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カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2020年11月29日 (日)

矢口高雄追悼

 11月20日に漫画家の矢口高雄氏が亡くなった。大好きな漫画家の一人だったので残念でならない。冥福を祈ります。

 おそらく彼の作品に最初に振れたのは「釣りキチ三平」だろう。中学生の頃から読んでいたような気がしていたが、調べてみると驚いたことに『週刊少年マガジン』に連載されたのは1973年から1983年までの10年間だった。1973年は僕が大学に入学した年だ。そんな後だったか!いやはや記憶とはあいまいなものである。したがって「釣りキチ三平」をよく読んでいたのは大学生時代と言うことになるが、長い間それ以外の作品は読んだことがなかったと思う。

 「ゴブリンのこれがおすすめ 48 漫画」でも描いたが、彼を「再発見」したのは上田に来てからである。講談社文庫に入っている「蛍雪時代」を読んだことがきっかけだった。これは彼を代表する傑作のひとつで、夢中になって読んだものだ。後に文庫版では小さくて見ずらいのでハードカバーの大きい版を買ったほどである(講談社コミックス)。

 その後はコレクターの性で見つけ次第買いあさった。どの作品も水準が高く、今まで駄作だと思ったものは一つもない。それでも何とか無理をして代表作を10本(シリーズ)挙げるとすれば次のようになるだろうか。

「釣りキチ三平」&「平成版釣りキチ三平」
「蛍雪時代」
「ふるさと」
「マタギ」
「ボクの学校は山と川」
「又鬼の命」
「ニッポン博物誌」
「おらが村」
「幻の怪蛇バチヘビ」
「9で割れ!!」

 この中で2つだけ触れたい。矢口高雄氏は漫画家になる前は銀行員だった。その銀行員時代を描いたのが「9で割れ!!」(講談社漫画文庫)である。不思議なタイトルだが、これは毎日その日の取引結果を集計するわけだが、たまに収支が合わないことがあると飛び交う言葉だという。逆に一発で計算が合った時は「一算」というそうな。この場合は早く帰れるので、みんな喜んで一杯やって帰るという。ではなんで計算が合わないときに9で割ると良いのか。まだコンピューターが普及する前の時代、すべては手計算である。人のやる事だから当然間違いもある。例えば1万5千円の支払いを求めてきた客に間違って15万円支払ってしまった場合。差額の13万5千円を9で割ると1万5千円になる。これで桁を間違えていたこと、つまり10倍の額を支払っていたことがたちどころに判明するというわけだ。

 まあこんな単純なミスなら9で割らなくてもすぐに分かりそうなことだが、ある時299万9千700円の不足が出たという例が挙げられている。これを9で割ると333,300円になる。このように循環数が出た場合、その数だけ桁違いをしていることになるそうである。つまりこの場合300円と300万円の4桁の間違いをしていたと言うことになる。当時小切手の金額を書く欄は縦書きで、漢数字を使っていたので(金参百圓というように)、癖の強い字を書く人の場合相当読みにくかったらしい。それでこんな考えられないような間違いが起こることがあるらしい。それにしても額面300円の小切手を出して300万円を受け取り、素知らぬ顔をして出てゆくというのも相当面の皮が厚い。

 実は弟が元銀行員なのでこの「9で割る」というのを知っているかと聞いたら、聞いたことがないと言っていた(小椋佳なら知っているだろうか?)。さすがに今の時代はこんなことはしないらしい。矢口高雄が銀行に勤めていたのは50年代終わりから60年代にかけてだから、銀行の様子も半沢直樹の世界とはだいぶ違ってのんびりしたものだ。もちろん暇さえあれば釣りに行っている場面もたくさん描かれている。地方都市ののどかな生活と風情も良く描かれていて、あまり知られてはいないが見かけたらぜひ読んでみてほしい。

 もう一つ取り上げたいのは「平成版釣りキチ三平」(KCデラックス)。おそらくこれが最後の作品集だと思う。単行本になって出版されるのが待ち遠しかった。この作品を取り上げたのは司馬遼太郎の『菜の花の沖』との関連が気になるからである。「平成版釣りキチ三平」の最後の辺りはこの『菜の花の沖』の翻案になっている。『菜の花の沖』は傑作で、高田屋嘉兵衛という江戸時代に実在したとんでもない偉人を主人公にした歴史小説である。とにかく並外れてスケールの大きい人物で、廻船商人として成功し、後にゴローニンに拿捕されてロシアに抑留される。しかしたちまちロシア語を覚え、ゴローニンと親しくなり、日露交渉の間に立ってゴローニン事件として有名になった事件を解決に導いたのである。

 『竜馬がゆく』に匹敵する面白さで、夢中になって読んだものだ。おそらく矢口高雄も同じようにこの小説(あるいは高田屋嘉兵衛という人物)に魅せられてしまったのだ。この小説を「釣りキチ三平」に取り込もうとしたのである。なんとあの谷地坊主が高田屋嘉兵衛の子孫という設定になっている。これにはびっくりした。もちろん原作があれだけ面白いのだから、漫画の方も面白くないはずがない。読んでいて矢口高雄のただならぬ入れ込みようが伝わってきた。取りつかれたように描き続けた。「平成版釣りキチ三平」のカムチャッカ編は第11巻で終わり、その後12巻まで出るが、それが最後となっている。

 「平成版釣りキチ三平」が気になるのは、この高田屋嘉兵衛に取りつかれて矢口高雄は燃え尽きてしまったのではないかと感じたからだ。「平成版釣りキチ三平」の新刊が出るのをずっと待ち望んでいたが、結局出ないまま亡くなってしまった。オリジナルのストーリーではなく、実在の人物、あるいはその人物を主人公にした小説を下敷きにしたため、彼の想像力がすり減ってしまったのではないか。そんな感じがして何となくすっきりしなかった。しかし今振り返って考えてみると、もう体力的に限界だったのかも知れないというように思えてきた。自分でもそれが分かっていて、だから最後の力を振り絞って高田屋嘉兵衛という類まれな人物を描く大作に最後に取り組んだのではないか。今はそんな気がしてならない。

