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2009年9月13日 - 2009年9月19日

2009年9月17日 (木)

先月観た映画(09年8月)

「その土曜日、7時58分」(07、シドニー・ルメット監督、米・英)★★★★☆
「レボリューショナリー・ロード」(08、サム・メンデス監督、英米)★★★★
「悪魔の発明」(57、カレル・ゼマン監督、チェコスロヴァキア)★★★★
「老人と海」(99、アレクサンドル・ペトロフ監督、ロシア・他)★★★★
「ザ・クリーナー 消された殺人」(07、レニー・ハーリン監督、米)★★★☆
「アパルーサの決闘」(08、エド・ハリス監督、米)★★★☆
「イワンと仔馬」(47、A・スネシュコ・ブロツカヤ、他監督、ソ連)★★★☆

「その土曜日、7時58分」
  時間を前後させることで、次第に全容が明らかになってくる「運命じゃない人」タイプの作品。意外な事実が次々に浮かび上がり、「そういうことだったか」と思わせて、また次にそれをひっくり返す。

 実に見事な展開。しかし喜劇的な展開ではなく、重苦しい方向にどんどん落ち込んでゆく。「アモーレス・ペロス」や「21グラム」のようなタイプの映画だ。

 追い詰められた兄弟が親の経営する宝石店を襲う計画を立てる。しかし事態は予想もしない方向へ転がっていった。もがけばもがくほどドツボにはまる。ギリギリと締め付けられるような展開。「考えられる最悪のケースだ。」(アンディが弟ハンクに言ったせりふ)観ているこっちまで息苦しくなってくる。結末に向かってゆくにつれてすべてが崩壊してゆく。

 シドニー・ルメット監督は1924年生まれだから、この作品を監督した時は83歳。最晩年にこれだけの傑作を生み出すとはどういうことか。90年代以降は大した作品を作っていなかった。よほど脚本が優れていたということだろう。しかしケリー・マスターソンという脚本家は初耳である。今後注目する必要があるだろう。 参考までにシドニー・ルメット監督のマイ・ベスト10を挙げておこう。

【シドニー・ルメット監督作品 マイ・ベスト10】
「その土曜日、7時58分」 (2007)
「モーニングアフター」 (1986) 「評決」 (1982)
「ネットワーク」 (1976)
「狼たちの午後」 (1975)
「セルピコ」 (1973)
「グループ」 (1966)
「質屋」 (1964)
「蛇皮の服を着た男」 (1960)
「十二人の怒れる男」 (1957)

【気になる未見作品】
「橋からの眺め」 (1961)
「女優志願」 (1958)

「レボリューショナリー・ロード」
  さすがサム・メンデス監督。単なるラブロマンスにはしなかった。しかしケイト・ウィンスレットの描き方に疑問を感じた。彼女の不満と希望が今ひとつよく理解できなかった。彼女の夢がどこか抽象的だからだろう。基本的にレオナルド・ディカプリオの視点から描かれていたこともそのことと関係しているかもしれない。

 「アメリカン・ビューティ」ほどではないが、この映画でも人間関係のねじれが濃密に描かれている。ケイト・ウィンスレットとレオナルド・ディカプリオの熱演によって息苦しいほどの展開になってゆく。そしてラストのデッド・エンド。彼らの家がリボリューショナリー・ロードのどん詰まりにあったように、映画のラストも「ジャーヘッド」のような行き詰まり感が漂う。

 どうやらこの映画が描きたかったのはこの閉塞感らしい。時代設定は50年代。第二次世界大戦で直接の戦場にならなかったアメリカが、疲弊していたヨーロッパ各国を尻目に空前の物質的繁栄を享受していた時代。主人公の二人はその時代の典型的な夫婦で、サバービアに住み安定した生活を送っている。しかしその二人の関係は内部から崩壊していった。

