、異様にぎらぎらしている。体中から骨が飛び出さんばかりに浮いている。意識も朦朧とすることが多く、食欲も無くなり、記憶力も落ちてゆく。ほとんど生きる亡者だ。さらに精神まで蝕まれてゆく。クリスチャン・ベイルの鬼気迫る演技がすごい。

  彼の目に見える世界は青みが勝った色合いになっている。この色合いが不気味な雰囲気によく合って効果的だ。彼は次第に周囲から孤立し,ついには会社を首になる。もうここまで来ればほとんどやけくそである。赤い車の持ち主が知りたくて番号を暗記して警察に行くが教えてくれない。ひき逃げに合った証拠があれば教えるといわれ、自ら車に飛び込んで怪我を負うことまでやる。

  しかし神経を張り詰めっぱなしでは体が持たない。彼が気を休められる居場所が2箇所ある。馴染みの娼婦スティービー(ジェニファー・ジェイソン・リー)と、いつも通っている飛行場のカフェで働くウェイトレス・マリア(アイタナ・サンチェス=ギヨン)である。そして謎を解く鍵も実はこの二人にあった。この先は言えないが、言ってもそれほど差し支えないほどのしょぼい結末である。でもまあ、言わんでおこう。

  監督は「ワンダーランド駅で」「セッション9」のブラッド・アンダーソン。「セッション9」は観てないが、「ワンダーランド駅で」はいい題材を扱ってはいるが出来は今ひとつだった。今のところ傑作はまだ作っていないということになるだろう。

2005年11月 1日 (火)

約三十の嘘

2004年trump_jb
原作:土田英生
脚本:土田英生、大谷健太郎、渡辺あや
監督:大谷健太郎
出演:椎名桔平、中谷美紀、妻夫木聡、田辺誠一
    八嶋智人、伴杏里、徳井優

  原作は土田英生の戯曲。寝台特急という限られた空間の中で展開される虚虚実実の世界。いかにも舞台劇というつくりである。北海道で詐欺を働いて稼いだ7000万円という大金をめぐる、6人の詐欺師同士の駆け引きをコメディタッチで描いている。金を騙し取られた人たちの落胆や苦悩などどこ吹く風、社会問題などとは最初から無縁の完全な作り物の世界。最近日本映画は好調だが、その多くはこういう脳天気なコメディやなんでもない日常を独特のタッチで描くものがほとんどだ。そういうものがあっていいのだが、そういうものばかりでは物足りない。

 まあ、難しいことを言わずに楽しめばいい。もともとそういう作品である。その限りでは悪い出来ではない。主要登場人物は6人の詐欺師たち。かつてのオーラを失った元リーダー志方(椎名拮平)、性格的に一番しっかりしている美人詐欺師・宝田(中谷美紀)、なぜか事あるごとに志方に突っかかる元アル中・佐々木(妻夫木聡)、まじめだがどこか頼りない新リーダー・久津内(田辺誠一)、宝田にくっついてきたお調子者の新メンバー・横山(八嶋智人)。京都駅で今井(伴杏里)が加わる。「オーシャンズ11」の様な設定だが、似ているのはそこまで。舞台劇なので現金強奪の手順をスリル満点に描くことはできない。大体、詐欺といっても安い羽毛布団を高額で売りつけるという計画だ。銀行強盗などという大掛かりなものではなく、現実によくある詐欺商法というところがかえってどこかほほえましい。ただ、詐欺そのものに焦点が当てられているわけではない。そもそも詐欺そのものは全く描かれていない。場面が変わったら現金の詰まったスーツケースが目の前にあるという展開だ。7000万円が詰まったそのスーツケースが帰りの電車の中でなくなってしまう。犯人は誰か、スーツケースはどこへ行ったのか。犯人とトリックをめぐるミステリー仕立ての展開がメインのストーリーなのである。

