寄せ集め映画短評集 その2
在庫一掃セール第2弾。今度は5連発。
「ホテル・ハイビスカス」(2003年、中江裕司監督)
期待通りの佳作だった。何といっても主人公の美恵子を演じた蔵下穂波の存在感がすごい。小学3年生だというが、自由奔放な性格が画面からはじけ出ている。特典映像でこれは自分の「地です」と言っていたが、彼女をオーディションで発見した段階でこの映画の成功は保障されたようなものだったのではないか。それくらい存在感がある子役だった。伝説の森の精霊キムジナー探しに夢中になったり、お父さんを探しに一人でバスに乗って「冒険」に出たりと、彼女の身の回りの出来事を追ってゆく展開で、特にこれといった一貫したストーリーがあるわけではない。基地の存在、混血児の存在、サンシンの弾き語り、先祖の霊を迎える儀式などを随所に取り込み、沖縄らしさを演出している。
監督の中江裕司は京都出身だが大学が沖縄大学で、沖縄に魅せられ住み着いたそうだ。巧みな替え歌が効果的に使用され、屈託のない子どもの世界が描かれている。原作はもっと多面的に描かれているようだが、脚本は思い切って子どもに焦点を当てたという。おそらくそこに成功の原因があったといえよう。軽いコメディだが、ほほえましい映画だ。「ナビィの恋」(1999年)もいい映画だったが、これもそれに劣らない。
「過去のない男」(2002年、アキ・カウリスマキ監督、フィンランド)
正直言ってカウリスマキ監督には偏見があった。最初に見た彼の作品「マッチ工場の少女」があまりに面白くなかったので、その後まともには見ていなかった。しかしこの作品を観て彼に対する認識を新たにした。
暴漢に襲われて頭を殴られ、記憶をなくした男の話。病院で一旦死を宣告されるが、奇跡的に生き返り、病院を抜け出す。そのまま港湾のコンテナ住居に流れ着く。救世軍に救われ、そこでイルマと出会う。やがて銀行強盗に遭遇したことがきっかけで身元が分かる。しかし妻の元に返ると、既に離婚が成立しており、妻には新しい男がいた。主人公はまたイルマの元に戻る。
カウリスマキのいつもの乾いた奇妙な雰囲気を持つ映画だが、ほのぼのとした温かみがある。コンテナ住居の周りには失業者たちがあふれている。社会の最底辺に生きる人たちが登場人物のほとんどだ。最初に世話になった男が、今日は金曜日だからディナーに行こうと主人公を誘う。行ってみると何と救世軍の配るスープをもらってくるだけだった。そこで救世軍に勤めるイルマと出会うわけだ。このあたりのほのかなユーモアの効いた演出が素晴らしい。このユーモアがこの映画に独特の温かみを与えている。救世軍のバンドに「世俗的な」曲を演奏させるあたりも面白い。イギリス映画によくある、気がめいる様な暗さはない。また、湿っぽさもない。独特の乾いた感覚がまた素晴らしい。社会の底辺に生きる人たちを温かく見守っている描き方が共感を誘う。イルマは主人公に「この世では慈悲ではなく、自力で生きねば」と話す。これがこの映画の底流となっている。
「炎/628」(1985年、エレム・クリモフ監督、ソ連)
これは1943年、ドイツ占領下の白ロシアを描いたもので、邦題はドイツ軍に焼き尽くされた村が628あったことから付けられた。最後の大虐殺の地獄絵図は言語に絶する迫真力で、見終わった後はしばらく口もきけな いほどだ。だがラストシーンの卓抜さによって、この映画は単なる怨念と恨みの物語を超えたものになっている。
主人公の少年は(この時には髪が白くなり、額には皺が深く刻まれ、くちびるは割れてふくれあがり、一日にして老人のようになっている)水溜りに落ちているヒトラーの写真を銃で撃ち続ける。撃つごとに当時のニュースフィルムが逆回転で映される。軍隊は後ろに行進し、投下された爆弾は次々に爆撃機の中に納まる。そしてニュースの中のヒトラーは少しずつ若くなり、最後は母親に抱かれた赤ん坊になる。その時少年は撃つのをやめる。何がこの赤ん坊を誤った信念に取りつかれた独裁者に変えたのか。時間を元にもどしてほしい、失われた家と人々をわれわれに返してほしい、という作者の思いが痛いほど伝わってくる秀逸なシーンだ。森の中を進んでゆくパルチザンの兵士たちの背にモーツァルトのレクイエムが流れるラストの感銘は、単なる怒りと告発の作品からは得られないほど深い。
