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2009年11月29日 - 2009年12月5日

2009年12月 1日 (火)

先月観た映画(09年10月)

「未来を写した子どもたち」(04、ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ監督、米)★★★★★
「イースタン・プロミス」(07、デビッド・クローネンバーグ監督、英・米・加)★★★★☆
「ジプシー・キャラバン」(06、ジャスミン・デラル監督、米)★★★★☆
「2番目のキス」(05、ボビー・ファレリー&ピーター・ファレリー監督、米)★★★☆
「爆音」(39、田坂具隆監督、日本)★★★☆
「ゴジラ」(54、本多猪四郎監督、日本)★★★

 今回もまた「先々月観た映画」になってしまった。仕事ばかりか身辺も忙しくなってなかなか落ち着いて映画も観られないし、ましてやじっくりレビューを書いている時間も取れない日々が続いています。10月に観た映画は僅か6本。しかし2本の優れたドキュメンタリー「未来を写した子どもたち」と「ジプシー・キャラバン」、そして「イースタン・プロミス」を観ることができたのは成果でした。

 「未来を写した子どもたち」は書いているうちに長くなってしまったので、レビューに格上げしました。そちらをご覧ください。他の作品はメモも取っていないし記憶もだいぶ薄れていますので短い感想のみしか載せられませんでした。

「イースタン・プロミス」
  この手の映画は最近あまり観ないが、これは文句なしの傑作だと思った。「アパルーサの決闘」では今一つ迫力に欠けたヴィゴ・モーテンセンのハードボイルドなたたずまいが実にカッコいい。冷酷なようでいて、どこか人間味も感じる。実に微妙な役を見事に演じている。冒頭いきなり床屋でロシア人が殺され、妊娠した14歳の少女が子供を産んで病院で死ぬ。一体この二つはどうつながるのか。

  助産婦のナオミ・ワッツが死んだ少女の身元を探しているうちに危険なロシア人に近づいてしまう。そのロシア人のところで運転手をしているのがヴィゴ・モーテンセンである。ハラハラする展開だが、胸が悪くなることはない。ヴィゴ・モーテンセンがサウナで二人の男に襲われ、素っ裸で格闘するシーンがすごい。

「ジプシー・キャラバン」
090525_99  「ヤング@ハート」に続いてすぐれた音楽ドキュメンタリーを観た。トニー・ガトリフの映画でおなじみのジプシー音楽。その音楽性の素晴らしさばかりではなく、彼らの音楽に染みこんでいる彼らの民族性、その迫害の歴史をきちんと描きこんでいることがこの作品を単に貴重な記録であるだけではなく、優れた映画作品にしている。そしてその民族と音楽の多様性をしっかりと描きこんでいる。ロマのルーツであるインドの音楽にロマの魂を注ぎ込んだ「マハラジャ」、ルーマニアの名門バンド「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」(トニー・ガトリフ「ラッチョ・ドロム」にも出演している)の独特の民族音楽、ギリシャの歌姫エスマの魂の叫びとも言うべき歌声。他にも「アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル」、12人編成の超高速ブラスバンド「ファンファーラ・チョクルリーア」などがキャラバンに参加している。

   この映画を見ればロマのルーツがインドだということが分かるような気がする。そしてミュージシャンたちの人間臭い一面が画面に映し出されている。彼らを美化しないそういう描き方もいい。監督のジャスミン・デラルはイギリスに育ち、子供時代の多くを南インドの村で過ごし、大人になってからはほとんど合衆国で暮らしている。ドキュメンタリーを得意とし、またロマの文化にも関心を持つ。「ジプシー・キャラバン」の前には「アメリカン・ジプシー」を撮っている。

「2番目のキス」
  昨年1カ月ほど過ごしたボストンが舞台の映画だというので観てみた。コメディー調の軽いラブ・ロマンス。ドリュー・バリモアの相手役が熱烈なボストン・レッドソックスのファンという設定がいかにもボストンを舞台にした映画らしくて面白い。特に優れた作品ではないが、十分楽しめる。ただラストの球場での展開はいかにもハリウッド映画といった感じでやや興ざめ。

