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2005年8月

2005年8月31日 (水)

一票のラブレター

2001年 イラン映画
監督:ババク・パヤミ
出演:ナシム・アブディ、シラス・アビディ

 1993年にアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」と「そしparfum3て人生は続く」の2本が日本で公開されて以来、イラン映画は毎年確実に数本ずつ公開されている。映画館でこの2本をまとめて観た時、その素朴さと新鮮さに驚いたものだ。それ以来すっかりイラン映画のファンになってしまった。日本での公開本数は少ないが、その水準はきわめて高い。日本で最初に広く注目を集めたイラン映画は99年公開の「運動靴と赤い金魚」だろう。翌年公開の「風が吹くまま」「太陽は、ぼくの瞳」はいずれも傑作だった。02年には「酔っ払った馬の時間」と「カンダハール」が公開され、高い評価を受けた。03年には「少女の髪どめ」と「1票のラブレター」という愛すべき作品が日本に届けられた。今回はその内「1票のラブレター」を紹介したい。

投票を訴える女性
 イラン映画はどれもそうだが、この作品も実に素朴な映画だ。キシュ島に選挙管理委員の女性がやってきて、護衛の兵士と共に島中を回って投票を訴えるというそれだけの映画だ。キシュ島は砂地に所々木が生えているだけの、ほとんど砂漠のような島だ。店の一軒も出てこない。点々と家があるだけだ。島民は貧しく、教養もない感じだ。いくら投票を訴えてもなかなか投票してもらえない。自発的に投票に来る人たちもいるが、ほとんどは特定の候補に投票させようと女たちを引っ張ってきたケースだ。投票する必要はないと拒否する男たち、自分の判断では投票できないと断る女たち。それでもめげずに訴え続ける主人公には感心する。中でも印象的なのは神に投票すると言って譲らなかった老人だ。神は候補者リストに載っていないと言ってもきかない。一緒に島中を回った兵士も最後に投票するが、彼は主人公の名前を書く。候補者は誰も知らない、知っているのは君だけだと言って。どんなに断られても最後まで島を回って投票を訴え続けた彼女を立派だと思ったのだろう。彼女に対する淡い感情もあったかも知れない。おそらくタイトルはここから来ている。

砂漠の信号機
 もう一つ印象的な場面は、見渡す限り何もない道を走っていて赤信号に出くわす場面だ。兵士は律儀に停止する。時間がない主人公は、車から降り、他に車がないのだから停まっていても無意味だと説得する。今まで法を説いてきたのに、今度は法を無視するのかと兵士。主人公はこんなところに信号をつけること自体が間違っていると怒る。それでも動かないので車に戻ると、兵士はすぐ車を出す。まだ信号は赤だ。どうして渡ったのかと聞く彼女に、兵士は故障しているから修理する必要があると答える。実に愉快なエピソードだ。

ユーモアとリアリズム
 この映画は何を描いているのか。ビデオの解説を見ると、発売元は一種のファンタジーとして扱っているようだが、いかにわれわれから見て御伽噺のように思えたとしても、この映画はまったくのリアリズム映画である。フィクションではあっても決してファンタジーではない。また、これは政治的プロパガンダでもない。女主人公は投票の意義を訴えるが決してそれ以上のことは言わない。島民と主人公の会話を通して島の現実を描き出しているだけだ。島民の意識の遅れは深刻だが、彼らの言葉は一面の真実を伝えてもいる。島民たちは皆彼女に投票すれば変わるのかと聞く。彼女はすぐには変わらないと答える。実際その通りなのだ。中央の政治はまだこの島に及んでいない。せいぜい役に立たない信号器を取り付ける程度なのだ。その意味で、投票の必要はない、信じられるのは神だけだ、という彼らの言葉にはリアリティがある。その島民たちと真剣な主人公の意識のズレがどこかユーモラスな味わいをほんのりかもし出しているのである。

  厳しい検閲を逃れるために多くのイラン映画は子どもを主人公にすると言われているが、この作品は投票を呼びかけるという批判の余地のない大義名分を押し出しながら、まったくの大人の世界、政治の世界を徹底したリアリズムで描いてしまっている。実に貴重な作品である。

阿弥陀堂だより

071500112002年
監督:小泉堯史
出演:寺尾聰、樋口可南子、北林谷栄、小西真奈美、多村高廣
香川京子、井川比佐志、吉岡秀隆

 デビュー作こそ絶賛されたがその後まったく売れず本も出せない作家(上田孝夫/寺尾聰)と、最先端の医療現場での働き過ぎによるストレスがたまりその上流産が重なってパニック障害を起こしたその妻(上田美智子/樋口可南子)。その二人が夫の故郷長野県の飯山市の山奥に引っ越してくるところから映画は始まる。ふるさとの山々は美しく、四季折々にその姿を変えてゆく。すんだ空気と清流。青空を映す棚田。素朴な人々。子供たちは人懐こく、「夕焼け小やけ」を歌いながら家路につく。

 都会で傷つき、田舎に帰りその傷を癒す。キム・ギドクの「春夏秋冬そして春」と共通する主題を持つ映画だ。違いは「春夏秋冬そして春」の方は人里離れた湖の上の寺が舞台で、戻ってきた男は老僧と二人で暮らす。「阿弥陀堂だより」では主人公夫婦は自然と村人の両方に抱かれて生活する。人間関係を絶たず、むしろ人との出会いと付き合いの中で心の傷が癒えてゆく。この違いは重要だ。

 都会で傷ついた夫婦が自然の中で人間として快復して行く。二人は村の死者が祭られている阿弥陀堂を守る96歳になるおうめ婆さん(北林谷栄)をしばしば訪問するうちに、喉の肉腫を患い声が出なくなった少女小百合(小西真奈美)に出会う。美智子は小百合の手術を手伝うために東京に行き、無事手術を成功させて医者としての自信を取り戻す。しばらくぶらぶらしていた孝夫も、小百合が村の広報誌に書いている「阿弥陀堂だより」に触発され再び机に向かう。

 まるで絵に書いたような話だ。日本ヒーリング協会推薦、日本森林浴愛好者連合会協賛(そんな団体があるかどうか知らないが)とポスターに書いてあるんじゃないかと思わず目で探してしまいそうになる。キム・ギドクの映画の様な人間の黒い欲望や情念が入り込む余地はない。出てくる人は皆善人で、助け合って生きている。このストレートさが甘いといえば甘いし、物足りないといえば物足りない。

 しかし「阿弥陀堂だより」の描く世界は観るものを否応なくひきつける魅力を持っている。「阿弥陀堂だより」に感じる魅力は、別の韓国映画でいえば「おばあちゃんの家」に通じる魅力である。同じ信州にいても街中に住んでいる者にはあの自然の豊かさ、美しさはうらやましい。それにしても何という贅沢な暮らしだ。

 畑には何でも植えてあります。
 ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ
 そのとき体がほしがるものを好きなように食べてきました。
 質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、
 それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。

おうめ婆さんのこの言葉は、自然に寄り添って暮らすことがかえって贅沢だということを逆説的に語っている。夏は障子やふすまを思いっきり開け放ち、家に風を入れる。サッシで閉め切った今の建物ではそうは行かない。阿弥陀堂にしても、孝夫の師である幸田の家にしても、開放的な昔の日本家屋だ。障子を開け放った夏は、庭から家を通して裏の景色が見える。そして冬、

 雪が降ると山と里の境がなくなり、
 どこも白一色になります。
 山の奥にあるご先祖様たちの住むあの世界と、里のこの世の境がなくなって、
 どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です。

空と山の境がなくなるように、人々も自然の中に溶け込んで生活している。渓流で釣りをして、夜はその魚で骨酒を楽しむ。神楽の様な祭りもある。

 もしこの映画に足りないものがあるとすれば、キム・ギドクの映画の様な黒い情念と欲望のほとばしりではなく、自然とともに生活する厳しさである。貧しさや冬の雪はここではむしろ詩的に美化されているが、実際には貧しさゆえにつらい労働に耐えなければならなかっただろうし、冬の生活は厳しいものだったであろう。矢口高雄の名作漫画「蛍雪時代」に描かれた東北の山奥での農作業の厳しさは想像を絶するものだ。腰が曲がるほど働かなければ食べてゆけない寒村の生活。雪に閉じ込められほとんど外に出られない冬があるからこそ、雪解けの春のすがすがしさは何倍にもなる。同じように散々苦労を重ねてきたからこそ「貧乏はありがたい」と言えるのだ。

 飯山の生活は東北の寒村とはまた違うだろうが、それでも都会の快適さに比べたらはるかに過酷であろう。棚田一つとっても、そこでの作業は平地の田んぼよりずっと手がかかるはずだ。この映画は生活を描いているようでいて、実はそれほど描いてはいない。美化されていることは確かだ。

 しかし、以上のことを認めた上でなおこの映画は優れた作品だと言いたい。単なる癒しだけの映画ではない。阿弥陀堂を接点として展開する孝夫夫婦とおうめ婆さんと小百合の人間関係はドラマとしてうまく描けている。中でも北林谷栄の存在感は圧倒的である。笠智衆が老け役男優の代表だとすれば、彼女は老け役女優の代表である。若い頃新藤兼人監督の「原爆の子」(52)を観たときには、本当に役と同じくらいの年齢だと錯覚したほどだ。1911年生まれだから実際は41歳だった。「阿弥陀堂」の時は91歳だったことになる。敬服に値する女優だ。宇野重吉とも共演していたわけだから、親子2代と共演したわけである。

 小泉堯史監督の経歴を見ていたら何と茨城県の水戸市出身ではないか。同県出身とは知らなかった。しかも水戸はお袋の生まれたところだ。そう言えば、インタビューを聞いていて少しどこかの訛りがあるとは感じていた。まさか茨城訛りだったとは。不思議なもので急に親しみが湧く。「雨上がる」はがっかりしたが、「阿弥陀堂だより」はいい。うん、(力を込めて)すごくいい。

 新作の「博士の愛した数式」はやっと上田でロケをしてくれた。球場でのロケの時エキストラで出るつもりだったが、当日になってつい面倒くさくなって行きそびれてしまった。しまった、行っとけばよかったなあ。

殺人の追憶

tuki-siro2003年 韓国
監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・レハ
    ソン・ジェホ、ピョン・ヒボン

 なかなかの力作だった。ただ思っていたよりコミカルな要素が強かったので驚いた。何となく「カル」のような血なまぐさい、不気味さが漂う映画だと思い込んでいたのだ。確かに連続女性猟奇殺人事件を扱っているので、死体の様子などはおぞましいのだが、時代が80年代末から90年代初めにかけてであり、しかも田舎の事件なので刑事たちが実にとろいのである。さすがにソウルから来た刑事(キム・サンギョン)だけは鋭いのだが、地元の刑事たちは足で捜査すると称して安易に容疑者を犯人と断定し、拷問や脅しで自白を強要しようとする。どこか「踊る大捜査線」を思わせるノリだ。そのとろい田舎の刑事を顔のでかいソン・ガンホがいかにも田舎くさく演じている。しかし「踊る大捜査線」のようなおちゃらけた映画ではない。当時の田舎の警察の犯罪捜査レベルの低さをある意味でリアルに(誇張はあるだろうが)描いているのだ。連続猟奇殺人事件などまったく経験したことがない田舎なのだ。もっともソウルでもこんな猟奇的事件はなかったわけだが。実話が題材で、いまだに犯人は見つかっていない未解決事件だ。

 ソン・ガンホたちは最初まったく見当違いな方向に進んでいたが、キム・サンギョンが新しい捜査方向を示す。犯行があったのはいずれも雨の日で被害者は赤い服を着ていたという共通点を見抜いたのだ。さらには犯行の日には必ずラジオで同じ曲がリクエストされていることが女性警官の指摘によって明らかになる。そのあたりからソン・ガンホは鋭さを見せ始める。そのリクエストを出した男が捕まる。しかし彼は犯行を否定する。どこか謎を隠しているような怪しいそぶりを見せる。しかしDNA鑑定の結果犯人ではないことが判明する。呆然とするキム・サンギョンとソン・ガンホ。結局事件は迷宮入りとなった。

 その数年後、最初の被害者が見つかった畑脇の側溝を覗いていたソン・ガンホに、女の子が何をしているのかと声をかける。話しているうち前にも同じことをしていたおじさんがいたということを聞きだす。人相を聞くと特に特徴のない顔だったと女の子は答える。呆然とするソン・ガンホの顔がアップになって幕が降りる。

 犯人が分からないまま終わるところが欲求不満になるが、実話に基づいているのでその点はしょうがない。しかし映画としての出来はなかなかのものだ。連続猟奇殺人事件はアメリカ映画の専売特許だったが、この映画は血なまぐささを強調するのではなく、田舎の鈍重な刑事とソウルから来た敏腕刑事を組み合わせているためにコミカルな要素が生まれ、安易な二番煎じに終わっていない。ここにも韓国映画の水準の高さが示されている。

 監督は「ほえる犬は噛まない」のポン・ジュノ。韓国の監督は1本だけ成功して後は凡作が続くということがあまりないので感心する。俳優もそうだ。人気が出た後も、優れた映画に出続けている。韓国映画の勢いは一向にとどまる様子はない。「忍者ハットリくん」の実写版などを作っている日本映画が情けない。中国のチャン・イーモウも「HERO」に続いて同じ路線上にある「LOVERS」を撮っているのが気にかかる。全体として見れば、韓国映画は既に中国映画を抜いているのかもしれない。日本も国が映画制作に力を入れて、日本、韓国、中国が互いに刺激しあいながら傑作を次々に出すようになれば、アメリカ映画の呪縛から逃れることが出来るかもしれない。一体いつの日になるか分からないが。しかしそう遠いことではない気がする。

モーターサイクル・ダイアリーズ

030712_02_q2004年 塀・仏・独・英・アルゼンチン・チリ・ペルー
監督:ヴァルテル・サレス
製作総指揮:ロバート・レッドフォード
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
ミア・マエストロ、メルセデス・モラーン、ジャン・ピエール・ノエル

 チェ・ゲバラ自身が記した『モーターサイクル南米旅行日記』と旅のパートナーだったアルベルト・グラナードの旅行記を基にしている。監督は「セントラル・ステーション」のウォルター・サレス。「セントラル・ステーション」の時はヴァルテル・サレスと表記されていたが、いつのまにか英語発音表記になっている。製作にアメリカとイギリスが加わっているせいだろう。ロバート・レッドフォード製作総指揮。若きゲバラを演じるのはガエル・ガルシア・ベルナル。「アモーレス・ペロス」「天国の口、終わりの楽園」「ドット・ジ・アイ」に続いて、彼を見るのは4作目だ。「ドット」の時ほどではないが、笑った時などに口元が変な感じに歪むのが気になる(どうでもいいことだが)。7歳年上の友人アルベルトを演じるのはロドリゴ・デ・ラ・セルナ。知らない俳優だが存在感があっていい俳優だ。

  いわゆるロード・ムービーだが、南米大陸を縦断しようという壮大な計画に基づく旅という点が普通のロード・ムービーと違う。9ヶ月1万2千キロの旅だ。さらに重大な相違点は、若いうちに南米大陸を見ておこうという計画から始まった旅が、ゲバラの社会認識を深めて社会主義者・革命家へと成長してゆくきっかけとなる旅になってゆくところだ。単に旅の途中で様々な人に出会って人生経験を深めるというだけではなく、南米の人々の悲惨な現実を見、そこから革命が必要だという認識にまで到達するのである。現実がゲバラという革命家を生んだのだ。そこがきちんと描かれていることを評価したい。

 ゲバラはどうやらアルゼンチンのブエノスアイレス出身らしい。あだ名はフーセル(激しい心)。若かりし頃の彼の性格がよく表れている。ある程度裕福な生まれのようだ。しかも彼は医学生で喘息持ちだった。そんな基本的なことも知らなかったとは!友人の医学生アルベルト(自称「放浪化学者」)とともに、二人でおんぼろバイク「ノートン500」にまたがってゲバラたちは旅に出る。本でしか知らない南米大陸を自分の目で見たいという、好奇心からの冒険旅行だった。おんぼろバイクは途中で使い物にならなくなり鉄くずに変わってしまう。後はひたすら歩きだ。砂漠も歩いて超えた。そこで銅山労働者の悲惨な現実を垣間見る。思いおもいに岩の上に座って指名を待つ日雇い労働者の姿が実に印象的だ。

 ブエノスアイレスから出発し、アルゼンチンからチリに入る。夏でも冬の様なアンデスを越えてマチュピチュに行く。この古代文明の廃墟を見て、ゲバラは自分たちの先住民の文化の高さを思い、またそれを滅ぼした文明の残虐さを思う。この前にはインディオたちと出会い、土地を追われ生活に苦しむ様子を見聞きする。このマチュピチュの地で革命家ゲバラが生まれたのだ。

 医学生であるゲバラたちは途中ハンセン病の病棟でしばらく働く。ゴム手袋をはめることが規則になっている病棟で、ゲバラたちは、ハンセン病は伝染病ではないのだからと素手で患者に握手をする。今から50年ほど前にこのような認識を持った人たちがいたのだ!ついこの間までハンセン病患者を隔離して非人道的な扱いをしてきた日本の扱いを考えると、これは実に大胆であり後の革命家としての彼の資質を象徴的に描き出している印象的なシーンである。

 アルベルトはカラカスの病院で働くことになった。二人は療養所を離れる。その頃までには二人とも療養所の職員とも患者たちとも親しくなっていた。別れの場面はいい場面だ。療養所からお礼にもらった筏で川を下る。カラカスに着き、ゲバラはアルベルトと分かれる。別れ際にアルベルトはゲバラに病院で一緒に働かないかと持ちかける。ゲバラはそれを断る。「この長い旅の間に何かが変わった。その答えを見つけたいんだ。人々のために」。この言葉が作品全体を要約している。

 最後に南米の人々がセピア調の色合で映し出される。まるで「アド街写真館」の総集編のように。これがいい。動画なのだがまるで古びて黄ばんだ白黒写真のように見える。白黒写真はカラー写真より記録性が増す気がする。キャパやスティーグリッツの写真はなぜあんなに見るものをひきつけるのか。街頭の風景や市井の人々を映しているだけなのに、白黒の写真におさまるととたんに「歴史」になってしまう(素人の写真ではそうは行かないだろうが)。ものを言わず、ただじっとこちらを見つめる顔、人生と生活の重さをにじませた人々の顔は実に雄弁だった。これらの名もない人々との「出会い」が革命家チェ・ゲバラを生んだのだ。

 その後に実際にゲバラたちが撮ったと思われる写真も映し出される。貴重な写真だ。そして最後にしわだらけの老人になったアルベルト本人の顔が映る。何と彼はまだ生きていたのだ。彼は8年後ゲバラと再会した。生涯彼を支持することを決意して、キューバに病院を建てたというコメントが入る。

 ゲバラを美化しすぎていないところに共感を覚える。ただ一つ気になったシーンがある。ゲバラの誕生日を祝って病院のスタッフたちがパーティを開くのだが、その時パーティを抜け出したゲバラは、患者たちと一緒に祝いたいと川を泳いで渡る。川は療養所のスタッフと患者たちを隔てている。その川を泳いで渡るというのは象徴的意味を持っている。彼が川を泳ぎきった時、川の両岸から歓声が上がる。彼の「無謀な」行為は川によって隔てられた人々を結びつけたのだ。しかし、これはいかにも映画的効果を狙って付け加えたエピソードの様な気がする。実際に「日記」の中にあったことだろうか。決して悪いエピソードではないのだが、まるでハリウッド映画のようになってしまった。

 数ヶ月前に小諸のブックオフでたまたまアルベルト・グラナード著『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』(学習研究社)を入手していた。忙しくてまだ読んでいなかったのだが、読んでみたくなった。ゲバラ自身の日記もいずれ手に入れよう。

酔っ払った馬の時間

shnot22000年 イラン映画
監督、脚本:バフマン・ゴバディ
出演:アヨブ・アハマディ、アーマネ・エクティアルディニ
    マディ・エクティアルディニ、ロージン・ユネシ

 監督は「ブラックボード」で黒板を背負った教師役の一人を演じたバフマン・ゴバディ。同じように国境地帯で密輸をしている人々が描かれているが、映画のできはこちらの方が遥かに上だ。「ブラックボード」と違って、こちらはまず状況を十分描いている。イランとイラクの国境地帯。クルド族のある一家が物語の中心。5人の子供がいる一家だが、母親は一番下の子を産んだときに亡くなった。父親は密輸が見つかり殺されてしまう。残された子供たち5人は必死で生きようとする。長男マディは病気で、15歳だが3歳程度にしか成長していない。弟妹みんなが彼の世話をしている。特にまだ小さい次女のアーマネがマディを抱えている姿はそれだけで感動的だ。この子がなんともかわいい。

 生活は次男のアヨブが一家を支えて密輸の仕事をして何とか支えている。病気の兄に手術を受けさせようとするが稼ぎは少なく、生活するだけで精一杯だ。長女のロジーンはマディの世話もしてくれるというので結婚を受け入れるが、相手の母親が厄介者はお断りだとマディだけを突き返した。代わりにロバを一頭くれた。そのロバをイランで売ってマディに手術を受けさせようとアヨブは密輸のキャラバンに加わる。しかし警備隊が待ち伏せており人々は坂を転げるようにして逃げ惑う。ロバの背中からはずされた巨大なタイヤが雪の斜面を転がってくる場面は映像として実に見事だ。ロバは寒さに耐えられるようにと出発前に酒を飲まされている(タイトルはここから来ている)。しかし飲ませすぎて酔っ払ってしまい、なかなか起き上がらない。逃げ遅れたアヨブは仲間からはぐれてしまう。それでもマディのことをあきらめきれないアヨブはロバを連れて国境線の鉄条網を踏み越えて行く。映画はここで突然終わってしまう。その後どうなったかは観客の想像に任せるというわけだ。物足りない気がするが、国境地帯で命がけで密輸をしながら生活しているクルドの人々をこれほどリアルに描いた映画はほかにない。