 その直接の原因はケイト・ウィンスレットの抱く漠然とした不満とそこから脱出したいという希望だった。職場で毎日変わり映えのしない仕事をしているレオナルド・ディカプリオも、自分の人生には漠然とした不満を抱えていた。そこでパリに行って心機一転生活をやりなおそうというケイト・ウィンスレットの提案に乗ってしまう。

 問題はやはり、パリに行けば淀んで潤いのない生活をやりなおせるというケイト・ウィンスレットの提案の安易さ、根拠の薄弱さである。何らかの変化が必要だというのは理解できるが、それがどうしてパリ行きになるのか。パリに行って本当にやっていけるのかと誰もが疑問を感じる。この時点ですでにこの映画に共感できなくなっている人は多いだろう。ケイト・ウィンスレットの言動に終始疑問を感じていたのは僕も同じだ。

  しかし、彼女の人生をやり直したいという願望が漠然としたものになるのは理解できないわけではない。第二次世界大戦中は戦争に取られた男手の不足を補うために、女性が少なからぬ職場に進出した。しかしそうではあってもまだまだ女性が社会で活躍できる場所は今と比べると少なかった。彼女は元女優だったが、女優として大成するだけの才能はなかったのだろう。パリでの働き口としても秘書の仕事を挙げているだけである。およそ突飛にしか聞こえない彼女の夢語りは、煎じつめればとにかく社会で働きたいという漠然としてはいるがやむにやまれぬ思いの発露であり、またその彼女の居場所を提供できる機会はアメリカにはないというメッセージの発信だったのである。

 自分の居場所はアメリカにはない。大いなる不満の塊と化した彼女の姿はアメリカに対して「NO!」を突きつけていた。しかし否定はしたが、どうそれを突き破るかという見通しは茫漠としたものしかない。だから彼女は思い切って「飛ぶ」しかなかったのだろう。

 もちろん彼女の希望はただの独りよがりだったと批判することは十分可能である。彼女は子供のことすらほとんど意識していない。彼女は結局袋小路(デッド・エンド)に突き当り、砕け散った。後には"変わり者の夫婦だった"という評判が残っただけだ。

 ゴールデン・エイジと言われたアメリカの50年代はまた冷戦が世界に広がっていった時代であり、赤狩りが荒れ狂った時代でもあった。なぜ今50年代を舞台にした作品を撮ったのか。恐らくサム・メンデス監督はアメリカが自信を喪失し、かつてない苦難の時期を迎えている現在と50年代との接点を意識しているだろう。そういう意味でこの作品は一連の「ポスト9.11映画」の系譜に入ると言っていいかもしれない。

「悪魔の発明」
  「先月観た映画(09年7月)」で紹介した「盗まれた飛行船」とほぼ同じような作風。同じように楽しめる。原作は「盗まれた飛行船」と同じジュール・ヴェルヌ。同名の小説が原作である。

 子供むけの作品とされているが、大人も十分楽しめる。僕は中学生の頃ジュール・ヴェルヌの小説をむさぼるように読みふけったが、原作を知らなくても楽しめる。

 ストーリーについては割愛して、カレル・ゼマン作品の魅力を少し書いてみたい。「盗まれた飛行船」も「悪魔の発明」もほぼ同じ作りだが、共通するのは登場人物や小道具は実写で、背景が銅版画風の精密画で描かれていることである。感心するのはその特撮が実に自然で、日本の怪獣映画やレイ・ハリーハウゼン作品のようなちゃちな印象がまったくないことである。それほど背景や小道具が見事に作りこまれているということだし、その造形がまた見事なのだ。下手に全部実写で撮るよりもカレル・ゼマン流に作りこんだほうがはるかにいい作品ができる。実写で撮ったヴェルヌ原作の「地底探検」(1959)や「海底2万マイル」(1954)、あるいはH.G.ウェルズ原作の「ドクター・モローの島」(1977)などの悲惨な出来を見るとそう感じないわけにはいかない。