合掌。

 

2020年5月17日 (日)

ゴブリンのこれがおすすめ 48 漫画

【お気に入り漫画家ベスト10】

浦沢直樹「HAPPY」「MONSTER」「20世紀少年」「PLUTO」

谷口ジロー「『坊っちゃん』の時代」「神々の山嶺」「遥かな町へ」「犬を飼う」「先生の鞄」「シートン」
  「晴れ行く空」「神の犬」「ブランカ」「K」「父の暦」「事件屋稼業」「神々の山嶺」「歩く人」「森へ」
  「青の戦士」「孤独のグルメ」「捜索者」「凍土の旅人」「ENEMIGO」「遥かなる町へ」「東京幻視行」その他全作品

つげ義春「つげ義春全集」「つげ義春初期傑作長編集」「つげ義春とぼく」「つげ義春の温泉」(写真エッセイ)
  「新版 貧乏旅行記」(エッセイ)、その他ほとんどの作品

手塚治虫「アドルフに告ぐ」「火の鳥」「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」「陽だまりの樹」
  「どろろ」、その他ほとんどの作品

花輪和一「刑務所の中」「天水」「朱雀門」「風水ペット」「水精」「護法童子」「みずほ草子」
  「風童」「刑務所の前」「不成仏霊童女」「ニッポン昔話」「鵺」、その他全ての作品

星野之宣「宗像教授伝奇考」「2001夜物語」「メガクロス」「ムーン・ロスト」「巨人たちの伝説」
  「ベムハンター・ソード」「はるかなる朝」「コクド・エクスペリメント」「ブルー・ホール」
  「ブルー・ワールド」「BLUE CITY」「ヤマトの火」「鎖の国」「ヤマタイカ」「宗像教授異考録」
  「星を継ぐもの」「スターダスト・メモリーズ」、その他全作品

ますむらひろし「アタゴオル」「アタゴオル玉手箱」「宮沢賢治童話集」「夢降るラビットタウン」
  「コスモス楽園記」、その他全作品

水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」「コミック昭和史」、「総員玉砕せよ!」「白い旗」「敗走記」「方丈記」
  「河童千一夜」「現代妖怪譚」「今昔物語」「東海道四谷怪談・耳なし芳一」「墓場鬼太郎」「姑娘」
  「悪魔くん千年王国」「不思議旅行」(エッセイ)、「寝ぼけ人生」(エッセイ)、「鬼太郎夜話」
  「幻想世界への旅」「のんのんばあとオレ」(エッセイ)、「ねずみ男の冒険」「妖怪大統領」
  「妖怪画談」「続妖怪画談」「ホンマにオレはアホやろか」(エッセイ)、「ラバウル戦記」
  「火星年代記」「遠野物語」「妖猫夜話」「鬼太郎のベトナム戦記」、その他全作品

諸星大二郎「西遊妖猿伝」、「妖怪ハンター」シリーズ、「栞と紙魚子」シリーズ、「不安の立像」
  「失楽園」「諸怪志異」シリーズ、「子供の情景」「遠い世界」「ぼくとフリオで校庭で」「六福神」
  「海神記」「私家版鳥類図譜」「私家版魚類図譜」、その他全作品

矢口高雄「釣りキチ三平」「蛍雪時代」「ふるさと」「マタギ」「激濤」「ボクの学校は山と川」
  「平成版釣りキチ三平」「又鬼の命」「ニッポン博物誌」、その他ほとんどの作品

 

【お気に入り漫画家 モア20】

青木雄二「ナニワ金融道」

秋本治「こちら葛飾区亀有公園前派出所」

吾妻ひでお「失踪日記」「アル中病棟」

安倍夜郎「深夜食堂」シリーズ

荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」「死刑執行中 脱獄進行中」「変人偏屈列伝」

石川サブロウ「本日も休診」「母の曠野」「ひょぼくれ文左」「天(そら)より高く」

井上雄彦「バガボンド」

大友克洋「AKIRA」「童夢」、「彼女の思いで・・・」「ショート・ピース」「さよならにっぽん」
  「気分はもう戦争」「SOS大東京探検隊」、その他ほとんどの作品

こうの史代「夕凪の街 桜の国」「この世界の片隅に」「さんさん録」「長い道」、その他

東風孝広「カバチタレ」「特上カバチ!!」

白戸三平「忍者武芸帳 影丸伝」「サスケ」「カムイ伝」

滝田ゆう「寺島町奇譚」「滝田ゆう名作劇場」「僕の裏街ぶらぶら日記」(エッセイ)「銃後の花ちゃん」「下駄の向くまま」(エッセイ)

ちばてつや「あしたのジョー」「あした天気になあれ」「紫電改のタカ」「ひねもすのたり日記」
  「おれは鉄平」

寺沢武一「コブラ」

中沢啓治「はだしのゲン」

花咲アキラ「美味しんぼ」

宮崎駿「風の谷のナウシカ」

ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」、「プリニウス」

山田参助「あれよ星屑」

ネイト・パウエル「MARCH」(1非暴力の闘い、2ワシントン大行進 3セルマ勝利をわれらに)

 