 これはクルド語で描かれた実質的に最初の映画である。監督のゴバディ自身もクルド人だ。トルコ領に住むクルドの人々を描いたトルコ映画の名作「路」ほどの衝撃はないが、危険と背中合わせの生活をリアルに描いた演出は見事である。雪山を越えてゆく場面の美しさはネパール映画「キャラバン」を思い起こさせる。やはりイラン映画は中国映画と並び世界の頂点に立つ水準である。

歌え!フィッシャーマン

tobira_flower2_pi2001年 スウェーデン、ノルウェー
監督:クヌート・エーリク・イエンセン
出演:エイナル・F・L・ストランド、レイダル・ストランド
アーネ・ウエンセル、オッド・マリーノ・フランツェーン
ヴィッゴ・ヨンセン、カイ・オーラフ・ヤコブセン

  「歌え!フィッシャーマン」は期待どおりの傑作だった。最初はインタビューが続いて退屈かなと思ったが、いつの間にか画面に引きつけられていた。ノルウェーの漁師町の素人合唱団の話である。セミ・ドキュメンタリー・タッチの作品で、全編のほぼ5、6割は合唱団のメンバーのインタビュー・語りだ。ほとんどが老人で、最高齢者は90歳を越えている。この各人の語りがいい。いずれも若いころはお盛んだったようだが、それがいやらしくは響かない。みんな自分の町を愛しているのがよく伝わってくる。実に変った音楽映画だ。

 何がそんなに見るものを引き付けるのか。職業は様々だがだれもが歌うことを愛している。コンサートの前におめかしする光景も、ほのぼのしていてかわいいとさえ思った。一人一人の個性が際立っていて、いずれも魅力的だ。特に若いころ麻薬にはまっていたという、ウィレム・デフォーを老人にしたようなじいさんがいい。ロシアでのコンサートで手拍子に最初に反応したのも彼だ。歌もいい。宗教的な歌も多いが、単純なメロディーなのに胸に迫ってくる。わざわざ戸外に並ばせて歌わせるのはやらせっぽいが、結構きまっているので嫌みがない。彼らが誇りにしている船員帽が実に素晴らしい。これを被るだけで姿がしまって見える。

 最後にロシアでコンサートを行う場面が出てくるが、この辺りまでくると完全に映画にはまり込んでいて、グングン引き込まれる。バスの中で原発のような建物がある地域を通過すると、議論が沸騰する。荒れ果てた風景にロシア人に対する批判が出ると、今でも共産主義者だという団員が必死でソ連の弁護をするところがおかしい。西洋では共産主義者=ソ連擁護という図式がはっきり出ている。しかし、コンサートは感動的だ。スタンディング・オーベイションに祝福されて公演は大成功だった。車椅子の指揮者がサインぜめにあっている。出番前はコチコチになっていたが、観客の反応にどんどん調子が出たのだろう。しかし、より感動的だったのは、その後に続く最後のシーンだ。彼らはノルウェーに帰り、故郷の海辺の町で勢揃いして歌っている。吹雪のような天候で、帽子ばかりか眉、まつげ、髭にまで雪がこびりついている。何もこんな天候に外で歌わせなくともという気もするが、それ以上に彼らは間違いなく北国の合唱団なんだということが伝わって来て感動的なのだ。寒さに赤らんだ一人一人の顔が皆素晴らしい。深いしわが刻まれた顔、寒さに歪みそうになりながら、なお歌う喜びが顔中にあふれている。

 不思議な魅力を持った映画だった。「ザ・コミットメンツ」「ブラス!」「SUPER8」と並ぶ音楽映画の傑作がまた一本増えた。あるいは、「コクーン」「八月の鯨」「森の中の淑女たち」などと並ぶ老人映画の傑作でもある。

2005年8月30日 (火)

スペイン映画の名作「エル・スール」

s_g1983年 スペイン・フランス
監督、脚本:ヴィクトル・エリセ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン
イシアル・ボリャン、オーロール・クレマン

 長い間スペイン映画といえば「汚れなき悪戯」や「愛のアランフェス」くらいしか思い当たらず、また事実あまり上映される機会もないという日陰の存在だった。これは故無きことではない。1932年にルイス・ブニュエルがドキュメンタリー手法で撮った「糧なき土地」を作り、内戦が始まる1936年頃にはスペイン映画は観客の間で成功を収めつつあった。野心的な計画も立てられ始めていたのだが、スペイン市民戦争の勃発によりその芽は未然に摘み取られ、以後再びスペインに民主主義が戻るまでの40年の間、スペイン映画は長い「冬眠状態」にあったからである。フランコ時代のスペイン映画史は、その重要な側面において、検閲との戦いの歴史であり、国家からの補助金獲得のための戦いの歴史であった。理不尽な規制がさまざまな形で映画人に加えられていた。劇映画上映の際にはNO-DO社のニュース映画が併映されねばならず、そのためにドキュメンタリー映画は極端にその上映の場を狭められてしまった。国産映画1本に対し外国映画数本の割合でプログラムを組むことが義務づけられていた--1944年には1対5、1955年には1対3、1977年には1対2になっている。しか も国産映画が上映されるのはあまり客が入らない時期が多かった。国産映画には「国家利益」1級、2級、3級の等級がつけられ、その等級に応じて補助金が支 給された。「国家利益」という言葉は日本の戦時中を連想させよう。その他検閲のために上映禁止にされたり、手直しを余儀なくされた例は映画史の随所に見いだせる。

 だがこういった厳しい状況の中でもスペイン映画は決して死んではいなかった。ファン・アントニオ・バルデム、ルイス・ガルシア・ベルランガ、カルロス・ サウラ等のネオ・リアリズモの伝統の上に立つ巨匠たちをはじめ、今日でも色あせない傑作がいくつも製作されている。だが、もちろんスペイン映画が花開いたのは独裁者フランコの死後である。75年から80年代にかけて次々と新しい才能が生まれ、フランコ時代から活躍していた世代ともあいまって、堰を切ったように傑作を作りだし始めた。77年から78年にかけて、そして再び83年頃から、スペイン映画は数多くの国際映画祭で受賞し始めた。そのスペイン映画の波が日本にも及び始めたのは1984年頃からである。先に名をあげたカルロス・サウラ(かれはスペイン映画史の中で最も多く名前が出てくる監督である)の「カルメン」が公開され話題になってからである。

 「エル・スール」という作品を理解するには、まず以上のことを念頭に置いておかなければならない。この時代のスペイン映画の多くがそうであったように、内戦は「エル・スール」(82年)にも暗い影を落としている。この映画は84年の11月に渋谷の東急名画座で開催された「スペイン映画祭」の上映作品の1本として初めて日本で公開された。映画祭当時は短期間の上映だったため、あまり評判にならなかったが、観てきた人々を通じてその感動は急速に多くの人々に広がっていった。監督のビクトル・エリセはスペイン映画史上の傑作といわれる「ミツバチのささやき」(73年)によって一躍知られるようになった人である。「エル・スール」はその10年後に作られた長編第二作である。内戦の陰はその題名の中に暗示されている。「エル・スール」とは「南」を意味し、ヒロインであるエストレリャは過去を語りたがらない父と南部の間に何か関係があることに気づく。エストレリャはその謎の答えを、父の乳母であったミラグロスと祖母の二人がエストレリャの聖体拝受のために彼女の家にやってきた時に知る。夜寝室の中でエストレリャはミラグロスになぜ父が南部に行かないのか、なぜ祖父と仲が悪いのか、その理由を尋ねる。ミラグロスの答えはこうだった。「共和国が...つまり戦争の前はね...おじい様は悪い方の側で、パパは良い方の側だったの...。ところが後になって、フランコが勝つと、おじい様は聖人、パパは悪魔ということになってしまったというわけ...。」内戦の影が暗示されるのはここともう一カ所だけだが、ミラグロスの言葉はエストレリャの父の過去に重要な手掛かりを与えている。

 エストレリャの父アグスティン(テオ・アンゲロプロスの「アレキサンダー大王」や、「父パードレ・パドローネ」、「サン・ロレンツォの夜」、「カオス・ シチリア物語」等一連のタヴィアーニ兄弟の作品で忘れ難い演技を見せたオメロ・アントヌッティが扮している)は結末近くで突然自殺してしまう。その理由は 明らかではないが、彼がかつて愛していた女性、今ではイレーネ・リオスという名で女優になっている女性と関係があったらしいことが暗示される。この女性との過去と内戦が関係していることもほぼ明らかだ。エストレリャは父がリオスの出ている映画を見た後、彼女に手紙を書いているのを見てしまう。そして後に、エストレリャは父と最後にあった日に、父にそのことを打ち明ける。その翌朝にアグスティンは突然自殺してしまうのだ。

 映画はその後しばらく続き、エストレリャが静養のために南へ向かうところで終わる。父の死の原因は最後まで完全には明かされない。なぜ父は娘に心の秘密 を打ち明けなかったのか。なぜ娘は父親を理解できないのか。父に母親以上に愛した女性がいると知った時から、娘は父に距離を感じるようになる。父のオートバイに同乗させてもらって無邪気に喜んでいた少女は、外のブランコにゆられながら二階の窓に映る父の影を遠くから眺める娘に変わった。父は悩んでいるが、娘にはその悩みを共有できない。父は悩みを語りたくないのではなく、おそらく語り尽くせないのだ。自殺する前、父は娘に何かを語ろうとしていた。だが、父娘の間には語り尽くせぬだけの時間と経験の隔たりがあった。おそらく父親は過去の思い出のためではなく、過去から引きずっている傷とそれが心に与える懊悩 を妻や娘と共有できない苦しみのために、死を選んだのだ。彼もまた内戦によって「引き裂かれ」た、「失われた」世代なのだ。

 娘にとって「エル・スール」とはあこがれの地、父親の秘密の鍵が埋もれている地、花が咲き乱れ、噴水と回教風の柱廊があり、陽光にあふれた地である。父 にとって「エル・スール」とは、かつて自由と民主主義のために内戦を戦い、後に別れることになる女性と愛を交わし、敗戦を経験し、祖父が聖人と崇められている地である。だがこの認識のずれは越えがたい壁ではない。一部の批評家にはこの作品をペシミスティックだという者もいるが、そうではない。この作品は父親を描いたのではなく、父親と父親を知ろうとする娘を描いたのだ。映画の視点は父親の視点ではなく娘の視点である。父親は死んだが、娘には未来がある。「エル・スール」がペシミスティックでないのは、それが娘の視点で描かれているからであり、その娘がある時点で父親から自立しているからである。父親は死んだが、その後でも父親の心理と過去を探求することは可能だ。南へ向かうことでそれは可能になるだろう。南は作品の中に最初から存在していた。内戦時代が常に現在の中に潜んでいたように。描かれた世界は時間的にも空間的にも限定されているが、同時にこのような広がりをもっている。南と北をつなぐのは、父と彼のかつての恋人との間に交わされた手紙だけではない。祖母とミラグロスが南からやってきた道は、また南へとたどることもできる。エストレリャはその道をたどって、ビクトル・エリセ自身が語っているように、「父の過去の基本的事実や人物」を知ると同時に、「自らのアイデンティティーを確立」するための旅に赴くのである。エル・スールへと向かって。

1987年1月26日執筆

知られざる傑作「エル・ノルテ 約束の地」

kokyou1983年 アメリカ映画 1988年11月公開
監督:グレゴリー・ナヴァ
製作:アンナ・トーマス
脚本:グレゴリー・ナヴァ、アンナ・トマス
撮影:ジェームズ・グレノン
出演:ザイア・シルヴィア・グティエレス、デヴィッド・ビラルパンド
    アリシア・デル・ラゴ、エルネスト・ゴメス・クルーズ
   ルペ・オンティベロス、トニー・プラナ

 「エル・ノルテ」という作品の題名は北を意味する。ここで言う北とはアメリカを指す。つまり主人公はグァテマラ出身の兄妹なのである。彼らはひどい弾圧にあって、祖国を捨て約束の地アメリカへと脱出を図る。二人は多くの人々の助けにより何とかアメリカに着くが、そこに待っていたものはやはり悲惨な現実であった。

  移民、いや不法入国者の目からアメリカを描くという大胆な発想は、それ自体ユニークであり、それまでになかった視点である。これは移民が増えつつあるアメリカの現実の反映であるが、このような映画をアメリカの資本が作ってしまうという点も注目に値する。

 作品は三部から構成されている。第一部では、グァテマラにおける苛酷な現実と、それに反抗して主人公たちの父親を含む人々が反抗を企てるが、事前に見破られ虐殺されることが描かれる。首謀者たちは全員撃ち殺され、主人公たちの父親は首を切られ木に吊される。母親も連れ去られ、身の危険を感じた兄妹二人は北へ逃げることを決意した。ここでは二つの印象深いエピソードがある。兄妹が北へ逃げることを思い立ったきっかけの一つは、彼らのおばがアメリカがいかに素晴らしい国であるかを語って聞かせてくれたことである。逃亡のための資金を求めて妹がそのおばのところへ行くと、おばはいつかアメリカへ行くでことを夢見てためていた金を惜しげもなくその娘に渡す。「私はもうその夢を果たすには老い過ぎてしまった。このお金はあなたたちが北へ行くために使いなさい。」彼女はお金と一緒にアメリカへの夢をめいに渡したのだ。

 もう一つのエピソードは、兄と北へ向かう直前に妹がわざわざ家に立ち寄るところだ。彼女は母がいつもお祈りをしていた祭壇のローソクに三つ火をつける。一つは「父さんに」、一つは「母さんに」そして三つめは「村の人々に」。自分の家族だけではなく、残された村人たち(彼らにもまた苛酷な現実が待っている)のことも思いやる心が胸を打つ。

 第二部は国境越えである。二人は案内人に指示された山を越えずに、より安全な地下の水道管(現在は使われていない)を通って国境を越える。途中ネズミの集団に襲われるが、このことが後の悲劇の伏線になる。第二部の最後はとりわけ印象的だ。ようやくトンネルを抜け出た二人は、アメリカの地に立つ。二人の前にはきらきらと宝石のように美しいサン・ディエゴの夜の灯が輝いていた。追い求めていた夢、約束の地アメリカがまばゆいばかりに輝いていたのだ。シスター・キャリーがシカゴの街に見たよりももっとまばゆい大都会がそこにあったのだ。その輝きは二人を歓迎しているかに見えた。

 だが新天地で生活して行くうちにこの期待は無残にも崩れさってゆく。第三部はアメリカにおけるふたりの束の間の喜びと、その後に突然訪れる悲劇を描く。兄はウェイターの職にありつき順調にやっていたが、他のウェイターのねたみによって不法入国者であることを密告され職を失う。「ここでは生き残るためにはどんなことでもやるんだ」という友人の言葉が耳に残る。せっかく得た職を失いあせった兄は、妹と別れるわけにはゆかないため一度断っていたシカゴで工場の監督をする仕事に飛び付く。彼は夜の12時ごろに発つ飛行機に乗ろうと身支度していたが、そこへ妹と一緒に女中をしている女性が彼を呼びにきた。何と妹が以前ネズミに咬まれたことが原因でチフスにかかって重体だと知らされる。今この時に何という皮肉か。しかし一旦シカゴ行きを決めていた兄はどうしても空港へ行くという。呼びに来た女性は「あんたの妹は死にかけているが、あんたはもう死んでいる」と吐き捨てるように言って立ち去る。残った兄は鞄の上に頭をたれる。

 次の場面で飛行機が飛び立つ。彼が乗ったかどうかはわからない。そして次にベッドの上で呻いている妹が映される。その隣には、兄が座っていた!彼は仕事を捨て妹を選んだのだ。だが彼の励ましもむなしく妹は死んでしまう。妹が最後に語ったのは次のような言葉だった。「メキシコにあるのは貧乏だけ。この北だって私たちを受け入れてくれない。いつになったら家が見つかるの。...きっと私たちが死んだ時なのね。」一人残った兄はまた日雇いの仕事に戻る。スコップを動かす手を休め、遠くを見つめる彼の目に故郷の村の景色が映る。再び木に吊るされた父の首のシルエットが現れ幕となる。

 「約束の地」というタイトルはよく使われるが、それた裏切られた希望、幻滅という皮肉な意味で使われることが多い。もちろん、ここではアメリカのすべてが否定されているわけではない。移民労働者の悲惨な現実に焦点が当てられている。また中南米における搾取と貧困という問題も必ずしも十分に描かれているとは言えない。しかしこの作品はアメリカの社会を描く視点に新らしい、かつ重要な視角を加えた。アメリカが今抱えている大きな矛盾の一つを、大胆にも意表を突く角度から取り上げてみせたのである。そして同時に、その矛盾の根源には中南米の国々が抱える深刻な問題があるのだということを描き出してみせた。ただ、その中南米が抱える問題にはアメリカも大きく一枚かんでいるという視点がなかったのは残念だ。

 公開時はあまり話題にならなかったが、ぜひ一見を勧めたい優れた作品である。

1990年8月4日執筆

カレンダー・ガールズ

clip-window22003年 イギリス映画
監督:ナイジェル・コール
出演:ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ、ペネロープ・ウィルトン
   アネット・クロスビー、シーリア・イムリー、リンダ・バセット
   シアラン・ハインズ、ジョン・アンダートン
   フィリップ・フレニスター

 このところイギリス映画は元気がなかったが、これは久々の快作である。「ブラス!」や「フル・モンティ」のスカッと突き抜けた明るさが戻ってきた。婦人会のつまらない催しに飽き飽きしていた一部の会員たちが、毎年作っている会のカレンダーに自分たちのヌードを使おうと奮闘する話だ。皆中年以上の女性ばかり。ありえないような話だが、これは実話に基づいている。男達からは特に強い反対はなく、むしろ婦人会の幹部の抵抗が一番の障害だった。しかし全体はコメディタッチであれよあれよという間に話が実現し、しかも大成功を収めてしまう。「グリーン・フィンガーズ」や「リトル・ダンサー」のノリだ。

 そもそものきっかけがアニー(ジュリー・ウォルターズ)の夫ジョンが白血病で亡くなったことだが、彼が入院していた病院の硬いソファの代わりに新しいソファを寄付しようという趣旨から始まった企画だ。そのあたりも素朴でいい。ヌード・カレンダーはイギリスで成功し、それがアメリカまで飛び火する。ついにはVIP待遇でハリウッドに招かれる。石鹸会社のスポンサーがついたからだ。しかしそこでまたヌードにさせられる羽目になる。中心になってみんなを引っ張ってきたクリス(ヘレン・ミレン)は家庭問題をかかえていてハリウッドに来れなかった。しかし夫が新聞記者にだまされて暴露記事を書かれたのをきっかけに、後からハリウッドに追いかけて行く。クリスはアニーの親友だったが、アニーは夫と息子を新聞記者の餌食にしたままハリウッドに逃げてきたのかとクリスを非難する。このあたりに破綻の予感がやや漂う。しかしイギリスに帰ってみると夫が優しくクリスを迎えてくれた。クリスはまたアニーと仲直りする。

 ヨークシャーが舞台だが、その絵の様な美しさが際立っている。これほどイギリスの風土の美しさを写し取ったイギリス映画は今までなかったのではないか。またヌード・カレンダーもなかなかの出来だ。芸術的で、いやらしさは微塵もない。アニーの亡くなった夫ジョンが妻に残した言葉が作品の基調になっている。婦人会の会合で朗読されるその詩は感動的だ。ひまわりを謳った詩だが、「盛りを過ぎても見事に咲き誇る」という言葉が女性たちに重なってくる。

   ヨークシャーの花は女性に似ている
  成長ごとに美しさを増し
  盛りを過ぎても見事に咲き誇る
  あっと言う間に枯れていくが

 戸惑いながらも写真に写った彼女たちは美しく輝いている。その前向きの志向は「フル・モンティ」に通じるが、年配の人たち(と言ったら失礼だが)が元気にがんばるという点では「コクーン」にも通じる。年を取ると家に引っ込んでしまう日本では考えられない話だ。それだけに強い共感を覚える映画だ。しばらく不振が続いていたイギリス映画界だが、この映画で勢いを盛り返してほしい。

ションヤンの酒家

gurasu2002年 中国映画
監督:フォ・ジェンチイ
出演:タオ・ホン、タオ・ザール、パン・ユエミン、チャン・シーホン

 監督は「山の郵便配達」のフォ・ジェンチイ。期待にそぐわぬ傑作だった。何といってもこの映画の魅力を支えているのは主演のタオ・ホンだ。なかなかの美人で、しなを作るしぐさが堂に入っている。足が太いのが玉に瑕だが。大都会重慶で酒と鴨の首を売る屋台を出している。やり手でもあるし彼女自身の魅力も売り物にして店は繁盛している。夜の屋台村の猥雑な感じが実にうまくとらえられている。しかし家族の問題が何重にも彼女を苦しめている。わがままな女房に頭が上がらない兄。女房が株の講習会に行くというので無理やりションヤンに息子を預けてしまう。弟はミュージシャンになる夢が破れて麻薬におぼれ、今は矯正施設に入れられている。家は他人に取られている。しかしションヤンはそれらから逃げずに何とか解決の方法を見出そうと前向きに努力する。時には強引な手も使う。家の権利を取り戻すために役人に取り入り、その精神を病んだ息子と店の手伝いの女の子(麻薬中毒の弟に思いを寄せいていたのを無理やりあきらめさせて)を結婚させてしまう。