「爆音」
090529   上田市仁古田に「月のテーブル」という喫茶店がある。立派なお屋敷の一部を喫茶店に改装したものだが、「爆音」(田坂具隆監督)はその田中邸でロケをしている。何とものんびりした映画で、息子が11時に飛行機に乗って飛んでくるとふれまわる村長と村人たちの反応を描いた風俗喜劇。傑作というほどではないが、十分楽しめた。上田周辺でロケをした作品で、田中邸の他に八木沢の法輪寺、舌喰池、生田の吉池邸などでロケをしている。

「ゴジラ」
  デアゴスティーニから出ている『東宝特撮映画』シリーズ第1巻付録のDVDで観た。画像は思ったよりきれいなので安心した。前に観たつもりだったが、全く見覚えがない。どうやら初めて観たようだ。こんな話だったとは驚いた。漠然と思っていたのとは全く違う展開。オキシジェン・デストロイヤーには笑ってしまう。それにしても最後にゴジラが骨だけになって崩れ落ちるとは!

 怪獣映画をよく観たのはもちろん子ども時代。おそらく最初に観たのは「キングコング対ゴジラ」。面白くて怖くて大好きだった。以来モスラ、ガメラ、ラドン、キングギドラなどの怪獣映画に夢中になった。大魔神を観たのもそのころだろう。

 今観るとお粗末なところも多々ある映画だが、ゴジラには親近感がある。というのも、「ゴジラ」が作られたのは僕が生まれた年だからである。したがって上映時には観ていない。その後ビデオで観たように思っていたが、どうやら違ったようだ。

 今回わざわざ「ゴジラ」を観たのは僕の記憶の中にある一つのシーンを確かめたかったからである。確か映画の冒頭、南海の海底でゴジラが氷づけになっているシーンがあったはずだ。その海底のシーンが黄色い光を帯びていたように記憶している。それが実に不気味なシーンだった。そのシーンを観たかったのである。しかし「ゴジラ」には全くそんなシーンは出てこない。してみると、あれは「キングコング対ゴジラ」の冒頭シーンだったのか。う~ん、気になる。「キングコング対ゴジラ」も観ないといけないだろうか。まだ書店にあるかなあ。

未来を写した子どもたち

2004年 アメリカ 2008年11月公開
評価:★★★★★
監督:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
撮影:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
編集:ナンシー・ベイカー、ロス・カウフマン
音楽:ジョン・マクダウェル 出演:コーチ、アヴィジット、ゴウル、シャンティ
    マニク、タパシ、ザナ・ブリスキ

090522_14   これは傑作だった。このところのドキュメンタリーの充実ぶりはすごい。「アース」、「ヒロシマナガサキ」、「シッコ」、「延安の娘」、「蟻の兵隊」、「ミリキタニの猫」、「ヤング@ハート」。去年から今年にかけて観たドキュメンタリー映画はどれも力作だ。これらに先月観た「未来を写した子どもたち」と「ジプシー・キャラバン」が加わった。まだまだ見逃しているドキュメンタリー映画が多いことを考えると、世界各地で社会の矛盾が噴き出し、同時に新しい動きが生まれつつある今の時代はドキュメンタリーの傑作が生まれ得る時代だといえるだろう。社会が変動するとき現実がフィクションを、そして想像力を超えてしまう。疲弊しマンネリ化した想像力とフィクションを救うには現実という豊かな大地に横たわり、そこから力を得ることが必要だろう。現実から力を得てこそ想像力とフィクションはより高く羽ばたくことができる。

  さて、本題の「未来を写した子どもたち」。この映画の主人公はコルカタ(旧カルカッタ)の売春街に住む子供たちと、彼らに未来の希望を持たせようと写真を教え、さらには彼らが学校教育を受けられるように奔走したイギリス人女性ザナ・ブリスキである。そもそもの発端は、1998年に売春窟の女性たちの写真を撮るためにインドに渡ったザナ・ブリスキが売春窟に生きる子供たちを「発見」したことにある。おそらくその時彼女は売春をしている母親たち以上に魅力的な「素材」を見出したのである。

