トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ①
ユルマズ・ギュネイ(1937-84)監督紹介
まずギュネイ監督自身について紹介しておきたい。ギュネイは1937年4月1日生まれ。父母はともにクルド族の出身である。貧困と人種差別を経験したことから(クルド族問題は、「路」のオメールの物語 の主題になっている)、社会的矛盾に目を向けるようになった。ギュネイ自身が後に語ったことによると、金持ちの家で雑用をしていた彼の母親が持って帰る食べ物の残り物は、彼らにとってはごちそうだったが、時が経つにつれて、それは金持ちの食べ残しでしかないことに気づき、誇りを傷つけられたということだ。芸術に対する彼の興味はシナリオや小説の執筆という形で現れ、20歳になった時には既に小説家としての名声を獲得していた。彼はシナリオ作家と映画監督になりたかったが、周囲の勧めで俳優になり、1958年から14年の間に100本以上の映画に出演し、国民的スターになった。後に監督になり主演を兼ねるようになるが、途中何度も政治犯として投獄された。「路」、「敵」、「群れ」は彼が獄中にいた間に、獄中から指揮して代理監督に撮らせたものである。仮出獄したときにロケハンし、獄中を訪れる代理監督や俳優たちと細部の打ち合わせをしたという。
ギュネイの作品が日本に紹介されたのは、85年に「路」が公開された時である。この重苦しく、悲痛な作品は日本の観客に衝撃を与え、ロングランヒットになった。このヒットを受けて、同年4月渋谷のユーロスペースで「エレジー」と「希望」が、西独製の記録映画「獄中のギュネイ」(必見!)と併映という形で公開された。小ホールにもかかわらずガラガラの入りだったが、いずれも優れた作品だった。ついでながら、翌86年5月には「ハッカリの季節」(1983、エルデン・キラル監督、日本公開84年)もユーロスペースで上映された。恐らく日本で最初に公開されたトルコ映画ではないか。高度3000メートルにある小さな村と小学校が舞台。雪に覆われた何もない世界と独特の生活風習には心底驚いた。文字通り未知の世界だった!
そして86年の暮れから87年にかけて「群れ」と「敵」が公開された。計5本、ギュネイの主要な作品が日本に紹介されたわけだ。
世界に衝撃を与えた代表作「路」
82年のカンヌ映画祭は社会派の作品が他を圧倒した。グランプリを分け合ったアメリカの「ミッシング』とトルコの“YOL”の他に、イタリアの「サン・ロレンツォの夜」が審査委員特別賞を獲得している。「ミッシング」は82年、「サン・ロレンツォの夜」は83年に公開されたが、“YOL”の方は84年に なっても公開されず、結局見られないのではないかと思っていた。それがやっと85年になって「路」という邦題で公開されるに至ったのである。トルコでも映画を作っているのか、という声さえ出てきそうなほど映画「後進国」と見られていた国で作られたこの映画は、しかし、公開されるやいなや波紋のように感動の輪を広げロングランになり、半年後には早くもリバイバルされるという大変な人気を得たのである。
「路」は重苦しく、悲痛であると同時に感動的な映画である。グランプリを取ったカンヌ映画祭で上映された時、場内は厳粛な沈黙に一瞬つつまれ、やがて湧き上がるような感動の拍手に包まれたという。この映画は、イムラル島拘置所から仮出所を許された5人の男たちの後を追って行く形で展開する。5人の前に待っていた現実はそれぞれに異なっているが、いずれもトルコ社会の根深い前近代的体質、自由抑圧という点では獄中となんら変わらないことが、力強いリアリズムによって見事に描き出されている。特に印象深いのはメメットとセイットの物語である。メメットは妻の兄と銀行強盗を働いたときに、おじけづいて妻の兄を見殺しにしてしまった。出獄したメメットは妻に会いに行くが、妻の家族は彼を許さない。メメットは妻とともに逃げ出し、途中の列車のトイレの中で愛し合おうとする。しかし乗客に見つかりあやうくリンチにされそうになる。車掌により何とか助けられるが、そこへ彼の後を追ってきた妻の弟に妻もろとも撃ち殺されてしまう。直後にインポーズされる列車の汽笛は、まるで悲鳴のように耳をつんざく。トルコ社会の抜き難い前近代的体質を、ぞっとするような迫力でまざまざと見せつけるエピソードだ。