 そんな彼女の店に毎日のように通い詰め、酒を飲みながらじっと彼女の顔を見つめる初老の男がいる。いつしか話をするようになり、彼女を家まで送ったりする仲になる。人がよさそうな男だ。ションヤンも少しずつ彼に気持ちが傾いてゆく。ついに男は彼女を口説くが、ションヤンは以前学生と結婚して離婚するという経験があり、男の申し出を断る。ある雨の日ついに彼女は彼に体を任せた。しかしションヤンがベッドの中で結婚に話を向けると、男は今のままでいいと答える。結局男は自分を愛人にしたかっただけだと悟り、男の車を降りて雨の中を歩み去る。

 屋台を出している地域が再開発されることになり屋台村も立ち退きを迫られている。何とその開発を手がけているのは彼女を口説いた男の会社だった。つかみかけた幸せも消え去ってしまった。すっかり屋台の数も減り賑わいもうせた通りでいつもと同じ様に店を出している彼女に、若い男が彼女の絵を描かせてくれと声をかける。彼女はOKした。いつもの屋台に座る彼女とその顔を描く男を映して幕。最後の場面は幸福を暗示しているのだろうか。 「山の郵便配達」には劣るがいい作品である。何があってもめげないションヤンの姿勢がいい。

  作品を観終わった後、付録映像を観た。ションヤンを演じたタオ・ホンのインタビューを観て仰天した。素顔はションヤンとはまったく違う。何も知らずに見たら別人だと思うだろう。髪形が違うのだが、それだけではない。目つきが違うのだ。コケティッシュなところや小悪魔的なところは微塵も感じさせない。それがまったく違うタイプのションヤンになりきってしまうとは大変な役者だ。役作りにはかなり努力したというが、顔つきがまったく変わってしまうのはすごい。

 もう一つ実に珍妙で面白かったのは重慶やその周辺の観光名所を紹介している案内ビデオだ。日本人向けに中国で作ったものだろう。日本語がよく出来る中国人がナレーションの原稿を作り、それを日本語がよく話せる中国人女性が読んでいるのだが、日本語の表現がところどころ不自然である上にナレーターの発音もやや中国語なまりがあるので、何とも珍妙な感じになっている。せりふは十分理解できるし発音も十分聞き取れるのだが、どこかおかしい。美しい中国の映像にこのナレーションがかぶさると何とも不思議で珍妙な味わいになる。その意味で面白い。みんなに紹介したい気持ちになる。そうか、その意味ではこのビデオの目的は達成されていると言えるのかも。

溝口健二「祇園囃子」

o_gi-31953年 大映京都
監督:溝口健二
原作:川口松太郎
出演:小暮美千代、若尾文子、河津清三郎、進藤英太郎
浪花千栄子

 若尾文子と小暮美千代主演だが、中心は小暮美千代だ。かつては羽振りがよかった親が落ちぶれたために、栄子(若尾文子)は舞妓になろうと決心する。栄子は女将の美代春(小暮美千代)の妹分の美代江としてデビューする。そこまでは順調だったが、2人はたまたま重大な取引を控えていたなじみ客から取引相手の世話を頼まれる。取引先の男は美代春にぞっこんだった。あるとき美代春と美代江はそのなじみ客に東京に招待される。しかしそれは宿に泊まり、例の取引先の客に体を与えよということだった。美代春はしぶしぶ取引先の男の部屋に行くが、その時美代江の部屋から悲鳴が上がる。二人を東京に招待したなじみ客が美代江に迫ったため、身を守ろうとして美代江が相手の舌を噛んだのである。それ以来美代春たちはお座敷の出入りを断られる。その客が裏から手を回したのか、次々に断りの電話が入る。仕事を干され、家の近くの路地でぼんやりしている美代江に舞妓仲間が近づいてきてがんばれと励ますシーンが印象的だ。

  しかし美代江が初めて座敷に出るときその衣装代を借りたこともあって、ついに美代春は例の客に体を許す。みやげ物をいっぱい手にして帰ってきた美代春に、そんなことまでしなければならないならもう舞妓は辞めると美代江が言い出す。そんな美代江の頬を一打ちして、美代春はつらいときこそ弱いものは支えあって生きてゆかなければならないと諭す。打って変わった様に明るい顔になった2人は並んで道を歩いてゆく。かつてのようにすれ違う女たちと明るい声で挨拶を交わしながら。これがラスト・シーンだ。

 男たちにいいように利用される女たちの弱い立場がよく描かれている。美代江と同じ時期に修行をしていた同じ舞妓の卵が、60を超えた男を旦那にしろと実の母親から言われていると美代江に悩みを打ち明ける場面も描かれている。と同時に、それを乗り越えてたくましく生きてゆく女の姿も描かれている。演技陣が実にしっかりしている。小暮美千代が発散する大人の女の魅力は藤原紀香など足元にも及ばない。若尾文子も(当時の)現代娘の奔放さをよく演じている。脇役陣がまたすごい。置屋のやり手婆役の浪花千栄子は、最初に登場した時からもう30年も前からその商売をしているように見えるからすごい。こういう役をやらせたら彼女の右に出る人はいない。すっかり落ちぶれた栄子の父親役進藤英太郎も、リューマチで右手が不自由になりろれつもよく回らない老人になりきっている。こういう役者が今どれだけいるだろうか。日本映画黄金時代の傑作群は、優れた監督だけではなく、世界に誇れる優秀な役者がいたからこそ作れたのだ。

今井正「にごりえ」

ezousi-11953年 文学座・新世紀映画
監督:今井正
原作:樋口一葉
脚本:水木洋子、井手俊郎
出演:田村秋子、久我美子、中村伸郎、淡島千景、杉村春子
山村聰、宮口精二

  「東京物語」(2位)「雨月物語」(3位)を抑えて、キネ旬のベストテン1位に選出された作品。紛れもない傑作である。「十三夜」、「大つごもり」、「にごりえ」の三話を収録したオムニバス形式。20年近く前に一度観てほとんど忘れていたが、「十三夜」の人力車の場面だけぼんやり覚えていた。嫁いだ先で夫やその家族に散々いびられ実家に逃げ帰ってきたおせきを、父親が諭して家に帰す。その帰りに乗った人力車の車夫がむかしの幼馴染の録之助だった。長じておせきは裕福な家に嫁ぎ、録之助は酒におぼれてしがない車引きになっている。しかし言葉の端々から、むかしは好きあっていた仲だということがそれとなく分かる。録之助は会えただけでうれしいといって別れる。それだけの話だ。しかしおせきが車に乗らず一緒に昔のことを話しながら歩いて行く場面は実に美しい。この場面だけぼんやり覚えていたのもうなずける。

 しかし何がそんなに素晴らしいのか。そこで交わされるのはなんでもない話に過ぎない。にもかかわらず忘れがたい印象を残す。今井の演出も素晴らしいのだろうが、なんでもない人生の一齣を見事に切り取った樋口一葉の原作が見事だったに違いない。なんでもない会話の中に、かつての2人の親密な仲を浮かび上がらせ、かつその後の人生の変転を経て今では大きく身分が違ってしまった運命の皮肉をそこはかとなく感じさせる。録之助が相手を呼ぶ時の「ご身分が高い方」というせりふがそれを表している。あるいは録之助が女房とは離縁したといったときにおせきが一瞬見せるはっとした表情。どうということのない日常的な会話の中に、話された言葉以上の深い思いが込められている。泣くでもなく、叫ぶでもない。にもかかわらず二人の胸に去来する思いを察することが出来る。日本人が昔から得意としてきた表現法だ。それが見事に映画として再現されている。小津にも通じる、あるいはそれ以上の優れた演出だ。薄暗い夜の街を歩く2人の顔が時々大写しになる。伏目がちの男と昔を無邪気に懐かしそうに語る女。「二十四時間の情事」のあの印象的な場面を思わせる。

 「大つごもり」の主人公みねを演じるのは久我美子。ある裕福な家で下働きをしている。奥様(後妻)は意地が悪くケチだ。2人の娘もわがまま放題に育った感じ。旦那は日がな釣りばかりしている。息子は金に飽かせて遊びほうけている。勘当同然だが、大晦日の日にふらっと家にやってくる。むろん目的は金の無心だ。

 久我美子は育ての親である伯父さんが病気で寝込んでいるので見舞いに行く。その時伯父(中村伸郎)から2円を何とか都合してほしいと頼まれる。みねは奥様に頼めば貸してもらえると気軽に引き受ける。しかし奥様は一旦貸すといったが、そんなことは言った覚えがないと大晦日の日にあっさり断わる。切羽詰ったみねはつい引き出しから2円を盗んでしまう。夜になって金勘定をしている奥様に引き出しを持ってきてくれといわれる。恐る恐る渡し、思わず盗んだことを打ち明けようとした時、奥様が「お金がない」と叫ぶ。あのどら息子が小遣いをもらって帰るときに、引き出しの金も盗んでいったのだ。予想外の展開にお咎めなしとなった彼女は、部屋を出た後ふっと力が抜けて床に崩れ落ちる。この最後の展開も覚えていた。

 この種の貧乏物語は、やたらと切なく描かれ、やるせない気持ちになることが多い。しかしこの話は、主人の金を盗んでまで世話になった育ての親に恩返しをしたいというみねのけなげな気持ちを十分描きながらも、悲惨な結末になることを回避できている。同時に、金持ちの家の優雅だが人間的に卑小な有様も描き出すことに成功している。稀有な作品だ。

 「にごりえ」は淡島千景の魅力満載だ。淡島千景は高峰秀子と並んでこの時代の女優で一番好きな女優だが、これは彼女の代表作の一つだ。当時の女性としては活発でおきゃんなところが彼女の魅力。本郷の小料理屋の酌婦お力を演じるこの作品は、彼女の物憂い表情とコケティッシュな表情がうまく両立していて実に魅力的だ。彼女にいつも一人のしょぼくれた男(宮口精二)が付きまとっている。お力に入れ込んで金を使い果たした源七という男だ。お力は彼を憎からず思っているが、彼に金を使い果たさせ家庭を崩壊させたことを後悔し、あえて冷たくして彼を思い切らせようとしている。彼の息子はお力を鬼と呼んでいる。女房(杉村春子)は夫の顔を見るとお力のことなど忘れて早く立ち直ってくれと愚痴ばかりこぼす。

 そんなお力に新しい旦那が出来た。その男を演じているのが山村聰。落ち着いた話し方でこの頃から既に貫禄がある。彼はなかなか自分のことを話さないお力にあれこれ誘い水を向ける。ついにお力は彼に自分の生い立ちを語り始める。彼女もまた貧しい家の出だった。子どものころ母親にお使いを頼まれておからの様なものを買ってくる。しかし途中近道をしようとしてぬかるみに足を滑らせ転んでしまう。おからは泥まみれになってしまった。一生懸命泥まみれのおからを掬うが、途中であきらめて泣き出してしまう。帰るに帰れない。夕方までその場に立ち尽くし泣いていた。痛いほど彼女の気持ちが分かる。悲しいエピソードだ。一方、源七はいつまでもぐちぐち言っている女房を家から追い出してしまう。再び女房が家に戻ってみると源七は家にいない。身をはかなんだ源七はむりやりお力と心中していた。

 第三話は悲劇的な結末だ。しかし悲痛さはない。実にあっさり二人の死を処理している。この演出は成功していると言っていいだろう。そうすることによってかえって見終わってしばらくたつと、ふつふつとあわれさが沸き起こってくる。お力の物憂い表情とコケティッシュな表情が目に浮かんできて、その突然の死が奪い取った彼女のこれからの人生に思いを馳せずにはいられない。彼女は貧しい家に生まれたという運命から逃れようともがき続けていた。やっと所帯を持てそうな男とであった矢先にあっさりと命を奪われてしまう。もがきつつ嬌態を売り、嬌態を売りつつもがき続けた彼女の人生とは何だったのか。ふとしたときに浮かべる彼女のどこか寂しげな陰のある表情がいつまでも脳裏から消え去らない。「キクとイサム」と並ぶ今井正の最高傑作だ。

重松清『定年ゴジラ』

ayu-3 期待以上に面白い本だった。東京の都心まで2時間かかるニュータウン(もはやニューではないが)に住む、定年になったばかりの男とその仲間たち(同じ定年組)を中心に描いている。働きづめの人生を送って来た企業戦士が定年を迎え、新しい人生に馴染めず、もがき悩む様が実にリアルに描かれている。

 題名の由来がまた悲しい。定年仲間の一人は当のニュータウンを開発した鉄道会社に勤めていた。彼こそそのニュータウンを設計した男である。彼ら設計士は設計したニュータウンが完成するとその模型をはでにぶっ壊すそうだ。ある日、主人公たちは公民館に保存されていたなつかしい街の模型を眺めながら酒盛りをしていた。みんな酔っ払ってきた頃、突然その設計士がガオ-と叫びながら自分が作った街の模型を踏み潰し始めた。まるで東京の街を破壊するゴジラの様に。初めは驚いていた仲間もやがて一緒に加わり、みんなで模型を踏み潰す。俺たちは定年ゴジラなんだと言いながら。何とも物悲しいエピソードだ。

 主人公は定年になったばかりだが、仲間はもっと早くから定年後の人生を送っている。その先輩たちが主人公に散歩の仕方や散歩に行くときの服装などについてあれこれとアドバイスをする。これがなるほどと思わせるほど説得力があるのだ。実際に定年を迎えた経験のある者でなければ思いつかないような細かな指摘。このような具体的な描写が作品の説得力を強めている。そして定年後の何ともせつない人生。仲間の一人は定年前の10年間、単身赴任で関西方面を転々としていた。会社を辞めて家に戻って来たが、完全に家族から浮いてしまっている。まるで今の方が単身赴任のようだ、という別の仲間の言葉が胸に突き刺さる。あるいは、定年になったとたんに奥さんから離婚され、朝から晩までサンドバッグを殴りつけている男も出てくる。近所迷惑なのでその男に止めるよう説得する役を主人公が町会長(定年仲間の一人)からおおせ付かる。文学的な深みはそれほどないのかもしれないが、人生の哀感を実にリアルに描いている。

 定年を迎えた元銀行員とその定年仲間「定年ゴジラ」たち。そしてもう一つ重要な役割を果たしているのは彼らの住むニュータウン、くぬぎ台である。一区画ずつ入居者を募集したので1丁目から2丁目、3丁目とゆくにつれて住民の年代が下がってゆくというユニークな構成になっている町である。主人公の山崎さんはどちらかというと平凡な性格だが、その仲間の「定年ゴジラ」たちは皆個性的である。町内会長の古葉さん、関西方面での単身赴任歴が長く関西弁を「何カ国語」も話せる野村さん、くぬぎ台を開発した藤田さん。皆それぞれ問題をかかえているが、散歩を楽しみにしているのが共通点である。散歩を通して彼らは知り合ったのである。その悩み事、それを表現する言葉や身振りが何ともリアルだ。

 作者は執筆当時は30歳代だった。自分の親の世代を描きたかったということだが、あのリアルな台詞や気持ちの表現はどうやって思いついたのだろうか。いろいろ取材もしたのだろうが、作家の想像力とは大したものである。主人公を「山崎さん」、その妻を「奥さん」と表記しているのが最初は気になったが、あえてこのような書き方にしたのは、子供の世代から親の世代を見る視点で書いているからだろう。最初は違和感があったが、読んでいるうちに慣れてくる。意図が分かれば納得が行くという訳でもないが、作者の独りよがりという外れ方はしていない。なぜならその視線が冷めていないからだ。後ろも振り返らず、足元も見ず一心に働いて来た親の世代への理解が根底にある。だから定年後の暇を持て余す空虚感、あるいはそれまで見えなかった家庭の中の不協和音や子供が大人になって新たに生じる問題にあたふたし、頭を抱える親父たちの苦悩が伝わってくるのだ。その暖かい視線は浅田次郎の『鉄道員』に通じる面がある。

 しかし作者は主人公たちに完全に共感しているわけではないし、人情に流されっぱなしというのでもない。そのいい例が、ある週刊誌の取材をめぐるドタバタである。各地のニュータウンを取材してはこき下ろしている雑誌なのだが、町会長はそれと知らず喜んで取材に協力を約束してしまう。しかし後でその雑誌の性格が判明し、大騒動になる。野村さんが生意気な学生を殴るという最悪の事態まで起きてしまう。山崎さんは取材の責任者である大学教員とその殴られた学生を車に乗せて町中を走る。若い世代が住む区画から始まり自分の住む区画へと車を進めながら、その町に住む人たちのこと、世代毎の生活の違いを説明して行く。それは自分の送って来た人生を振り返ることでもあった。最後に自分の住むところで自分と同じ世代の人たちのことを語って聞かせる。自分たちはこのように生きて来たんだと。表面だけを見て勝手に判断するなという気持ちを込めて。この部分は実に感動的である。助教授も神妙に聴いている。初めはぽかんとしていた学生の顔も深い表情に変る。しかし、助教授は学生たちにとっていい勉強になった礼を述べつつ、しかし評価は公正にすると言った。その言のとおり、彼女は結局厳しい評価を下した。5段階評価でEだった。山崎さんたちはその評価に説得力があることを認める。しかし、記事の最後に「ニッポンを支えてきたオヤジたちのお手並み拝見ですね」という学生のコメントが載っている。情に流されない、しかし冷め切ってもいない、このバランスの取れた描き方が素晴らしい。

 最後は娘万里のやっかいな問題も何とか片付き、山崎さんがいつものように散歩に出掛けるところで終わる。それにしても霊園のチラシがあると必ずそれを見るとか、家族写真を見てこの中から最初にいなくなるのは俺だななどと山崎さんが考えるところなど、何とも身につまされるほどリアルである。一番感心したのは、妻子のある男と付き合っている山崎さんの娘がその男の家族写真を見せる場面である。山崎さんは当たり障りのないことしか言えないが、奥さんはその写真を見るなり真っ二つに引き裂いてしまう。何か優しい言葉を掛けるのかと期待しているところにこの行動である。一体30代の作家にどうしてこんな場面が書けるのか。驚嘆すべき才能である。彼の本をもっと探して読んでみたくなった。

 うれしいのは、後にもう1本この続編が収められていることである。『帰ってきた定年ゴジラ』。何と山崎さんはパソコンを始めている。町会長の古葉さんが先に始めてもう使いこなしているからだ。訳の分からぬカタカナ言葉に苦心惨憺している姿がほほえましい。野村さんは奥さんに先立たれ、二人の息子も独立し、今は一人住まいをかこっている。そのせいで元気がなく、散歩にもあまり来なくなってしまった。果ては、パソコンの話に夢中の二人を怒鳴りつけてもう来るなと宣言する始末。しかしその後に感動的な話が待っていた。その野村さんが、突然山崎さんを訪ねて来る。奥さんがなくなる前にある雑誌に投稿していた短歌がホームページに載っているので見せて欲しいと、ばつの悪そうな顔で頼みに来たのである。その歌は野村さんが単身赴任中に、彼の居る地域の満開の梅の花をテレビが映しているのを見て詠んだ歌であった。その梅の花を見て、思わず庭の白梅を見上げたという歌だ。野村さんは叫ぶ。「分かった。昔と逆だ。今はお前が単身赴任なんだ。だから今度はわしが家を守らないかん。」これを機会に野村さんはまた仲間に戻る。北海道に転居した藤田さんからはメールで山崎さんに返事が来た。最後は、山崎さん、野村さん、町会長の古葉さんの三人が、同じ年に開発された名古屋のニュータウンの視察に向かうところで終わる。

 オヤジたちが老いにめげずに前に向かって進んで行く姿が読んでいて気持ちがいい。悠々自適というわけではないが、彼らは定年後自分の新しい人生を見つけつつある。それにしても、40年近くも同じ町に住んでいながら、定年後に初めて互いを知るとは何という人生か。残業、土日出勤当たり前という生活をその長さだけ送って来たのだ。まさに「プロジェクトX」の世代である。濡れ落ち葉の世代でもあり、日本を経済大国に作り上げた奇跡の世代でもある。今日、ほとんど肯定的に描かれることのない世代。彼らを美化することなく、生活という現実の中に丸ごと浸けて描く。貴重な作品だ。
   重松清『定年ゴジラ』(講談社文庫)

水上勉『飢餓海峡』、内田吐夢「飢餓海峡」

tori1 深い感銘を覚えずにいられない傑作だ。上巻の方は杉戸八重が主人公だ。犬飼多吉からもらった大金を元に東京に出て、体を売りつつも人間性を失わずにたくましく生きてゆく。その間も恩人である犬飼多吉のことは決して忘れなかった。10年後たまたま見た新聞にその犬飼多吉の顔を発見した。売春が間もなく禁止され、娼妓をやめて故郷の下北に帰ってタバコ屋でも始めようと思っていた八重は、その前にこの恩人に一目会って先のことを相談しようと思って会いに行く。しかし昔の罪が露見することを恐れた樽見京一郎(犬飼多吉の本名)によって毒殺され、書生の青年とともに心中と見せかけて海に捨てられる。上巻の最後の部分、八重があっけなく殺されるあたりは、読んでいて切なかった。それまでの部分ですっかり彼女に感情移入していたからだ。

