今井正「にごりえ」
1953年 文学座・新世紀映画
監督:今井正
原作:樋口一葉
脚本:水木洋子、井手俊郎
出演:田村秋子、久我美子、中村伸郎、淡島千景、杉村春子
山村聰、宮口精二
「東京物語」(2位)「雨月物語」(3位)を抑えて、キネ旬のベストテン1位に選出された作品。紛れもない傑作である。「十三夜」、「大つごもり」、「にごりえ」の三話を収録したオムニバス形式。20年近く前に一度観てほとんど忘れていたが、「十三夜」の人力車の場面だけぼんやり覚えていた。嫁いだ先で夫やその家族に散々いびられ実家に逃げ帰ってきたおせきを、父親が諭して家に帰す。その帰りに乗った人力車の車夫がむかしの幼馴染の録之助だった。長じておせきは裕福な家に嫁ぎ、録之助は酒におぼれてしがない車引きになっている。しかし言葉の端々から、むかしは好きあっていた仲だということがそれとなく分かる。録之助は会えただけでうれしいといって別れる。それだけの話だ。しかしおせきが車に乗らず一緒に昔のことを話しながら歩いて行く場面は実に美しい。この場面だけぼんやり覚えていたのもうなずける。
しかし何がそんなに素晴らしいのか。そこで交わされるのはなんでもない話に過ぎない。にもかかわらず忘れがたい印象を残す。今井の演出も素晴らしいのだろうが、なんでもない人生の一齣を見事に切り取った樋口一葉の原作が見事だったに違いない。なんでもない会話の中に、かつての2人の親密な仲を浮かび上がらせ、かつその後の人生の変転を経て今では大きく身分が違ってしまった運命の皮肉をそこはかとなく感じさせる。録之助が相手を呼ぶ時の「ご身分が高い方」というせりふがそれを表している。あるいは録之助が女房とは離縁したといったときにおせきが一瞬見せるはっとした表情。どうということのない日常的な会話の中に、話された言葉以上の深い思いが込められている。泣くでもなく、叫ぶでもない。にもかかわらず二人の胸に去来する思いを察することが出来る。日本人が昔から得意としてきた表現法だ。それが見事に映画として再現されている。小津にも通じる、あるいはそれ以上の優れた演出だ。薄暗い夜の街を歩く2人の顔が時々大写しになる。伏目がちの男と昔を無邪気に懐かしそうに語る女。「二十四時間の情事」のあの印象的な場面を思わせる。
「大つごもり」の主人公みねを演じるのは久我美子。ある裕福な家で下働きをしている。奥様(後妻)は意地が悪くケチだ。2人の娘もわがまま放題に育った感じ。旦那は日がな釣りばかりしている。息子は金に飽かせて遊びほうけている。勘当同然だが、大晦日の日にふらっと家にやってくる。むろん目的は金の無心だ。
久我美子は育ての親である伯父さんが病気で寝込んでいるので見舞いに行く。その時伯父(中村伸郎)から2円を何とか都合してほしいと頼まれる。みねは奥様に頼めば貸してもらえると気軽に引き受ける。しかし奥様は一旦貸すといったが、そんなことは言った覚えがないと大晦日の日にあっさり断わる。切羽詰ったみねはつい引き出しから2円を盗んでしまう。夜になって金勘定をしている奥様に引き出しを持ってきてくれといわれる。恐る恐る渡し、思わず盗んだことを打ち明けようとした時、奥様が「お金がない」と叫ぶ。あのどら息子が小遣いをもらって帰るときに、引き出しの金も盗んでいったのだ。予想外の展開にお咎めなしとなった彼女は、部屋を出た後ふっと力が抜けて床に崩れ落ちる。この最後の展開も覚えていた。
この種の貧乏物語は、やたらと切なく描かれ、やるせない気持ちになることが多い。しかしこの話は、主人の金を盗んでまで世話になった育ての親に恩返しをしたいというみねのけなげな気持ちを十分描きながらも、悲惨な結末になることを回避できている。同時に、金持ちの家の優雅だが人間的に卑小な有様も描き出すことに成功している。稀有な作品だ。
「にごりえ」は淡島千景の魅力満載だ。淡島千景は高峰秀子と並んでこの時代の女優で一番好きな女優だが、これは彼女の代表作の一つだ。当時の女性としては活発でおきゃんなところが彼女の魅力。本郷の小料理屋の酌婦お力を演じるこの作品は、彼女の物憂い表情とコケティッシュな表情がうまく両立していて実に魅力的だ。彼女にいつも一人のしょぼくれた男(宮口精二)が付きまとっている。お力に入れ込んで金を使い果たした源七という男だ。お力は彼を憎からず思っているが、彼に金を使い果たさせ家庭を崩壊させたことを後悔し、あえて冷たくして彼を思い切らせようとしている。彼の息子はお力を鬼と呼んでいる。女房(杉村春子)は夫の顔を見るとお力のことなど忘れて早く立ち直ってくれと愚痴ばかりこぼす。
そんなお力に新しい旦那が出来た。その男を演じているのが山村聰。落ち着いた話し方でこの頃から既に貫禄がある。彼はなかなか自分のことを話さないお力にあれこれ誘い水を向ける。ついにお力は彼に自分の生い立ちを語り始める。彼女もまた貧しい家の出だった。子どものころ母親にお使いを頼まれておからの様なものを買ってくる。しかし途中近道をしようとしてぬかるみに足を滑らせ転んでしまう。おからは泥まみれになってしまった。一生懸命泥まみれのおからを掬うが、途中であきらめて泣き出してしまう。帰るに帰れない。夕方までその場に立ち尽くし泣いていた。痛いほど彼女の気持ちが分かる。悲しいエピソードだ。一方、源七はいつまでもぐちぐち言っている女房を家から追い出してしまう。再び女房が家に戻ってみると源七は家にいない。身をはかなんだ源七はむりやりお力と心中していた。
第三話は悲劇的な結末だ。しかし悲痛さはない。実にあっさり二人の死を処理している。この演出は成功していると言っていいだろう。そうすることによってかえって見終わってしばらくたつと、ふつふつとあわれさが沸き起こってくる。お力の物憂い表情とコケティッシュな表情が目に浮かんできて、その突然の死が奪い取った彼女のこれからの人生に思いを馳せずにはいられない。彼女は貧しい家に生まれたという運命から逃れようともがき続けていた。やっと所帯を持てそうな男とであった矢先にあっさりと命を奪われてしまう。もがきつつ嬌態を売り、嬌態を売りつつもがき続けた彼女の人生とは何だったのか。ふとしたときに浮かべる彼女のどこか寂しげな陰のある表情がいつまでも脳裏から消え去らない。「キクとイサム」と並ぶ今井正の最高傑作だ。
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樋口一葉原作の
季節にそった三作のオムニバス。
明治という時代に生きる女を描く。
DNAに組み込まれた明治の血沸き立つ!
俳優豪華絢爛の傑作。
第一話「十三夜」:秋
中秋の名月の晩、老夫婦の家に
大店に嫁いだ娘(丹阿弥谷津子)が里帰りしてくる。
喜んで迎えた娘の口からは意外な言葉が・・
父親と娘の言葉の中から時代の道徳観や
家制度の重みが如実に現れてくる。
帰り道にも意外な事件が起こるのだが・・
水木洋子�... [続きを読む]
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