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2005年10月19日 (水)

さまよえる人々

fu-sya1995年 オランダ・ドイツ・ベルギー
監督:ヨス・ステリング
出演:レネ・クルーゾフ、ニーノ・マンフレディ
    ヴィール・ドベラーレ、ダニエル・エミルフォルク
    ウィリー・ヴァンダーミューレン、ジェーン・ベルブッツ
    イングリッド・ドゥ・ヴォス

 オランダ映画界の巨匠ヨス・ステリング監督作品。「レンブラント」('77)「イリュージョニスト」('83)「ポインツマン」('85)に続く4作目。「ポインツマン」は観たがもうまったく覚えていない。16世紀のフランドルが舞台。フランドルはベルギー連邦王国の北半分を占める地域である。その東隣がオランダ。

 16世紀のフランドルといえばブリューゲル(1525-1569)を連想する。まさにこの映画の前半はブリューゲルの絵をフィルムに納めたような映像が続く。しかし絵のように美しい風景を想像してはいけない。そんなものはわずかしか出てこない。この映画を支配する基本的イメージは、農場の広い中庭のど真ん中に作られた巨大な肥溜め、丘の上に置き去りにされた巨大な頭像、岸に乗り上げたまま朽ち果てた廃船、そして井戸だ。登場人物たちはまさに糞まみれ、泥まみれになってのた打ち回る。そういう映画だ。

 16世紀当時のフランドルはスペイン帝国の支配下にあった。スペインの圧政とカソリックの厳しい法に対して民衆は大きな不満を募らせ、偶像崇拝に反抗し、教会や修道院を攻撃して多くの彫像を破壊していた。映画の冒頭、反逆者たちが巨大な頭像を運んでいる。それを発見したスペイン人が反逆者たちを襲い皆殺しにする。ただ一人頭像の中にもぐりこんでいて助かった男(レネ・グルーゾフ)がいる。その男はたまたま近くにいた女に助け出され、その女とすぐその場で交わる(いかにも唐突だ)。その女は領主であるネトルネック(ウィリー・ヴァンダーミューレン)の妻で、男は領主たちに捕らえられる。男は縛られて巨大な肥溜めの中に入れられている。その一部始終を目撃していたのが吟遊詩人のカンパネリ(ニーノ・マンフレディ)である。カラスの羽を一面に貼り付けた奇妙なマントを着ている。カンパネリは男の持っていた金の聖具を目当てに男を助ける。だが、ネトルネックに見つかり、男は銃で撃たれてしまう。何とか領主の館からは逃げおおせたが、自分はオランダから来たと言って巨大な頭像の下で息絶える。

 ネトルネックの妻は翌年男の子を産んで死んでしまう。オランダ人の男との間に出来た子供だ。子供はダッチマンと呼ばれ、ネトルネックの農場で育てられる。その子はあるとき吟遊詩人のカンパネリと出会い、食糧を運んでくる代わりに父親の事を聞かせてもらう。父は空を飛ぶことができ、フライング・ダッチマンと呼ばれて七つの海を支配しているのだと。もちろん父親はとっくに死んでいるわけだから、これは口からでまかせである。(カンパネリが食べ物をもってこいとダッチマンに命じるところは、ディケンズの『大いなる遺産』の有名な冒頭の場面、脱獄囚のマグウィッチがピップを脅して食糧とやすりをもってこさせる場面とよく似ている。そういえば巨大な廃船はマグウィッチが乗せられていた監獄船を連想させkokyouる。)少年は父親に思いを馳せる。しかしカンパネリと会ったことを領主に見つかり井戸に入れられる。それを助けてくれたのが後に領主の息子と結婚するロッテである。

 やがてダッチマンは成人した(レネ・グルーゾフが二役を演じている)。カンパネリは相変わらず金の聖具を探しており、肥溜めの中を浚っていた。それを領主のネトルネックに見つかるが、逆に彼を騙してネトルネックを肥溜めの中で溺れさせてしまう。カンパネリも領主の息子に殺される。ダッチマンは肥溜めを壊し底から父親の皮袋を見つける(その中に金の聖具が入っていた)。スペイン兵が隠れて見張っていたが、ダッチマンはネトルネックの息子の妻ロッテに助けられ、二人で逃亡する。

 やがて二人は父親がいると聞かされた海に出る。そこで追いかけてきたネトルネックの息子に海に沈められ殺されかける。危うく助かったダッチマンは陸に乗り上げている巨大な船の残骸を発見する。そこには奇妙なせむしの小男(レネ・ウァント・ホヌ)が住んでいた。ダッチマンは金の聖具を金に替え、その金で船を修理し海に出ようと考える。しかしオランダの兵隊(?)に捕まり、小男と共に矯正院に入れられてしまう。ダッチマンは脱走を図るが失敗し、また井戸に入れられる。しかしそこにたまたまネトルネックとその妻のロッテが来合わせていた。二人は男の子を連れてきていたが、その子はダッチマンとロッテが逃亡中に二人の間に出来た子供だった(夫は自分の子だと思っているが)。ロッテは小男を買収してダッチマンを助ける。ダッチマンは井戸から逃れ、建物の上に上る。それを彼の息子が見上げている。今にも落ちそうなダッチマンを見て、息子が母親を呼んで一瞬振り返ったすきにダッチマンは消えていた。地面に彼の体は落下していない。彼は本当に空を飛んだのか。謎を残したまま、ロッテと息子が抱き合う場面がストップモーションとなって幕。

 何とも不思議な世界だ。異形のものたち(カンパネリや船に住んでいた小男)がうごめき、不思議な物体(頭像、巨大な肥溜め、朽ち果てた廃船)が画面の中で怪しげで謎めいた存在感を主張している。何か異教徒には理解できない宗教的な寓意がふんだんに盛り込まれている感じがする。そういえばダッチマンとネトルネックの息子は何度も鼻血を流すが、これも何かの象徴・寓意なのか?オランダに生まれた男とその息子が辿る数奇な生涯を綴った大河叙事詩と呼ばれているが、叙事詩というよりは寓意劇という方が正しい感じがする。類まれな想像力が生み出した独特の世界だが、きわめて土着的であり、フランドル以外では生まれ得なかった作品である。1、2度見ただけでは十分理解しがたい作品だ。

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