 下巻では、その心中事件を担当した京都の舞鶴署の刑事たちがやがてことの真相を見抜き、殺人事件として極秘捜査を始める。八重の父親の話から事件は10年前の事件とつながる。ここからは警察小説になる。函館の弓坂警部補が足を棒にして掴んだ手がかりを元に、舞鶴署の味村警部補が捜査を進める。やがて樽見京一郎の生い立ちと北海道での足取りが次第に明らかになってゆく。特に故郷の描写とそこでの京一郎一家の悲惨な暮らしは印象的である。父親が次男であったばかりに不便な山の上の畑しか与えられず、そこまで肥料を運び上げる途中で父親は死んだ。母親もやはり同じところで同じように肥料を運び上げているときに死んだ。一生懸命に肥料を運び上げても、大雨が降れば肥料は下の畑に流れ出す。下にある長男の畑は労せずして肥料を得る。

 さらに悲惨なのは一番下にある泥沼の様な田んぼだ。大人でも胸の辺りまで水に浸かる。夏でも冷水の様な水につかって田植えをしなければならない。健康な人間でも体が蝕まれてゆく。そんな両親を見て樽見京一郎は育ってきた。このあたりの人間像の深さがこの小説の優れたところである。社会派推理小説と呼ばれる所以である。並みの推理小説を遥かに凌駕する。その意味では松本清張の作品より優れていると思う。恐らく日本の推理小説の最高峰ではないか。推理小説の枠組みには入りきれないほどの社会的、人間的な広がりと深みがある。後半は警察の必死の捜査を通して樽見京一郎の人間像がジグソーパズルのように少しずつ姿を現してくる。後半の主人公は樽見京一郎である。この樽見京一郎と杉戸八重の2人を創造したことがこの小説の成功のかなりの部分を担っているといえるだろう。そのジグソーパズルは完全には完成しない。裁判を前に樽見京一郎が海に飛び込んで自殺してしまうからである。

 さらにこの小説に深みを加えたのは弓坂警部補と味村警部補の存在である。味村は、既に警察を引退し剣道の師範になっている弓坂の情熱に深い敬意を覚える。味村自身も捜査の鬼となり次々に樽見京一郎の過去を掘り起こしてゆく。この2人の情熱が事件を解決に結び付けたといってもよい。特に、10年後新たに捜査が始まり、自分が10年前に調べたことが決して無駄にはならなかったと述懐する弓坂の言葉は感動的だ。

 推理小説は日本では謎解きやトリックに重きが置かれ、小説としてつまらないものが多い。外国のミステリーを見ると、主人公の人間的側面が重視され、謎解きと同時に人間ドラマとしても読めるようになってきている。したがって無理なトリックなどはあまり重視されない。日本でも松本清張が見直され、宮部みゆきのような作家も出てきた。登場人物が単なる操り人形でなくなり、生きた人物として小説の中で動き始めたとき(実際そうだったと作者の水上勉はあとがきに書いている)、推理小説は本格小説になる。『飢餓海峡』はその数少ない例である。

 『飢餓海峡』を読んだ感動が冷めやらず、今度は映画の方が見たくなってレンタル店で「飢餓海峡」のビデオを借りる。昔映画館で見たときには文句なしの傑作だと思ったが、原作読了直後に見るとやはりいろいろな点で不満が残る。一番の不満は樽見京一郎の人間性の多面性がほとんど描かれず、単なる悪党のように描かれていることである。映画としては3時間の大作だが、それでも原作のかなりの部分を省略せざるを得ないので、ある意味では仕方のないことだ。人間像を複雑にすれば3時間では描ききれないと判断したのだろう。しかしそのために樽見京一郎の故郷での生い立ちと両親の苦労(例の畑と田んぼの話)がばっさりと切られている。

 もう一つ不満なのは弓坂(伴淳三郎)が今一つ活躍しないことである。彼の執念の捜査があってこそ事件は解決したのである。その部分が十分描かれていない。最後の頃に、船を焼いた灰を彼が樽見京一郎に渡す場面が付け加えられているが(原作にはないエピソード)、それを補うには不足していると感じた。

 他にも樽見京一郎の北海道での足取りを味村が掘り出してゆくところがまったく描かれていないなどの不満もあるが、このあたりは映画の制限で止むを得まい。原作と比べると見劣りするのは仕方がない。特に原作を読んだ直後だ。
   水上勉『飢餓海峡』上下(新潮文庫)

2005年8月29日 (月)

この素晴らしき世界

rose【製作年度】2000年
【製作国】チェコ
【スタッフ】
 製作:オンドジェイ・トロヤン
 原作:ペトル・ヤルホフスキー
 脚本:ペトル・ヤルホフスキー
 監督:ヤン・フジェベイク
 音楽:アレシュ・ブジェジィナ
 撮影:ヤン・マリーシュ
【出演】
 ボレスラフ・ポリーフカ、アンナ・シィシェコヴァー、ヤロスラフ・ドゥシェク
 チョンゴル・カッシャイ、シモナ・スタショヴァー、イジー・ペハ、イジー・コデット

  チェコ(チェコスロバキア)というと世界的なレベルの人形アニメが有名だが、映画となると「春の調べ」(1932)、「マルシカの金曜日」(1972)、「スイート・スイート・ビレッジ」(1985)、「コーリャ愛のプラハ」(1996)が思い浮かぶ程度で、ほとんど日本では知られていないと言っていい。 そのチェコから2000年に素晴らしい映画が生まれた。おそらく「この素晴らしき世界」はチェコスロバキア時代も含めてチェコの生んだ最も優れた映画であろう。

  ナチ占領下のチェコの小さな町。ヨゼフとマリエ夫婦は収容所から逃げてきたユダヤ人青年ダヴィドをかくまうことになる。そこから彼らの恐怖と苦悩の日々が始まる。ユダヤ人をかくまっていることが分かれば彼らも命はない。警戒しなければならないのはドイツ軍ばかりではない。同じチェコ人からもいつ密告されるか分からない。一瞬も気を許せない、誰も信用できないぎりぎりの極限状況。この状況を端的に表しているのは、いつも食糧庫に隠れ続けているダヴィドを慰めようと彼に言ったマリエの言葉である。「私と夫は広い独房にいるだけよ。」閉じ込められているのは彼女たち夫婦も同じである。いや、ナチ占領時代はチェコスロバキア全体が牢獄だったのだ。

  「アンネの日記」とほぼ同じ状況だが、このような状況下の人々を描いた作品はこれまでたくさん作られてきた。優れた作品が多いが、いずれの作品も重苦しい状況をただただ悲惨に描いただけではない。「この素晴らしき世界」もこの重苦しい時代を独特のユーモアを交えて描いた。別にヨゼフがユーモアにみちた明るい性格だというのではない。むしろ彼はとんだお荷物を背負い込んで妻に当り散らしていることが多い。妻のマリエは明るくしっかりものだが別に笑いを引き起こすわけではない。そうではなく彼らを見つめる視線にユーモアがあるのだ。例えば、ダヴィドが彼らの家に匿われた最初の夜、ダヴィドは「この厄介者をどうしたら良いのか」という夫婦の会話を漏れ聞いて暗い顔をするが、実は「この厄介者」とはダヴィドの邪魔にならないように食糧庫から取り外してきた大きな豚の肉のことである。このユーモアは対象との距離のとり方から生まれている。自分たちが直接体験した事実を語るのではなく、自分たちの祖父母の世代が体験した事実を描くという距離感がそこにある。中国の文革時代を描いた「芙蓉鎮」のような息苦しいほどの直接性はない。だから悪いと言っているのではない。この微妙な距離感が却って活きているのである。そしてその視線の背後には、悲惨な状況の中で必死に生きようとする人々のたくましさと肝心なところでは人を裏切るまいとする誠実さに対する温かい思いが込められている。それとなく取り入れられているこのコメディ的味付けが重苦しさをかなり軽減している。このさじ加減を間違えると「ライフ・イズ・ビューティフル」のような中途半端な作品になってしまう。

  不安と恐怖に焦点を当てているので本当に悲惨な場面は出てこない。ダヴィドが彼の家族の悲痛な運命を語る場面だけにとどめている。短い場面だがそれは強烈だ。彼の妹はKAPO(注)になったため多少待遇はよくなったが、ドイツ兵に両親を殴り殺せと命じられたのだ。娘を救おうと両親は彼女に殺してくれと言ったという話には胸を締め付けられる思いがする。

  誰に裏切られるか分からない緊迫した状況を描きながらも、人を単純に善人と悪人に分けてはいない。密かにマリエに心を寄せるホルストといういやな男がこの夫婦にまとわりついているために観客ははらはらさせられるが、最後にヨゼフはこのホルストを救う。ホルストも芯から卑劣な男ではなく、危ういところでヨゼフとマリエ(同時に隠れているダヴィドも)を救っている。ホルストは早い段階でヨゼフたちが誰かを匿っていることに気付いてはいたが、密告はせずにずっと黙っていたのである。黙っていたのはマリエに対する下心があったからだろうが、最後には本当に彼らを守りたいという気持ちに変わってゆく。このあたりの人間描写は見事だ。

  ヨゼフとマリエの不安と恐怖が終わったのは町がナチスから解放された時だ。ドイツ軍が去った後は逆にドイツ軍協力者が次々に引き立てられてゆく。容赦ない報復が始まった。ナチスに協力した裏切り者たちの背中には鍵十字の印が書かれている。ユダヤ人にダビデの星を付けた様に。立場は逆転したが、同じことが繰り返されている。しかし瓦礫の中から再建の槌音が響く町を、生まれたばかりの赤子を乳母車に乗せて歩いているヨゼフの表情は明るい。暗澹たる現実を描いた後に、さながら希望の象徴のように子供の誕生が描かれることは多い。その限りではステレオタイプなのだが、赤ん坊を腕に抱えて空を見上げるヨゼフの姿はやはり感動的である。マリエという名前はマリアのチェコ語読みで、その赤ん坊はイエスの誕生を思わせる。ボスニア、アフガニスタン、イラクと紛争が絶えない現実を見るにつけ、未来に希望を託すという気持ちには共感を覚えないわけには行かない。

  生まれた赤ん坊の未来は果たしてどんな世界なのか。いや、現在のわれわれの視点から見ればその子が生きた時代は既に過去のものである。だが戦後50年以上たってから戦争中のことを語るのは単に過去の歴史として振り返るためだけではないだろう。この映画が作られた2000年という年は20世紀最後の年だ。生まれた赤ん坊の未来とは21世紀に生きるわれわれの未来と重なると受け取ることも可能だ。いやこの映画はそう問いかけているに違いない。改めて問い直そう。この赤子の歩む先には、「怒りの葡萄」のラスト・シーンでトム・ジョードが向かって行ったような明るい夜明けの空が待っているのだろうか。

(注)KAPO:字幕では「囚人班長」と訳されている。KAPOとはもともと収容所の秩序を維持するためにその「班長」が使う棍棒のことだが、そこから「班長」そのものも指すようになった。KAPOは特にナチスに協力的な囚人の中から選ばれるので、囚人たちからはナチス以上に嫌われている。「アルジェの戦い」で知られるジッロ・ポンテコルヴォ監督の「ゼロ地帯」(1960)という映画があるが、その原題は“KAPO”である。特に前半の酷烈なタッチはまれに見るほど強烈である(後半は残念ながら甘くなってしまうが)。

森浦への道

21975年 韓国映画
監督:イ・マニ
出演:ペク・イルソプ、キム・ジンギュ、ムン・スク
    キム・ギボム、キム・ヨンハク、ソク・インス
    チェ・ジェフン、ソク・ミョンスン

  「森浦(サンポ)への道」は2人の男と一人の女が偶然出会いともに旅をするロード・ムービーだ。現場を渡り歩く工事労働者のノ・ヨルダル、10年の刑期を終えて故郷の森浦(サンポ)に帰る途中のチョン。そして酌婦のペッカ。男2人は町の居酒屋から逃げ出したペッカを連れ戻せば1万払うと女将にいわれてペッカを追った。しかし彼女を見つけて事情を聞くと居酒屋の女将の言うこととだいぶ違う。3人は連れ立って旅を続ける。ペッカはまだ20代だ。ノ・ヨルダルは理由は分からないが過去に深い悲しみを持っている。故郷がどこだと聞かれても教えない。故郷が俺に何をしてくれたと怒り出す。泣きながら野宿していた空き家の外に飛び出した彼をペッカが慰めようとするが、ノ・ヨルダルは彼女の手を払いのける。

 そのころからチョンは2人は夫婦になるべきだと思い始めていた。彼はノにもそう言うが、ノは本気にしない。しかし二人は確かに惹かれあい始めていた。チョンの勧めによって本気で2人は一緒になろうと思い始めるが、ノは市場で買い物をしているとき、買い物にはしゃぐ彼女を置いてチョンと駅に行ってしまう。やはり決意し切れなかったのだ。2人が電車を待っていると、後からペッカも駅に来る。ノはぎりぎりまで迷うが結局彼女をひとりで汽車に乗せる決心をする。別れ際になけなしの金で彼女にゆで卵を買ってあげるシーンがなんとも切ない。

  ペッカを見送った後2人は森浦(サンポ)行きの汽車に乗る。しかしペッカは汽車に乗ってはいなかった。一人駅に残ったペッカは駅前の店で男を呼び込んでいる店の女を眺めながら微笑む。結局彼女はまたもとの商売に戻り生きてゆくことが暗示されている。一方、森浦(サンポ)行きの汽車に乗ったノだが、汽車の中で労働者たちと親しくなり、途中の駅で降りて彼らと一緒に働くことにした。一人故郷に向かうチョンは、タクシーの運転手からこの10年間で森浦(サンポ)も大きく変わり、今では島に橋がかかり陸になったと教えられる。タクシーが大きな橋を渡る場面で幕。

  3人の俳優がそれぞれに存在感がある。特に2人と分かれてひとり寂しく道を歩くペッカの悲しげな姿は忘れがたい。美人だがじゃじゃ馬タイプの役をムン・スクが印象的に演じている。今の韓国女優にはいない生活力を感じさせる女優だ。豪放な性格だが物静かで他の2人の気持ちを見抜く力を持ったチョン、お調子者でときどきほらを吹くが根は正直なノ・ヨルダル。三者三様の思いを内に秘めてしばし道を共にする。結局最後は3人ともばらばらになってしまうが、チョンはノに仕事がうまくいったらペッカを探せと別れ際に言う。森浦(サンポ)に架けられた新しい橋は2人の絆が切れていないことを暗示しているのだろうか。何も劇的なことが起こらない淡々とした映画だが、雪道を歩くシーン、焚き火を囲んで3人で話し合う場面など、忘れがたい場面がたくさんあるロードムービーの傑作のひとつである。

銀馬将軍は来なかった(シルバースタリオン)

unc1991年 韓国映画 1993年公開
監督:チャン・ギルス
出演:イ・ヘスク、キム・ボヨン、ハン・ウニ、チョン・ムソン
        ソン・チャンミン

  痛切な映画だ。朝鮮戦争当時、ある小さな村に米軍がやってくる。子ども2人を抱えた若い母親オルレの家に夜米兵が忍び込んでオルレをレイプしていった。翌日から彼女は汚れたといって村八分にされ、誰も助けようとはしない。食うに困ったオルレは村の対岸に出来た娼婦街テキサス村で米兵に体を売る決意をした。そこで会った2人の娼婦だけは彼女に優しかった。やがて彼女たちは川向こう(つまり村がある側)の家を買い、そこを改装して自分たちの店を作った。その頃までにはオルレが娼婦になっていることを村中の人たちが知っていた。オルレの息子マンシギまでも子どもたちから差別された。

  村人たちは何とかこの目障りな女たちを追い出そうとするが、娼婦たちは啖呵を切って一向に引き下がらない。言いたいことを言う娼婦たちが痛快だ。やがて夜娼婦の家を覗いていた村の子どもたちを追い払おうとして、マンシギが手製の銃(覗いていた子どもから奪ったものだ)を撃つ。発砲する場面は直接写されないが、どうやら銃が暴発したようだ。マンシギは手を怪我する。中にいた米兵が銃声を聞いて敵だと思い逃げる村の子どもを撃った。子どもは村まで逃げもどるがそこで死んだ。怒り狂った村の女たちが娼婦の家を襲い焼いてしまう。「汚い女たちは出て行け」とどなる村の女たちに向かって娼婦の一人が言い返す。「お前たちの方こそ汚いじゃないか。この人(オルレ)が困っている時に助けの手を差し伸べたものが一人でもいたか。」

  オルレも仲間の娼婦たちと働くうちに強い意志を持ち始める。長老が村を出て行けと迫った時、たとえ家を焼かれても出てゆかない、なぜなら他に行くところがないからだ、と彼女は初めて逆らう。しかし彼女は村のしきたりを否定する言葉を持たない。村の共同体からはじき出されても、彼女の倫理観は村人のそれと同じ枠内にあるからだ。どうしてもっと言い返してやらないのかといらいらするほどである。象徴的なのは、彼女は自分の名前すらもっていないことだ。もちろん名前はあるが、普段はただ「マンシギのお母さん」と呼ばれているのだ。母親は息子ほどにも価値のない存在なのだ。彼女をオルレと名前で呼んだのは娼婦たちである。オルレと違ってこの娼婦2人は「言葉」を持っている。長老たちが追い出そうとしても、堂々と怒鳴り返す。それが出来るのは、彼女たちが村人たちの狭量な封建的倫理観や価値観から自由だからである。不安定ですさんだ生活ではあるが、自分たちの生活の論理で生きている。だから米兵に強姦され村人からつまはじきされている(「悪いのはレイプした米兵だろうが!」村の女どもにそう怒鳴ってやりたくなる)オルレに優しい言葉をかけられるのだ。

  米軍が移動することになり、一緒にいた娼婦2人は米軍を追って去っていった。オルレは稼いだ金を元手に商売でもやることにし、村に残った。別れ際に娼婦の一人が言った「その方がいい。あんたは娼婦には向いていないから。」というせりふが印象的だ。しかし間もなく共産軍が村に迫ってきたので、村中が村を捨てて逃げ出した。長い避難者の列の中にオルレとマンシギもいた。

  古い狭量な倫理観にしばられた共同体が、その倫理の枠から外れたものに対していかに残酷であるかがよく描かれている。「汚れた」若い母親を徹底して差別しようとする村人の無慈悲な仕打ちはぞっとするほど恐ろしい。下手なホラー物よりずっと恐怖を感じる。韓国映画を代表する傑作の一つに挙げていいだろう。

  この作品の終わり方は決してペシミスティックではない。娼婦たちの存在もあるが、子供たちのために体を売ってでも生活費を稼ごうとしたオルレのたくましさがむしろ救いだ。最後に村から避難してゆくときに、息子のマンシギも母親に前は母さんのことを嫌いだったが今はそうではないと言う。

  銀馬将軍とは村に伝わる伝説の英雄で、昔村が敵に襲われたとき天から銀馬にまたがった将軍が舞い降りて敵を追い払ったという。マンシギははじめこの言い伝えを信じていたが、この物語が終わる時点ではもう信じていなかった。彼らはもう誰かを頼って生きようとは思っていない。自分たちで生きる道を選んだのだ。

  不幸なのは彼女たちだけではない。彼女たちは生き続けるだろう。去っていった娼婦仲間も釜山にいるからいつでも来なさいと言っていた。そこにはまだ人間的なつながりがあったのだ。

キッチン・ストーリー

red2003年 ノルウェー・スウェーデン
監督:ベント・ハーメル
出演:ヨアキム・カルメイヤー、トーマス・ノールストローム
       ビョルン・フロベリー、レイネ・ブリノルフソン
       スブレエ・アンケル・オウズダル、レーフ・アンドレ

 いかにも北欧映画という感じの、静かで穏やかでほのぼのした映画だ。ノルウェーの小さな村にスウェーデンから「独身男性の台所での行動パターン」を調査するために調査員がトレーラーをつけた車で続々とやってくる。スウェーデンの家庭研究所からの依頼だ。これは1950年代に実際ににあったことを元にしている。監督も50年代の雰囲気を出すのに苦労したようだ。特に何台も連ねて登場するトレーラーは当時のものを再現したそうである。トレーラーがどれもまったく同じ形なのか妙に可笑しい。ノルウェー人のベント・ハーメル監督に言わせると、まったく同じ色と型のものを何台もそろえるあたりが、いかにもスウェーデン人らしいのだそうだ。

 イザックの家にはフォルケがやってきた。モニターを引き受けたことをすぐ後悔したイザックは最初居留守を使う。しかししつこく声をかけるフォルケに根負けしてようやくドアをあける。この出だしが面白い。フォルケは台所の一角にテニスの審判が乗るような背の高い脚立を置き、その上からイザックを観察する。調査員は対象となる男性と一言も話してはならないし、付き合ってもならないことになっている。終始黙ったままでイザックを眺めているフォルケに、最初イザックはいらいらする。しかしフォルケがイザックにタバコをあげたことがきっかけで、二人は言葉を交わし始める。

