この素晴らしき世界
【製作年度】2000年
【製作国】チェコ
【スタッフ】
製作:オンドジェイ・トロヤン
原作:ペトル・ヤルホフスキー
脚本:ペトル・ヤルホフスキー
監督:ヤン・フジェベイク
音楽:アレシュ・ブジェジィナ
撮影:ヤン・マリーシュ
【出演】
ボレスラフ・ポリーフカ、アンナ・シィシェコヴァー、ヤロスラフ・ドゥシェク
チョンゴル・カッシャイ、シモナ・スタショヴァー、イジー・ペハ、イジー・コデット
チェコ(チェコスロバキア)というと世界的なレベルの人形アニメが有名だが、映画となると「春の調べ」(1932)、「マルシカの金曜日」(1972)、「スイート・スイート・ビレッジ」(1985)、「コーリャ愛のプラハ」(1996)が思い浮かぶ程度で、ほとんど日本では知られていないと言っていい。 そのチェコから2000年に素晴らしい映画が生まれた。おそらく「この素晴らしき世界」はチェコスロバキア時代も含めてチェコの生んだ最も優れた映画であろう。
ナチ占領下のチェコの小さな町。ヨゼフとマリエ夫婦は収容所から逃げてきたユダヤ人青年ダヴィドをかくまうことになる。そこから彼らの恐怖と苦悩の日々が始まる。ユダヤ人をかくまっていることが分かれば彼らも命はない。警戒しなければならないのはドイツ軍ばかりではない。同じチェコ人からもいつ密告されるか分からない。一瞬も気を許せない、誰も信用できないぎりぎりの極限状況。この状況を端的に表しているのは、いつも食糧庫に隠れ続けているダヴィドを慰めようと彼に言ったマリエの言葉である。「私と夫は広い独房にいるだけよ。」閉じ込められているのは彼女たち夫婦も同じである。いや、ナチ占領時代はチェコスロバキア全体が牢獄だったのだ。
「アンネの日記」とほぼ同じ状況だが、このような状況下の人々を描いた作品はこれまでたくさん作られてきた。優れた作品が多いが、いずれの作品も重苦しい状況をただただ悲惨に描いただけではない。「この素晴らしき世界」もこの重苦しい時代を独特のユーモアを交えて描いた。別にヨゼフがユーモアにみちた明るい性格だというのではない。むしろ彼はとんだお荷物を背負い込んで妻に当り散らしていることが多い。妻のマリエは明るくしっかりものだが別に笑いを引き起こすわけではない。そうではなく彼らを見つめる視線にユーモアがあるのだ。例えば、ダヴィドが彼らの家に匿われた最初の夜、ダヴィドは「この厄介者をどうしたら良いのか」という夫婦の会話を漏れ聞いて暗い顔をするが、実は「この厄介者」とはダヴィドの邪魔にならないように食糧庫から取り外してきた大きな豚の肉のことである。このユーモアは対象との距離のとり方から生まれている。自分たちが直接体験した事実を語るのではなく、自分たちの祖父母の世代が体験した事実を描くという距離感がそこにある。中国の文革時代を描いた「芙蓉鎮」のような息苦しいほどの直接性はない。だから悪いと言っているのではない。この微妙な距離感が却って活きているのである。そしてその視線の背後には、悲惨な状況の中で必死に生きようとする人々のたくましさと肝心なところでは人を裏切るまいとする誠実さに対する温かい思いが込められている。それとなく取り入れられているこのコメディ的味付けが重苦しさをかなり軽減している。このさじ加減を間違えると「ライフ・イズ・ビューティフル」のような中途半端な作品になってしまう。
不安と恐怖に焦点を当てているので本当に悲惨な場面は出てこない。ダヴィドが彼の家族の悲痛な運命を語る場面だけにとどめている。短い場面だがそれは強烈だ。彼の妹はKAPO(注)になったため多少待遇はよくなったが、ドイツ兵に両親を殴り殺せと命じられたのだ。娘を救おうと両親は彼女に殺してくれと言ったという話には胸を締め付けられる思いがする。
誰に裏切られるか分からない緊迫した状況を描きながらも、人を単純に善人と悪人に分けてはいない。密かにマリエに心を寄せるホルストといういやな男がこの夫婦にまとわりついているために観客ははらはらさせられるが、最後にヨゼフはこのホルストを救う。ホルストも芯から卑劣な男ではなく、危ういところでヨゼフとマリエ(同時に隠れているダヴィドも)を救っている。ホルストは早い段階でヨゼフたちが誰かを匿っていることに気付いてはいたが、密告はせずにずっと黙っていたのである。黙っていたのはマリエに対する下心があったからだろうが、最後には本当に彼らを守りたいという気持ちに変わってゆく。このあたりの人間描写は見事だ。
ヨゼフとマリエの不安と恐怖が終わったのは町がナチスから解放された時だ。ドイツ軍が去った後は逆にドイツ軍協力者が次々に引き立てられてゆく。容赦ない報復が始まった。ナチスに協力した裏切り者たちの背中には鍵十字の印が書かれている。ユダヤ人にダビデの星を付けた様に。立場は逆転したが、同じことが繰り返されている。しかし瓦礫の中から再建の槌音が響く町を、生まれたばかりの赤子を乳母車に乗せて歩いているヨゼフの表情は明るい。暗澹たる現実を描いた後に、さながら希望の象徴のように子供の誕生が描かれることは多い。その限りではステレオタイプなのだが、赤ん坊を腕に抱えて空を見上げるヨゼフの姿はやはり感動的である。マリエという名前はマリアのチェコ語読みで、その赤ん坊はイエスの誕生を思わせる。ボスニア、アフガニスタン、イラクと紛争が絶えない現実を見るにつけ、未来に希望を託すという気持ちには共感を覚えないわけには行かない。
生まれた赤ん坊の未来は果たしてどんな世界なのか。いや、現在のわれわれの視点から見ればその子が生きた時代は既に過去のものである。だが戦後50年以上たってから戦争中のことを語るのは単に過去の歴史として振り返るためだけではないだろう。この映画が作られた2000年という年は20世紀最後の年だ。生まれた赤ん坊の未来とは21世紀に生きるわれわれの未来と重なると受け取ることも可能だ。いやこの映画はそう問いかけているに違いない。改めて問い直そう。この赤子の歩む先には、「怒りの葡萄」のラスト・シーンでトム・ジョードが向かって行ったような明るい夜明けの空が待っているのだろうか。
(注)KAPO:字幕では「囚人班長」と訳されている。KAPOとはもともと収容所の秩序を維持するためにその「班長」が使う棍棒のことだが、そこから「班長」そのものも指すようになった。KAPOは特にナチスに協力的な囚人の中から選ばれるので、囚人たちからはナチス以上に嫌われている。「アルジェの戦い」で知られるジッロ・ポンテコルヴォ監督の「ゼロ地帯」(1960)という映画があるが、その原題は“KAPO”である。特に前半の酷烈なタッチはまれに見るほど強烈である(後半は残念ながら甘くなってしまうが)。
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はじめまして。チェコ映画祭について検索していてたどり着きました。まだ観に行ってないくせに,TBさせていただきました~。
この作品,映画祭開催にあたってのチェコ市民の人気投票でも一位だったそうですね。
私は『ライフ・イズ・ビューティフル』の中途半端さがどうも肌に合わなかったため,この作品にはかなり期待しています。
投稿: バウムクウヘン | 2005年8月31日 (水) 17:57