ベッカムに恋して
2002年 イギリス・ドイツ
監督:グリンダ・チャーダ
出演:パーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ
ジョナサン・リース・マイヤーズ、アーキー・パンジャビ
シャヒーン・カーン、フランク・ハーバー
サッカーにあこがれるインド系少女がインドの伝統を押し付けてくる母親との葛藤を経ながら自分の夢をあくまで追求するという映画だ。その意味では「インドへの道」の系譜、「ぼくの国、パパの国」の系譜に属するが、成功物語という意味では「ブラス!」、「リトル・ダンサー」や「グリーン・フィンガーズ」の系統にも属する。しかし、イギリス国内に暮らすインド人というテーマからすれば、イギリスのパキスタン人移民を描いた「ぼくの国、パパの国」の系統に入れるのが一番妥当だろう。監督をはじめ製作スタッフの中心はインド人である。そのことが成功を生んだといえるだろう。一貫してインド人の視点から描かれている。その点でイギリス人の視点から描かれる「インドへの道」と異なる。
主人公のジェスの姉が映画の最後で結婚するのだが、婚約や結婚のパーティの場面はまるでインド映画のようだ。極彩色の衣装、音楽と踊り。両親、特に母親はインドの伝統を守ろうとしている。母親は娘がサッカーをすることには反対だ。男と混じってプレイする、肌を見せて走り回る、すべてが気に入らない。このあたりはさすがにインド人のスタッフが作っているだけあってリアルだ。ジェスも自分の夢は捨てきれないが、家族の考えを無視するわけにはいかない。何度も練習に出られない事態になる。特に決勝戦が姉の結婚式の当日に当たることが分かり、状況は深刻になる。この彼女の葛藤がおざなりでないところが作品に真実味を与え、作品の価値を高めている。
決勝戦と結婚式がかち合うのはドラマによくある常套手段と言えるが、それまでに十分伝統と新しい価値観の衝突は描きこまれているため、とってつけたような人工的クライマックスという感じは与えない。彼女は結局式を途中から抜け出して、試合に出る。そして試合に勝った。しかも彼女の活躍で。そしてアメリカから来たプロのスカウトに認められてアメリカ行きと奨学金を手にする。絵に描いたような結末だが、最後のあたりは涙を禁じえなかった。古い伝統を跳ね返し、自分の人生を自分で決めようとするジェスに深く共感したからだ。
インド人とイギリス人の人種問題、それも植民地意識が介在する関係もよく描かれている。同じ有色人種でもインド人とイスラム教徒とでは扱いが違うようだ。娘に反対して父親が「サッカー選手にインド人がいるか?(いないだろう)」とどなると、ある有色人種の選手の名前があげられる。しかし彼はイスラムだと父親は反論するのだ。実は父親自身かつてクリケット選手で、有望な才能があったようだが、インド人だというだけで相手にされなかったという苦い経験を持っていた。この父親の描き方がいい。最初から母親とは違って多少娘に理解がある親として描かれていた。最も感動的なのは結婚式を抜け出そうとする娘に気づいた彼が、姉の結婚式に不機嫌な顔をされていてはかなわない、それより試合に行ってこい、だが帰ってきたときには最高の笑顔を見せてくれと言った時だ。あるいは、娘のアメリカ行きに反対する母親に向かって、昔自分は人種の壁にぶつかってクリケットをあきらめたが、娘には同じ思いをさせたくないと断固として娘の肩を持った時である。
ジェスをスカウトしたイギリス人の女子選手とその家族(彼女とジェスをレスビアンだと勘違いしてしまう母親が傑作だ、彼女は最後には娘を失いたくないとサッカー・ファンになる)、そして女子チームの男性監督もいい。特に彼をめぐっては女子サッカーチームに対する差別意識が絡められ、作品のテーマを深めている。彼とジェスは恋愛関係になる。甘い設定といえば甘いが、前向きな意思にむしろ共感した。映画は夢を描くものなのである。
最後に主役の女の子について一言。ちょっと小太りで歩くときの姿勢もやや前かがみだ。サッカーをしているときの動きもあまり機敏ではない。しかし彼女の表情がいい。普通にしているときやふくれているときはそれほどかわいく見えないが、ちょっといたずらっぽく笑ったときの笑顔がいい。このまま女優を目指すのか分からないが、普通の女の子を演じられる女優になってほしい。
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