【こちらもおすすめ】

入江喜和「昭和の男」
いしかわじゅん「僕たちのサヨナラ・感電タウン」「東京物語」
一ノ関圭「鼻紙写楽」
魚戸おさむ「イリヤッド」
魚之目三太「戦争めし」
漆原友紀「蟲師」
太田基之「琉球怪談」
大塚英志+森美夏「八雲百怪」
小川幸辰「みくまりの谷深」
QBB(久住昌之、久住卓也)「古本屋台」
小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」(原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)
小池一夫「春が来た」
西岸良平「三丁目の夕日」
さいとうたかお「ゴルゴ13」「サバイバル」「ブレイクダウン」
しまたけひと「アルキヘンロズカン」
曽我篤士「緑の王」
高井研一郎「すずなり横丁道楽商店街」
高寺彰彦「臥竜解封録 ナムチ」
土岐蔦子「最後の秘境 東京藝大」
永島慎二「永島慎二の世界」
ながやす巧、大友克洋(原作)「沙流羅」
成田英敏「アコロコタン」
蛭田達也「コータローまかりとおる」
本庄敬「SEED」
藤子不二雄A「愛・・・しりそめし頃に・・・」
前田千明「オールド・ウエスト」
三好銀「三好さんとこの日曜日」「私の好きな終末」「海辺へ行く道 夏」「海辺へ行く道 冬」
山下和美「ランド」
山田英生編「温泉まんが」
山本おさむ「どんぐりの家」
石ノ森章太郎、他「小松左京原作コミック集」
水木しげる、滝田ゆう、他「ビッグコミック名作短編集」
ショーン・タン「アライバル」
マルジャン・サトラビ「ペルセポリス」


【雑誌特集・漫画家論等】

赤塚不二夫『赤塚不二夫120% 死んでる場合じゃないのだ』(アートン、1999年)

石上三登志『手塚治虫の奇妙な世界』(学陽文庫、1998年)

高野慎三『つげ義春1968』(ちくま文庫、2002年)

手塚治虫+小林準治『手塚治虫昆虫図鑑』(講談社+α文庫、1997年)

手塚悦子『手塚治虫の知られざる天才人生』(講談社+α文庫、1999年)

夏目房之介『手塚治虫の冒険』(小学館文庫、1998年)

深谷考『滝田ゆう奇譚』(青弓社、2006年)

校條剛『ぬけられますか 私漫画家 滝田ゆう』(河出書房新社、2006年)

山田英生編『温泉まんが』(ちくま文庫、2019年)

『AERA COMIC ニッポンのマンガ 手塚治虫文化賞10周年記念』(朝日新聞社、2006年)

『文芸別冊 総特集 諸星大二郎』(河出書房新社、2018年)

『文芸別冊 総特集 星野之宣』(河出書房新社、2020年)

 

【漫画との付き合い】

 漫画を読み始めたのは小学生の低学年頃からだろう。創刊されて間もない少年漫画誌『少年サンデー』と『少年マガジン』(共に1959年創刊)を毎週買って読んでいた。確か当時40円で、発売日になると親から40円もらって本屋に飛んでいったものだ。おそらく読み始めたのは1960年前後で、まだまだ戦争漫画が多かったころだ。「サブマリン707」(小沢さとる)、「加藤隼戦闘隊」(小林たけし)、「紫電改のタカ」(ちばてつや)などは毎週楽しみにして読んでいた。表紙や巻頭のグラビアなども戦艦、戦闘機、戦車などの絵がよく載っていた。その他に好きだったのは「伊賀の影丸」(横山光輝)、「おそ松くん」(赤塚不二夫)、「8マン」(桑田二郎)、「サイボーグ009」(石ノ森章太郎)、「巨人の星」(川崎のぼる)など。手塚治虫はほとんど読まなかった。嫌いだったわけではなく、たまたま出会わなかったということだ。手塚のテレビアニメはずいぶん見たが。テレビアニメでは「スーパージェッター」、「ハリスの旋風」(ちばてつや)、「鉄人28号」(横山光輝)「鉄腕アトム」(手塚治虫)、「ゲゲゲの鬼太郎」(水木しげる)、「ゼロ戦はやと」(辻なおき)、「タイガーマスク」(辻なおき)、「ジャングル大帝」(手塚治虫)など。

 中学生ぐらいになってから、次第に漫画から遠のいていった。漫画は子供が読むものだという意識を持ち始めていたからだ。それでもまったく読まなかったわけではなく、「あしたのジョー」(ちばてつや)、「釣りキチ三平」(矢口高雄)、などの話題作は読んでいた。ただ毎週買うことはしなかったと思うので、通しで全部読んだかははっきり記憶がない。その後しばらく漫画をほとんど読まない時期が続いたが、大学生になったころからいつの間にかまた漫画を読み出していた。おそらく喫茶店に入り浸っていたので、暇に任せて漫画を読んでいたわけだ。食事も外食専門だったので、食事が来る前から食事の後までずっと漫画を読んでいた。ただ、今になって悔やまれるのは、当時もっぱら少年誌ばかりを読んでいたことである。大人のコミックや『ガロ』などの通の読む漫画雑誌などにはまったく手を出していなかった。この頃もっと早くそれらを読んでいたら、後に好きになる作家をずっと後になって「発見する」必要もなかったのにと今更ながら思う。

学生・院生当時よく読んでいたもの
「嗚呼!!花の応援団」(どおくまん)
「1・2の三四郎」(小林まこと)
「うしろの百太郎」(つのだじろう)
「うる星やつら」(高橋留美子)
「Dr.スランプ」(鳥山明)
「がきデカ」(山上たつひこ)
「翔んだカップル」(柳沢きみお)
「サスケ」(白戸三平)
「おれは鉄平」(ちばてつや)
「キャッツ♡アイ」(北条司)
「ストップ!!ひばりくん!」(江口寿史)
「タッチ」(あだち充)
「ドカベン」(水島新司)
「キン肉マン」(ゆでたまご)
「はだしのゲン」(中沢啓治)
「東大一直線」(小林よしのり)
「まことちゃん」(楳図かずお)

