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2005年10月 7日 (金)

少年と砂漠のカフェ

2001年 イラン=日本winding-road
監督、脚本、編集:アポルファズル・ジャリリ
撮影:モハマド・アハマディ
録音:ハッサン・ザルファム
プロデューサー:アボルファズル・ジャリリ、市山尚三
エグゼクティブ・プロデューサー:森昌行
【出演】
キャイン・アリザデ、ラハマトラー・エブラヒミ
ホセイン・ハシェミアン、 アハマド・マハダヴィ

  「スプリング 春へ」「かさぶた」「トゥルー・ストーリー」「ぼくは歩いてゆく」などで知られるアボルファズル・ジャリリ監督の代表作。アッバス・キアロスタミ、モフセン・マフマルバフ、マジッド・マジディ、バフマン・ゴバディなどと並ぶイランの代表的監督とされるが、観るのはこの作品がはじめてである。近所のレンタル店には全く彼の作品は置かれていない。中古店でも見かけたことはなく、アマゾンでやっと手に入れた。

  なぜこれほど目に触れないのか、この作品を観て何となく納得した。あまりに淡々としすぎていて彼の作品世界になかなかなじめないのである。もちろんイラン映画はほとんどどれも淡々とした映画である。しかしこれはあまりに淡々としすぎている。DVD-BOXも出ている監督ではあるが、今ひとつ一般に知られていないのはそのためと思われる。

  「少年と砂漠のカフェ」は2001年ロカルノ国際映画祭で準グランプリにあたる審査員特別賞、および国際シネクラブ連盟賞、ヤング審査員賞の三冠を受賞した。ナント三大陸映画祭ではグランプリの栄誉に輝いている。タイトルの「デルバラン」は映画の舞台となった場所の地名である。イラン北東部のホラサン地方にあり、アフガニスタンとの国境近くに位置している。主人公はアフガニスタンからイランにやってきたキャイン少年。砂漠の中にぽつんと立っているカフェで働いている。カフェといっても日本のそれとは大分違う。むしろドライブインに近い。

  映画はキャイン少年の日常を淡々と描いている。キャイン自身が語っていることによれば、キャインの母親は爆撃で死亡。父親は前線でタリバンと戦っている。姉はおばあさんと暮らしている。キャインは戦乱のアフガニスタンを逃れてイランに流れてきた。親切なハン老人が営むカフェで下働きをしている。医者に耳の病気を見てもらったとき、アフガニスタンに帰りたくはないのかと医者に聞かれるが、キャインは帰りたくないと応える。父親や姉のことに無関心というわけではない。こつこつ働いて溜めたお金を姉に送ろうとしたことからもそれが分かる(お金を託した人物が国境で撃たれて果たせなかったが)。戦乱の続く故国には帰りたくないということだろう。撮影は1999年の11月中旬に始まり、2000年の2月末に終わっている。2001年9月11日の同時多発テロ以前に撮り終えていることになる。したがって母親の命を奪った爆撃とは米軍による爆撃ではない。米軍が侵攻する以前の内紛時代のことだ。主人公を演じた少年は米軍が侵攻してくる直前に家族に会いに行くためアフガニスタンへと戻っていったが、その後の彼の消息はつかめていないそうである。

  ジャリリ監督は決してこの少年に対する観客の同情をあおるような描き方はしない。ただ淡々と少年が買い出しに行ったり、客にチャイを給仕したり、修理工を呼びに行ったりしている日常を描くだけだ。少年の表情は常に硬い。子供ながらに既につらい経験を散々してきたのだろう。大人顔負けのしたたかさを身につけている。車の修理を頼んでもなかなか出てこようとしない修理工には、何度もしつこい程催促の声をかける。大人に対しても臆することなく対等にやりあっている。重いものを運ばされたりしても弱音をはかないし、文句も言わない。近くに身寄りがいなくても決して悲しげな表情は見せない。ほとんど無表情である。彼がはっきり笑顔を見せるのは一度だけである。耳を診てくれた医者が今度は薬を持ってくるから、それがあれば早く直ると言ったときだ。その時初めてにこっと笑い、子どもらしい表情をチラッとのぞかせた。