 今ならCGでかなりのことが出来るが、そんな助けがなかった時代にこれだけのものを作ったことは驚嘆に値する。不自由だからこそ人はアイディアと想像(創造)力でそれを補おうとする。安易な技術よりアイディアがいかに大事かといういい例である。

「老人と海」
  珍しい油絵タッチのアニメ。何とガラスに直接指を使って描いている。何とも独特の柔らかいタッチだ。動きは滑らかさにはやや欠けるが、海の水や波の繊細な表現、巨大なカジキマグロの力強い映像、巨大魚と格闘する老人の体と表情の動きはなかなかのものだ。クライマックスのカジキマグロとの格闘、サメとの戦いはぐいぐい引き付けるものがある。

 とにかく旧ソ連・ロシアのアニメのユニークさ、奥の深さ、層の厚さには驚かされる。アレクサンドル・ペトロフ監督のDVDは他に「春のめざめ」と「アレクサンドル・ペトロフ作品集」が出ている。「春のめざめ」は既に入手済み。こちらも早く観てみたい。

「ザ・クリーナー 消された殺人」
  結構面白かった。犯罪現場の清掃をするクリーナーを主人公にするという発想が卓抜だ。殺人現場の清掃をして、翌日返し忘れた鍵を返しに行くと、その家の主婦はそんなことを頼んだ覚えはないという。主人公は誰かに利用され、殺人の跡を隠滅する仕事をさせられたことになる。

 その後の展開もサスペンスフルでぐいぐい引き付ける。ただ犯人が最初から怪しいと思っていた人物だったのにはがっかり。もっとひねってあれば秀作の部類に入ったかもしれない。

「アパルーサの決闘」
  久々に観る本格的な西部劇。正義の保安官と悪党の対立。犯人を追っての追跡劇。最後の決闘シーン。お約束の要素がすべて入っている。しかしまあ、エド・ハリスの顔は西部劇に似合うこと(その意味では相棒役のヴィゴ・モーテンセンは今一つだった)!ジャケット写真を見たとたん懐かしのリー・ヴァン・クリーフを連想してしまった。今ああいう渋い顔の凄味がある俳優は他にいないかもしれない。

  しかし残念ながら映画としての出来はもう一つだった。定番の範疇からほとんど出ていない。なんだか現代のアクション劇をそのまま西部劇に移し替えただけという感じなのだ。まあ、最初からさほど期待はしていなかったからがっかりはしなかったけれど。

「イワンと仔馬」
  ロシアらしい民族性がよく出ている。しかし童話の挿絵のような絵がどうしても物足りない。話も単純で、次から次へと災難がイワンを襲うがあっさり切りぬけてしまうあたりはドラマとしては弱いと言わざるを得ない。

 有名な光る馬のたてがみも今の高度なアニメの技術を知っている目には特別驚くほどではない。あまり過大評価すべきではないが、今では観る価値がないということでもない。子供向けのアニメとしては今でも十分通用するだろう。この映画に盛り込まれたロシア・アニメらしい息吹は消え去ってゆくには惜しい。

2009年9月13日 (日)

ヤング@ハート

2007年 イギリス ドキュメンタリー 108分 2008年11月公開
評価:★★★★★
監督:スティーヴン・ウォーカー
製作:サリー・ジョージ
製作総指揮:ハンナ・ベッカーマン
撮影:エドワード・マリッツ
編集:クリス・キング
出演:アイリーン・ホール、スタン・ゴールドマン、フレッド・ニトル、ドラ・モロー
    ボブ・シルマン

 「マルタのやさしい刺繍」(2006、ベティナ・オベルリ監督)に続いて、また元気な老人たちの映画を観た。米マサチューセッツ州ノーサンプトンに住む75~93歳の高齢者ロック・コーラス隊が、年に1回のコンサートに向けてリハーサルを積み重ねる姿を追い、最後に実際のコンサートの熱狂ぶりをたっぷり見せてくれるドキュメンタリー映画「ヤング@ハート」。まあその元気なこと。皆それぞれに病気やら何やら厄介なものを抱えてはいるが、本当に好きなことをやっている人たちの顔は年齢に関係なく輝いている。

