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2020年11月 6日 (金)

イギリス小説を読む⑪ 『日陰者ジュード』

トマス・ハーディ『日陰者ジュード』:「新しい男と女」の悲劇

【1 トマス・ハーディ著作年表(主な作品のみ)】
1872 Under the Greenwood Tree 『緑樹の陰で』(千城)
1873 A Pair of Blue Eyes 『青い眼』(千城)
1874 Far From the Madding Crowd 『狂おしき群れをはなれて』(千城)
1878 The Return of the Native 『帰郷』(千城)
1886 The Mayor of Casterbridge  『キャスターブリッジの市長』(千城)
1887 The Woodlanders 『森に住む人たち』(千城)
1891 Tess of the D'Urbervilles 『ダーバビル家のテス』(新潮文庫、岩波文庫)
1895 Jude the Obscure 『日陰者ジュード』(岩波文庫、国書刊行会)

【2 『日陰者ジュード』:ストーリー】
<主人公ジュード・フォーレイ>
 ジュードは両親が亡くなったために、ドルシラ伯母の元で育てられている。彼は利発で、伯母が呆れるほどの本好きである。彼は優しい性格で、畑でカラスを追う仕事をしているうちに自分と同じ境遇のカラスに同情してしまい、追い払うのをやめて結局首になってしまう。また道を歩くときもミミズを踏まないように歩くジュードの描写がある。最も印象的なのは豚の解体をするシーンで、ジュードは豚がかわいそうになって一気に殺してしまう。そんな「やさしい心の愚か者」ジュードと「貧乏人だって生きなきゃなんないのよ」と怒る現実的な妻のアラベラが対比される。

・クライストミンスターへの憧れ
 フィロットソン先生がクライストミンスター(オックスフォードの作中名)へ行くのをジュードが見送るところから物語は始まる。フィロットソンには大学に入るという夢があった。ジュードもクライストミンスターへの憧れを募らせる。何度も遠くのクライストミンスターを眺めるシーンが出てくる。遠くから見るクライストミンスターの街はトパーズのように輝いていた。

・アラベラとの結婚
 ジュードが学問について夢想している最中に、アラベラに豚の肉片を投げ付けられる。それがきっかけでアラベラと付き合い出す。アラベラは肉感的な女性で、うぶなジュードを簡単にたぶらかしてしまう。ある時アラベラが妊娠したというので、ジュードは仕方なく彼女と結婚する。後に妊娠が間違いだと聞かされ腹を立てるが、まんまと引っ掛かった自分と世間の通念をいまいましく思うしかなかった。「一時の感情で、永遠の契約を裏づけたことに根本の間違いがあった。」結局夫婦仲は続かず、アラベラはオーストラリアに行ってしまう。残されたジュードはクライストミンスター行きを決心する。

・クライストミンスターへの幻滅
 クライストミンスターに着き、夜夢にまで見た憧れの街に出てみる。彼は古い建物の間を本で知った学識者たちの亡霊が飛び交っている様を空想しながら喜びに浸った。しかし、次の日見ると大学の様子は一変していた。夜見ると理想的だったものが、昼見ると長年の風雨で傷つき古びたものに見えた。そして、あこがれの地に実際にきてみて初めて、自分の前に大学の壁という厚いしきり壁が彼を遮り立ちはだかっていることに気づく。「たった一重の壁...しかし何という越えがたい壁だろうか!」結局ジュードのような貧しい人間の資力と天分では到底大学には入れないと思い知るのである。
 だが、一方で新しい認識に達する。場末の労働者がいなければ、高邁な思想家も生きては行けまい。ジュードは始めて庶民の現実に目を開く。彼らこそクライストミンスターの現実なのだ。ジュードは石工として身を立てることにし、仕事も見つかった。そして偶然いとこのスーを見かける。しかし自分のみすぼらしい格好に気後れして、声をかけられない。スーはとても上品で洗練されているように見えたからだ。