 ノルウェーとスウェーデンは隣国だが、色々と確執があるようだ。互いに軽く皮肉を言い合いながら次第に2人は打ち解けてゆく。特典映像に入っているインタビューで、ベント・ハーメル監督は、ノルウェーの観客はスウェーデン人のことを笑い、スウェーデン人はノルウェー人を笑っている、と観客の反応を語っている。脚本の共同執筆者はスウェーデン人だったらしい。ノルウェー人の監督とスウェーデン人の脚本家の共同作業がこの絶妙の会話を生んだのである。隣国同士だから仲がいいのではないかと思っていただけに、意外だった。日本は島国なので国境を接する隣国がない。車で国境を越えるなどということは日本ではありえない。地続きなのに国境を越えるとやはり外国なのである。この感覚が面白い。そういう意味では興味深いシチュエーションを扱った映画で、新鮮だった。

 別の調査員グリーンが調査対象者と酒を飲んでいるという情報が入ったり、そのグリーンが酒を分けてくれとフォルケを訪ねてきたりするあたりがこっけいだ。その調査員は、一言も話すなとは無理な注文だ、お互いに話し合った方が事情がよく分かるはずだと主張する。フォルケは契約に従うべきだと説得する。二人の話を聞いていたイザックは、グリーンの言うとおりだとフォルケに言う。

 フォルケが椅子に座っている場所の真上にあたる天井にイザックが穴を開けて、逆にフォルケをイザックが観察していた。それを打ち明けたときさすがにフォルケはむっとするが、そんなことでは2人の友情が壊れないほど2人の間の絆は強くなっていた。フォルケはイザックの誕生日をケーキで祝ってやる。いい場面だ。しかししたたか飲んだ翌日、責任者が見回りにやってきた。イザックの台所に入るとテーブルの上には酒の空ビンが何本も並んでいた。監視用の椅子の上にはフォルケではなくイザックが座って寝ている。責任者は激怒し、フォルケは首になる。フォルケはここに残りたいと言ったが、トレーラーを国に戻すまで責任を取れと言われる。フォルケは国境までトレーラーを引いてゆき、そこでトレーラーを切り離して、責任者が止めるのを振り切って引き返す。しかしイザックの家に戻ってみるとイザックは死んでいた。このあたりははっきり描かれていないが、イザックが飼っていた馬の病気が治らず、イザックは楽にしてやるといっていた。フォルケが戻ってきたとき、イザックの家の前に大きな車が停まっていたが、あれにはおそらく馬とイザックの遺体が乗っていたと思われる。

 最後の場面は、イザックの家にフォルケが住み着いていて、そこにイザックの友人だった男から電話でコーヒーを飲みにくるという合図が入り、フォルケがカップをテーブルに並べている場面である(電話代が高いので、イザックと友人は呼び出し音の回数で用件を伝え合うという方法を取っていた。呼び出し音だけ鳴らして話はしない)。

 効果音を使わず自然音だけで描くという、いかにも北欧らしい作り。国境を越えた人間同士の理解などという大げさな作りではないが、人間的交流をじんわりと暖かく描いていて好感が持てる。歴史的名作というほどではないが、愛すべき作品である。

遥かなるクルディスタン

winding-road1999年 トルコ・ドイツ・オランダ
監督、脚本:イエスィム・ウスタオウル
撮影:ヤケク・ペトリキ
出演:ニューロズ・バズ、ナズミ・クルックス、ミズギン・カパザン

 女性監督イエスィム・ウスタオウルの作品。トルコ領にすむクルド人ベルザンとトルコ人メフメットの友情を描いた映画だ。それにメフメットの恋人アルズ(ドイツ生まれのトルコ人)がからむ。クルド人を描いたトルコ映画というとユルマズ・ギュネイの映画と「少女ヘジャル」が思い浮かぶ。トルコのクルド人を描いた優れた映画がまた一本増えた。

 トルコ社会の矛盾が鋭く抉り出されている。クルド人に対するトルコ人の弾圧はすさまじい限りだ。なんでもない画面でも、絶えずそこには緊張と恐怖がみなぎっている。いたるところで検問が行われている。警察の弾圧ばかりではない。一般市民もクルド人に殴る蹴るの暴行を加えている。ベルザンとメフメットが出逢ったのも、リンチにあっているクルド人を助けたために暴徒に追われているメフメットをベルザンが助けたのがきっかけである。

 クルド人のベルザンは政治活動をしている。一方トルコ人のメフメットは水道局で働いている政治的には無垢の青年。世間知らずだ。だがそのメフメットも、検問所の前であわててバスを降りた男の隣にたまたま座っていたために、その男が残していった銃がメフメットのものだと疑われて豚箱にぶち込まれる。1週間ほどたって釈放されたが、顔中が腫れ上がっていることから激しい拷問を受けたことが分かる。まったくの濡れ衣だったが、警察に拘束されたというだけでメフメットは職を追われる。

 その出来事の後メフメットとベルザンとの絆は一層深まる。しかしその関係も長くは続かなかった。ハンストをしていたクルド人の一人が死亡する。クルド人たちが集会を開き、そこを警察が襲撃した。ベルザンは頭を割られて殺される。死体を確認に行ったメフメットは「やつらには死体を渡さない」と決意する。恋人のアルズが何とか頼み込んで身内ということにしてもらって死体を引き取る。

 メフメットは車を盗みベルザンの遺体を故郷のゾルドゥチに運ぼうとする。後半は鎮魂の旅に変わる。車は途中で故障してしまう。ヒッチハイクなどを重ねて彼はひたすら棺と旅をする。原色が目立った大都会イスタンブールを出た後、映画の色調は青を基調とした寒々しい色調に変わる。イスタンブールを出ると延々と何もない荒野が続く。荒涼とした土地ばかりだ。家々は貧しい。本多勝一が書いていた。アメリカのインディアン居留地は何もないやせ衰えた土地である。何でもいい、草一本であれ、虫一匹であれ、生命の兆しが見えたらそこは既に居留地の外であると。それほど極端ではないが、クルド人が住む地域も荒涼とした原野ばかりである。この旅は鎮魂の旅であるが、トルコ人メフメットがクルド人の生活を垣間見る旅でもあった。メフメットが一晩ホテルに泊まったクルド人の町は戦車に占領されていた。

 とどめはゾルドゥチの町。やっとの思いで着いたベルザンの故郷は、何とダム湖に沈んでいた。家や電柱などの上部だけがかろうじて水面に顔を出している。ゾルドゥチと書かれた錆びた標識が斜めに垂れ下がっている。メフメットはしばし呆然としていたが、やがて決意したように棺を湖に流す。

 それにしてもトルコとは何という社会か。いたるところで検問があり、しょっちゅう身分証の提示を求められる。まるで警察国家だ。クルド人の家には大きくペンキで×印が描かれている。ユダヤ人の家にダビデの星を書きなぐるのと同じ感性だ。黒人や彼らに同情的な白人の家の庭に火をつけた十字架を立てて脅すKKKと同じだ。抑圧的な社会は恐怖と暴力で反抗を押さえつけ、体制を守ろうとする。

 水に沈んだゾルドゥチの町の前にたたずむメフメットの目には何が見えていたのか。ダム建設のために住み慣れた町を追われた人々には、もはや帰るべき故郷すらない。行き場のない彼らはベルザンのように大都会イスタンブールに流れ込んでいった。それがまた摩擦を生む。悪循環。終わりのない矛盾。

 じっと湖を見つめるメフメットの表情にはもはやベルザンと出会う前の無垢な明るさはない。眉間にしわを寄せ、厳しいが、暗く愁いに沈んだ表情。国を持たない民族クルド人が夢見るクルディスタン(クルド人の国)はどこにあるのか。いつたどり着けるのか。その道のりはなお遥かであり、険しい。

 監督のイエスィム・ウスタオウルはトルコ人である。したがってクルド人を内側からではなく外側から描いている。映画の視点はトルコ人メフメットの視点である。イスタンブールではメフメットとベルザンはほぼ等分に描かれていたが、クルド人居住地区に入るとメフメットは観察者になってしまう。監督も主人公もトルコ人である以上、そこから先にはなかなか踏み込めない。アメリカ映画がベトナムを描くときにもこの問題が付きまとう。「プラトーン」はベトナムになぜ米兵がいるのかをかなり真剣に考察しようとした映画だが、そこにはやはり限界があった。その限界がどうしても映画そのものの視野を狭めていた。ベトナム人自身と同じ視点にはなれない。イラン人監督モフセン・マフマルバフがアフガニスタンを舞台に撮った映画「カンダハール」も、やはり観察者の限界を持っていた。しかし当事者側から描かなければ無意味だというわけではない。確かにある程度の限界はあるが、作者は様々な工夫を凝らしてそれを乗りこえようとする。相手の中に飛び込み、相手を理解しようとすることは重要である。結局は対立ではなく融和を追及しなければならないのだから。互いの側から同じ問題を描いた映画があっていいのだ。決して同じものにはならないが、それらが並存すること自体相互理解の土台となる。

 DVDに特典映像はついていないが、代わりにかなり充実したリーフレットが付いている。イエスィム・ウスタオウル監督のインタビューが興味深い。一般の日本人にはクルド語とトルコ語の違いはまったく分からないが、その点で面白い指摘がある。メフメットがゾルドゥチの町を目指して旅をしている途中トラックが故障してしまう。たまたま通りかかった車を呼び止めるが、運転手はメフメットを乗せるのを拒否する。その時後部座席に乗っていた女性がそれはイスラム教徒が取るべき態度ではないと非難する。その一言でメフメットは車に乗せてもらえる。この印象的なシーンについて監督はこう語っている。実はメフメットと運転手はトルコ語で話しているが、割って入った女性はクルド語で話していた。彼女は二人が何を話していたか分からないが、目で相手の気持ちを読み取ったのだと。言葉が違っていても人々は理解しあえることを描きたかったのだという。字幕だけ読んでいたのでは分からなかった。興味深い指摘である。

 クルド人の村でこの映画を上映したときのエピソードも印象的だ。村で映画が上映されるのは初めてだったそうである。ベルザンを演じた俳優の母親も映画を観に来ていた。その母親はトルコ語が分からない。しかし映画にひきつけられ、映画の中の出来事がまるで実際に起きたことのように反応していたそうだ。息子が死ぬ場面の反応ははっきり書かれていないが、恐らく本当に息子が死んだような反応を示したのだろう。そして映画が終わった時には村人全員が立ち上がり、ものすごい賞賛を受けたそうだ。

 日本で紹介されるトルコ映画は少ない。しかしまだまだ優れた映画が紹介されないままに残っているはずだ。今後トルコ映画がもっと日本で紹介されることを強く望む。

パニのベランダで伊丹十三を読みながら

070611_5_1  久しぶりに喫茶店「パニ」に行った。幸いベランダの席が空いていたので、そこに座って伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)を読んだ。「北京の55日」を撮っていた頃の話だ。1963年の映画だからその1、2年前の話だろう。当時の伊丹十三は俳優をやっており、「北京の55日」や「ロード・ジム」などの外国映画にも出演していた。この2本は昔テレビでよく放送されていた。その頃の伊丹十三はまだ若造で、細身であまり存在感がなかった。当時は大根だと思っていた。まあ、大柄な外国人俳優に混じっていたのだから、(身体的にも存在感の上でも)小さく見えるのは無理もなかったわけだが。

 しかしこのエッセイは面白い。共演したチャールトン・ヘストンやデヴィッド・ニーヴン、あるいは他の俳優たち、プロデューサー、監督などの裏話が満載だ。あるいはイギリス、フラン070611_2_1 ス、スペインなどと日本を比較している部分も面白い。特にチャールトン・ヘストンにまつわる話が多く、どのエピソードもこっけいだ。小話などがふんだんに出てきて、しかもそれが実によく出来ているので感心する。さらに興味深いのは、当時から伊丹十三が演出や脚本について一家言を持っていたことだ。後に監督としてデビューする(1984年の「お葬式」が監督デビュー作)素地が既にこの頃から培われていたことが分かる。文章は軽妙で、知性と批判精神にあふれている。

 時々本を置いて目の前の景色を眺める。「茶房パニ」は独鈷温泉の裏山をさらにどんどん登っていった山の上にある喫茶店だ。まったくの山の中にあるので、周りには人家は数070611_1_1 軒しかなく、見えるのは山ばかり。まったく信州は山深い土地だ。山の向こうにまた山がある。遠くの山ほど青く見えるのを実感したのも信州に来てからだ。しかしどこを見ても山で視界がさえぎられているのは息苦しい。海岸に近い土地で育った僕は視界がさえぎられていると圧迫感を覚えるが、信州育ちの人は却って安心感があると言うから面白い。ベランダは高いところにあって下を見下ろせるのが一番いい。夜景にしても高いところから見下ろすから美しく見えるのだ。昨日「阿弥陀堂だより」を観たばかりだが、阿弥陀堂から見下ろす眺めは最高だった。下界の家々がジオラマのように小さく見える。遠くには山がそびえ、その山の後ろにはアルプスらしき雪をいただいた高山が見える。毎日こんな景色を眺めていたら体から毒素もすっかり出て行くだろう。

 ふとまた現実にかえると、目の前にヤマボウシの花が咲いている。うちのヤマボウシの花はとっくに枯れたのに、ここではまだ咲いている。季節が数週間遅れている感じだ。ベランダに出ているので気持ちがいい。麓では暑くてベランダで本を読む気分になれないが、ここまで上がってくると温度も2、3度低いのだろう。適度な気温で気持ちがいい。

 それにしても何でこんなにベランダは気持ちがいいのだろうか。うちにも玄関の横にテラスがありデッキ用のテーブルとチェアーが置いてある。ベンチもある。2階にはベランダがある。しかしこんなに気持ちよくはない。周りが家に囲まれているので落ち着かないし、眺めもよくないからである。やはりベランダやテラスは眺めがよくなければならない。広い庭で隣近所の目が気にならなければ、あるいは小高い丘の上で下を見下ろせる位置にあればくつろげるだろうが、うちのように猫の額程度のせまい庭では外から丸見えだ。

070611_8_2    レストランなどに素晴らしいベランダがあると、何とかうちにもこんなのを作れないかと想像してしまう。あるいは外国の映画に出てくるようなガゼボや和風のあづまやにもとても憧れる。駐車場のあそこをこうしてなどと考えるが、周りが家ばかりではそんなものを作っても仕方がないといつも最後はあきらめてしまう。リフォームばやりだが、庭やエクステリアの改造も放送してほしい。いろんな卓抜なアイデアを仕入れたい。

 子どもの頃は屋根裏部屋(あの屋根のところに窓がついているやつだ)と暖炉に憧れた。恐らく外国の小説を読んでいてうらやましいと思ったのだろう。屋根裏部屋は、夏は陽が当たって暑苦しいに違いない。狭苦しくて決して居心地はよくないだろう。だから外国では召使の部屋に使われるのだ。子供にとっては冒険心をくすぐるところがあって憧れるのかもしれないが、現実にはあまり快適ではないだろう(もっとも「劇的リフォーム ビフォーアフター」などを見ていると実にうまく作ってあって、あれなら快適そうに思えるけれども)。

 暖炉はなぜ憧れたのか今となってはよく覚えていないが、やはり日本にはあまりなじみの070611_4_1 ないものなので異国情緒を感じて憧れたのかもしれない。信州は寒いので暖炉を作っているところもあるが、たいていは見せ掛けだけの飾りである。中に電気ストーブが入っていたりする。しかし家の中にレンガの一角があるのはいいものだ。レンガは見栄えがして好きだ。うちでも庭の周りにレンガの塀を作ろうと考えている。全部を覆うのではなく、また高さも数段重ねただけの低いものだ。完全に覆ってしまうのは防犯上よくない。あくまで庭のアクセントである。赤レンガではなく、黄色いレンガがいい。落ち着いていて上品だ。まあ実際に作るのはいつになるか分からないが。出来てしまってからよりも、色々考えているときのほうが楽しいのかもしれない。

 「パニ」のベランダで考えたことと、家に戻って日記を書きながら考えたことが入り混じった文章になってしまった。それにしてもエッセイ風の文章を日記に書いたのは久しぶりだ。映画のエッセイはしょっちゅう書いているのだが、これは実際に映画を観ているから書ける。しかし純粋なエッセイは精神的に余裕がないと、あるいは何か強烈なきっかけがないと書けない。映画を観て感動したときは、興奮冷めやらぬまま感想を書く。精神が高揚している時に書くのでいい文章が書ける。1週間後ではとても書けない。ふさわしい言葉や表現が浮かんでこないのだ。日常的な行動を繰り返しているだけではエッセイのアイデアは浮かんでこない。

070611_3_1  「あの頃名画座があった」を書いたきっかけは、記憶があせてしまう前に昔のことを書き残しておきたいと考えたからだ。しかし実際に書き出したのは何かのきっかけがあったのに違いない。そのきっかけが何だったかは忘れたが。あの日は喫茶店に入って、手書きの映画ノートを見ながら夢中で書いていた。文字通り時間がたつのを忘れていた。ふと一息ついて顔を上げると、喫茶店のおじさんがものすごい顔でこちらをにらんでいた。はっとして時計を見ると大分時間がたっていた。珈琲一杯で何時間も粘られたのでは迷惑なのだろう。もっとも他には客がひとりもいなかったと思うが。あわててもう一杯珈琲を注文した。懐かしい思い出だ。

 エッセイは映画関係の文章に比べると収録数が少ない。もっと意識して書かなければ。しかし意志だけで書けるものではない。もっと非日常的な経験をたくさんしなければいけない。週末はもっと外出するようにしよう。

※写真は07年6月11日に撮ったものです。

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<ブログ内関連記事案内>
 「喫茶店考」
 「茶房『読書の森』へ行く」

裸足の1500マイル

paris382002年 オーストラリア映画
監督:フィリップ・ノイス
出演:エヴァーリン・サンピ、ローラ・モナガン
        ティアナ・サンズベリー、ケネス・ブラナー

 

 白人によって母親から引き離され、収容所に入れられた3人の女の子が、脱走して追っ手をかわしながら1500マイルもの距離を歩き通し、母親の元に帰るという映画である。隔離されたのは白人との混血児だ。その責任者のネヴィル(アボリジニたちはデヴィルと呼んでいる)を演じるのがケネス・ブラナーだ。実にいやな男を演じている。当時の、今も残っているだろうが、白人の偏見が実に如実に描かれている。

 ネヴィルが協力者の白人女性たちにスライドを見せる場面があるが、その中でクァドルーン、オクトルーンというなつかしい言葉を聞いた。白人と非白人との混血児をミュラートといい、そのミュラートと白人の間に出来た子供、つまり非白人の血が4分の1入っている混血児をクァドルーンという。そのクァドルーンと白人の間の子供、つまり非白人の血が8分の1入っている混血児をオクトルーンと呼ぶ。オクトルーンになればアボリジニの特徴はなくなると彼は力説する。混血児の問題を解決する方法はこれだというのである。彼は収容所に送られて来た子供を検分する。色が白いものだけを学校に入れるためだ。白ければ白いほど知能が高いと考えているのである。あるいは、脱走したモリーたちがフェンス(映画の原題は「ウサギよけフェンス」)沿いに逃げている(フェンスは彼女たちの村まで続いている)と聞いて漏らす、「石器時代の生活をしているくせに頭がいい」という言葉にも偏見が滲み出ている。

 子供たちの逃避行は容易なものではなかった。距離があるだけではない。通過する土地は荒れ果てており、砂漠も越えなければならない。何人か出会った人達に食べ物をもらったりしながら、少女たちは旅を続ける。彼女たちの逃避行をさらに困難にしているのは、追っ手の存在である。中でも手ごわいのは同じアボリジニの男である。足跡を読むなどの、白人にはまねの出来ない方法で脱走者を追ってくる。アボリジニにアボリジニを捕まえさせようという手段の卑劣さに怒りを覚える(追跡者の娘も収容所に入れられているのだ)。

 3人の少女たちがいい。特に長女のモリーの存在感は圧倒的だ。大きな眼が実に印象的で、疑わしそうに相手をにらみ、油断なく当たりを見渡すときの眼が実に雄弁だ。モリーたちは無事母親の元に帰り着くが、母親との再会の場面よりも逃走中の場面の方が素晴らしい。彼女たちの知恵と生命力に感心させられるからだ。ブッシュが延々と続く広大な土地で、水と食べ物を見つけるすべを13歳ぐらいにして既に身につけていたのである。土に生きる人たちの強さに驚嘆する。しかも、モリーは大人になってからも収容所に入れられ、また脱走したのである。しかし彼女の3歳の娘はつれ去られたままついに会うことはなかった。

 ネヴィルや女性看護人のクイーンズ・イングリッシュに、この隔離政策がイギリス帝国主義の延長線上にあることがうかがえる。オーストラリア代表としてオリンピックで活躍したアボリジニの女性陸上選手がいたが、この映画はその「裸足のランナー」よりも世界中の人々に感動を与えるだろう。

 先進国以外の国から次々と注目作が発表されるようになってきた。これまで世界映画市場に無縁だった国や地域や民族の人たちが今、自分たちの言葉と様式で語り始めているのである。


<追記>
 東京オリンピックが行われていた最中の2021年8月5日、オーストラリア政府は子供のころ強制的に家族から引き離された先住民アボリジニたちに、1人当たり7万5000豪ドル(約600万円)の賠償金を支払うと発表した。同国ではモリーたちのように家族や共同体から引き離された先住民の子供が10万人以上いたとされる。2008年にはラッド元首相がこれら「奪われた世代」を生み出したことを国の歴史上の「大きな汚点」だと認めていた。その後の批判の高まりを受けて、ついに今回モリソン現首相が過去の出来事に対して謝罪し、その責任をとると公式に表明したのである。