zod-moon   キャインは不法入国したアフガニスタン人だが、警官が尋ねてきても誰も彼のことを告げ口したりはしない。実際にはキャインだけではなく、アフガニスタンからの違法労働者が時々やってきているのだが、皆同じようにアフガニスタン人などいないと答えている。一般のイラン人たちはアフガニスタンの悲惨な状況に同情を感じているのだろう。当局に隠れてアフガニスタン人を雇っている話は「少女の髪どめ」にも出てくる。多少はイラン人よりも安く雇えるのかもしれないが、それだけで当局に捕まる危険を冒すとは思えない。周りの大人たちがキャインをいつもやさしく見守っているという描き方はしていないが、キャインがついにアフガニスタン人だと分かって逮捕されたときに、ハン老人の妻であるハレーおばあさんは警察に乗り込んで彼を助け出してくる。ほのぼのと心温まる描き方はしないが、かといって冷め切っているわけでもない。情に訴えるのではなく、客観的に少年とその周りの大人たちの生活と関係を描いてゆく。そういう手法だ。

  この少年はこれからどんな人生を送ってゆくのか。映画は安易な希望も持たせないが、冷たく突き放しもしない。新しい道路が出来たために、カフェに通じる道が閉鎖されてしまった。カフェに来る客が減ったため、キャインはタイヤをパンクさせて無理やり客をカフェに連れてこようと道路に釘をばら撒く。そしてどこかへと旅立ってゆく。その先彼にどんな運命が待ち受けているのか。映画は何も示さない。少年はただ去ってゆくのである。

   少年に密着して描いているが、極度に説明的描写を排除しているため、理解できないことも多い。イラン人にはある程度察しがつくのかもしれないが、少なくとも外国人にはよく分からないことがいくつもある。そもそも「デルバラン」という地名は「恋人たち」を意味するペルシャ語だそうである。「恋人たち、とりわけ、愛する人のために家を捨ててきた恋人たち」が、砂漠のほぼ真ん中にあるため行方を探すのが非常に困難なこの土地に集まってきた。そして「デルバランのカフェは、そうした恋人たちが会う場所としてこの土地に建てられた」のである。しかしその後イランとアフガニスタンとの間に道路ができたため、もはや隠れ家ではなくなったカフェは違法就労者たちや麻薬密売人たちの集まる場所になってしまった。だからイランの警察がこのカフェにしばしばたちより目を光らせているのである。こういったことは監督のインタビューを読んでようやく分かるのである。

  どうも監督自身が説明的描写は極力避けるべきだという考えを持っているようだ。映画の途中で突然銃声が聞こえてくることがある。恐らく密入国する人たちを国境警備隊か何かが銃で撃っているのだろう。このように間接的に、あるいは暗示的にしか周囲の状況が描かれない。意識的にそう描いているのである。余計な夾雑物(不純物)を極力排除して対象となる人物に密着すればその本質が見えてくる、そう考えているのだろう。しかし人間は社会的な存在である。歴史的状況や社会状況を曖昧にしたために却って見えなくなっている側面がありはしないか。あるいは人物の描き方や映画そのものが平板になっていやしないか。もっと説明しろと言っているのではない。説明的な映画は面白くない。そうではなく、もっと人物や人間関係を状況の中で捉えるべきではないかということである。人間は時空を越えて生きることは出来ないのだから。もちろんジャリリ監督はキャインを大状況から完全に切り離して描いているわけではない。ただ、前提となる状況が暗示的にしか示されていないのである。対象となる少年との距離のとり方、全体状況の示し方、これらに対するこの映画の微妙なさじ加減は評価の分かれるところだろう。個人的にははやはり物足りなさを感じる。眼前の状況だけを限定して描いていたサミラ・マフマルバフ監督の「ブラックボード――背負う人――」にも同じ物足りなさを感じた。終始いらいらを感じた映画だ。

  ジャリリ監督は「少年と砂漠のカフェ」を世界中の戦災孤児に捧げている。キャインを演じた少年自身アフガンの難民だった。ジャリリ監督がこの映画の出演者を探して砂漠を旅している時、偶然出会ったのである。そのため急遽主人公をアフガニスタン人に変更したということである。

  本国イランではジャリリ監督の作品のほとんどが上映禁止となっている。外国人にはなかなか理解しがたい検閲制度がそうさせているようだ。この点については佐藤忠男氏の詳しい説明がある。非常に有益な講演なので一読をおすすめする。
  「少年と砂漠のカフェ上映後講演」

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