カテゴリー「日記」の記事

2008年5月27日 (火)

広島に行ってきました

 ここは来なくてはいけなかった。間近に見える原爆ドームの前に立ってそう思った。ずっと気になりながら、遠すぎて簡単には行けなかった広島。やっと念願が実現した。廃墟となりずっと静かに佇みながら人類に忘れるべからざる過去として、同時に再現されてはならない未来として無言の言葉を語りかけている原爆ドーム。今ではモニュメントになってしまい生々しさは感じられなかったが、その存在意義は今でも失われていない。対岸で行われていたコンサートでは昔懐かしいフォークソング、「花はどこへ行った」、「500マイル」、「悲惨な戦争」、「虹と共に消えた恋」などが歌われていた。

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 土曜日から月曜日まで所要で広島に出張していました。広島へ行くのは初めてでした。日曜日の午後に原爆ドームと平和記念公園を見て回り、月曜日の午前中は広島駅から歩いてゆける縮景園へ行ってきました。

 市電に乗って原爆ドーム前駅で降りると、何とドームはすぐ目の前にありました。これほど間近に見られるとは思わなかった。原爆投下からもう60年以上たっているので外壁はきれいでどこもすすけてはいない。しかし廃墟になった姿はさすがに胸に訴えかけてきます。原爆ドームのすぐそばを元安川が流れていました。すぐそばを川が流れていたことも知らなかった。その後平和記念公園の中を歩き、原爆死没者慰霊碑、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像などの写真を撮り、平和記念資料館にも入りました。その後広島城にも行きました。ものすごく暑い日で、お城の最上階は風が通って汗をかいた体に気持ちよかった。

 縮景園は実に素晴らしい日本庭園でした。それほど広い庭園ではないのですが、細かい道があちこちについていて驚くほど変化に富んでいる。歩いているといろんなものが見つかる。楽しかった。特に庭の真ん中にある濯纓池(たくえいち)とそこに渡してある跨虹橋(ここうきょう)が素晴らしい。この石橋の写真が撮りたかった。何故か長野には石橋がない。初めて撮った石橋。とても気に入った。

 案内パンフによると、縮景園という名称は、多くの勝景を集め縮めて表現したことから来ているが、中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによるとも言われているそうです。1620年、広島藩主となった浅野長晟が別邸の庭として作らせたもの。作庭したのは茶人であった家老の上田宗箇。

 詳しい旅行記は別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」に後日載せます。

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2008年3月 3日 (月)

不思議の町祢津

 今日は前回に引き続いて祢津(ねつ)探索に行くことにした。国道18号線から浅間サンラインに出て小諸方面に向う。新屋の信号で左折する予定だった。ところがその信号を見落としてしまった。あれ、こんな先だったかなと思い引き返そうかと思ったとき新家の信号が見えてきた。やれやれここだったかと安心して左折した。本来はここで気づくべきだった。実はサンラインには「新屋」と「新家」というよく似た名前の信号があったのだ。もう何十回となく走っているのに今まで気づかなかったなんて!

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 しかし、何が幸いするか分からないものだ。この勘違いが意外な発見に導いてくれた。山道を登りながらやはりここは違うと気づいて途中から引き返してきたのだが、そのときに信じられないものを見た。「あれ、今確かに人がいたよな。」いるはずのないところに人が見えたのだ。しかも、かがんでいるあの姿勢はひょっとして?あわてて道端の通行の邪魔にならないところに車を停めて、デジカメを持って飛び出した。坂道を少し戻ると左手にため池がある。帰宅後地図で確認したところ、どうやら天池という名前らしい。

 池は何と完全に凍結していた。氷の上に雪が積もって全体が真っ白に見える。その池の氷の上で人が釣りをしていた。この時期になるとよくテレビで見かける風景ではある。氷上のあちこちに小さなテントを設営して、氷に穴を開けて魚を釣る。ワカサギ釣りだ。それと同じ光景をこんなところで見かけようとは。釣っているのはワカサギだろうか?わざわざ放流したのか?いずれにせよ、こんな光景は初めて見た。そもそもいくら寒いといっても塩田辺りのため池では人が上に乗れるほど厚くは氷が張らないだろう。上田の標高は400メートルだが、この辺は500メートル以上あるかもしれない。