靴に恋して

c-twoスペイン映画(2002)
監督、脚本:ラモン・サラサール
出演:アントニア・サン・ファン、ナイワ・ニムリ、ビッキー・ペニャ
モニカ・セルベラ、アンヘラ・モニーナ、ダニエレ・リオッティ
エンリケ・アルキデス、ローラ・ドゥエニャス、ルドルフォ・デ・ソーザ
サンティアゴ・クレスポ

 このところのスペイン映画の好調ぶりを示す傑作である。これだけの作品を123位にしか位置づけられない「キネ旬」には大いに疑問を感じる。

 女性5人を中心にした群像劇である。ロバート・アルトマン監督の「ショート・カッツ」、あるいはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「21グラム」などのように、それぞれの登場人物がストーリーの進行につれて絡み合ってくる構成になっている。一方、作品内容から見ればロネ・シェルフィグ監督の「幸せになるためのイタリア語講座」に近い雰囲気を持っている。女性が自立して行くという点ではコリーヌ・セロー監督の「女はみんな生きている」にも通じる面がある。

 登場人物たちはそれぞれに悩みを抱えている。23歳のレイレ(ナイワ・ニムリ)は、高級靴店の店員。夢は靴デザイナーになることだが、才能に自信が持てずにいる。その上同棲していた画家のクン(ダニエレ・リオッティ)が彼女を捨てて出て行ってしまう。しつこいほど激しく愛を求めるレイレに辟易していたこともあるが、彼女がデザイナーの夢を捨ててしまったように思えることも彼が彼女を捨てた理由のひとつだろう。だからクンはレイレに「夢をあきらめるな」と告げ、彼女が書き溜めていた靴のデザインブックを手渡して出て行くのである。この「夢をあきらめるな」という言葉はこの作品全体のモチーフである。

 49歳のアデラ(アントニア・サン・ファン)はキャバレーのマダム。25歳の娘アニータ(モニカ・セルベラ)は知的障害者だ。アデラには本を書きたいという夢がある。アデラは客の1人レオナルド(ロソルフォ・デ・ソーザ)と恋におちるが、やがて彼には妻がいることを知り深く傷つく。アニータは毎日世話に来てくれるハンサムな看護学生のホアキンにひそかに恋をしている。しかしそれに気付いたアデラは二人を引き離す。アニータは絵が得意で、犬を連れてホアキンと散歩に行く姿を何枚も絵に書いていた。やがてその絵から犬が消える。二人きりになりたいという彼女の願望が絵に表れていた。言葉ではなく絵で彼女の気持ちを浮かび上がらせた演出が見事だ。

 43歳のマリカルメン(ビッキー・ペニャ)は亡くなった夫の後を継いでタクシーのドライバーをしている。3人の子供がいるが、いずれも夫の連れ子で血はつながっていない。麻薬中毒のダニエラが倒れて病院へ運ばれ、医師(監督のラモン・サラサールが自ら演じている)から「お母さんですか?」と聞かれた時、「母ではありません。一番身近な人間です。」と彼女は答える。この言葉に彼女の苦悩と悲しみが凝縮されている。

 タイトルの「靴」が最も重要な象徴的要素として使われるのはイザベル(アンヘラ・モリーナ)のケースである。45歳になるが子宝に恵まれず、夫婦仲はとうに冷え切っている。その夫とはアデラを口説いたレオナルドであった。彼女は満たされない思いを1サイズ小さい高級靴を買いあさることで埋めようとしている。しかし未だに彼女の足に合う靴は見つからない。

 このようにそれぞれが満たされない思いを抱き、悩み苦しみさまよっている。しかしこの映画が観客の共感をひきつけるのは、それぞれがそんな境遇から一歩踏み出して行くからだ。レイレはポルトガルに移り住み心機一転やり直すことによって、一度あきらめかけていた「夢」を再び追求し始める。レイレをポルトガルに連れて行ったのはタクシー運転手のマリカルメンだった。実はレイレは死んだ夫の連れ子の一人だったのである。二人の目的はリスボンの海に夫(レイレにとっては父)の骨をまくことであった。これでマリカルメンの気持ちが吹っ切れた。レイレの妹ダニエラも麻薬を断ち切り、新しい職を見つけた。アデラはキャバレーを止め本を書き始める。レオナルドとの恋は実らなかったが、長い間押し込めていた女としての自覚を取り戻すことが出来た。娘のアニータに対する母親としての愛情にも目覚めた。アニータの顔も見違えるほどに輝いている。彼女にも母親同様変化が訪れていた。アニータはホアキンと散歩に出たとき、彼女はいつもの散歩コースを離れ、初めて通る道に足を踏み入れた。初めて見る光景にはしゃぐ彼女の姿は感動的だった。その時彼女もまた一歩踏み出していたのである。イザベルは夫との生活に見切りをつけ、「人形の家」を出て行く。やはり最後にちらりと映る新しい靴をはいた彼女の足の短いカットは、ついに彼女の足に合う靴を見つけたことを暗示しているのだろうか?

 イザベルが捜し求めた靴とは「自分の本当の人生」を象徴しているのだろう。イザベルの家には何百足という靴のコレクションがあったが、白々とした照明の中に浮かぶそれらの靴はむしろ彼女の満たされない気持ちを表していた。5人の女たちはそれぞれに自分に合った靴を捜し求め続け、そしてどうやら見つけたのである。何度か流れるピアフの「バラ色の人生」が胸にしみる(「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」の使い方も効果的である)。「自分に合った靴」とは人生の「夢」と言い換えてもいいだろう。結末でレイレが読み上げるハビエル宛の手紙の言葉は美しく、また感動的だ。

みんな夢をかなえてほしい
忘れてしまった夢はどこへ?
どこかで待っているはず
きっと夢は”言い訳”だと思うわ
夢を言い訳にして
だから叶わぬ夢は悲しい顔をしてるの
とても残念だわ
現実を受け入れるのはつらい
でも夢を捨ててはいけない
幸せになりたい
心の底から幸せに
周りの人にも幸せを分けたい
最高に気分がいいわ
リスボンが好き ハビエル
キスを送るわ

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2005年8月28日 (日)

モディリアーニ 真実の愛

【製作年度】2004年
【製作国】英仏米伊独ルーマニア
【スタッフ】
 脚本:ミック・デイヴィス  
 監督:ミック・デイヴィス  
 音楽:ガイ・ファーレイ  
 撮影:エマニュエル・カドッシュ
【出演】
 アンディ・ガルシア、エルザ・ジルベルスタイン、オミッド・ジャリリ
 エヴァ・ヘルツィゴヴァ 、ウド・キア、イポリット・ジラルド、スージー・エイミー

 久々に映画館で映画を見た。それも日比谷のシャンテ・シネ3で。1時30分の回は長蛇の列が出来ていたので回避し、4時15分の回の切符を買う。座席指定になっていた。前からそうだったっけ?最後にシャンテ・シネに入ったのはもう10数年前だから覚えていない。

 それはともかく、映画の出来は今ひとつだった。はっきり言ってジャック・ベッケルの「モンパルナスの灯」より数段劣る。事実をかなり無視した作り物のドラマ構成が興醒めだ。病死ではなく暴漢に殴り殺されたり、ピカソと芝居気たっぷりに張り合ったり、劇的に盛り上げようとすればするほど、ハリウッド的演出の薄っぺらさが目立ってしまう。芸術家としての悩みはほとんど描かれず、ただ単に酒におぼれた破滅型の人物としてきわめてステレオタイプ的に描かれる。だいたいアンディ・ガルシアは画家に見えない。イタリア系とはいえモディリアーニがあんな派手な振る舞いをするだろうか?特に前半はドラマ展開がもたつき退屈だった。

 当時のエコール・ド・パリの雰囲気もよく出ているとは言えない。画家たちがみんなそれらしく見えない。ピカソは本当にあんな感じだったのか。ジャン・コクトーもピカソの腰巾着のようだ。モディリアーニがユダヤ系で、そのためにジャンヌの父が彼との結婚を激しく拒絶するエピソードも出てくるが、これも単なるエピソード以上の扱いを受けていない。モディリアーニの内面の葛藤が全くといっていいほど描かれていないからだ。ただ外面的に酒におぼれたり、麻薬に耽ったりする様子を描いているだけだ。

 ただ美術コンテストにそれぞれの画家が挑むあたりからは俄然盛り上がってくる。モディリアーニ、ピカソ、ユトリロ、キスリング、ディエゴ・リベラなどの製作過程が入り乱れるようにしてカットバックでつながれてゆく。軽快な音楽(「アヴェ・マリア」という曲らしい)に乗って、それぞれの画家がそれぞれの題材に向かい合う様子がテンポよく流れてゆく。この一続きの場面は秀逸だ。そしてコンペの当日最後に覆いがとられるモディリアーニが描いた絵、ジャンヌをモデルにした絵が素晴らしい。目に青い瞳が入れられている。その絵を見てピカソが思わず拍手をするが、確かにこの絵はインパクトがあった。実際の作品には瞳が描かれてはいないのだが、「君の魂が見えたら、その瞳を描こう」というせりふが前に伏線として張られていたために効果は抜群だ。

 しかし素晴らしいのはそこまで。その後はただのお涙頂戴に堕してしまう。結婚証明書をようやく手に入れ、コンテスト会場に向かう途中モディリアーニは暴漢に襲われる。血だらけでジャンヌの元に転がり込んだ彼は、破れた証明書を彼女に手渡す。いかにも受け狙いの安っぽい演出。このように全体にハリウッド調演出が興をそいでいる。6カ国が共同で製作しているのだから、もっとヨーロッパ調の作りに出来たはずだ。ピアフの「バラ色の人生」などがうまく使われていて、音楽の使い方には感心するところもあるが、如何せんドラマが薄っぺらでは全体としてみれば平板な出来だと言わざるを得ない。

レンブラント 描かれた人生


【製作年度】1936年
【製作国】イギリス
【スタッフ】
 製作:アレクサンダー・コルダ
 脚本:カール・ザックマイヤー
 監督:アレクサンダー・コルダ
 音楽:ジェフリー・トーイ
 撮影:ジョルジュ・ペリナル
【出演】
 チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスター、ガートルード・ローレンス
 エドワード・チャップマン、ジョン・クレメンツ、レイモンド・ハントレー

 アレクサンダー・コルダ監督、チャールズ・ロートン主演。「ヘンリー八世の私生活」のコンビで撮った2作目。悪かろうはずがない。コルダのフィルモグラフィーを見てみるがいい。まるでイギリス映画傑作選のリストを見ているようだ。初期のものはともかく35年以降の作品はほとんどが名作だ。アーサー・ランクとアレクサンダー・コルダはイギリスの2大プロデューサーとして、数々の名作を世に送り出してきたのである。参考までに、だいぶ古いが上野一郎監修『現代のイギリス映画』(河出新書、1955年)から関連部分を引用しておく。

 イギリス映画の全盛をもたらしたもう一つの有力な原因は、その製作機構である。イギリスの制作システムは、アメリカとフランスの中間に位置している。アメリカの大会社システムは強大な資本力によってデラックス級の豪華作品の製作を可能にするが、一方芸術家の自由を制限する。フランスの独立プロ・システムは芸術家の自由を許すが、資本力の不足がしばしば各企画を不発に終わらせる。それに対してイギリスは映画会社の組織のなかに製作プロを包含して、資本力でバックアップしながら製作に関してはプロの自由を最大限に認めるという方法をとった。そのシステムの活用によって芸術家は思いのままに創作活動に専念することができた。戦後のイギリス映画の大半はJ.アーサー・ランクのランク・オーガニゼーションとアレキサンダー・コルダのロンドン・フィルムズの二系統に入るが、優秀な制作者・監督はおおむねその傘下に属している。イギリス映画はその意味で制作者・監督の個性と作風によってさらに特色ずけられると言ってよい。

 「レンブラント 描かれた人生」はレンブラントの愛妻サスキアが死ぬところから始まる。それまでが彼の人生の頂点だった。したがってこの映画は頂点からどん底に落ちてゆく彼の後半生を描いていることになる。

 サスキアが死んだ後レンブラント(正式な名前はレンブラント・ファン・ライン、1608-1669)の生活は苦しくなり、ついには破産宣告を受け家まで競売にかけられて奪われてしまう。そうなったのは依頼人の希望通りには描かないからだ。冒頭でも彼が依頼された仕事をせず、妻のサスキアばかり描いていると揶揄される場面が出てくる。その典型的な例として描かれるのが、有名な「夜警」の絵である。依頼者たちはかっこよく威厳に満ちた絵を期待していたのだが、描かれた絵は薄暗く、人物の半分は誰が誰なのかもわからない。みっともない絵だと笑いものにされ、依頼者たちからは抗議を受ける。しかしレンブラントは人物たちの身分や外見ではなく人物そのものを描いたのだといって譲らない。お前たちで立派なのは帽子だけだろうとあざける。このあたりの豪放な立ち居振る舞いは巨漢の名優チャールズ・ロートンでなければなかなか出せまい。

 しかしこんなことを続けていれば金に困るようになるのは目に見えている。サスキアが死んだ後も彼の面倒を見ている家政婦のヘールチェは仕事を請けろと毎日矢の催促だ。しかしレンブラントは自分の気に入った題材しか描こうとしない。金に困ってもさほどうろたえないが、日々生活が苦しくなってゆくことは確かだ。彼の心情は苦々しげに放った次のせりふによく表れている。(息子に向かって)「大人になっても自由など手に入らんぞ。大人の世界は狭い檻と同じだ。閉じ込められもがき苦しむ。生きている限り絶対に出られない。」

 金がなくてもへこたれなかったのはレンブラントの新しい「妻」ヘンドリッキェも同じである。彼女は新しく雇われた家政婦だったが、彼女を一目見てレンブラントは気に入ってしまいその場でさっそく絵のモデルにした。やがて二人は愛し合うようになる。ただサスキアの遺言が制約になっていて、どうやら正式には結婚できなかったようだ。世間は彼女を「愛人」扱いして教会への出入りを差し止める。二人の生活は苦難続きだったのである。それでも、破産して家を出てゆく時、家具が持ち去られるのを見ながらヘンドリッキェはレンブラントにこう言っている。「小さな家で十分よ。大きな家は嫌いよ、居心地悪いから。狭くても絵は描けるわ。必要なものは少しの服と温かいスープ、そして私。」まるでチャップリンのせりふのようだ。

 しかし映画はそんな二人をただロマンチックに描きはしない。法は容赦なく二人を追い立ててゆく。世間の評判も同じである。画家としては尊敬されていたようだが、それは人物としての評価と重なりはしない。ヘンドリッキェが情熱を込めて上の様に語った直後に客観描写が差し挟まれる。手前に3人の男たちが立っていて、その向こうを追い立てられるようにして家を出て行く二人が通ってゆく。二人を見ながら男たちは語り合っている。「彼は善良な男だった。こんな報いを受けるとは。」「報い?当然の結果だ。金のない男はろくなもんじゃない。」人間の価値は善良さではなく金で判断されるのである。

 ただ絵を描けと怒鳴るばかりだった前の家政婦ヘールチェと違って、ヘンドリッキェは法を逆手にとってレンブラントを守る。彼は破産していたので勝手に絵を売ることができない。絵はまず債権者のものなのである。しかし彼女は自分を画商に仕立てレンブラントをその従業員ということにしてしまう。したがって彼の絵は彼女のものだから彼が勝手に絵を売ったことにはならない。そう言って、勝手に絵を売ったのは法律違反だと押しかけてきた債権者たちを追い返す。なんとも胸のすく場面だ。

 しかし無理がたたって(節約のため女中を雇わず家の仕事を全部彼女が取り仕切っていた)彼女の体は病魔に蝕まれていた。彼女の死が近いと知っていたレンブラントは彼女の絵を描いている。描き始めるときレンブラントは「男に見つめられることになるが、これは画家の視線だから気にすることはない」と彼女に言う。この言葉は二人がはじめて会ってすぐさま彼女の絵を描いた時に言った言葉だ。その先のせりふを彼に代わってヘンドリッキェが続ける。彼が言った言葉をヘンドリッキェは一字一句正確に覚えていた。そうやって二人はひとしきり昔に帰る。その直後モデルとして椅子に座ったまま彼女は静かに死んでゆく。決して涙を誘うような場面ではない。しかし苦労ばかりしてきた二人の生活の中で唯一しっとりとした時間が流れる瞬間である。忘れがたい場面だ。

 この映画のラストがまたいい。レンブラントの最晩年。彼は金もなくすっかり落ちぶれている。彼は知り合いに金を恵んでもらう。その男は肉を食べて体を丈夫にしなさいと親切に言葉をかける。レンブラントはさっそく店に入る。店主はまたたかられると思って追い出そうとする。レンブラントはカウンターにこれ見よがしに金を投げ出し、そして肉ではなく画材を買って行く。落ちぶれても彼は画家だった。金や名声などどうでもいいという心境に達していた。彼が最後に到達した心境は「空は空なり(Vanity is vanity.)」というものだった。

 レンブラントは終始芸術的信念と健全な精神を持った人物として描かれている。卓越した芸術家特有の狂気にも近い屈折した面は全く描かれていない。77年にオランダのヨス・ステリング監督が「レンブラント」という映画を撮っているが(未見)、こちらは彼の狂気も描きこんでいるようだ。二つの作品を比べれば物足りないと感じる面もあるかもしれないが、彼のヒューマンな面を強調した作品ととらえればいいだろう。

 

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韓国映画の流れ

 2004年5月4日付けの朝日新聞に「韓国産映像アジアを覆う」という記事が載っていた。「冬のソナタ」の大ヒットをきっかけに韓国ドラマは日本でも大人気だが、その人気は日本だけにとどまらず中国、台湾、東南アジア各国などアジア全域に広がっているという。記事はテレビドラマ中心だが、映画も広くアジアに浸透しているようだ。韓国の映像文化が勢いを得ている背景には、韓国政府の積極的な映像文化振興政策がある。97年のアジア金融危機をきっかけに韓国政府は文化産業へのてこ入れを強めてきた。98年から2003年の間に韓国映画の輸出額は実に11倍に伸びている。これは驚異的な数字だ。

1980年 新しい出発
 しかし政府の支援策だけではこれだけの急成長を説明できない。実は韓国映画の水準はもともと高かったのだ。2000年の末に、「長雨」、「森浦への道」、「帰らざる海兵」、「朴さん」、「誤発弾」、「ノダジ」、「荷馬車」、「ハンネの昇天」など、60、70年代の作品8本が一気にビデオ化された。「ノダジ」は今ひとつだったが、それ以外はすべて傑作である。1950年代末から60年代半ばにかけての第二期黄金時代以後、韓国映画は軍事政権の下で長い停滞期が続いていた。その停滞期とされる時期にこれほどの水準の作品を作っていたとは、ただただ驚嘆するばかりだ。1980年以降ようやく韓国映画は停滞から脱した。イ・チャンホ、ペ・チャンホ、イム・グォンテクの三大巨匠が次々と傑作を放ち始めた。これらの作品を日本はずっと無視してきたのだ。
 そのあたりを自分の体験を交えて振り返ってみたい。僕が韓国映画を意識し始めたのは80年代末ごろだ。もっとも、当時は「鯨とり コレサニヤン」、「達磨はなぜ東へ行ったのか」、「旅人は休まない」といった、かわった題名の映画が入ってきたなという程度の認識だった。80年代末から90年代初めごろビデオ屋にあった韓国映画はほとんどがエロチックな映画で、僕が最初に見た韓国映画も「桑の葉」だった(^-^;。同年に「シバジ」、「旅人は休まない」、「ディープ・ブルー・ナイト」も見てはいるが、その後数年は空白。東京映画祭でグランプリを取った「ホワイト・バッジ」と米兵に体を売りながらもしぶとく生き抜いてゆく一人の母親を描いた「銀馬将軍は来なかった」という力作2本が93年に公開されたが、当時はまだ関心は持たなかった。
 そこへ突然94年に登場したのが「風の丘を越えて」という傑作である。多くの人が韓国映画の最高傑作と称えるこの作品の登場は、韓国映画に対する僕の認識を一夜にして変えてしまった。だがその後またしばらく空白の時期が続いた。96年公開の元従軍慰安婦を取り上げたドキュメンタリー「ナヌムの家」、97年公開の社会風刺映画「われらの歪んだ英雄」、99年公開の傑作ラブ・ストーリー「八月のクリスマス」等が注目された程度だ。