 「キャプテン翼」(高橋陽一)と「じゃりン子チエ」(はるき悦巳)は何度か挑戦したが、どうしても好きになれなかった。しかし、何といっても本格的に漫画を読み始めたのは、手塚治虫を再発見してからだ。手塚は前から気になってはいたが、やはり子供の漫画を書いている人だと思い込んでいた。というよりも、漫画そのものをあまり大したものだとは思っていなかった。その認識が決定的に変わったのは、手塚の「アドルフに告ぐ」を読んでからだ。たぶん80年代半ばごろで、ハードカバーの単行本として漫画が出版されるのは当時まだ珍しかった。話題にもなっていたので読んでみたのだが、その面白さ、漫画とは思えない内容の濃さに驚嘆した。僕の漫画観はこの一作で一変したといってよい。それ以来漫画は大人が読むことにも耐えうるのだ(少なくともそれに値する作品がある)という認識を持つようになった。「火の鳥」を読んでそれは確信に変わった。それ以来手塚作品を手当たりしだい集めだした。ちょうど80年代の終わりごろから手塚のハードカバー愛蔵版が出回り始めていたので絶好のタイミングだった。初期から中期のものはさすがに絵も子供向けでそれほど好きではないが、おそらく大人の読者を想定して書かれたと思える後期のものはどれもいい。「陽だまりの樹」などは夢中になり、その後司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、一時期時代小説を読みふけるきっかけにもなった。手塚の汲めども尽きぬ想像力の豊かさにはただただ感心するばかりだ。

 手塚再発見後、他にもまだ優れた漫画家がいるはずだと書店の漫画コーナーをしきりに物色する日々が続いた。そして先ず発見したのが″つげ義春″だった。90年代半ばごろである。その頃漫画の文庫化が進み、小学館の漫画文庫の中に「ねじ式」と「紅い花」を見つけたのである。なんとも不思議なタッチに魅せられた。すぐに筑摩書房から出ている全集(全8巻+別巻)を買った。古い温泉場などの絵がどこか文学的な香りを感じさせるところが良い。次に見つけたのが″ますむらひろし″だった。『銀河鉄道の夜』のアニメ版を観てはいたが、同じ人だとはすぐには気づかなかった。これも文庫版の「アタゴオル」シリーズをたまたま見かけて買ったのがきっかけだった。彼独特のファンタスティックな世界とヒデヨシのキャラクターにすっかりはまり込んだ。偶然だが、僕は大学1年から3年まで流山の叔母の家に寄留していた。最寄り駅は東武野田線の江戸川台駅である。もっともその当時はますむらひろしのことなど全く知らなかったが、すぐ近くに住んでいたのかと思うと一層親近感がわいたものだ。

 そのうち上田市内にも漫画専門の古書店(「漫画専科」)があることを発見した。現在は東御市本海野の方に移ったが、見つけたときは別所線の赤坂上駅近くにあった。そこに頻繁に通ううちに主人と話をするようになり、そこで紹介されたのが星野之宣だった。「2001夜物語」と「ヤマタイカ」を買ったが、いっぺんに気に入った。こんな本格的なSF漫画を書いている漫画家がいたとはそれまで知らなかった。もう一人その少し前に発見したのは谷口ジローだった。「『坊ちゃん』の時代」が第2回手塚治虫文化賞を受賞したことでその存在を知った。「『坊ちゃん』の時代」はおそらくはその古本屋を見つける前に買っていたのだと思うが、大量に谷口ジローの作品を買い込んだのはその店だった。足繁く通って一通り買ってしまうとあまりその店には行かなくなったが、あの店は今でもまだ営業しているのだろうか。

 その後、大友克洋、諸星大二郎、石川サブロウ、滝田ゆう、青木雄二、井上雄彦などと出会った。以前から好きだった「美味しんぼ」の花咲アキラ、「コブラ」の寺沢武一、「MONSTER」「20世紀少年」などの浦沢直樹など、あるいは、以前から知ってはいたがそのすばらしさを新たに再発見した矢口高雄(きっかけは講談社文庫に入っている「蛍雪時代」を読んだことだ)、水木しげる(同じく講談社文庫の「コミック昭和史」を発見したのがきっかけ)、さいとうたかお(「サバイバル」の文庫版を読んで、彼も「ゴルゴ13」ばかりではないと知った)などを加えて、僕の漫画家チェックリストも随分増えた。

 それにしても自分の収集癖には自分でも驚く。「発見」して間もないのに、めったに書店の本棚に並ぶことのない漫画を、絶えず新刊に目を通し、過去のものは古本屋を駆けずり回ってあらかた集めてしまう。東京に行ったときは必ず上野駅前のビルの地下にあった漫画専門店に寄る(この店もまだあるのだろうか)。それでも手に入らないのもはインターネットで買う。こうやって集めてしまうのだ。まだ持っていなかった本を見つけたときのうれしさについ探す苦労も忘れてしまう。しかし、ほとんど手に入れてしまうと、次はなかなか出会うことがなくなり、寂しい日々が続く。勢い、新しいお気に入り作家を探すことになる。まあ、これは良いことでもある。「発見」は続く。2000年代に入ってまず発見したのは花輪和一である。独特の細密画とおなじみのへんちくりんな女の子が気に入った。その後、こうの史代、ヤマザキマリ、吾妻ひでお、安倍夜郎などを発見したが、最近の一番の発見は山田参助の「あれよ星屑」。戦争漫画あるいは終戦直後を描いた漫画というと一連の水木しげるの作品か闇市時代の戦災孤児たちを描いた石川サブロウの傑作「天より高く」くらいしか思い浮かばなかったが、今の時代に当時をこれほどリアルに描ける漫画家が出て来るとは心底驚嘆した。しかし全体的に見れば、同じような漫画ばかり増えて、その後はなかなかいい作家に出会えない。巨匠たちが引退した後はどうなるのだろうか。

