寄せ集め映画短評集 韓国映画10連発
威勢のいいタイトルですが、日記に書いた短い映画の感想を集めただけ。大体1年前くらいのものです。在庫一掃セールの様なものだと思ってください。良いとか悪いとかいう程度のことしか書いてません。読み飛ばしてもらって結構です。
「二重スパイ」(2003年、キム・ヒョンジョン監督)
ハン・ソッキュが南に潜入した北朝鮮のスパイ役を演じている。冒頭のベルリンでの亡命劇が実にシャープで迫力ある演出で、ぐいぐいと観客を引き込んでゆく。それに続く韓国側の拷問シーンも迫力がある。アメリカ映画の独壇場だったバイオレンス・タッチを見事に自家薬籠中のものにしている。スパイの疑いも晴れ、ハン・ソッキュは韓国側のスパイ養成教官を務めることになる。このあたりまで彼が本当の亡命者なのかスパイなのかはっきり分からない。
しかしラジオの女性アナウンサーが実は北のスパイで彼に連絡を取ってくるところから彼の正体が明らかになる。そこから彼の正体がばれずにうまく任務を果たせるのかどうかが焦点になり、緊張した場面が続くことになる。このあたりの演出も見事だ。やがて彼と女性スパイは互いに惹かれあうようになる。しかし彼女が幼い頃から慕っていた老医者(彼も北のスパイ)が捕まり、彼女は彼を抹殺する指令をハン・ソッキュに伝えねばならなくなるのだが、情に流され指令を伝えなかった。そのためハン・ソッキュまで北から裏切り者とみなされる。その頃彼らの正体もばれ、彼らは北と南両方の諜報機関から追われることになる。
何とか彼らは脱出に成功する。南米に逃れてしばらくは二人で幸せな生活を送っているが、ある日彼は暗殺者に殺されてしまう。何も知らない女性(コ・ソヨン)は家で彼の帰りを待っている・・・。ハン・ソッキュがコ・ソヨンの裏切りを責めたとき、コ・ソヨンが言った「北でも、南でもないところに行きたい」という言葉が切ない。同じスパイものである「シュリ」は泣かそうとする演出が興醒めだったが、こちらはその幣を免れている。その点でこの作品の方が出来は上だ。韓国製スパイ・アクションものの傑作である。
「ペパーミントキャンディー」(1999年、イ・チャンドン監督)
何か犯罪アクション・ドラマだと思っていたが、まったく違っていた。20年ぶりに川辺に集まってピクニックをしているグループに、かつてその仲間の一人であった男がフラッとやってくる。彼は狂ったように叫びまくったかと思うと、線路に上がり電車に轢かれて自殺する。
映画は彼の過去をたどり始める。一気に過去にさかのぼり現在まで戻るのではなく、5年前、15年前、20年前と少しずつ過去にさかのぼってゆく構成が新鮮である。彼はかつて警察官であった。その後警察をやめ商売を始める。しかし妻に裏切られ、信用していた男に金を持ち逃げされ、男は人生に絶望する。その彼の20年前、初恋の人がいた。まだ人生の苦難を知らない20年前の彼と初恋の人との心の交流は、限りなく美しい。転落して行った男と、その過去を描いた名作である。
「カル」(1999年、チャン・ユニョン監督)
よく出来た連続猟奇殺人もの。血なまぐさい映画だが、こういう映画は好きだ。不気味な雰囲気がいい。あまり説明がないので事件の真相はよく理解できなかったが、物足りない感じはない。切れのいい演出、なかなか底が割れない謎の深さ。ホラー・サスペンス物の一級品だ。「八月のクリスマス」のコンビ、ハン・ソッキュとシム・ウナが再び競演している。ハン・ソッキュはここでもいい演技をしている。彼の存在感はどんな役を演じても薄れることはない。すごい俳優だ。
「接続 The Contact」(1997年、チャン・ユニョン監督)
またまたハン・ソッキュ主演。1997年の映画で、当時盛んだったコンピュータでのチャットが重要な要素として使われている。主人公2人は最後の最後まで互いに顔も知らず、チャットだけで連絡を取り合う。何度かすれ違ってはいるのだが互いに相手だとは気づかない。すれ違いの恋愛劇だ。しかもそれぞれに思いを寄せる人がいる。
