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2005年10月10日 (月)

寄せ集め映画短評集 その7

在庫一掃セール第7弾。今回はスペイン映画特集。

ladyhome5トーク・トゥ・ハー(2002年、ペドロ・アルモドヴァル監督、スペイン)
  交通事故で植物状態のバレリーナ・アリシア(レオノール・ワトリング)と彼女を一心に看護するベニグノ(ハビエル・カマラ)、闘牛の事故で同じく植物状態 になった闘牛士のリディア(ロサリオ・フローレス)と彼女の恋人マルコ(ダリオ・グランティネッティ)の4人が主な登場人物。特にアリシアを看護するベニ グノの一途な気持ちが胸を打つ。アリシアの美しさも強烈な印象を与える。はげ頭のマルコの渋い存在感もずっしり手ごたえがある。見る前はただ寝ているだけ の女と、彼女たちにただ話しかける男たちだけでどんなドラマが展開できるのかと思っていたが、とてつもない展開が待っていた。植物状態の女性に生理があるのにびっくりしたが、なんとアリシアが妊娠してしまう。彼女と結婚したいとまで思いつめていたベニグノが逮捕され刑務所に入れられる。真相は分からないが、流産した子どもの父親はベニグノだろう。しかも妊娠後アリシアは意識を回復したのだ。しかしベニグノにはそのことは知らされず、子どもが死んだとだけ知らされたベニグノは自殺してしまう。リディアは意識を回復しないままに死んだ。
  想像を超えた展開に驚かされるが、それ以上に人間の深い愛情に打たれる。15年も母親の看病をし、母の死後アリシアの世話をしていたベニグノの本当の心情はもう一つはっきりしない。マルコを恋人と呼んだりするところからホモセクシュアルを匂わせたりもしている。しかしアリシアに対する彼の愛情は間違いな く本物だった。少し頭が足りない感じで描かれているが、刑務所に入れられてからの彼はしっかり自分と周りを理解した人間として描かれていた。哀れにも彼はアリシアの回復を知らずに死んでいった。今は代わりにマルコがリハビリに励むアリシアを見守っている。
 アルモドバルの映画はどれも強烈だ。どこか癖があるが、しかしそれがアクセントになっていて、彼の描く独特の世界に強烈さを与えている。彼はとんでもない天才なのかもしれない。

「カルメン」(1983年、カルロス・サウラ監督、スペイン)
  独裁者フランコの死後にスペイン映画は息を吹き返し、各国映画祭で次々と受賞するようになった(「エル・スール」論参照)。スペイン映画の波が日本にも及び始めたのは1984年頃からである。カルロス・サウラ(彼はスペイン映画史の中で最も多く名前が出てくる 監督である)の「カルメン」が公開され話題になってからである。「フェーム」、「フラッシュ・ダンス」、「コーラス・ライン」や、最近大量にリバイバルされている「イースター・パレード」、「ショウボート」等の50年代頃のアメリカ製ミュージカル映画を見慣れた観客の目から見ても、この映画の演出は極めて新鮮であった。
  激しいリズムにのって跳びはねるのでもなく、集団が一糸乱れぬみごとな動きを披露するのでもない。この映画のクライマックスはアントニオ・ ガデスとクリスティーナ・オヨスが二人だけで踊るフラメンコである。一切のバック・ミュージック、効果音を使わず、床を踏む音と手拍子という自然音だけがリズムを刻む。狭からぬ空間を二人の身体の動きと顔の表情、そして手と足でとるリズムが支配し、あたりの空気をいっぺんに緊張させてしまう。磨き抜かれた芸術がシンプルさを迫力に変えてしまった。静と動、絶妙の間、手の先からつま先に至るまでむだな動きはなく、体の動きはそのままリズムと化し、静止した瞬間は突如として見事にバランスをとった彫刻と化す。この二人の天才舞踏家の存在なくしてこの映画の成功はありえなかった。
  だがサウラの演出も見事である。「カルメン」の舞台を現代に置き換えただけではなく、演出過程を そのまま劇中に収め、現実に進行している場面と劇の進行の場面の境界線をあえて曖昧にすることによって、独特の効果をあげている。サウラの一つ前の作品で、「カルメン」の原型ともいうべき作品である「血の婚礼」よりもダンス、演出ともにすぐれている。第一回東京国際映画祭の時にフランチェスコ・ロージの「カルメン」を観てそのいくつかの場面の卓抜さに感心したが、こちらは本格的なオペラで、初めから最後まで朗々たる歌を聞かされたためうんざりしたところもある。サウラが舞台そのものを撮らないのも、この辺を意識してのことかもしれない。あるいは別の観点から観れば、舞台からはうかがい知ることのできない役者の実際の人間性や、役者どうしの人間関係も同時に描き出そうと(つまり舞台と人生 をないまぜにしようと)意図していたのかもしれない。