 それなりに芸達者をそろえてはいるが、伴杏里が今ひとつ。かつて、このグループが解散するきっかけとなった出来事(稼いだ金をメンバーの一人に持ち逃げされた)の共犯者の一人だと疑われており、一応疑惑は払拭されるのだが、完全には信用されていないという設定だ。したがって重要な役なのだが、ほとんど芸もなくただいるだけという感じである。胸が大きいだけがとり得ではねえ。むしろ胸の小さい(失礼) 中谷美紀の方がずっとセクシーで魅力的である。

 謎解きもそれなりに楽しめるが、どちらかというとドタバタ的展開。それにメンバー同士の恋愛が絡められる。最後はメンバーの団結が大事だということで収まるが、しかし詐欺師同士の団結と言われてもねえ。まあ、誰かが「男と女のマネー&ラブゲーム」と書いていたが、そういうつくりなのであまりうるさいことを言っても仕方がないか。舞台劇が原作なので、派手なトリックやどんでん返しよりも登場人物の間の言葉のやり取りを楽しむつくりになっている。人間関係は始めから薄っぺらなので、駆け引きを楽しめばいいわけだ。

ウィスキー

2004年 ウルグアイ・アルゼンチン・独・スペインapple_w
監督:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール
出演:アンドレス・パンス、ミレージャ・パスクアル
    ホルヘ・ボラーニ、アナ・カッツ

  日本で初めて公開されたウルグアイ映画である。ウルグアイではこれまでに60本の映画しか作られていないらしい。滅多に観ることのない珍しい国の映画だが、「ウィスキー」はカンヌ国際映画祭でオリジナル視点賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞した。東京国際映画祭でもグランプリと主演女優賞を受賞している。なかなかの評価である。期待して観たのはいうまでもない。

  しかし正直がっかりした。どうもさっぱり面白くないのだ。退屈だったと言ってもいい。久しぶりに会う弟に見栄を張るために、靴下工場の経営者ハコボは従業員のマルタに弟がいる間だけ夫婦のふりをしてくれるように頼む。この設定に僕は何かほのぼのとした味わいの映画を期待していた。フランク・キャプラの名作「1日だけの淑女」あるいはその再映画化「ポケット一杯の幸福」を無意識のうちに連想していたのかもしれない。しかし、確かに設定はその通りなのだが、特になにが起こるわけでもない。淡々と話は進み終わってゆく。それだけだ。薄味すぎて物足りない。それが正直な感想である。

  「南米版アキ・カウリスマキ」という評もあるように、確かにアキ・カウリスマキを思わせる映画である。しかし同じカウリスマキの映画でも「マッチ工場の少女」はつまらなかったが、「過去のない男」はいい映画だと思った。後者にはドラマがあり、人のぬくもりが感じられたからだ。「ウィスキー」はカウリスマキの中でも前者のタイプに近いのかも知れない。

  「ウィスキー」はいわゆる「すべて説明することはせず、観客の想像に委ねる演出法」で作られていると言っていい。二人の監督たちは上映後の質疑に答えて「この映画というのは、答えを出すよりも問題を提起している、その数の方が多いものととらえております」と答えている。やはり意識的にそういう作り方をしている。僕は正直言ってこのタイプの映画が嫌いだ。このタイプの映画はほとんどいいと思ったことはない。僕は子どものころに夢中になって本を読んで育った。特に冒険物語に夢中だった。読む者をひきつけるストーリーがなければ満足できない。ドラマが好きなのだ。こういう塩の入っていないお粥の様な映画はどうしても物足りない。

  ただし、単に結末がいろいろに解釈できるという程度なら、それは別に構わない。そういう映画はたくさんある。問題は結末に至るまでのあまりに淡白な描き方である。そこに大したドラマがないことが不満なのである。突き詰めれば、恐らく「平凡な人生」ということの捉え方が問題なのだ。この映画では代わり映えのしない日常が淡々と描かれる。毎朝決まった時間に工場に行き、シャッターを開ける。決まった手順で明りをつけ機械のスイッチを入れる。毎日繰り返される全く同じ単純な作業。従業員同士では多少の会話があるが、ハコボとマルタは必要最低限の会話以外はほとんど言葉を交わさない。