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 いやはや、怪我の功名とでも言おうか。道を間違えたおかげで面白い写真が撮れた。ほくほくしながら車に戻り、また道を引き返す。今度は間違いなく「新屋」で曲がった。坂を上ってゆくと左側に大きな案内地図があった。クマイチさんが言っていたのはこれだったか。看板の下を曲がって祢津公民館の駐車場に車を停めた。前回来たときにこの公民館の写真を撮っていたが、裏側から入ってきたので入り口にあるこの大看板には気づかなかった。それにしてもこの狭い地域に公民館が3つもあるなんて。やっぱり祢津は只者ではない。

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 さっそく地図に従って八間石を見に行く。根津小学校の近くにあるようだ。八間石とは長さがおよそ八間(15m)ある巨岩。昔所沢川で土石流が発生した時その勢いて500m下まで押し流されてきたのである。小学校を過ぎてさらに少し歩くと右側にそれらしき岩が見えてくる。所沢川に掛かる塩沢橋のところで右に入ると川のすぐそばに八間石があった。世界一の一枚岩、オーストラリアの「へそ」エアーズ・ロックに比べれば桁違いに小さいが、こんなものが上流から押し流されてきたのかと驚くには充分な大きさである。

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 また看板のところに引き返す。途中「巫女の墓」があるはずだが、見つからなかった。石碑は一つあったがどうも違うようだ。ところが後でよくその写真を見たら、その背景に大きな石碑がもう一つ写っていた。あるいはこれがそうだったのかもしれない。

 次に長命寺に行った。看板からまっすぐ坂を登った突き当たりだ。お寺の前に青と緑の中間のような色の帽子を被ったお地蔵さんがあった。よく見かける赤い帽子もかわいいがこの色もなかなかいい。お寺の横に六地蔵が並んで立っていた。これがまた何ともかわいい。こちらは黄色やら緑やらカラフルな帽子を被っていなさる。横にその由来が書いてあって分かりやすい。門の中には入らずに、横手を回って寺の裏手に出た。散歩道がついており、お姫尊と巨石があるらしい。道は左に続いているのでそのままゆけば西町の歌舞伎舞台(前回東町の歌舞伎舞台を撮ったので、今回はこちらを撮るのが主たる目的)の方に行くだろうと見当を付けて、散歩道に踏み込んだ。

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 最初はのぼりできつい。息が切れるころに天辺に出る。そこからは緩やかな下り。下り切ってやっと舗装道路に出たが、お姫尊と巨石がどこにあるのかわからなかった。途中から何も案内板がない。通り過ぎてしまったのか、この先にあるのか。舗装道路との合流点に「水神宮」と書かれた鳥居があるが、これもそれらしきお宮は見当たらない。舗装道路をさらに登ったところにあるのかも知れないが、そこまで行ってみる気はないので道を下った。

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 道々両側を見ながら歩いているといろんなものが見つかる。石を組んで作った窯の様なものがあった。炭焼き窯だろうか。上から煙が出ている。次に「宮ノ入のカヤ」と書かれた看板が目に入る。カヤ葺き屋根のカヤだが、不思議なことにそれらしき木が見当たらない。高さ35mもある「わが国でも有数の巨樹」と書いてあるが、看板の近くにあるのはせいぜい2m程度の木だけ。切ってしまって看板だけ残っているのか?それにしては切り株も見当たらない。う~ん、まさに不思議の町。誰も歩いていないので尋ねてみる事もできない。

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 その看板のすぐ下に実は「祢津氏居館跡」があったのだが、これも見落とした。もう少し坂を下ると歌舞伎舞台が見えてきた。読み通り、長命寺裏の散歩道は祢津建事神社の上に出るようになっていたわけだ。西町の歌舞伎舞台は東町のそれと形も大きさもほぼ同じだった。こちらも雨戸が閉まっているので中は見えない。脇の説明書きによると歌舞伎はごく近年まで村の人たちによって演じられたとある。例祭や秋の豊年祝など村人たちの生活と密着していたというのはすごい。豊かな町だったに違いない。実際、町中を歩き回ってみると、どっしりとした大きな岩などを配した立派な日本庭園を持った家が多い。

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 歌舞伎舞台と祢津建事神社の写真をふんだんに撮ってまた先へ行く。しかし面白い町だ。家がまばらなところは本当に田舎の風景だし、路地などはどこか懐かしさすら漂っている。古い建物や時には廃屋と思われる建物が随分たくさん残っているのだが、感じるのは貧しさではなく豊かさである。小さな祠や道祖神などが町のいたるところにある。板塀の前、庭の一角、面白いのは家の土台の石組みの中に組み込まれていた夫婦道祖神。こんなものは初めて見た。元々そうなっていたのか、家を建て替えるときに近くにあったものを石垣にはめ込んだのか。いずれにせよ、文字通り生活の中に歴史が違和感なく溶け込んでいる。その自然な佇まいが素晴らしい。

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 もう一つ、真田東部線沿いを歩いていたとき不思議なものを発見した。四角い土台の上に半球体が乗っている。球体の一部は縦に切れ込みが入っている。見たところ天文台だ。誰か天体観測が好きな人が、趣味が高じて自分で天文台を作ってしまったのか?

