姉妹
1955年
監督:家城巳代治
出演:野添ひとみ、中原ひとみ、望月優子、川崎弘子
多々良純、河野秋武、内藤武敏、北林谷栄、加藤嘉
家城巳代治監督の代表作。主演は野添ひとみと中原ひとみ。特典映像として付けられた中原ひとみのインタビューによれば、実年齢は中原ひとみの方が1歳年上だそうだが、映画の中では野添ひとみが3歳年上の姉になっている。野添ひとみの方が背が高く、落ち着いた雰囲気があるからだろう。当時野添ひとみは既にスターで、中原ひとみの方は初の主演だったようだ。
2人の姉妹(「きょうだい」と読ませるあたりが時代を感じさせる)は対照的な性格である。姉は落ち着いた性格で、クリスチャンである。当然争いごとや乱暴なことを嫌い、自分を抑えてでも流れに逆らわず生きてゆこうとする。妹は跳ね返りな性格で、革命とか労働者の権利だとか生意気なことを言う。田舎育ちだが、都会の叔母に預けられ学校に通っている。叔母(望月優子)は庶民的でおおらかな性格。伯父(多々良純)は博打打かなんかで、金が入るとお大尽遊びをする。故郷には父母と下に3人の弟たちがいる。父(河野秋武)は発電所で働いている。優しい母(川崎弘子)は専業主婦。この都会と田舎の庶民の生活を中心に描いている風俗映画である。
しかし社会派の家城巳代治監督のこと、これに様々な社会問題を練りこんでいる。妹(中原ひとみ)の友人で、金持ちだが不幸な娘(母親は娘が付き合う友達の身分をしきりに気にし、姉は足が悪く外に出ない、弟も何か障害を持っている)がチラッと登場して、社会的な視点も持ち込まれている。姉妹は知り合いの女性の家に行って掃除をする。父親(加藤嘉)は盲人で母親(北林谷榮)は病気がちで臥せっている。娘本人も腰にギプスをしていて満足に働けない。掃除もろくに出来ないのでゴミとほこりにまみれて生活している。それを見かねて手伝いに行ったのだが、娘は自分たちは全員結核に罹っているので、もう来ないでくれと姉妹に突き放すように言う。結核が不治の病であった頃か。時代を感じる。
父が勤める発電所では首切りが大きな問題になっている。父の同僚である青年(内藤武敏)は誠実で明るい性格の好青年だが、生活がかつかつでとても結婚できるような状態ではない。姉の野添ひとみと互いに惹かれあっているが、普通の付き合い以上には発展しない。野添ひとみは結局親が選んだ銀行員と結婚することになる。妹は愛を選ぶべきだと姉を説得しようとするが、親に逆らえない姉は自分の気持ちを押し殺して嫁いでゆく。不幸を予感させるが、嫁ぐ日、姉はもっと自分は強くなる、自分の言いたいことを言えるようになると妹に告げる。山の上から妹が姉の乗ったバスに「姉ちゃん頑張れー」と声をかける。この声に希望が託されている。
型どおりといえば型どおりの映画である。しかし庶民生活の描写の中に巧みに社会問題を取り込み、庶民の暮らしは社会問題と切り離せないことをよく描いている。この時代の日本映画の代表的な作風である。傑作とまでは行かないが、忘れがたい優れた作品だ。
野添ひとみは雛形あきこ似で今見ても美人だ。当時の日本人体形だから足は太いがスタイルはすらっとして悪くない。中原ひとみはさらに足が太く短い。背が低いのでどこか不恰好だ。しかし大きな瞳が魅力的だ。
付録映像のインタビューでの中原ひとみの話し方と映画の中の話し方はとても同じ人とは思えないほど違う。それはそのまま時代の違いである。昔のテレビのアナウンサーの話し方を今聞くとどこかこっけいに響くが、昔の映画の話し方は上品というか、今聞くと奇妙なイントネーションで話している。いつの間にか少しずつ話し方が代わっていったのだろう。特に女性の話し方の違いはかなりのものだ。同じ女性が昔の映画と現在とではまったく違う話し方をしている。なんとも奇妙な感覚である。
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