上田に来てからよく読んでいたもの 
「ドラゴンクエスト」(藤原カムイ)
「DRAGON BALL」(鳥山明)
「将太の寿司」(寺沢大介)
「金田一少年の事件簿」(さとうふみや)
「IWAMARU」(玉井雪雄)
「SEED」(本庄敬)
「愛、知りそめし頃に」(藤子不二雄A)
「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋本治)
「北斗の拳」(原哲夫)
「クレヨンしんちゃん」(白井儀人)
「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦)
「釣りバカ日誌」(北見けんいち)
「コータローまかりとおる」(蛭田達也)
「カバチタレ」(東風孝広)

 このように、中学、高校の一時期を除いて、僕は漫画とともに育ってきたと言っても良い。漫画は、本、映画、音楽とともに、もはや僕の生活の一部だ。実際、これまでに何回か引越しをしたが、引越しをしてまず最初に探すのは、漫画をおいてある食堂と喫茶店だった。漫画雑誌は自分では買わない。買うとすればコミックス版になってからである。だから食堂や喫茶店で読むのである。東京の調布市にいたころ、京王線国領駅の近くにあった食堂で「はだしのゲン」を始めて読んだ。それまで名前は知っていたが、あまりにも人物の絵がどぎついので敬遠していた。しかし、たまたま手にとって読み始めたら、面白くてやめられなくなった。とうとう全巻その店で読み切ってしまったが、最後は飯を食いに行っていたのか、「ゲン」を読みに行っていたのか分からないくらいだった。しかしある頃から喫茶店やレストランで漫画を読むことはしなくなった。おそらく面白いと思う作品がなくなってきたからだろう。今では店に入ると必ず自前の文庫本を読んでいる。漫画はもっぱらコミックス版で買って、家で読むものになってしまった。

 最後に外国の漫画について簡単に言及しておこう。基本的に子供向けに書かれているアメコミには全く関心がない。その映画化作品にも全く心を惹かれない。しかし、数は少ないが優れた外国漫画やあるいは外国の原作を漫画化した作品が手に入るようになってきた。ネイト・パウエル「MARCH」(1非暴力の闘い、2ワシントン大行進 3セルマ勝利をわれらに)はキング牧師たちと共に公民権運動に貢献してきたジョン・ルイス(注)とその広報責任者アンドリュー・アイディンが原作を書いている。僕の大学での専攻はイギリス文学だったが、当然アメリカ文学にも関心があり、とりわけ黒人文学や人種問題関係の本はかなり読んだ。しかしワシントン大行進を漫画で描く作品が出現しようとは考えてもいなかった。スパイク・リー監督の映画「ゲット・オン・ザ・バス」という作品もあるが、これは95年10月14日に首都ワシントンで行われるミリオン・マン・マーチ(百万人の行進)に向かう人々を映画いたものだ。63年のワシントン大行進へのオマージュがその根底にあるが、ワシントン大行進そのものを描いたわけではない。むしろ「MARCH」の一部と重なるのはリチャード・ピアース監督の「ロング・ウォーク・ホーム」だろう。有名なアラバマ州モンゴメリーのバスボイコット運動が描かれている。

 それにしてもキング牧師の有名な演説は録音が残っていて何度も聞いたが、その大集会そのものの映像を観たことがない。これがいまだに謎だ。唯一見たのはDVD「ピーター・ポール&マリー キャリー・イット・オン~PPMの軌跡」に収録された「風に吹かれて」を歌っている映像だ。何と大集会の舞台で歌っている映像だったのである。若いころのマリー・トラヴァースの美しさに息をのむ映像だが(後年化け物のようになってしまうだけに)、それ以上にこんな映像が残っていたこと自体に驚いた。と言うことはキング牧師の演説自体はもちろん、他のアーティストが歌っている映像も豊富にあるはずだ。そう思ってよく調べたらもう一つあった。ボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」でディランが歌っている映像だ。しかしこれでは単なる断片だけだ。なぜこの大集会の一部始終を映した映像が世に出ないのか、まったくもって不思議だ。歴史的にはウッドストック・フェスティバルなどよりはるかに重要な価値のあるイベントなのに、一体どういうことなのか。

 小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」の原作はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが大祖国戦争に従軍した女性たちにインタビューしたものである。著者がノーベル文学賞を取ったから言うのではないが、この原作は非常に優れたもので、漫画よりも原作を推薦したいというのが正直なところだ。とはいえ、まずは漫画から入って、気に入ったら原作を読むというのも良いと思う。どさくさ紛れにもう一作優れたインタビュー集を紹介したい。、アンジェラ・ホールズワース著『人形の家を出た女たち』(新宿書房)という名著だ。イプセンの有名な戯曲『人形の家』(1879)のヒロインであるノラが「人形の家」を出た後どうなったか、20世紀に生きる実際の女性たちにインタビューを重ね、20世紀のノラたちは本当に「開放され」「自由に」なったのかを丹念に描き出した労作である。話がそれたので戻そう。漫画版「戦争は女の顔をしていない」はいかにも女性漫画家が書いた絵柄だが(特にあの目が大きい顔の描き方に僕なんかは違和感がある)、実体験をもとにしているだけになかなかのリアリティだ。この原作はかなりの反響を呼んだのだろう、珍しいロシアのTVドラマ「ナイト・スワローズ 空爆戦線:ユニット46」(2012)というのを観たことがあるが、これはドイツ軍を恐れさせたといわれるソ連軍の女性だけの爆撃隊“ナイトウィッチ”の活躍を描いたドラマである。漫画版「戦争は女の顔をしていない」の第6話は女性飛行士(こちらは戦闘機のパイロット)である。原作本の出版が1984年だから、この本の存在が女性だけの爆撃隊ドラマ化の背景にあったことはまず間違いないだろう。