<ヒロインのスー・ブライドヘッド>
 スーも両親をなくし、クライストミンスターで意匠図案家の仕事をしていた。読書好きで、以前は教師をしていた。田舎の生まれだが、後にロンドンに移り、娘時代はクライストミンスターで過ごしたので、すっかり洗練されていた。
 ジュードは最初スーの写真を見て引かれ、実際に会ってからはしだいに彼女への関心が性的なものだと気づいてゆく。しかし彼は既婚者であり、いとこ同士で、しかも彼の血筋は結婚に向かないと伯母からいつも言われていたこともあって、自分の気持ちを抑えていた。しかしスーの方は男に対しては妙に距離を置く女性だった。スーは昔大学生と付き合っていた。大学生の方は彼女に愛人になって欲しかったのだが、彼女がそれにずっと抵抗していたので彼は心がずたずたになり死んでしまった。男に身をまかせないので、冷たい性格、性のない女だといわれるが、それは違うとスーはいう。操を心配することなく男性と付き合いたいのだと。
 しかし彼女の信念は必ずしも一貫したものではない。アラベラへの嫉妬心にかられて突飛な行動に出ることも多い。ある時ジュードはスーに自分は結婚していること、妻は生存していると打ち明けた。そのすぐ後スーはフィロットソンと結婚したのである。ジュードの教師だったフィロットソンは、結局大学へ入る夢を果たせず、今は小学校の校長をしていた。そのフィロットソンにジュードはスーを教師として推薦したのである。
 スーの一番の魅力は社会の因習に逆らい、自由に発言し行動できるところにある。ジュードは古いタイプの男だったが、彼はスーによって一つ一つ考えを改められて行ったのである。彼女はジュードがあこがれたクライストミンスターを痛烈に批判した。大学生よりもあそこの貧民たちの方こそありのままの人生を知っている。ジュードのような者こそが入れるためのクライストミンスターだったのだと。

・スーの結婚の破綻
 フィロットソンとの結婚は結局うまく行かなかった。スーは彼と暮らすことは拷問だと言う。セックスを求められるのが何よりもつらいと。自分が結婚したのは軽率だった。しかし他の人は服従しても、自分は跳ね返して行くのだと。
 スーはある時から押し入れで寝るようになる。スーは別居したいと持ち出す。既に好きでなくなっているのに、このように暮らすのは姦淫だ。結んだ契約は合法的には取り消せないが、道徳的にはできると。フィロットソンはついに別居に同意する。彼にはスーを理解できないが、意地の悪い人間ではない。彼はジュードに対するスーの愛情を理解していた。二人は瓜二つだ。そこには親和や共鳴といったものがあると。

・結婚を拒否するスー
 スーはジュードと出て行く。ジュードとスーの離婚訴訟もそれぞれ片付き、二人は晴れて自由の身になった。二人は同棲を始めたが、スーはジュードと一つの部屋に寝ることを拒否する。もう結婚してもいいだろうとジュードは誘うが、スーはイエスと言わない。そんなことをしたら却って愛が冷めるというのだ。そんなところへアラベラが訪ねてきて、話をしたいからぜひ来てほしいと言って去る。スーは絶対行くなと頼むが、ジュードは何週間も焦らされて来た君以上にアラベラの方が妻だとあてつける。そう言われてついにスーも折れる。二人は結婚することに決め、アラベラは放っておくことにする。二人は結婚の手続きをしに行くが、直前でスーの気が変わりまた引き返す。
 ある日アラベラから手紙が来て、実はジュードとの間に子供が一人いて、ジュードに引き取ってもらえないかと書いてきた。ジュードとスーは喜んで引き取ることにする。アラベラの子は子供の仮面を付けた老人だった。スーはその子にジュードの面影があるのを見てショックを受ける。
 子供がきたことによって二人は再び結婚の手続きをする決心をする。二人は役場まで行くがまたしても気がくじけてやめる。教会の前を通るとそこでも結婚式を上げているので覗いてみる。まるで取引の契約を取り交わすみたいだとスーは思う。

・二人を追い詰める世間の圧力、そして破局
 そのうち変な噂がたちだした。二人は「重苦しい圧迫的な一つの雰囲気」、「二人を押さえ付ける邪悪な影響力」を感じ始める。二人がやっと見つけた教会の銘文を修繕する仕事をしていると、それを見た女たちに当てつけがましく「本当の夫婦じゃないようよ」と当てこすりを言われた。結局ジュードはその仕事を断られ、さらに職人の協会の委員からも締め出され、いやでも町を出て行かざるを得なくなる。それから2~3年の間ジュードたちは各地を転々とした。その間に二人には二人の子供ができていた。
 ジュードとスーは最後にもう一度彼の「脇腹に刺さった刺のような街」クライストミンスターにやってくる。そこで宿を探しに行くが子連れであるため次々に断られ、ようやく一軒見つかった。翌朝スーが出掛けて戻ってくると、子供が多すぎることが苦労の原因だと思ったアラベラの子供がスーの子供二人を絞め殺し、自らも首を吊って死んでいた。スーは耐え難いほどのショックを受け、彼女の精神は崩壊してしまう。こうなったのは自分のせいだ、自然を有りのままに楽しもうとした報いとして、運命が自分達の背中を突き刺したのだと言い張る。「神」と戦っても無駄だと。ジュードは戦う相手は「人と無情な環境」だと説得するが、スーは自分にはもう戦う力が残ってないと答える。
 スーは自分はまだフィロットソンの妻だと思うと言い出す。ジュードの崇めていた因襲や形式的儀礼を批判していたスーはもういない。彼女は自分を軽率だったと反省し、自己否定こそもっと高尚な道だとまで言う。スーはジュードに再びフィロットソンと結婚すると告げる。