見終わった後わずか20人にも満たない観客たちは、一様におし黙りうなだれるようにして、映画館の階段を下りていった。この作品を観て来た者の気持ちは、その原題にすべて語り尽くされている。「来たれ、そして見よ」。
「脱走山脈」(1968年、マイケル・ウィナー監督、アメリカ)
傑作だと思った。象をつれてアルプスを越える話だが、象は山の上は苦手だし、一頭だけでは眠らないのでもう一頭撮影に連れて行ったというエピソードからも、そもそも設定として無理がある話だということが分かる。しかしそれでも、映画としての面白さは損なわれていない。目立ちやすい象をつれてドイツ軍の追跡をかわしつつスイスへ脱出するという奇想天外のストーリーが、むしろこの作品の一番の魅力になっている。
このメインのストーリーに、アメリカ人の脱走捕虜(なつかしやマイケル・J・ポラード)をリーダーとするレジスタンス・グループの破壊活動が絡まりあってストーリー展開をより膨らませている。オリヴァー・リードのまじめなキャラクターとマイケル・J・ポラードの脳天気なキャラクターとのギャップもうまく作用している。今この映画はカルト的な人気があるそうだが、戦争ファンタジーとでも呼ぶべきジャンルを切り開いた傑作としてもっと正当に評価されてしかるべきだろう。
「最後の冬」(1986年、ウー・ツーニュウ監督、中国)
冬の終わり、一人の少女と二人の男女がゴビ砂漠にあるさびれた駅に降り立つ。駅で少女が農場はどこかと聞くが、駅にいた人々の反応がどこか異様である。何とか場所を聞き出して三人は歩き出す。しかしそこは砂と岩しかない荒涼とした所で、道らしいものすらない。彼らが目指している農場とは、地の果てとも思 われるところに設置された犯罪者労働改造農場だったのだ。この冒頭の描写が素晴らしく、フランチェスコ・ロージ監督の「エボリ」を思わせるが、こちらはもっと乾いており、文字通り何もない。
三人はそれぞれ自分の身内に面会に来たのだった。固く心を閉ざし、最後の別れのときやっと心を開く弟、母を思い出し泣き出す妹。肉親たちの現在と過去の対比は常套的で感心しないが、肉親を思う彼らの心が素直に胸を打つ。例えば面会を終えて農場の近くの宿舎に泊まっていた時、夜突然銃声が轟く。三人とも自分の肉親が脱走したのではないかと思って恐慌状態になる。まもなく囚人たちを集める号砲だということが分かり、一斉に笑い出しそれが涙に変わる。それを見て、事情を知らない女将が言う。「何てこったね。囚われている人たちより、囚われていない人たちの方がいかれてる。」なんともアイロニカルで、緊張と弛緩のドラマティックな展開が見事である。
翌朝、帰路につく三人は、いつの間にか一つの家族のように心を通い合わせていた。春の近いことを願いつつ駅に向かう三人の姿がさわやかだ。映像が美しく、深みがあり、また訪問者の中の少女がなまいきで可愛らしく、重くなりがちなムードを救っている。決して完璧な作品ではないが、忘れがたい一遍である。
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『過去のない男』、観ました。
暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負い記憶をなくしてしまった男。彼は港湾の
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イルマと出会う‥‥。
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そのあまりにも“暴力的過ぎる内容”に途中で頭が痛くなり、ついには
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» 独断的映画感想文:ホテル・ハイビスカス [なんか飲みたい]
日記:2007年8月某日 映画「ホテル・ハイビスカス」を見る. 2002年.監督:中江裕司. 蔵下穂波,照屋政雄,余貴美子,平良とみ,ネスミス. 「ナビィの恋」と同じ監督,おじいとおばあも同じ俳優が出... [続きを読む]
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