Takigawa  インタビューにはクラシックやオペラが好きだと答える年代の人たちだが、ロック、ポップ、ファンク、パンク、ソウルなど彼らの年代では普段なじみのない曲に果敢に挑んでいるところがすごい。その意欲と絶えず前に進もうとする前向きの姿勢に圧倒されてしまう。年をとったら編み物でもしてればいいというような既成概念を跳ね飛ばす(英語の公式サイトには編み物をしている2本の手が映っているが、編んでいるのは何とエレキギターだ!)ところは「ヘンダーソン夫人の贈りもの」(2005、スティーヴン・フリアーズ監督)を想わせる。自分の限界を超えて先へ進もうとする姿勢の爽快さは「世界最速のインディアン」(2005、ロジャー・ドナルドソン監督)のかっとびじいさんと比べても劣らない。

 音楽映画という観点から見れば、歌うことそのものが人生であり生きがいである「死ぬまで現役」を貫く人々を描いた映画という意味で「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(2006、ロバート・アルトマン監督)にも通じるものがある。さらに音楽ドキュメンタリーの系譜をたどれば、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999、ヴィム・ヴェンダース監督)やノルウェー映画の秀作「歌え!フィッシャーマン」(2001、クヌート・エーリク・イエンセン監督)との接点が見えてくる。

 そう、何といっても一番共通点が多いのは「歌え!フィッシャーマン」だろう。こちらはノルウェーの小さな町に実在する合唱団「ストランド・ボーイズ」(1917年創立)を描いたセミ・ドキュメンタリー・タッチの映画だ。「ストランド・ボーイズ」はじいさんばかりの素人合唱団。各メンバーのインタビューや私生活、練習風景などを描きながら、最後に怒涛のコンサートになだれ込むという大枠の構成は「ヤング@ハート」とほとんど同じだ。メンバー一人ひとりが皆個性的なのも共通している。

 しかし大きな違いがある。一番の違いは言うまでもなく歌っている曲である。「ストランド・ボーイズ」が歌っているのはノルウェーの伝統曲と思われる(ほとんどがなじみのない曲ばかりだったと記憶している)。それに対してヤング@ハートのメンバーが歌うのはロック、ポップ、ファンク、パンク、ソウルなどのおよそ老人たちが歌いそうもない曲ばかりだ。ジャンルも様々だし、作られた年代もまちまち。アメリカの曲もあればイギリスの曲もある。そのレパートリーの幅の広さに驚かざるを得ない。その点ではディレクターであるボブ・シルマンの戦略が見事に功を奏している。彼らが歌う曲はざっと以下の通り。

The Clash "Should I Stay or Should I Go"
Ramones "I Wanna Be Sedated"
Police "Every Breath You Take"
David Bowie "Golden Years"
Jimi Hendrix "Purple Haze"
Jefferson Airplane "Somebody to Love"
The Talking Heads "Road to Nowhere"
Bruce Springsteen "Dancing in the Dark"
Bob Dylan "Forever Young"
The Bee Gees “Stayin’ Alive”
Prince "Nothing Compares 2 U"
The Zombies "She's Not There"
Sonic Youth "Schizophrenia
James Brown "I Got You (I Feel Good)"
Coldplay "Fix You"
Allen Toussaint "Yes We Can Can"

 しかも公演6週間前にいきなりなじみのない曲を取り上げると言い渡され、リハーサルに励むも歌詞を間違えるは(”I Feel Good”をどうしても”I Feel Nice”と言ってしまうのが可笑しい)、リズムが覚えられないは、歌詞は理解できないは(たとえばソニック・ユースの「スキツォフリーニア」)、ポインター・シスターズで知られる「イエス・ウィ・キャン・キャン」(作曲はアラン・トゥ-サン)の繰り返し部分の多さに途方に暮れるはでさんざん苦労する。こんな状態で本番のコンサートに間に合うのかというサスペンス的な緊張感すら漂ってくる。

