少女の髪どめ
2001年 イラン
監督、脚本:マジッド・マジディ
出演:ホセイン・アベディニ、モハマド・アミル・ナジ
ザーラ・バーラミ、ホセイン・ラヒミ、ゴラム・アリ・バクシ
「運動靴と赤い金魚」「太陽は、僕の瞳」に続くマジッド・マジディ監督の作品。どれも傑作なのはすごい。3作ともモントリオール映画祭でグランプリを受賞している。
冬のテヘラン。ラティフは建設現場で働く17歳の青年。短気で喧嘩っ早い性格だ。その現場ではアフガニスタン人が違法に働いている。ときどき査察があり、アフガニスタン人はそのたびにあわてて隠れる。ある時アフガニスタン人の一人が誤って2階から落下し怪我をする。翌日代わりに息子のラーマトが働きに来る。そのラーマトにお茶汲み仕事を奪われ、代わりにきつい仕事をさせられたため、はじめラティフはラーマトに意地悪をする。しかしある時ラーマトが女の子であることを知ってしまう。その時からラティフは彼女に引かれる。何かと彼女を助ける。次の査察のとき運悪くラーマトが見つかってしまい、それ以後はその現場ではアフガニスタン人は働けなくなってしまった。ラティフはたまたま見つけたラーマトの髪どめを帰そうと彼女の家を探す。やっと家を見つけたラティフは、金に困ったラーマトの一家に稼いだ金を全部渡してしまう。やがてラーマト(本名はバランでそれが原作の題名になっている)たちはアフガニスタンに帰ってゆく。一家がトラックで去った後、ラティフはぬかるみに残ったラーマトの足跡を見て微笑む。さりげない別れが切ない。
初めのうちは短気なラティフにいらいらするが、ラーマトに献身的に尽くすようになってからはそれも気にならなくなる。なぜ彼がそこまでするのか、何でそんなに彼がラーマトに惹かれるのかは分からない。個人の感情の問題だからだ。しかし彼や現場監督をはじめ、イラン人はアフガニスタン人に親切である。ラティフのラーマトいやバランに対する愛情にはアフガニスタン人に対する同情も混じっているだろう。彼がラーマトを探してアフガニスタン人居住区に行くあたりは、「運動靴と赤い金魚」で貧しい親子が裕福な地域を回って働き口を探す場面を思い起こさせる。ラティフは少女を探しに行き、社会を見るのである。
イラン映画にはイラン人以外にクルド人やアフガニスタン人などがよく登場する。市井の人々を描きながら他民族や他国人も視野に入っている。イランでは黒澤や小津が尊敬されているというが、なんでもない庶民を描きながらそこに社会的な広がりがある。子どもが主人公になることが多いイラン映画だが、子どもは常に大人の社会の一員として描かれている。ラティフのバランに対する愛情は自己犠牲をいとわない純粋なものだったかもしれないが、われわれは社会を通してそれを見るのである。冬のテヘランの街の美しい風景も忘れがたい。中国とも韓国とも違う独自の映画文化をイラン映画は築いてきた。日本映画も中国映画も韓国映画でさえも描いたことのない愛の世界が、ここには描かれている。映画の持つ美しさとは何かを考えさせられる映画である。
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少女の髪どめ
★★★★☆
建築現場で買出しに行ったり、お茶くみの仕事をするラティフ(ホセイン・アベディニ)。
ある日、建築現場で不法労働しているアフガニスタン人が転落事故に遭い、負傷した。
その代わりの労... [続きを読む]
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