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 いや、参りました。本当に不思議がいっぱい。不思議の町祢津、またいつか来てみよう。東京の「谷根千」に感動した人はぜひこちらの祢津にも来てみるべきですね。

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<付記>
 別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」を作ってから、写真日記や旅行記は基本的にそちらに載せるようにしています。しかし今回は広く「祢津」を知ってほしいと思ったのでこちらのブログにも載せることにしました。
 別館ブログの方には今回の記事と対になる「祢津の山に異界を見る」という記事も載っています。どうかあわせてお読みになってください。また東京の根津を訪れた時の写真日記「谷根千そぞろ歩き」、「谷根千そぞろ歩き その2」も載せてあります。

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2008年1月 4日 (金)

谷根千そぞろ歩き

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて、本年最初の記事は「谷根千」散策です。今回もまた日記文に写真を豊富に載せてお届けします。

 * * * * * * * * * *

 大晦日に帰省する途中、谷根千(谷中・根津・千駄木)を歩いてきた。上野で山手線に乗り換えて日暮里駅へ行く。まず谷中霊園へ行く。ここは前回(99年)行かなかったところだ。入ってすぐ小平浪平の墓を見つけた。僕の実家は茨城県の日立市だが小平浪平は日立製作所の創業者である。小学校の歴史で必ず習う、地元では知らぬ者のいない有名人だ。しかし有名人の墓はこれしか見つけられなかった。広すぎるし、墓が多すぎてどこにあるのか分からない。稲垣浩、上田敏、川上音二郎、獅子文六、高橋お伝、長谷川一夫、横山大観などたくさんあるはずだが。まあ何度も来て根気よく探すしかないだろう。

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  日暮里駅の反対側に出て、御殿坂から夕やけだんだん、谷中銀座商店街へと進む。これは前にも通ったコースだ。商店街の途中にある書店で『谷根千』を7冊買った。目次を見てじっくりと選んだ。1冊525円。店主が谷根千の地図などをおまけにくれた。地図は家を出るとき持ってくるのを忘れたので大いに助かった。谷中歴史散歩という地図には七福神を始め、お寺や神社だけが載っている。その表紙の絵が素晴らしい。夕やけだんだんの上から商店街を見下ろした絵だ。絵というより滝田ゆうの名作漫画『寺島町奇譚』のようなタッチだ。作者は東京芸大卒の宮田琴(みやたこと)と書いてある。ネットで調べたら面白い仕事をしている人だ。非常に興味を引かれた。

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 商店街を抜けるとT字路になっている。根津神社に行きたかったので左折する。まっすぐ進むと三崎坂に出る。前回はこの坂沿いに「いせ辰」や喫茶「乱歩」に行ったが、今回はそのまま坂を突っ切りへび道に入る。ここも前回通ったところだが、名前の通りくねくねと道が曲がっている。かつては藍染川が流れていたところだ。道々気に入った路地や建物があると写真を撮った。へび道を抜けたところにある喫茶店に入って一休み。店の人にここはどの辺かと地図を見せて聞いたら、「根津八重垣界隈」というさらに詳しい緑色の地図をくれた。

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 根津神社は前の通りを渡ってすぐのところだった。何だこんなに近かったのか。前回もここまで来たが、根津神社はもっと先だと勝手に思い込んでいて、だんご坂の方に行ってしまった。今回も地図はざっと見ただけで、道なりに適当に歩いてきたのである。喫茶店でこの後どこを見て回るか計画を立てた。まずオバケ階段を見てから根津神社に行き、その後夏目漱石住居跡を見て、最後に大名時計博物館を回ることにした。