 彼らの敵は時間ばかりではない。70歳以上の高齢者ばかりなので健康に不安を抱えていない人はいない。実際本番前に2人のメンバーが亡くなっている。なれない曲に悪戦苦闘し、メンバーの死を乗り越えての本番突入という展開は「歌え!フィッシャーマン」と大きく異なる。「ヤング@ハート」が作品として「歌え!フィッシャーマン」以上の出来栄えになった理由はまさにその点にある。

Photo   単にメンバーたちが追悼の気持ちを込めて感動的なパフォーマンスをする場面が撮れたという意味だけで言っているのではない。彼らがいかに生命力のぎりぎりまでつぎ込んで歌に打ち込んでいるかが伝わってくるからである。さらにドキュメンタリー映画の持つ基本的な特質と関係したある重要な点も見逃してはいけない。監督のスティーヴン・ウォーカーがあるインタビューでメンバーや監督を打ちのめした悲しいできごとが、「老人たちがロックを歌う、愉快でラブリーな映画」で終わったかもしれない作品を別のものにしたと語っている。(「歌え!フィッシャーマン」はまさに「愉快でラブリーな映画」だった。もちろんだから駄目だと言っているわけではない。)

 予測不可能なできごとが自然発生的に起こり、化学反応を起こして映画の内容が変わっていくのはドキュメンタリー製作の醍醐味でもあり、チャレンジでもある。しかし今回ほど変わったことはなかった。

 「死」を学術的な視点からではなく、リアルなものとして描くことが結果的にできてしまった。作品にとっては大きかった。作品が世界中で公開されるに至った要素だ。

 同じ音楽ドキュメンタリーでも、「ヤング@ハート」は「ノー・ディレクション・ホーム」(2005、マーティン・スコセッシ監督)のように過去のフィルムを編集したものとは違って、現在進行の形で密着取材したものである。したがって本番のコンサート前にメンバーが2人も亡くなるというような予想外のことが起こりうるわけだ。監督は「本当はボブが亡くなった時点で、もう撮影はやめようかと思った」と語っているが、それでもカメラを回し続け、予定されていた展開が「化学反応を起こして」予想外の方向に変化してゆく様をとらえた。筋書き通りではなかったからこそ、あの「フォーエヴァー・ヤング」と「フィックス・イット」は観客の胸の奥底にまで届き、揺さぶったのだ。派手な演出を一切せず、メンバーたちの胸中の「化学反応」がパフォーマンスとして表出する様をそのままとらえたからこそ、あの感動的な場面が撮れたのである。その点を強調しておきたい。

 ボブ・サルヴィニはある刑務所での公演の当日に死亡した。服役者たちを前にメンバーが歌ったボブ・ディランの「フォーエヴァー・ヤング」。平均年齢80歳というメンバーが「フォーエヴァー・ヤング」を歌うというだけでかなりのインパクトがある。ディレクターのボブ・シルマンはそのギャップを十分意識した上でこの曲を選曲したに違いない。図らずも「フォーエヴァー・ヤング」はボブ・サルヴィニの死に捧げられた歌となった。3人のボブが絡んだ追悼の歌。聞いていた受刑者たちも思わず涙ぐむほど感動的なパフォーマンスになった。