・スーとフィロットソンの再婚、ジュードとアラベラの再婚
 スーとフィロットソンは以前と同じように式を上げる。ジュードの伯母エドリン夫人は参列をあくまで拒んだ。エドリン夫人は「婚礼は取りも直さず葬式じゃ」と嘆く。スーは自分でもフィロットソンを愛していないことをジュードに認めていた。スーを迎えたフィロットソンがスーに口づけをしようとすると、スーの肌は引きつった。また客間の机の上にあった結婚許可証を一瞥したときにも、己の棺を見た死刑囚のような表情をして「あっ!」と叫んでしまう。
 スーが結婚した後、アラベラがまたジュードのもとに舞い戻ってくる。アラベラは、スーの結婚以来酒に溺れているジュードを酔わせ続けて、何日か後にジュードをうまくだますようにして結婚式を挙げてしまう。
 失意の中でジュードは二人の関係を振り返る。

 「僕たちはつらい不幸な事件に遭遇して、彼女の知性は崩壊し、彼女はぐるりと闇に向かってしまったんだ。...ずっと以前、僕たちが最善の状態にあったころ、二人の知性が明晰で、真理への愛が恐れを知らなかったころ、その頃のスーと僕にとって、時はまだ熟していなかったんだ。僕たちの考えは50年早すぎて、僕たちに役立つものになり得なかったんだ。だから僕たちの考えは反対にあって、それが彼女の中に反動を引き起こし、僕の身に無分別と破滅をもたらしたんだ。」

 クライストミンスターのお祝いの日。にぎやかな町中を歩いていたアラベラが家に戻るとジュードは誰にも看取られずに死んでいた。

【作品の読み方】
1 現代悲劇の視点から
 悲劇は、人間の到達したある特定の発展段階において、人間にとって解決不可能な状況が発生したときに起こる。18世紀と19世紀におけるそのような状況...とは、解放を求める女性たちの広がりつつある意識(それは国会議員の選挙などのような単なる形式的な解放のことではない)と、階級社会にとってはそのような自由を認めれば必ずその不可欠な部分を損なうことになるという状況であった。
 アーノルド・ケトル『イギリス小説序説』(研究社)

2 教養小説の視点から
 ひとりの人間の成長過程を描くという教養小説の基本的な形式は、言うまでもなく、個性的な人格として人間をとらえる視点なしには成立しえない。中世封建社会の終焉(あるいはその予感)と、近代的な個人的自我の自立が、不可欠の前提である。だが、自立した瞬間に、社会がひとつの外的世界と化し、その外的世界との軋轢をわが身に引きうけねばならなかったということこそは、近代的自我にとっての根本的な不幸だった。中世的共同体の桎梏から解き放たれたとき、<私>は、帰るべき<われわれ>の故郷と、調和的な生の基盤と舞台とを失ったのである。
 池田浩士『教養小説の崩壊』(現代書館)

3 「ニュー・ウーマン」小説の視点から
 新しい女性とは、それまで女性が基本的に目標としていたものを拒否する人々である。しかし必ずそのしっぺ返しがあり、彼女たちは皆考えを改めるか、死を迎える。
 スーを「フェミニスト運動の女」と呼ぶのは単純。彼女は何の圧力団体にも属さず、選挙権にも触れず、女性の全体状況については意識していない。この最後の点が彼女の限界の大きな原因。
(メリン・ウィリアムズ)

 『日陰者ジュード』は伝統的役割と人格からの解放を求めるヴィクトリア朝のヒロインの戦いのクライマックスをなす。新しい女の世代が求めてきた完全な自己認識と精神の自立の帰結なのだ。自由を求めるスーの熱烈な願望は性的自立という形で現れる。彼女はテスにはない知的な内面生活を持ったヒロイン。ハーディの唯一の知的ヒロインである。テスは認識のレベルではなく、感情のレベルで行動した。
 (ロイド・ファーナンド)