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  オバケ階段は何の変哲もない階段だった。間違ったのかと思って地元の人に聞いたら確かにあそこだと言う。どうしてオバケ階段なのかと聞いたら、上るときと降りるときでは段の数が違うからだと言っていた。恐らく1番下の段が上るときと降りるときでは段に見えたり見えなかったりするということだろう。それはともかく昔のオバケ階段の写真(こちらを参照)を見ると、下から見上げたとき、左に板塀右に石の塀があったのだが、今はそのどちらもない。しかも左側に別の石段があって、階段が2つ並んでいる形になっている。しかも左側の階段は上った先が行き止まりである。一体何のためにこの左側の階段はあるのか。こちらの方こそオバケ階段だという気がする。いやはや何とも不思議な階段たちだ。

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 根津神社はいろいろなものが盛りだくさんで面白かった。まず鳥居をくぐると赤い立派な門があり、その手前に緑色の橋がある。池に架かった橋だ。橋フェチとしては見逃せない。池に白い鳥が1羽とまっていた。橋、池、池の上の植え込み、どれも絵になる。もうその時点で根津神社にはまっていた。門と本殿を撮り、次に小さな鳥居がいくつも並んでいる通路(?)を撮る。通路の途中にお稲荷さんがあり、その先にまた別のお社がある。錦鯉がいるまた別の池もある。ぐるりと一周して本殿に戻ると、大晦日とあって本殿の前には何十人もお参りの人たちが列を作って待っていた。一周する間に20枚以上写真を撮っていた。来てよかった。僕は特に神社やお寺に興味があるわけではないが、ここは来てみる価値があると思った。

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 根津神社に夢中になったせいで、漱石住居跡と大名時計博物館を回るのを忘れてしまった。不忍通りを上野方面に歩き出してから思い出したが、引き返すのも面倒なのでそのまま不忍池まで歩いた。歩いて10分ちょっとか。そこで不忍池と弁天堂などを撮る。ここは盆と正月に帰省する際、電車を一時下車してよく一息入れに来るところだ。

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 2時間ほど歩いただろうか。さすがに疲れた。しかしこれだけ歩いて谷根千のごく一部しか見ていない。谷中霊園と根津神社以外は前回来たときとほぼ同じ道をたどっている。何回も通わないととても全部回り切れない。帰りにも寄ろうと思ったが上野まで立ちっ放しで疲れたのでまっすぐ上田に帰った。今度東京に来る時にでもまた寄ってみよう。谷根千は何度でも来てみたい町だ。

<ブログ内関連記事>
 森まゆみ著『路地の匂い 町の音』

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2007年7月 5日 (木)

産川探索 その2 沢山湖へ行く

 今日(7月1日)は赤地蔵と夫婦道祖神、沢山湖(さやまこ)の写真を撮りに行くことにし070611_5_2 た。三つとも「茶房パニ」の近くにあるはず。いつものルートでまず舌喰池の横を通って独鈷温泉方面へと向かう。途中手塚八幡社に立ち寄った。大きな鳥居が目立つので前から気になっていたのである。もちろん名前は近くまでいって初めて知った。田んぼばかりの所に鳥居がにょきっと立っているので非常に目立つ。その背後は山だが、山の斜面に階段がついていて、階段の途中にも赤い鳥居がある。面白い場所に神社があるものだと前から思っていた。

 車を停めて階段を上る。結構段数があるが、息が切れるほどではない。上り詰めると社殿があった。かなり古いのか、木がだいぶ傷んでいる。数枚写真を撮ってまた車に戻る。070701_3 独鈷温泉の手前を右折。坂道を上がってゆく。途中沢山湖に行く脇道があるはずだが、標識に気がつかなかった。結局「パニ」まで来てしまう。赤地蔵は車を停めたすぐ近くにあるはずだ。すぐ横に交差点があるが、なんとその交差点の所に赤地蔵があった。ここはもう何度も通ったのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう?まあ、交差点だから当然他の車に注意を向けなければならない。よそ見をしている余裕はない。そういうことだろう。

 赤地蔵は本当に真赤だ。すぐ隣にバス停らしきものがある。横の説明書きを読むと、野070701 倉あたりは日本一降雨量の少ないところで、庶民の悩み事を聴いてくれる地蔵菩薩に託して住民が毎年雨乞いをしたと書かれていた。したがって「雨乞い地蔵」とも呼ばれているそうである。夫婦道祖神は赤地蔵から100メートルほど行ったところにある。ちょうど「パニ」の裏の道を歩いてゆくことになる。すぐに見つかった。眺めてみると実にかわいい道祖神である。説明書きにもあるように、女神と男神が互いに肩を組み、手を握り合ってほほ笑んでいる姿が何ともほほ笑ましい。家庭円満、子宝の神として崇められているというのも納得だ。しかしこの道は前に「パニ」に来た時に上がってみたと思うが、その時に夫婦道祖神に気づかなかったのだろうか。まあ、関心がないと見たとしてもすぐ忘れてしまうのだろう。