「シュリ」から始まった韓国映画ブーム
 何といっても日本で韓国映画ブームの原点になったのは、2000年に公開された「シュリ」の大ヒットである。さらに「シュリ」より作品的に高く評価されたのは、同年公開の「ペパーミント・キャンディ」だ。韓国映画得意のラブ・ロマンスの佳作「美術館の隣の動物園」も同じ年に公開されている。
 その後はまるで堰を切ったように韓国映画が流れ込んできた。翌年の「JSA」、「イルマーレ」、「リメンバー・ミー」、「リベラ・メ」、「魚と寝る女」、「反則王」、「ユリョン」、2002年の「ラスト・プレゼント」、「友へ・チング」、「春の日は過ぎ行く」、そして2003年には「おばあちゃんの家」、「二重スパイ」、「猟奇的な彼女」、「吠える犬は噛まない」と傑作、話題作が目白押し。2004年に入っても「殺人の追憶」、本国での観客動員数の記録を塗り替えた大作「ブラザーフッド」と「シルミド」が相次いで公開され着実にファンを増やした。他にも「MUSA」、「オールド・ボーイ」、「SSU」(日本の「海猿」はほとんどこのまね)、「春夏秋冬、そして春」、「永遠の片想い」、「子猫をお願い」と傑作・話題作が続々と公開された。「大統領の理髪師」と「オアシス」は未見だが、傑作に違いない。「風の丘を越えて」のイム・グォンテク監督の主要な作品も次々に公開された。
 ただその反面、「冬ソナ」ブームのあおりで大量にラブ・ロマンスものが入り込み、質的に大したことがない作品までレンタル店の棚にあふれている状況が出現した。ほとんど迷惑だ。また「カル」、「H」などのサスペンス・ホラー、「4人の食卓」「箪笥」などのホラーも大量に輸入されたが、どれも大したことはない。サスペンス・ホラーはアメリカにかなわないし、ホラーなら日本のほうが上だ。
 独自の映画文化を築き上げてきた中国映画に対し、韓国映画は、ラブ・ロマンスに独自の境地を切り開いてはいるが、全体としてアメリカ映画路線に近づいている。韓国映画は今後どのような方向に向かうのか。韓国映画の方向を決定するのは韓国社会の発展方向だろう。当分韓国と韓国映画から目が離せない。  

近頃日本映画が元気だ

日本映画の黄金時代
 1950年代は日本映画の黄金時代だった。巨匠たちが競い合うようにして歴史に残る名作を次々に生み出していた。東映の黒澤明、内田吐夢、松竹の小津安二郎、家城巳代治、木下恵介、五所平之助、渋谷実、清水宏、大映の衣笠貞之助、溝口健二、吉村公三郎、東宝の稲垣浩、成瀬巳喜男。他にも小林正樹、豊田四郎、そして社会派の2大巨匠今井正と山本薩夫。錚々たる顔ぶれである。
 その前の時代の阿部豊、伊藤大輔、伊丹万作、亀井文夫、島津保次郎、山中貞雄、山本嘉次郎等を加えると、まさにビッグ・ネームのオンパレード。圧倒される思いである。

テレビの普及 下降の時代 
 しかし60年代の高度成長期に入りテレビが普及してくると、映画はテレビに次第に押されてゆき、長期低落の傾向が顕著になってくる。60、70年代には市川崑、今村昌平、浦山桐郎、岡本喜八、黒木和雄、熊井啓、新藤兼人、勅使河原宏、野村芳太郎、羽仁進、増村保造、山田洋次、吉田喜重などの新しい世代が活躍するが、もはや巨匠の時代は終わったといってよいだろう。
 それでもまだ今よりは活況を呈していた。この時代に様々な大ヒットシリーズが生まれている。70年代の東映を支えた「仁義なき戦い」「トラック野郎」の2大ヒットシリーズ、それらと並ぶ東映の看板作品となった「網走番外地」シリーズ。東映はまた美空ひばり主演の映画も数多く製作した。ひばりと結婚したマイトガイ小林旭は石原裕次郎、「拳銃無頼帖」シリーズの赤木圭一郎とならんで日活の人気を支えた。松竹のご存知「男はつらいよ」シリーズは、第1作発表後27年間に48作が製作される大ヒットシリーズとなった。大映は勝新太郎の3大人気シリーズ、「座頭市」シリーズ、「兵隊やくざ」シリーズ、「悪名」シリーズを放ち、市川雷蔵主演の「陸軍中野学校」シリーズも大ヒットさせた。植木等の「無責任&日本一」シリーズとクレイジーキャッツの「クレイジー作戦」シリーズは喜劇の東宝。東宝はこの他にも森繁の社長シリーズと駅前シリーズ、加山雄三の若大将シリーズなどヒットシリーズをいくつも抱えていた。

どん底から活況へ
 しかし長期低落傾向は止まらなかった。80年代は恐らくどん底だろう。90年代後半ごろから新しい世代が出始めやや上向きになってきた。ようやく2000年以降になって、韓国映画の勢いに対抗するかの如く、秀逸な作品が大分作られるようになってきた。世界の映画祭で日本の作品が賞を受賞するようになってきたのもこの頃からである。宮崎駿の優れたアニメ作品が世界的に評価されてきたことも、日本映画の勢いをかなり後押ししていると思われる。
 「スウィング・ガールズ」「茶の味」「下妻物語」「深呼吸の必要」「この世の外へ クラブ進駐軍」「GO」「ジョゼと虎と魚たち」「ホテル・ハイビスカス」「突入せよ!『あさま山荘』事件」「ピンポン」「阿弥陀堂だより」「誰も知らない」。多少不満はあるが「東京原発」「草の乱」「美しい夏キリシマ」「チルソクの夏」「刑務所の中」「理由」「犬猫」なども悪くない。あるいは日本映画といえるか微妙だが、「珈琲時光」もなかなかの秀作である。「ハウルの動く城」「隠し剣 鬼の爪」「たそがれ清兵衛」などの巨匠の作品を別にしても、自分が見て感心したものだけでこれだけある。なかなかのものだ。まだまだ見落としているものもたくさんある。志の低い情けない作品がまだ圧倒的に多いが、今後どのような素晴らしい作品が生まれてくるか楽しみである。
 以前に比べて日本映画の製作体制が格段に良くなってきたわけではないだろう。映画人の養成機関も増えてきているようだが、まだまだ課題は多い。作りたくても資金が調達できなくて製作できないケースは多々ある。巨匠といわれる人でもその点では大した違いはない。国の支援体制を抜本的に強化したイギリスや韓国、テレビと映画が協力して国の支援なしでも映画の製作、上映、保存、修復体制を支援・維持しているフランスなどからもっと学ぶべきである。ちなみに中川洋吉著『生き残るフランス映画』(希林館)はフランスのシステムを詳しく紹介していて大いに参考になる。しかし、何よりも今必要なことは、映画は後世に伝えるべき優れた文化遺産だという認識を国と国民の中に根付かせることだ。これがなければ映画はいつまでも単なる「商品」というアメリカ式の考え方から抜け出せないだろう。

BFI 14歳までに見ておくべき映画トップ50

 これは2005年の7月13日にバービカン・シネマで行われた「Watch This!」討論会でのノミネートと投票に基づいて選ばれたリストに邦題をつけたものです。主催はbfi(British Film Institute)とバービカンで、ヨーロッパ中の個人や教員、映画制作者、児童映画組織関係者などが集まりました。
 日本から宮崎駿の「千と千尋の神隠し」と「となりのトトロ」が選ばれているのは喜ばしいことです。もっとも世界中に日本のアニメと漫画が広まっている現状を考えれば当然の結果かもしれません。一方、子供に見せる映画として「自転車泥棒」「狩人の夜」「大地のうた」「アラバマ物語」などが選ばれることは日本では考えられません。これにはちょっと驚きです。「マルクス一番乗り」「月世界旅行」「赤い風船」「美女と野獣」(ジャン・コクトー)なども普通はなかなか思いつかないでしょう。言われてみれば確かになるほどとは思いますが。
 個人的にうれしいのは「キリクと魔女」「裸足の1500マイル」「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「ミツバチのささやき」「クジラの島の少女」「友だちのうちはどこ?」「白い風船」などが入っていることです。イギリス映画が少ないこととあわせて、選者たちはバラエティに富ませようと大分苦心したのでしょう。古典的名作もたくさん選ばれています。新しいものにばかり目が行く日本ではこうは行かないでしょう。日本のように文部省推薦といった形式ばった選考になっていないところも、さすがにヨーロッパだと感心します。

アルファベット順

A Day at the Races (Sam Wood, 1937, USA)  「マルクス一番乗り」
The Adventures of Robin Hood (Michael Curtiz/William Keighley, 1938, USA)  「ロビンフッドの冒険」
Au revoir les enfants (Louis Malle, 1987, France/W.Germany)  「さよなら子供たち」
Back to the Future (Robert Zemeckis, 1985, USA)  「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
Beauty and the Beast (Gary Trousdale/Kirk Wise, 1991, USA)  「美女と野獣」(アニメ)
Bicycle Thieves (Vittorio De Sica, 1948, Italy)  「自転車泥棒」
Billy Elliot (Stephen Daldry, 2000, UK/France)  「リトル・ダンサー」
E.T. the Extra-Terrestrial (Steven Spielberg, 1982, USA)  「ET」
Edward Scissorhands (Tim Burton, 1990, USA)  「シザーハンズ」
Etre et Avoir (Nicolas Philibert, 2002, France)  「ぼくの好きな先生」
Finding Nemo (Andrew Stanton/Lee Unkrich, 2003, USA)  「ファインディング・ニモ」
It's a Wonderful Life (Frank Capra, 1946, USA)  「素晴らしき哉、人生!」
Jason and the Argonauts (Don Chaffey, 1963, UK/USA)  「アルゴ探検隊の大冒険」
Kes (Ken Loach, 1969, UK)  「ケス」
The Kid (Charles Chaplin, 1921, USA)  「キッド」
King Kong (Merian C.Cooper/Ernest B.Schoedsack, 1933, USA)  「キング・コング」
Kirikou et la sorcière (Michel Ocelot, 1998, France/Belgium/Luxembourg)  「キリクと魔女」
La Belle et la bête (Jean Cocteau, 1946, France / Luxembourg)  「美女と野獣」
Le Voyage dans la lune (Georges Melies, 1902, France)  「月世界旅行」
Les Quatre cents coups (Francois Truffaut, 1959, France)  「大人は判ってくれない」
Monsieur Hulot's Holiday (Jacques Tati, 1953, France)  「ぼくの伯父さんの休暇」
My Life as a Dog (Lasse Halstrom, 1985, Sweden)  「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」
My Neighbour Totoro (Hayao Miyazaki, 1988, Japan/USA)  「となりのトトロ」
The Night of the Hunter (Charles Laughton, 1955, USA)  「狩人の夜」
Oliver Twist (David Lean, 1948, UK)  「オリヴァ・ツイスト」
The Outsiders (Francis Ford Coppola, 1983, USA)  「アウトサイダー」
Pather Panchali (Satyajit Ray, 1955, India)  「大地のうた」
Playtime (Jacques Tati, 1967, France/Italy)  「プレイタイム」
The Princess Bride (Rob Reiner, 1987, USA)  「プリンセス・ブライド・ストーリー」
Rabbit-Proof Fence (Phillip Noyce, 2002, Australia)  「裸足の1500マイル」
Raiders of the Lost Ark (Steven Spielberg, 1981, USA)  「レイダース 失われたアーク」
The Railway Children (Lionel Jeffries, 1970, UK)  「若草の祈り」
The Red Balloon (Albert Lamorisse, 1956, France)  「赤い風船」
Romeo + Juliet (Baz Luhrman, 1996, USA)  「ロミオ&ジュリエット」
The Secret Garden (Agnieszka Holland, 1993, UK/USA)  「秘密の花園」
Show Me Love (Lukas Moodysson, 1998, Sweden/Denmark)  「ショー・ミー・ラブ」
Singin' in the Rain (Stanley Donen/Gene Kelly, 1952, USA)  「雨に唄えば」
Snow White and the Seven Dwarfs (Disney, 1937, USA)  「白雪姫」
Some Like it Hot (Billy Wilder, 1959, USA)  「お熱いのがお好き」
The Spirit of the Beehive (Victor Erice, 1973, Spain)  「ミツバチのささやき」
Spirited Away (Hayao Miyazaki, 2001, Japan)  「千と千尋の神隠し」
Star Wars (George Lucas, 1977, USA)  「スター・ウォーズ」
To Kill a Mockingbird (Robert Mulligan, 1962, USA)  「アラバマ物語」
Toy Story (John Lasseter, 1995, USA)  「トイ・ストーリー」
Walkabout (Nicholas Roeg, 1971, UK)  「美しき冒険旅行」
Whale Rider (Niki Caro, 2002, New Zealand)  「クジラの島の少女」
Where is the Friend's House? (Abbas Kiarostami, 1987, Iran)  「友だちのうちはどこ?」
Whistle Down the Wind (Bryan Forbes, 1961, UK)  「汚れなき瞳」
The White Balloon (Jafar Panahi, 1995, Iran)  「白い風船」
The Wizard of Oz (Victor Fleming, 1939, USA)  「オズの魔法使い」

British Film Institute, Education, Watch This より

記録映画の傑作「柳川掘割物語」

1987年 記録映画、167分
監督、脚本:高畑勲
製作:宮崎駿
撮影:高橋慎二

日本が貧しかった頃、どの村にも小川が流れていた。
春の小川はさらさらとゆき、
岸にはすみれやレンゲの花。
子どもは子鮒を釣り、夏のホタルを追ってあそんだ。
日本が貧しかった頃、どのまちにも掘割があった。

  「柳川掘割物語」は、アニメ界の俊英、宮崎駿と高畑勲が、それぞれ製作と監督を受け持った長編記録映画である。2時間45分という記録映画にしては異例の長さだが、最後までまったく飽きさせない。まず、簡明で美しいナレーションがすばらしい。冒頭に引用したのはその初めの部分だが、映像とよくマッチし、観る者により深い理解と感銘を与える。そしてこのナレーションと映像が綴った「物語」がまた見事である。以下、この映画の素晴らしさを4つの主題に即して紹介したい。

 まず最初の二つの主題は柳川の風土の美しさと、水と人の生活の調和を描くことである。水路の水は決して澄み切ってはいないが、魚が泳ぐのが見え、また回りの風景とよく調和している。竿一本で舟をこぐ船頭と船の姿も絵になっている。監督の高畑勲が、「地上から撮ればどこを撮っても似てくる」が、「小船の上にカメラを据え付けて撮れば、地上からみてる風景とは全然違った風景が拡がる」と言っている。この発想は非常に重要である。小船に据えられたカメラは、水路自体のみならず、その回りの人々やその生活までも映し出す。水路から水を汲んでいる人、洗濯をする人、近くで遊んでいる子供たち、釣りを楽しむ人々。人家の裏をぬうように水路が走っているのだ。柳川の美しさは、水路と人々の生活が調和している美しさである。このことは水路から見てはじめてわかる。また小船にカメラを据えたことは、映画そのものの流れに川の流れのようなゆったりとしてテンポを与えている。そのテンポは過去から現在にいたる掘割と人間の交流・共存の歴史を語るのにふさわしい速度である。

 柳川の掘割は土地面積の20%を超え、柳川市全体で総延長470キロメートルにも達するという。水路は人々の生活を支えている。この水との長い付き合いの歴史はいくつもの素晴らしい文化遺産を生み出し、また北原白秋のような詩人を生んだ。白秋祭や川祭り、そして城掘水落ちなどの行事は、水とのかかわりの中で生まれたこの地方独特の文化である。今では昔語りでしかない「ふるさと」がここにはあるのだ。柳川生まれでないわれわれまでが、この映画を見てなつかしいと感じるのはそのためだろう。

 柳川の掘割は、空から見ればよく分かるが、文字通り大地の血管なのである。水を守ることは人々の命を守ることなのだ。自然を生かし、そして自然とともに生きる。人々がこの「水とのわずらわしいかかわりあい」を止めてしまったとき、掘割は死に、人々の生活も荒れ果てる。ほとんど自然を失ってしまった都会に住むわれわれには、この「わずらわしさ」がむしろうらやましい。だがこの水とのつきあいは厳しいものであった。昔まだ水がきれいだったころ、子供たちは掘割で泳いだが、その子供たちは毎朝(冬場は寒さにふるえながら)掘割から手桶いっぱいの水を何杯も汲まねばならなかった。田より低い水路から水を引くために、農民は水車を踏み続けなければならなかった。現在でも水草取りやゴミすくいなどの面倒な仕事がある。水と人間の生活の調和は、人々が「わずらわしいかかわりあい」を止めた時、破れてしまうのである。

 ではその調和を保ち、「水から生活を作る」ために、代々の人たちはどのような工夫をしてきたのか。映画はナレーションと実写の外にアニメーションを加え、柳川の水利システムを分かりやすく説明する。そこに説明された、人間の驚くべき知恵。この映画が描く三つ目の主題はこれである。たった一本の川から、いかにしてこの平地の全域に水を行き渡らせるか。柳川の人々は自分たちの生活を守るためにさまざまな工夫をしてきたが、なかでも感心させられたのは「もたせ」の仕組みである。「もたせ」とは「水路網の水位を保つために節目節目に設けられた」様々なタイプの樋門や堰を利用して、「大雨の際も、水の流れを妨げ、もちこたえ、水路網全体に水を分散させて、排水口や下流へたどり着くまでの時間をかせぐ」ようにするシステムである。水を活かし、人を活かすというこの土地ならではの発想が生んだ、合理的なシステムである。ナレーションは、この祖先の知恵が考え出した治水と利水を兼ね備えたシステムを、近代的合理主義(「せっかく降った雨を巨大な地下のパイプやポンプで川に捨て、コンクリートの堤防で閉じ込めて素早く海へ流し去る。それで足りなくなった水は遠い他人の土地にダムを作って取ってくればよい」)と比較して、一体どちらが本当に合理的なのかと問いかける。

 列島改造時代に水路がすっかり荒廃し用をなさなくなってしまった時に、問われたのはまさにこのことだった。荒れ果て悪臭を放つ水路を暗渠にし、文字通り臭いものにふたをするのか、それとも人工による再生ではなく、水と掘割が本来もっている力を復活させるのか。市当局は高度成長のおりから、当初前者の道を選んだ。しかしその計画を担当することになった係長がこの計画に疑問を抱き、市長に直訴し、ついにその考えを変えさせ、後者の道を選ばせた。この作品を感動的なものにしている四つ目の主題はこの浄化運動である。係長の広松氏は市長を説得した後住民の間に運動を起こし、住民と行政の連帯を作り上げ、この困難な課題をやり遂げる。それは確かに困難な課題だった。なぜなら、それは自然保護という受け身的な運動ではなく、自然の再生だったからである。しかもそのためには、「進歩・近代化」をうたった当時の列島改造論に真っ向から逆らい、住民の意識を変えて行かねばならなかったのだ。掘割の再生は「人間の和」の再生でもあった。人々の間の連帯があって、初めて人間と水の調和・共存が取り戻され、また維持されるのだということを、この映画はわれわれに教えてくれる。

 そしてこの人間の和は生活の中にも浸透している。祭りの際には年長者が子供たちに祖先から伝えられてきたものを伝え、年上の子は下の子に舟のこぎかたを教える。この映画のラストは5月の水天宮祭りの実写で終わる。祭りは人の和で成り立つ。水路の上で太鼓をたたき三味線を弾く子供たちは、大人たちの伝統を受け継いでいる。人々は水路の周りに集まり交流を深める。「町の人たちの、町の人たちによる、町の人たちのための祭り」である水天宮祭りは、さながら住民の連帯感と自治意識の力を示し、祝っているかのようだ。

1988年3月8日執筆

道の向こうに何があるか

friedrich 行きつけの書店の写真集コーナーを見ていたとき、ふとある写真集の表紙が目に留まった。風景写真である。手前には背の低い草が一面に広がった丘があり、その真ん中をくねるように道が走っている。その道は丘のゆるい斜面を登り、一番高いところで見えなくなっている。その先には森があり、木立がうす靄に覆われてうっすらと暗い影のように立っている。道の切れ目のすぐ上に、かすんだ木立にかぶせるようにしてタイトルが黒字で縦に入っている。『道のむこう』。

 どこか中国映画の「初恋の来た道」を思わせる絵柄だった。しかし、この本を手にとってみようと思わせたのは、その写真よりもむしろタイトルの方だった。もしタイトルが単に『道』だけだったならば、おそらく取り出して中を見ることはなかっただろう。『道のむこう』となっていたから興味を引かれたのである。子供の頃、高い塀の向こう側はどうなっているのか、あの山の向こうには何があるのだろうか、と誰しも思ったことがあるだろう。その先に何があるのか、人は見えないものに惹かれる。この写真集のタイトルが注意を引いたのは、瞬間的にこの感覚を思い出したからだろう。

 話はすこし飛ぶが、僕はフリードリヒの絵が好きだ。あの幻想的な絵柄にとても惹かれる。<エルベ川の夕暮れ>、<朝の田園風景(孤独な木)>、<樫の森のなかの修道院>、<海辺の日の出>、<エルデナ修道院跡>などのように、彼の絵は風景画を描いても独特の幻想的雰囲気を漂わせている。そして何といっても彼の特徴は、常に画面の向こう側を見ている人物たちが絵に描きこまれていることである。<海辺の日の出>の中で海辺の岩に座っている3人の人物も、体は左側を向いているが、顔は画面の奥にある海に向けている。もちろん、「自然に向き合う人間」というこのテーマが典型的に表れているのは、有名な<朝日のなかの婦人>や<雲海のうえの旅人>などである。この2作とも後ろ向きの人物が画面の中央に描かれている。僕がフリードリヒに惹かれるのはその幻想的な作風のためでもあるが、この向こうを向いて何かを眺めている人物のたたずまいが、画面に描かれていない何かを描きこんでいるように思えるからである。おそらく、鑑賞者は自分をこの中央の人物に重ねて見ている。背を向けている人物の向こう側の景色を鑑賞者である自分が見つめるように、絵の中の人物も目の前の風景を眺めているに違いない、とそう思うのだ。人物が描かれていなければ鑑賞者は自分の感覚で風景を眺めるが、人物が描かれている場合、そこに描かれた人物の視点が入ってくる。彼あるいは彼女は眼前の景色を見て何を思っているのか。背を向けていて表情がわからないだけに、なおさら人物の「思い」を想像したくなる。