2人をつなぐものとしてベルベット・アンダーグラウンドの古いレコードがうまく使われている。ハン・ソッキュはラジオ番組のディレクターで、そのレコードの中の「ペイル・ブルー・アイズ」をラジオで流す。この曲が劇中何度も流れる。実に効果的に使われている。決して悪くない映画だが、やはり最後までメインの2人が会わないというのはインパクトが弱くなる。最後に2人が映画館の前で待ち合わせるシーンでは、ハン・ソッキュはその場に来ているのだが、声をかけそびれて近くの喫茶店からジッと彼女を眺めている。何時間も彼女は待ち続け、あきらめて帰ろうとしたときにやっと彼が声をかける。相当無理な設定だ。引き延ばし作戦もここまでやればいやみだ。相手の女性が女友達とその恋人と3人で同棲していて、しかも友達の彼に横恋慕しているという設定も無理がある。
いい雰囲気を出してはいるが、総合点としては4点といったところだ。ハン・ソッキュはここでもにこやかな物静かな人物として登場している。これが彼の基本のイメージなのだろう。
「春の日は過ぎ行く」(2001年、ホ・ジノ監督)
「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督作品だが、がっかりした。男女の恋愛もので、結局は最後に分かれる。男は未練たらたらでいつまでも女に付きまとう。女は女で男と離れてゆく理由がはっきりしない。別れてくれと言ったかと思うとまた男のところに現れる。なんて自分勝手なやつだ。男にも女にも共感出来なかった。こういうはっきりしない映画は嫌いだ。女はイ・ヨンエだが、カメラは決して主人公たちをクローズアップで撮らない。突き放した描き方をしたかったのだろうが、「プラットホーム」と同じで成功していない。
男の家族は祖母とおじ夫婦と一緒に住んでいるが、特に祖母は意味ありげに何度も登場する。祖母は死ぬ前に泣きじゃくる孫に向かって「去ってゆくバスと女は追いかけてはいけない」と忠告する。これを描きたかったのだろうか。確かにその後はあれほど未練たらたらだった男が、またよりを戻そうとする女を拒否する。しかしどうも主人公たちの恋愛にうまく絡んでいるとは言えない。男は自然の音を採集する録音係だが、仕事の関係でラジオのDJをしている女と知り合う。二人が次第に接近してゆく前半のあたりはいいのだが、後半の別れるまでがいらいらしどうしだった。まあ恋愛に理屈はないのだろうが、主人公たちに共感できなかったことは大きなマイナスだ。
「美術館の隣の動物園」(1998年、イ・ジョンヒャン監督)
こちらはなかなかよかった。韓国映画得意のラブ・ロマンスである。シム・ウナとイ・ソンジェの2人の主役がいい。特にシム・ウナは彼女のかわいらしさが一番良くでていると思う。
韓国映画のラブ・ロマンスはシナリオがうまい。実に特異な状況を設定して、ありきたりの恋愛物になってしまうのを巧妙に避けている。しかも決して不自然さを感じさせない。また今の日本映画のようなひねた感情がなく、ストレートに恋愛を描いているのが却って新鮮に映る。男が昔の彼女のアパートを訪れるがそこには別の女性が住んでいたという設定(前に日本のテレビドラマに同じ設定のものがあったが)、二人が反発しあいながらも共同でシナリオを書き、それが劇中劇として入り込む(しかも劇中劇の主人公はともに主人公2人の思い焦がれる男女だという設定)という演出。これが見事に効果を発揮している。それもそのはず、もともとシナリオ・コンクールで賞を取ったシナリオを基に、そのシナリオの作者が監督したという映画である。「イルマーレ」「八月のクリスマス」と並ぶラブ・ロマンスの傑作だ。
「帰らざる海兵」(1963年、イ・マニ監督)
出だしはまるで「史上最大の作戦」だ。それに続く戦闘場面もすさまじく、なかなかの出来だ。敵が潜んでいる建物を制圧したとき一人の女の子を助ける。どこにも預けられないのでそのまま部隊と一緒に連れてゆくが、その女の子が兵隊たちのアイドル的存在になる。そして兵隊たちの悲惨な運命をより印象づける存在として使われる。やや強引でわざとらしい設定だが、ある程度成功している。