 また車に戻り、来た道を下る。今度は沢山湖に行く枝道を見落とさないようにさらに気を070701_1 配る。来る時にも目に入った大きな看板に沢山湖と書いてある。何だここだったのか。車を乗り入れると、車1台がやっと通れるほどの細い道だった。しばらく進むと右下に湖らしきものが見えてきた。湖の横にある管理事務所のような建物の横に車を停める。その場で写真を何枚か撮る。背後の山もかなりの迫力。どこか山水画を想わせる山容である。湖の周りに舗装された道がついているので、歩きながらいろいろな角度から写真を撮った。しかしこの湖は実にひょろ長い。地図で見るとウナギのように長い形をしている。その長さをうまく写真に収めたいのだが、湖の周りには木が生えているのでなかなか理想的な角度から撮れない。あそこからならいい写真が撮れそ070701_2 うだとどんどん奥まで歩いて行ったが、何せひょろ長い湖なのでなかなかそのポイントまで行きつかない。歩くより車で移動した方がいいと思いなおして、来た道を引き返す。いつの間にかかなりの距離を歩いていた。帰宅後地図で調べたら1キロほど歩いていたようだ。往復2キロである。

 車でまた同じ道を走る。さすがに楽である。先ほど引き返した地点の少し先に小さな橋があったので、車を停めて写真を撮った。誰も意識しないような小さな橋なのに、「二股橋」とちゃんと名前まで付いているのには驚いた。その橋をはさんで湖の反対側からは小川が070701_10 注ぎ込んでいる。すると沢山湖は産川の水源ではないことになる。そのことはさらに湖を回り込むように車を進めるとより明確になった。どんどん先に進むとウナギの形の尻尾の先に出る。だがその先にも道は続いている。尻尾の先は渓流になっている。そして道は上っている。つまりその小川は沢山湖から流れ出ているのではなく、沢山湖に注ぎ込んでいるのである。地図ではその渓流は産川となっている。つまり産川の水源は沢山湖よりさらに上にあり、一旦沢山湖に注ぎ込み、そこからまた流れ下っているわけだ。

070701_12  インターネットで調べてみても、産川の水源は独鈷山としか書かれていない。沢山湖沿いの道は池の尻尾の先からさらにその上流の産川沿いに続き、青木村に出る。その道をたどれば産川の水源に行けるのだろうが、そこまでは行かなかった。地図を見るとその道は沢山湖林道と書かれている。ところで沢山湖は沢山池とも表記される。もちろん実際に見た印象は池ではなく湖である。池と呼ぶには大きすぎるだろう。しかし、Wikipediaで調べてみたら面白い事実が分かった。元々はため池だったのである。1934年に工事が始まったというのだから結構古い。独鈷山のふもとに広がる塩田平は降雨量の少ないところで、各地にため池が作られている。沢山湖はそのため池に水を供給するために作られたため池だと言うのだ。いわばため池の親玉、キング・オブ・ため池である。まあ実感としてはダム湖と言った方がぴったりくるが(実際Wikipediaでは「ダム湖」という表現も使われている)。

 ただし灌漑用水としては水が冷たすぎるので、1951年から52年にかけて表層の温水070701_22 部分を取水する設備を新設する工事が行われた。さらには改修とあわせて洪水調節機能を追加する工事が1987年から行われた。竣工が96年とあるから9年がかりの大工事だった。その間犠牲者もいたのだろう。ダム管理事務所の近くに殉職碑がたててあった。まだ新しい感じなのでこの時のものだろう。  前日行った鞍が淵から上がってくる道はがけ崩れのために封鎖されていた。よく見るとその道の上にある崖には斜めに大きな亀裂が走っていた。もろい岩質なのだろうか。これが崩れたらひとたまりもない。

 行ってみてよかった。わざわざ遠くまで行かなくても、地元にこれだけ見るべき場所がある。山が多いということは、それだけ普段人の目に触れない場所がたくさんあるということである。長野県に観光地が多い、というより県全体が観光地であるのは、長野県が山国だ070701_17 ということとどうやら無関係ではなさそうだ。山のこちら側と向こう側とでは違った文化と風習がある。よく言われることだ。平成の大合併でかなり自治体数は減ったが、長野県は全国一自治体数が多い県である。面積が大きいだけではない。山が地域を隔てているのである。この探索シリーズ、しばらく続きそうだ。