 売春窟に生きる子供たちの現実と未来は悲惨なものだった。貧しく教養もない大人たちに囲まれて育ち、しょっちゅう汚い言葉を親たちから浴びせられて育ってきた。子供のうちから水くみや食器洗いをさせられ(客から代金を取り立てている子もいる)、親がどんな商売をしているのかもうすうす知っている。女の子たちはいずれ自分も同じことをするようになることを理解している。「パパはあたしを売ろうとした。お姉ちゃんが助けてくれなければ売られてた。ママみたいな大人になるのが怖い。」(シャンティ)しかし重要なことは、決してその子供たち全てが自分の悲惨な運命に打ちひしがれ、暗い表情を浮かべているわけではないことである。むしろそんな境遇の中で彼らなりにたくましく生きていたのだろう。しかも子供らしい人懐っこさを失わず、ときには無邪気な笑みを浮かべて。だからこそザナ・ブリスキは子供たちに魅せられ、彼らに未来と希望を与えるために写真教室を始めたである。

  売春が日常の世界。しかしそこは必ずしも地獄ではなかった。きわめて特殊な世界ではあるが、そこで営まれていたのは他でもない生活活動なのである。人と金が行きかい、汚い言葉が飛び交い、淫靡ではあるが汗臭いほどの活気もある生活。劣悪な環境であることは間違いないが、それでもそんな環境が子供たちの顔から笑みを奪っていないことにまず感銘を受ける。むしろ親が十分かまってくれない分子どもたちはある程度自立し早熟になる。普通の子供より早い段階で社会の現実を見てきた子供たちは驚くほど大人びた発言をする。「お金持ちになりたいとは思わないな。どんなに貧乏だって幸せにはなれると思うから。受け入れなくちゃ。悲しいことや苦しいことも人生だもんね。」(タパシ)

090228_26   子供たちの中で最も大人びているのはゴウルという子だ。終始落ち着いた話しぶりで、その哲学者然とした考え深げな顔(稲垣吾郎に似ている)は実に印象的だった。彼の発言はとても小学生くらいの子供の言葉とは思えない。「いつかプージャの家に行ったらおじさんがおばさんを折檻してた。お酒を買うお金を渡さなかったからだって。それで怒って殴ってた。できることならプージャをここから連れ出したい。このままじゃ“街の女”だ。麻薬をやったり人の金を盗むようになる。」

  子供たちがザナ・ブリスキの写真教室に集まってきたのは、そこに彼らの日常生活にない新しい、そしてワクワクする世界があったからだろう。意識していたかどうかにかかわらず、現状から一歩外に踏み出す魅力と可能性がそこにあったからだろう。しかもこの子たちは何かを求めて集まってきただけではなく、驚くべきことに意外な才能まで発揮して見せるのである。

  インスタントカメラを手に持って、彼らは街に飛び出して思い思いの写真を撮ってくる。その写真が実に素晴らしいのだ。僕自身も写真日記のブログ(「ゴブリンのつれづれ写真日記」)を書き始めて2年たつが、子供たちの写真の新鮮さとインパクトには正直驚いた。風景の一部を切り取ったりもしているが、とりわけ印象深いのは人物を多く撮っていることだ。カメラをもって街を歩いてみればわかるが、風景や建物を撮るのは容易だが、なかなか人を撮ることはできない。勝手に撮るわけにはいかないし、いちいち許可を得るのは面倒だ。許可を得ても、撮ると分かっていれば相手は身構えてしまうので自然な写真は撮れない。子供たちだから気軽に互いを撮り合ったり、たとえ相手が大人でも相手に警戒を与えずに写真を撮ることができるのである。そしてその写真に写っている人たちはみな生き生きとしているのである。

  「未来を写した子どもたち」はインドの現実の一部を鋭く切り取った映画だが、子供たちもまたインスタントカメラを通してインドの現実を切り取っていた。子供たち独特の新鮮な目で。カメラはきれいなものばかりに向けられているわけではない。例の哲学者のようなゴウルがこの点でも興味深い発言をしている。「ここは田舎と違ってすごく汚い。お皿の隣に靴がある。田舎じゃ見たことない。そういう生活をありのままに撮りたい。」玄関の靴の横に食べ散らかした食べ物と食器が転がっている彼の写真には人間は写っていない。にもかかわらずその人間たちの生活がその写真から読み取れてしまうのだ。

