靴に恋して
スペイン映画(2002)
監督、脚本:ラモン・サラサール
出演:アントニア・サン・ファン、ナイワ・ニムリ、ビッキー・ペニャ
モニカ・セルベラ、アンヘラ・モニーナ、ダニエレ・リオッティ
エンリケ・アルキデス、ローラ・ドゥエニャス、ルドルフォ・デ・ソーザ
サンティアゴ・クレスポ
このところのスペイン映画の好調ぶりを示す傑作である。これだけの作品を123位にしか位置づけられない「キネ旬」には大いに疑問を感じる。
女性5人を中心にした群像劇である。ロバート・アルトマン監督の「ショート・カッツ」、あるいはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「21グラム」などのように、それぞれの登場人物がストーリーの進行につれて絡み合ってくる構成になっている。一方、作品内容から見ればロネ・シェルフィグ監督の「幸せになるためのイタリア語講座」に近い雰囲気を持っている。女性が自立して行くという点ではコリーヌ・セロー監督の「女はみんな生きている」にも通じる面がある。
登場人物たちはそれぞれに悩みを抱えている。23歳のレイレ(ナイワ・ニムリ)は、高級靴店の店員。夢は靴デザイナーになることだが、才能に自信が持てずにいる。その上同棲していた画家のクン(ダニエレ・リオッティ)が彼女を捨てて出て行ってしまう。しつこいほど激しく愛を求めるレイレに辟易していたこともあるが、彼女がデザイナーの夢を捨ててしまったように思えることも彼が彼女を捨てた理由のひとつだろう。だからクンはレイレに「夢をあきらめるな」と告げ、彼女が書き溜めていた靴のデザインブックを手渡して出て行くのである。この「夢をあきらめるな」という言葉はこの作品全体のモチーフである。
49歳のアデラ(アントニア・サン・ファン)はキャバレーのマダム。25歳の娘アニータ(モニカ・セルベラ)は知的障害者だ。アデラには本を書きたいという夢がある。アデラは客の1人レオナルド(ロソルフォ・デ・ソーザ)と恋におちるが、やがて彼には妻がいることを知り深く傷つく。アニータは毎日世話に来てくれるハンサムな看護学生のホアキンにひそかに恋をしている。しかしそれに気付いたアデラは二人を引き離す。アニータは絵が得意で、犬を連れてホアキンと散歩に行く姿を何枚も絵に書いていた。やがてその絵から犬が消える。二人きりになりたいという彼女の願望が絵に表れていた。言葉ではなく絵で彼女の気持ちを浮かび上がらせた演出が見事だ。
43歳のマリカルメン(ビッキー・ペニャ)は亡くなった夫の後を継いでタクシーのドライバーをしている。3人の子供がいるが、いずれも夫の連れ子で血はつながっていない。麻薬中毒のダニエラが倒れて病院へ運ばれ、医師(監督のラモン・サラサールが自ら演じている)から「お母さんですか?」と聞かれた時、「母ではありません。一番身近な人間です。」と彼女は答える。この言葉に彼女の苦悩と悲しみが凝縮されている。
タイトルの「靴」が最も重要な象徴的要素として使われるのはイザベル(アンヘラ・モリーナ)のケースである。45歳になるが子宝に恵まれず、夫婦仲はとうに冷え切っている。その夫とはアデラを口説いたレオナルドであった。彼女は満たされない思いを1サイズ小さい高級靴を買いあさることで埋めようとしている。しかし未だに彼女の足に合う靴は見つからない。
このようにそれぞれが満たされない思いを抱き、悩み苦しみさまよっている。しかしこの映画が観客の共感をひきつけるのは、それぞれがそんな境遇から一歩踏み出して行くからだ。レイレはポルトガルに移り住み心機一転やり直すことによって、一度あきらめかけていた「夢」を再び追求し始める。レイレをポルトガルに連れて行ったのはタクシー運転手のマリカルメンだった。実はレイレは死んだ夫の連れ子の一人だったのである。二人の目的はリスボンの海に夫(レイレにとっては父)の骨をまくことであった。これでマリカルメンの気持ちが吹っ切れた。レイレの妹ダニエラも麻薬を断ち切り、新しい職を見つけた。アデラはキャバレーを止め本を書き始める。レオナルドとの恋は実らなかったが、長い間押し込めていた女としての自覚を取り戻すことが出来た。娘のアニータに対する母親としての愛情にも目覚めた。アニータの顔も見違えるほどに輝いている。彼女にも母親同様変化が訪れていた。アニータはホアキンと散歩に出たとき、彼女はいつもの散歩コースを離れ、初めて通る道に足を踏み入れた。初めて見る光景にはしゃぐ彼女の姿は感動的だった。その時彼女もまた一歩踏み出していたのである。イザベルは夫との生活に見切りをつけ、「人形の家」を出て行く。やはり最後にちらりと映る新しい靴をはいた彼女の足の短いカットは、ついに彼女の足に合う靴を見つけたことを暗示しているのだろうか?
イザベルが捜し求めた靴とは「自分の本当の人生」を象徴しているのだろう。イザベルの家には何百足という靴のコレクションがあったが、白々とした照明の中に浮かぶそれらの靴はむしろ彼女の満たされない気持ちを表していた。5人の女たちはそれぞれに自分に合った靴を捜し求め続け、そしてどうやら見つけたのである。何度か流れるピアフの「バラ色の人生」が胸にしみる(「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」の使い方も効果的である)。「自分に合った靴」とは人生の「夢」と言い換えてもいいだろう。結末でレイレが読み上げるハビエル宛の手紙の言葉は美しく、また感動的だ。
みんな夢をかなえてほしい
忘れてしまった夢はどこへ?
どこかで待っているはず
きっと夢は”言い訳”だと思うわ
夢を言い訳にして
だから叶わぬ夢は悲しい顔をしてるの
とても残念だわ
現実を受け入れるのはつらい
でも夢を捨ててはいけない
幸せになりたい
心の底から幸せに
周りの人にも幸せを分けたい
最高に気分がいいわ
リスボンが好き ハビエル
キスを送るわ
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