  「ヤング@ハート」が結成されたのは1982年。結成当時のメンバーはもう誰もいないという。亡くなったり病気で続けられなくなったりして次々とメンバーが入れ替わってゆく。「モーニング娘」みたいだが、こちらはしばしば”mourning”(服喪)になってしまう所が深刻だ。その彼らが「フォーエヴァー・ヤング」を歌う。永遠に若いというのはドリアン・グレイのようになることではない。皺だらけになり、毛髪は白くなって後退し、視力や聴力が衰え、体にいくつもの爆弾を抱え、杖をついたり、点滴のチューブを放せなかったり、鼻からチューブを通した姿でなお精いっぱい歌うこと。死ぬまで現役。彼等にとって「フォーエヴァー・ヤング」とはそういうことなのだ。仲間の死を乗り越え、難曲を乗り越えた老人たちの歌。何が彼らを支えてきたのか?それは「歌え!フィッシャーマン」のメンバーたちを支えていたものと基本的に同じだ。答えは単純。歌うことの喜び。それがあるからこそボブ・シルマンの厳しい練習にも耐えられたのである。

Imgp0255  しかしその喜びはしばしば悲しみを乗り越えたうえで到達しなければならなかった。ボブ・サルヴィニの死から1週間後、もう1人のメンバーであるジョー・ベノアが亡くなる。コンサートのポスターでは彼が真ん中に立っていた。まさに「ヤング@ハート」の看板だった人物。この2人の死を乗り越えて最後のコンサートが行われた。圧巻だったのはボブ・サルヴィニとデュエットするはずだった「フィックス・ユー」をソロで歌ったフレッド・ニトル。車いすに座ったまま、よく通る声で堂々とかつ切々とコールドプレイの「フィックス・ユー」を歌いきった。胸に沁み入るような見事なバラード。その表現力と説得力は原曲以上だったと言っていい。観客はスタンディング・オーベイションで応えた。

 このフレッド・ニトルという人はただ者ではない。ミュージック・クリップのように撮ったビージーズの「ステイン・アライヴ」では「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタばりに白いスーツで登場し、軽快ではなく悠揚迫らぬステップを踏んで見せた。病気で引退していた彼をボブ・シルマンが頼み込んで再びメンバーに加わってもらったのもうなづける。

 もはやコンサート会場は興奮のるつぼと化していた。あれほど苦労していた難曲も本番では見事に歌い遂げた。難関だった「イエス・ウイ・キャン・キャン」も大成功。これまたスタンディング・オーベイション。拍手が鳴りやまない。足をふみならす音が地鳴りのように響き渡る。コンサート終了後、スタン・ゴールドは「“アイ・フィール・グッド”それが今の気持ちだ」と語っている。その気持は他のメンバーも同じだっただろう。

 彼らの歌は全体としてみれば決してうまいとは言えない。中にはこれはロックでもパンクでもソウルでもないと言う人がいるかもしれない。それに対して「その通りだ」と答えたい。彼らのパフォーマンスは決してカラオケのようなものまねでもなく、そっくりにカバーしたのでもない。元の歌そっくりに歌うのではなく、何かを引き何かを足した。物まねではなく「ヤング@ハート印」の歌にした。彼らが歌うと曲がまた別の意味合いを帯びてくる。ヤング@ハートを聞く楽しみは、何でも器用にこなす物まね上手な歌手やグループの歌を聴く楽しみとは全く違う。自分の本来の好みでもない曲に果敢に挑み、見事に自家薬籠中の物に変え、彼らならではの持ち味で歌いこなしてしまう。本当の意味でのアレンジが活かされている。その背後にはボブ・シルマンのアレンジャーとしての手腕が光っている。

  ヤング@ハートは単に老人がロックを歌うという意外性だけが売り物ではない。リズム感がどうの、歌のうまさがどうのと言う前に、そういったハンディを乗り越えて聞く者を説得してしまう彼らのパフォーマンスの力にこそ注目すべきだ。その老獪さ、若々しさ。若い連中が作った歌を老人が歌うからこそ生じる微妙なずれ。そのずれが新たな意味を生む。例えば、老人たちが「フォーエヴァー・ヤング」や「ステイン・アライヴ」を歌うことで元の歌に予想もしなかった新たな暗喩が付け加わったことを思い浮かべてみればいい。監督自身も先のインタビューで、メンバー最高齢のアイリーン・ホールがザ・クラッシュの「シュド・アイ・ステイ・オア・シュド・アイ・ゴー?」を歌うのを聞いて、「男女関係についての歌詞が、彼女が歌うことにより、生死についての歌に聞こえた」と語っている。「フィックス・イット」の歌詞をじっくり聞いていると、それが21世紀の「明日に架ける橋」のように思えてくる。