最初の戦闘場面の後はしばらく兵隊たちの日常生活が描写される。そして最後に大規模な戦闘場面が来る。陽動作戦のおとりの役割をさせられた彼らは3人を除いて全滅する。後から後からまるで地から湧いてくるような中国軍の数に圧倒される。女の子に一人一人あだ名をつけられた兵隊たちもみんな死んでいった。悲惨なラストである。
1963年の映画だ。戦闘場面などはアメリカ映画から多くを学んでいるのだろう。「プライベート・アイアン」を見た目からしてもまったく遜色ない迫力である。また演技や人物描写には日本映画からの影響も見て取れる。不毛といわれた時代の映画だが、アメリカ映画と日本映画から真摯に学んですぐれた作品を作り上げた。賞賛に値する作品だ。
「インタビュー」(2000年、ピョン・ヒョク監督)
あまり面白い映画ではなかった。インタビューという独特の形式がそもそも面白くない。監督役のイ・ジョンジェが憧れている女性の役をシム・ウナが演じているが、どこか影がありいつもくらい表情をしている。最後に彼女の恋人が死んでおり、彼女はその喪失感から抜け出せていないことが分かる。事情は分かったが面白くないことに変わりはない。設定が野暮だった。ここ数週間に見た10数本の韓国映画の中では唯一の凡作だ。まあ期待度も一番低かったから意外ではないが。
「リベラ・メ」(2000年、ヤン・ユノ監督)
こちらは良かった。さほど期待していたわけではなかったが、予想を上回る出来。「バック・ドラフト」と似た映画だと予想していた通り、火事と炎の映像は当然ながらよく似ている。ただしCGは使わなかったそうだ。迫力とぐんぐんひきつける演出も期待以上だった。
連続放火犯人と消防士たちとの戦いという設定になっている点が「バック・ドラフト」とは違っている。犯人は冒頭から示されている。犯人役のチャ・スンウォンがなんとも憎々しげで出色のでき。精悍な顔の消防士チェ・ミンスも印象的だ。もっとも、最後の犯人との一騎打ちで散々ぶちのめされてしまうのでがっかりしたが。最後に勝つことは勝つが、その頃には観ているほうは犯人に対して激しい憎しみを感じているので犯人こそぶちのめしてほしかった。
また、子供時代のトラウマが犯行を引き起こしたという設定は、これだけの犯罪を説明するにはありきたりで物足りない。しかし火災との戦いに犯人との戦いが重なり合い、緊張した場面が続く展開は娯楽アクション映画としては秀逸な部類だ。この面では韓国映画人はアメリカからしっかり学んでおり、時には本家を超えていると感じさせることがある。
「グリーンフィッシュ」(1997年、イ・チャンドン監督)
韓国で各種賞を総なめにした映画だというので多少期待したが、がっかりした。どうも主人公のマクトン(ハン・ソッキュ)に共感できない。「友へ・チング」のように不可避的にギャングの世界に入り込まざるを得ないわけではなく、抜け出ようと思えばそうできたはずだ。無論除隊後の無職状態という前提もあるが、ある意味ではミエというギャングの情婦に引かれてしまったということなのだろう。あるサイトの書き込みに、ハン・ソッキュが最後の頃には表情が変わってきて、いつもの凄みのある男に変身していることを評価する意見があった。確かに変わってはいくがそれほど凄みはない。女に付きまとい、付きまとわれてふらふらしたまま煮え切らない状態である。
ギャング映画に家族というファクターを入れたことも高く評価されているが、完全に悪に染まらないままずるずる引きずられるようにしてはまり込み、無駄に死んでいっただけである。家族が営む料理屋が彼の夢の実現として描かれる最後の場面(そこに彼はいない)も誉められているが、それまでに感情移入していなければその場面も特にどうということもない。ボスのペ・テゴンの凄みが際立つだけに、マクトンのにやけた顔が情けなく見える。
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