 「向こう側を見つめる人」と「途中で途切れていてその先が見えない道」、この二つには何か共通するものがあるのではないか。後者の場合、道とその「向こう側を見つめる人」は自分である。なぜなら、この写真集には人物が一人も写っていないからである。鑑賞者だけが道と向き合っている(実際には撮影者もいるのだが、撮影者の視点は鑑賞者のそれと重なっている)。

Photo  写真集そのものに戻ろう。撮影者のベルンハルト・M・シュミッドは驚くほど多くの国を回って「道」を撮っている。そこに写されたた道も様々だ。「北の国から」を思わせるような美しいお花畑を走る道、クラシックのCDのジャケットによくあるような紅葉した木々にはさまれた並木道、アメリカ映画によく出てくるような一面何もない平坦な土地を地平線の果てのバニシング・ポイントに向けて一直線に走っている道、風車の横を走っている道、アッバス・キアロスタミの映画を思い起こさせるような荒涼とした岩山をジグザグに登ってゆく道。舗装された道、わだちが残る地面が剥き出しの道。特に気に入ったのは、小高い丘の上にぽつんと一軒だけ石造りの建物が建っている写真だ。画面のほぼ3分の2は空である。家の横には木が2本立っている。この建物に向かって道(というよりわだちの跡)が、まるで下界とそこをつなぐ唯一の絆のように、曲がりくねって通っている。よくポスターなどにある図柄だが、前からこういう景色が好きだった。自分がそこにいるのを想像させるからである。手前から眺めるのではなく、自分がその世界に入り込んでしまう。想像力を掻き立てられるから好きなのである。

 考えてみれば、「道」をテーマに写真集を作るというのは意表を突いている。都市の街路だけを撮ったものなら他にもあるかもしれない。しかし人里離れた田舎道だけを撮ったものは他にないのではないか。「道」という言葉の響きには、確かに何か親しみを感じさせるものがある。映画好きならば、フェリーニの『道』やユルマズ・ギュネイの『路』(トルコ映画)といった名作を連想する人もいるだろう。いずれも実に人間くさい映画だった。ところが、先に指摘したように、この写真集のどの写真にも人物は一人も写っていない。車や馬車も走っていない。ただ道だけがある。だが、それがかえっていい。確かに生活道路が持つ生活の香りや人間くささはここにはない。だが、人影のない道にもかかわらず、よくあるただきれいなだけの風景写真に終わっていない。思うに、単に風景を撮ったのではなく、「道」をテーマにとっているからだろう。

 魯迅の『故郷』という短編小説の末尾に、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という言葉がある。この「道」とは「希望」のたとえだが、魯迅は、人々の意思が一本にまとまった時に未来への道が開かれるということを表現したかったのだろう。道はそれ自体に意味があるというよりも、むしろ町と町をつなぐ、人と人をつなぎ、物や文化を伝える役割にこそ本来の意味がある。道はどこかに通じるものなのである。舗装もされていない水たまりが残る道(表紙の写真の道)が魅力的に思えるのは、自然の開放感を感じるからだけではなく、やはりそこを人間が通り、人間が住むどこかの土地に通じているからだ。人物が描かれていないフリードリヒの絵を見ている場合でも、描かれた風景の外(手前)に向こうを向いた人物がいることを意識してしまうように、誰もいない風景の中に道があるだけで人間とのつながりが見えるのである(中国映画「山の郵便配達」に写された山道や畑のあぜ道に僕はこれを感じた)。だからこそ、その道の先にどんな世界があるのか知りたくなるのである。

喫茶店考

6065 上田は人口12、3万の地方小都市だが、小さな街のわりには個性的な喫茶店が結構ある。電話帳で見ると喫茶店の項目には何十店と載っている。ユニークな店を挙げると、「茶房『読書の森』へ行く」という記事で名前を挙げた「月のテーブル」、「風乃坂道」、「珈琲哲学」の他にも、和風の「森文」、山の上にある「茶房パニ」、「真田坂キネマギャラリー幻灯舎」内にある「カフェ・ミント」などがある。「カフェ・ミント」では毎月「幻灯舎講座」が開かれ、主に上田関連の映画に関する面白い話が聞ける。僕はその講座の常連である。上田市ではないが、東御市の芸術むらの中にある梅野記念絵画館内の喫茶スペースもおすすめだ。明神池を上から見渡す位置にあるので眺めが素晴らしい。これらの店のほとんどは駅前などの人が集まるところにはなく、それぞれ離れたところに散在している。地元の人でないと分からない場所にある。

 もちろん上田駅のガード下にも「Dコーヒー」がある。まさに観光客を当てにした喫茶店である。しかしこの手の店は、所詮電車の時間待ちの客相手なので20分もいれば出て行くことを前提にしている。本でも読みながらゆっくり過ごすのには向かない。僕が好きなのはむしろ昔ながらのゆったりと過ごせる喫茶店である。

 学生の頃は毎日のように喫茶店に入り浸っていた。一人で行くこともあったし、学習会や読書会などでもよく使った。長っ尻しても文句を言われなかった。学生が勉強しているのだから、店側も大目に見たのだろう。学習会でよく使ったのは飯田橋の「デュエット」、御茶ノ水の名曲喫茶「丘」、そして新宿東口の「滝沢」と南口の「ルノワール」などだ。最初の二つはもうない。「滝沢」は学生には料金が高かったが、その分長居できるので利用しやすかった。和風の落ち着いた雰囲気も好きだった。そうそう、飯田橋の神楽坂の途中にあった「パウワウ」も何度か使ったことがある。確か今でもまだあったはずだ。他に新宿の「木馬」と「DUG」、神保町の「響」、渋谷の「ジーニアス」などのジャズ喫茶もよく行った。

 当時の喫茶店の客は結構長く店内にいたものである。サラリーマンなどはさすがに入れ替わりが激しかったが、学生などは珈琲一杯でずいぶん粘ったものだ。あちこちで本を読みふけっている若者がいた。大声で話しているおばちゃんたちもいた。皆それぞれ行きつけの喫茶店を何軒か持っていたのではないか。僕の大学の先輩などは行きつけの喫茶店のいつも座る席に本棚を設け自分の本を置いていたものだ。

 喫茶店は珈琲や紅茶などを飲むところだが、よく考えてみるとどうも珈琲を飲むこと自体が目的で入るわけではない。喉が渇いたのなら別に自販機で缶コーヒーでも買えばいい。そのほうが安上がりだ。むしろ歩きつかれてちょっと一休みしたい時、あるいはゆっくり本を読んだり、何か考え事をしたり、原稿やレポートを書いたり、あるいは単なる暇つぶしのために入ることが多い。サラリーマンや商売人なら商談に使うことも多いだろう。昔はそれほどクーラーも普及していなかったから、夏の暑いときなどはあそこの喫茶店は涼しいからと商談相手を喫茶店に連れて行ったりもしただろう。喫茶店でないと筆が進まないという作家も多い。

 学習会以外にどんなとき利用したかと考えてみると、自分の場合映画が始まるまでの空いた時間や歩き回って疲れたので一休みするために入ることが多かったと思う。一度東銀座の映画館に入る前に、時間つぶしのために歌舞伎座の裏あたりの喫茶店に入ったことがある。本を読んでいたら、隣からどうも聞き覚えのある声がしきりに聞こえてくる。おやっと思って見たらなんと小森のおばちゃまだった。どうやら知り合いと歌舞伎を見に来たらしい。いや、ただそれだけのことだが、有名人と会うのは滅多にないことなのでよく覚えている。

 90年代の終わりごろからか、昔風の喫茶店が激減してきた。代わりにカウンターで注文して自分で席まで運ぶタイプの店が急増した。その手の店は落ち着かないので好きではない。スターバックスも新潟で一度入ったきりだ。もっと落ち着いてゆっくり本が読める店がいい。内装もある程度凝っているほうがいい。せまい区切られた空間、隠れ家の様な空間があればなおいい。例えば神田の「さぼうる」のような。あんまり凝りすぎていたり、店の主人の趣味でいろんなものをごちゃごちゃこれでもかと飾ってあるのはいやみでよくない。多少古びていて、アンティークが似合うような店はいいと思う。谷中の有名な喫茶店「乱歩」に行ったことがあるが、ここは評判ほどいいとは思わなかった。ただ薄暗いだけだ。僕は喫茶店では本を読むのが普通なので、できれば明るい方がいい。もっとも、薄暗ければ薄暗いでゆったりと考え事でもすればいいので目的によってはそれでもいいだろう。とにかく喫茶店はゆったり出来るところでなければいけない。休みの日には好きな文庫本でも持って喫茶店に行き、粘ってみようよ。

<ブログ内関連記事案内>
 「茶房『読書の森』へ行く」
 「パニのベランダで伊丹十三を読む」

茶房「読書の森」へ行く

1144 昼食を食べた後どこかドライブにでも行こうかと考えたとき、ふと「読書の森」に行ってみようと思いついた。「読書の森」とは喫茶店の名前である。その魅力的な名前が気に入ったので前から行ってみたいと思っていたのだが、どうも分かりにくそうなところにあるので今まで行かずにいたのである。

 喫茶店を選ぶときには当然店の外観や内装や雰囲気、あるいは珈琲の味などを意識するだろうが、ネーミングも重要である。上田には結構魅力的な名前の喫茶店がある。「月のテーブル」や「風乃坂道」などは、名前を聞けばどうしても行ってみたくなる。「珈琲哲学」も大いに気持ちを引かれた。3店とも実際に行ってみたが、造りも凝っていていい喫茶店だった。これが「マイアミ」や「ルノアール」という名前じゃ未だに行っていなかっただろう。

 よく休日に車で走っている時、どこかの喫茶店に入ってのんびり本を読んでみたいという誘惑に駆られることがある。僕は喫茶店でもレストランでもちょっと時間があれば本を読むのが習慣だ。「読書の森」はそういう意味でも魅力的なネーミングである。よし、今日こそ行ってみよう。一気に腹を決める。国道18号に出て小諸方面に向かう。「読書の森」は小諸市の御牧ヶ原にある。押出入口で右折。千曲川を渡る。そこから山道だ。どんどん坂を上る。その先がはっきりしない。紹介文が載っていた地元のミニコミ誌には簡略な地図しか載っていない。後は勘だ。道路地図を見て農業大学校がある辺りだろうと見当をつける。どこかで左に入るはずだ。左手に集落が見えたので左折してみたがどうもそれらしきところはない。元の道に戻りさらに坂道を上がる。

 坂を上りきったところに農業大学校の看板があった。そこで左折してみる。山道で家は点々とあるだけだ。どんどん道が細くなってきて家もなくなってきた。心細くなる。どうもこの道ではないらしい。しかし引き返そうにも道が狭い上に枝道もないのでUターンが出来ない。どこか枝道が見つかったらそこで引き返そうと思っていた矢先、突然「読書の森」の看板が眼に入ってきた。やれやれここでよかったのか。看板のところで左折する。細い一本道。右前方に家の屋根が見える。ひょっとしてあそこか。行ってみるとその通りだった。ホッとため息をつく。駐車場(らしきところ)は急斜面で、車を横にして停めた。他に2台停まっている。

 茶房「読書の森」はそれほど広くはなかった。奥にカウンターがあり、真ん中に横長の大きなテーブルが二つある。そこにテーブルと同じ長さの横長の椅子が付いているので狭くて歩きにくい。周りの壁には本棚や机がぎっしり並んでいる。本はいずれも古びたものばかり。さながら場末の古本屋といった感じだ。どれも相当黄ばんでいる。

 ブレンドを頼んだ。適当に本棚を見渡し、インテリアに仕立てた古道具の写真集を取ってきて眺める。この店の雰囲気に合っていたからだ。一通り見終わって本棚に返す。その本があった棚にはドストエフスキーとトルストイの全集が並んでいた。ロシア関係の本もある。本の持ち主は明らかに昔世界文学全集が流行っていた頃の世代だ。ロシア文学の面白さといったら例えようもない。高校生時代に『戦争と平和』や『静かなるドン』を何ヶ月もかけて読んだものだ。ドストエフスキーとトルストイは僕もほぼ全作品持っている(全集ではないが)。

 ふと見上げると壁に絵葉書が架けてある。売り物のようだ。その絵柄にドキッとした。この画風は見たことがあるぞ。あの猫の絵のタッチは見覚えがある。今、講談社インターナショナルから出ている「宮沢賢治短編集」という日本語と英語の対訳本を読書会で読んでいるのだが、その挿絵のタッチと絵葉書の絵のタッチが実によく似ているのだ。気にはなったが絵葉書を買おうとまでは思わなかった。作者の紹介文が横に置かれていて、写真も付いている。山口マオ。写真を見ると今カウンターにいる人の若い頃の写真だ。ひょっとしたらこの人があの挿絵を・・・いや即断はよそう。家に帰ってから本を見て確かめてみよう。

 ふと隣の机の上を見るとこれまた一枚の絵葉書に目が留まった。宮沢賢治の有名な「アメニモマケズ」の詩を題材にした絵葉書だ。「サウイウモノニ」が右端に、「ワタシハナリタイ」が左端に書かれ、真ん中に帽子をかぶった昔の学生風の少年(若者?)の絵が描かれている。白黒のシンプルな絵だ。ハーフフェイスと言うのか、顔の向かって右側に光が当たり、左側は陰になっている。この昔風のシンプルな絵に激しく心を引かれた。主人にこれも売り物なのかと聞くと、それは見本なので、そこの箱の中に絵葉書が入っているから探してみてくださいと言われた。

 探してみたが、残念ながら「アメニモマケズ」の絵はなかった。だが、かわりにほしい絵が何枚も見つかった。宮沢賢治の他の作品を題材にした山口マオさんの絵葉書が7、8枚、ミヤシタマサヤさんのカラーの絵葉書が5、6枚。どれも気に入ったのでまとめて買った。ついでに「アメニモマケズ」の絵葉書も欲しいと言うと、見本に置いておいたものだがいいですよと気軽にOKしてくれた。お礼を言って店を出た。支払いのときレジの後ろの壁にポール・マッカートニーの「アナザー・デイ」のシングル盤が掛けてあったのが目に入った。僕も大好きな曲である。他にもビートルズのポスターが貼ってあったので、どうやらビートルズのファンらしい。

 帰り道絵葉書を入れる額縁を買った。家に着いて「宮沢賢治短編集」を見てみると、やはり挿絵を描いていたのは山口マオさんだった。なんとその本人が小諸にいたとは!ミニコミ誌の紹介文も改めて見てみると、オーナーは依田さんという別の人だった。山口マオさんは友人のイラストレーターと書かれている。たまたまオーナーが留守で山口さんが留守番をしている時に行ったということだろう。何という幸運。今度の読書会のときにみんなに絵葉書を見せてやろう。

(付記:「カフェレポドットコム」という素晴らしいサイトを発見しました。カフェレポのコーナーで「読書の森」を取り上げています。写真がたくさん載っていますので、是非こちらもご覧になってください。)

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2005年8月27日 (土)

たまゆらの女

「たまゆらの女」
2003年 中国映画
原題:周漁的火車 Zhou Yu's Train
監督:スン・チョウ
出演:コン・リー、レオン・カーファイ、スン・ホンレイ

tamayura君に聞こえるように
小さな声でささやく
微風がかけらを吹き飛ばした
仙湖の美しい青磁
君の肌のように柔らかく
僕の仙湖があふれる
水を満々とたたえて

 劇中で何度も引用されるこの詩は作品の主題と深く結びついている。また詩の中に出てくる仙湖はまさにキーワードになっている。磁器の「かけら」も小道具としてうまく使われている。

 ここで「君」と歌われているのがコン・リー扮する主人公のチョウ・ユウ(周漁)。そしてこの詩を書いたのがレオン・カーファイ演ずるチェン・チン(陳清)。この二人だけだと単なる純愛ものだが、ここにもう一人の男が登場する。獣医のチャン・チアン(張強)である。「初恋のきた道」のスン・ホンレイが演じている。「たまゆらの女」はこの二人の男の間で揺れ動く一人の女性を描いた映画である。

 監督は「心の香り」と「きれいなおかあさん」のスン・チョウ。チャン・イーモウ監督の「始皇帝暗殺」では俳優として出演し、コン・リーと共演している。今のところ僕の評価では「心の香り」が最高傑作だが、「きれいなおかあさん」と「たまゆらの女」もなかなかの出来であり、今後の作品にも期待が持てる。チャン・イーモウ、チェン・カイコー、とならぶ中国第5世代の代表的監督である。

 ほとんど主要登場人物の3人だけでこの映画は構成されている。しかしその焦点はコン・リーに当てられている。この映画はコン・リーを撮るために撮ったような映画である。最近チャン・ツィイーに中国映画を代表する女優の座を奪われた感があるが(かくいう自分も浮気組みの一人だが)、「紅いコーリャン」「紅夢」「菊豆」「さらば、わが愛」「活きる」等々、出演作のほとんどが傑作というこの大女優の存在感はまだまだチャン・ツィイーの及ぶところではない。

 「たまゆらの女」はコン・リー最初の本格的ラブ・ストーリーである。「紅夢」の頃の様な目の覚めるような美しさはさすがに衰えたが、かわって大人の女の色香が匂い立っている。雲南省建水と霧の都重慶の美しい風景と相俟って二つの愛に引き裂かれる女の心のもだえが妖しく映し出される。

 最初に主題に通じる詩を引用したが、言葉のイメージを連ねる詩のように映画自体もかなりイメージ中心の演出がなされている。実はコン・リーは二役である。長髪のチョウ・ユウとショートヘアーのシュウの二役である。このあたりの事情が分かりにくい。シュウはチェン・チン(レオン・カーファイ)のファンだという設定である。髪の長さが違うだけなので、最初はショートヘアの方が現在のチョウ・ユウで、ロングの方が過去のチョウ・ユウだと思っていた。しかしこの二人は全くの別人である事が最後に分かる。さらに白い布を風にたなびかせている少女がたびたび映し出されるが、この少女がまた謎である。チョウ・ユウまたはシュウの子ども時代の姿なのか、最後までわからない。

 分からないと言えば、何故コン・リーがレオン・カーファイを捨ててスン・ホンレイに乗り換えないのかもよく理解できない。チェン・チンを演じるレオン・カーファイがどう見てもただのおっさんで、僕の目にはチャン・チアンを演じるスン・ホンレイの方がずっと魅力的に見えるのだが・・・。まあ、蓼食う虫も好き好きと言うように、好みは個人的な問題だから他人には分からないところもある。とも言っていられないのだ。ラブストーリーである以上登場人物の気持ちに共感できなければ大きなマイナスになる。美女が野獣に惹かれてもいいが、その野獣に魅力があると感じられなければ、観客の気持ちはスーっと引いてしまう。

 彼女はレオン・カーファイの書いた詩に心を強く引かれたという設定になっているが、その彼はどうやら仙湖を実際には見ていない。コン・リーはたまたま仙湖という駅で降りたので湖を探すが、見つからなかった。後でレオン・カーファイにかまをかけて仙湖を見てきたというと、彼はどんな湖だったかと聞くのである。見たこともない湖に女をたとえるようないい加減な男なのか、それとも想像上の湖だったのだがたまたま同じ名前の湖があったということなのか?ともかくコン・リーはその後も彼への思慕を捨てない。彼がチベットの学校に左遷されたときはわざわざチベットまで会いに行く。それが「悲劇」につながるのだが、そのあたりの彼女の気持ちがもう一つ理解できない。

 列車のイメージが繰り返し流される。コン・リーとレオン・カーファイの場合は長距離恋愛だった。片道10時間もかけて一方的にコン・リーがカーファイのところに通っていたのである。その電車の中で出会ったのがコン・リーと同じ街に住んでいるスン・ホンレイだった。したがって列車はカーファイとスン・ホンレイの間を行ったりきたりしていたわけだ。移動する列車のイメージが揺れるコン・リーの心と重なっている。演出として悪くはないが、気分しだいでどちらかの男になびくコン・リーの気持ちに共感は出来ない。霧が流れる重慶の街のように彼女の心にも他人の理解を阻む霧がかかっていた。

 彼女の心のもやもやを霧でシンボライズするのはそこに明確な障害がないからだ。優れた恋愛ドラマは何らかの社会的障害に突き当たった時に生まれる。身分や民族や宗教の違いなどによって男女の絆が無理やり引き裂かれたとき、そこに葛藤が生まれ優れたドラマが生まれる。「ロミオとジュリエット」はその典型である。しかしこの映画の場合それがない。コン・リーがカーファイに飽きてさっさとスン・ホンレイに乗り換えればそれで終わりである。結局個人の気持ちしだいということでは深い葛藤は生まれない。どっちも良いので困ってしまうわという程度の悩みでは、見ているほうは戸惑うばかりだ。コン・リーが列車の中でつぶやく「人を愛することは自分を鏡に映すことだ。愛とは自分をみつめること」というせりふは、この作品が個人の感情の枠内から一歩も出ていないself-reflectiveなものだということを端的にあらわしている。

 ここまで還元してしまうと身も蓋もないと思うかもしれない。普通の恋愛はこういうものである。しかしドラマとして見た場合これでは弱い。結局この映画に対する不満は、元をたどればこの点に行き着くのである。様々なイメージを入れ込んだり、コン・リーに二役を演じさせたり、霧を強調したりといろんな策を弄するのは、ドラマの芯に深い葛藤がないからである。ラブストーリーとしては悪くない出来だが、「心の香り」に匹敵する傑作にならなかったのはこのためである。

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