大統領の理髪師
2004年 韓国
【スタッフ】
脚本:イム・チャンサン
監督:イム・チャンサン
撮影:チョ・ヨンギュ
【出演】
ソン・ガンホ、ムン・ソリ、イ・ジェウン、チョ・ヨンジン
ソン・ビョンホ、パク・ヨンス
リュ・スンス、ユン・ジュサ
チョン・ギュス、オ・ダルス
傑作である。ホーム・コメディに政治風刺を盛り込むという困難な試みを見事成功させている。韓国映画と言えば「冬ソナ」の影響もあって恋愛映画をまず思い浮かべる人も多いだろうが、韓国映画はベトナム戦争(「ホワイト・バッジ」等)や南北問題(「JSA」等)といった政治的テーマにも果敢に挑んできた。しかし軍事政権が国民を抑圧していた軍事政権時代を直接テーマとして描いた作品は少ない。少なくとも日本ではほとんど紹介されていない。映画の中でも、DVDに収録されたインタビューの中でも「つらい時代」という表現が何度も出てくる。60、70年代は韓国国民にとってあまり思い出したくない時代なのだろう。しかしいつかは取り組まなければならないテーマだった。
まだ30代の若いイム・チャンサン監督は、コメディ・タッチの風刺劇という手法を用いることでこの悪夢の時代を映画の中に取り込むことに成功した。チェコのヤン・フジェベイク監督がナチス占領時代をコメディ・タッチで描いた「この素晴らしき世界」と同じ手法である。直接経験した世代ではなく、後の世代だからこそ出来る描き方である。韓国映画は20年以上の時を経て映画の中でようやくこの時代と向き合うことが出来たのだ。そういう作品なので、ここではストーリーの細かい紹介は最低限にとどめ、この映画の歴史的意味を中心に考えてみたい。
まず、政治風刺を上で強調したが、そうは言っても、この映画は基本的にホーム・コメディである。主人公は床屋のソン・ハンモ(ソン・ガンホ)。ハンモの発音が「豆腐一丁」とどうやら同じらしく、それがあだ名になっている(日本人には渥美清が自分の顔を下駄にたとえるように、顔が四角いから「豆腐」だと考えた方が分かりやすいが)。その彼がひょんなことから大統領の理髪師に抜擢されてしまう。時代は過酷な圧政を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代。その時代の庶民生活がよく再現されている。大統領と床屋と言うとチャップリンの「独裁者」が連想されるが、むしろこの庶民的雰囲気は日本のテレビドラマの名作「私は貝になりたい」(1958年)に近い。主人公も同じ床屋だし、演じているのも日本のソン・ガンホ、フランキー堺である(と言うか、ソン・ガンホを韓国のフランキー堺と呼ぶべきかも知れない)。
大統領官邸がある街の住民であることをソン・ハンモは素朴に誇りに思っている。街の有力者の言うがままに投票し(勝利のVサインを2番目の候補に丸をつけるという意味と勘違いし、あわてて消して1番目の候補に丸をつける場面は傑作だ)、不正選挙に加担したりもする。
全くこの時代には今では信じられない様なことが起こっていたに違いない。共産主義アレルギーが過熱し、ただの下痢を「マルクス病」と騒ぎたてて大量弾圧するあたりは滑稽に描かれているが、恐らく同様のことが実際にあったのだろう。ソン・ハンモの息子さえ下痢を起こしたために引き立てられてゆく。このあたりから家族や親子の関係がクローズアップされる。しかし最後まで政治問題と家族問題を切り離さなかった。この映画が優れているのはその一貫性にある。ハンモの息子の拷問シーン(と言っても本人はくすぐったがっているだけだが)はやりすぎだという感じがしたが(拷問の担当者が踊り狂う場面は笑えない)、このあたりのさじ加減は確かに微妙で、リアルすぎてもいけないし、茶化しすぎても逆効果である。微妙なさじ加減は韓国人と日本人とでは感じ方が違ってくるかもしれない。