 ショーン・タンの「アライバル」はたまたま行きつけの書店で大きく取り上げられていたので買ったのだが、これは正解だった。日本の漫画にはない全く独特のタッチの漫画だ(台詞が一切ないので、絵本に近い感じだが)。しかし見てゆくうちに何となくストーリーの流れのようなものが感じられてくる。この人の短編アニメ「落としもの」も観たが、これも傑作だ。ショーン・タンが監督の一人だとは観始めた時知らなかったが、絵のタッチと不思議な生き物を考え出すイマジネーションが同じだとすぐに気づいた。この人は今後もフォローし続けたい。

 マルジャン・サトラビの「ペルセポリス」は最初アニメとして知ったが、近所のレンタル店に置いてないのでずっと幻のアニメだった。そこで「アマゾン」で原作の漫画を手に入れた次第。これまた日本とは全く違う独特のスタイルの漫画だ。絵のスタイルも独特だが、本人の生き方がまたユニークだ。当時祖国イランはイラン・イラク戦争(8年も続いたので日本では「イライラ戦争」と当時言われた)の最中だったのでマルジャンは外国に留学していた。上巻では子供時代、下巻では海外での留学時代が描かれる。イラン映画「オフサイド・ガールズ」のレビューで次の様に書いた。「79年のホメイニ革命(何て懐かしい言葉だ!)によってイスラム原理主義者がイランの親米政権を打倒して以来、イランは厳格なイスラム原理主義によって統制される窮屈な国になってしまった。ホメイニ師が登場した直後にはイラン・イラク戦争が勃発する(中略)。宗教の戒律に戦時統制が加わる。ホメイニ革命前のイランは西欧化が進んだ国でミニスカートの女性さえ見られるほどだったのに、79年を期に一変してしまったわけだ。」まさにそのホメイニ前と後がこの漫画で描かれている。イスラム原理主義社会は相当窮屈だったに違いない。マルジャンはその反動でアナーキズムにあこがれている。バクーニンを尊敬していたと誇らしげに書いているのには驚かされた。バクーニンなんてずいぶん久しぶりに聞く名前で、その時代錯誤にしばし戸惑った。しかし政治的話題は随所に出て来るが、決して堅苦しい漫画ではない。厳格な宗教的戒律に縛られた国から来た女性と自由奔放な西洋の人々とのギャップが面白おかしく描かれている。

 手元にはもう一つアラン・ムーアの「フロム・ヘル」(上・下巻)もあるが、これはあまりに台詞が多すぎるので途中で嫌になって読むのをやめてしまった。しかし作者はイギリス人で、題材は切り裂きジャック事件なのだから、このまま放っておくのは惜しい。いつかまた読み直してみたい。

(注)2020年7月19日付「朝日新聞」にジョン・ルイスさんが17日に死去したとの記事が掲載された。5月に白人警官が黒人男性ジョージ・フロイドさんの首を圧迫して死なせた事件に対して、「あと何人、若い黒人が殺されるのか」と語っていたという。ご冥福を祈ります。

 

2007年1月 9日 (火)

雪の女王

1957年 ソ連 65分
評価点:★★★☆
原題:Снежная королёва
監督:レフ・アタマーノフ 
原作:ハンス・クリスティアン・アンデルセン 『雪の女王』
脚本:ゲオルギー・グレブネル、レフ・アタマーノフ、ニコライ・エルドマン 
美術:レオニード・シワルツマン、アレクサンドル・ヴィノクーロフ

  滅多に観る機会のないソ連・ロシア・アニメだが、昨年一気に4枚の中古DVDを手に入Sdclbglsc04 れた。近所の中古店で見つけた「ユーリ・ノルシュテイン作品集」、年末にアマゾンで買った「雪の女王」、「蛙になったお姫さま」(54、ミハイル・ツェハノフスキー監督)、「森は生きている」(56、イワン・イワノフ=ワノ監督)。いずれもDVDが出ているとは知らなかった。

  この中から有名な「雪の女王」をまず観た。たまたま書店で見かけて買った『世界と日本のアニメーションベスト150』(2003年、ふゅーじょんぷろだくと刊)という本がある。ラピュタ阿佐ヶ谷主催で行なわれた「世界と日本のアニメーション ベストオブベスト」投票の結果をまとめた本である。「雪の女王」は17位にランクされている。世界に名高いソ連アニメの中でも名作とされる作品だが、正直今観るととても上位に入る作品とは思えない。当時としては驚異的作品だったのかもしれないが、今のアニメ技術は当時のレベルをはるかに超えている。今の水準からすれば見劣りするのは仕方がないが、50年も前にこれだけの水準のアニメを作っていたのかという驚きは確かにある。いつまでも神格化するのではなく、もっと実際的な見方をするべきだろう。「雪の女王」が宮崎駿や高畑勲にも影響を与えたことは有名だが、彼らもその時の段階にいつまでもとどまっていたわけではない。

  ただ、確かに影響関係は感じられる。「雪の女王」のヒロイン、ゲルダは「未来少年コナン」のヒロイン、ラナを連想させる。絵のタッチやもキャラクターも非常に似ている(ラナの方がずっと可愛いし魅力的だが)。ただし、どちらかというと受身的なラナに対してゲルダはより積極的。「未来少年コナン」ではコナンがラナの窮地を救うというパターンが多いが、「雪の女王」ではゲルダがカイを救う旅に出る。

