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2005年9月23日 (金)

丹下左膳餘話 百万両の壷

asagao-31935年 日活京都  原作:林不忘
【スタッフ】
製作: 脚本:三村伸太郎
監督:山中貞雄
音楽:西悟郎
撮影:安本淳
【出演】
大河内伝次郎、喜代三、沢村国太郎、深水藤子
宗春太郎、花井蘭子、高勢実乗

 山中貞雄(1909-38)の現存する三本のフィルムの一つ。他の2本は「人情紙風船」(1937年)と「河内山宗俊」(1936年)。

   「丹下左膳餘話 百万両の壷」は決して派手なチャンバラ映画ではない。むしろアンチヒーロー時代劇コメディとでも呼ぶのがふさわしい。大河内伝次郎扮する丹下左膳は、美人で歌のうまいお藤(喜代三、NHKの黒田あゆみアナウンサーにそっくり)が営む矢場に居候する用心棒。普段は奥の部屋にぐうたらと寝そべっているしまりのない男。少しも凄腕の剣士という雰囲気を放っていないところがいい。大河内伝次郎は頭が大きすぎて、全身が映るとなんとも不恰好である。皺の寄ったよれよれの着物を着ている。およそ英雄豪傑、剣豪のイメージからは程遠い。しっかりものでやり手のおかみとぐうたら用心棒の組み合わせが抜群だ。しょっちゅうつまらないことで言い合っているが、この掛け合いがコミカルで面白い。

    とはいえ、前半はさほど優れた映画だという気はしなかった。どうも説明的だからだ。冒頭で柳生家に代々伝わる「こけ猿の壷」にまつわる秘密が語られる。その壷には百万両の隠し財宝のありかが隠されていたのである。柳生家の当主はそれとは知らず、弟の源三郎の結婚祝いにその壷を贈ってしまう。源三郎は安っぽい壷ひとつしかくれなかった兄に腹を立て、腹いせにその壷をクズ屋に捨て値で売り払ってしまう。

    源三郎を演じるのは沢村国太郎。沢村貞子の実の兄だ。しかしどうもこの沢村国太郎の演技がしっくり来ない。下手ではないのだろうが、下手に見えてしまう。台詞回しもどこか浮いている感じがする。どうもまだこの役柄に慣れていないという感じがして仕方がない。

   こけ猿の壷はクズ屋の隣りに住む安吉という子どもの手に渡り、金魚鉢として使われている。安吉の父親がやくざに殺され、独りぼっちになった安吉はお藤のところに引き取られる。そのお藤が営む矢場に源三郎がよく遊びにくる。こうして、矢場を中心に主要登場人物と壷が結びつく。このあたりから映画は俄然面白くなってくる。丹下左膳とお藤が登場すると映画がぐっと締まってくるのである。

   安吉をめぐって丹下左膳とお藤が掛け合い漫才のようにやり合うあたりはホーム・コメkingyo-t2ディのノリだ。互いに「あたしゃ子供なんか大嫌いだよ」とか「俺はやだよ」とか言いながら、画面が切り替わると言葉とは反対に竹馬を買ってやったり、いじめっ子を懲らしめたりと子煩悩振りを発揮しているのである。このあたりがなんとも可笑しい。ただ、この手法が何度も繰り返されているのがちょっと気になった。

   一方、源三郎は「壷を探すのは10年かかるか20年かかるか、敵討ちの様なものだ」などとのんきなことを言いながら毎日壷探しに出かけるが、実はお藤の矢場で毎日遊びほうけている。そこで働く若い娘にほれ込んでいるからだ。このあたりまで来ると沢村国太郎のほんわかした馬鹿殿ぶりが実にいい味を発揮するようになってくる。場面になじんでくると言うか、大河内伝次郎と喜代三という芸達者二人と響きあうように生き生きとしてくる。 しかしこちらも「壷を探すのは10年かかるか・・・」というせりふがあまりに多用されている。1、2度ならともかく、やりすぎると逆効果だ。おそらく撮影終了後の編集に十分時間がかけられなかったのではないか。前半がもたついているのもそのせいだろう。