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<写真の説明(上から)>
茶房「パニ」のベランダからの眺め
手塚八幡社の鳥居
赤地蔵
夫婦道祖神
沢山湖(管理事務所、放流路、取水口)
沢山湖4枚
(3枚続き左から)ダムの向かいの山、亀裂の入った岩山、殉職碑

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沢山湖(上の3枚)

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上の3枚、左から
手塚八幡社
二股橋
「パニ」のベランダ(「パニ」の写真は以前撮ったもの)

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2007年6月30日 (土)

産川探索 その1 鞍が淵を撮る

 病膏肓に入る。こんな表現を使ったのは初めてだと思うが、今はまさにそういう状態に070630_3 なっている。デジカメで写真を撮るのが面白くて仕方がない。毎週土日はどこかに出かけて、写真を撮っている。何か面白そうな情報を聴きつけたら、行って写真を撮ってくる。そんな体になってしまった。先日、そんなゴブリンの目にとまった記事がある。「週刊上田」という地元のミニコミ誌があるが、そこに「鞍が淵の周辺整備完成」という記事が載っていた。鞍が淵は「小泉小太郎」伝説の発祥の地である。この伝説は松谷みよ子の『龍の子太郎』の題材になった。学生の頃児童文学を読みあさった時期があり、『龍の子太郎』もそのころ読んだ。こういう記事を見たら行かないわけにはゆかない。早速今日行ってみることにした。

070630  その前にまずは腹ごしらえというわけで、西塩田小学校の近くにある「み田村」という蕎麦屋で食事。この店に入るのは初めて。店の内装は悪くない。窓からの眺めもいい。特に山田池の眺めがいい。後で写真を撮ることにする。きのこおろしうどんを頼んだ。麺のこしが相当に強い。でも味はまあまあだった。店の外に出て、たばこを一服。東屋が喫煙所になっていて、庭の作りも悪くない。

 車に戻ってカメラを取り、細い道を下りて山田池の写真を撮る。ここは以前まだ自転車によく乗っている頃に何度か来たところだ。雨の少ない上小(上田小県)地区にはたくさんのため池があるが、ここはその中でも特に眺めのいい池である。県道別所丸子線から見降ろしてもきれいだが、反対側から見るとさらに眺めがいい。すでに家を建てた後だが、こPhoto_113の池が眺められるところに家を建てるべきだったと後悔したものである。小高い丘の上にあるので、横に池と独鈷山を眺め、前には塩田平が見渡せる位置に建てたら最高だ。

 車に乗っていよいよ鞍が淵探索に出発。鞍が淵の正確な位置が分からないが、地図で おそらく独鈷温泉まで行けば見当がつくだろうと考えた。独鈷温泉まで行ってみると、すぐに「鞍が淵」と書いた案内板が目に入った。独鈷温泉のすぐ下を産川が流れていて、そこに飯前場橋が架かっている。その橋のすぐ横に「鞍が淵→」と書いた案内板が立っている。後はそれに従って細い山道を上がってゆくだけ。あまりに細い道なので対向車が来ないか少し心配になる。少し進んだところで左側に小さな鳥居があった。車を停めて写真を撮ろうとした。ところがバッテリー切れの表示。あわててバッテリーを入れ替える。2台の車がすれ違える道幅はないので、他の車が来ないかと気が気でない(結局最後まで1台もすれ違わなかったが)。なんとか写真を撮りまた坂を上る。あわてていたのでそれが何の社なのか確かめる余裕もなかった。

070630_13  道の右側を産川が流れていて、ずっと川のせせらぎが聞こえる。このあたりは山の中なので渓流になっている。さらに坂を上がると何かの工場らしきものが見える。それも越えてさらに上がると鞍が淵の表示が見え、その横に小さな駐車場があった。道の反対側にも駐車場があるので、併せると10台は停められるかもしれない。完全に森の中で巨木がうっそうと茂っている。車を停めた反対側に、木を切り開いた空間があり、鞍が淵についての説明が書かれた案内板が立っている。石垣を組んで平にしてあるので、何かの跡なのかもしれない。川の方に下りてゆく。川床には巨大な岩が肩を並べるようにいくつも居座っている。写真を撮るとフラッシュが作動する。巨木に覆われて昼なお暗い渓谷。文字通りの深山幽谷。憑かれたように写真を撮りまくる。しかし僕の技術ではこの景色の迫力を捉えられない。

