殺人狂時代
1947年 アメリカ
監督、脚本、製作、音楽:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、マーサ・レイ、マリリン・ナッシュ
ずいぶん久しぶりに観たが、これはやはり傑作だ。「ライムライト」がチャップリン唯一の悲劇だとすれば、これは彼の唯一のシリアス・ドラマだ。1889年生まれで1947年の作品だから、チャップリン58歳の時の作品である。彼の役者としての類まれなる才能にとにかく驚かされる。前半はシリアス・タッチでベルドゥ氏(チャールズ・チャップリン)の日常を描く。何重もの結婚をしていて、金が必要になると女を殺して奪う。それが彼の日常だ。したがって移動が多い。汽車の車輪が何度も映される。彼は元銀行員。ものすごい速さで金を数える。このシーンというか指さばきははっきり覚えていた。思わずスロー再生して確かめてみたくなるほどの早さだ。何人もの妻がいるが、本当の妻と息子もいる。どうやらこの妻と息子は本当に愛しているようだ。この描き方がいい。ヒトラーも決して根っからの冷血人間ではない。にもかかわらず冷酷な犯罪を平気で出来るのだ。
後半あたりから徐々に喜劇的な色調も入ってくる。重々しかった彼の身のこなしも軽くなってくる。ちょび髭にどた靴とステッキといういつもの扮装をした時とはまた動きが違うが、それでも喜劇の常道である逃げたり隠れたりといった行動が混じってくる。チャップリンが船長に扮して会いに行く女性が出てくるあたりからだ。その女性はものすごくこわい顔つきで、性格もきつい。コメディにもってこいのキャラクター。ボートに乗ったとき水面を見て「怪物がいる」と叫ぶが、すぐ後に「あら、自分だったわ」というところが可笑しい。このシーンも覚えていた。チャップリンはシリアスな演技もコミカルな演技も見事にこなす。並みの俳優ではない。俳優であり、芸人であり、芸術家である。ほかに思い当たる人がいない、まさにワン・アンド・オンリー。神業だ。
そのベルドゥ氏も株の大暴落(世界大恐慌の頃が背景だ)で全財産を失う。すっかり落ちぶれ、警察に通報されても逃げもしない。おとなしく掴まる。そして死刑の前の獄中のシーン。有名な場面だ。「一人殺せば犯罪だが、百万人殺せば英雄だ」という有名なせりふ。それ以上に印象的だったのは、牧師が神と和解しなさいというと「神とは平和な関係にある。人間と対立しているのだ」というせりふだ。
何が彼を殺人者にしたのか。株の暴落もヒットラーの登場もその原因とはいえない。なぜならその前から彼は既に殺人者になっていたからだ。平凡な銀行員として30年間勤め上げた後、あっさり首にされた彼の心境に何があったのか。もう一度じっくりと見直してよく考えなければ簡単に言えない。チャップリンは「独裁者」でヒットラーを笑い飛ばしたが、この(浦沢直樹の「モンスター」を連想させる)怪物を笑い飛ばすことは出来なかった。彼は死刑になったが、薄笑いを浮かべながら泰然自若として死んで行ったのだ。
コメディや社会風刺を通過して彼が最後に到達した高み。冷徹な人間観察。冷徹な風刺。磨き上げられた芸。これが彼の最高傑作かもしれない。
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