  源三郎が奥方に浮気を見抜かれ禁足を食ったり、金に困った丹下左膳が万事休した末に道場破りに行くとそこが源三郎の道場で、道場主である彼が実はさっぱり剣術が出来ないことがばれそうになったりと、どたばた調の展開をへて、万事平和に収まるという結末に至る。チャンバラ映画らしいところは道場破りの場面で少し出てくるが、これが売り物ではない。徹底してチャンバラ映画の常道を意図的に踏み外して行く。そこがなんとも爽快だ。

  ラストがまたいい。源三郎は壷のありかを知っていながら、あえてそれを持ち帰らず、壷探しと称して矢場での気ままな自由時間を楽しんでいる。彼が本当に求めていたのは財宝ではなく、自由な生活だったという落ちが効いている。

  「こけ猿の壷」探しというストーリーを縦糸に、横糸として丹下左膳、お藤、安吉を中心としたヒューマン・ホーム・コメディと、肩身の狭い婿養子の境遇からの脱出をはかる源三郎の浮気話が絡められている。それにチャンバラ・シーンが味付けとして添えられている。そういう映画だ。アンチヒーローが主人公という点は「人情紙風船」も同じ。すさまじい殺陣を売り物にしたチャンバラ映画とは一味もふた味も違う。数ある時代劇映画の中でも実にユニークな位置を占めている。もっと多くの山中貞雄作品が現存していれば、もっと彼が長生きしていればと思わざるを得ない。

付記
 KSさんからとても参考になるコメントを頂きました。そちらもどうぞあわせて読んでみてください。

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コメント

KSさん たびたびありがとうございます。
 さっそくご紹介のサイトを覗いてみました。いやあ、びっくり仰天のお宝サイトでした。いるんですよねえ、世の中にはこういうものすごい人が。
 僕は「世界中の映画を観てみよう」がモットーで、特定の個人やジャンルに入れ込まない人ですが、こういうこだわりのサイトの存在意義は十分認めているつもりです。一般の映画総合情報サイトは新作紹介が主で、特定のテーマについて深く掘り下げたものはありません。総合情報サイトとこだわりサイトが両方とも充実して初めて健全なインターネット環境といえるのだと思います。
 貴重な情報ありがとうございました。

蛇足を重ねるようですが、
丹下左膳映画のことなら、おそらく
ノスタル爺さまのサイトが一番だと思います。
「ノスタル爺のホームページ」でググってみてください。
>(別館)チャンバラヒーロー
>丹下左膳の部屋
貴重な情報がテンコ盛りです。
(もしこのコメントが問題あるようでしたら、
お手数ですが削除をお願いします。
御本人には無断で書き込んでおりますので)

 KSさん ありがとうございます。 
 確かにおっしゃるとおりですね。僕も最近はある程度オフィシャル・サイトや先行のレビューに目を通してから自分のレビューを書くようにしていますが、山中貞雄が下敷きにした「丹下左膳」についてはほとんど触れているものはありませんでした。
 コメントを頂いた後で四方田犬彦の『日本映画史100年』(集英社新書)を読み返してみましたら、大河内傳次郎主演で伊藤大輔が28年から34年まで「丹下左膳」シリーズを作り、大好評を博したとあります。「そのしぐさはときにグロテスクの域に達することがあった」とありますので、まさにご指摘の通りです。リサーチの大切さを教えられました。ただ毎回そこまで調べる余裕もありませんが。
 伊藤版「丹下左膳」はぜひ観て見たいですね。ただほとんど現存しないのだとすれば残念なことです。シナリオ集は出版されているようなので、シナリオで読むことは可能かもしれませんが。でも完成された作品とはまた別ですからね。

こちらこそ、蛇足的なコメントで申し訳ありません。
僕らの知っている70年代以降の丹下左膳は、いずれも「百万両の壷」以降の、多かれ少なかれ山中左膳の影響を受けたものになっている筈ですので、これはもう仕方がないと思います。
かって、荻昌弘氏が、亡くなるすこしまえに「映画評論は製作当時の社会状況や歴史などの『縦』の時系列を踏まえたものとして整理されなくては、正確なものにならない。」と唱え、そういった動きをされだしていたように記憶しています。
当時はなんのことやらわからんなかったのですが、こうして古い映画がDVDなどで比較的容易に観られる幸せな状況になった昨今、氏の先見の明に改めて感心するところであります。