 岩には苔がびっしりとこびりつき、地面は降り積もった枯葉で踏むと柔らかい。岩に亀裂070630_13_1 があったり、重なった岩の間を水が流れていたり、そこら中が撮影ポイントだ。岩伝いに川の中ほどまで行って撮った写真もある。岩は苔に覆われているので、足を滑らせやすい。細心の注意を払った。誰も観ていないこともあるが、こういう所に来ると冒険心がくすぐられるのである。今までずいぶん写真を撮ってきたが、早くパソコンに取り込んで、どんな風に映っているか見てみたいとこれほど思ったのは初めてだ。

070630_15  川沿いに上流の方に行くと赤いロープが切れ、少し上にある川沿いの遊歩道に出る。そこをさらに上流の方へ歩いて行った。大きな水音がするので滝か段差があるのだろうと思っていたら、川に90度の角度で水が流れ込んでいた。流れ込んでいる方はまっすぐなので川というより水路のように見える。しかし水が横から流れ込んでいる所より上流はほとんど水が流れていない。というより、行きどまりに見える。土管から水がちょろちょろ流れているだけだ。つまり下の渓流を流れている水はほとんどこの水路から流れ込んでいる水である。水路のようだが、これが本流ということになる。おそらく何かの事情で人が水の流れを変えたのだろう。水路のようにまっすぐ流れてきて、直角に曲がる川など無い。

 車に戻ると手や肩にクモの巣がたくさんくっついていた。車を停めたところのすぐ横にも070630_22 小さな橋があったので、これも写真にとる。最近は橋を見るとすぐ写真を撮りたくなる。重症だ。ともかく、また細い山道を下る。独鈷温泉下の飯前場橋のところでまた車を停め、写真を撮る。独鈷温泉下の道に出て、右折。この道沿いには中禅寺、塩野神社、竜光院、塩田城跡、前山寺、信濃デッサン館、無言館など、上田の観光名所がひしめいている。今日はそこまではいかず、中禅寺手前にある「塩田の郷マレットゴルフ場」に行った。道よりやや高い所にあるので、走っている車からは見えない。眺めがよさそうなので前から一度入ってみたいと思っていたのだ。もっとも、別にマレットゴルフに興味があるわけではない。写真を撮って、ついでに休憩したかっただけだ。なだらかな丘の斜面を全部使ってマレットゴルフ場にしている。結構な広さだ。駐車場から070630_19 周りを眺めるとこれまた景色がいい。しかし360度山しか見えない。島崎藤村の『夜明け前』の有名な一節「木曽路はすべて山の中である」をもじって、「信濃路はすべて山の中である」と書きたくなるくらいだ。

 冷たいものを飲んで一服して、また山を下りる。走っているうちに旧西塩田小学校に出た。今は「さくら国際高等学校」として使われている。普通の高校などに合わない人たちを対象とした通信制のフリースクールである。映画「学校の怪談4」などで使われた古い校舎(体育館は「卓球温泉」の卓球場として使われた)は車で走りながらでも目を引く。そういえば前に訪れた時(文化祭か何かをやっていて中に入れた)、2階で「小泉小太郎」伝説関連の絵だったか彫刻だったかが展示されていたのを思い出した。でも今回は素通り。

 別所丸子線の方に向かう途中で舌喰池が見えてきた。池の堤防が一部切れているとこ070630_17 ろがある。池の外から中の水が見える。絵として面白いので道端に車を停めて写真を撮った。堤防まで上がって池の写真も撮る。池を囲む手すりが木製でなかなか見た感じがいい。ふつうは緑色に塗った金属製のネットで囲んである。ここは前から木だったろうか?写真に突然興味がわき出す前は、そんなことに別段注意していなかった。写真を撮り始めると、それまで何気なく見ていた(つまり、見ていなかった)ものが見えてくる。もうこれは病みつきだ。家に帰って地図などを眺めていたら、もう明日の計画が頭に浮かんでいる(そんな暇ないのに)。産川の水源近くにある沢山湖や野倉の赤地蔵と夫婦道祖神なども撮ってみたい。塩野神社の月見堂にももう一度行ってみ070630_1 たい。依田川の上流部も気になる。そこら中にあるため池もシリーズで撮りたい。ああ、毎日が土日にならないかなあ。

 4時前に帰宅。庭の使っていないプランターの上で白い猫が気持ちよさそうに眠っている。どこかの野良猫だろうか。ここ数カ月ばかり、庭のプランターがこの猫の日向ぼっこ用ベッドになっている。