死ぬまでにしたい10のこと(2002年、イザベル・コヘット監督、スペイン)rosehome2
  難病ものはお涙頂戴調になりやすいのであまり好きではないが、この映画は傑作だと思った。お涙頂戴的な安易な泣かせ場面作りなどしていない。同じ難病ものの韓国映画「ラスト・プレゼント」はヒロインに共感できなかった。自分の病気をひた隠しにするのは当然相手の気持ちを思いやってのことだが、彼女自身の気持ちがあまり描かれていないために、ただ単に意固地なだけに見えるのでどうしても共感できなかったのだ。しかし「死ぬまで」のヒロインは同じように誰にも自分の死期が近いことを打ち明けないが、夫や母や子供たちに自分の気持ちをつづった録音テープを残すなど、彼女の気持ちが十分見るものに伝わってくるので共感ができる。
  夫を愛しているが別の男と逢びきを続ける。見ていてつらい場面だが、それが「10の誓い」の一つだけに彼女を責める気にはならない。彼女の最後の日々は「10の誓い」を実行することによって、平凡だった人生に最後の輝きを与えることに費やされる。やり残しのない人生を生きるために。その彼女の気持ちを思うと、"My Life Without Me"という原題は何とも悲しい。自分の死んだ後の周りの人々の人生に思いを寄せる彼女の優しさと同時に、それらの人生を共有することができない悲しさがこめられているからだ。

黄昏の恋(1982年、ホセ・ルイス・ガルシ監督、スペイン)
  1984年11月に渋谷の東急名画座で「スペイン映画祭」が開かれた。「クエンカ事件」、「黄昏の恋」、「夢を追って」、「パスクアル・ドゥアルテ」、「庭の悪魔」の5本を観た。80年代前半はフランコ死後に息を吹き返したスペイン映画の黄金時代で、国際映画祭で次々に賞を取っていた。「黄昏の恋」はスペイン映画として初めてアカデミー外国語映画賞を受賞した映画である。
 80年代の中国映画が文革時代を引きずっていたように、当時のスペイン映画はスペイン戦争の影を引きずっていた。「黄昏の恋」はそんな時代のせつない中年の男女の恋を描いた映画である。 恋愛映画だが、若い男女ではなく中年の男女の再会と短い恋の再燃を描いた点で出色である。今はアメリカに住み小説家として名をなしたアントニオはノーベル文学賞を受け、その帰りになつかしい故郷に立ち寄る。そこにはかつての恋人エレーナ がいた。二人は思い出の場所を訪ねる。都会では考えられないほど美しい情景を背に、二人の男女は言葉にできないお互いの愛を確かめ合う。話し合ううちに男は自分が不治の病に冒されもう先が長くないことを打ち明ける。典型的なラブ・ストーリーだが、映画は決して涙を誘おうとせず、二人の傷の深さと愛情の深さを淡々として描いてゆく。二人の俳優の演技がみごとだ。
  そしてこの作品を単なる甘いラブ・ロマンスから救っている要素がもう一つある。作品の終わり近くで、アントニオが祖国を去ったのは内戦のためであることが明かされる。二人は内戦によって「引き裂かれた世代」なのである。彼らは内戦時代に青春を送り、 アントニオはフランコの死後自らの死の直前に祖国に帰ってきたのだ。「僕は自分の人生の中では若い頃が好きだ。そこには君がいたから...」というアント ニオの言葉は、この事実と重ね合わせた時、より深い感銘を覚える。

バレンチナ物語(1983年、アントニオ・ホセ・ベタンコール監督、スペイン)
  内戦によって引き裂かれた恋は、また「バレンチナ物語」の主題でもあった。内戦から長い年月がたった後、スペイン北部のある小 さな村に一人の男が訪ねてくる。その男はバレンチナという女性を探していた。男は彼女に会い、収容所で死んだ戦友の手紙を手渡す。その手紙の主こそバレン チナの幼友達であり、二人が幼いころ深く心をかよわせあったペペであった。
  画面はそこから回想に変わる。幼い二人はペペが寄宿学校に入ることになったため 別れ別れになり、その後の内戦が二人を決定的に引き裂いてしまった。死んだ者は数知れず、生き残った者にも苦難の日々が待っていた。「黄昏の恋」に比べる と甘さは否めないが、内戦が残した傷の痛みはひしひしと伝わっており、幼い二人の恋というにはあまりに淡い心の触れ合いは忘れ難い感銘を残す(ちなみに司祭を演じたアンソニー・クインが好演している)。
  全編これ拷問シーンばかりかという作品ながらそれまでの興行収入記録を塗り替える大ヒットとなった「クエンカ事件」や名作「エル・スール」を始め、この時代のスペイン映画の多くには内戦の影が付きまとっていたのである。80年代の中国映画の多くが文革の傷を引きずっていたように。
  ソ連映画にもこの二作に通じる主題を扱った「五つの夜に」(ニキータ・ミハルコフ監督、79年)という作品があり、ラストでヒロインがつぶやく「戦争さえなかったらねえ」という言葉には胸を突かれる思いがした。

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コメント

トーク・・は私には高度過ぎて分かり難い映画でした。
カルメンは、そこそこ。女優さんが及第点。
死ぬまでには傑作!と感じました。

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