笑の大学
2004年 東宝
【スタッフ】
脚本:三谷幸喜
監督:星護
音楽:本間勇輔
撮影:高瀬比呂史
【出演】
役所広司、稲垣吾郎、小松政夫、高橋昌也
三谷幸喜の芝居とテレビ・ドラマは一度も見たことはない。しかし朝日新聞に連載している「三谷幸喜のありふれた生活」は愛読している。映画は「12人の優しい日本人」「ラジオの時間」「みんなのいえ」とこの「笑の大学」を観た。「みんなのいえ」はがっかりしたが、他の3本はどれもいい。「12人の優しい日本人」は「十二人の怒れる男」のパロディだが、「笑の大学」は作家としての絶頂期に召集され帰らざる人となった榎本健一の座付作家菊谷栄へのオマージュでもあるので、ラストはいささか重たい。大爆笑で終わる(らしい)舞台版とは違うエンディングなので、人によって評価がはっきり分かれている。
映画館では終始笑っている人もいるようだが、恐らく三谷幸喜の笑いの質は爆笑するような笑いではなく、くすくす笑う類だと思う。大笑いすることもあるが、基本的には小さな笑いを引き出すタイプである。おとぼけやバカバカしいしぐさで笑わせるというよりも、どこか知的で思わずぷっと噴出す笑いである。「12人の優しい日本人」も「笑の大学」も登場人物たちは大真面目で議論している。しかしその議論が思わぬ方向に転移・発展してゆく面白さなのである。「ラジオの時間」も脚本を無理やり変更されてあたふたする話という点では「笑の大学」と共通するところがある。当人たちは必死なのだ。
「笑の大学」の最初のあたりはあまり笑えない。シチュエーション・コメディなのでまず設定を作らなければならない。冒頭部分はその設定部分であるため笑いの要素は少ない。笑いが起きてくるのは喜劇作家が重い課題を背負って、何とかその課題をクリアしようと工夫し始めてからである。
二人のやり取りは真剣である。何としても時勢に合わないコメディを不許可にしたい検閲官向坂睦男と初日が迫り後がない作家椿一との真剣勝負。笑いを知らない検閲官と何をやっても笑いにしてしまわずにはいられない喜劇作家。二人が真剣に遣り合えばやりあうほど可笑しさがこみ上げる。そしてやりあううちに敵対から共同へといつの間にか関係が転移してゆく。正反対のものがぶつかり合うおかしさ、そこから生じるズレと逆転、思わぬ方向への転移とねじれ。コメディの常道である。ねじれ弾をこれでもかとばかり次々に放つ。怒鳴り威圧しながらも少しずつ笑いに傾いてゆく検閲官、戸惑いうろたえながらも意外な粘り腰で無理難題を乗りこえてゆく作家。にらみながら時々笑いで顔が引きつる検察官、下手な芝居まで実演しながら必死で食い下がる作家。この二人の必死の攻防を通じてねじれにねじれてゆくストーリー、そこに思わぬひらめきと発想が生まれ、結果として台本は練り上げられ、二人の関係は近づいてゆく。意図せぬ共同作業が台本を練り上げていったのである。まるで弁証法のように。類まれな才能同士が協力し合ったり激しくぶつかり合ったりしていた「ビートルズ」時代の方が、自分の思うように曲が作れたそれぞれのソロ時代よりも優れた作品を生み出していたのと同じ関係だ。
ついに文句のつけようのない台本が完成し、上演許可が下り、一件落着かと思われた瞬間、またがらっと展開が変わる。安心したあまり椿が自分の信条を向坂に吐露してしまう。上演禁止覚悟で検閲に応じないというやり方もあるが、喜劇作家である自分はむしろ自分の才能を発揮して無理難題を乗り越えてやろうと思った、それが自分なりの抵抗の仕方なのだともらしてしまう。それが向坂の検閲官としての自覚に再び火をつけてしまう。ついに向坂は椿に究極の無理難題を突きつける。翌日椿が書き上げてきたものは・・・。
