アメリカン・ラプソディ
2001年 アメリカ・ハンガリー
監督、脚本:エヴァ・ガルドス
出演:ナスターシャ・キンスキー、スカーレット・ヨハンソン
ラファエラ・バンサギ、トニー・ゴールドウィン
エミー・ロッサム
日本未公開だが素晴らしい傑作である。監督のエヴァ・ガルドス自身の経験を映画化したものだ。彼女の一家は冷戦時代に共産化したハンガリーを脱出してアメリカに移民してきた。映画はその脱出行から始まる。白黒画面である。若い夫婦は上の娘を連れてハンガリーを逃れようとしている。まだ赤ん坊の下の娘は泣き出す心配があるので後から別の人によって逃れてくることになっている。しかし、後に残った祖母は、赤ん坊に麻酔を飲ませて眠らせた上で芋袋に入れて運ぶという運び屋の女の言葉を聞いて、直前に思いとどまる。直後に祖母は逮捕される。赤ん坊は危うく知り合いの農夫に預けられることになる。
6年後赤十字を通じて夫婦は娘をハンガリーから引き取ることに成功した。娘はハンガリーの農家で優しい養父母に育てられ、幸せに育っていた。ある日おばあちゃんが現れ(ようやく収容所から解放された)、ブタペストを見に行こうと誘われる。何も知らずに孫娘のジョジーは車に乗せられるが、着いたのは空港だった。そこからたった一人で飛行機に乗せられる。アメリカに着くと実の父母と姉が待っていた。戸惑いながらも泣かずにジョジーはついてゆく。ついた日の夜、娘を寝かしつけた母(ナスターシャ・キンスキー)が「お休み」というと、娘は「お休みおばさん」と答える。悲しげな母の顔。切ない場面だ。ジョジーはその後しばらく戸惑いながら暮らしていた。ある日ホームシックになり家を飛び出したジョジーが公園でブランコに乗っていると探していた父親が近づいてきた。ハンガリーに帰りたいという彼女の気持ちを聞き、父は大人になったらハンガリーに行ってもよい、しかし今はここが家だと諭す。ジョジーは納得して、父親と握手をして約束する。
それから10年後、16歳になったスーザン(ジョジーのアメリカ名)は女友達や恋人と遊び歩く年頃になっている。しかし厳格な母親はそれを許さない。ついには窓に格子を取り付けドアに鍵をつけて閉じ込めてしまう。自由を束縛されたスーザン(スカーレット・ヨハンソン)は銃でドアを撃ち、ドアを叩き壊す。母親と丁度出張から帰ってきた父は呆然とする。何度も母親と対立を繰り返すスーザンはついにハンガリーに帰ると言い出す。母親は問題外だとはねつける。家を飛び出したスーザンがあのブランコに座っているところにまた父親が現れる。子どものころハンガリーに行っても言いと約束したはずだと主張するスーザンに、父親は言ってもよいと許可する。母親を何とか説き伏せてスーザンはハンガリーに向かう。
このハンガリー旅行がこの作品のハイライトであり、最も感動的な部分である。今はブダペストに住んでいる養父母との再会。そして養母が止める(「またお前をさらわれる!」)のをさえぎって祖母に会いに行く。スーザンが祖母に言った「来なければよかった。私はみんなを不幸にしている」という言葉が悲しい。この言葉にこの映画の主題が潜んでいる。二つの祖国と二組の父母の間にはさまれた一人の娘の苦悩。他の移民ものと違うこの映画の特性はこの点にある。赤ん坊の時に実の両親と姉を奪われ、6歳のときには養父母と祖国を奪われる。他の映画にない深みはここから来ている。
スーザンは祖母から母親の悲しい過去を聞かされる。彼女が娘だったときに経験した悲しい出来事を。その出来事を目撃した時母はアメリカに行くことを決心したという。娘たちを安全に育てられるように。母親がなぜあれほど頑強にハンガリー行きに反対したのかスーザンは始めて理解した。ハンガリー行きはスーザンのアイデンティティを求めての旅だったが、それはまた母親の悲しい過去を知る旅でもあった。養父母と祖母との再会を通してスーザンは変わる。悲しそうな養父母に「わたしの家はここではない」と言ってスーザンはアメリカに帰る。空港では母親が待っていた。娘と母親は和解する。娘は母親への無理解を反省し、母親は過去を振り返ることを恐れていたことを反省して。
この映画は「エル・ノルテ 約束の地」、「ジョイ・ラック・クラブ」、「わが心のボルチモア」、「イン・アメリカ 三つの小さな願い事」などと並ぶ、アメリカの移民を描いた傑作の一つだと言える。どうしてこの作品が未公開なのか心から疑問に思う。
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