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<写真の説明>
舌喰池(左上)
鞍が淵、飯前場橋、舌喰池(左から)
鞍が淵(下の3枚)

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 ついでに先日産川の下流部分、浦野川に産川が合流するすぐ手前、古戦場公園の近くで撮った写真も載せおこう。浦野川はそのすぐ先で千曲川に注ぎ込んでいる。つまり、産川は千曲川の支流の浦野川のそのまた支流ということになる。

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<上の写真の説明(左から)>
堀川橋
古戦場橋
古戦場橋から見た下流
 (左前方の山が突然切れたようになっている部分は「岩鼻」と呼ばれている。鼻っ先を正面から見ると大きな窪みが二つあり、見ようによっては髑髏のように見える。岩鼻の上は千曲公園になっており、上田の市街地が一望に見渡せる。)

<追記>
 一つ書き忘れていたことがありました。「み田村」の駐車場から別所丸子線に出る道で何Photo_115 とタヌキを見かけたのです。車の前を横切ってゆきました。これまでも夜ヘッドライトにタヌキらしき影が映ることはあったのですが、夜なので本当にタヌキなのかあるいは猫なのか確信が持てませんでした。しかし今日は昼間。間違いなくタヌキでした。これほどはっきり見たのは初めて。見かけたという話は何度も聞いたことはありますが、まさかこんな所で出会うとは。でも、さすがにシャッターチャンスはありませんでした。う~ん、残念。

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2007年6月23日 (土)

ハープ橋を撮る

  天気がいいのでまた川と橋の撮影に出かける。今日はまず千曲川に架かるハープ橋070623 (新幹線専用の橋)を撮りたかった。小牧橋まで行き、橋を渡らずに川沿いの道に入る。どこか適当な場所があれば車を停めようと思っていたがなかなかいい場所がない。ほとんど橋のそばまで来てようやく空地を見つける。川の方に下りてみると、橋がものすごく大きく見える。普段は車で通り過ぎるだけでこれほどじっくりと眺めたことはない。その大きさに今更ながらびっくりする。さすがに浦野川や依田川などの支流とは違う。しかも千曲川に斜めにかかっているので橋の全長もかなりの長さになる。橋の写真を撮った後川の方を見降ろしてまたびっくり。川を横切るように大きな段差があって激しく白波が立っている。中ほどには魚道のようなものもある。川幅があり水量が多いだけに壮観だ。大きすぎて写真ではうまく表せないだろう。釣り人がたくさん川に入って釣りをしている。先週は全く釣り人を見かけなかったので、今日あたりが解禁日なのだろうか。釣りは全くやらないの070623_8 でそのあたりは不案内だ。アユ釣りだろうか。矢口高雄の『釣りキチ三平』が大好きな割には釣りの知識がさっぱりない。何枚も川と橋の写真を撮ったのだが、大きすぎて橋の全景が撮れない。もう一度車に戻って道を引き返す。適当な脇道に入って車を停める。車がびゅんびゅん通る道端に立って橋の写真を撮る。大きさはちょうどいいのだが、途中の木が邪魔に乗って橋の一部が隠れてしまっている。仕方がない。また車に戻る。

 車を出して小諸方面(上流方向)に向かう。東郷橋のあたりで車を停めたかったが、うっ070623_2 かり脇道を通り過ぎてしまったので仕方なく先に行く。アップルランドの駐車場に車を入れる。道を渡って依田川に出る。ここも釣り人がたくさんいた。水量は千曲川ほどではないが、川幅はかなり広い。何枚か写真を撮って車に戻る。東郷橋と依田川が千曲川に合流する場所を撮りたかったのでまた引き返す。東郷橋を渡ってすぐ橋の横にある道に車を入れる。浄水所(川沿いを走っていると浄水所をあちこちで見かける)の横に車を停め川に出る。まず東郷橋の写真を撮った。東郷平八郎にあやかってつけた名前らしいが、橋自体は特にどうということはない。ここも釣り人でいっぱいだ。河原は石ころがごろごろしている。写真を撮りながら千曲川との合流点に向かう。合070623_3 流点あたりで河原に下りる。丸みを帯びた大きな石が一面にごろごろしていて歩きにくい。

 車に戻る途中ふと河原を見ると、コンクリートの塊が河原に横たわっている。護岸用に張られていたコンクリートが洪水のときにでもはがされて、ここまで押し流されてきたのだろう。