  実際、この映画を観てわれわれはこれまで聞き流していた歌詞の意味をじっくり味わいながら聞くことになる。彼らのパフォーマンスにはそういった効果もあることを付け加えておくべきだろう。一つひとつの歌詞が重みを持って伝わってくる。亡くなったメンバーへの追悼の意味を込めて歌われた「フォーエヴァー・ヤング」や「フィックス・イット」がわれわれの胸を打つのは、単に仲間を失った悲しみが込められているからということではない。積み重ねてきた人生の年輪、生きることの重みと喜びを知っている老人たちだからこそ死別の悲しみもより深い。彼らは亡くなった仲間のために歌い、自分たちのために歌い、そして亡くなったメンバーもまたある意味で一緒に歌っていたのだ。彼らは歌うことで悲しみを乗り越えていった。それが素晴らしい。二度の仲間の死に見舞われたが、彼らの常に前進する姿勢から感じるのは死の影ではなく生の喜びである。

 ジョー・ベノアの死の直後、インタビューに答えてある女性メンバーは次のように語った。「いつもこう言ってるの。“もし私が舞台で倒れたら袖に運んで歌を続けて。一人欠けるだけ”と。」こういう考え方がメンバー2人の死を乗り越え彼らを前に進ませているのだろう。「老人ばかりじゃないか」という冷やかしにはメンバーたちはこう答えたかもしれない。「ただ若いやつらより年をとっているだけ」と。

 映画の冒頭で「シュド・アイ・ステイ・オア・シュド・アイ・ゴー?」を歌ったアイリーン・ホールは、次のようにインタビューに答えた。「あたしは昔から言ってる。“あたしは死んでいなくなっても、七色の虹に腰をかけてあなた達を見下ろしている。今まで通りに皆で歌い続けて。見守ってるわ”と。」

 誰も歌をやめないし、誰も歌をやめてほしいとは言わない。自分がいなくなっても歌い続けてほしい。何度入院しても、何度手術を受けても彼らは歌うことにこだわる。歌うことの喜び。歌うことへの情熱。この映画から何より伝わってくるのはこのことだ。エンド・ロールの最後に「アイリーンは2007年の夏に93歳で逝去。今は虹の上にいる。」と字幕が入る。虹の上から見守りながら、彼女自身もきっと歌い続けているに違いない。

Pocketwatch3  監督のスティーヴン・ウォーカーについてはこの作品で初めて知った。全く知らない人だったので、英語のサイトから彼についての情報を拾ってみた。彼は「ヤング@ハート」を含めて合計24本の作品をBBCとチャンネル4で作ってきた。他に最近の作品としては「ア・ボーイ・コールド・アレックス」や「ヒロシマ、ア・デイ・ザット・シュック・ザ・ワールド」、「フェイキング・イット・パンク・トゥ・コンダクター」などのドキュメンタリー、ジョン・ハート主演のドラマ「プリゾナー・イン・タイム」などがある。2008年にはイギリスのテレビ・ディレクター・トップ10の1人に選ばれている。

 著書も2冊ある。『キング・オブ・カンヌ』と『ショックウェイヴ:カウントダウン・トゥ・ヒロシマ』。後者はワーキング・タイトル・フィルムズによって映画化される予定である。

<追記>
 「ヤング@ハート」は先日載せた「2008年公開映画マイ・ベストテン」の2位にランクインです。さっそく書き換えて順位を入れ替えておきます。

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