 小さいころから絵が得意だったというアヴィジット(現在ニューヨーク大でカメラを学んでいる)という子の写真もすごい。この子はまれに見る才能を持っている。アングルや目の付けどころが実に独特で、10代にしてプロ並みの感覚と感性を持っている。この子たちの才能を引き出したザナ・ブリスキの才能と指導の的確さも称賛されるべきだろう。写真教室は週に1回。撮影だけではなく、編集や批評もし合っている。率直に意見を言い合い、かつ他人の才能を認め合うことで飛躍的に子供たちの感性(柔軟で自由な発想と物を見る目)と技術は高まっていったのだろう。しかし感性と技術を磨くだけではおのずから限界ができてしまう。視野を広げるために新鮮な体験が必要だ。狭い馴染みの地域を飛び出し、ザナは子供たちを動物園や海に連れて行った。はしゃぎまわり、互いの写真を撮り合う子供たち。子供たちは写真を通じて自分たちの視野と世界を広げていったのである。

  しかしこれだけ生き生きと写真を撮り才能を発揮している子供たちに、それにふさわしい未来は保証されていない。ザナ・ブリスキは何とか子どもたちが教育を受けられるよう努力し始める。ここから映画の焦点がザナ・ブリスキの活動に向けられてゆく。「非力な大人たちが子供たちの未来を奪う」とザナ・ブリスキが語っているように、最大の障害は親たちや社会の無理解と偏見である。彼女は子供たちの学費にするために子供たちが撮った写真を売り、写真の展覧会を開くなど孤軍奮闘で奔走する。子供たちもにわかに光が差してきた未来にあらかじめ定められた道筋から脱却する夢を膨らませる。コーチという女の子が言った言葉がその真剣な思いを伝えている。「もしこの町を出て学校で勉強出来たら、すてきな未来が待っているんだろうな。」他の子たちだってみな同じ気持ちだったろう。同じ希望を持ちながら結局学校に行けなかった子たち、あるいはいったん入学しながらも様々な事情で退学していった子供たちの無念さを思うと胸が締め付けられる。

091004_135  売春窟に住んでいるというハンディは大きく、彼らを受け入れてくれる学校を簡単には見つけられない。面倒な書類をそろえ、かつエイズの検査を強要されるなど彼女の前には幾重もの障害が立ちふさがった。それでも彼女はそれらの壁を一つずつ越えていった。ついに彼女の努力が実って何人かの子供は寄宿制の学校への入学が許された。それだけではない、もっとも才能があったゴウルとアヴィジットは「子ども写真展」が開かれるアムステルダムにインド代表として招待されることが決まった。しかし、ここでもまた様々な障害が立ちふさがった。売春窟に住んでいる彼らがパスポートを取るのは容易なことではなかった。彼女と子供たちはその壁も乗り越えた。この映画のラストは初めて行ったアムステルダムで楽しそうにはしゃぐ二人の姿が映される。後半はザナ・ブリスキに大きく焦点が当てられているが、何といっても一番の主人公は子供たちなのである。

  もしザナ・ブリスキにより大きな焦点を当てていたら、あるいは子供たち中心の前半とザナ・ブリスキ中心の後半を入れ替えていたら、この映画の印象はだいぶ変わっていたかもしれない。子供たちとザナに共に焦点を当てつつも、一貫して子供たちこそ主人公という姿勢を貫いたからこの映画は優れたものになった。ザナの努力は立派であり敬服に値するが、一方でごく一部の子供たちを救っても現状は変えられないという問題があるからだ。「ナイロビの蜂」に出てくる「目の前の一人を助けたところでどうなる。ああいう人は、他に何千、何万といるんだ」という言葉。一人二人を救っても根本的な解決にはならない。それは確かに事実なのだ。

  しかしザナの努力は無駄だったというのも言い過ぎだろう。さまざまな要因が複雑に絡み合って生まれた現状を一気に変えることは難しい。小さな努力の積み重ねがやがて重大な変革期と重なった時に大きなうねりになる可能性はある。もちろん大概は泡のように生まれては消えてゆくことになるだろう。現にせっかく学校に入学した子供たちの何人かはそれぞれの事情で学校をやめている。ザナの努力が今後どのように実を結び波紋を広げてゆくのかはわからない。社会を大きく変えることはないにしても、彼女のような努力を続けている個人や団体は今も世界中にあるし、これからも生まれてくるだろう。この映画自体がそういう活動の延長線上に生まれた成果である。

 ザナも立派だが、やはりこの映画で一番印象に残るのは子供たちだろう。あのような境遇の中で育った子供たちの中にも優れた才能を持った子供たちがいること、そしてその中の何人かは今も才能を伸ばそうと努力していることをいつまでも記憶にとどめておきたい。

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