  アンデルセンが原作なので主題は単純。「愛は氷の魔術さえ融かす」というもの。とにかく宮崎アニメでおなじみの行動的女性が主人公なのだが、ゲルダの行動力は性格的な強さからきているというよりは、むしろ愛に突き動かされているという感じの描き方である。強さよりもけなげさが強調されている。男の子はとかく強がりを言って無茶な行動をする、女の子は愛情にあふれているという設定は従来の概念の範疇から出てはいない。さらには、ファンタジーというよりも御伽噺なので、ゲルダが平気で氷の上を裸足で歩くなど、細かいところでリアリティーを無視している。「愛のためならどこまでも」という基本設定なので、ゲルダの前に立ちふさがる障害はそれほどリアルではない。彼女を阻むのは嵐などの自然現象で、人間や動物などはむしろ皆彼女の一途な思いに共感して援助してくれる。こういう設定が心地よいともいえるが、その反面いかにも単純で、不満を感じるところである。

  ラナに近いゲルダよりもむしろ旅の途中でゲルダを捕まえる山賊の娘の方が魅力的だ。宮崎駿の「もののけ姫」に出てくるサンにそっくりなキャラクター。男のような話方や振る舞い方をするが根は優しい。ディズニーアニメにはあまりなかったキャラクターではないか。ディズニーではみんなゲルダのようになってしまう。宮崎はそんなところにも惹かれたのかもしれない。他の登場人物、狂言回しの役をする小人、二羽のカラス、王子と王女などはむしろディズニー的。美術担当のレオニード・シワルツマンはソ連のアニメはディズニーから様々なアイデアやキャラクターを借りていると語っている。

  キャラクターの造形としてもっとも秀逸なのは言うまでもなく雪の女王。横長の大きな目と氷の冠が実に印象的だ。威圧感と冷酷さがよく表現されている。性格設定は「心の冷たい女王」という文字通りのもので単純だが、絵的な魅力は抜群である。雪の女王ほど印象的ではないが、北欧デンマークの作家アンデルセンらしさを感じて興味深かったのは女王の城に行く直前にラップランドを通ること。親切な女性たちに助けられるが、彼女たちは恐らく「ククーシュカ ラップランドの妖精」に出てきたサーミ人なのだろう。氷の女王の国に近いために、彼女たちが一番具体的な援助をするという設定が興味深い。

  絵や絵の動きに関して言えば、かなり動きは滑らかでリアルである。ディズニー的なPegasus1 オーバーアクションはない。女王が馬車に乗って走り回るシーンでは何度か回転するが、頭の部分などはごく自然に角度を変えている。立体的な絵ではないが模型などを作って回転する様子をよく観察したのだろう。絵そのものもスタジオ・ジブリやピクサーなどの精緻を極めた絵に比べるとさすがに見劣りするが、日本のテレビ・アニメよりはるかに丁寧に作りこまれている。特に街の景観や氷の輝きと透明感の表現、雲や風や吹雪の表現などは50年も前のものとは思えないほどリアルだ。ただ、主人公のゲルダとカイはいかにも子供向きのシンプルな絵という感じでやや物足りない。絵柄としては「アルプスの少女ハイジ」や「未来少年コナン」あたりの素朴な絵である。「風の谷のナウシカ」以降のリアルな人物像と比べると実に素朴だ。2人の顔色が土気色なのも気になる。まあ、その分氷の女王のリアルな絵がより引き立つようにはなっているが。

  「未来少年コナン」でも人物は単純化されているが、インダストリアやギガントは恐ろしくリアルだ。僕はそれほどアニメの技術面には詳しくないが、推測するに、セル画の場合背景は動かないからそのままかあるいはずらして使えるが、人物は動くので何度も描き直す必要があるため単純化しているのではないか。技術が進んで人物もかなりリアルに描きこめるようになったということだろう。

  有名な「イワンと仔馬」も最近アマゾンで見つけて入手した。2月には「ロシア・アニメーション傑作選集」Vol.1~4が発売予定である。川本喜八郎の作品集も1月に出る。アニメーションの分野でもDVD化の動きが急である。毎年アニメーションフェスティバルを開催している「ラピュタ・阿佐ヶ谷」の功績も最後に特記しておきたい。

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 フランス・アニメの傑作「ベルヴィル・ランデブー」
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2005年9月 9日 (金)

フランス・アニメの傑作「ベルヴィル・ランデブー」

2002年 フランス=カナダ=ベルギー 2004年12月公開tuki-siro
原題:Triplettes de Belleville, Les
【スタッフ】
製作:ディディエ・ブリュネール
脚本:シルヴァン・ショメ
監督:シルヴァン・ショメ
音楽:ブノワ・シャレスト
美術:エフゲニ・トモフ

 日本製アニメは確かに世界でも最高の水準にある。日本の漫画やアニメに慣れた目から見ると、ディズニーでさえも絵の下手さにあきれることがある。確かに絵の見た目のきれいさは日本アニメが最高だろう。しかし、一見下手に見えるがまた独特の味わいを持った絵柄というのもある。「ベルヴィル・ランデブー」もそういうアニメのひとつだ。その絵の味は、「木を植えた男」(1987)のような素朴な味わいを持つアニメともまた違う。ソ連の「チェブラーシカ」ほどメルヘンチックでもない。絵の感じはフランスの古典的アニメ「やぶにらみの暴君」(1952)にむしろ近い。