セイットの物語りはさらに圧倒的であり、彼の悲劇的苦悩は見るものの胸を揺るがさずにはおかない。セイットの妻ジネは、夫の服役中身を売ったために8ヶ月も家族に監禁され、掟によってセイットはジネを殺さねばならない。しかし妻を哀れむ心を抑えられず、セイットは雪深い谷を越えて妻を実家の村へ連れて行くことによって、直接自分で手を下さずにジネを死に至らしめようとする。狼の遠吠えがこだまする中、一面の雪景色の中をセイットとジネとその息子の三人が丘をのぼって行く。8ヶ月も鎖につながれていたジネは力つき倒れ、夫を呼ぶ。「セーイーット。わたしを見捨てないで。わたしを狼のえさにしないで!」白一色の画面にジネの赤い服が映え、目に焼きついて離れない。美しくも凄絶な場面である。最初に息子が立ち止まる。セイットの歩みも遅くなる。ついに彼は立ち止まってしまう。どうしても前に進めない。ついに彼は引き返して妻を抱き上げる。眠ったら死んでしまうぞと励ましながら妻を背負ってゆくが、村に着いたときには妻は凍死していた。トルコ社会の自由なき現実を告発しつつ、民衆の中にある克服されるべき古い体質からも目をそらさないギュネイのこの姿勢を、ある批評家は「戦うリアリズム」と呼んだ。「路」は現実に対する厳しい姿勢を持つとともに、忘れ難い詩情をたたえた、まれに見る映画である。
「路」を撮っていた時、監督のユルマズ・ギュネイは政治犯として獄中にいた。獄中で脚本を練り、仮出所した時にロケハンをし、獄中を訪れる代理監督(シェリフ・ギョレン)や俳優たちと細部の打ち合わせをした。ギュネイは映画の完成直前に脱獄し(看守たちも彼に協力的だったという)、スイスとフランスで完成させた。カンヌでグランプリをとった年(82年)から2年後の1984年9月9日、ギュネイはパリで病死した。「路」は長い間上映禁止だったが1999年にやっとトルコで上映された。
生活の困窮と人間的苦悩「敵」
「敵」(1984)についてはもっとじっくり論じてみたいのだが、ここでは簡単にまとめておこう。「群れ」はトルコ人の生活と思考を深く支配している因習がいかに人々を不幸にしているかを主に問題とした作品だが、「敵」の中心主題は貧困と家庭崩壊である。冒頭の職探しの場面(失業者が多すぎて雇い主のいいように賃金を切り下げられるところは「怒りの葡萄」を連想させる)と、やっと見つけた野犬狩りの仕事を主人公が良心の呵責を感じてやめてしまう挿話が特に印象的だ。主人公は生活のために仕方なく野犬を毒殺する仕事をしているのだが、それを見とがめた子供に石を投げ付けられる。死んでゆく犬の苦しむ姿を見て夜は悪夢にうなされる。生活のために働こうとしても、人間としてのプライドを捨てなくてはやれない仕事しかない。生活の困窮に人間的苦悩が加わる。ついには女優志望で、派手好きの女房にまで逃げられてしまう。
「路」同様、主人公が新しい未来を見いだそうと出発するところで終わるが、経済、政治、社会、道徳のすべてにわたって複雑に絡み合った抑圧機構は容易には崩れず、「敵」は社会のみならず自分の心の中にも潜んでいる。車に乗って新しい地へ向かう主人公の前に続く道は、トルコ社会がこれから歩まねばならない苦難に満ちた道なのかもしれない。
(「群れ」についてはメモが残っていない。いずれ機会があれば紹介したい。)
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山口和泉さん コメントありがとうございます。
80年代に書いた古い記事にコメントをいただいたことにとても感激しています。ギュネイを観た人はもうだいぶ少なくなったでしょうね。僕にとっては80年代に最も注目した監督の一人です。
残念ながらいまだにDVDが出ていないので今後見直す機会が訪れるのかどうか分かりませんが、機会があればギュネイの作品は本格的レビューを書いてみたい作品ばかりです。
ご指摘の「群れ」についてほとんど触れていないのは僕としても残念です。もはやほとんど記憶は残っていないので、新たに見直さない限り何も書けません。DVDが出ることを願うばかりです。
ギュネイに関心を持っている方がいらっしゃるのはうれしいですね。こうして記録を残しておくことはやはり大事なことだと改めて思いました。また機会がありましたらのぞいてみてください。
投稿: ゴブリン | 2008年9月26日 (金) 07:37
ユルマズ・ギュネイ監督を取り上げているblogを見つけて、驚きともに感激で、mailしました。
学生の頃、「群れ」を見て、文化の違いの中にも人間の共通性を見いだせたこの映画は、私のお気に入りの一つです。
投稿: 山口和泉 | 2008年9月25日 (木) 18:43