  この映画にテーマがないわけではない。監督たちは「孤独感についての映画を作ったつもりでおります」と言っている。その「孤独感」をどう描くのか。問題はそこだ。人生の大部分は単調な出来事の繰り返しである。映画やドラマの様な大事件はそうそう起こるものではない。「犬猫」を取り上げた時に、「その日常の部分に光を当てる映画があってもいいはずだ。小津の映画だってその範疇に入る。日本の私小説もそうだ。ドラマとしては成立しにくいが、登場人物のささやかな夢やあわい恋心、些細な悩み、微妙な感情のゆれ、意識のひだ030712_02_qなどをクローズアップすることによって見るものの共感を誘う映画だって成立する」と書いた。さらに言えば、「共感」も絶対条件ではない。われわれはチャップリンの「殺人狂時代」のムッシュ・ベルドゥーに共感するわけではない。彼の「言い分」に重大な問題提起が含まれていることを認めはするが。もし何か絶対条件があるとすれば、「観客を退屈させないこと」ではないか。夢もなく日々孤独で退屈な人生を送っている人物を描いてもいいが、それを退屈しないように描かなければならない。そう思うのだ。「犬猫」「珈琲時光」「子猫をお願い」「リアリズムの宿」も日常を描いているが退屈ではなかった。

 では、どこが違うのか。これを説明するのは難しい。「平凡であること」、「日常的であること」と「生きるということ」は確かに結びついている。ハコボとマルタが毎日繰り返す単純な作業は彼らの生活である。そこには潤いはない。それは伝わってくる。そこに陽気でおしゃべりなエルマンがやってきて彼らの日常を破る。3人で過ごした数日間を通して確かにマルタは変わった。夫婦を装うことによって、そして陽気なエルマンと接することによって、マルタに女性としての自覚が発現してくる。だが変わったのはマルタだけだ。ハコボは相変わらず無口で無愛想である。エルマンはいつも変わらず調子がいい。二人は変わらないからあっさりと日常に戻れる。ハコボはまた同じ時間に工場のシャッターを開け、電灯と機械のスイッチを入れる。エルマンはひとしきりマルタと楽しむがまたブラジルの家族の元に帰ってしまう。しかしマルタは工場に現れない。変わってしまった以上同じ日常には戻れないのだ。

 理屈では分かる。だがなにせ面白くない。なぜ面白くないのか。

  監督たちは「ウィスキー」というタイトルをつけた理由を「いつわりの感情、真実を前にした嘘、“つくり笑い”。小さな嘘を重ねるうちに、登場人物たちは互いの絆を強めていく、そんな物語にしたかったので、『ウィスキー』というタイトルを付けた」と説明している。「ウィスキー」は写真を撮る時にかける言葉で、「チーズ」と言うのと同じである。「作り笑い」というのはそこから来ている。確かにハコボとマルタが偽の結婚指輪をはめ、偽装夫婦に成りすまして写真館で証拠の写真を撮った時に浮かべたぎこちない笑いは「作り笑い」だった。

 ぎこちなさは動きのない固定キャメラによる撮影によっても強調されている。監督たちの頭にあったのは絵本のイメージだという。つまり、絵がクローズアップされ、説明の文章はわずか。したがって映画もせりふが少なくキャメラは固定。徹頭徹尾「説明過多」を排除した映画なのである。その意味で理論的映画である。監督たちの思うとおりに人生を加工している。手法が主でテーマは漠然とあるだけ。批評家が喜びそうな映画だ。しかしどう観ても一般受けする映画ではない。もちろんハリウッド映画の様なつくりがいいと言いたいわけではない。だが、ここまで無機質な映画ではドラマは生まれてこない。一方、監督たちの説明にはいちいち納得してしまう。彼らの理論どおりの映画だからだ。その分豊かさがない。理論からはみ出る人生の豊かさがない。どうも物足りないと感じる理由はその辺にありそうだ。

 

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