 KSさん、コメントありがとうございます。大変詳しいコメントでとても参考になりました。
 若い頃に何度か丹下左膳ものはテレビで見た覚えがありますが、内容はほとんど覚えていません。当時はまだテレビで大量に時代劇が放映されていましたが、時代劇は特に好きではなかったので、家族と一緒にたまたま見ていただけかもしれません。
 山中貞雄の丹下左膳がパロディである事は映画を観れば誰でも分かりますが、パロディの元については全く知りませんでした。そういう悪鬼の様な人物像だったとは驚きです。もっと冷めた剣士像を思い浮かべていました。
 昔(70年代頃を指していますが)は西部劇もテレビで大量に放映されていてそちらは片っ端から観ていましたが、時代劇は時代遅れだという偏見があってろくに観ていませんでした。つい最近までその偏見がありました。やっと最近になって時代劇を観直しはじめているところです。したがって大して知識もありません。
 そんな矢先に貴重な情報をいただき本当にありがとうございます。今後、時代劇も少しずつ取り上げて行くつもりですので、また時々コメントをいただければ幸いです。

遅いコメント付けで失礼します。
山中貞夫の「百万両の壷」を正当に評価するには、それ以前の丹下左膳映画のことを考えなければいけません。特に最初の大河内伝次郎主演伊藤大輔監督の大正時代に作られた「新版大岡政談」(でも断片的にしかフィルム残っていないようですが)などです。まだ痩せていて、白骨が白衣を着て駆け回り、かたっぱしから斬殺して哄笑しているような、「怖ろしい」丹下左膳像です。
原作の丹下左膳一作目の「乾雲坤竜の巻」は、大岡越前シリーズの一作なのです。悪役、鈴川源十郎が雇う用心棒として登場した時(つまり脇役の脇役)は、剣奪還に取り付かれた幽鬼のような殺人鬼でした。妖婦お藤を縛り上げて折れた弓で死にかけるほど殴りつづけたりするシーンまであります。それでもお藤は左膳に惚れているのですね、しかし左膳の方にはまったくその気がなく、いいように利用するだけという非道さ。2作目の「こけ猿の壷」では、主人公となり、前作よりは人間的ですが、理由もなく人を斬ったり、血を見ると生き生きしてきたりと殺人鬼的本性は抜けていません。柳生源三郎にしても、美剣士は美剣士なのですが、ちょっとクールな感じで、女間者を抱いた後で首を切り落とすとか・・・。その冷たい色男の源三郎に、いつしか恋焦がれて身を焼くお嬢様の萩乃。
つまり、山中貞夫はパロディを作って見せたわけで、公開当時の観客たちは「左膳」「お藤」「源三郎」「萩乃」といったキャラクター達にそれまでに何作も作られた丹下左膳もので確固としたイメージをもっていたわけですね。
その観客達にすれば、「左膳がお藤の尻に敷かれている!」というだけでびっくり仰天「なんじゃこりゃーっ!」の世界なわけです。しかもそれを演じているのは御本家大河内伝次郎自身なのです。「萩乃の顔色を伺う源三郎」など、マイホームにおける自分を思い出して、思わず噴出す下世話なシーンなのです。
そもそも、血眼になって「こけ猿」を追い求め、幾多の人々が権謀術策を行い、はかなく散っていく物語の筈が、例の「壷を探すのは10年かかるか・・・」という台詞。この辺が当時の「気楽な家業」とうたわれたサラリーマン諸氏には自らの行いと引き比べ、くすぐったいような苦笑いをもって感じられたのは想像にかたくありません。この台詞は、それまでのすべての丹下左膳ものの基本構造の土台を根底からぶち壊す「破壊的な台詞」なのです。同時に、原作者から「あんまりだ・・・」とクレームがついた、この作品の根本を象徴する台詞でもあるのです。
しかし、おおもとのパロディの元が観客にとってそのイメージを失ってしまった現代の状況(松田聖子を知らずにその物まねを見ているようなものです)で観ても、作品として観られるレベルに仕上がっているところに山中貞夫の天才を感じてほしいと思います。
林不忘の原作は最近時代劇関係の文庫で復刻されています。興味があれば是非御一読を・・・!

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