スペイン映画の名作「エル・スール」
1983年 スペイン・フランス
監督、脚本:ヴィクトル・エリセ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン
イシアル・ボリャン、オーロール・クレマン
長い間スペイン映画といえば「汚れなき悪戯」や「愛のアランフェス」くらいしか思い当たらず、また事実あまり上映される機会もないという日陰の存在だった。これは故無きことではない。1932年にルイス・ブニュエルがドキュメンタリー手法で撮った「糧なき土地」を作り、内戦が始まる1936年頃にはスペイン映画は観客の間で成功を収めつつあった。野心的な計画も立てられ始めていたのだが、スペイン市民戦争の勃発によりその芽は未然に摘み取られ、以後再びスペインに民主主義が戻るまでの40年の間、スペイン映画は長い「冬眠状態」にあったからである。フランコ時代のスペイン映画史は、その重要な側面において、検閲との戦いの歴史であり、国家からの補助金獲得のための戦いの歴史であった。理不尽な規制がさまざまな形で映画人に加えられていた。劇映画上映の際にはNO-DO社のニュース映画が併映されねばならず、そのためにドキュメンタリー映画は極端にその上映の場を狭められてしまった。国産映画1本に対し外国映画数本の割合でプログラムを組むことが義務づけられていた--1944年には1対5、1955年には1対3、1977年には1対2になっている。しか も国産映画が上映されるのはあまり客が入らない時期が多かった。国産映画には「国家利益」1級、2級、3級の等級がつけられ、その等級に応じて補助金が支 給された。「国家利益」という言葉は日本の戦時中を連想させよう。その他検閲のために上映禁止にされたり、手直しを余儀なくされた例は映画史の随所に見いだせる。
だがこういった厳しい状況の中でもスペイン映画は決して死んではいなかった。ファン・アントニオ・バルデム、ルイス・ガルシア・ベルランガ、カルロス・ サウラ等のネオ・リアリズモの伝統の上に立つ巨匠たちをはじめ、今日でも色あせない傑作がいくつも製作されている。だが、もちろんスペイン映画が花開いたのは独裁者フランコの死後である。75年から80年代にかけて次々と新しい才能が生まれ、フランコ時代から活躍していた世代ともあいまって、堰を切ったように傑作を作りだし始めた。77年から78年にかけて、そして再び83年頃から、スペイン映画は数多くの国際映画祭で受賞し始めた。そのスペイン映画の波が日本にも及び始めたのは1984年頃からである。先に名をあげたカルロス・サウラ(かれはスペイン映画史の中で最も多く名前が出てくる監督である)の「カルメン」が公開され話題になってからである。
「エル・スール」という作品を理解するには、まず以上のことを念頭に置いておかなければならない。この時代のスペイン映画の多くがそうであったように、内戦は「エル・スール」(82年)にも暗い影を落としている。この映画は84年の11月に渋谷の東急名画座で開催された「スペイン映画祭」の上映作品の1本として初めて日本で公開された。映画祭当時は短期間の上映だったため、あまり評判にならなかったが、観てきた人々を通じてその感動は急速に多くの人々に広がっていった。監督のビクトル・エリセはスペイン映画史上の傑作といわれる「ミツバチのささやき」(73年)によって一躍知られるようになった人である。「エル・スール」はその10年後に作られた長編第二作である。内戦の陰はその題名の中に暗示されている。「エル・スール」とは「南」を意味し、ヒロインであるエストレリャは過去を語りたがらない父と南部の間に何か関係があることに気づく。エストレリャはその謎の答えを、父の乳母であったミラグロスと祖母の二人がエストレリャの聖体拝受のために彼女の家にやってきた時に知る。夜寝室の中でエストレリャはミラグロスになぜ父が南部に行かないのか、なぜ祖父と仲が悪いのか、その理由を尋ねる。ミラグロスの答えはこうだった。「共和国が...つまり戦争の前はね...おじい様は悪い方の側で、パパは良い方の側だったの...。ところが後になって、フランコが勝つと、おじい様は聖人、パパは悪魔ということになってしまったというわけ...。」内戦の影が暗示されるのはここともう一カ所だけだが、ミラグロスの言葉はエストレリャの父の過去に重要な手掛かりを与えている。
エストレリャの父アグスティン(テオ・アンゲロプロスの「アレキサンダー大王」や、「父パードレ・パドローネ」、「サン・ロレンツォの夜」、「カオス・ シチリア物語」等一連のタヴィアーニ兄弟の作品で忘れ難い演技を見せたオメロ・アントヌッティが扮している)は結末近くで突然自殺してしまう。その理由は 明らかではないが、彼がかつて愛していた女性、今ではイレーネ・リオスという名で女優になっている女性と関係があったらしいことが暗示される。この女性との過去と内戦が関係していることもほぼ明らかだ。エストレリャは父がリオスの出ている映画を見た後、彼女に手紙を書いているのを見てしまう。そして後に、エストレリャは父と最後にあった日に、父にそのことを打ち明ける。その翌朝にアグスティンは突然自殺してしまうのだ。
映画はその後しばらく続き、エストレリャが静養のために南へ向かうところで終わる。父の死の原因は最後まで完全には明かされない。なぜ父は娘に心の秘密 を打ち明けなかったのか。なぜ娘は父親を理解できないのか。父に母親以上に愛した女性がいると知った時から、娘は父に距離を感じるようになる。父のオートバイに同乗させてもらって無邪気に喜んでいた少女は、外のブランコにゆられながら二階の窓に映る父の影を遠くから眺める娘に変わった。父は悩んでいるが、娘にはその悩みを共有できない。父は悩みを語りたくないのではなく、おそらく語り尽くせないのだ。自殺する前、父は娘に何かを語ろうとしていた。だが、父娘の間には語り尽くせぬだけの時間と経験の隔たりがあった。おそらく父親は過去の思い出のためではなく、過去から引きずっている傷とそれが心に与える懊悩 を妻や娘と共有できない苦しみのために、死を選んだのだ。彼もまた内戦によって「引き裂かれ」た、「失われた」世代なのだ。
娘にとって「エル・スール」とはあこがれの地、父親の秘密の鍵が埋もれている地、花が咲き乱れ、噴水と回教風の柱廊があり、陽光にあふれた地である。父 にとって「エル・スール」とは、かつて自由と民主主義のために内戦を戦い、後に別れることになる女性と愛を交わし、敗戦を経験し、祖父が聖人と崇められている地である。だがこの認識のずれは越えがたい壁ではない。一部の批評家にはこの作品をペシミスティックだという者もいるが、そうではない。この作品は父親を描いたのではなく、父親と父親を知ろうとする娘を描いたのだ。映画の視点は父親の視点ではなく娘の視点である。父親は死んだが、娘には未来がある。「エル・スール」がペシミスティックでないのは、それが娘の視点で描かれているからであり、その娘がある時点で父親から自立しているからである。父親は死んだが、その後でも父親の心理と過去を探求することは可能だ。南へ向かうことでそれは可能になるだろう。南は作品の中に最初から存在していた。内戦時代が常に現在の中に潜んでいたように。描かれた世界は時間的にも空間的にも限定されているが、同時にこのような広がりをもっている。南と北をつなぐのは、父と彼のかつての恋人との間に交わされた手紙だけではない。祖母とミラグロスが南からやってきた道は、また南へとたどることもできる。エストレリャはその道をたどって、ビクトル・エリセ自身が語っているように、「父の過去の基本的事実や人物」を知ると同時に、「自らのアイデンティティーを確立」するための旅に赴くのである。エル・スールへと向かって。
1987年1月26日執筆
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