  エンキ・ビラルの未来・SF志向とは反対に戦後のフランスを舞台にしたどこか懐かしさを感じる物語。最初にフレッド・アステアやジョゼフィン・ベーカーのパロディ/カリカチュアも出てくる。しかし実に独特のアニメだ。極端にデフォルメされた人体。主人公のおばあちゃんの目とメガネは頭のてっぺんにある。自転車選手の息子は体の太い部分と細い部分が極端に強調されている。背景描写は凝っているがこれもデフォルメされている。どう見てもうまい絵ではないし、きれいな絵でもない。しかし不思議な魅力がある。例えば船が出てくるが、これがありえないほど幅が狭く(まるでまな板の長いほうの辺を下にして立てたような形だ)、喫水線が極端に低い(ほんのわずかしか水に沈んでいない)。これではすぐに横倒しになってしまう。しかし現実にはありえない形だからこそ却って新鮮でインパクトがあるわけだ。

  絵の動きのスムーズさや顔の美しさ、あるいは派手な展開よりも、素朴だがシュールでひねりのあるストーリー展開やキャラクターの奇抜な個性に重きが置かれているアニメである。せりふが少ないのも特徴のひとつだ。宮崎駿ともアメリカの「モンスターズ・インク」や「シュレック」とも違う。どちらかというとイギリスの「ウォレスとグルミット」シリーズやチェコのイジー・トルンカなどに近い味わいである。またベルヴィルという街は明らかにアメリカのカリカチュアだが、風刺的味付けはまたヨーロッパ的だ。同じフランスのミッシェル・オスロ監督(「キリクと魔女」「プリンス&プリンセス」)ともまた違う。こうしてみてくると世界にはいろんなタイプのアニメがある事が分かる。

 この映画の主人公は一人のおばあちゃんだ。孫のシャンピオンはまるで機械のようで、感情を持たない感じである。顔の表情も変わらない。シャンピオンは自転車が好きで、それを見抜いたおばあちゃんがツール・ド・フランスに出場させようと特訓を始める。その成果があって孫はツール・ド・フランスに出場するが、途中で棄権してしまう。しかもその直後に謎の黒服の男たちに連れ去られてしまう。それに気付いたおばあちゃんが息子を取り戻そうと大活躍する。なにしろ息子たちは例の不思議な形の船に乗せられベルヴィルに連れてゆかれるのだが、その船をおばあちゃんはよく湖などにある足こぎボートで追いかける。何と大西洋を足こぎボートで漕ぎ渡ってしまうのだ!!いやはや、彼女こそツール・ド・フランスに出場すべきだった。
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  ベルヴィルの街は明らかにパロディ化されたアメリカである。ベルヴィルを通してアメリカそのものが風刺されている。特にアメリカ映画・アニメがカリカチュアの対象だ。自由の女神は太ったおばちゃんになっている。例のなんとも奇妙な黒服の男たちはアメリカのギャングのパロディ。またベルヴィルでおばあちゃんは年取った三人姉妹と出会うが、彼女たちを通してアメリカのショービジネスがパロディ化されている。彼女たちはアニメの最初に登場している。まだ現役の若い頃で、テレビのショーに出演している。かなり売れっ子だったのだろうが、今は年老いて貧乏暮らしをしている。彼女たちが食べているものがすごい。池で蛙を取ってきて食べているのだ。しかも蛙の取り方がまた荒っぽい。手りゅう弾を池に投げ込んで、吹き飛ばされた蛙を網で拾い上げる。この蛙料理にはさすがのおばあちゃんも一瞬たじろぐ。おばあちゃんはこの三人姉妹と協力して孫を救い出すのである。この三人姉妹は実に魅力的だ(決して悪意がこめられたパロディではない)。おばあちゃんも十分すごいが、やはり彼女だけでは魅力に欠けると考えたのだろう。おばあちゃんのペットの犬(列車を見ると必ずほえるのが可笑しい)も含めて、登場するキャラクターがみんな魅力的なのがすごい。

  黒服の男たちは自転車選手を誘拐して、無理やり自転車を焦がせて客たちに賭けをさせている。自転車は、健康器具として使われる自転車のように固定されていて動かない。前にスクリーンが付いていて、そこにツール・ド・フランスのコースと思われる道が映し出される。よくゲームセンターにある、コースから外れないように自動車を走らせるゲームの様な画面だと思えばいい。最後は動かないはずのこの自転車が台ごと動き出して、おばあちゃんたちはそれに乗って逃げる。それを自動車に乗った黒服の男たちが追跡する。アメリカ映画お得意のカー・チェイスのパロディだ。

 アニメは漫画と違って絵が動く上に音も出せるので、格段にリアリティが増す。漫画の方が表現手段として下位にあると言っているのではない。制限があるからこそ工夫が生まれるのである。スーパーマンがなぜマントをつけているかご存知だろうか。あのマント自体は何の実用性もない。にもかかわらずマントを付けているのは、空を飛んでいる場面を描く時にマントがひらめいていると風を切って飛んでいる感じが視覚的に伝わってくるからだ。マントがなければただ体が横になっているだけである。それはともかく、話を元にもどすと、アニメは漫画よりリアリティが増すが、にもかかわらずリアリズムのアニメは極めて少ない。現実ではなく、むしろ現実にはありえないものを描くのに適している。したがって相当に荒唐無稽なストーリーでもさほど抵抗なくすんなり受け入れられる。それがアニメの強みだ。

  「ベルヴィル・ランデブー」はカリカチュアやパロディといった風刺の伝統とつながっている。ヨーロッパには長いカリカチュアの伝統がある。金権腐敗にみちた十九世紀のパリを辛辣に風刺したドーミエやイギリスの『パンチ』誌を思い起こせばよい。風刺画、風刺漫画、漫画は本来毒があるものなのだ。「ベルヴィル・ランデブー」はこの伝統を受け継いでいる。残念ながら日本の漫画・アニメにはこの毒がほとんどない。その意味でももっと日本で知られていいアニメだと思う。