この後さらにもうひとひねりあり、その部分が菊谷栄へのオマージュとなっている。最後のあたりでがらりと作品の色調が変わってしまうのは、脚本家自身が顔をのぞかせているからである。コメディ作家の信条を語り、また尊敬する先輩作家への敬意を示す。コメディとしての一貫性が損なわれているという批判が出てくるのも理解できる。しかしそう悪いエンディングだとは思わない。ベストとはいえないが、作家は常に時代に翻弄されているのだというテーマを突き詰めたエンディングである。「サルマタ失敬!」で終わるよりはよほどいい。舞台で爆笑バージョンは作った。映画は違った作りにしたかったと本人も語っている。二つのバージョンがあってもいいだろう。
役所広司は本当にうまい。笑いは人を変える力を持つ、笑いは人生を豊かにするというテーマを彼の体ひとつで見事に体現している。この当代随一の名優を相手に稲垣吾郎も健闘した。二人を比べれば明らかに劣るが、役者として大きく成長したことは認めるべきだろう。コメディ作家の信条を語るときの彼は実にいい顔をしていた。今後の活躍が楽しみである。
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コメント
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ちんとんさん コメントありがとうございます。
最近の日本映画のレベルはかなり高いですよ。僕も日本映画黄金時代の巨匠の作品ばかりではなく、最近のものを見始めたのは2年くらい前からです。きっかけはおぼえていませんが、日本映画が充実してきたことの表れでしょう。レビューも増えてきていますから、少しずつ認識が広がってきているのだと思います。
投稿: ゴブリン | 2006年1月15日 (日) 13:17
お誘い(トラックバック)いただき、ありがとうございました。もともとあまり邦画を見る機会がなかったので、この良質の笑いはとても新鮮でした。「1分間に1回笑わせます」などというのが売り文句になるハリウッドのコメディとは違いますね。
『12の優しい日本人』があの『十二人の怒れる男』のパロディだったことも知らなかったので、レビューを読ませていただき、もっと観たいという気持ちがまた刺激されました。
投稿: ちんとん@ホームビデオシアター | 2006年1月15日 (日) 09:05
laundryさん コメントありがとうございます。
僕のブログはあまりトラックバックもコメントも来ないので、遅くなっても大歓迎です。やはり反応がないと書いていても張り合いがないですからね。
吾郎ちゃん頑張ってましたよね。特にファンというわけではないのですが、一生懸命頑張っている姿には拍手したくなりました。
投稿: ゴブリン | 2005年12月19日 (月) 15:55
随分遅くなってしまいましたが、以前私のブログにコメントを残してくださってどうもありがとうございました。
とてもまっすぐに書かれてあって、すごい読み応えがありました!こんなにも演技者の力量が問われる映画の中で、吾郎ちゃんもがんばっていたと思います(^-^)
投稿: laundry | 2005年12月19日 (月) 12:42
HANAさん コメントありがとうございます。
ドキドキする気持ち分かります。僕も初めてTBした時は同じでした。でもみなさん優しい言葉を返してくれますから心配ありませんよ。
僕の文章は基本的にネタバレですので先に映画を観てからのほうがいいかもしれません。
ただ、どこにもネタバレと書かないのは、本当に優れた映画ならある程度先が分かっていても十分感動できると考えているからです。感動して同じ映画を何度も見る時はネタバレ全開状態で見ているわけですから。
投稿: ゴブリン | 2005年10月10日 (月) 12:51
>ゴブリンさん
コメントありがとうございました。
知らない人にTBしたのは初めてなので、ちょっとドキドキでした。
選択されている映画がとても洗練されていますね。
といっても私の知らない映画がほとんどなのですが・・・。
「チルソクの夏」は見たいと思いながらまだ見ていないので、
ゴブリンさんの記事が先か、映画が先か、と悩みます。
投稿: HANA | 2005年10月10日 (月) 07:03