この映画の成功は主演のソン・ガンホ抜きには考えられない。日本で言えば、フランキー堺や渥美清に近いタイプだが、芸域は広く、何をやらせてもうまい。しかし一番似合うのはやはりコメディだろう。どこか鈍臭く、ドジで無教養だが、愛情と人間味あふれる父親。まさに彼のはまり役である。美男美女ひしめく韓国映画界にあって、アン・ソンギやハン・ソッキュと並ぶ主演級演技派俳優として独自の境地を切り開いている。世界的レベルで見ても得がたい役者だ。ソン・ガンホの出演作に駄作はないという法則に未だ例外はない。
監督のイム・チャンサンはこれが初監督作品。前にもどこかで書いたが、韓国映画では初監督作品によく出会う。映画人養成機関がうまく機能している表れだろう。しかも一発屋で終わる事は少なく、ほとんどの監督が高い水準を保ったままその後も製作を続けていることは特筆に価する。スターや花形監督が特別扱いされるようなスターシステムが出来て映画界が歪められるようなことがなければ、韓国映画の勢いは当分続くだろう。
それにしても、長い戦争時代を耐え抜いてきた日本の国民が戦後も長い間しなやかさとしたたかさを身につけていたように、韓国の庶民も圧政の下で苦労に耐える力を蓄えしぶとく生き抜いてきた。韓国国民の苦労は日本人の比ではない。第二次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争を経験し、今なお南北問題をかかえている。それに加えて93年まで軍人を大統領に戴き、内政面でも苦労の連続だった。軍人から文民に大統領が代わった後も様々な政治の不正・腐敗が発覚した。90年代の終わりから世界的レベルの映画を次々に生み出し、「冬ソナ」を始めとするテレビドラマもアジアを席巻するようになり、韓国は今やわが世の春を謳歌しているように見える。しかしついこの間まで韓国国民は苛烈で腐敗がはびこる政治の下で長い間呻吟していたことを忘れてはならない。「大統領の理髪師」のしなやかさの背後に強靭な批判精神がある事を見て取らねばならない。
ソン・ハンモは新しい大統領全斗換(チョン・ドゥファン)に呼び出され、髪を切ろうとするが、はげ頭を見て「髪が伸びたらまた来ます」と言って拒否する。そのため彼は文字通り袋叩きにされる。痛い目にはあったが気持ちは晴れた、と息子のナレーションが伝えている(韓国の観客はここで大いに溜飲を下げたことだろう)。こうして彼も「つらい時代」を乗りこえたのだ。そこで腐れ縁を断ち切ったからこそ、息子と二人で並んで自転車をこぐラスト・シーンがひときわ感動的なのである。
映画は全斗換(チョン・ドゥファン)が権力を掌握するところで終わるが、圧制はなおも続く。有名な光州事件が起きたのもチョン・ドゥファン大統領時代だ。チョン・ドゥファン政権は88年まで続いた。その後に大統領に就任したノ・テウもまた軍人であった(前よりましにはなったが)。韓国国民は93年に金泳三(キム・ヨンサム)による文民政権が生まれるまで、なお13年間も軍人による政治に耐え忍ばなければならなかったのである。
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メルさん コメントありがとうございます。
「大統領の理髪師」はファミリードラマとしても優れていますが、韓国人が歩んできた道のりを理解する上でも重要な作品だと思いました。そのあたりを強調してみたかったのです。
公開中の新作を取り上げることは滅多にないのであまり参考にはならないかもしれませんが、よろしければまたお立ち寄りください。
P.S.
「ビフォア・サンセット」のレビュー、興味深く読ませていただきました。前から借りようかどうか迷っていたのです。おかげさまで借りる決心が付きました。ありがとうございます。
投稿: ゴブリン | 2005年11月17日 (木) 21:47
初めまして♪TBありがとうございましたm(_ _)m
今、記事読ませていただきましたが ほんとにいろいろなことを詳しく書いてくださってて とてもお勉強になったり、楽しませていただいたり、でした♪
これからもちょくちょく寄らせて頂きます♪
投稿: メル | 2005年11月17日 (木) 09:55