アフガン零年
2003年 アフガニスタン、日本、アイルランド
監督:セディク・バルマク
出演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリフ・ヘラーティ
ゾベイダ・サハール、ハミダ・レファー
モハマド・ナデル・ホジャ、モハマド・ナビ・ナワー
最後まで観るのはつらかった。タリバンの無法振りには体中から怒りが噴出す思いだ。神の名を語りながら、人道にもとる非情な振る舞いを平気で行う。アメリカの侵略も非道だが、タリバンも許せない。つくづく日本は豊かで平和だと感じる。いくら不況だといっても日々命の不安に怯えることはない.。
映画の冒頭、男手をなくした女達のデモ隊が道を行進してくる。私たちは政治団体ではない、ただひもじいだけだ、働き口がほしいと口々に叫びながら。そこにタリバン兵たちが襲い掛かる。銃で威嚇し、水を浴びせる。主人公の少女とその母親はたまたまそのデモに居合わせていた。少女の一家は父親を失い、祖母と女三人で暮らしている。せめてこの娘が男の子だったら働けるのにと母親が嘆く。祖母が眠っている娘の髪を切って男の子に似せる。少女マリナは牛乳屋で働かせてもらうが、タリバンに無理やり召集されてしまう。軍事訓練などをさせられるが、特に印象的なのは男の子が初めて射精したときにどう体を洗うか教わるところだ。右の睾丸を3度洗い、次に左の睾丸を3度洗う。最後に「真ん中」を3度洗うのだと教えて、長老が自ら実践して示す。なんとも奇妙な風習だ。これはイスラム圏に一般に行われる風習なのか、それともタリバン独特のものなのか分からない。少女も無理やり風呂に入らされる。
そのことがあってから彼女は女っぽいと他の男の子からはやし立てられるようになる。彼女をかばってくれたのは、身寄りのない線香屋の少年だ。彼は木に上って男の子だと証明してやれとマリナに言う。彼女はうまく木に登ったが、一人では降りられない。そのうちタリバンに見つかってしまう。罰としてマリナは井戸に吊るされる。この場面には激しい怒りを覚えた。引き上げられると、彼女は初潮が始まり血が足を伝っていた。女の子であることが発覚したマリナは宗教裁判にかけられる。
裁判が始まり次々に判決が言い渡される。ビデオを映していたのでスパイだとされた外国人は銃殺にされた。次の女性は、罪状は忘れたが、石打で死刑にされた。地面に穴を掘り埋められている。マリナは罰は受けなかったが、無理やりある老人の嫁にされてしまう。老人はマリナを家に連れてくると門の中に入れて鍵をかける。各部屋に鍵をかける念の入れようだ。他にも無理やり彼と結婚させられた女性が何人かいた。初夜の場面で終わる。中国映画「紅夢」(コン・リーがもっとも美しかった頃の作品だ)も同じように無理やり売られてゆく女性の話だが、これほど悲惨ではない。
マリナを演じた少女は親を亡くし物乞いをしていたという。キャスト・スタッフ紹介でそれを知ったとき、思わず深いため息の様なものが口から出た。何ということか。人類に進歩はないのか。怒りと虚無感に襲われる。
監督はアフガニスタン人でソ連の傀儡政権時代にソ連で映画を学んだという。タリバン時代はパキスタンに亡命しており、タリバン政権崩壊後アフガニスタンに戻った人だ。これが長編映画第1作目。演出にやや拙いところがあるが、ストーリー自体の強烈さがそれを超えている。マリナの不安そうな、しかし強いまなざしが目に焼きついて離れない。今年観たもっとも重い映画だ。
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