4 ヒロイン:スー・ブライドヘッド
 スーの魅力はまさに、彼女が何物にもとらわれずに行動するところにある。彼女の行動が一貫しないように見えるのは、それだけ因習的な縛りから自由であるからだ。むしろ、複雑で矛盾に満ちた彼女の性格は、型にはまった従来のヒロインたちよりもずっと現代的である。因習的なものを攻撃する彼女の矛先は、クライストミンスターのみならず、古い価値観にとらわれていたジュードにも向けられる。
 彼女の最も特異な点は結婚そのものに対する姿勢である。フィロットソンとはあっさり結婚するものの、ジュードとは二度も寸前まで行きながら結婚をためらう。この一貫しない態度が彼女の評価を分けている。スーを批判するものは彼女を「性をもたない女」「気まぐれな女」「最後にジュードを裏切った女」と呼ぶ。確かに、スーの限界が時として、ヴィクトリア朝時代の女性全般がもっていた限界というよりも、彼女自身の個人的性格からくる限界であるように見えるときがある。
 スーの弱さはしばしば感情的に行動してしまう所に見られるが、また彼女が理想主義者だったからでもある。理想主義者は不十分な現実を批判できるが、一方で現実の厳しい矛盾とぶつかったときには無力である。結婚や性関係を極度に恐れるのは彼女のもろさから来るものであるが、また女性を長い間苦しめてきた結婚制度という縛りから逃れたいという気持ちからもきている。どうしても結婚に踏み切れないスーの背後に女性たちがたどってきた苦い歴史をどれだけ読み込めるかが評価の分かれ目となる。
 スーが最後に180度考え方を変えてしまうのをどう考えるか。彼女を裏切り者と見なすのか。そう言い切るには彼女の最後の状態はむごすぎる。愛してもいない男のもとに帰り、顔を背けながら相手に抱かれているスーの姿はグロテスクなほどむごいものである。フィロットソンとの二度目の結婚の後、彼が死んだのではないかとスーが期待する場面がある。ここには夫が死ぬか自分が逃げ出すか、さもなければ夫を殺すかしなければ自分の苦しみから解放されない女性の縛り付けられた状態が表現されている。多くの扇情小説やニュー・ウーマン小説のヒロインたちも同じ願望をもったのだ。スーの最後のおぞましい姿はヴィクトリア時代の「家庭の天使」のぞっとするような裏面が描かれているのだ。ハーディが描きたかったのは女性が自由でない限り、男も決して自由ではないということではないだろうか。

5 現代悲劇としての『日陰者ジュード』
 ハーディの悲劇観は運命論に基づく観念的なものである。ジュードは50年後には自分たちのような存在や考え方が認められているだろうと言うが、ではその間の状況を変えてゆく要因は何か。ハーディは明確にはしていない。ジュードは民衆を発見するが、その民衆は未来を作る(変える)積極的な力をもつ存在として描かれてはいない。
 しかし、ジュードとスーの悲劇的状況はハーディ自身のペシミズムのみから生じたのではない、彼らが突き当たった矛盾が彼らの挫折を避けがたくするほど強力だったからでもある。彼らの突き当たった困難は彼ら個人の問題のレベルを超えていた。因習的な世界の中で自由であろうとすればするほど、彼らは自由を奪われていった。人間は時空を越えて生きることはできない。彼らはヴィクトリア時代の価値観からはみだしていたが、それでも彼らはまぎれもなくヴィクトリア時代に生き、悩み、苦しんでいる時代の子であった。『ジュード』をその多くの欠陥にもかかわらず、根底において支えていたもの、それはジュードとスーに対する作者の共感と彼らを悲劇に追いやった社会への批判的姿勢である。困難な状況に対する彼らの抵抗は敗北に終わったが、彼らが求めたものはまた多くの人々の潜在的願望であり、また彼らの抵抗の姿勢は未来につながっていた。現代の読者が彼らに共感を覚えるのはまさにその点である。
 『日陰者ジュード』の根底にある考え方は、「人間は自由なものとして生まれた、しかしいたるところで鎖につながれている」(『社会契約論』)というルソー的概念である。人間を縛る鎖は人間が作ったものだと、ルソーは断言した。彼らの足首につながれた鎖は同時代の多くの人びとの足首にもつながれていた。それはまた彼らの先人たちの足を固定していたのであり、現代に至っても完全にははずれていない。しかしジュードたちが気づくよりずっと早くから多くの人びとが自分の足首の鎖に気づき、断ち切ろうと努力し始めていた。今では既にボロボロになった鎖に付いている古い傷のいくつかはスーとジュードが付けたものなのだ。

 

<追記>
 「イギリス小説を読む」シリーズは20年前(まだブログを始める前)に入門者向けに書いた記事です。ブログには『土曜の夜と日曜の朝』まで9本載せていました。しかしフォルダーの奥深くまで分け入って昔書いた記事を探っていたら、『大いなる遺産』と『日陰者ジュード』という大物が2本残っていました。ずいぶん古い記事ですが、何かの役には立つかもしれないと思い掲載することにしました。

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